「源氏物語」を読む

 

No.51 浮舟


【51 浮舟】

★『源氏物語』を読む〈328〉2018.2.22
今日は、第51巻「浮舟」(その1)

▼「宮、なほかのほのかなりし夕(ゆふべ)を思(おぼ)し忘るる世なし。」
▼【口語訳】宮(匂宮)は、今もやはりその女(浮舟)とほんのしばしお逢いになった夕暮をお忘れになる折とてない。
▼このように「浮舟」の巻は始まる。匂宮問題だ。とにかく、この色情狂のような匂宮には、中の君もほとほと手を焼いている。
▼匂宮は「あの晩」のことを忘れられない。もうちょっとだったのに、乳母などに邪魔されて思いをとげることができなかったことが悔しいし、何よりも、そこらの女房とは違って、なかなかいい感じの人だった。それなのに、急に二条院からいなくなってしまった。きっと、中の君が隠してしまったに違いない。それに、ちっともあの女の素性を教えてくれないのも、嫉妬しているからだと匂宮は思うのだった。
▼こんなちょっとしたことなのに、嫉妬するなんて、そんな女だとは思わなかったとさんざん嫌味を言われて、中の君も、いっそ浮舟の素性を明かそうか、そして、薫がご執心なのだということも教えてしまおうかとも思うのだが、いやいや、そんなことしたら、あの人のことだもの、きっとただじゃすまないわ、どこまでも追いかけていって、あの子も、薫様も、嫌な思いをするに違いない。まあそれでも、他の誰かから情報が漏れるのなら、それはそれでしかたないけど、自分のよけいなおしゃべりから変なことになるようなことはするまい、と思う。
▼それに、浮舟と関係ができてしまったところで、まあ、私の妹だから外聞は悪いけど、私はちっとも嫉妬なんかしやしないわ、そう中の君は思って、変なウソをいってその場を取り繕うともせずに、普通の女が嫉妬しているようなふりをして、何にも言わずに黙ってやりすごしている。
▼この中の君の思考、態度は、なかなかおもしろい。浮舟を可愛そうだとは思うけれど、こうなってしまっては、どうしようもない。自分が黙っていても早晩バレるだろう。でも、自分のせいでゴタゴタが起こるのはごめんだ。ヘタなウソもいずれはバレるから、私はなんと思われようとここは黙っていよう。嫉妬深い女と思うなら思えばいいわ。
▼匂宮はさんざん苦汁をなめさせられてうんざりしているのだ。いまさら、浮舟に嫉妬なんてしないわよってわけだ。苦労の末にすっかりすれっからしになってしまったのか、と思うと気の毒だ。
▼しかし、浮舟側に立ってみれば、これじゃ、もう誰も守ってくれる人がいないことになる。浮舟に「毒牙」が迫っているというのに、姉は、まあしょうがないわ、あの男にかかっちゃね、と思っているわけだから、一体誰が親身になって心配してくれるというのだろう。
▼「全集」の注はこう述べる。「匂宮の浮舟への異様な執念が、中の君の対応を通じて鮮明に描出される。浮舟の数奇な運命を紡ぎ出す序。」
▼それでは、肝心の薫はどうなのかというと、ま、そのうち何とかしようといった、相変わらずの悠長さなのだった。ほんとどこまでいっても「薫」だよね。

 

★『源氏物語』を読む〈329〉2018.2.23
今日は、第51巻「浮舟」(その2)

▼「かの人は、たとしへなくのどかに思しおきてて、待ち遠なりと思ふらむと、心苦しうのみ思ひやりたまひながら、ところせき身のほどを、さるべきついでなくて、かやすく通ひたまふべき道ならねば、神のいさむるよりもわりなし。」
▼【口語訳】あの大将のほう(薫)は、またとなくおっとりとかまえておられて、宇治の女君(浮舟)がさぞ待ち遠しく思っているのだろうと、ただいたわしく思いやっていらっしゃるものの、窮屈なご身分のこととて、しかるべき機会もなく、また容易にお通いになれるような道中でもないから、神のいさめる道よりももっとつらいお気持である。
▼宇治は遠いしなあと思っていたとおり、やっぱり、そうそうは通えない。「神のいさむるよりもわりなし」が分かりにくいけれど、「神様が禁じて逢えなくなさる道よりももっと難儀な道である。」という意味で、これは「恋しくは来ても見よかしちはやふる神のいさむる道ならなくに」(伊勢物語71段)(恋しく思うのなら、来てごらんなさい。恋の道は神様が禁止なさるものではないのですから。)を踏まえた表現。
▼この歌を踏まえているということは、窮屈な身分だから自由にならない、道が遠いから行けないなんて言ってないで、さっさと行けばいいじゃないの、という語り手の揶揄が入っているのかもしれない。
▼こんなわけで悠長な薫だが、宇治に浮舟を連れて行こうというので、内々に邸を作らせているのだった。
▼いっぽう薫は、中の君のこともきちんと面倒を見ている。そんな薫の様子を見る新参の女房は、今までの事情を知らないから、あやしい、なんて思うけれども、中の君は、男女の仲もよく分かってきていたから、薫の誠意が身にしみる。この人は、ほんとうにお姉様をいつまでも忘れない情けの深い人なのだ。こんなことなら、お姉様の言っていたとおり、薫様と一緒になっていたら、余計な苦労もしなくても済んだのに、と後悔もするけれど、そうかといって、もう後戻りはできない。匂宮は、なにかと薫との仲を疑うしするから、自然と薫にはよそよそしい態度をとるようになっていくが、薫はちっとも中の君への態度を変えない。
▼匂宮の浮気性には苦労もするけれど、最近では、若宮をたいそうかわいがって、他の女には子どもも生まれないだろうと思っているからか、母である中の君にも大切に扱い、その扱い方は、六の君を上回るほどだから、中の君も、以前よりは安定した気分で過ごしていた。
▼正月のはじめ。薫27歳。匂宮28歳。匂宮は2歳になった若宮と遊んでいるところへ、小さい女童が贈り物に手紙がついたのを持ってやってきて、「宇治から大輔のおとど(中の君の女房)へといって持ってきたのですが、誰に渡そうかと迷っているので、いつものように御前で御覧になるかと思って私が受け取りました。」と言う。
▼この手紙は、浮舟と右近が書いたものだったのだが、匂宮は、薫からじゃないかと疑う。中の君は、ハッとして、ダメダメ、大輔のおとどの所に持っていきなさいと言うが、時すでに遅し。匂宮は、さっと手紙を取り上げる。取り上げておいて、「開けちゃうよ、恨むかい?」なんてからかう。もし薫の手紙だったらバツが悪いとさすがに躊躇するのだ。
▼何言ってるんですか? 女同士の手紙を見てどうするんですか? と中の君は慌てない。それで、匂宮は、じゃ見るよ、女同士の手紙ってどんなものかなあ? といいながら、贈り物につけた結び文を読んでみると、若々しい筆跡で時候の挨拶などが書いてある。(これが浮舟の書いた文)
▼これといった気の利いた文面でもないが、どうも筆跡に見覚えがない。更に立文(こちらが正式な手紙)の方を読んでいくと、やはり女の手で、なにやら愚痴めいたことが書いてある。これは右近の書いた手紙だったのだ。新年いかがお過ごしですか。こちらは、結構なお住まいではございますが、どうもやっぱり私どもにはふさわしい扱いとは思えません。かといって、そちらへ参上しますのは、とんでもない目にあったものですから、どうにも姫様は気が進まないようです。
▼なんじゃこりゃ、と匂宮は思うのだが、そうか、「とんでもない目」って、あのことか、そうか、あの時の姫君か、とハタを膝を打った。
▼しかし匂宮は、そんなことはおくびにも出さず、なんだ、別に隠すような手紙じゃないじゃないか、返事をかいたらどう? と言って、部屋を出ていったが、中の君は、浮舟に迷惑が及ぶことを心配して、困惑する。どうしてあの子(女童)が受け取ったのにあなたたちは気付かなかったの? って小声で文句いうけれど、女房が、まったくあの子ったら出しゃばりだことと非難すると、小さい子をそんなふうに言うもんじゃありませんと制するのだった。中の君って、いい人だ。
▼せっかく浮舟を匂宮の「魔の手」から隠したのに、これじゃ早晩見つかるに決まっている。どうしよう。中の君の気苦労も絶えないね。

 

★『源氏物語』を読む〈330〉2018.2.24
今日は、第51巻「浮舟」(その3)

▼中の君には、そしらぬ顔をして出てきた匂宮だが、部屋に戻ると、気になってしかたがない。
▼宇治からの手紙だって? おかしいなあ。薫はが宇治によく出かけていることは知っているが、そういえば、最近は、お忍びで夜に宇治に泊まってくることがあると誰かが話していたが、いくら大君が恋しいからといって、そんなところに旅寝するなんておかしいって思ってたんだ。そうか、そういうことか。薫はそんなところに女を囲っていたってわけか、と思い当たる。
▼匂宮は、書記官の大内記を呼びつけて、事務的な用事を言いつけるついでに、そういえば、あの薫は、相変わらず宇治へ通っているのかい? 何でも、寺を作ったとかいうが、いちど見てみたいものだ、と問いかける。
▼この大内記は、薫のところに使えている家来の婿だったので、薫のことはよく知っていたので、事情を細かく伝える。お寺はたいそう立派にできました。去年の秋ごろから、以前よりも頻繁に通っていらっしゃるようでして、下々の者がいうには、女を隠して住まわせているとのことです。
▼それはあの弁の尼のことではないか? と匂宮がきくと、いえいえ、弁の尼君とは別のお部屋に住んでおりまして、なかなかこぎれいな女房もしたがえて、いい感じでお暮らしでのようですよ、と大内記は答える。
▼そうかそうか、それは嬉しい話を聞いたもんだ。どうしてそんなにまで仏の道に熱心なんだろうとおもっていたけど、そういうことか。どうだ、分かったか。マジメくさって分別顔をしている男がかえって、こんな思いがけない隠し事を考えつくものなんだよ、と言って、おもしろがっている。
▼匂宮は、自分の好色な性格をどう思っているのか知らないが、薫に対して引け目を感じているのだろう。だから、あのマジメくさって信心深い薫が、結局こういうことをしていると知って、なんだオレと同類じゃないかと、ほっとしているんじゃなかろうか。
▼匂宮は、この隠し女が、あの時の女だろうと察してはいるが、それをこの目で確かめたいと思う。それにしても、妻たる中の君が薫と示し合わせて、あの女をオレから隠したことが悔しくてならない。
▼正月は人事の季節。司召(つかさめし)などといって、官吏やら地方官の任命をめぐって悲喜こもごもの季節だが、匂宮は、もうあの女のことで頭がいっぱい。ただ宇治へ行きたい! ってばっかり思っている。
▼それでまた大内記を呼びつける。この大内記は、出世したい一心だから、何とか匂宮に口をきいてもらおうと思っているのにつけ込んで、匂宮は、こっそりと宇治へ行って、その女があの女かどうか確かめたいので、何とかしてくれと言う。ただし、絶対に人に知られないようにだぞ、という匂宮に、大内記は、めんどくさいなあと思うものの、断ることはできない。
▼何とかしましょう。夕方京を出て、夜明けまえに戻れば大丈夫でしょう。お供のものも連れていきますけど、彼らにも事情はわかりますまい、なんて請け合うのだが、そんなことをしちゃいけないなあと匂宮は内心反省するけれど、口に出して言った以上、もう後へは引けない。

