「源氏物語」を読む

 

No.50 東屋


【50 東屋】

★『源氏物語』を読む〈312〉2018.2.5
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その1)

▼「筑波山を分け見まほしき御心はありながら、端山(はやま)の繁りまであながちに思ひ入らむも、いと軽々(かろがろ)しうかたはらいたかるべきほどなれば、思し憚りて、御消息(せうそこ)をだにえ伝へさせたまはず、かの尼君のもとよりぞ、母北の方に、のたまひしさまなどたびたびほのめかしおこせど、まめやかに御心とまるべきこととも思はねば、たださまでも尋ね知りたまふらんこととばかりをかしう思ひて、人の御ほどのただ今世にありがたげなるをも、数ならましかばなどぞよろづに思ひける。」
▼【口語訳】大将殿としては、筑波山(筑波山は常陸の国あるからこういう比喩を使っている。)を分け入り、あの常陸前司の娘を手に入れたいお気持はあるものの、そのような端山の繁りにまであまり執着するのも、じっさい世間の聞えも身分をわきまえず軽々しいふるまいと思われそうなので、ご自分からは遠慮なさって、お手紙をさえお取り次がせにならず、ただあの尼君のほうから母北の方のもとに仰せのおもむきなどをたびたびそれとなく言ってよこしたのだったけれど、母君は、殿が本気でご執心なさることとも思われないので、ただどうしてそうまでも娘のことを詮索し、ご存じなのだろうかと、そのことに心ひかれて、殿のお人柄がこの当節ではめったにありそうもないくらいご立派なお方と思われるにつけても、こちらがもしも人並の身分であるのだったら、などとあれこれ思案を重ねているのだった。
▼これが「東屋」の巻の冒頭。
▼やっぱり、話はサクサクとは進まない。薫は、相変わらず世間体を気にして、手紙さえ出すことができない。もともとこういう男だったけど、今は、身分も更にあがり、おまけに妻もいる身だから、ますます思い切った行動ができないのだ。
▼浮舟のほうはどうかというと、本人の問題というよりは、家の問題だ。浮舟の母は、最初から身分を考えて本気にしない。ああ、もっと私たちの身分が高ければ結構な話なんだけど、と思うばかりで、それ以上の進展はないのだ。
▼ここで、浮舟の家の問題が説明される。父常陸介には、実は、先妻の子どもがたくさんいる。そこへ浮舟を連れ子にして後妻に入ったのが、浮舟の母なのだが、こちらにもまた姫君と呼ばせて大事にしている娘や、その他に五、六人も幼い子どもがいる。なんともはや、大変な家族だ。
▼いったい子どもが全部で何人いるのかはっきりとしないが、いずれにしても、常陸介の実子でないのは、浮舟ただひとりなのだ。
▼常陸介は、そんな連れ子の浮舟をぜんぜん可愛がろうとしない。それが母北の方は悔しくてならない。この子が十人並みの器量ならまだしも、こんなに美人なんだし、まして故八の宮の娘なのだから極めて高貴な血筋の人、こんな境遇におくのはもったいない。私の力でなんとかして、家柄のよい男にめあわせたいと思っているのだ。
▼けれども、さすがに薫と聞いては、ひるんでしまう。あまりにも身分違いだからだ。いくら高貴な血筋だとはいっても、今は、受領階級、常陸介の娘にすぎない。
▼とはいえ、常陸介とても、それほど低い家の出ではないのだ。上達部の血筋を引いていて、一族はそれぞれいっぱしの貴族だし、財力も蓄えもあるから、贅沢な暮らしをしている。ただ、田舎暮らしが多かったせいか、どうも、無骨な人で、教養はないし、訛もある。どこか髭黒大将を思わせる男だ。
▼この常陸介は、貴族をきどって、歌合をしたり、娘に琴を習わせたりするけれど、ちっとも分かってないから、北の方は内心ばかにしている。
▼蒔絵や螺鈿の調度を手に入れても、北の方は、いいものを浮舟用にとっておき、ろくでもないものを、夫に「これはいいものよ」なんて言って渡すと、夫はそれを真に受けて、何でもかんでも家具調度を娘たちのためにため込んで、娘がその調度に埋もれて、目だけ見えてる有様だ、なんて滑稽な描写もされている。
▼琴の家庭教師なんかを雇って、娘がちょっとでもうまくなれば、もう喜んじゃって、立っては拝み、座っては拝みの始末で、先生の体が埋まるほどの御礼をして、ちやほやする。娘は調度に埋まるは、先生はご褒美に埋まるは、まったく、たいへんだね。そんな夫を、見苦しいと北の方は見ているのである。
▼こういう無骨で無教養の男を描く紫式部の筆はいつもさえるのが面白い。イジワルな女である。

 

★『源氏物語』を読む〈313〉2018.2.6
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その2)

▼薫がもたもたしているうちに、浮舟のほうに急展開がある。
▼常陸介は、無骨で教養のない人だが、財力はあるものだから、さしあたり金さえあればいいやっていう若い連中が娘をねらって集まってきていた。
▼その中でも、左近少将という男は、年も22、3で、落ち着いた性質、学問もあるという男だが、今風な派手な付き合いもできないために、通っていた女に振られ、今ではこの家に熱心に通ってきていた。
▼母北の方は、いろいろな男が言い寄ってくる中で、この少将はみどころありとみて、この男に浮舟を嫁がせようとひとりで決める。夫はたよりにならないから、私が命のかけても結婚させてみせるとばかり、みんな自分で手配して、取り次ぎの女を介して、結婚式の日取りまで八月ごろと約束してしまった。今風にいえば、婚約である。ずいぶん、勝手な母親だ。
▼少将の方では、八月まで待ちきれず、どうせならもっと早く結婚したい、などと言い出すものだから、北の方は、さすがに自分の一存でことを運ぶのもどうかと思い、この縁談を取り次いだ仲人の女を呼びつけて、相談する。夫には相談しない。
▼実はあの子は、私の連れ子で、父親がいないのです。それで私が一人で世話をしているわけですが、そのことがなにか差し障りにでもなりましょうか。そんなことを聞いて心変わりをなさるのではないかと心配でして、と言ったことを正直に話すと、仲人はそのことを少将に伝える。
▼するとどうだろう。少将は、すっかり機嫌が悪くなり、そんなこと聞いてませんよ、実の父親が違うというのでは、世間体も悪いじゃありませんか。どうしてそんな大事なことを確かめもせずに話を持ち込んだんですと、仲人を責める。
▼常陸介様がとりわけ大事になさっていると聞いて、すっかり実の子だと思い込んでしまったのです。それに北の方様も、大事に育てていらしゃるし、どこか身分の高い方に貰ってもらいたいと言っておりました折も折り、ちょうどそこへあなた様が何とかあの家の婿になりたいとおっしゃるから紹介したんはありませんか。何もあなたにガタガタ言われる筋はありませんよ、とトウトウとまくし立てる。
▼少将もここまで言われると本性丸出しで、そもそもこのレベルの家に出入りすること自体、世間体が悪いのに、まあ、当節ではそうも言ってられないから、この家が経済的にあれこれ世話を焼いてくれれば、それで身分のことは帳消しだと思ってるのにさあ、継子のところに婿入りじゃ、肩身が狭いでしょって、もうプンプン怒ってる。
▼この仲人は、どうもたちのよくない女で、このままではもったいないと思い、そうそう、あなたが、実子をお望みなら、この方の妹に、まだ年少ですけど姫君と呼ばれて大事にされている方がいますよ、そっちになさったら? って言う。
▼わざわざ頼まれてもいない話を持ち出すのは、常陸介に取り入って、ご褒美でも貰おうっていう魂胆なのだろうか。なぜだか、急に、「出しゃばりオヨネに手を引かれ、アイちゃんは太郎の嫁になる」って歌を思い出してしまった。古すぎるか。。
▼さあねえ、最初のを断って鞍替えするなんて、嫌だなあ。でも、オレのもともとの気持ちは、守(常陸介)に頼りになってほしいということだから、別に美人とかそういうの関係ねえんだ。上品で、美人なんて女なら、落ちぶれ貴族のところにいくらでもいるしね。でも、いくら上品で、風流だなんて言っても、金がなくっちゃみじめだものなあ。オレは、人からあれこれ言われても、楽して世間を渡っていきたいんだよ、その辺のところを守に話して、それでもよかろうというなら、その妹をもらってもいいや、なんて言う。
▼身もふたもない、あきれ果てた物言いだが、これが当時の落ちぶれた貴族の本音なのだろう。
▼要するに金だ。あとはどうでもいいってわけだ。

