傑作の条件

スピルバーグ「激突!」


 どうしてこんな作品が出来てしまったのだろうかと、不思議になるくらいの傑作といういものが、芸術の世界にはある。それは、とても人間の作ったものとは思えないほど、突飛で、独創的で、ファンタスティックである。そういう作品を前にしては、ただ凄いとしかいいようがない。萩原朔太郎の詩であるとか、ボッティチェリの絵とか、シューベルトの音楽とか、そういう作品はいくらでも挙げることができる。

 映画ではどうか。前回のヒッチコックの『鳥』もそうした作品の一つだろう。ヴィスコンティの『ベニスに死す』、パゾリーニの『アポロンの地獄』、フェリーニの『サテリコン』、今村昌平の『神々の深き欲望』、篠田正浩の『心中天網島』などなどこれも挙げていけばきりがない。なかでも、このスピルバーグの『激突!』は、90分の小品ながら、アイディアの卓抜、映像の切れ味、構成の見事さなど、どれをとっても完璧と言っていい映画である。ぼくは、この映画を初めて映画館で見て、しばらく席を立てなかった。感動というよりは、驚きからだった。

 何に驚いたのか。まずは、展開の意外性である。ほんの小さな出来事が、どんどん大きなできごとになっていくその加速度の暴力性。そして、とてつもなくでかいトラックの猛烈な速さ。もちろんこの速さは、通常の撮影ではなく、こまおとしによるものだろうが、それにしても速い。笑えるほど速い。これが快感なのだ。次に驚くのは、その暴力の加速度は増す一方で、終わりがない、そして、その果てに狂気が見えるということだ。映画は一応の結末をむかえる。しかし、なぜか終わったという感じがしないのだ。「これは一体なんだったんだ」という思いが、ラストシーンをみながら、頭の中を去来するだけだ。映画が終わっても納得がいかないのだ。それは、そこになんの「解決」もないからだ。なぜ「解決」がないかというと、その暴力の理由が最後までよくわからないからなのだ。こういう感じの映画は、いまでこそよくあるが、公開当時は新鮮だったように思う。

 『激突!』は、アクション映画の原点に戻った映画だと言われるが、また一面、大変神経質な映画でもある。映画全体がヒステリックだといってもいい。とにかく、映画全体がイライラしているのだ。主人公の男は、出だしからして苛立っている。それは家庭のいざこざから発している。普通のアメリカ映画なら、夫が車で出掛けるというシーンなら、妻が道まで出て、キスぐらいして、バイバイとなる。それが、出だしはいきなり真っ暗、つまりはガレージの中。そこから男は無言で家を出発する。男の伴侶はカーラジオだけ。しかしこれがまたくだらない番組の垂れ流し。途中で妻に電話する男。そこに表れる荒廃した男の家庭像。男が立ち寄るレストランの冷たい雰囲気。せっかくバスを助けようとして一生懸命がんばっている男にアッカンベーをする可愛くない餓鬼ども。どこをとっても、心休まるようなシーンは一つもない。すべて、とげとげしていて、ヒステリックなのだ。そういう雰囲気をベースにして、とんでもないアクションシーンが連続するわけだ。だから、この映画は見ていて、楽しくなる映画ではない。にもかかわらず、ぼくはこの映画を最低20回は見ている。飽きないのだ。こんな映画も珍しい。

 スピルバーグがこの作品を作ったのは、24歳のときである。もともとはテレビ用ドラマとして作ったが、劇場公開され、高く評価された。その後のスピルバーグは、『ジョーズ』で大ヒットを飛ばし、超売れっ子監督になっていく。そしてその作品は、次第に過激さの影を薄くして、だれにでもわかる楽しい映画に傾いていく。それはそれでいいのだが、しかし、何をもってスピルバーグの代表作とするかと聞かれれば、『未知との遭遇』でも『ET』でも、『ジュラシックパーク』でも、『シンドラーのリスト』でもなく、この『激突!』であると言い張りたい。芸術はなによりも、人に衝撃を与えるものでなくてはならぬと僕は信じているからだ。