 

★『源氏物語』を読む〈331〉2018.2.25
今日は、第51巻「浮舟」(その4)

▼匂宮は宇治へと急ぐ。
▼「御供に、昔もかしこの案内知れりし者二三人、この内記、さては御乳母子の蔵人よりかうぶりえたる若き人、睦ましきかぎりを選(え)りたまひて、大将、今日明日はよもおはせじなど、内記によく案内聞きたまひて、出で立ちたまふにつけても、いにしへを思し出づ。あやしきまで心をあはせつつゐて歩(あり)きし人のために、うしろめたきわざにもあるかな、と思し出づることもさまざまなるに、京の中(うち)だにむげに人知らぬ御歩きは、さは言へど、えしたまはぬ御身にしも、あやしきさまのやつれ姿して、御馬ににおはする、心地ももの恐ろしくてややましげなれど、もののゆかしき方は進みたる御心なれば、山深うなるままに、いつしか、いかならん、見あはすることもなくて帰らむこそさうざうしくあやしかるべけれ、と思すに、心も騒ぎたまふ。法性寺のほどまでは御車にて、それよりにてぞ御馬は奉りける。
▼【口語訳】お供には、昔からあちらの様子を知っている者二、三人と、この内記、そのほかには御乳母子の、蔵人から五位に叙せられた若い男など、内輪の者ばかりをお選びになって、大将(薫)は今日明日には万が一にもお越しにはなるまいなどと、内記によくそちらの事情をお聞きになって、ご出立になるにつけても、昔のことを思い出しになる。不思議なほど心を一つにして自分を連れ歩いてくれた人に対して後ろ暗いふるまいをするものよ、と心中に去来することもさまざまであるが、京の中でさえ、まったく他人に気づかれないようなお忍び歩きは、いくら浮気なお方とはいってもとてもおできになれない御身の上でいらっしゃるのが、こともあろうにみすぼらしい身なりにお姿をやつして、御馬でお越しになるのは、なんとなくこわく気がとがめる心地でもあるけれども、好奇心は並はずれたご性分であるから、山が深くなるにつれて、「なんとか早く見たいもの。どんなことになるだろうか。もしも顔を合わせることもなしに帰るようなことになったら、さぞもの足りなく、おかしなことになるだろう。」とお思いになると、胸も波打つお気持ちでいらっしゃる。法性寺のあたりまでは御車で、それからあとは御馬にお乗りになったのである。
▼この匂宮の心理描写は巧みだ。色好みの本性は、匂宮の心の中に、どうにもコントロールできない衝動としてあって、薫に対するやましさを圧倒してしまう。あんなにも心を尽くしてオレのために宇治まで着いてきてくれた薫に何の顔向けができようと思うのだが、こころは「いつしか、いかならん」という思いでいっぱいなのだ。
▼宇治に着くと、内記の手引きによって、垣根を壊して侵入する。そして、まさか誰も来るまいとおもって安心している浮舟たちの姿を、匂宮は垣間見ることになる。
▼中では、浮舟の女房たちが、噂話をしている。どうやら、石山詣でに出かけるらしい。薫がちっとも通ってこないので、短気な乳母が業を煮やして京の母親(中将の君)のところへでかけて、石山詣でを提案し、そこで浮舟と母を逢わせようとしているらしい。薫に会えないなら、せめてお母様に会いたいと浮舟がダダをこねたのだろうか。
▼でも、薫さまは、司召も終わって二月になったら行くぞとお使いが来ているんですよ、どう返事をするんですか? と女房に問われても、浮舟は黙っている。別の女房が、それはさ、お参りに行きましたって言っておけばいいじゃない。石山寺から帰ったら、また宇治へ戻ればいいの。こんな寂しいところだけれど、都の家よりはマシだわ、なんて言うと、でも、もう少しここで待ったほうがいいと思うわ、薫さまは京へ連れていってくださるつもりらしいから、その時にお母様に会えばいいのよ。まったく、あの乳母は、急にこんなこと言い出すんだから困っちゃう。昔から、落ち着いて焦らない人が幸せをつかむっていうわよ、なんていう女房もいる。
▼右近は、どうして、あの乳母を引き留められなかったんでしょうねえ。あの年寄りはほんとにやっかいだわ、って悪口を言う。あ、そういえば、あの時、怖い顔をしてオレの邪魔をした女がいたなあ、あいつが乳母かあ、って匂宮は思い当たる。
▼さすがの匂宮も、この女房たちの言いたい放題には、「かたはらいたし」(聞いてられない)という気分。それなのに、匂宮が聞いているともしらずに、女房たちは、しゃべり続ける。
▼まったくねえ、あの中の君は幸せよねえ。一時は、夕霧様の娘の勢いに押されていたけど、お子様ができてからというものは、匂宮様もずいぶん大事になさっているっていうし。それに、出しゃばり乳母みたいなのもついていないから、ほんとに幸せよ、というと、また別の女房が、薫さまさえしっかりと面倒をみてくだされば、姫様だって決して中の君様に劣りはしない幸せ者ですよ、と言う。これには、浮舟も我慢ができず、他の人とならともかく、あの方と私を比べるなんて絶対にダメよ! あの方のことは決して口にしないで、と釘をさす。
▼浮舟の中の君に対する思いを聞いた匂宮は、いったいこの姫は、どういう「親族」なのだろう、中の君にそっくりだけどなあといぶかしむ。中の君の腹違いの妹だとはまだ知らないのだ。
▼この姫は、中の君のような品のよさはないけれど、なんともキレイな女だ。匂宮の本性は、たとえそんなにキレイな女でなかろうと、いったん心にとまった女は我が物にしないではいられない激しいものだから、これだけキレイな女を見てしまっては、なんとかしてものにしたいものだという思いに狂わんばかりで、完全に我を失ってしまっている。
▼いっぽう、浮舟たちは、そんな匂宮にはまったく気がつかない。縫い物をしていた右近も、ああ、眠い、これはまた明日の朝にすればいいし、石山詣での車が着くのも、日が昇ってからでしょう、と言って浮舟の後ろのほうで寝てしまう。
▼というわけで、匂宮が浮舟の部屋に侵入する条件は整ったわけである。

 

★『源氏物語』を読む〈332〉2018.2.26
今日は、第51巻「浮舟」(その5)

▼匂宮は、格子を叩いて寝てしまった右近を起こす。さすがに、勝手に入り込んでしまうことはできないのである。
▼右近は、こんな時間に薫がくるはずはないと思うのだが、匂宮が、巧みに薫になりすましてここを開けよというので、信じてしまう。
▼匂宮は、ここへ来る途中ひどい目にあって着物も汚れているから、明かりを消せと言って、顔を隠すので、あとは匂いが頼りだけど、こっちも薫に対抗して香をたきしめているものだから、右近も気づかない。匂宮は、難なく浮舟の側に臥すこととなった。匂宮、とんでもないワルである。
▼すっかり薫だと思い込んだ右近は、いったい何ごとかとざわめく女房らを、夜のヒソヒソ話の声はかえってうるさいものよとたしなめて、自分も寝てしまう。
▼「女君は、あらぬ人なりけりと思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず、いとつつましかりし所にてだに、わりなかかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし。」
▼【口語訳】女君は、大将ではなかったのだと気づくと、あまりのことに茫然たる思いであるけれど、宮は声をさえおたてさせにならず、あの遠慮すべきであった二条院においてさえも、無体なことをなさったお方のことゆえ、今ここではただ一途になんともあきれたなさりようである。
▼浮舟は、すぐに、あ、薫じゃないと気づくけれど、もうどうにもならない。匂宮の口説き文句を聞いていると、ああ、あの時の人だと合点して、それならば姉の夫だ、どうしようと嘆き、泣くばかり。匂宮も、この人とは、もうなかなか逢えないだろうと思うと悲しくて泣く。
▼「あらぬ人なりけり」に注目だ。「けり」はいわゆる「気づきの〈けり〉」で、過去を表しているのではない。あ、薫じゃない! という「気づき」だ。けれども、時すでに遅し。匂宮は、もう声を立てさせず、強引に関係をもってしまう。
▼この匂宮の強引さは、薫にはまったく見られないもので、この後、夜が明けてから、オレは今日はここへ泊まるという時の、恐ろしいくらいのワガママさとしてあらわれる。
▼「夜はただ明けに明く。御供の人来て声づくる。右近聞きて参れり。」【口語訳】夜はすぐさま明け方になる。お供の者がやって来て咳払いをしている。右近が聞きつけておそばに参上した。
▼珍しく、短文をたたみかける表現だ。筆が走っている。
▼匂宮は帰らねばならない、時間は切迫している。それなのに、匂宮は、頑として部屋を出ない。オレは帰らないぞ、ここにいるんだ。まるで駄々っ子である。
▼参上した右近に、匂宮は、こんなふうに命ずる。
▼「『いと心地なしと思はれぬべけれど、今日はえ出づまじうなむある。男(おのこ)どもは、このわたり近からむ所に、よく隠ろへてさぶらへ。時方(ときかた=匂宮の家来)は、京へものして、山寺に忍びてなむと、つきづきしからむさまに答(いら)へなどせよ。』』
▼【口語訳】まったく無分別なと思われるにちがいないが、今日はとても帰る気になれない。供の男たちは、このあたりの近い所にうまく隠れて控えていておくれ。時方は京へ戻って、わたしが内々に山寺へ出かけたと、うまい具合に答えるなどしておくように。
▼これを聞いて右近はびっくり仰天。はじめて自分の落ち度を知るのだ。何ということだ、薫様じゃなかったなんて! 右近はこの自分の落ち度に、気を失いそうに動転するけれど、なかなかしっかりした女で、スパッと気持ちを切り替える。こうなってしまったら、アタフタしたってしょうがない、こうなったのも、人の力ではどうにならない「宿世(すくせ)」なのだと気を静めて、この事態に対処するのだった。
▼「宿世」だと言えばそれで済むのかと思われがちだが、しかし、これを消極的な「諦め」とばかりとる必要はない。むしろ、この右近のように、取り返しのつかない現実を前にしたとき、それをとにかく受け入れて、それに冷静に対処するための認識のしかたと考えることもできる。
▼確かに、これは私の落ち度だと言える。けれども、私が気づいたところで、果たして匂宮を阻止できただろうか。あの時からのご執心であってみれば、私がどう行動しようと、早晩、こうなるに決まっていたのだ。そうだ、これは私のせいでもなければ、匂宮のせいですらない、「宿世」なのだ。それなら、この起きてしまった現実を前に、クヨクヨしていてもしょうがない。私は私にできる最善を尽くそう。
▼そう右近は考えたのだ。

 

★『源氏物語』を読む〈333〉2018.2.27
今日は、第51巻「浮舟」(その6)