 

★『源氏物語』を読む〈314〉2018.2.7
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その3)

▼このタチの悪い仲人は、浮舟のところに仕えている女房の姉にあたる人で、そんな関係で少将の手紙などを仲介してきたのだが、守(常陸介)は、この女をよく知らない。けれども、この女が、少将のことで話があるといってやってきたので、守は会う。
▼物怖じもせず、ウソ八百をならべて、女は、いかに少将が素晴らしい男か、いかに帝に信頼され可愛がられているかなどのことをまくしたてる。少将は、そのうち四位に昇進し、蔵人にもなるお方だとこれも見えすいたウソを平気で並べる。その少将の真意は、あくまで守の婿になることで、別に娘が幼かろうがそんなことは関係ない。ただ、守の実の子でありさえすればいいのだ。そこへ、あの中将の君(浮舟の母)が、割り込んできて、あなたに内緒で八月に浮舟と結婚させると約束してしまったのですが、少将は、浮舟があなたの実の子でないと知って怒り、あなたの実の子の姫君との結婚を望んでいるのです、と言うのだった。
▼さすがの守も、この女は田舎くさいヤツだなあと思うけれど、少将が自分の婿になることを第一に考えていると聞いて、思わずにんまりする。守も田舎暮らしが長いから、中央の人事などに疎く、女のウソもあっさり信じてしまうのだ。
▼話に乗ってきた守を見て、さらに、女はたたみかけ、あろうことか、浮舟と約束した結婚に日を変更することなく、守の実の子を結婚させることにしてしまった。
▼娘がカワイイには違いないのだろうが、娘の幸せなどまるで考えない、欲得ずくの企みである。
▼仲人の女は、その話を浮舟方にはぜんぜん知らせず、近寄りもしないから、中将の君(浮舟の母)も、浮舟自身も、八月の結婚にむけて準備万端ととのえる。
▼いろいろ豪華な準備をし、浮舟にもきれいな着物を着せると、母親は、こんな美人で血筋のいい娘を少将フゼイに嫁がせるのはもったいないと思い、ふと、ああ、薫だったらよかったのになあと思うものの、一方では、いやいや、あの中の君でさえ、匂宮に嫁ぎ、あんなに苦労しているのだ、薫のところに嫁がせたって、結局同じ目にあうだけだ。だから、少将でいいんだと自分を納得させるのだった。
▼それなのに、結婚式が明日明後日というころになって、突然守がやってきて、オマエはオレに黙ってなにやってんだ、少将は、もともとはオレの姫君と結婚したいと思っていたのに、それを横取りしようなんてけしからん。オマエの娘はたしかに血筋はいいが、少将はそんな血筋より、卑しいオレの娘を望んでいるんだぜ。まったく、こそこそ計画したようだけど、こっちはその日に結婚式だ、なんて、もう言いたい放題にまくしたてる。
▼この夫の考えられないほどの思慮分別のなさに、中将の君は、ただただ呆れ、また悲しくて、涙があふれそうになるのを必死でこらえて、そっとその場を立ち去った。
▼守、少将、仲人の女、といった、俗物たちが織りなすドラマは、リアルで、読み応えがある。下層の貴族の生活や思考のありようが手に取るように分かって面白い。
▼中将の君という女性の生き方も注目される。決して夫のいいなりになるのではなく、自分の意志をはっきり持って、この困難な状況を乗り切っていこうとしている。浮舟への特別の思い入れは過剰ではあるけれど、何とかして浮舟を幸せにしたいという意志は強固だ。そして、夫に対する醒めた目。その目によって、夫のバカさ加減が浮き彫りになる。

 

★『源氏物語』を読む〈315〉2018.2.8
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その4)

▼涙をこらえて娘(浮舟)の部屋にやってくると、娘は可愛らしいようすですわっている。こんなことになったって、この子は誰にもひけをとらないわと思うのだが、やはり悔しくてならないから、乳母と二人、嘆きあう。
▼「『心憂きものは人の心なりけり。おのれは、同じごと思ひあつかふとも、この君のゆかりと思はむ人のためには、命をも譲りつべくとこそ思へ、親なしと聞き侮(あなづ)りて、まだ幼くなりあはぬ人を、さし越えて、かくは言ひなるべしや。かく心憂く、近きあたりに見じ聞かじと思ひぬれど、守のかく面だたしきことの思ひて、承けとり騒ぐめれば、あひあひにたる世の人のありさまを、すべてかかることに口入れじと思ふ。いかで、ここならぬ所にしばしありにしがな。』とうち泣きつつ言ふ。
▼【口語訳】「情けないものは人の心というものでした。わたし自身はこの君のこともあちらの娘のことも分け隔てなく同じように思って世話をしていますが、それにしてもこの君の縁づく人のためならこの命を投げ出しても尽そうと思っていたものを、父なし子と聞いて見下し、まだ年端もいかない小娘に、こちらをさしおいてこんなふうに言い寄る気にもなれるのだろうか。こうも情けないことを身近に見たり聞いたりしたくないと思いますけれど、守があんなふうに面目あることに思い、承諾して大騒ぎするとあっては、どちらもどちら、それが似合いな当節の人たちのやり方なのだから、いっさい今度のことには口出しすまいと思うのです。なんぞしてどこか他所にしばらくの間行っていたいものです。」と泣きの涙で話している。
▼どこまでも冷静な人である。軽んじられ、裏切られた悔しさでいっぱいになりながら、ただ世間体と金のために簡単に嫁を鞍替えする少将と、そんな少将を婿にできるってんで舞い上がって大騒ぎしている夫は、「お似合いだわ」と切り捨てる。あさましいのは人間の心だ。あたしは、もうこんなところにいたくないけど、まあ、黙ってることにするわ、それにしても、どこか温泉でもいってゆっくりしたいわ、っていうこの中将の君は、今のドラマでも使えそうなキャラクターだ。
▼乳母も頭にきている。かえってよかったんじゃないですか、運がよかったんですよ。あんなナサケナイ男に姫様の価値はわかりっこありません。姫様は、もっと素敵な人のところに行かなくちゃ。そうそう、あの薫大将は、ちらっと見ただけでも命が延びるような素敵な方。あちらも姫様に気があるようですから、運命と思って、あちらにしてはどうでしょう?
▼なんてもちかける。中将の君は、まさか、あの方は、それこそすごい方々の申し込みも全部断って、内親王をもらったほどの方なのよ、うちの娘なんかダメよ。まあ、目をかけてくださるにしても、結局、母親(女三の宮)の所の女房にでもして、ときどきお情けをかけてやろうか程度でしょうよ。それはそれで悪くはないけど、結局、中の君と同じような憂き目にあうだけよ、などとやはり冷静な判断をする。
▼「宮の上の、かく幸ひ人と申すなれど、もの思はしげに思したるを見れば、いかにもいかにも、二心(ふたごころ)なからん人のみこそ、めやすく頼もしきことにはあらめ。わが身にても知りにき。故宮の御ありさまは、いと情々(なさけなさけ)しくめでたくをかしくおはせしかど、人数にも思さざりしかば、いかばかりかは心憂くつらかりし。このいと言ふかひなく、情けなく、さまあしき人なれど、ひたおもむきに二心(ふたごころ)なきを見れば、心やすくて年ごろをも過ぐしつるなり。をりふしの心ばへの、かやうに愛敬(あいぎゃう)なく用意なきことこそ憎けれ、嘆かしく恨めしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心にあはぬことをばあきらめつ。」
▼【口語訳】宮の上(中の君)を、世間ではああして果報なお方と申しあげているようですが、何かとお悩みがありげでいらっしゃるのを見ると、どうしてどうして一途に一人の妻を守ってくれるような男だけが、無難でもあるし頼りになるというものでしょう。このわたしの経験からしてもそのことが分りました。故八の宮(中将の君の元夫で浮舟の父)のお人柄と申せば、まことに情けに厚く、ご立派でお美しい方でいらっしゃいましたけれど、このわたしなど人並の者ともお思いくださらなかったのですから、どんなに情けなくつらかったことか。今の夫の守はまったくお話にもならぬ、思いやりのないぶざまな人だけれど、ただ一筋にわたしだけを守ってくれているので、なんの不安もなくこれまでの年月をも過してきているのです。ただなんぞという折の心柄が、今度のことのように憎らしく思いやりのないところがいまいましいけれど、ため息をつかせられたり、愚痴をこぼしたくなったりといったこともなく、お互いに言い争いをしてでも、納得がいかないことに決着をつけてきたのでした。
▼これは、紫式部の「夫婦論」だね。結局、どんなに無骨で教養がなくても、どんなにアホでも、浮気者よりはずっとマシだというのだ。八の宮は高貴な方で教養もあったけれど、「二心」があって、私を苦しめた。今の夫はバカだけど、それでも「二心」がないから私はそっちの方での苦労はなかった。つまらぬ喧嘩もしたけど、それはとことん言い合って解決できたのだ。だから、今の夫のほうがマシだ、というわけだ。
▼「いかにもいかにも、二心なからん人のみこそ、めやすく頼もしきことにはあらめ。」ここには、「いかにもいかにも」「のみ」「こそ」と三つも強調表現を重ねて、力説している。
▼これは、ほんとかもしれないなあ。妻にとって、夫の浮気ほど辛いものはないということだ。バカでもハゲでも醜男でも、浮気しなきゃいいんだ。案外、男は、こういうこと分かってないのかも。

