11 カンマン

2005.11


 義弟の父の葬儀があって、先週末、新潟県の柏崎市に行ってきた。この週末は絶好の行楽日和ですというテレビの天気予報を尻目に、上越新幹線に乗り、越後湯沢まで来ると案の定雪が舞っていた。

 長岡から信越本線で柏崎までは特急で30分弱。空はどんよりとした雲に覆われている。ちょうど一年前、義理の叔父の葬儀のために同じ新潟県の青海町(今は糸魚川市に合併した)へ出かけ、その通夜の席で中越地震に遭遇した記憶も生々しい。軽い恐怖が背筋を走る。

 長岡から乗り込んだのは、ぼくと妻と母の三人組以外に、やはり葬儀に来たといった感じの家族連れが数人だったが、全員柏崎で降りた。冷たい風が吹き付ける閑散としたプラットフォームに降り立った男の人が「寂しいなあ」と呟いた。思わずみんな苦笑した。同じ都会組である。

 最近タイに仕事で行ってきた次男が、タイは一年中夏みたいなものだから、みんな「我慢する」とか「耐える」ということがどういうことか分からないらしいよ、なんて言っていたが、確かにそうかもしれない。逆にこんなに暗く寂しい日本海側に住んでいる人は、「我慢して耐えて」生きているに違いない。その気持ちは、熱帯地方の人間には分からないだろう。

 葬儀では、受付をやったが、一緒に手伝ってくれた義弟の友人と妙に話があって(顔も似ていると言われた)、いろんな世間話をした。彼の奥さんの郷里が千葉の館山で、そこにいったとき随分びっくりしたと言う。まず、寿司を出してくれたのだが、それが食べきれないほどあって、結局半分残ったのだが、それをみんな捨ててしまった、あれはこっちでは考えられない、と言う。やっぱりこっちは食べ物だって豊かじゃないから、漬け物とかね、保存食とかいろいろ考えますよ。あ、それから、あっちは「カンマン」がすごいですね。

 「カンマン」が潮の「干満」を指すのだと分かるまで、ちょっと時間がかかった。

 こっちじゃ、あんなに干満の差がないです、と言う。びっくりした。

 青海町には小さい頃から何回も遊びに行っていて、海岸でも随分遊んだのに、こっちの海は「干満の差がないなあ」と思ったことは一度もなかった。しかし、思い返してみれば、青海町の海岸はいつも波打ち際は同じだった。今日は満ちてるとか、引いているとかいうことは、確かになかった。じゃあ、潮干狩りなんてしないわけね。ええ、しませんね。あれ、やりたくてねえ、と彼は笑った。


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