▼右近は、匂宮を何とか説得しようとする。
▼今日の朝、母親からの迎えがいらっしゃるというのに、どうするんですか。逃れられない宿世はどうしようもないことですけれど、あまりにも具合が悪い時じゃありませんか。今日のところはどうかお帰りになって、また後日ゆっくりとお出かけください。
▼こんな右近の言葉を匂宮は、一人前の口をきく女だと鼻で笑って、オレは浮舟のことでもうわけが分からなくなっているんだ。少しでも自分のことを考えているのなら、こんな高い身分のオレがこんなところまでやってくるものか。母親の方へは、物忌だと言っておけばすむじゃないか。あとは、誰にも気づかれないような算段を考えよ、他のことはどうでもいい! っと、もう言いたい放題。
▼右近は、部屋を出て、匂宮を手引きした大内記に、何とかしてくださいよ、まったく。宮様がどんなことを言ったとしても、それを止めるのが家来じゃないですか。それを子どもみたいに考えもなしに連れてくるなんて、どうかしてるわよ、なんて叱りとばす。
▼大内記は、ほんとにメンドクサイことになったなあと思っていると、時方っていう人はどこ? と右近。
▼時方は、苦笑いして、あなたが怖いから、宮様の仰せがなくても、帰りますよ。実は、私どももほんとは嫌だったんですけど、あんまりご執心なので、命がけでやってきたのですよ、と心の内を明かす。
まあ家来としても、たまったものじゃないってところだ。
▼右近もそんなに年増ではないのに、あの乳母もびっくりな女傑だね。
▼それから後は、右近は、この匂宮が来ていることを秘密にするために手を尽くす。他の女房たちには、もちろん薫が来ていることにしてあるが、薫は昨晩、こちらへ来る途中に恐ろしい目にあったので、着物もこちらへ新しいものを持ってくるように京へ言ってやったところだから、今日はまだここにいるのですと言うと、女房たちは、まあ恐ろしいなどとざわめくのを、「あなかま、あなかま(静かに、静かに)」と制しながら内心ヒヤヒヤもの。
▼ここへ薫様がいらしたら、どうしようと思うから、右近は「初瀬の観音、今日事なくて暮らしたまへ。(初瀬の観音さま、どうか今日は何ごともなく過ごさせてください。)」と祈る。
▼この日は、母君と一緒に石山寺に詣でる予定があったのだが、それは「物忌」という口実で、中止とする。母君が来たときの言い訳として、夢見が悪かったので「物忌」だということにして、部屋にも、「物忌」と書いた札をはって、簾もおろした。
▼右近は、他の女房の出入りを一切禁止して、自分ひとりで、朝の洗面などの手伝いをする。そんなふうに、匂宮と過ごす浮舟は、こんなふうに思う。
▼「女、いとさまよう心にくき人を見ならひたるに、時の間も見ざらむに死ぬべしと、おぼしこがるる人を、心ざし深しとは、かかるを言ふにやあらむと、思ひ知らるるにも、あやしかりける身かな、誰も、ものの聞こえあらば、いかにおぼさむと、まづかの上の御心を思ひ出で聞こゆれど、知らぬを、「かへすがへすいと心憂し。なほあらむままにのたまへ。いみじき下衆(げす)といふとも、いよいよなむあはれなるべき」と、わりなう問ひたまへど、その御いらへは絶えてせず。異事(ことごと)は、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いと限りなうらうたしとのみ見たまふ。」
▼【口語訳】これまで女君は、まことに好ましく落ち着いていて奥ゆかしい大将殿(薫)を見慣れていたのに、いまや片時もいっしょでなかったら死んでしまいそう、とまではげしく執着なさる宮(匂宮)を、情の深いとはこうしたお方をいうのだろうか、と身にしみて分ってくるにつけても、なんと不可解なわが身の上よ、どなたのお耳にも、このようなことが聞えたらどうお思いになろうか、とまず第一に宮の上(中の君)のお気持をお思い出し申すのだが、宮(匂宮)は、「つくづくほんとに情けない。やはりありのままにおっしゃってくだされ。あなたがどんなに下ざまの人であっても、わたしはますますいとしくなるにちがいない」と、しつこくお尋ねになるけれど、女君はそのご返事だけはどうしても申さずに、それ以外は、いかにもかわいらしげに打ち解けた態度でお答え申しあげたりなどして仰せのままになっているのを、宮は、ほんとに限りもなくただいじらしいとお思いになる。
▼浮舟は、薫よりも、匂宮のほうが「情けが深い」と思ってしまう。薫の気持ちを理解するのは確かに難しい。ほんとに好きなんだかどうだか、分かりにくい。薫自身にしても、浮舟を見ても、すぐに大君への思いにとらわれるのだから、浮舟その人が好きなのかどうかよく分かっていないだろう。それに比べれば、匂宮はえげつないほど分かりやすい。そのえげつなさ、男のエゴが、浮舟には、自分への愛情だと思えてしまうのだ。
▼それにしても、匂宮の言うことは品がない。御前がたとえ「下衆」の女でもオレは好きだぜ、なんてねえ。そんなこと言うかなあ、ふつう。ま、彼は「ふつう」じゃないけどね。

 

★『源氏物語』を読む〈334〉2018.2.28
今日は、第51巻「浮舟」(その7)

▼日が高くなってきた頃に、都から浮舟の母が出した迎えの車が来る。右近は、どうしよう、薫様が来ているのでとウソをついても、薫ほどの人間が都にいなければ、すぐに噂になるに決まっているから、バレちゃうだろうし、と考えて、浮舟は「月の障り」になってしまい、石山詣でにいけず残念だと言っているうちに悪い夢までみまして、物忌で、閉じこもっております、と言いつくろって、使者を追い返してしまう。
▼浮舟は、匂宮と二人きりになる。
▼「例は暮らしがたくのみ、霞める山際をながめわびたまふに、暮れゆくはわびしくのみ思し焦(い)らるる人にひかれたてまつりて、いとはかなう暮れぬ。紛るることなくのどけき春の日に、見れども見れども飽かず、そのことぞとおぼゆる隈(くま)なく、愛敬(あいぎゃう)づき、なつかしくをかしげなり。さるは、かの対(たい)の御方には劣りたり、大殿の君の盛りににほひたまへるあたりにては、このなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、また知らずをかしとのみ見たまふ。女は、また、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、こまやかににほひ、きよらなることはこよなくおはしけりと見る。」
▼【口語訳】女君(浮舟)は、いつもなら暮れなずむ春の日をただもてあまし、霞のかかる山際をうつろに眺めては思いわびていらっしゃるのに、今日は、日の暮れてゆくのをただやるせなく焦慮していらっしゃる宮(匂宮)のお気持につられ申して、まったくいつのまにか一日が暮れてしまう思いであった。ほかに気をとられることもないのどかな春の日に、いつまで見ていても見飽きることがなく、そこがと思われるような難点もなく、やさしく情味をたたえて、人なつこくいかにもかわいらしい女の風情である。とはいえじつのところ、あの対の御方(中の君)に比べると劣っているし、右大臣殿の六の君の年盛りに美しくていらっしゃるあたりに置いたら、まるで比較すべくもないほどの人であるのを、宮は、今はまたとなく夢中になっておられるときなので、これまで逢ったこともない、かわいい女とばかり思っていらっしゃる。女君はまた、大将殿をまことにおきれいでこのようなお方がほかにあろうかと思っていたのだったけれど、宮の情こまやかに美しく気高いところは段違いでいらっしゃったのだ、と思っている。
▼ここはなかなか読み応えのある部分だ。浮舟の心情と、匂宮の心情が、微妙なずれをもって交差している。
▼時間がたっていくのがやるせない匂宮の気持ちに「つられて」、浮舟の「時間」も、あっという間に過ぎていってしまう。ここでは、「時間」は、まるで二人の共有物のように感じられる。「ともに過ごす」ということは、こういうことを言うのだろう。
▼浮舟は、実は、中の君より美しくはないし、四の君(匂宮の正妻)には比べものにならない。それなのに、匂宮は、夢中になっているから、それに気づいていない。この子が最高だと思っているというのである。
▼浮舟もまた、うっとりとする春の時間の中で、あんなにまで素晴らしいと思っていた薫のことを忘れ、目の前の匂宮に溺れている。
▼すべてはこの「紛るることなくのどけき春の日」の仕業なのかもしれない。二人の「認識」は、間違っているのかもしれないが、ここに流れる時間は、至福の味わいを湛えている。

 

★『源氏物語』を読む〈335〉2018.3.1
今日は、第51巻「浮舟」(その8)

▼匂宮から、オレは寺に籠もっていると伝えてこいと命じられた時方が帰ってきて、右近に報告する。大殿(夕霧)は、内裏に知られたらオレの立場はどうなるってんで、もうカンカンです。殿は東山の聖のところに行っていますと伝えておきましたよ。しっかし、なんですなあ、女っていうヤツは罪なもんです。こんな下々の私にまでウソをつかせるんですからなあ、と愚痴を言う。
▼右近はカチンときて、あらいいじゃありませんか、姫様を聖と言ったんですから、あなたのついたウソも帳消しでしょ。それより、殿様も変な人ですけど、いったいどなたの影響なのかしら。そもそも、ちゃんと前もっておっしゃってくだされば、もっと気の利いた対応もできたというのに、困った人ですよ、と、嫌味・批判のオンパレード。まったく、右近という女はおもしろい。
▼右近は、時方の報告をそのまま匂宮に伝えると、匂宮も、まったくやんなっちゃうなあ、もっと気楽な身分になりたいなあ。それにしても、薫がこのことを聞いたら、どう思うだろう。あんなに仲良かったのに、バレたらほんと合わせる顔もない。このことは絶対に秘密にして、あなたをどこかに隠すからねと浮舟に言い、ようやく帰ることにする。今日で三日目なのだった。
▼「風の音もいと荒ましくに霜深き暁に、おのがきぬぎぬも冷ややかになりたる心地して、御馬に乗りたまふほど、引き返すやうにあさましけれど、御供の人々、いと戯(たはぶ)れにくしと思ひて、ただ急がしに急がし出づれば、我にもあらで出でたまひぬ。この五位二人なむ、御馬の口にはさぶらひける、さかしき山越えはててぞ、おのおの馬には乗る。水際の氷を踏みならす馬の足音さへ、心細くもの悲し。昔も、この道にこそは、かかる山踏みはしたまひしかば、あやしかりける里の契りかと思す。」
▼【口語訳】風の音もほんとに荒々しく、霜の深い夜明け方なので、それぞれに別れ着る衣も冷え冷えとした心地がして、御馬にお乗りになっても、また引き返したいような情けないお気持であるけれど、お供の人たちがまったく冗談事ではないという思いでひたすら急がせて出立するので、宮は正気も失せたご様子でお発ちになった。この五位二人(大内記と時方)が御馬の口取りに奉仕するのだった。険しい山を越えてしまってから、自分たちもそれぞれ馬に乗る。水際の氷を踏みならす馬の足音も心細くもの悲しく宮には感じられる。昔もこの宇治通いの恋路にだけこうした山越えもなさったのだから、なんと不思議な因縁のあるこの山里よ、とお思いになる。
▼なかなか名文である。「おのがきぬぎぬも冷ややかになりたる心地して」は、後朝の感傷が皮膚感覚で表現されていて味わい深い。馬の口をとらえてお供する大内記と時方や、その家来たちの、「まったく冗談じゃねえや」って気持ちも手に取るように伝わってくる。そして、この険しい山道を通う匂宮の心には、昔の思いが蘇ってくる。
▼匂宮のどうしようもない好色心から生まれた恋だが、山道を帰って行く男の姿には、心を打つ真実がある。右近にどんなに批判されても、家来たちにどんなにバカにされても、匂宮の思いの純粋さは疑えない。道徳的には褒められたことじゃないけれど、「好きな人に溺れる」という点では、純粋そのものである。その耽溺が、匂宮の人生を危うくするものではあっても、決して世間的な栄達にはつながらないという点で、純粋なのである。
▼金や権力に対する執着と、恋に対する執着とは、まったく違う。だからこそ、どんなに愚かな恋でも、それを描く小説には、どこかに人間の「高貴な真実」が見えるのだ。