 

★『源氏物語』を読む〈316〉2018.2.9
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その5)

▼守(浮舟の義理の父)は、もう舞い上がってしまって、娘の結婚の準備に大わらわだ。
▼中将の君(浮舟の母)は、浮舟の結婚に備えて、浮舟の部屋を念入りに飾ったのに、そこへ守がどかどかやってきて、そうだ、おまえのところには、きれいな女房もいたな、それをこっちへ貸してくれ、それに、そうだ、せっかく準備してあるんだから、ここをそのまま使おうと言って、やたらと家具調度を運び込む。
▼なんてムチャクチャなヤツなんだ。
▼この守は、とにかく「多い」のが好き。なんでもかんでも、持ち込んで、ゴタゴタ飾りたてるのがいいと思っているらしい。だから、娘は調度に埋まるわ、家庭教師はご褒美に埋まるわ、ってことになるわけだけど、こんどは、娘の部屋を足の踏み場もないほどに飾り立ててしまう。
▼「徒然草」に、「物が多いのは品が悪いものだ」なんてことが書かれていたのを思い出すなあ。この辺を兼好はイメージしていたのだろうか。
▼夫の趣味の悪さに、中将の君はあきれ果てるが、口を挟まないわと言った手前、ただそのばかばかしい夫の行動を黙って見ている。
▼おまえの心根は見たぞ。同じ子どもだから分け隔てなく育てていると思ったのに、こんなにほったらかしにしているとはな、と文句を言いながら、守は娘の身繕いをさせると、娘もそれほみっともないわけではない。年は、15、6で、小っちゃくてふっくらしている。髪も美しいから申し分ないと父は見て、撫でたりさすったり。
▼まあ、なにも、浮舟と婚約していた男をわざわざ貰わなくてもとは思うが、何しろあの少将は、人柄も立派で、引く手あまたというから、うかうかしていると他の家にとられてしまう、そうなったらしゃくだからな、と、仲人のウソ八百をすっかり信じているのもバカみたいだ、と語り手。
▼そんな有様をみて、母も乳母も、つくづく嫌になってしまう。このままここにいて、少将の面倒なんて見させられたらたまったもんじゃないし、かといって、黙って見ていたら、ふてくされているように思われるだけだ。とても、ここにはいられないと思うから、涙ながらに手紙を書く。
▼とてもここにいられない事情がありまして、しばらく居場所を変えたいのですが、行くあてとてありません。どうか、あなたのところに目立たぬようにかくまってもらえないでしょうかと頼んだのだ。
▼中の君は、その手紙を読んで、気の毒には思うけれど、お父様が認めなかった子どもを、生き残った私が勝手に面倒みるというのはどうなのかしら。でも、このままほうっておいて、あの人たちが落ちぶれてしまったら、私だけじゃなくて、もう一人の娘までもが、世間の笑いものになるのもお父様の不名誉となるだろうし、と迷う。中の君は、自分も匂宮と結婚したとはいえ、いつ捨てられるかわかったものではないという不安を抱えているのだ。
▼ここでも中の君の心を去らないのは、父親の名誉だ。親に恥をかかせてはならないと、そればかり考えているのが、いかにもかわいそうだ。それも、結局は父親が自分は帝の子だというプライドを捨てきれなかったためだろう。自分はそれでもよかったかもしれないが、子どもにはいい迷惑だよね。
▼中の君は、昔からの女房の大輔(たいふ)に相談する。大輔は、何か深いわけがあるのでしょう。断っちゃいけません。昔から、身分の低い女に生まれた異母姉妹がいるなんていう話はよくあることなのですよ。それにしても、お父様は、罪なことをなさったものです、と中の君を説得して、浮舟親子を、二条院に引き取ることを中将の君に伝える。
▼母は嬉しく思って、こっそりと浮舟をつれて家を出る。浮舟も、もともと中の君に親しみを感じていたので、かえって今度のことはよかったわと思うのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈317〉2018.2.10
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その6)

▼守は、少将を歓待しようと、ただもう金を使って量ばかり多い贈り物をする。下々の者はそれでも、嬉しがっておしいただいているが、少将までもが、ああ、オレはなかなかいい所に婿に入ったものだと満足している始末なので、中将の君もほんとにゲンナリしてしまって、それで中の君に手紙を書いて、そちらにしばらく置いてくれないかと頼んだのだった。
▼その願いがなかい、中将の君は、浮舟と、若い女房2、3人を連れて、中の君の住む二条院へと赴く。
▼表向きは「物忌」ということで、滞在するので、誰も訪ねてくるものもない。それで、中将の君は、中の君の生活ぶりをじっくり観察することができた。
▼匂宮がやってくる。その姿を中将の君は、物陰から眺めるという形で、匂宮の様子が描かれる。珍しい女の垣間見だ。
▼中将の君は、中の君のことを思うとき、高貴な方のところにお嫁に行って羨ましいとは思うものの、結局は本妻さんの陰で辛い思いをしているのだろうから中の君は幸せではないはずだと思ってきた。
▼人をうらやむときのよくあるパターンだよね。飛鳥Uなんかにのって世界一周の旅に出かける高齢者夫婦などを横浜の大桟橋で見送りながら、まあ、贅沢な話だけど、毎日窮屈なドレスコードに縛られての夕食なんか嫌だよなあ、それに、どうせどこかで夫婦喧嘩でもするに違いない、やっぱり、家にいて、コタツに入ってテレビ見ているほうが幸せだなんて思って、我が身を慰めるのと同じだ。
▼ところが、実際にこうして匂宮の姿を目の当たりにすると、これはもう何ともいえない上品さ美しさで、自分の亭主なんてまるでお話にならない。こんな美しい人と一緒になれるなら、織り姫みたいに年に一度しか会えなくたってかまいはしない。こっちのほうがずっといい、って中将の君は思うのだ。お母さんの方が、すっかり匂宮に参ってしまったというわけ。
▼私は、今までずいぶん贅沢な暮らしをしてきたつもりでいたけれど、所詮あれは受領階級の贅沢にすぎなかったのだ。こちらの生活に比べればみじめったらしい「贅沢」だったんだわ、と思う。
▼イトーヨーカドーで、上等のお肉をかって贅沢な気分で食べて満足していたのに、たまたま友達にお呼ばれしたら、そごうで買ってきたという上等なお肉をご馳走になって、ああ、こんなに違うんだと目が覚めるようなものである。
▼格差、格差、格差! この時、中将の君は、まさに目が覚める。私の娘浮舟だって、八の宮の血を引くんだ。生半可なところで妥協しちゃダメなんだわ。理想はあくまで高くもたなきゃって思って、興奮してその夜は眠れなかった。
▼冷静に世の中を見てきた中将の君だが、ここで価値観が変わる。コタツに入ってテレビ見てるほうが幸せだという価値観から、やっぱり飛鳥Uで世界一周のほうが楽しいでしょ、っていう価値観への転換だ。
▼この母親の意志に、浮舟は引きずられていくというストーリーなのだろうか。昔読んだのに、その辺、まったく覚えていないので楽しみだ。

 

★『源氏物語』を読む〈318〉2018.2.11
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その7)

