14 友の死に

2005.12


 つい先日、中高時代の同級生がふたり、十日をおかず相次いで亡くなった。その一人の通夜が東京で行われたのだが、故人の人徳の故か、メールという道具ですばやく情報が伝わったゆえか、同級生だけでも数十人が集まった。焼香が始まるまで、朗らかに笑う遺影を眺めていたら、わけもなく涙が流れてしかたがなかった。同級生が亡くなったのはこれが初めてではないが、葬儀に参列するのはこれが初めてだということに気づいた。

 中学以来というと、40年以上も何らかの交渉があったことになる。その40年という月日のことを考えると、どうにも感傷的な気分になるのを抑えきれなかったのだ。

 ぼくらが生まれたのは昭和24年。「団塊の世代」と呼ばれ、60過ぎにはバラ色の人生が待っているという人もいるが、一方では諸悪の根源のように言う人もいる。それはハタから見れば、どのようにも言えるだろう。けれども、その世代の真性の一員としては、言えることはただひとつ。「苦労してきた」ということだけだ。

 もちろんどんな世代だって苦労してきた。けれどもその世代特有の苦労は、やはり同世代の者でなければ分からない。そして同じ学校に学んだ者特有の苦労も、また同級生でなければ分からない。

 ぼくらがその「青春」を過ごした栄光学園は、今では考えられないほど厳しい学校で、同級生の1割以上が落第の憂き目にあった。訳も分からず落第の恐怖におびえて、がむしゃらに勉強した日々の苦労は、他の誰にも分かるはずがない。

 彼は一番のやんちゃだったから、ぼくみたいな小心者と違って、「青春」をおおいに謳歌したに違いないが、それでも、優秀に「超」のつく同級生に対する一種の引け目のようなものから死ぬまで自由になることはできなかった。ぼくには彼のその真情がよく分かる。

 作家になった彼が、懸命に直木賞や江戸川乱歩賞をとることを目指して全身癌にむしばまれた身を押して頑張ったのも、優秀な同級生の中で、自分の存在感を示したいという強い思いだった。推測でいうのではない。彼がそう言っていたのだ。

 「お互い、苦労をしたよね」と心で呟いた。そんなに頑張らなくてもよかったじゃないか。偉くなったヤツもいる。偉くならなかったヤツもいる。それでいいじゃないか。そんなこと思ったら、涙が出た。

 学校に「罪」があった。でも、ぼくらはそこに集まった。そして40年後、友の死を送った。大切なのは学校ではなかった。友だった。


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