「源氏物語」を読む

 

No.47 総角


【47 総角】

 

★『源氏物語』を読む〈264〉2017.12.6
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その1)

▼「あまた年耳馴れたまひにし川風も、この秋はいとはしたなくもの恋しくて、御はての事いそがせたまふ。」(長い年月の間、いつも耳になれておられた川風も、この秋はまことに無情に何か悲しく聞えて、姫君たちは亡き父宮の御一周忌の法事の支度をお進めになる。)
▼これが「総角」の巻の冒頭。相変わらず見事な筆だ。
▼秋ではあるが、八の宮が亡くなってから1年後の秋で、一周忌の準備で忙しいというところから語り始めるわけだ。準備も、薫や阿闍梨の協力がなければこうはいかないと続く。
▼「みづからも参(まう)でたまひて、今はと脱ぎ棄てたまふほどの御とぶらひ浅からず聞こえたまふ。」(中納言〈薫〉ご自身も宇治にまいられて、姫君たちが今日を限りに喪服をお改めになるについてのご挨拶を懇ろにお申しあげになる。)
▼これで、もう姫君たちは喪服も着ない。喪から解放されるのだという、薫のちょっと華やいだ気分が感じられる。
▼几帳のほころびから、仏前に供えるものなのか、嘆きながら糸を縒る姉妹の姿がほの見えたので、薫は、その糸にひっかけ「わが涙をば玉にぬかなむ」と口ずさむ。それは、「よりあわせて泣くなる声を糸にしてわが涙をば玉にぬかなむ」という「伊勢集」の歌の一部で、「私も同じ悲しみの涙にくれるお仲間です」の意である。薫は、姫君たちの嘆きを伊勢に重ねたのだ。そして、自分もその悲しみを共有するのだと言ったわけだ。
▼姫君たちは、その意味がすぐに分かるけれど、あ、知ってますなんて返事をするのも気が引けて、そういえば、紀貫之も、「ものとはなしに」なんて歌っていたわと思い出す。その歌は『古今集』の「糸によるものならなくに別れ路の心細くも思ほゆるかな」(道というものは、糸に縒り合わせるための細い片糸ではないのだが、しかし、この人と別れて行く道が細く感じられることは、私の今の心細い気持と同様である。)という歌。
▼姫君たちは思う。「貫之がこの世ながらの別れをだに、心細き筋にひきかけけむを、など、げに古言(ふるごと)ぞ、人の心をのぶるたよりなりけるを思ひ出でたまふ。」(貫之がこの世の旅路の別れをさえ、心細い糸の筋にひきかけて詠んだということなのになどと、いかにも昔の歌は人の心の思いを晴らしてくれるよすがとなるものだったことをお思い出しになる。)
▼貫之がこの旅の別れを詠んでいることが、今の自分たちの悲しみを癒やしてくれるのだと、姫君たちは思ったということで、ここに、「文学の効用」がはっきりと書かれている。
▼どうして文学が必要なのか、と問われても、なかなかうまく答えられないが、こんなふうにきっぱりと言い切ることができるのだ。そんなことは、もう1000年も前からの常識だった。それなのに、今の日本では、あろうことか、国立大学には文学部などいらないなどといった言説がまかり通っているありさまだ。紫式部が聞いたら、どんなに嘆くことだろう。
▼さっき、ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を見たのだが、その最後のエピソードで、今日は最悪の日だといって嘆く酔っ払いたちに、タクシーの運転手が、自分の身の上に起きた悲劇を語ると、彼らは、そうかそれは悲しい話だ、それに比べればコイツの悲劇(会社を首になって、ローン払い終わったばかりの車をぶつけられてメチャクチャにされ、それを知った女房から包丁つきつけられて追い出された)なんて、たいしたことないなあ、ってシュンとなってしまうというシーンがあった。悲劇の「語り」こそが、「癒やし」になることの見事な表現だった。それをふと思った。
▼それにしても、源氏物語の中に出てくる姫君が、貫之の歌に慰められているという、フィクションと現実のない交ぜになったこの場面は、不思議な魅力に満ちている。


★『源氏物語』を読む〈265〉2017.12.7
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その2)