▼翌朝も、中将の君は匂宮の素晴らしさにうっとり見入るばかり。御簾の中にいる女には外の様子がよく見えるのだ。
▼明石の中宮の具合が悪いらしいとのことで、匂宮は宮中へ参内する用意をしている。すると、一人の男が中将の君の目にとまる。「きよげだちて、なでふことなき人のすさまじき顔したる、直衣着て太刀佩(は)きたるあり。」(めかしこで、どこといって取り柄もなく、おもしろみのない顔だちをして、直衣をきて太刀を帯びている男がいる。)
▼この男のことを、中将の君が側にいるとも気付かず、口さがない女房たちがしきりに噂している。あれがさあ、あの常陸守のお婿さんになった少将よ。初めは浮舟姫様にと決めてたのに、なんと、実の娘のほうがいい、その娘をもらって守に大事にされたいなんて言って、あのやせっぽちの姫様をもらったのよ、と容赦ない。
▼そんな女房たちの噂を聞くにつけ、なるほど、ありゃだめだ。あんな男がいいなんて思った私がバカだった、と思って、ますます少将を軽蔑するようになるのだった。
▼中将の君は、中の君の前に出て、お世辞をたらたら言うので、中の君は、ああ田舎くさい人だなあと思いつつもニッコリと笑う。
▼中将の君は、中の君に、嘆く。お母様が亡くなったときは、まだほんとに幼くていらっしゃったあなたが、今はこうして立派におなりなったのはほんとにめでたいことだけれど、お姉様のことはほんとうに残念でございました、といって泣くと、中の君も泣きながら、両親が亡くなったころは、世間によくあることと諦めもついたのですが、お姉様のことはいつまでも辛いです。それに、大将殿(薫)が、いつまでもお姉様のことを忘れずにお気持ちを私に訴えるのが辛くてなりません、と言う。
▼中将の君は、まあ、大将殿は、あんなに帝が大切になさっているのですから、さぞ得意なことでしょう。もし、お姉様が生きていらしたら、それでも、帝の姫様をおもらいになったでしょうか、というと、中の君は、さあどうなんでしょうね、といいながら、薫が今でも心変わりすることなく大君を慕い、父の菩提まで弔っていることを重ねて語る。
▼中将の君は、薫が、浮舟の世話をしようと申し出ているそうですけれど、それは簡単にのってしまっていい話でもないと思っております。けれど、そのお気持ちはしみじみ嬉しいと言いながら、どうか浮舟の今後の身の振り方を考えて欲しいと訴える。
▼中の君は、浮舟をなんとか世話したいと思う。浮舟は、品がよくて可憐だし、何よりも大君によく似ている。やはり、何とかして、薫に見せたいものだと思う。
▼ちょうどそこへ薫がやってきた。中将の君は、いくら薫が世間の評判がよくたって、匂宮にはとても及ぶまいというと、他の女房たちは、さあ、どちらがとは決められませんよという。ほんとかしらと覗いてみると、これがびっくり、とんでもなくいい男だ。思わず中将の君は、額髪を直してしまうほど。
▼この中将の君は、「ねびたるさまなれど、よしなからぬさましてきよげなり。いたく肥え過ぎにたるなむ常陸殿とは見えける。」(だいぶ年配の人に見えるけれども、嗜みがなくはない様子でいかにもこぎれいにしている。ひどく太りすぎているところだけが、いかにも常陸殿といった風情なのであった。)
▼まあまあなんだけど、太りすぎがちょっと田舎くさいといった感じの人。その人が、薫の姿をみて、きゃっ、見られたらどうしようって思って、おもわず額の髪を直すなんて、なかなか筆が冴えてる。こういうディテールって大事だよね。

 

★『源氏物語』を読む〈319〉2018.2.12
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その8)

▼やってきた薫は、中の君に、いつものように、亡き大君をしのび、大君が死んでしまった今は世の中がつまらないなどといって嘆く。そんな薫の話を聞いて、中の君はこんなふうに思う。
▼「さしも、いかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ、なほ浅からず言ひそめてしことの筋なれば、なごりなからじとにや、など見なしたまへど、人の御気色はしるきものなれば、見もてゆくままに、あはれなる御心ざまを、岩木ならねば思ほし知る。」
▼【口語訳】女君(中の君)は、「そんなにまで深く、どうしていつまでも(姉上のことが)忘れられないでいられようか。これはやはり、最初深く思っているように言い出したことなので、すっかり忘れてしまったと思われたくないということなのだろうか。」などと考えてごらんになるけれども、人の気持ちははっきりとご様子に出るものだから、ご様子を見ているうちに、ご自分(中の君)とて無情の岩木ではないのだから、そのしみじみと胸を打つ(薫の)真情がよくお分りになる。
▼この訳は、「集成」の注によったが、「全集」の全訳(いつもはこちらによっています)よりずっと優れていると思う。「全集」の方では、【女君は、『そのようにどうしていつまでも姉上のことばかり思いつめておられるのだろうか。やはり最初から本気になって思いよられた筋なので、亡き後も忘れてしまいたくないとのお気持なのだろうか』などと考えてごらんになるけれども、その御面持がはっきりしていらっしゃるので、ご様子を見ているうちに、ご自分とて無情の岩木ではないのだから、そのしみじみとしたお心柄がよくお分りになる。】となっている。
▼「いかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ」を「集成」でははっきりと反語として訳しているが、「全集」はあいまいで、疑問っぽい。また、「なごりなからじとにや」を「集成」では、「すっかり忘れてしまったと私(中の君)に思われたくないのだろうか」としているのに対して、「全集」では、「亡き後も忘れてしまいたくないとのお気持なのだろうか」としていて、まったく異なる。「全集」の訳では何のことやら分からない。
▼ここは、断然「集成」の訳をとりたい。そうとってこそ、中の君が薫の「真情」を捉えかねているさまがよく分かろうというものだ。
▼こうした古典を原文で読むことのメリットは、いろいろな解釈を参考にしながら、自分なりの読みができるということだ。口語訳だけで読むことのデメリットは、言うまでもなく、訳者の解釈に従うしかないということ。だいたいは、それでもかまわないのだが、こういう細部になると、やはり原文を読むにこしたことはないわけである。
▼さて、「集成」の解釈によれば、中の君が、薫がいつまでも大君のことばっかり嘆いていることが、なんか本心じゃないんじゃないかと思ったことになる。
▼そんなわけないわよねえ。きっとあの人、引っ込みがつかなくなってるんだわ、そう思って、中の君は薫をじっと観察するのだ。しかし、薫が何を言おうと、「真情」は「気色」に出る。つまり、顔に出るわけだ。薫の顔をみていると、中の君の疑いも自然と消え、しみじみと薫の気持ちが染み込んでくる。
▼じっと薫の様子を見ていると、その「言葉」からではなくて、その態度や表情から、「心」が分かる、というところが大事なところだね。
▼それで中の君は、薫の辛い気持ちの慰めにもなろうということで、浮舟が来ていることをちらっと一言伝えたのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈320〉2018.2.13
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その9)