 

★『源氏物語』を読む〈336〉2018.3.2
今日は、第51巻「浮舟」(その9)

▼二条院に帰った匂宮は、中の君が浮舟のことを隠していたことが恨めしいので、すぐにはその部屋に行く気になれないけれど、どうにも寝られないので、その部屋に赴く。
▼中の君は、浮舟よりもずっとキレイだと匂宮は思うけれども、浮舟がその中の君にそっくりだったことを思い出して、また胸がいっぱいになる。匂宮の口から出るのは、恨み言ばかりだ。けれども、自分が浮舟に逢ってきたことは知られたくない。
▼私がどんなにあなたを愛しても、先に死んだら、きっとあなたはあの薫と結ばれるんでしょうね。人の一念は必ず叶うといいますからね、とマジメな顔をして言うと、中の君は、冗談はやめてください、私のような不幸な女はそんな冗談では笑えませんわ、と辛い顔。
▼匂宮は、表面上は薫と中の君の仲を疑うような口ぶりで中の君に恨み言をいうので、中の君は、いったい誰がありもしないことをこの人に吹き込んだのかしらと、本気で悩む。
▼「ものはかなきさまにて見そめたまひしに、何ごとをも軽(かろ)らかに推しはかりたまふにこそはあらめ、すずろなる人をしるべにて、その心寄せを思ひ知りはじめなどしたる過ちばかりに、おぼえ劣る身こそと思しつづくるもよろづ悲しくて、いとどらうたげなる御けはひなり。」
▼【口語訳】もともとこれといったこともない有様で宮(匂宮)がお通いはじめになったご縁なのだから、この自分のことを万事安直にお推し量りになるのであろう、特に縁故のあるわけでもないあのお方(薫)を頼りにして、その親切をありがたく思うようになったりなどした、その不覚などがもとで、自分は宮から軽んじられる身となったのだとお思い続けになるにつけても、何もかも悲しくなって、いよいよいかにもいじらしいご様子でいらっしゃる。
▼中の君は、自分が薫と簡単に通じるような軽い女だと匂宮に思われるのが辛い。しかし、それも、もともとのなれそめがちゃんとしたものじゃなかったからだと思うのだ。出会いの有りようは、どこまでも尾を引くものだ。
▼匂宮はどこまでも、浮舟のことは隠しておこうと思って、薫のことを気にしているような口ぶりで話すのだが、中の君はいったい何があったのかさっぱり分からなくて困惑するばかりだった。
▼宮中の明石中宮から、いったいどうしたの? と、手紙が来る。匂宮はあんまり大げさに騒がれるのも嫌だなあと思いつつ、ほんとうに具合が悪くなったような気分で、宮中へも行かないで引きこもっている。
▼そこへ薫がお見舞いにやってくる。具合が悪いと聞いて心配してきたんだけど、どう? って感じ。
▼匂宮は、薫を見るなり、動悸が激しくなる。後ろめたさと悔しさだ。まったく修行者ぶっていながら、あんなカワイイ子をあんな所に隠しているなんて、とんだ山伏野郎だぜ、と内心悔しくてならないのだが、そんな気持ちはそぶりにも出さず、ただただ苦しそうなので、薫は、いけないねえ、風邪は万病の元だよ、しっかり養生してくださいと、心をこめてお見舞いの言葉を言って帰って行く。
▼匂宮は、ああ、負けた、オレはあいつには到底かなわない。浮舟も、このオレをアイツと比べてどう思ったことだろうと思うにつけても、浮舟が恋しくてならず、宇治へ手紙を出すのだった。
▼その手紙を受け取った右近は、あ、これは私の元カレがね、私をみつけてなんだかんだ言い寄ってくるのよと、女房たちにウソをつく。この件については、右近は万事ウソで固めたのでした(よろづ右近ぞ、そらごとしならひける。)とある。右近もいい迷惑だね。
▼匂宮は、どうしても、薫に対するコンプレックスから抜け出せない。薫の体から発するいい匂いを何とかして自分の身にもつけようと香を工夫したころから、薫への絶望的な敗北感を抱いているのだろう。だからこそ、薫が愛する浮舟を何としてでも我が物にしたいという思いに駆られるのだ。
▼自分は身分の関係上、そうそう簡単に宇治へは行けないけれど、それでも命がけで出かけて会った。それなのに、薫はいつでも行ける身軽な身分なのに、悠長に構えて出かけもしない。それもまた悔しいのだ。その気持ち、なんだかよくわかる。

 

★『源氏物語』を読む〈337〉2018.3.3
今日は、第51巻「浮舟」(その10)

▼二月になった。匂宮は、なかなか宇治へ行くことができなくてイライラしている。
▼いっぽう薫は、ようやくヒマになったので、宇治へ出かける。まっさきに浮舟のもとを尋ねるのではなくて、まずは、阿闍梨の元を訪ねてお経を上げさせるという嫌味なほどの余裕。
▼それから、ゆっくりと浮舟のもとへ行く。匂宮とは違った直衣姿で、その姿はさすがに立派なものだ。匂宮はたぶん狩衣だったのだろう。つまりは、匂宮がジャージだったとしたら、薫はオシャレなジーンズってとこか。(違うか?)
▼浮舟は、もう合わす顔がなく、まるで空にも目があるような気がして怖いのに(空さへはづかしう恐ろしきに)、それなのに、あの乱暴な振る舞いの匂宮の顔がチラついてしまう。オレは、お前のような女が見たことがない、お前に夢中だといった情熱的な言葉がよみがえる。ああ、あれは本心だったのかもしれないわ、だって、噂では都に帰ってからは具合が悪く、お経などあげてみんな大騒ぎだっていうもの、って思いつつ薫を見ると、これはまたこれで、しっとりと落ち着いていて、この方こそは頼りになる方だ、この方に見捨てられたらどんなに悲しいことだろう、でも、あの狂おしいばかりに私を口説いた匂宮様もいとしい、でも、それはほんとに軽々しいこと、などなど、心は千々に乱れるのだが、その様子を見て、薫は、ああ、この子もオレを恋しく思っているうちにずいぶんと深い人情を知り、女らしく成長したなあ、と感慨もひとしおで、いつもよりも心を込めて浮舟を慰める。
▼薫は、都にいま作っている邸も、ようやく形になってきたよ、そこは私の自宅からも近いし、そこに住むようになれば、こんな思いをしなくてもすむからね、と言うのだが、浮舟は、ああ昨日は、匂宮様が、君と気兼ねなく過ごせる所を用意するからとおっしゃっていたけど、薫様がこんな用意をしていることを知らないで、そんなことを考えているんだわ、と思うと悲しくて胸がいっぱいになるけれど、いやいや匂宮様に心を動かしてはダメなんだと思うそのそばから、匂宮の顔がちらつく。我ながらなんというあさましい身だろうと、愛想がつきる思いで、泣いてしまう。
▼そんな浮舟を見て、薫は、君はそんなじゃなくて、おおらかだったので、ぼくも心が落ち着いて好きだったのに、どうしたんだい? 誰か何か言ったの? って聞きながら、折からの夕月夜を眺める。こういう心理から情景への転換が素晴らしい。
▼「朔日(ついたち)ごろの夕月夜に、すこし端近く臥してながめ出だしたまへり。男は、過ぎにし方のあはれをも思い出で、女は、今より添ひたる身のうさを嘆き加へて、かたみにもの思はし。」
▼【口語訳】(匂宮は)折からの月はじめの夕月夜に、少し端近な所に横になって外の景色を眺めていらっしゃる。男は、過ぎ去った日の悲しい恋をお思い出しになり、女は女で、これから先いっそうその身に加わった憂いを嘆き、お互いに物思いの尽きぬ面持である。
▼男は昔の女を思い、女はこれからの難儀な恋を思う。みごとなすれ違いである。
▼浮舟は、若気の至りということだろうか。どうしても、熱に浮かされたような男が忘れられない。薫の美質を頭では理解しながら、体は匂宮に向かうといったところだろうか。思えば、薫はまだ浮舟を「知らない」のだった。

 

★『源氏物語』を読む〈338〉2018.3.4
今日は、第51巻「浮舟」(その11)

▼「山の方は霞隔てて、寒き洲崎(すさき)に立てる鵲(かささぎ)の姿も、所がらはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、柴積み舟の所どころに行きちがひたるなど、ほかにて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、見たまふたびごとに、なほ、その昔(かみ)のことのただ今の心地して、いとかからぬ人を見かはしたらむだに、めづらしき中のあはれ多かるべきほどなり。まいて、恋しき人によそへられたるも、こよなからず、やうやうものの心知り、都馴れゆくありさまのをかしきをも、こよなく見まさりしたる心地したまふに、女はかき集めたる心の中(うち)にもよほさるる涙ともすれば出で立つを、慰めかねたまひつつ、〈宇治橋の長きちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな〉いま見たまひてん」とのたまふ。〈絶え間のみ世にはあやふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや〉さきざきよりもいと見棄てがたく、しばしも立ちとまらまほしく思さるれど、人のもの言ひのやすからぬに、今さらなり、心やすきさまにてこそなど思しなして、暁に帰りたまひぬ。いとようも大人びたりつるかなと、心苦しく思し出づることありしにまさりにけり。
【口語訳】山のほうは霞に隔てられており、寒々とした洲崎にたたずむ鵲の姿も、場所が場所とて風情のある眺めであるが、宇治橋がはるか遠くまで見渡されるところへ、柴を積む舟があちこちで行き交っているなど、よそでは見られぬものばかりいろいろとある所なので、大将はごらんになるたびに、やはりあの当時のことがたった今のように感じられて、ほんとにこうした姫宮(大君)にゆかりの人でなくとも、向い合っているだけでも、なかなか得がたい逢瀬の情けも尽きぬというものである。なおさらのこと、この女君(浮舟)が懐かしいお方(大君)になぞらえてみても、ひどく劣っているではなく、だんだんと人の心も分り、都の風情になれてゆく様子がかわいいにつけても、以前より格段にたちまさってきたような心地がなさるのだが、女のほうは、さまざまの思いのつもる胸の中にもよおされる悲しみの涙がどうかするとあふれてくるのを、大将(薫)はどう慰めることもおできにならず、〈宇治橋のように末長い二人の契りは朽ち絶えることはあるまいから、不安に思い心配することはないのです)わたしの気持は今にお分りになりましょう」とおっしゃる。女君(浮舟)は、〈絶え間ばかりが多くて危ない宇治橋、そのような不安な仲ですのに、やはり朽ち絶えるものがないものと思って頼りにせよとおっしゃるのでしょうか〉大将は、これまでよりもいっそう見捨てては帰りにくく、ほんのしばらくでもここにとどまっていたいと思わずにはいらっしゃれないけれど、世間の噂がうるさいので、いまさらそれも愚かしかろう、いずれ気がねのいらない形にして逢うことにしよう、などと思い直されて、夜明け前にお帰りになった。じっさいよくもあれだけ女らしくなったものよと、以前にまさっていじらしくお思い出しになるのであった。
▼宇治橋のあたりの描写は、水墨画のように美しい。その風景を見ながら薫が思っていることと、浮舟が思っていることはまったく違う。歌もその溝を埋めることができない。薫は、結局、浮舟の気持ちを知ることなく、宇治を去るのだった。
▼薫の心を占めているのは、どこまで行っても大君だということがよく分かる。浮舟は、あくまで大君の「人形(ひとがた)=身代わり」でしかないのだ。悲しみに暮れる浮舟をけげんに思いつつ、薫は、まあ、無理することはない。もっと落ち着いたら、落ち着いた邸で、ゆっくりと心を通わせようと考えて、宇治を去るわけだが、浮舟を「大人びたなあ」としか思わないというのも、あまりにも鈍感すぎるよね。
▼浮舟は、宇治橋は「絶え間が多くて危ないのよ」と訴えているのに、この浮舟が匂宮とすでに通じ、その匂宮を恋しく思っているなんて、夢にも思わないというのは、さすが薫というべきか、呆れるべきか。源氏だったら、すぐに見抜くんだけどなあ。

