4 あらすじ

2005.10


長編の名作は、あらすじだけでも知っておきたい人も多いらしく、あらすじを書いた本が次々にでる。では短い小説は、どうか。読むのに時間がかからないから、あらすじの本が出ないのは当然である。だがぼくは短編ひとつ読むのもおっくうなので、短編のあらすじにも興味をもつ。そんな本が出たら、うれしい。そして、そんな本は出ない。でも、そんな欲求に応えてくれるものはあるのである。

 と、荒川洋治は書き、その後で「島崎藤村全短編」の内容見本に載せられたあらすじを楽しそうに紹介している。(「世に出ないことば」みすず書房刊)

 以前にも書いたが、このぼくと同じ昭和24年生まれの詩人荒川洋治は、天才的な言語感覚で優れた詩を多く書いていて、多少とも詩作のまねごとをしていたぼくには嫉妬の感情を交えずにその詩を読むことができなかった。けれども、さすがにこの年齢になると、そういう変な「欲」みたいなものもすっかり枯れてしまい、親しい友人のものを読むように彼の著作を読むことができるようになった。そうなってみると、この人ほどぼくの感覚にしっくりくる人もいないことに驚きをもって気づいた。もっとも、感覚的に合わないところもあるにはあるのだが、それはむしろ当然のことだろう。

 さて、あらすじのことだが、実はこの文章を読んでちょっと驚いたのだ。荒川洋治ともあろうものが「あらすじ本」を褒めるとは、と思ったのだ。書店に平積みになっている「あらすじ本」を見るたびに、長編をあらすじで読んでいったいどうするつもりなんだ、そこまでして「教養」をひけらかしたいヤツがいるのか、そもそも小説の面白さはディテール(細部)にこそあるのではないか、などといった罵詈雑言が無限に湧いて出てくるのがぼくの常だったので、荒川洋治の感想にびっくりしたのだった。

 けれども、荒川洋治が楽しそうに紹介する短編のあらすじを読んでいるうちに、なるほど「あらすじ」といってもずいぶんまとめ方によっては色々とあるものだと、改めて「あらすじ」の面白さを発見した気分になった。それなら長編のあらすじはいったいどのように書かれているのか、「あらすじ本」を色々と買い集めてみたくなった。

 「ドンキホーテ」を、「アンナカレーニナ」を、「失われた時を求めて」を、それぞれ200字のあらすじにまとめたら、いったいどういうことになるのだろうか。これは確かに「見もの」、いや「読みもの」である。


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