▼「恨みきこえたまふことも多かれば、いとわりなくうち嘆きて、かかる御心をやむる禊(みそぎ)をせさせたてまつらまほしく思すにやあらん、かの人形(ひとがた)のたまひ出でて、『いと忍びてこのわたりになん』とほのめかしきこえたまふを、かれもなべての心地はせずゆかしくなりにたれど、うちつけにふと移らむ心地、はた、せず。」
▼【口語訳】大将がしきりに恨み言をおっしゃるので、女君はまったくどうしてあげようもなく嘆息をもらされて、こうしたお心をやめさせる禊をしてさしあげたくお思いになるからだろうか、あの人形のことをお言い出しになって、「ごく内々に、その妹がこの邸に来ております」と、ちらと申しあげられるのを、大将もいいかげんな心地では聞き流されず、逢ってみたくお思いになるけれど、いきなり急に心を移す気にはやはりなれるものではない。
▼ここで「禊(みそぎ)」という語が出てくるのは、「人形(ひとがた)」との関係である。薫は、大君を恋しく思うあまり、宇治に御堂を作り、そこに大君に似せたて作った人形(ひとがた)を備えて彼女の後世を弔いたいと中の君に言ったことがあった。(「宿木」)「禊」というのは、清らかな水に入ってけがれを祓い清めることだが、その祓いの後、水に人形を流す習慣があったので、「禊」と「人形」は「縁語」となるわけである。この禊を「恋着を絶つ」ことになぞらえて、「人形」も、その恋を絶つ手段というふうに意味がつながっているのである。
▼つまり、中の君は、嘆きやまない薫を気の毒に思って、その大君への恋着を絶つには、浮舟がいいと思ったわけだ。浮舟は、大君の「人形」だからだ。
▼中の君は、浮舟が、実はお忍びで来ているのですよと、薫に伝えるのだが、薫はそれを聞いて、もちろん興味をひかれるが、いますぐにそちらに気持ちを移すことはできない。薫らしい反応である。
▼薫は、大君から、私は無理ですから、妹を私と思ってかわいがってくださいと言われたときも、簡単には心を移すことはできなかった。それは、薫の不器用さなのかもしれないし、また、そんな簡単に気持ちが変わる男だと思われたくないという見栄だったのかもしれない。
▼それは、なにも薫に限ったことではなく、「急に気が変わる」ことは、好ましくない態度なのかもしれない。「君子は豹変す」というけれど、君子ならざる凡人は、「豹変」はかっこ悪いと思うのだろう。
▼薫はなんやかやと中の君と語らい、結局は、どうか浮舟とのことをよろしく頼むと言って帰って行く。
▼そんな薫の様子を見ていた中将の君は、薫にすっかりぞっこんになってしまい、「天の川を渡りても、かかる彦星の光をこそ待ちつけさせめ。」(天の川を渡って年に一度の訪れでも、こうした彦星の光を待ち迎えさせるようにしてやりたいものよ。)と思う。
▼私は今まで、田舎もんばっかり見てきたものだから、あの少将なんかをたいした男だと思ってしまったのが悔しい。あの薫とかいう方のなんて素晴らしいこと! といって褒めちぎると、女房たちも口をそろえて薫をほめる。そんな話を聞きながら、中将の君はニコニコ笑って上機嫌だ。
▼中の君は、中将の君に、薫の依頼をそれとなく伝える。あの方はいったん思い込んだら執念深いんです、あの方には今は奥方がいらっしゃるので、嫌な思いもするかもしれませんけど、あなたは、娘を尼にしたいとすらおっしゃっていたのですから、その気になれば、そんな辛さは何でもないじゃありませんか。運だめしをしてごらんなさい、と、これはまたズバリと言ったものである。
▼中将の君は、それはそうかもしれませんけど、あの子に辛い目を合わせたくないばっかりに、尼にしようと思ったのですよ。それは、あの素晴らしい薫さまなら、たとえ結婚なんてできなくても、そのお側に下女としておいていただけるだけでも幸せとというものですけれど、やっぱり、身分が高かろうと低かろうと、女というものは、二心ある男にはいつも辛い目にあわされるものですから、やっぱり娘はかわいそうに思うのです。といっても、それもこれも、あなたに全部お任せします。どうか、見捨てないであの子をよろしくお願いします、と懇願する。
▼中の君は、その言葉を聞いて、責任の重さを感じて、なんだかめんどうだなあと思う。
▼まあ、あの方は、今までは誠実なお方で、私も信頼してきたのですが、これからのことは分かりませんからねえ、とため息ついて、黙ってしまった。
▼この中の君に反応もとても素直で面白い。そもそも中将の君の気持ちが揺れている。果たして薫と付き合うことが娘の幸せになるかどうか分からない。自分の経験からすれば、たぶん、娘は辛い思いをするだろう。でも、そうかといって、少将のようなしょうもない男は娘にはふさわしくない。もっと高い所を狙えるはずだ。そんな打算も大いに働く。
▼身分は高くても、女性問題を起こしそうな男か、しょうもない身分でも女性問題はおこしそうもない男か、の二者択一。彼女自身は、後者でよかったと思ってきたのだが、やっぱり、薫みたいな男を目の当たりにすると、気持ちも揺らぐ。
▼揺らぐ気持ちに決着をつけずに、あとは中の君に丸投げでは、そりゃあ、中の君も、そんなこと言われてもなあ、めんどくさいなあって思うよね。

 

★『源氏物語』を読む〈321〉2018.2.14
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その10)

▼中将の君は、娘のことをくれぐれもよろしく頼むといって、夜明け前に、浮舟をおいて帰っていく。
▼浮舟は、ひとりで取り残されるのは寂しくて不安だが、中の君の側にすこしでもいられるのが嬉しいとも思う。浮舟って結構柔軟なところがある。
▼中将の君が、二条院を出ようとしたそのとき、匂宮が帰ってきて、中将の君の車をみて、不審に思う。薫なのではないかと思ったのだ。こういうことに関しては、恐ろしいまでに勘が働く匂宮である。この「恐ろしいまでに」は、原文では「むくつけし」である。ここでは、「(行動などが常識を越えていて)薄気味悪いほど恐ろしい。」(全文全訳古語辞典)の意。あんまり鋭いのも、確かに気味が悪いよね。
▼匂宮が、あれは誰の車かと見とがめると、中将の君の家来が「常陸殿のまかでさせたまふ」(常陸殿が退出なさるのです。)と答える。それを聞いた匂宮の若い家来が、「ふん、常陸殿なんて、よくいうよ」と馬鹿にして笑う。「殿」づけが笑えるというのだ。それを聞いた中将の君は、ああ、こんな連中にもバカにされるなんて情けないことだ、何としても、浮舟はいいかげんな男の嫁にはすまい、と悔しがるのだった。こうしてちょっとした家来たちの会話にも傷つく中将の君の描き方はうまい。
▼匂宮は中に入って、常陸殿とかいう方が来ていたのかい? こんな朝に、人目を忍ぶといった風情だったけど? と言うと、中の君は、宇治のころの女房大輔(たいふ)の「ともだち」だと取り繕う。ここに「ともだち」という言葉が出てくるのも面白い。意外と古い言葉なのね。
▼匂宮は、ふ〜んとかいった感じで寝てしまい、翌日は宮廷に行き、またその夜帰ってくる。
▼匂宮が帰ってきたとき、ちょうど、中の君は髪を洗っているところだった。髪を洗う(御ゆする)のは、当時は、ちゃんと陰陽道によって行ったらしく、そうそういつも洗っていたわけではない。今でいうと、美容院に行く感覚かもしれない。あんな長い髪をめったに洗わないなんて、さぞかゆかったことだろう。
▼髪を洗っている最中では、匂宮といえども会うことはできない。それで、匂宮は、あちこちぶらぶらしていると、見慣れない女童がちょろちょろしているのが目に入った。あれ? 新参の女房でもきているのかなと思って、襖のちょっとあいた所から覗いてみた。とにかく、女となれば、近づいていく匂宮だ。まるで磁石だ。
▼さあ、また「覗き」のシーンだ。前にも言ったとおり、源氏物語では「覗き」のシーンは、大事なシーンである。ここで「見えた」ことが、この後の物語の展開に大きな意味を持ってくるのだ。ここもまさにそういう大事なシーンで、このとき、匂宮の目に入ってきたのは、浮舟の姿だった。
▼「中のほどなる障子(さうじ)の細目に開きたるより見たまへば、障子のあなたに、一尺ばかりひき離(さ)けて屏風立てたり、そのつまに、几帳、簾に添へて立てたり。帷子(かたびら)一重をうち懸けて、紫苑色(しをんいろ)のはなやかなるに、女郎花(をみなへし)の織物と見ゆる重なりて、袖口さし出でたり。屏風の一枚畳まれたるより、心にもあらで見ゆるなめり。今参りの口惜しからぬなめりと思して、この廂(ひさし)に通ふ障子をいとみそかに押し開けたまひて、やをら歩み寄りたまふも人知らず、こなたの廊の中の壺前栽のいとをかしう色々に咲き乱れたるに、遣水(やりみず)のわたりの石高きほどをかしければ、端近く添ひ臥してながむるなりけり。」
▼【口語訳】中仕切りになっている襖が細めに開いている隙からごらんになると、襖の向こうに、一尺ばかり離して屏風を立ててあって、その端に、簾に添えて几帳を立ててある。その几帳に帷子一枚がかけてあって、紫苑色のはなやかな袿に女郎花の織物と見えるのを着重ねたその袖口をのぞかせている。屏風の端の一折れたたんである所から、当人は見せるつもりではなく見えるようになっているらしい。宮は、新参の、捨てたものではない女房なのだろうとお思いになり、この廂に通ずる襖をそっとお押し開けになって、静かに歩み寄っておいでになるけれど、その女人はそれと気づかず、そちらの廊に囲まれた壺前栽がじつに美しく色さまざまに咲き乱れているうえに、遣水のあたりの高い石組の風情がまことにおもしろいので、端近く物に寄りかかって眺めているのだった。
▼これが浮舟。襖だの几帳だのと迷路のようにたて巡らせているわりには、「見えてしまう」というのも、おもしろい。見えてしまったら最後、匂宮は、とにかくその女のいるところに入っていく。襖や几帳なら、その気さえあれば、わけもなく開けることができる。
▼誰かが入ってくるのを、浮舟はまさか匂宮だと思わないから、それでも扇で顔を隠してふと見上げると、男だ。驚く間もなく、匂宮は、浮舟の衣の袖を捉えて、君は誰? と、匂宮は言い寄る。匂宮にとっては、この目の前の女が誰であるか、まったく見当がつかない。
▼浮舟の方では、途方に暮れながらも、これが、あの私に気があるという薫様なのだろうかと思い惑う。そこへ異変を感じた乳母がかけつける。いったい何やってるんですか、お放しなさい、と言っても、そんなことを聞く匂宮ではない。浮舟の袖を捉えたまま、誰だか分かんないうちは、この離さないからね、といって、ずうずうしくそこに横になってしまう男をみて、あ、これは匂宮だと気付いた乳母は、もう途方に暮れるばかりだった。
▼女とみれば、とりあえず口説くといった匂宮の無軌道な好色ぶりが際立つ。しかも、ここは中の君と共に住んでいる二条院だ。これには乳母ならずとも呆れるよね。