▼薫は、八の宮の一周忌法要のための「御願文(ごがんもん)」(神仏に願を立てる時や仏事の時、その趣旨を書いた文章。)を書いたついでに(硯のついでに)、大君に歌をおくる。
▼この「硯のついで」というのが面白い。書をやっているから面白いと思うのかもしれないが、何かを書こうとして墨をすると、たいていは書いたあとに墨が残る。今なら、墨はそれほど高価なものではないから(もちろん高価なものもあるが)、そのまま紙で拭き取ったりして捨ててしまうが、昔は墨も高価だっただろうから、捨てるには忍びない。で、何か書いたのだろうと思う。もっとも紙も高価だから、新しい紙などに書くのではなくて、反故紙の裏に書いたりするわけだ。
▼ぼくも、墨が残ると、そんなことをすることがある。書くべきものを書いた後だから、気持ちもリラックスしていて、そういう時に書いた、いわば「すさび書き」が、案外いい味を出したりするものだ。
▼薫の場合は、墨がもったいないというよりは、もっと真剣なのかもしれないが、やはり「ついで感」はあって、薫の恋がどこまで真剣なのか疑わしい感じも出てくるのだ。
▼歌はまっすぐな内容で、「あげまきに長き契りをむすびこめおなじ所によりもあはなむ」(総角結びの中に行く末長く変らぬ契りをも結びこめて糸が幾重にも同じ所に出合うように、あなたと私とはいつまでもいっしょにいたいものです。)というもの。
▼この「あげまき」の言葉が巻名になっている。
▼「あげまき」というのは、「紐の結び方。上と下と左右に輪を出し、中央で結び交わす。もと、少年の髪の結い方で、それに似るところから出た名称。」(「集成」注)とのこと。この巻名はここから来る。
▼いい歌かどうかわからないが、直球である。それを読んだ大君は、またあのことか、メンドクサイなあ(例の、と、うるさけれど)と思う。
▼この「うるさし」という言葉は、女が男から手紙をもらった時や、言い寄られたときによく使われる。単に今いうところの「メンドクサイ」とはちょっと違うので注意したい。
▼その意味は、日本国語大辞典によれば、「いきとどいて完全であるさまをいう。また、その度が過ぎて、反発されたり敬遠されたりするさまをいう。平安時代の例では多くその両面をもった表現になる。」とある。それ以外にも、「技芸がすぐれていて、嫌味なほどである。」「いかにもわざとらしくていやみだ。」など多くの意味の広がりをもつ言葉だが、男が言い寄ってくるときは、何かと気に入られようとして、言葉を飾ったり、ウソ八百を並べたり、大げさなプレゼントを用意したりと、まあ大変な気の使いようをするわけだが、それを女は「うるさい」と感じるというわけだ。なんか、わかる気がする。最近の女性は、「うるさい」ぐらいしないとダメみたいだけど。ぼくは「うるさい男」じゃなくて、むしろ、度が過ぎて「不完全」かつ「気がきかない」男なので、今でも、昔でも、ダメみたい。
▼そんなわけで、大君は「うるさし」と思う。しかし、まあ、それでも返事は書く。
▼「ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に長き契りをいかがむすばむ」(緒〈ヒモ〉に貫きとめることもできないほど、もろくこぼれる涙の玉のような消えやすい私の命ですのに、末長い契りなどどうして結ぶことなどできましょう。)というのがその返事。
▼ここで大君は、自分の命を「長くない」と言っているのが気になるところ。
▼薫は、「あはずは何を」と呟いて、ぼんやり物思いにふけっている。(ながめたまふ)この呟きも、歌の一部で、その歌は、「片糸をこなたかなたによりかけてあはずは何を玉の緒にせむ」(糸は片糸を双方から縒り合わせなければ作れないものであるが、それが縒り合わないように、私の恋も思う人に逢えない時は、何を命の綱として生きていかれようか。)〈古今和歌集・読人しらず〉
▼まあ、フィクションだからということもあるけれど、呟くのも古歌というのだから、教養があるね。
▼いずれにしても、この歌のやりとりでは、大君の歌がどこか不安を誘うことに注目したい。
▼薫は、それでも、頼まれもしないのに、匂宮の中の君への思いを詳しく説明し、なんの心配もないのに、どうしてそんなに中の君はつれないのでしょうか、といいつつ、いつの間にかその訴えは、私がこんなにお慕いしているのに、どうしてあなたはそんなに冷たいのかという詰問に聞こえてくる。どこまでが匂宮の気持ちの代弁で、どこまでが自分の気持ちなのかが判然としないのだ。その辺が、なかなかおもしろいと僕は思うのだが、読者によってはイライラするだろう。
▼男女の仲のことをまるで知らないわけでもないでしょうに、私がこんなに尽くしているのにその気持ちを裏切って(心に違ひて)、どうしてそんなにつれなくできるのか、という薫に言葉に、大君はカチンと来る。
▼裏切ってなんかいませんよ。あなたのお気持ちに背くまい思うからこそ、こうやって直接お話ししているんじゃありませんか。(普通は、女房を介して話すものなので)それが分からないあなたの方がよっぽど浅はかというものです、と手厳しい。
▼大君は、あくまで父八の宮の言葉に忠実であろうとしている。私は、父亡きあと、こういう場合はこうして、ああいう場合はああしなさい、なんてことを、父から聞いていませんから、父は、今まで通りずっと独身でここで過ごすようにと言うつもりだったのだと思っています。だから、どう返事をしたらいいのか、分からないんです。
▼これが大君の言い分。これが果たして本心なのか。それとも、大君は、色恋沙汰が根っから嫌なのか。結婚なんてぜったいゴメンだと思っているのだろうか。
▼父の指示がないので、どうにも行動できない、というのでは、今後の大君は生ける屍となるしかない。けれども、それでいいんだと大君は思っているふしもある。この宇治の里で朽ち果てていこう、という意志のようなものがあるようにも思う。しかし、これはあくまで薫への体のいい言い訳だろうとも思える。だとしたら、本心は、男への恐怖なのか、結婚への嫌悪なのか。もしそうだとしたら、それはいったいどこから生まれてきたのだろうか。謎は深い。
▼大君は続ける。ただ、私はそれでもういいんですけど、妹はそれじゃかわいそうだと思うんです。ですから、何とかしてあげたいと思っているのですけれど、といって、ため息ついている。その姿は、ひどく痛ましい感じがする(いとあはれげなり)とある。