 

★『源氏物語』を読む〈339〉2018.3.7
今日は、第51巻「浮舟」(その12)

▼2月10日ごろ、内裏では、「作文の会」という行事が行われた。今でいえば、学校の「作文コンクール」ってところだろうか。もちろん当時のことだから、漢詩を作るのである。
▼そこには、匂宮も薫も出席する。会の途中に雪が激しく降ってきたので、管絃の遊び(音楽の演奏)もそこそこに、みんなは匂宮の宿直所にひきあげる。
▼次第に降り積もってゆく雪を眺めながら、薫は、「衣かたしき今宵もや」と口ずさむ。これは、古今集の歌「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(筵の上に自分の衣だけを敷き、独り寝をして今夜も私の訪れを寂しく待っているのだろう、宇治の橋姫は。)の一節。
▼匂宮は、それを聞いて、あ、彼はまだ浮舟をこんなにも思っているんだ。独り寝の浮舟は、オレのことだけを恋しく思っているとばかり思っていたのになあ。考えてみれば、それも当然のこと。しかし、コイツと比べたら、やっぱりオレは負けるよなあ、と悔しく思う。
▼そうだ、こんなことしちゃいられない、と矢も盾もたまらず、匂宮は、何とか算段をつけて、宇治へと向かう。
▼宇治では、まさかこんな雪の中を匂宮が来るとも思わないから、突然の来訪に慌てるが、右近がここでも大活躍して、他の女房たちには、薫が来たとウソをついて、匂宮を迎え入れる。右近は、こんなことしていていいのかなあと思うのだが、匂宮をとめることは誰にもできない。
▼匂宮は、この宇治の邸で会うのも、人目につくからというので、宇治川の対岸にある、家来の家を一時的な滞在用に用意してあったのだが、翌朝、浮舟をかき抱いて、そこへ連れて行こうとする。
▼起き出した右近は、あまりの展開にびっくりしてしまって、ガタガタ震えているばかり。その様子を、「童(わらは)べの雪遊びしたるけはひのやうにぞ、震ひあがりにける。」(まるで子供が雪遊びしたときのように震えあがってしまうのだった。)と書いている。なんだか面白い。昔の子どもは、薄着だったからね。今はこんなに震えない。
▼「いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さしわたりたまふほど、はるかならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるも、いとらうたしとおぼす。有明の月澄みのぼりて、水の面も曇りなきに『これなむ橘の小島』と申して、御舟をしばしさしとどめたるを見たまへば、おほやかなる岩のさまして、されたる常磐木の蔭茂れり。『かれ見たまへ。いとはかなげなれど、千年(ちとせ)も経(ふ)べき緑の深さを』とのたまひて、〈年経(ふ)ともかはらむものか橘の小島の崎に契る心は〉女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、〈橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ〉をりから、人のさまにて、をかしくのみ何ごともおぼしなす。」
▼【口語訳】女君(浮舟)は、ほんとに頼りなさそうなものと朝晩眺めていた小さい舟にお乗りになって、川をお渡りになる間、はるか向こうの岸に向って漕ぎ離れていくかのように心細く感じられ、ひたと寄りすがい抱かれているのも、宮(匂宮)はじつにいじらしいとお思いになる。明け方の月が中空高く澄んで、水の面も曇りなく明るいので、「これが橘の小島で」と申しあげて、船頭がしばらく棹をさして御舟を止めたのをごらんになると、大きな岩の形をしていて、しゃれた風情の常磐木が影深く茂っている。「あれをごらんなさい。これといったこともない木影だけれど、千年をも保ちそうな緑の深さではないか」とおっしゃって、〈長い年月がたっても変ることがあろうか。この橘の小島の崎であなたに行く末をお約束するわたしの心は〉女も、めったにない道行のように思われて、〈橘の小島の緑は変ることもありますまいけれど、水に浮く小舟のような私の身はどこへ漂っていくのでしょうか〉折も折とて、この女君の様子に、宮はただすべてを感に堪えぬものとお思いになる。
▼いうまでもなく、浮舟が詠んだ歌に、我が身を「浮舟」に例えているところから、この巻の名前になったわけである。薫という岸にたどり着くのか、それとも匂宮という岸へ寄るのか、分からない我が身を、川波にただよう小さな舟に例えたのだ。
▼それにしても、有明の月のもとを進む小舟、透明な水面、匂宮に抱かれてうっとりとしている浮舟、すべてが夢のように美しい。この描写のためにこそ、宇治という場所が設定されたのではないかと思われるほどだ。

 

★『源氏物語』を読む〈340〉2018.3.8
今日は、第51巻「浮舟」(その13)

▼対岸へ舟で渡った匂宮と浮舟は、粗末な家で一夜をあかす。その翌朝の描写が美しい。
▼「日さし出でて軒の垂氷(たるひ)の光りあひたるに、人の御容貌(かたち)もまさる心地す。宮も、ところせき道のほどに、軽らかなるべきほどの御衣どもなり、女も、脱ぎすべさせたまひてしかば、細やかなる姿つきいとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、いと恥づかしく、まばゆきまできよらなる人にさし向ひたるよと思へど、紛れむ方もなし。なつかしきほどなる白きかぎりを五つばかり、袖口、裾のほどまでなまめかしく、色々にあまた重ねたらんよりもをかしう着なしたり。常に見たまふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは見ならひたまはぬを、かかるさへぞなほめづらかにをかしう思されける。」
▼【口語訳】やがて朝日が射してきて軒のつららがいっせいに輝いているので、宮(匂宮)のお顔だちもまた一段とお美しい感じである。宮ご自身も人目をはばかるお忍びなので身軽におふるまいになれるお召物であるし、女のほうも、着物(上着)をお脱がせになっていたので、ほっそりした姿態がまことに美しく見える。身づくろいもせぬまま、ふだんのしどけない姿なのに、ほんとに恥ずかしくまぶしいほどおきれいな宮とさし向いになっていることよと思うけれど、女君は身を隠すすべもない。ほどよく柔らかな白い下着だけを五枚ほど、袖口や裾のあたりまでしめやかに美しく、さまざまの色を幾重にも重ねているようなのよりもかえって好ましく着付けている。宮は、平常お逢いになっている女でもこれほどまでうちくつろいでいる姿などは今までごらんになったこともないので、こうした姿までもやはり珍しくかわいいと思わずにはいらっしゃれないのだった。
▼上の口語訳は「全集」のもので、「人の御容貌」を「宮(匂宮)のお顔だち」としているが、「集成」では、「お二人のお顔立ち」としている。「集成」のほうをとりたいところ。
▼いずれにしても、「耽溺の夜」(「全集」による)の翌朝の情景として、なんとも美しく、またエロティックな表現である。朝日に輝く軒端のツララの美しさ。その光を浴びる、匂宮と浮舟。浮舟は、昨夜の「耽溺」を思わせるような、「しどけない姿」である。
▼「そのこと」を直接描写せずに、「そのあと」を丁寧に描くことで、「そのこと」を想像させるテクニックは、歌舞伎などの常套手段だが、その発想の根源には、こうした表現があるのかもしれない。
▼その日の夕方はこう描かれる。
▼「雪の降り積もれるに、かのわが住む方を見やりたまへれば、霞のたえだえに梢ばかり見ゆ。山は鏡をかけたるやうにきらきらと夕日に輝きたるに、昨夜(よべ)分け来し道のわりなさなど、あはれ多うそへて形たまふ。」
▼【口語訳】雪の降り積っているなかを、あのご自分が宿られた川向うに目をおやりになると、霞の絶え間絶え間に梢ばかりが見える。山は鏡を懸けたようにきらきらと夕日に輝いているので、昨夜雪を踏み分けてきた道中の難儀のほどなど、女君の気持をそそる多くの言葉を添えてお話しになる。
▼今度は、雪山が夕日にきらきらと輝いている。
▼匂宮は、そこで二晩過ごし、そのあと一端、浮舟を宇治の邸に戻して、自らは都の二条院(中の君がいるところ。「本宅」には帰る気になれないのだ。)へ戻り、そのまま病に倒れてしまう。それで、浮舟に手紙も書くことができない。
▼食べることもできず、どんどん青白く痩せてしまう匂宮の病が何であるか分からないが、病というよりは、疲れだろう。二晩にわたる狂おしい「耽溺」と、その直後の宇治から都への移動を考えれば、疲れないほうがどうかしている。

 

★『源氏物語』を読む〈341〉2018.3.9
今日は、第51巻「浮舟」(その14)

