7 分からないこと

2005.10


 大岡信という詩人かつ評論家は、若い頃「理解魔」というあだ名がついていた。大岡信は、朝日新聞に長いこと連載されていた「折々の歌」の著者として一般的には知られているが、その彼が「理解魔」とあだ名されたのは、その批評活動の幅広さもさることながら、どんなものに対しても恐るべき理解力で消化したからだった。この人には理解できないものなんてない、といった趣があったのだろう。東大の国文科出身であり、家も学問的な雰囲気に満ちていたようだから、この切れ味するどい批評家に対して半分やっかみもあったのかもしれない。

 大岡信ほどではなくても、世の中には「理解魔」とでもいいたくなるほど、何でも分かっている人が多いものだ。どんなことに対しても、そこそこイッパシの口をきき、「それ分かんない」とか「そんなこと知らない」などとは口が裂けても言わない人。そういう人をみると、たいしたもんだなあと思い、心から羨ましくも思い、その挙げ句、それにくらべてこの俺はとコンプレックスに苛まれるのがオチだった。

 そんな日々を物心ついた時からずっと過ごしてきたような気がするのだが、最近、本多秋五の「物語戦後文学史」を読んでいたら、何とも面白く、時のたつのも忘れて読み耽った。こういう本は、ある程度戦後文学を読んでいないと何のことやら分からないから、まあ一種の専門書のようなもので、この本が世に出た一九六六年といえば、ぼくがまだ高校生の時代、確か大学の頃に少し読んだような気もするが、いずれにしてもその頃のぼくにはやはりちっとも面白くなかったろう。それが、ようやく今になって、「面白く読める」ということに、オコガマシイが自らの成長を今更ながら実感し、嬉しかった。

 しかし、そんなことを自慢したくて書いているわけではない。本多秋五がこの本の中でたびたび口にする「あのころはよく分からなかったが、今になると分かるような気もする。」とか「○○という作家を彼は完全に否定したが、そんなに否定していいものかと当時は思っていた。」とかいった率直な言葉にひどく惹かれたということを書き留めておきたかったのだ。

 何でもかんでも理解できなくてもいいのだ。無理して分かったようなフリをするより、分からないことは分からないと素直に言えばいいのだ。むしろそのほうがずっと大切なことなのだ。そんなふうに思ったのである。何でもないことのようだが、ぼくには大事な「発見」だった。


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