私説・日本映画小史 12

1930年の反戦アニメ


 京都文化博物館による日本映画百年の回顧は、八月、戦争に関係した映画を特集する。第一回は一九三〇年の影絵アニメーション映画『煙突屋ペロー』。議論の多い問題作ではなく、戦争を純朴に否定する動画から始めたところに、企画者の見識をうかがうことができる。

 トム・タム国は、「兵隊さんの出る卵」をもっていた煙突屋ペローの活躍で、戦争に勝った。たくさんの褒美を手に、母の待つ田舎へ帰るペローが、汽車のなかから見たものは、焼け焦げた木々が半分たおれ、まだ兵士の死骸がころがっている野山、ビルが崩れ落ち、ガス燈がいくつも折れ曲がっている街、大きな荷物を背負い、行く先もなく歩いていく人々の列だった。

 「こんな褒美、いらない」、「こんな卵もいらない」。汽車の窓から捨てられ、砕ける卵。「この卵があると、また戦争が始まる」。ペローは立ち上がり、叫ぶ、「戦争なんて消えてなくなれ!」。

 戦争の起こるまえ、ペローの働いていた街は、華やかなビルが建ちならび、おもちゃのようなガス燈が美しかった。大好きな汽車に乗ってペローが走った野山は、木に緑の葉がしげり、花々が咲いていた。だからこそ、敵兵が押し寄せてきたとき、ペローは自分の命もかえりみず戦ったのではなかったか。

 製作の「童映社」は同志社大学の学生を中心としたアマチュアの映画サークル。原作・脚色の田中善次は「新興キネマ」の助監督。どんな理屈があろうと戦争は悪だ。若々しく一途な主張が、ストレートに伝わってくる。十四年後に海軍省の後援でつくられた長編動画『桃太郎 海の神兵』と見比べると、さまざまな思いが騰ってくる。