★『源氏物語』を読む〈266〉2017.12.8
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その3)

▼まあ、まだ若い大君が、姉だからといって、まるで親みたいに振る舞って、中の君の問題をちゃっちゃと片付けられるはずもないよなあと薫は思うから、弁の君を呼んで、自分の胸中を語る。
▼今までは、仏道への興味からこちらに来ていたのですが、故八の宮から、娘のことを頼むと言われましたので、なんとかしてその約束を果たそうとして参上しているのに、ここまで姫君たちに冷たくされるというのは、姫君には他にどなたか約束している人がいるということでしょうか? 私は、この世に執着しない男ですが、ここまで姫君に惹かれるというのも、きっと前世からの因縁なのでしょう。世間では、なにかと噂となっていることですし、どうせなら、ちゃんとお付き合いしてくださるようにお願いしてください、と弁の君を責める。
▼弁の君は、八の宮や、その姫君のことをよく知っているので、こんなふうに説明する。
▼もともと姫君たちは、世間の女性とは違った性質のお方で、結婚などは考えてはいないのです。そんなわけですから、先々の希望もなくて、使用人たちも、どんどん離れていってしまっています。八の宮がご存命中は、皇族ということもあり、お嬢様の結婚も格式というものがあってままならなかったわけですが、今となっては、もう誰と結婚しても、世間からとやかく言われる筋はないのです。父亡きあと、どうしてこのままお二人が暮らしていけるというのでしょう。生きていくためには、何とかしなくてはなりません、お坊さんだって、生きていくためには、教えを勝手に解釈したりするものですよ、などとそそのかす悪い者もおり、そんなこんなで、お二人も迷っているわけでして、とにかく、大君は、中の君を、あなたと結婚させたいとお考えになっているようです。
▼それを聞いて薫は、私は、八の宮の遺言を守ることが大事だと思っていますから、お二人のどちらと結婚しても同じことだと思うのですが、ただ、私が好きなのは大君なので、とても中の君に乗り換えるなんてことできません、と言う。この辺は、薫はキッパリと言い切る。
▼どっちでも同じだというのは、どちらと結婚しても、もう一方の姫の面倒を親戚としてみることになるからだが、それは、約束を守るという点だけの話で、どうしても、大君でなくちゃいやだ、というのが薫の本心である。
▼薫は、なぜ大君じゃなくちゃダメなのか。
▼薫は、大君とただ結ばれるということを望んでいるのではない。薫は、大君と、世の中のこと、季節の情緒などといったことを、心を開いてしみじみと語りたいのだ。薫には、心に感じることが山のようにあって、それを自分の胸ひとつに収めておくのが苦しい。できれば、その感じることを、心ゆくまで語り、共感を得たいというのが、切実な願いなのだ。その相手としては、中の君ではなくて、大君ではならないという直感があったようだ。
▼薫は、幼いころから、兄弟などの気の置けない友達といった存在に恵まれていなかった。薫には異母兄弟として夕霧がいるだけだが、この時薫は24歳、夕霧は50歳で、これじゃいくらなんでも「おともだち」にはなれない。夕霧は、融通の利かない堅物だし、それに、夕霧とはまったく血がつながっていないことをすでに知っているのだ。
▼では、女性ではどうか。明石中宮は、これも表向きの異母姉だが、なにしろ中宮なので、なれなれしく話すなんてことはできない。もう一人は、母の女三の宮だが、これは薫の言葉によると、「親と聞こゆるべきにもあらぬ御若々しさなれど、限りあれば、たやすく馴れきこえさせずかし。」(三条宮〈女三の宮〉は、親とお思い申すこともならぬほどの御若々しさですけれど、定まりのあるお身の上ですから、気やすくいつもおそばにいさせていただくこともできません。)
▼みな身分が高すぎて、気安く話も出来ないわけだ。じゃあ、他の女は?
▼「そのほかの女は、すべていとうとくつつましく恐ろしくおぼえて、心からよるべなく心細きなり。」(そのほかの女はみなほんとに疎々しく気づまりで恐ろしく感ぜられまして、また心底から伴侶としたい人もなく心細いのです。)
▼大君は、男というものが恐ろしい。薫は、女というものが恐ろしい。だから、ふたりはピッタリだというのも変な話だが、薫にとっては、大君こそ、自分のいわば「孤独」を理解してくれる女性に思えたのだろう。
▼心に底知れぬ孤独を抱えたものだけが、薫の孤独を理解できる。おそらくその「理解」は、薫が大君に、ぼくはこんなに孤独なんですと説明することによってではなくて、たとえば、ああ、秋の虫が鳴いてますねえ、心に沁みますねえ、といった感慨を歌に詠み、それに大君が深く共感して歌を返すというようなことで得られるものに違いない。
▼人間と人間のつながり、それも心の深いところでのつながりは、何かに同じように深く心を動かされ、同じように心が震えるとき、生まれるのだろう。

