10 死んだ作家

2005.11


 このところ立て続けに全集を買ってしまった。「芥川龍之介全集」と「志賀直哉全集」である。

 芥川の方は、以前持っていたのだが、10年ほど前に売ってしまった。そのときは、もう芥川でもあるまいと何となく思ったらしい。ほとんど読んでいないのに、そう思ってしまったのもおかしな話だが、読む前から飽きてしまうということはある。ところが、この頃、ゆっくり読みたくなった。そうなるとやはり全集が欲しくなる。もちろん新刊本はないので古書ということになるが、昨今の古書の暴落ぶりはすさまじく、「芥川龍之介全集」全12巻が、6825円で手に入った。多分以前に売ったときの値段よりずっと安い。そう考えると、この10年間なにがしかの利子付きで預かってもらっていたような気がする。志賀直哉全集のほうは、全16巻で15000円だった。古書とはいえほとんど新品で、ものすごく得をした気分だ。

 損だ、得だの話は別にして、こうした全集が手元に来ると、何だかうれしい。友人がまた増えたという感じだ。芥川や志賀ということになると、これはもう新しい友人ではなくて、しばらく会っていなかった昔の友人というところだろうか。

 「今を生きる」という映画があって、その原題は「DEAD POETS SOCIETY」つまり「死せる詩人の会」という。邦題とはまるで違うその原題は、学生たちが洞窟のようなところに集まって、すでに死んだ詩人たちの詩を読むというところからきていたはずだ。「死んだ詩人の会」が、どうして「今を生きる」という邦題になるのかは、映画を見れば分かるはずだから今は触れないとして、どうして「生きている詩人」ではなくて「死んだ詩人」なのかは、ちょっとひっかかるところだ。

 それは、ぼくが、今生きている作家ではなく、すでに死んだ作家の全集を買いたくなる気持ちに似ているのかもしれない。

 もう動かしようもないその作家の「全体」が、その全集にはある。その安定性が「死んだ作家」の魅力だ。「生きている作家」には同時代を同じ空気を吸っていきている者としての共感がある。共に歩む作家を持てることは幸せだが、相手も生きているから、これからどう変貌を遂げるか分からない。裏切られることがあるかもしれない。そういう不安定さは魅力だが、疲れることも確かだ。

 もう変わることのない作家の作品に、じっくりと向き合い、作家のこころと語り合いたい。今はそういう気分であるらしい。


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