鳥、あるいは美しい恐怖

ヒッチコック「鳥」


 ビデオで何度も繰り返し見ては家人から呆れられている映画に、この「鳥」と、スピルバーグの「激突」がある。両方とも「怖い映画」である。しかし、ぼくは、ほんとは怖い映画は苦手なのだ。とくにホラーはいけない。血しぶきが飛ぶのは、本気で気持ちがわるくなる。それなのに、この二本は、繰り返し見ても飽きるということがない。

 「激突」のことは今はおくとして、この「鳥」だ。とにかく、この映画は知的な構成の極致とでも言うべき、緻密で完璧な映画だ。カットからカットへのつなぎが、いつみても新鮮だ。次にどうなるかがわかっていても、うならされる。なによりも、タイトルの素晴らしさ。こんな、衝撃的なタイトルはそうざらにあるものではない。鳥の影と、声の中に次々と千切れていく文字。異様な迫力である。

 主人公のメラニー役のティッピ・ヘドレンの美しさにはため息が出るほどだし、メラニーとミッチの会話の洒落た感じや、メラニーと女教師アニーとの緊張感に満ちた女同士の会話も素敵だ。神経質な母親役のジェシカ・タンディも素晴らしい。恐怖だけではなく、この映画には、複雑な人間関係の綾も巧みに織り込まれているのだ。それも魅力だ。

 そして、恐怖のクライマックスがやってくる。音楽に一切頼らず、鳥の羽音、声の効果音だけで、恐怖をとことんまでもりあげしまう手腕は、まさに天才の技というべきだろう。有名なジャングルジムのシーンなどは、何度見ても、背筋が寒くなり、そして恍惚となる。ガソリンスタンドが燃える町にカモメが降りていくシーンを、トリュフォーは「胸が締めつけられるような素晴らしいイメージだ」と言っている。ほんとにそうだ。怖いけれど美しい。その恐怖の美しさは、ラストシーンに至って頂点に達する。いったいこのシーンはどのように撮ったのか、何とも異様で、まさに「この世の終わり」のようで、それでいて、筆舌に尽くしがたいほど美しい。このシーンについて、ヒッチコックは次のように語っている。

 ラスト・シーン、ロッド・テイラーがはじめて家のドアをあけたとき、見渡すかぎり、鳥が地上に降りて群がっているのが目に入るところは、息づまるような静けさを表現したいと思った。まったく音が消えてしまった単なる静けさではなく、音がじっと息をひそめているような静けさ、はるかに聞こえる波の音のような単調な低いざわめきに似た電子的な静けさだ。鳥の言葉に翻訳すれば、この人工的な静けさはつぎのような台詞になるわけだ「われわれはまだ待機中だ。だが、すぐにも突撃態勢に入るぞ。エンジンは熱したままだ、いつでもスタートできる」あの静けさのなかから、観客はこうした台詞に相当する「音」を聞き取ってくれるはずだ。だが、その「音」はあまりにも小さく、かすかで、ひそやかなもので、耳に聞こえているのか、単に想像してそんな気がしているだけなのかわからないくらいなのだ。『映画術』

 「鳥」は、まさに奇跡の映画だ。こんな映画にめぐりあえるのだから、そしてそれをビデオで何度でも見ることができるのだから、人生もそう捨てたものではない。