 

★『源氏物語』を読む〈267〉2017.12.9
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その4)

▼「今宵はとまりたまひて、物語などのどやかに聞こえまほしくて、やすらひ暮らしたまひつ。あざやかならず、もの恨みがちなる御気色やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしくて、うちとけて聞こえたまはむこともいよいよ苦しけれど、おほかたにてはありがたくあはれなる人の御心なれば、こよなくもてなしがたくて対面したまふ。」(中納言は、今夜はこちらにお泊りになり姫君とゆっくりお話などなさりたいので、ぐずぐずして日をお暮しになった。それとはっきりはおっしゃらず何か恨みがましい中納言の御そぶりがだんだん抑えがたく高じてゆくので、姫君は応対もしにくくなり、打ち解けてお話し申されるのもいよいよつらくなるけれど、そうした懸想めいた筋を除けてみればまたとなく情け深い中納言のお人柄とあっては、どこまでもすげないお扱いはしにくくてご対面になる。)
▼ここから、いよいよ一つのクライマックスならぬクライマックスが始まる。
▼薫は、とにかく、泊まるのだ。姫君をガードする父もいない、田舎の邸宅である。女房たちも、薫と大君が結婚してくれればいいと思っているのだから、姫君を「守る」気もない。とすれば、もう結果は目に見えているではないか。それなのに。。。
▼「あざやかならず、もの恨みがちなる御気色やうやうわりなくなりゆけば」というところが、薫という人間のありようを描いて見事だ。
▼はっきりと言わないけど、なんだか恨むような物言いしかしない。そのグズグズぶり。そのグズグズした物言いと、煮え切らない態度が、だんだんと「わりなくなりゆく」。「わりなし」というのは、「『ことわり(=道理)なし』の意で、道理が立たない、がもとの意。理性で割り切れない状態や、それに対する苦痛や困惑の気持ちを表す。」(小学館「全文全訳古語辞典」)
▼まさに、このときの薫の心理的状態だ。言葉にはならないが、その苦痛に満ちが様子がだんだんとこうじてきて、抑えようがなくなっているのが大君にははっきりと分かるから、「わづらはし」と思うのだ。つまり、これは何ともやっかいなことだわと思うのだ。このままでは、どういうことになるか分かったものではない。どうしよう、と思うのだ。
▼けれども、冷静になって、今までの薫のことを考えてみると、「おほかたにてはありがたくあはれなる人の御心」だということは分かるのだ。この「おほかた」は、「一般」ということで、つまり薫は「一般的にみれば」、情け深いいい人なのである。けれども、「一般的」じゃない面からすると、やっかいな人であるわけだ。じゃあ「一般的じゃない面」というのは何なのかといえば、色恋の面のことなのだ。
▼色恋を抜きにした「一般的な面」ではいい人なのに、色恋がからむと、いい人じゃなくなる、っていうのは、むしろ当然のことなのであって、今だって、色恋沙汰が殺人事件に発展するなんてことはザラにある。そうして事件が起きたあとに、近所に人に犯人はどういう人でしたか? って聞くと、挨拶もするし、優しそうないい人でしたけどねえ、ということになるわけだ。
▼しかし、これはおかしなことで、色恋であれなんであれ、その人間の「特殊な事情」を抜きにした「一般的な人物像」なんて、そもそもあるわけがないのだ。そのことを現代人も、大君も、忘れている。
▼まあ、この人は、やっかいで困った人だけど、いい人には違いないから、すげなくはできない、というのが、大君の気持ち。その中には、まさか、薫が変なことするはずはないという思い込みがあったのだろう。
▼「対面したまふ」とはいっても、直接対面しているわけではない。
▼「仏のおはする中の戸を開けて、御灯明(みあかし)の灯(ひ)けざやかにかかげさせて、簾(すだれ)に屏風をそへてぞおはする。」(御仏間との間の戸を開けて、お灯明の灯を明るくかき立てさせ、簾ぎわには屏風を立て添えてそこに姫君はいらっしゃる。)
▼つまり、薫と大君の間には、簾と屏風のふたつのバリアがあるのである。そんなものは、ちょっと押せばすぐに除けるたあいもないバリアなのに、グズグズ男の薫には、ベルリンの壁みたいに堅固なバリアなのだ。頑張れ薫! 男だろ! って言いたくなるよね。
▼というわけで、今日は、10行ぐらいしか進まなかった。これじゃ、「総角」は、20回ぐらいかかりそう。