 

★『源氏物語』を読む〈322〉2018.2.15
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その11)

▼乳母はなんとか浮舟を救いたいと思うのだが、いかんともしがたい。
▼そこへ、右近という中の君付きの女房がやってきた。中の君が髪を洗い終わったので、そろそろこちらにやってきますよと知らせに来たのだった。
▼部屋の中は灯籠の光だけなので、暗くてよく分からない。ああ、暗いわ、明かりもまだつけていないのね、なんて言って格子をあげている。これはやばいと匂宮も思うのだが、乳母はものおじしない人なので、右近に急を告げる。
▼いま、とんでもないことになっておりまして、身動きとれません! 困ってます! と訴える。右近は、どうしたんですか? っといって暗がりに目を凝らすと、男の姿が見える。例によって、香ばしいかおりをプンプンさせて、浮舟の側に寄り臥しているから、ああ、また悪いクセがでたとすぐに分かるから、今、奥様に言いつけてきますと言って去って行く。
▼こんなに見苦しい状況なのに、匂宮は、ぜんぜん動じないばかりか、右近の話かたからすると、この女は並の女房じゃないな、なんて思って、なおも、浮舟に、君はいったい誰なの? ねえねえ、って言い寄る始末。
▼浮舟は、表面上は、嫌がっているそぶりも見せないけれど、もう死ぬほど辛そうなのが分かるから、匂宮は一生懸命ご機嫌をとったりしている。
▼右近が中の君に報告すると、中の君は、ほんとに情けないことねえ、お母様からくれぐれもよろしくと頼まれたばかりなのにねえ、と困惑するばかり。あの人は、ちょっとでもカワイイ女房がいれば、すぐに手を出すんだから。匂宮になんと言えばいいんだろう。それにしても、どうして、浮舟を見つけたんだろう、とただ呆然。
▼今日は、宮中に上達部も多くやってくる日なので、こんな日は、匂宮様も遅くかえっていらっしゃるので、つい油断したのです、と右近は言い訳する。それにしても、どうしましょう。乳母って方は、気が強くて、ぴったりと側にいて、今にも、匂宮様を力ずくで引き剥がしそうな剣幕でしたよ、なんて言っているところへ、宮中から使いがやってきて、明石中宮の具合が悪いとのこと。
▼これはラッキー。右近は、おあいにくのお母様のご病気ですこと、って皮肉をいうと、もうひとりの女房の少将というのが、でも、いまからじゃ手遅れよ、あんまり匂宮様をおどかしちゃかわいそうなんていう。右近は、「いな、まだしかるべし。」(いや、まだやっていないわ。)って、もう、この人たちっていうのは、ホントに露骨だなあ。
▼右近は匂宮のところに言って、宮中からの使者の言葉より大げさに中宮の容態を伝えるものだから、匂宮も、後ろ髪ひかれる思いで浮舟の側を離れた。

 

★『源氏物語』を読む〈323〉2018.2.17
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その12)

▼すんでのところで危機を脱した浮舟は、もう汗びっしょり。乳母は、扇で、浮舟をあおぎながら興奮してしゃべりまくる。
▼ほんとに、こんなところにいてはろくなことはありません。他の方ならともかく、あの匂宮様だけはダメだと思いましたから、お不動様みたいな怖い顔をして睨んでいたのですけど、あの方は、なんという下品な女だと思ったらしく、私の手をぎゅっと抓ったんですよ。まったく下々の人間の色恋沙汰みたいで、おかしかったわ。その上、あちらのお邸(浮舟の父母の邸)では、お父様とお母様が大げんかだったとか。なんで、婿殿が来る日に、ちっとも帰ってこなかったのかと、そりゃもう大騒ぎ。まったくあの少将はいけ好かない人ですよ。あの方との結婚さえなければ、多少のもめ事はあっても、そこそこ平穏に暮らせていたのですけどねえ、なんて、泣きながら語る。
▼浮舟は、あまりに思いがけない出来事に、ものを考える余裕もない。ただただ、泣き伏している。
▼乳母は更に続ける。
▼心配することはありません。母親のない人こそ悲しいのです。世間から見れば、男親のない人が見劣りするのでしょうが、イジワルな継母に虐められるよりよっぽどマシですよ。あなた様は、お母様がいらっしゃるのですから、きっと幸せにしてもらえます。度々お参りしている長谷観音がきっと守ってくださいますよ。なんの心配もいりません、と浮舟を励ますのだった。
▼この気の強い乳母も、生き生きと描かれている。「お不動様のような怖い顔」と訳したのは、「降魔(がま)の相」という語。釈迦八相の一つ。仏が菩提樹の下で悪魔を降伏(こうぶく)する際の忿怒(ふんぬ)の相。また、不動明王などが悪魔を降伏する際の忿怒の相ともいう。
▼そんな怖い顔をして、浮舟に抱きついて離さない匂宮のそばにピタッと座っていたのだから、匂宮もびっくりしたのだろう。それにしても、その対抗策が「つねる」というのは笑える。それが貴族の暴力の限界なのだろうか。そういえば、源氏物語では、男の暴力はまず描かれない。これが平家物語となると、暴力ばかりだもんねえ。平家物語も美しいけど、やっぱり源氏物語のほうが好きなのは、このせいなのかもしれない。
▼久しぶりに「全集」の注を引用しておく。
▼「乳母の言動には、異父妹に許婚者を奪われ、今また異母姉の夫に言い寄られて身の置き所もない浮舟に寄り添い、いささかもひるまぬ気強さがある。このはかない女主人の身の上なればこそかえってそう構えねばならぬともいえるが、主人とともに生きてきた長年のつらい境遇で鍛えられてきた神経の太さでもあろう。東国的な野生とも読み取れる。」

 

★『源氏物語』を読む〈324〉2018.2.18
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その13)

