フル・モンティ


 

 評判のイギリス映画で、横浜でも「横浜オデオン」でロングランを続けているということで見にいった。平日の夕方だったせいか、観客は5〜6人。東京では満員で大笑いという劇場もあったらしいが、ちょっと淋しい。

 舞台はイギリスのシェフィールドという地方都市。昔は鉄鋼業で栄えたが、今は工場も閉鎖され、男たちは失業し、元気なのは女たちばかり。で、失業中の男6人が、金になるならと男のストリッパーになってしまうという話。ばかばかしいような話だが、実に生活感があって、面白いのだ。

 たけしの「HANA−BI」が一編の詩なら、こちらはまさに「大衆小説」。しかも、超一級の。

 映画の中にも出てくるセリフだが、「今に男は滅びる」。これには実感がある。同じストリッパーでも、女の場合はそれなりの必然性があり、あえて言えば伝統がある。しかし、男が脱ぐとなると、どうしてこうも滑稽なのだろうか。脱いでもしょうがないものが脱ぐのを正当化するのはやはり女だ。そんなことを言えば、女が脱ぐのを正当化するのも男じゃないかといわれかもしれないが、それは違う。女は、誰も見なくても、脱ぐ価値がある。ということは、女は、それだけで存在価値があるということだ。男は、脱ぐにしても、女の要求がなければ、まったく意味がない。

 理屈はどうでもいい。とにかく、父親がストリッパーになるといって、下手なダンスの練習しているのを、その息子(小学生くらい)が応援してしまうのがいい。最後の最後で、「スッポンポン(フル・モンティ)」になるのが嫌だといって楽屋から出ていこうとしない父親を、息子が「勇気のない奴は嫌いだ。しっかりやってこい。」と舞台へ追い出してしまうのもいい。そのうえ、別れた妻が噂を聞いて、最前列に来ているというのも、安直だけど、まあ、いい。デブの一人が、練習の途中で悩んでしまい、「おれの体なんか誰が見たいというだろう。」と言って泣くのをその妻が慰めて「私よ。」というのもすごくいい。

 こういうふっきれた生き方が認知されるイギリスの風土が面白い。この話を日本に置き換えることは絶対にできないだろう。日本版にしたら、ものすごく薄汚い映画になってしまうに違いない。日本の男がいちばん早く滅びるのかもしれない。

(1998/2)