 

★『源氏物語』を読む〈268〉2017.12.10
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その5)

▼困ったなあと思いつつ、薫と対面していた大君だが、用心のために仏への燈明をあかあかと灯してなるべく部屋を明るくするように女房に命じる。けれども、どうじに、その燈明に自分の姿が照らし出されないように屏風を立てかける。
▼御簾やら屏風やら、こんな隔ては難なく押し破って思いを遂げることなんて簡単なことなのに、それができない自分はなんて不器用な男だろうと思いつつ、薫は、平静さをよそおって、当たり障りのない話を続ける。
▼御簾の内の女房たちは、姫君に近くにいてねと言われているのに、むしろ薫と結婚してほしいと思っているものだから、真面目に見張りもしないで、だんだん、隅っこの方に下がってしまって、ちゃんと仏前のお燈明の明かりをかきたてる者もいない。だんだん暗くなってくるものだから、大君は、ねえ、ちゃんと明かりをお願い、と声をかけても、もう、寝ちゃっている。
▼大君は、これは大変だと思ったのか、もうお話はこの辺にして、また明日の朝にでもゆっくり致しましょう、といって、奥に入ろうとすると、薫が、とうとう動く。
▼その気になれば簡単なことで、薫は御簾の中に入ってしまう。驚いて逃げようとするのを引きとどめられてしまった大君は、あなたのおっしゃる「隔てなく」というのは、こういうことですか! とたしなめる。以前、薫は弁の君を通じて「隔てなくお話ししたい」と言っていたからだ。話が違うじゃないかというわけだ。
▼まあ、それはそうには違いないけど、ことここまで来たら、そんな理屈は通らない。
▼「隔てぬ心」を教えて差し上げようとして、こうしたまでですよ、と言いつつも、薫は、あなたが嫌がるなら絶対に変なことはしません、ぼくはそういう馬鹿者なのです、と言うのだ。
▼大君を腕に抱いても、あなたの許しがなければ、これ以上手出しはしないという薫は、自分の「馬鹿さ」を知っている。普通の若者なら、そんなことは言わないで、さっさと思いを遂げるに違いない。でも、ぼくは違うんだと言い張るわけである。源氏はこんなことは決して言わなかった。言うもなにもあったものではない。思い込んだら百年目で、かならず思いは遂げた。それがどんなに罪深いことでも、源氏はためらうことなく進んだのだ。
▼薫には、それはできない。なぜ出来ないのかは分からない。けれども源氏が持っていた情熱を、薫は持っていないことは確かだ。
▼薫の腕の中の大君の姿はこんなふうに描かれる。
▼「心にくきほどなる火影に、御髪(みぐし)のこぼれかかりたるをかきやりつつ見たまへば、人の御けはひ、思ふやうにかをりをかしげなり。」(ほの暗い灯火で奥ゆかしく見える姫君のお顔に、御髪がはらはらとふりかかっているのをかきはらいながらごらんになると、そのご器量は申し分なく、いかにもこぼれるばかりのお美しさである。)
▼女房たちが、ちゃんと明かりを灯さないから、薄暗くて、大君の顔もはっきりとは見えないのが薫にはもどかしいが、それでもその美しさに薫は魅了される。
▼「かく心細くあさましき御住処(すみか)に、好いたらむ人は障(さは)り所あるまじげなるを、われならで尋ね来る人もあらましかば、さてや止みなまし、いかにくちをしきわざならましと、来しかたの心のやすらひさへ、あやふくおぼえたまへど、言ふかいひなく憂しと思ひて泣きたまふ御けしきの、いといとほしければ、かくはあらで、おのづから心ゆるびしたまふをりもありなむ、と思ひわたる。」(このように心細くあまりにも頼りないお住いでは、好色な男だったら忍び込むのになんの障りもなさそうに思われるので、もし自分以外に姫君を訪ねてくる男でもあったら、そのままですむだろうか、そんなことにでもなったらどんなに残念であろう、と中納言〈薫〉は今まで悠長にかまえていたことまでも不安なお気持になられるけれども、姫君のなすすべもなくつらくお感じになってお泣きになるお姿がまことにおいたわしいので、いずれこんなふうではなく、しぜんに心を開いてくださる時もあるだろうと思い続けていらっしゃる。)
▼ここでも、自分は「好色な男」ではないのだという自覚が一貫している。こんなに簡単に押し入ることができるのなら、好色な男だったら、もうあっという間に、姫君を我が物にしてしまうだろうと思いつつ、あくまで薫は、目の前で泣いている大君に対して、それ以上のことはかわいそうでできない。
▼いずれ、大君も心開いてくれるだろう、その時まで待とうと思うのだ。
▼これが薫の優しさなのか、大君への恋がそれほどの情熱を伴っていないということなのか、それともあくまで「いい子」でいたいというエゴなのか、分からない。ひょっとしたら、これらが全部入り交じっているのかもしれない。
▼あるいは、それらは全部違っていて、そもそも薫は大君に対して「恋」をしているのではなくて、あくまで「心の交流」を求めていたのだと考えることもできる。世間並みに、言い寄って、部屋にまで押し込んでみたものの、自分が求めている「関係」というのは、こんなことじゃないと思ったのかもしれない。
▼相手が嫌がろうと、泣いていようと、女が自分の部屋に入れるところまで心を開いているのだから、情熱のままに肉体関係を持ってしまえば、また別の局面が開けるのかもしれない。その局面が、幸福なものになるか、苦いものになるかは分からないけれど、それはそうなってみなければ分からないだろう。そういうのが、恋というものなのではないか。そんなふうにも思う。複雑なものである。

