私説・日本映画小史 7

人気子役の高峰秀子


 『綴方教室』(一九三八年)のファースト・シーンは下校途中の子どもたち。別れぎわ、「おみやげっ」、ぽんと友だちの肩をたたいて逃げる。大人になると忘れられてしまう子どもの生活の細かいところを、三十代半だった監督の山本嘉次郎はしっかりとつかまえている。主人公の正子は、作文の上手な六年生。荒川の下流、江東の貧しい町に住んでいるが、明るさを失わない。その混じり気のない目で見た日々の暮らしが、スケッチふうに綴られていく。正子役の高峰秀子は、このとき十四歳。五歳から映画に出演しつづけ、家族の生活をささえてきた人気子役だった。

 「その日は早朝の(撮影)開始で」と、高峰が思い出を語っている。冬の朝、正子がおとうとの稔と焚火にあたる場面。枯れ枝を手に火の加減を見ていた山本監督が、彼女のそばに来て、姉弟のセリフをちょっと加える。

 「みの坊、なんか匂いがすンだろう、つうんと」。稔は鼻をクンクンやって「しないや」。すると、正子が「あたい、いつも冬の朝になると、この匂いがすンだよ」って鼻をクンクンする。それだけだよ……。

 冬の朝の匂いばかりではない。母親に叱られた少女は、泣きじゃくりながらも、上がり框のまえで泥のついた足をきれいに拭う。そんな日常風景も、この監督は知っている。

 「混じり気のない目」とは、実は山本の「目」である。彼は、むだなものを削ぎ落として対象をとらえ、正確に表現した。綴り方が「赤い鳥」に掲載され、喜びをおさえられぬ正子が、じかに口をつけて飲む井戸水のきらめき。

 山本は高峰にいう。「俳優はね、ふつうのひとがタクワンを臭いと感じる、その二倍も三倍も臭いと感じなきゃダメなんだ」。こうして一人の子役が、職人のような技の冴えと吸収力そして頑固さをそなえた大女優への一歩をふみだした。