▼雨が降り続く。雨は物思いを促し(長雨=眺め)、水のイメージを増幅する。そもそも、宇治の里は、宇治川のほとりにあり、常に水のイメージを伴っていた。この水は、やがて、その上に浮かぶはかない舟、浮舟の運命を暗示するものでもある。
▼精魂尽き果てて、病の床に伏した匂宮は、浮舟への狂おしい思いに苦しみ、手紙を送ってくる。多くの言葉をつらね、それを小さく折りたたんだ恋文の形で送ってくるのである。
▼「ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるるころのわびしさ」(あなたのことを恋いしのんで眺めやる宇治の方角の雲も見えないくらいに、わたしの心ばかりか空まで真っ暗になっているこのごろのなんとわびしいことよ。)
▼浮舟は、心の深い薫に見棄てられたらどうしようと思う一方で、こんなにも情熱的に言い寄ってくる匂宮にいいようもなく惹かれていく。薫にかくまわれたとしても、匂宮にすぐに見つけられてしまうにきまっている、かといって、匂宮にかくまわれたとしても、薫はすぐに見つけるだろう。いったいどうしたらいいのかしら、と思い乱れる。
▼そんな浮舟のところに、こんどは薫からの手紙が届く。こちらは恋文の形ではなくて、白い紙に書いた「立文(たてぶみ)」だ。
▼浮舟は、こっちもあっちもと並べてみるのもいやなので、自然と、言葉の多い匂宮の手紙を読みながら臥している。それを、右近ともうひとりの女房の侍従が見てささやき合う。
▼やっぱり、匂宮に心が移ったのね。それはそうよ、あんなに魅力的なんですもの。私なら、もう、宮仕えでもして、毎日あの方を見ていたいもの、って侍従がいう。まったく隅に置けないわね、あなたも。でも、なんといっても、薫様にまさる人なんているものですか。こんどのことは、ほんとにあってはならないことだわ、こんなことしていて、どうなるというんでしょう、と、右近。
▼まずは匂宮に返事を書くようにと侍従はうながす。侍従は、匂宮との関係を重視しているわけである。
▼浮舟の歌「里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住みうき」(その里の名の「憂し」が私の身の上なのだと分っておりますので、この山城の宇治のあたりに住むのはいよいよつろうございます。)
▼そう書きながら、匂宮の描いた絵をみて、浮舟は涙をながす。こんな関係は長く続かないことは分かっているけれど、あきらめきれない浮舟。さらにこんな歌を詠む。
▼「かきくらし晴れせぬ峰の雨雲に浮きて世をふる身をもなさばや」(あてどなく不安にこの世を過しているこの身を、空も暗く晴れ間もない峰の雨雲に変えてしまいたいものです。」
▼「雲になりたい」というのは、「煙になりたい」「死んでしまいたい」との意味だとも読める。この歌を読んだ匂宮は「よよと泣かれたまふ」とある。
▼薫には、こんな歌を送る。「つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとどみかさまさりて」(悲しいわが身の上を思い知らされる雨が所在なく降りやみませんので、川の水かさが増すばかりか、この私の袖までも涙でいよいよ濡れまさっております。)
▼この歌だって、「水かさが増していく」というイメージが、浮舟の運命を暗示するようにも読めるのだが、薫は、相変わらずのんきなもので、こんなふうに思う。
▼「まめ人はのどかに見たまひつつ、あはれ、いかにながむらむ、思ひて、いと恋し。」
▼【口語訳】「まめ人」の大将のほうは、女君の返事をゆっくりとごらんになりながら、「ああかわいそうに。どんなに物思わしく暮していることだろう」とお察しになって、ほんとに恋しいお気持になっている。
▼薫は、やっぱり「まめ人=マジメな人」であって、匂宮のような狂おしい情熱はない。匂宮の方は、病気になって、よよと泣いているっていうのに、薫は、「あはれ、いかにながむらむ」なんて思ってるんだから、これはもう比較にならない「温度差」である。

 

★『源氏物語』を読む〈342〉2018.3.10
今日は、第51巻「浮舟」(その15)

▼薫は、妻の女二の宮に気兼ねして、実は、たいした間柄ではないが、長いことつきあっている女がいて、今度引き取ろうと思っているのだが、気にしないでほしいと打ち明ける。女二の宮は、嫉妬なんてこと、私は知りませんからと、分かっているのか、分かっていないのか、分からないような返事をするが、薫は、重ねて、世間ではどんな噂があるかわかったものではないが、とにかく、その女は、問題にするほどの分際の者ではないから気にしないようにと念を押す。
▼いちおう妻の「了解」がとれたので、薫は、何とかはやく新築した家に浮舟を移そうと思って、内装を急ぐ。世間に知られないようにと、業者選びも慎重にしたつもりが、なんと、匂宮の家来である大内記の妻の父に頼んでしまった。この男は、薫の腹心の家来だったのだが、大内記の妻の父とは、薫はちっとも知らなかったのである。そうなると、もう情報は早い。匂宮は、大内記の妻から、ことこまかに事情を知ってしまう。
▼匂宮も気が気じゃないから、自分の方でも、乳母の夫の家かなんかを手に入れて、隠れ家として用意する。もう、隠れ家対決。
▼匂宮は、これこれのところを用意したから、きっと迎えにいくねといいながら、なかなか宇治へ出かけることができないばかりか、例の浮舟の乳母が、「来るな」みたいなことを言ってくるので、ますます行けない。
▼薫は、4月10日に浮舟を引き取りに宇治に行こうと決めた。
▼浮舟は、どうしてよいか分からず、しばらく母のところにいって、身を隠そうかと思うが、母の家の方では、なにかと忙しくてそうもいかない。そうこうしているうちに、母の方がやってきた。
▼乳母は、薫様からたくさんの贈り物が届き、これで立派にお輿入れができますと大はしゃぎ。そんな様子を見るにつけ、浮舟は、匂宮とのことがバレたらいったいどうなるのだろう、きっと笑いものになるわ、そしたら、乳母や女房たちにもなんと言ったらいいのだろう、かといって、どこかに隠れたって、あの匂宮だもの、きっと探し当てるに違いない。匂宮様からは、とにかくどこかに隠れろって、手紙が来たけど、どうしたらいいのだろう、と思うと、気分も悪くて横になっている。
▼母は心配して、「などかかく例ならず、いたく青み痩せたまへる。」(どうしてこうも、いつになく顔色も青くやつれておいでなのかしら。)というと、乳母も「近ごろはずっと尋常ではおありになりません。ちょっとしたお食事も召しあがらずに、おかげんわるそうにしていらっしゃいます。」という。
▼物の怪でもついたのかしら、それとも? と、母はどうも「妊娠」を疑うようなことを言う。母は、薫との関係からそう疑うのだ。すると、女房が、「いや、例の石山詣でも、あのことがあって行けなかったわけですから。」と言う。つまり、以前、母が石山詣でに誘ったとき、ちょうど匂宮が来ていたので、姫様は「月のモノ」とて籠もっておいでですとウソをついた、そのことを言っているわけだ。あのとき「月のモノ」があったのですから、妊娠じゃありません、ということ。
▼それを聞く浮舟は、もう恥ずかしくてならない。もし「妊娠」なんてことがあったとしても、それは薫じゃなくて、匂宮との間のことだから、それこそもう言い訳ができない。浮舟はどんどん追い詰められていく。

 

★『源氏物語』を読む〈343〉2018.3.11
今日は、第51巻「浮舟」(その16)

▼母は、尼となった弁の君を呼び出して、親しく語らう。尼君の思い出すのは、亡き大君のこと。もし姫様が生きていれば、きっと薫の妻として幸せになれたのに、と言う尼君に、母は、私の娘だって何の違いがあるだろうと思いながら、ほんとに心配ばかりしてきた娘ですけど、今、こうして薫様に迎えいれらることになり、ちょっとほっとしましたよ、と言う。
▼話はやがて、中の君と匂宮のことになり、匂宮の女癖の悪さを尼君(弁の君)が嘆く。
▼まあ、薫様は、帝の御娘(女二の宮)を奥様にしていらっしゃるわけですけれども、その方と、我が娘(浮舟)とは赤の他人ですから、二人の仲がどうなってもいたしかたないと思案して、お嫁にやろうと思ったわけですけれども、その浮気者の匂宮と娘に何かがあったら、それはもう言語道断のこと、私は娘と縁を切ります、という。
▼それを聞いていた浮舟は、「いとど心肝もつぶれぬ。」(いよいよ肝のつぶれるお気持になる。)というありさま。
▼具合が悪いといって臥している側で、尼君と母が交わす言葉が、浮舟を窮地に追い詰めていく。匂宮と何かあったら、もう二度と娘に会わない、勘当だ、といった母の言葉は、事情を知らないからこそ出た、いわば言葉の綾だったのかもしれないが、浮舟は、今でさえどうしていいのか分からないわが身が、このうえ母親にまで見棄てられたらどうしようと思い悩み、初めて、死を意識する。
▼「いとど心肝もつぶれぬ。」の後はこう続く。
▼「なほ、わが身を失ひてばや、つひに聞きにくきことは出で来なむ、と思ひつづくるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを、『かからぬ流れもありかし。世に似ず荒ましき所に、年月を過ぐしたまふを、あはれと思しぬべきわざになむ』など、母君したり顔に言ひたり。」
▼【口語訳】やはり、この身を失くしてしまいたい。こうしていては、しまいにはきっと聞くに堪えぬことが起らずにはいないだろう」と考え続けていると、この川の水音がいかにも恐ろしい響きを立てて流れていくのを、「これほどはげしくない流れもありますよ。世にまたとなく荒々しい所で長らくお暮しなのですから、大将殿がいたわしく思ってくださるのも当然ですね」などと、母君は得意顔に話している。
▼宇治十帖が始まってから、ずっと、通奏低音のように聞こえていた宇治川の流れの音が、ここで、にわかに大きくなったような印象を与える。死んでしまいたいと思う浮舟の耳には、この流れの音が誘うように聞こえるのである。
▼その川音は、母には、娘の結婚への道を導いたものとして聞こえている。
▼源氏物語は、「音の文学」だね。
▼そんな浮舟の気持ちも知らないで、女房の一人が、この川の渡し守の孫が、水に落ちて溺れたという話を持ち出す。浮舟は、こんなふうに思う。
▼「さてもわが身行く方(へ)も知らずなりなば、誰も誰も、あへなくいみじ、としばしこそ思うたまはめ、ながらへて人わらへにうきこともあらむは、いつかそのもの思ひの絶えむとする」と思ひかくるには、障りどころもあるまじく、さはやかによろづ思ひなさるれど、うち返しいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、ねたるやうにてつくづくと思ひ乱る。」
▼【口語訳】「そんなふうにこの身が行方知れずになってしまったら、どなたも皆がっかりなさってひどく悲しいことと、しばらくの間は哀れんでくださろうけれど、もし生き長らえていて、世間でもの笑いの情けないことにでもなったら、それこそいついつまでもその悲しい物思いは消えることもあるまい」と、そこまで考えてくると、そうするのになんのさしさわりもありそうになく、すべて気持がさっぱりしてくるけれど、また思い直してみるとじつに悲しくてならない。母君があれこれと心配しながら話している様子を、寝たふりをして聞きながら心中につくづくと思い乱れている。
▼浮舟は、もう、御手洗川(みたらしがわ)で禊ぎをして、男との関係を一切絶ちたいと思っているのに、そんな気持ちを知るよしもない母は、浮舟の病気快癒の祈りなどの手はずをテキパキと指示して、都に帰ってゆく。

 

★『源氏物語』を読む〈344〉2018.3.12
今日は、第51巻「浮舟」(その17)