 

★『源氏物語』を読む〈269〉2017.12.12
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その6)

▼あなたがこんなお気持ちでいらっしゃるなんて、ちっとも気づかずに今まで親しくしてきたのが不思議なほどです。こんな喪服を着ている姿まで見られてしまうなんて、わたし自身も不用意さも情けなくて、ほんとにもうどうしていいかわかりません、と大君は嘆く。
▼そういわれると、薫も、長年にわたってお慕いしてきたのですから、喪服なんて口実になるでしょうか、そんな分別なんて無用ですと言いながら、あの2年前に垣間見たとき以来、恋しさを募らせていった経緯を話すのだが、大君は、こんな下心があったのに、何食わぬ顔をして真面目くさっていらっしゃったのだわと、ますます薫がうとましくなってしまう。
▼それでも「御かたはらなる短き几帳を仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。」(おそばにある低い几帳を仏前との隔てに置いて、中納言〈薫〉はしばらく姫君〈大君〉に寄り添い横におなりである。)
▼短い几帳(三尺の几帳)を仏前に立てるのは、仏前をはばかる気持ちだろう。
▼ここまで準備したら、いくら薫だって、いくら大君だって、と思うのだが、なかなかそうならない。
▼「名香(みょうごう)のいと香(かう)ばしく匂ひて、樒(しきみ)のいとはなやかに薫れるけはひも、人よりはけに仏をも思ひきこえたる御心にてわづらはしく、墨染のいまさらに、をりふし心焦(こころい)られしたるやうにあはあはしく、思ひ染めしに違ふべければ、かかる忌みなからむほどに、この御心にも、さりともすこしたわみたまひなど、せめてのどかに思ひなしたまふ。」(名香のにおいがまことに香ばしく漂っていて、樒が強い香りを放っている風情も、人一倍仏を信仰申しあげていらっしゃるお方のこととて、はばかられるお気持から、「折もあろうに、服喪中の今、いかにもこらえ性もなく軽々しいふるまいに及ぶのでは、当初の考えにも反することになろうし、こうした忌の明けるころには、いくらなんでも相手のお気持も少しはやわらいでくださるだろう」などと、努めて穏やかに心をお静めになる。)
▼薫の信仰心が、ここではブレーキになっている。いくら几帳で隔てたって、仏前で、しかも、服喪中の女性と関係を持つことには抵抗があるわけである。しかも、相手が嫌がっているとなればなおさらだ。
▼大君は、女房たちが、ああやっぱりそういうことだったのね、とばかり奥へ引っ込んで寝てしまったのをみて、父の遺言など思い出して、「げにながらへば、心のほかにかくあるまじきことも見るべきわざにこそはと、もののみ悲しくて、水の音に流れ添ふここちしたまふ。」(いかにも、この世に長らえていれば、心ならずもこうしてとんでもないめにもあわなければならなかったのかと、無性に悲しくて、川瀬の音につれて涙がとめどなく流れ添う心地でいらっしゃる。)
▼大君の涙と、川の流れが、ここで一体となるところが素晴らしい。
▼そんなこんなで時は過ぎ、「はかなく明けがたになりにけり。」(いつか明け方になるのだった。)
▼このあとのシーンもいい。引用ばかりだが、しかたない。
▼「光見えつるかたの障子(さうじ)をおしあけたまひて、空のあはれなるをもろともに見たまふ。女もすこしいざり出でたまへるに、ほどもなき軒の近さなれば、しのぶの露もやうやう光見えもてゆく。かたみにいと艶なるさま容貌(かたち)どもを、『何とはなくて、ただかやうに月をも花をも同じ心にてもてあそび、はかなき世のありさまを聞こえあはせてなむ過ぐさまほしき』と、いとなつかしきさまして語らひきこえたまへば、やうやう恐ろしさも慰みて、『かういとはしたなからで、物隔ててなど聞こえば、まことに心の隔てはさらにあるまじくなむ』と答(いら)へたまふ。」(夜明けの光の射してくる方角の襖をお押し開けになって、心にしみるような空の色を女君とごいっしょにごらんになる。女のほうも少しいざり出ていらっしゃったが、奥行も浅い軒先なので、忍ぶ草におく朝露の光もしだいに見えてくる。お互いまことに優美なご容姿を見交しながら、「どうするというのでもなく、ただこのようにして月をも花をも、心を一つにして楽しんだり、はかないこの世の中の有様をお互いにお話し申しあげたりして過したいものです」と、中納言〈薫〉がほんとにやさしい御面持でお話し申されるので、女君〈大君〉はだんだん恐ろしさもなごんで、「このようにほんとにきまりわるい思いをするのではなしに、物越しなどでお話し申しあげるのでしたら、心底分け隔て申すことはけっしてありますまいに」とお答えになる。)
▼一夜を共にした男女が、朝の光を一緒に見る、というシーンは、熊井啓の映画「忍ぶ川」(三浦哲郎原作)にあった。あれは、身も心も結ばれた二人が、ひとつの毛布(?)に包まれて窓から雪の朝を眺めるシーンで、栗原小巻と加藤剛の好演もあって、清潔感に満ちた朝のシーンだった。
▼それに劣らず、このシーンも美しい。ここで、大君は「女君」と呼ばれていることが注目される。純粋な男女関係になったとき、「姫君」とか「中納言」とかいった言い方ではなくて「女」「男」と呼ばれるのが源氏物語である。大君が「女君」と呼ばれたのは、ここが初めてではなかったろうか。
▼しかし、このふたりは、結局は結ばれなかった。大君は拒否し、薫はそれをあえて破ろうとはしなかった。けれども、二人が迎えた朝は、決してみじめなものではなかった。そればかりか、むしろ、不思議な安堵感に包まれている。体は結ばれなかったけれど、心は結ばれたということだろうか。
▼「物の隔て」があれば、「心の隔て」はない、という大君の言葉が印象的だ。あまり耳にしたことのない言葉だ。