▼右近からの報告で、匂宮が浮舟のところへ行ったことを知った中の君は、嫉妬するどころか、浮舟を気の毒に思う。
▼匂宮のことは知らないふりをして、洗い髪が乾かないのでまだ起きていますから、こちらへいらっしゃい、と浮舟を誘う。浮舟はとても行く気になどなれないから、気分が悪いのでとても行けませんと乳母に伝言させるのだが、中の君は、どうしたの? って更に聞いてくる。どこかどうというわけでもないんですけど、ただただ苦しいのですと、浮舟は伝言する。
▼その伝言を聞いた右近と少将(いずれも、中の君の女房)は、やっぱり、出てこれないわよねえなどとささやきあっているのが耳に入るので、中の君は、ますます、ああ、こんな女房たちにまで知られてしまってかわいそうにと浮舟に同情する。
▼まったく、あの淫乱男(「乱りがはしくおはする人」【全集訳】みだらでいらっしゃる人、【集成訳】しまりがなくていらっしゃる方)ときたら、ありもしないこと(薫とのこと)には難癖つけてああだこうだ聞くに堪えないような文句をいうし、そうかと思うと、自分がいい加減なものだから、多少のことは大目に見てしまうという大ざっぱな男だけれど、薫のほうは、そうじゃなくてマジメ一方だから、今晩のことが知れたら、浮舟のことをなんと軽薄な女だと思うだろう。それもこれも、浮舟の身分が低いから、匂宮にもこんな軽い扱いを受けるのだ、私もいろいろ大変だけど、この妹に比べれば果報者なんだ、などと思うのだった。
▼右近も少将も、浮舟と匂宮が関係を持ったと確信しているわけではないけれど、どうしたって、何かあったと邪推するだろう。実際のところはよく分からなくても、「状況証拠」で世間が判断するのは、昔も今も同じことだ。だからこそ、浮舟は、絶対に匂宮を近づけてはならなかったのだ。ガードするしっかりした女房のいない悲しさである。乳母がどんな迫力で睨んでも、匂宮を追い払うことはできなかったのだ。
▼中の君が思いにふけるシーン。
▼「いと多かる御髪(みぐし)なれば、とみにもえほしやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣(おんぞ)一襲(ひとかさね)ばかりにておはする。細やかにをかしげなり。」
▼【口語訳】ほんとに豊かな御髪であるから、すぐにはとても乾かしきることもできずに、起きていらっしゃるのもつらいお気持である。白い御衣一襲ぐらいを召しておいでになるお姿は、ほっそりといかにもお美しく見える。
▼あの長い髪は、いったん洗うとなかなか乾かない。ドライヤーもないわけだから、うっとおしいよね。洗わなくてもうっとうしいし、洗ってもうっとうしい。こんな悩みがあったわけだ。髪がないのも悩みのタネだけど、長すぎる悩みもあるのね。
▼洗い髪に濡れないように、上着も着ないでいる中の君のほっそりとした姿は、とても魅力的だ。
▼浮舟は、気分が悪くて中の君の部屋に行こうとしないが、乳母は、そんなことでは、何かあったと思われてしまうではないですか。何にもなかったように構えて、中の君にお会いなさい、事情は私から、右近の君などに話しておきますから、と、あくまでアグレッシブ。
▼乳母はすぐに、中の君の方へ行って、「右近の君にもの聞こえさせむ。」(「右近の君にものを申しとうございます」)と言う。
▼とても変なことがございまして、姫様は、熱など出して苦しんでいらっしゃいます。何の間違いも犯してはいないのに、なんだかもうクヨクヨなさっていらして、世慣れぬ方ゆえそれもほんとうにおいたわしいのです。どうぞ、慰めてやってくださいませ、と懸命に訴え、浮舟を中の君に無理やり会わせる。
▼そのときの浮舟の描写。
▼「われにもあらず、人の思ふらむことも恥づかしけれど、いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて、押し出でられてゐたまへり。額髪などのいたう濡れたるをもて隠して、灯(ひ)の方に背きたまへるさま、上をたぐひなく見たてまつるに、け劣るとも見えず、あてにをかし。」
▼【口語訳】姫君は人心地もなく、誰がどう思っているか気がひけてならないけれど、もともとじつに素直でおおらかすぎるくらいのお方なので、乳母に押し出されて御前にすわっていらっしゃる。額髪などが涙でひどく濡れているのを見られないように灯火を背にしていらっしゃる姿は、姉上をまたとないお方と拝する女房たちの目にも遜色なく、気品高く美しく見える。
▼こんなにキレイな人に匂宮が心をとめたら、もう大変だと、女房たちは心配するけれど、中の君は、浮舟に物語絵などを見せて、やさしく慰めるのだった。
▼「おほどか」というのは「おっとりしている。おおらかだ。」の意味で、女性については褒め言葉だが、ここでは「おおどき過ぎたまへる」となっていて、必ずしも美質とは限らないことが伺える。
▼それにしても、この子は、大君にそっくりだ。きっとこの子は、お父様に似ているのだ。お姉様はお父様に似ていて、私はお母様に似ていると、昔からいわれてきたけれど、似ている人というのは、ほんとに懐かしいわ。これならきっと薫様も気に入るはずだ、そう中の君は思うのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈325〉2018.2.19
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その14)

▼中の君は、浮舟を側に臥させて、亡き父のことなどを話して一夜をあかす。その様子を見ている女房たちは、いったい昨晩の一件はどうだったのだろう。匂宮と浮舟は、どこまで行ったのだろう。あんなにかわいい姿だけど、匂宮のお手つきとなってしまったのなら、もうダメね、お気の毒だ、と若い女房が言えば、右近は、そうでもないわよ、あの乳母が私を?まえて泣きながら訴えていたけれど、どうもそこまで行ってないみたいですよ。匂宮も、逢っても逢えなかったなあみたいな歌を口ずさんでいたし。あ、でも、それもわざとそんな歌にしたのかもしれないしねえ。でも、昨夜のあのおっとりした様子じゃ、何かあったとも思えないのよねえ、みたいなことを言って、ひそひそ話している。
▼乳母は常陸殿に帰って、母君(中将の君)に事の次第を告げる。母は、もうびっくりしてしまって、取るものも取りあえず、二条院にやってくる。
▼いつまでも子どもじみた娘をお預けして、これで一安心と思っていましたのに、こうやってまた押しかけるなんて、イタチになったような気が致します。
▼この「イタチ」というのは、狐と同様に疑い深い動物なのだそうだ。それで、こんなことを言うわけで、源氏物語では珍しい表現。たぶん、ここだけだろう。
▼中の君は、ちっともあわてず、あの子はそんなに子どもじみてはいませんよ、それより心配そうなあなたの顔のほうが気になります、と言う。
▼その中の君の顔を見ると、娘のことをどう思っているだろうと思うだけで気が引ける母は、とても、昨晩のことを聞くことができない。
▼ここに置いていただけるのは、長い間の念願が叶ったような気が致しまして、とても嬉しいのですが、やはり分に過ぎたことで、遠慮しなくてはなりません。やはり、私どもは出家して深い山に住むことが変わらぬ本願でしたと泣く。乳母から「何にもなかった」と聞いてはいるが、ここに置いておくのは、危険すぎると判断したわけである。匂宮のほんとのお手つきとなってしまったら、もう、なにもかもおしまいだなのだ。
▼中の君は、重ねて、心配ない、私がちゃんと面倒みますからと言うけれど、母は納得せずに、浮舟を連れて二条院を出ていってしまう。中の君もそれをとめることはできない。中の君の言うことにも説得力がないものね。匂宮の侵入を防げなかったわけだし、浮舟を危機から救ったのは乳母だったのだから。母は、絶対に自分で娘を守ろうと思うのだ。それも分かる。
▼母が浮舟を連れていったのは、常陸殿ではなくて、方違えのためにと用意していた三条にある小さな家。こんな別宅を持っていたんだね。常陸殿でも、浮舟を隠しておける部屋はあるけれど、隅っこの方の部屋に押し込んでおくのも悲しいし、婿のことでゴチャゴチャしている家は嫌だから、こちらの家につれていったのだ。しかし、長年、母と暮らしてきた浮舟は、寂しがって泣くけれど、母ななだめすかして、常陸殿に帰って行く。
▼常陸介は、婿の少将の世話にやっきになっているが、妻がちっとも協力しないので腹をたてている。けれども、妻の中将の君は、まったくこの婿のせいで、なにもかもメチャクチャだと思って恨んでいるから、とても世話なんかする気になれない。
▼この婿が、匂宮の前に出たときのあの貧相な姿が目に焼き付いているので、どれ、この家での婿はどんなふうに見えるのかしらと覗いてみると、これがどうしたことか、なかなか立派だ。まだ幼い姫君と寄り添っているところは、あの中の君と匂宮とのカップルにはとても及ばないけれど、それでも、あの匂宮の前に出たときの感じとやっぱり違うから、あ、もしかしたら、あの時は別の少将だったのかしら(少将は二人いたので)、と思うのだったが、婿が語る言葉を聞いて、やっぱり、同じ人物だと分かる。
▼その婿の少将が、歌なんか詠んで聞かせているので、あの卑しい根性の男が一人前に歌なんか詠むなんてとちゃんちゃらおかしい。でも、試しに、どんな歌を詠むのかしらと思って、少将に歌を詠みかける。どうしてあなたは浮舟から心変わりしたんですか? という歌。少将は、姫が八の宮の娘だと知っていたら、心変わりはしなかったかもしれません、てな歌を返してくる。どこまでも開き直った少将だが、中将の君は、あ、ここまで知られてしまったんだ、それなら、何としてもあの子をちゃんとしたところにお嫁にやらなきゃって、改めて思うのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈326〉2018.2.20
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その15)

