愛を乞うひと

監督:平山秀幸


 久しぶりに、ずっしりと見応えのある日本映画を見たという実感に浸っている。

何と言っても、原田美枝子の圧倒的な演技に、最後まで酔いしれた。ひとりの女優の演技を、それこそ目を皿のようにして、じっくり見ることのできる映画、それを、ぼくはずいぶん長い間待ち望んでいた。それが、この映画でものの見事に実現したのだ。

 原田美枝子は、母と娘の二役をこなしているのだが、その二人の人格の鮮やかな対比は、他のどんな女優をしても実現不可能と思われるほど見事だった。

 娘の照恵を演じる原田は、その内面の底知れぬ恐怖と不安を常に表情に漂わせていた。平山監督は「照恵には、いつも不安でいて欲しかった」と言っているが、照恵を演じる原田は、その要求を要求以上のレベルで実現したと言っていい。硬質でいて、繊細。強くて、脆い。感情を抑制していながら、感情は溢れている。

 一方、母役の富子を演じる原田は、さらに素晴らしい。何でそこまで娘に暴力をふるうのか、まるで納得のいかないシーンの連続なのだが、その理不尽さをまるで修羅のごとく演じきってしまう。棒きれで娘の額を殴りつけ、その血が自分のブラウスについたと言ってヒステリックにふき取るしぐさ、娘を殴って外へ追い出したあとで、震える手でタバコを吸う表情。どこをとっても人間の恐ろしいまでの真実の姿に迫っている。どうして暴力をふるうのか分からないままに、暴力をふるう女。男もそれをとめることができない、激しい情念の奔流。そういう暴力的な母は、しかし、圧倒的に美しい。鬼のような顔まで美しい。これは、ほんとにどうしたことか。

 小学生の照恵を演じた牛島ゆうきも、また素晴らしい子役だ。殴られても、蹴られても、母が好きだという宿命的な愛のあり方を、無意識のうちに演じてしまっている。そして、照恵の娘を演じた野波麻帆も、その自然な演技で重い映画にいつもさわやかな風を送り込んだ。みごとなキャスティングというほかはない。

 映画は、時として目をそむけたくなるような残酷な現実を描くが、しかし、決して感傷的になりすぎない。悲惨な運命を生きる照恵だが、底知れぬ孤独感とか、絶望感に映画が覆われているわけではない。それは、どこかで「愛」が信じられているからだろう。どんなに憎みあっても、いや憎みあえばあうほど、人間は愛によって固く結ばれてしまうものらしい。この映画に登場する人間は、みな魂を持っている。それが最後まで心地よかった。

 主人公の照恵の生まれは、昭和25年ぐらいで、ぼくとほぼ同年。ぼくが生きていた時代や風俗が、見事なセットで再現されていたのもほんとうに嬉しかった。

(1998/10)