私説・日本映画小史 6

嵐寛の優しさと風格


 嵐寛壽郎は一九〇二年、京都で生まれた。小学五年で着物の衿を売る店へ奉公に出た。重労働で、朝は五時起き、夜十二時に就寝、給金は月一円。その一円を握りしめ、月いちどの休みは、活動写真にゆき、肉丼を食べるのが、いちばんの娯しみだったという。

 十八歳で店の主人がなくなり、祖母につれられ歌舞伎の世界に入った。二七年、『鞍馬天狗餘聞・角兵衛獅子』(監督 曾根純三)で映画デビュー。アラカンは、はじめから鞍馬天狗である。その「鞍馬天狗」に親しみ憧れたのは、映画しか娯楽のなかった人々、かつての寛壽郎がそうであった無数の小さな奉公人たちだったろう。

 三八年の『鞍馬天狗・角兵衛獅子の巻』(撮影 宮川一夫)。角兵衛獅子の杉作と新吉が、新選組の罠を鞍馬天狗に知らせ、親方の長七から鞭で打たれかけたそのとき、危機を脱したばかりの天狗が現われる。鞭を奪い、「相手は子どもだぞ、罪もない、おさない子どもだぞ」。心なしか、アラカンの声がふるえている。「莫迦めっ、鬼めっ、外道っ」。打ちすえられる親方。それを小気味いいと思うよりさき、アラカン天狗の優しさに、胸の奥が熱くなる。

 すらりとした着こなし。端正でおとなしい顔だち。低く錆びた声で、少し京なまりの残るセリフまわし。なによりも、舞いのように流れ、ぴたりと決まる天性の太刀さばき。アラカンには、寡黙なヒーロー「むっつり右門」という、もう一つの当たり役もあった。

 時代は移り、娯楽もふえ、スターは入れ替わる。六〇年以降の嵐寛壽郎は、飄々と、誠実に、必死にワキを演じた。六八年、今村昌平監督の『神々の深き欲望』、南海の島に生きて、土地と祖先をまもる老人。老いた裸体に、しどけなく褌が垂れる。だが、滲みでる無垢の優しさと風格。それこそ、大スター嵐寛壽郎がながい時流を耐え忍んで深めたもの。自分には映画しかないと思い定めた、まぎれもなくアラカンだけの勲章だった。