▼死んでしまいたいと思い悩んでいる浮舟のもとへ、薫からも手紙が届く。匂宮からも届く。
▼その手紙を持ってきた使者が、浮舟の邸で鉢合わせをする。
▼薫の使者は、匂宮の使者が、匂宮の家来の大内記の家でたびたび見かけた男なので、「おまえさんは、ここへ何をしに来ているのだ?」と聞くと、「いや、プライベートな用事で。」とごまかすが、「色っぽい手紙を自分で届けるヤツなんているか。いったい、何を隠しているのだ。」と問われて、「実際は、ワタシの主人(時方=匂宮の乳母子らしい)のお手紙を、ここの女房に届けにきたんです。」とウソをつく。実際は、もちろん、匂宮の手紙を浮舟に届けにきたわけだ。
▼薫の使者は、それにしても、辻褄が合わないと思うけれども、ここでああだこうだ騒いでもしょうがないと思い、都に帰る。
▼しかし、この使者は、「かどかどしき者(頭のはたらく者)」で、供に連れていた童に命じて、匂宮の家来の跡をつけさせ、実際に返事を、時方に届けるかどうか見届けさせる。なかなかやるじゃん。
▼すると、匂宮の家来は、時方の家には行かず、匂宮邸に行って、大内記にその返事を届けたので、さっそくその家来に報告をする。
▼家来は、薫のところに行って、手紙を渡しながら、実は、ちょっと妙なことがあったものですから、こんなに遅くなりまして、と言う。薫は出かけるところだったが、「何ごとだ?」と聞くが、家来は、人目をはばかった黙っている。薫も察して、それ以上聞かずに出かける。
▼宮中では、明石中宮の具合が悪いというので、大勢参内しているが、大内記がちょっと遅れてやってくる。そして、匂宮を戸口に招いて、こっそり浮舟からの返事の手紙を渡す。それを、薫が、おや? っておもって遠くから見ると、よくは見えないけれども、なんだか、薄赤い色の紙に細々とかいた手紙のようなものだ。ああ、恋文だなと薫は思うのだが、そこへ、夕霧がやってくる。
▼あ、やばい、と思った薫は、とっさに、咳払いをして匂宮に注意を促すと、匂宮もそれと気づいて、その手紙をさっと懐に隠す。この辺の描写は、実に見事でスリリングだ。
▼夜もふけて、人も少なくなったころ、薫は、先ほどの家来を呼び出して、さっきのアレはいったい何だ? と尋ねる。
▼今朝、宇治へ参りましたところ、時方様のところに出入りしている男がおりまして、それが桜の花につけた手紙を女房に渡しておりましたので、それはいったい何だと問い詰めましたら、なんだかわけのわからない作り事を並べますので、童に調べさせましたところ、匂宮様のところへ行って、大内記様にそのお返事を渡したとのことでございます、と話す。
▼して、その返事の手紙は、どんな手紙だったか? と薫。さあ、よく分かりませんが、どうも赤いきれいな色紙に書いたものだっとか申しております、と家来。
▼そうか、さっき、大内記から匂宮が受け取った手紙は、浮舟の手紙だったのか、と、薫は愕然とする。
▼まったく、恐ろしいヤツだ。いったいどうして、浮舟のことを知ったのだろうか。あんな田舎に置いておけば問題ないと思っていたオレがバカだった。それにしても、あんなに仲良くしてきて、オレがあいつのために精魂込めて尽くしてきたのに(匂宮をはるばる宇治まで案内してあげたことなど)、それなのに、オレを裏切るなんて。
▼そもそも、あの中の君のことだって、おれはどんなにか恋しく思っていることか。それを、オレが慎重なばかりに、いままで我慢してきたのだ。思えばそれも馬鹿馬鹿しいことだった。(八つ当たりとはいえ、こんなところに中の君のことを持ち出す薫も薫だよなあ。)
▼それにしても、アイツはあんなに体調がすぐれないと言っていたのに、いったい、どうやって手紙なんか届けたのだろう。いや、待てよ、もうアイツは浮舟に逢っているんじゃないのか? そうか、アイツは、一時行方不明とか、具合が悪いとか、噂があったけど、それは、そうか、そういうことだったのか! 
▼オーマイガッド! だね、まったく。
▼浮舟も浮舟だ。おっとりした女だとばかり思っていたが、こんな尻軽女だったなんて、まったくもって匂宮にはお似合いの女じゃないか、と、もう、すっかり気持ちがさめてしまって、浮舟なんか匂宮に譲ってやってもいいやって思うけれども、いや、もともと大事な人だと重々しく扱ってきた女じゃないんだから、匂宮の女となっても、そのままでオレは囲っておこう、なんて実に不埒がことを考えるのだった。
▼ここまで言われると、ほんとに浮舟が気の毒になってくる。こんなしょうもない二人に「愛された」からといって、自分が死なねばならぬというほど悩むことなんかないじゃないかって、誰でも思うよね。そんな男のバカさ加減を見抜けなかった浮舟が悪いといってしまえばそれまでかもしれないけど、なんかねえ。
▼それでも、浮舟は、匂宮の女になっても、結局は辛い目にあって捨てられるだけだと薫は思うので、浮舟を捨てる気にはなれないのだが、浮舟への手紙は、歌が一首あるだけの冷たいものだった。
▼「〈波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな〉人に笑はせたまふな」(〈あなたが心変わりしているとも知らず、ただわたしを待っていてくれるのだとばかり思っていたのでした。」わたしを人の笑いものにしてくださるな。」
▼「ふざけるな!」ってことだね。薫の怒りモード全開である。

 

★『源氏物語』を読む〈345〉2018.3.13
今日は、第51巻「浮舟」(その18)

▼浮舟は、薫の手紙を見て、あ、匂宮とのことがバレたのかもしれないと思うと胸もふさがる思いだが、歌の意味が分かったような返事を書けば、匂宮との関係を認めたことになるしと思い、「宛先が違うようですから」と書いて、匂宮の手紙をそのまま返してしまう。
▼薫は、それを見て、うまく言い逃れたものだと思うが、浮舟を憎み通すこともできない。
▼浮舟は、やっぱり薫にはバレてしまったのだと思うにつけても、わが身がこれからろくなことにはならないだろうと思いつめている所に右近がやってくる。
▼姫様は、いったいどうしてお手紙をそのまま返すような縁起の悪いことをするのですか? と問い詰める右近は、浮舟から渡された薫の手紙を、見てしまったのだった。これは「やっちゃいけないこと」ですね、と語り手は右近を非難しているが、こういう女なんだよね、右近は。
▼右近は手紙を見たとは言わないで、薫様はお見通しなんでしょう、なんて言うものだから、浮舟は、いったいどこからそんな話を聞いたのだろうと思って、サッと顔を赤らめる。これはもうダメだ。右近の耳にそんな噂が入るのだから、もうみんなバレちゃっているのだと思ったのだ。
▼もう万事休すといった浮舟に、右近は、残酷な話をする。
▼私の姉は、常陸の国で、二人の男に言い寄られて決めかねているうちに、先に付き合っていた男が、新しくできた男に嫉妬して、殺しちゃったんですよ。殺しちゃった男も結局、その後、通ってこなくなったのですが、そんな罪を犯した男はもう使うことはできないというので、国からは追放されるし、そんな不祥事の元となった女も罪深いということで、お邸を追い出され、東国の人となってしまいまったのです。乳母はそのことを、いまだに嘆いております。そんなこともあるんですから、どっちつかずはいけません。匂宮様が本気なら、そっちに決めてしまって、クヨクヨしなさんな、と、忠告する。
▼もうひとりの浮舟の女房の侍従は、右近に、まあ、そんな縁起でもない話を持ち出すなんて、と咎めながら、やはり、匂宮様に決めたほうがいい、匂宮に気持ちが傾いているから、薫のところに行くのも気が進まないんです、まあ、しばらくは身を隠して、ゆっくりどっちにするか考えてもいいじゃないですか、と進言する。
▼すると、今度は、右近が、薫様が使っている家来たちは、この辺の荒くれ者が多いですから、いくら匂宮様がお忍びでいらしても、どこかで衝突してしまうかもしれません。そんなことになったら大変ですから、とにかく、はやく決めたほうがいいと言い続ける。
▼まあ、二人とも、「匂宮押し」なのである。
▼浮舟は、それを聞いて、ああ、二人とも私が匂宮様に惹かれていると思っているから、こんなことを言うんだわ、と思うと恥ずかしくてならない。薫には感謝してもしきれないが、匂宮に惹かれる自分をどうすることもできない。そうした自分の欲望のありようが、右近と侍従にバレバレなのが、浮舟は恥ずかしいし、やりきれないのだろう。なんだか、すごく分かるような気がする。
▼浮舟は、辛くて、もう何とかして死にたいと思うのだったが、そんな浮舟の気持ちを知るよしもない乳母は、上機嫌で薫のところに引き取られる浮舟の晴れ着なんかを準備している。気分が悪いといって寝ている浮舟を見ても、ああ、また物の怪がついたのかしらね、ぐらいの心配をするばかりである。

 

★『源氏物語』を読む〈346〉2018.3.14
今日は、第51巻「浮舟」(その19)

▼薫からは返事も来ない。その代わりというわけではないが、警備の者が派遣されてきた。右近が言っていた、恐ろしいう内舎人(うどねり)という者で、いかにも荒くれ者のジイサンである。
▼この内舎人が右近に会って、薫様から使わされたのだが、何でも、近ごろ、ここの女房の所に通ってくる不届きな者がいるとのこと。私は、病がちで実際にこちらに伺っていなかったので、詳しいことは知りませんが、そんなとんでもないことがあれば、必ず私の耳に入るはず、と申し上げたのですが、とにかく、あっちへいって厳重に警備せよ、もし何かあったらタダじゃすまんぞとの仰せでして、しかし、いったい何ごとがあったのですか、と不審顔。この男も事情を全然知らない、つまり、薫は、この男に真実を話さず、あくまで、浮舟のところの女房の不始末ということで押し通しているわけなのだ。
▼右近は、この男の話を、「梟の鳴かんよりも、いともの恐ろし。」(フクロウの鳴き声よりも恐ろしい。)と感じる。当時はフクロウの鳴き声は不吉なものとされていたらしい。
▼右近は浮舟に、やっぱり、私が言ったとおり、薫様にはすっかりバレているらしいですねと嘆くのだが、乳母は、こうした騒ぎをチラッと聞いて、薫がきちんとした警護をしてくれることをむしろ喜んでいる。
▼浮舟は、ますます追い詰められていく。このままでは、ほんとに、ろくなことにはならない。どちらに身を任せても、結局は嫌な目にあうだけだ。やっぱり、このまま私が死んでしまったほうがいいのだ、と、昔話に聞いている、二人の男に言い寄られて結局は身を投げた女のことなどを思い浮かべて考える。生きていれば、必ず嫌な目にあう。私が死んだらお母様も悲しむだろうが、それも一時のこと、たくさん子どもがいるんだもの、私のことなんかすぐに忘れるわ。生きながらえて、人に笑われるようなことになるのこそ、最悪だもの、と、死への思いをますます募らせていく。
▼二人の男に言い寄られて、思案のあげく、自ら死を選ぶというのは、貴族社会では非常識なことだった。それなのに、浮舟が、自死を思うのは、彼女が田舎で育ち、貴族としての正しい生き方を母親から学んでこなかったからだと、語り手は言う。
▼この浮舟の話は、万葉集の時代から歌に詠まれた、有名な「真間手児奈(ままのてこな)」伝説を踏まえているのだというのが、ぼくの大学時代の友人の国文学者が言っていたことだ。紫式部はこの伝説に非常に興味を持って、それを物語化したのが、宇治十帖なんだというようなことだった。「真間手児奈」だけではなくて、二人の男の板挟みになって自殺した女の話は、昔から多かったそうだ。
▼死を決意した浮舟は、少しずつ身辺整理をはじめる。自分の死後に見つかってはまずい反故などを、少しずつ燃やしたり、水に流したりする。一度に大げさにやると、人目に立つからだ。けれども、それに気づいた女房たちは、ああ、薫様との結婚の準備をしているんだなと思う。
▼けれども、右近は、それをとがめる。何も燃やさなくてもいいじゃありませんか。そんなにキレイな紙に心を込めて書かれた手紙なんですから、わざわざ人に見せるものではありませんけれど、箱の底にでもそっと隠して、ときどき読むというのが恋の情緒というものです。
▼右近は、「恋」というものを知り尽くしている。どっちつかずの恋だって、そこにうまれる「情緒」がある。それを味わうことこそが「恋」なのだ、という「教養」。浮舟には、それがない。
▼浮舟は、匂宮からの手紙を未練たらしく捨てないで持っていたのだと思われるのが辛いのだ。しかし、それはそれでまた「あはれ」じゃないか、と、右近なら言うだろう。
▼匂宮が迎えに行くといっていた日が近づいてきた。浮舟はますます困惑する。たとえいらっしゃっても、この厳重な警戒をくぐって中に入ってこられるわけはない。結局は、むなしく帰すことになるだろう、そう思うと、匂宮が可愛そうで、気の毒でならない。そればかりか、匂宮の面影が頭から離れない。匂宮の手紙に顔を埋めて泣くばかりだ。
▼そんなふうにしていらっしゃると、女房たちも気づいてしまいますよ。それでなくても、近ごろは、「変だ」と思っている女房たちがいるのです。泣いてばかりいないで、さっさとお返事しなさい。この右近がついているんですから、なんとか策略をねって、匂宮様に会わせてあげますよ。あなたみたいに小さな体は、私が空からとんでおりて、連れて行ってあげます! なんて、やたらハイテンションになって、浮舟を励ますのだ。
▼あなたが、そんなふうに言うのが辛いのよ。匂宮様でいいやって思えるのならともかく、なんだか、私の方から匂宮様におすがりしているかのようにおっしゃって、私に無理強いするのですもの、ほんとにわが身が情けない、と言って、とうとう返事も書かない。
▼浮舟は、匂宮に惹かれているのだが、それは「いけないこと」だと思っている。自分を親身になって世話してくれた薫を裏切ることだと思っているからだろう。しかも、母親は、自分が薫と結婚すると信じている。その母も裏切ることになる。更に、自分と匂宮の関係はあくまで「不倫」で、世間もそれを許さないだろう。更に更に、その肝心の匂宮だって、いつかは自分を捨てるに違いない。そのとき、一番頼りになる薫は、私のことなんか許すはずがない。つまり、「生きていけない」ということになるのだ。
▼浮舟は、匂宮に惹かれているけれども、その自分を肯定できない。有り体にいえば、浮舟は、心と体に引き裂かれているということになる。そして、現代に至るまで、「不倫」のほとんどは、そういうものだろう。『天城越え』にある通りである。ただ浮舟には、一途な情熱がなかったから、「天城峠」は越えられなかったけどね。