 

★『源氏物語』を読む〈270〉2017.12.13
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その7)

▼結局は、何もないままに、あたりが明るくなってくる。
▼「明くなりゆき、むら鳥の立ちさまよふ羽風近く聞こゆ。夜深き朝(あした)の鐘の音かすかに響く。」(あたりが明るくなってきて、群鳥があちこち飛びかう羽風がすぐ近くに聞える。晨朝の鐘の音がかすかに響いてくる。
▼「むら鳥の立ちさまよふ羽風近く聞こゆ」なんて、今までまったく見られなかった情景描写だ。舞台が宇治ならではのことだからにしても、紫式部は、実に丁寧に自然の様子を重ねている。
▼大君は気が気ではなく、せめて今のうちに帰ってくださいと頼むが、薫は、朝が来たからといって、慌てて帰るのは、かえって「何かあったのだ」と周囲の者に思わせるだけです。これからも、清らかな関係でお付き合いしてください、私にはけっして下心はありませんから、といいながら、なかなか、立とうとしない。
▼大君は、分かりました、分かりましたから、今朝はもうお願いですから私の言うことを聞いて帰ってください、といって困り果てているので、薫もどうしようもなくて、夜明けの別れは経験がないから、どうしていいものやら、などと呟きながら、歌を詠みかわし、自分の部屋に戻っていく。
▼大君は、迷う。このままだと、タチの悪い女房たちが変な話をもってきて、挙げ句の果てに結婚しなければならないようなことにならないとも限らない。それなら、薫は、真面目そうだし、父も気に入っていたことだし、きっと私と結婚させたかったのだろう。でも、やっぱり、私は独身を通そう。結婚は中の君にさせよう。あの子は、私よりずっときれいで、今が盛りだし、もし薫があの子と結婚してくれれば、私は薫の義姉としてしっかりお世話しよう、そう思うのだった。
▼この「私はやっぱり独身を通そう」(みずからはなほかくて過ぐしてむ)という言葉は、この時に2回も繰り返される。大君の気持ちはどうしても結婚には傾かないのだ。それも、薫が嫌だからではない。薫ならいいかなと思うのに、それでも、「いや、やっぱり」と思うのだ。
▼どうしてなのだろう。今までは、父が、このままここにいよと言った遺言が結婚の妨げになっていた。けれども、薫なら、父はきっと許すだろうと、そこまで考えても、なおかつ結婚に踏み切れない何かがある。薫の誠実さは、気に入っているのに、むしろ妹を結婚させて自分は「姉」の立場として薫と付き合っていくことを考えている。
▼大学時代に読んでいたころは、参考書などに大君は、「結婚拒否の女」として説明されていたのを思い出す。その時は、そんなもんかなあと思っただけだが、今こうして大君の内面に直面してみると、「なぜ」が次から次へと湧いてくる。いちど結婚して辛酸をなめたから、もう二度と結婚なんてしない、ということなら、分かりやすい。けれども、一度も結婚したことがなく、男と付き合ったこともないのに、どうしてここまで頑なに結婚を拒否するのだろうか。やっぱり、よく分からないなあ。
▼大君は、寝られないから、中の君のいる部屋に戻ってくる。中の君は、いつもは大君と同じ部屋に寝ているのに、昨晩は女房たちの噂によると、薫となにかあったらしいと思って心配していたのだが、大君が戻ってきたので安心したものの、例の薫の匂いが大君から隠しようもなくかおるものだから、ああ、やっぱり薫と何かあったんだわと思って、大君がかわいそうで(いとほしくて)、声をかけることもできずに、寝たふりをしている。

