グッド・ウィル・ハンティング

監督:ガス・ヴアン・サント


 

 今度のアカデミー賞で、脚本賞を獲得した作品だが、はたして、それほど脚本がいいだろうか。胸をうつセリフがあっただろうかと考えてみても、それほどのセリフもない。ではストーリーの展開が秀逸だろうかと考えてみても、どちらかというと平凡である。

 天才的な頭脳を持ちながら、幼少の頃の心の傷のためにどうしても素直になれない青年ウィル(マット・ディモン)の悩みが、精神科医ショーン(ロビン・ウィリアムズ)によって癒されていく、そして、その精神科医自身も同時に癒されていくという話だ。

 主人公のウィルの友人のチャック(ベン・アフレック)が言う決めのセリフがある。「君は宝くじの当たり券を持っていながら、それを現金に替えに行く勇気のない奴だ。ぼくはそういうお前を許さない。」「君が、20年たってもオレたちと同じ生活をしていたら、オレはお前をぶん殴る」というようなセリフだ。つまり、「才能」のある者は、それを生かさなければならない、そしてそれを世のために生かさなければならない、というのがチャックの言い分だ。ただバカをやっているだけに見えたチャックにそう言われて、はじめてウィルは自分の才能を生かそうと、人生を歩みはじめる。

 これは確かに美しい友情の言葉だ。しかし、何だか嘘くさい。ありえないことではないが、嘘に聞こえてしまう。それは、結局、チャックたちの描き方が中途半端だからだ。チャックたちはほんとうの意味での下層階級ではないのだろう。だから、そのセリフも自分の置かれたどうにもならない状況から、絞り出されたような言葉として響いてこない。その言葉が本当に重みを持って観客に伝わるためには、チャックの中での嫉妬心や自己嫌悪と友情との格闘や、日常生活の厳しい状況がどこかで描かれていなければならないはずだ。それが欠けているのだ。

 ショーンの悩みも、妻を失って立ち直れないという所を一歩も出ていない。いきなり初対面の患者のウィルに、「結婚は失敗だったか?」と聞かれ、夜も眠れなくなるほど傷つけられるというのも、どうにも納得がいかない。いい年して、そんなことでどうする、と言いたくなってしまう。ウィルとの交渉によって、自分自身も新しい出発をすることになるというのも、何だかひ弱な心を感じさせるだけだ。

 ショーンは、ウィルに、体験の重要性を説くわけだが、ここでも、御説ごもっともというしかない、当たり前の説教にすぎない。

 そして、この映画の最大の難点である、ウィルの「恋」。これは、ぼくの好みの問題に過ぎないのかも知れないが、ウィルの恋人スカイラー(ミニー・ドライヴァー)が、まったく魅力的でないのだ。どうして、この女にウィルが惚れ込んでしまうのかがよくわからない。というより、ウィルの恋の気分がまったく伝わってこないのだ。それ以上によく分からないのが、スカイラーの気持ち。まるで恋をしている女に見えない。別れの言葉をウィルに言われて泣く場面も、リアリティーがなく、「演技」だけがめだつ。

 「演技」が目立つと言えば、チャックがラスト方で、ウィルを迎えに行って、ウィルがいないのを知ったときの表情。ここがこの映画の白眉だというが、何とヘタクソな演技なんだろう。あるいは、ランボー教授の苦悩の演技。これも、滑稽に見えてしまう。

 こんなふうに考えてくると、どうもこの映画の薄っぺらさが、どんどんと露呈してくるような気がしてならない。見ている間、どうしてもっと心を揺さぶられないのだろうかと不思議だったが、結局、出来が悪いということなのだろう。

 ただ、よかったのは、ラストのクレジットが流れるシーン。一本の道をオンボロ車が音もなく滑るように走っていく。そこに流れる懐かしさを感じさせる音楽。(何だか「卒業」を思い出した。)これは文句なくよかった。

(1998/3)