私説・日本映画小史 11

挑戦続ける黒澤監督


 一九四一年、三一歳の助監督・黒澤明は敬愛の念をこめて師匠のことを書いた。

 「山さん(山本嘉次郎監督のこと)はスタッフを苦しめるのを恐れて事前に演出プランをあっさり変更する。この作品(『馬』)では絶対に退却せず、思い切ってわがままな演出家になってもらいたいと私は思った」。

 黒澤自身は、絶対に退却しない思い切ってわがままな演出家を目指した。

 作品の細部にいたるまで、すべてを考え抜き自分の思うとおりに作りあげること。そのためには、シナリオはもとより、撮影・美術・編集など映画のあらゆる面に通暁しなければならないが、助監督の黒澤はその努力を怠らなかった。若書きのシナリオを伊丹万作が読んで、「この若者は目で見えるように書く」と賞めている。

 なによりも、多彩な才能をまとめあげる演出力。黒澤の演出の迫力を、後年のことだが『影武者』(八〇年)に出演した室田日出男が証言する(『FB』95年春号)。

 「やっぱりすごかった。『室田ッ、このやろう。てめえプロだろッ、セリフぐらい憶えてこいッ』。なに言ってンだい、今日になってセリフ変えやがったくせに、と思っても『はーい』なんて答えちゃう」。

 その最初の監督作品が『姿三四郎』(四三年)。明治十五年の快晴の空から始まり、若者と娘の乗った汽車が日の光を浴びて走りつづけるシーンで終わる。まっすぐ話が進み、いかにも初々しいが、力倆は疑うべくもない。リズムがあって隙のない筋の運び。三四郎と村井半助の十分あまりの試合に、百カットちかくを割く粘りづよい表現力。クライマックス、右京ケ原の凄惨な決闘で、嵐の空を駈ける黒雲、波うつ芒といった、もっとも効果的な背景を待ちつづける鋭い感覚。

 長い道のりを経て現在の黒澤は、たとえば生に絶望した男をではなく、生への絶望という観念そのものを描こうとする(『乱』八五年)。観念のドラマを映画はついに表現できるだろうか。いまも黒澤明の挑戦はつづいている。