私説・日本映画小史 2 

窓の外に広がる世界――成瀬監督


 一九三五年、都心に勤めて四〇円の給料をもらうOLは、五〇円をかせぐ婚約者に「私と一〇円しか違わないじゃない」と自慢する。成瀬巳喜男が監督した『妻よ薔薇のやうに』のヒロイン。彼女は自立心に富んだ女性なのだが、給料が、さほど齢の変わらぬ男性の八割にすぎないとき、いまの女性たちなら、どんな反応を示すだろう。

 成瀬巳喜男は、作品の細かなところを揺るぎなく築きあげるために、映画のなかへ時代の風俗をしっかり取り入れる。彼の関心がもともと、想像力を奔放に解き放つよりも、現実の生活のほうにあったからであろう。音の構成でも、シーンのつながりなどには日常の音を用いて技巧をこらすが、音楽の使い方は説明的でしかない。

 成瀬巳喜男の映画は、まず細部があり、そこから全体が組み立てられる。それは彼が人間のことを、まず個人があってのち、他人と交わり、社会を形成すると考えているからだ。その登場人物たちが活動する空間は、たとえば塀とガラス戸で、いったんは奥行が三つに仕切られても、かえって外と内のつながりが強調されることになる。『流れる』(五六年)の女たちの、二階の部屋の窓の向こうには、いつも外の世界が広がっている。

 しかし、細部に目を向ければ全体は見えにくい。その難を免れるには、全体を見わたす視点を固定しておくこと。『浮雲』(五五年)は、男と女の「世の中」を初めから終わりまで徹底してヒロインの目で見つめ、そうした激しい感情移入によって、成瀬巳喜男自身のたどりついた絶望の暗い淵を照らし出した。