▼「旅の宿(やどり)はつれづれにて、庭の草もいぶせき心地するに、賤しき東国声(あづまごえ)したる者どもばかりのみ出で入り、慰めに見るべき前栽の花もなし。うちあばれて、はればれしからで明かし暮らすに、宮の上の御ありさま思ひ出づるに、若い心地に恋しかりけり。あやにくにくだちたまへりし人の御けはひも、さすがに思ひ出でられて、何ごとにかありけむ、いと多くあはれげにのたまひしかな、なごりをかしかりし御移り香も、まだ残りたる心地して、恐ろしかりしも思ひ出でらる。」
▼【口語訳】三条の仮の住いは所在なくて、庭の草もむさ苦しく茂っているうえに、下品な東国訛りの者たちばかり出入りしており、気持の晴れるような前栽の花もない。風情もなくうっとうしい明け暮れのなかで、宮の上のご様子を思い出すにつけても年若い娘心から恋しくてならないのだった。無体なことをなさろうとしたお方のご様子もさすがに思い出されて、あれは何を仰せだったのだろう、ほんとにたくさんのいかにもおやさしそうなお言葉ではあった、後々までかぐわしかった御移り香もまだ残りとどまっている心地がする一方、あのときの恐ろしかった気持もよみがえってくるのである。
▼母が用意した三条の荒れた邸で過ごす浮舟を描くこの部分、名文である。長い文章の多い源氏物語だが、こうした短めの文をつなげて書かれてところは、たいてい名文だ。声に出して読みたい日本語だね。
▼「賤しき東国声したる者ども」というのは、父常陸介に従う家来たちで、東国出身者なのだろう。彼らが浮舟の警護をしているわけだ。
▼この粗末な邸で暮らす浮舟は、あのおぞましい匂宮を、懐かしく思い出す。自分にぴったり寄り添って、いやらしい言葉の数々をささやいていたけれど、いったいあの時、あの方は何と言っていたのだろう。実はあれはうっとりするような甘い恋の言葉だったのではなかろうか。恐ろしいけれど、心をとろかすその魅力が、「なごりをかしかりし御移り香」としてよく表現されている。
▼世の中には、いくらだまされても、悪い男にひかれてしまう女性がいるが、それは、きっとこういうことなのかもしれないなあ。
▼母は心配して、さぞ退屈でしょうね、と手紙をくれるが、浮舟は、退屈なんかしてないわ、ここの方がよっぽど気楽だものと返事をする。
▼薫はといえば、相変わらず大君をしのんで悲しみにくれているが、例の宇治のお堂が完成したということで、久しぶりに宇治を訪れる。お堂は立派に作られているが、それにつけても昔の八の宮の邸の質素さが懐かしく思い出される。
▼薫は、弁の君を訪ねる。弁の君は、薫を見るともう泣くばかり。つもる話のついでに、薫は、そういえば、あの姫君はどうしている? と浮舟の消息を尋ねる。
▼ことの詳細を聞いた薫は、とにかく、あなたがその三条の邸に出向いて、取り次いでくれと懇願する。いいえ、尼になった私が、今さら京に行くなど、できませんと固辞する弁の君に、薫は珍しく強硬に、とにかく京へ行ってくれと頼むのだった。
▼なにも宇治に住んでいる弁の君にそんなことを頼まなくても、さっさと自分から三条の邸を訪れればいいじゃないか、しかも、薫が住んでいるのも三条なのだ、歩いてもいけるところではないか、と弁の君も思うのだが、薫は、浮舟があまりに身分違いなので、世間の目をはばかっているのだ。
▼弁の君は、どうにも断りきれなくて、わかりました、参ります。参りますけれど、あらかじめ、そういう者が行くということを浮舟の方へ手紙だしておいてくださいね、出しゃばりババアだと思われたくないですから、と言うのだが、それすら薫はためらう。手紙を書くのは簡単だけどさあ、「右大将が、常陸介の娘に恋文!」なんていって世間の笑いものになるのも嫌だしなあ、なんて言う。「文春」こそないけれど、「世間の目」という「文春砲」があるわけね。
▼弁の君は、ああ、こんな身分の高いお方が、大君への恋ゆえに、常陸介風情の娘に恋い焦がれることになるなんて、なんといたわしいことだろうと嘆くのだった。
▼こうした薫の身分違いの恋への意識は、源氏とは大きく異なる。源氏は、あのどこの馬の骨とも知らぬ夕顔との恋のとき、世間の目などまるで気にしていなかった。朧月夜のときだって、結局それで須磨に流されることになるほどの大事だったのに、そんなことをまるで無視した無軌道ぶりだった。その源氏の無軌道ぶりがかえって懐かしい。かといって、その無軌道ぶりは、匂宮のそれともまるで違っている。匂宮は、ただの色魔にしか見えない。源氏だって似たようなものだが、源氏が「ただの色魔」には決して見えないのが、また不思議である。

 

★『源氏物語』を読む〈327〉2018.2.21
今日は、第50巻「東屋(あづまや)」(その16・読了)

▼約束の日の早朝、薫はさっそく弁の君のところへ車をつかわし、京へ上るように促す。弁の君も、しかたないからよく化粧して京へ向かった。日暮れ頃には浮舟の住む三条の家に着く。
▼浮舟も、粗末な家での暮らしに鬱屈していたので、喜んで迎える。お父様を知っている方と思うと親しみもひとしおだ。
▼その宵過ぎた頃、突然薫がお忍びでやってくる。
▼「宵うち過ぐるほどに、宇治より人参れりとて、門(かど)忍びやかにうちたたく。さにやあらん、と思へど、弁あけさせたまへれば、戸口にゐざり出でたり。雨すこしうちそそくに、風はいと冷やかに吹き入りて、言ひ知らずかをり来れば、かうなりけりと、誰(たれ)も誰も心ときめきしぬべき御けはひをかしければ、用意もなくあやしきに、まだ思ひあへぬほどなれば、心騒ぎて、『いかなることにかあらん』と言ひあへり。」
▼【口語訳】宵を過ぎる時分に、「宇治から人がまいりました」と言って、そっと門を叩く者がいる。大将の使者ではなかろうかと思うが、弁が門を開けさせると、車を引き入れる気配である。おや、これはおかしいと思っていると、「尼君にお目にかかりたい」と言って、宇治の近くの荘園の預り人の名のりをおさせになったので、弁は戸口にいざり出ていった。雨が少し降っているうえに風がじつに冷たく吹き込んできて、えもいわれぬ薫りがにおってくるので、さては大将殿のご入来だったのかと気づくが、誰も彼も胸をどきどきさせずにはいられぬご様子がご立派であり、それになんの用意もなく見苦しいところへもってきて、まだそのつもりにもなっていなかった折とて、一同まごまごして、「いったいどういうことなのでしょう」と言い合っている。
▼薫は、宇治からの訪問者といつわって油断させ、強引に邸の中に入ってしまう。
▼雨が降っているのに、なかなか入れてもらえなかった薫は、「佐野のわたりに家もあらなくに」と万葉集の歌を口ずさむ。(「苦しくも降りくる雨か三輪の崎狭野のわたりに家もあらなくに」)やっぱりこの歌は有名なんだなあ。
▼そして、こんな歌を詠む。「さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそきかな」(葎が生い茂って戸口をふさいでしまったのだろうか、東屋の雨だれに濡れて、あまりに長い間待たせられることよ。)これによって巻名「東屋」となる。
▼薫は浮舟を抱き寄せても、どうしても、大君と比較してしまう。浮舟は、やっぱりおおらかすぎる。大君もおおらかだったけれど、それにくわえてもっとしっかりしたところがあった。それが物足りなく思うけれど、自分がなんとか教育すれば、もっと魅力的な女性にすることができると薫は思う。そういう思考回路は、源氏と同じだ。
▼一夜をそこで明かしたあと、翌朝、薫は浮舟を宇治へと連れて行く。
▼宇治に住まわせると、なかなか逢えなくなるけれど、そうかといって、宮仕えをさせたくない。しばらくは、宇治に隠しておこうと思うのだ。
▼宇治への道行きは、また名文だ。
▼「君も、見る人は憎からねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧たちわたる心地したまふ。うちながめて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、おとしがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。」
▼【口語訳】大将の君(薫)も、目のあたりに見るこの女君(浮舟)を憎からずは思うものの、折からの空のけしきにつけても昔の恋しさ(大君への恋しさ)がつのり、山深く入っていくにつれて一面に霧が立ちこめるような心地になられる。物思いに虚けながら女君に寄り添っていらっしゃると、お二人の袖の、重なり合ったまま車の外に長々と出ていたのが川霧に湿って、御衣が紅なので御直衣の花色がいかにも目立って色変りして見えるのを、車が急な勾配を上った高い所で見つけて、お引き入れになる。
▼古今集、酒井人真(ひとざね)の歌「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ」(大空は私の恋しい人が残した形見なのだろうか。必ずしもそうではあるまいに、私が物思いにふけるたびに、どうしてこのように、自然に眺めてしまうのだろう。)を思い出す。直接引用されてはいないが、紫式部は、ここを書くときに当然この歌が心のなかにあっただろう。そして、山深く入っていくにしたがって「霧たちわたる心地したまふ」と書いた。見事だなあ。
▼どこまでもついてまわる大君への思い。それが宇治の自然の中で、またまた深い霧のように薫の心を包んでいくのである。



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