 

★『源氏物語』を読む〈347〉2018.3.15
今日は、第51巻「浮舟」(その20)

▼匂宮は、浮舟からの返事がちっともこないので、さては安全パイの薫になびいたのだなと思い、それもまあ無理からぬことと半分納得しながらも、やっぱり悔しくてならない。その匂宮の気持ち。
▼「さりとも我をばあはれと思ひたりしを、あひ見ぬとだえに、人々の言ひ知らする方に寄るならむかし、などながめたまふに、行く方知らず、むなしき空に満ちぬる心地したまへば、例の、いみじく思したちておはしましぬ。」
▼【口語訳】たとえそうであっても、あの女はこの自分を慕ってくれていたものを、しばらく逢わずにいる間に、女房たちが説きつけるままにあちらに傾いたのだろう、などと物思いに虚けていらっしゃると、女君恋しさが際限なく虚空に満ちてしまうようなお気持になられるので、またしても、たいへんなご決心で宇治へお出向きになった。
▼「行く方知らず、むなしき空に満ちぬる心地したまへば」という表現がすごい。こうなってしまえば、もう理性でコントロールできるものではないのだ。匂宮は、狂ったように宇治へ馬を走らせる。
▼宇治に着いてみると、厳重な警戒で、まったく中へ入れない。右近づきの女房にあって、右近に取り次ぎを頼むが、右近はめんどくさがって取り合わない。そこで、匂宮は、時方に、侍従に会えと命じて差し向ける。
▼侍従は、ダメです、とにかく、今は警護の者がいてどうにもなりません。もし誰かに気づかれたら、どういうことになるか分かりません。宮様がお迎えにきてくださる日には、なんとかしますから、どうか今日のところは帰ってくださいと言うが、時方は、匂宮様はもう何が何でもという気持ちですから、今日はダメでしたなんて、そんなことはとても言えません。それなら、せめて、あなたが直接宮様にお話しくださいと侍従に頼む。侍従は、「え〜! 無理無理!」って抵抗するけれど、時方は、強引に侍従を外に連れ出す。匂宮は、山の中で待っている。このあたりの描写が素晴らしい。源氏物語にはめったに出てこない情景である。
▼「宮は、御馬にてすこし遠く立ちたまへるに、里びたる声したる犬どもの出で来てののしるもいと恐ろしく、人少なに、いとあやしき御歩(あり)きなれば、すずろならむ者の走り出で来たらむもいかさまにと、さぶらふかぎり心をぞまどはしける。「なほとくとく参りなむ」と言ひ騒がして、この侍従を率(ゐ)て参る。髪、脇より?い越して、様体(やうだい)いとをかしき人なり。馬に乗せむとすれど、さらに聞かねば、衣(きぬ)の裾をとりて、立ち添ひて行く。わが沓(くつ)をはかせて、みづからは、供なる人のあやしきものをはきたり。参りて、かくなんと聞こゆれば、語らひたまふべきやうだになければ、山がつの垣根のおどろ葎(むぐら)の蔭に、障泥(あふり)というものを敷きて下ろしたてまつる。わが御心地にも、あやしきありさまかな、かかる道に損(そこな)はれて、はかばかしくはえあるまじき身なめり、と思しつづくるに、泣きたまふこと限りなし。心弱き人は、まして、いといみじく悲しと見たてまつる。いみじき仇(あた)を鬼につくりたりとも、おろかに見棄つまじき人の御ありさまなり。」
▼【口語訳】宮は、御馬を召したまま、少し離れてお待ちになっていると、鄙びた声の犬が何匹も出てきて吠えたてるのもじつに恐ろしく、供人も少数でひどく身なりをやつしたお忍び歩きだから、やたらな何者かがとび出してきもしたらどうなるかと、お供の者は皆はらはらしているのだった。「もっと早く、急いでまいりましょう」と、時方がうるさくせきたてて、この侍従を宮の御前に連れてまいる。髪を脇の下から前へまわして手で抱えて、姿かたちのまことに美しい女房である。馬に乗せて連れてこようとするけれど、どうしても承知しないので、着物の裾を手に持って、付き添っていく。自分の沓を侍従にはかせて自らは供の者の粗末なものをはいている。宮のおそばにまいって、かくかくと申しあげると、そのままではお言葉をおかけになることすらおできになれないので、山賤の家の垣根の葎の生い茂った陰に障泥(馬の鞍の下に垂らした泥よけの毛皮)というものを敷いて、お下ろし申しあげる。宮ご自身のお気持にも、なんと見苦しい姿よ、こうした恋路につまずいて、これからしっかりとこの世を生きてゆくこともならぬ身なのだろう、とお思い続けになって、とめどなくお泣きになる。気弱な女の侍従はなおさらのことほんとにたまらなく悲しく、そのご様子を拝している。たいへん恐ろしい仇敵を鬼の姿に作ったとしても、その鬼さえおろそかに見捨てがたかろうと思われる宮のご容姿である。
▼馬に乗った匂宮が遠くで待っている。このシーンだけでも、映画的だ。そこへ、田舎くさい犬の吠える声。侍従は、長い髪を脇に抱え、長い裾を時方に持たせて歩いていく。時方は、自分の沓を侍従にはかせ、自分は、家来の粗末な沓をはく。匂宮は、馬の上から侍従に声をかけることもできないので、馬からおろされ、障泥の上に座るのだが、地べたに座ったことなんてないから、その己の姿のみじめさに、思わず泣いてしまう。ほんとに育ちがいいだけの気弱な男なのだ。まして女の侍従はもっと気弱だ。けれども、侍従はきちんと説明をする。
▼匂宮は、ただ一目だけでも会うことはできないのか、と泣きつくのだが、侍従は冷静に事情を話して聞かせ、あなた様がこんな道をおいでくださり誠意を示してくださったからには、私としても、命にかえて浮舟様とのことを取り計らいましょう。(あなたがお迎えにきたときに、なんとしても、浮舟様を引き渡しますということ)ですから、どうか、ここはお引き取りくださいと説得する。
▼匂宮もそれを聞いて、納得せざるをえない。犬はさかんに吠え立てる。警戒のための弓をひき鳴らす音もする。匂宮は、とうとう帰って行くが、その後には、夜露にしめった匂宮の匂いが残ってあたりに漂う。そんななか、侍従は泣きながら、浮舟の元へ帰って行くのだった。
▼夜の闇の中、聴覚と嗅覚が支配する情景である。

 

★『源氏物語』を読む〈348〉2018.3.16
今日は、第51巻「浮舟」(その21・読了)

▼「右近は、言ひ切りつるよし言ひゐたるに、君は、いよいよ思ひ乱るること多くて臥したまへるに、入り来りてありつさま語るに、答(いら)へもせねど、枕のやうやう浮きぬるを、かつはいかに見るらむ、とつつまし。」
▼【口語訳】女君は、右近がはっきりとお断りをした旨を聞かされるにつけても、いよいよ思い乱れるばかりで、横になっておられるところへ侍従が戻ってきて、今までのことを話すので、それに返事はせずにいるけれど、だんだん枕も浮くばかりに涙のあふれてくるのを、一方では、この女房たちがなんと思うことかと、身の縮む思いである。
▼浮舟は、もう匂宮のことしか頭にない。せめて一目でも会いたかったのだ。でも匂宮は帰ってしまった。後は、死ぬことしか残っていない。それで、経を読み、親に先立つ罪の許しを願う。
▼「親もいと恋しく、例は、ことに思い出でぬはらからの醜(みにく)やかなるも恋し。宮の上を思ひ出でくこゆるにも、すべていま一たびゆかしき人多かり。人は、みな、おのおの物染め急ぎ、何やかやと言へど、耳にも入らず、夜となれば、人に見つけられず出でて行くべき方をまうけつつ、寝られぬままに、心地あしく、みな違(たが)ひにたり。明けたてば、川の方を見やりつつ、羊の歩みよりもほどなき心地す。
▼【口語訳】母君のこともじつに恋しく、常日ごろは格別に思い出すこともない弟妹たちのみっともない器量も懐かしくなってくる。宮の上をお思い出し申すにつけても、誰彼となくもう一度会っておきたい人がたくさんいる。女房たちは、みなめいめいに布を染めたりして支度を急ぎ、何やかや言っているが、耳にも入らず、夜になると、誰からも見られぬようにして抜け出していくてだてを思案しては、まんじりともせぬままに、気分もわるく、まるで正常心も失せてしまった。夜が明けはじめると、川のほうに目をやっては、「羊の歩み」(屠所にひかれて行く羊の歩み)よりも死の間近い心地がする。
▼薫も、中の君も、母も、兄弟も、みな浮舟をこの世につなぎ止めることはない。浮舟にとっては、死はすぐそこにある。それにしても、「羊の歩みよりもほどなき心地す」とは、また何という表現だろう。「死」が浮舟を飲み込んでしまったような、暗く、恐ろしい印象を与えるこの表現には戦慄を覚える。
▼母が、縁起の悪い夢を見たので心配だという手紙を寄越す。浮舟は、何にも知らないでそんな手紙を書いてくる母をあわれに思うけれども、それでも決心は揺るがない。
▼山寺から読経の鐘の音が響いてくるのを、浮舟はひとりで聞きながら、横になっている。その浮舟の姿には、すでに「魂」は感じられない。浮舟の「入水」は、直接には語られないが、この姿は、浮舟の「死」そのものなのだ。
▼こうして、「浮舟」の巻は静かに幕を閉じる。



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