 

★『源氏物語』を読む〈271〉2017.12.14
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その8)

▼弁の君をはじめとする女房たちが問題である。
▼とにかく、大君を薫と結婚させてしまえば、自分たちの将来も明るいと思っているのだ。確かに、このまま二人の姫君が独身を通したら、なんの頼りもない二人故、生活にも困ることになるだろう。ここは、なんとしても、大君に結婚してもらわなきゃ困るのだ。
▼大君は、このまま独身を通そうと思っているのに、女房たちがどんな策略を弄するかわかったものではない。大君は、困り果てる。
▼一年間の服喪の期間があけた。もう喪服を脱ぎ捨てて、華やかな色彩の着物を着てもいいのに、姫君たちは父への思いが深いので、黒はやめるけれど、薄鈍(グレー)の着物に替える。グラデーションだね。悲しみが、「色」として現実の世界に表現されるというのは今でもないわけではないが、このころははっきりしていて心ひかれる。
▼「月ごろ黒くならはしたまへる御姿、薄鈍にて、いとなまめかしくて、中の宮はげにいと盛りにて、うつくしげなるにほひまさりたまへり。御髪(みぐし)などすましつくろはせて見たてまつりたまふに、世のもの思ひ忘るる心地して、めでたければ、人知れず、近劣りしては思はずやあらむと頼もしくうれしくて、今はまた見譲る人もなくて、親心にかしづきたてて見きこえたまふ。」(この幾月も墨染のお召物を着けていらっしゃったお姿が、今は薄鈍色に変って、姫宮はまことに楚々たる風情であるが、中の宮はなるほど若盛りのお年であり、かわいらしい美しさは姉君よりもまさっておられる。御髪などを洗わせ梳らせてごらんになると、世の中の悩み事も忘れられるくらいにおみごとなので、これならあのお方とごいっしょになっても見劣りがするとは思わないだろうと、姫宮はひそかに心強くもうれしくもお感じになって、今は、この君のお世話を任せられる人もいないのだから、親の気持になって面倒を見ておあげになる。)
▼ここでも「髪」の描写が見事だ。洗い髪の美しさ。
▼「近劣り」っていうのも面白い言葉だ。「相手に近づいてみて、予想より劣っていると感じること。」だが、今でもよくある。「夜目遠目笠の内」とはよく言ったもので、遠くからみると、どんなに美人だろうと思っても、近づいて見ると大抵はがっかりする。たぶん、「予想」が過大すぎるのだ。平安時代ともなれば、遠目どころか、姿形をめったに見ることはできないのだから、その「予想」は、超過大となり、妄想となる。それでも「近劣り」しないというのは、相当な美しさでなきゃダメなのだ。
▼薫は、喪が明けたとなると、藤色の着物なんか着ている大君の姿がチラチラして、矢も盾もたまらず宇治へ出かけるが、大君は、気分がすぐれないからとか何とか言って、対面もしてくれない。
▼で、薫は、弁の君を呼び出して、なんやかやと話すのだが、ここの女房たちは、薫だけが慰めなので、もう、なんとしても薫と大君を結婚させなきゃってんで、意気投合・一致団結しているのである。
▼大君は、そうした様子を察して、弁の君は油断がならないと思う。昔物語でも、こういうケースでは、たいてい女房が暗躍するものだ。何とかしなくちゃと考える。
▼「昔物語」が源氏物語にはときどき出てくるが、こうした物語は、当時の女性にとっては一種の「人生の教科書」だったのだろう。そもそも「源氏物語」自体が、娘彰子の「人生の教科書」として道長が紫式部に書かせたという面があるという話をどこかで聞いた。
▼やっぱり、妹をかわりに結婚させよう。あの子なら薫も気にいるだろうけど、それをあからさまに言ったら、あの人だって、待ってましたとばかり承諾するのは軽薄だと思われはしまいかと思って、ためらうだろう。
▼いずれにしても、あの子に黙ってことを進めるのも罪深いことだ、と大君は思って、中の君に、私はお父様の遺言を守っているだけなのに、女房たちが私を強情な女だと思って非難するので困ってるの。私は、誰がなんといおうと独身を通すつもりだけど、あなたまでもがそうすることはないのよ。だから、あなたが薫さまと結婚してね、と説得するのだが、中の君は、お父様は、一人だけが独身でいろとおっしゃったわけじゃないでしょう。私みたいな頼りない女のことをお父様はもっと心配していたはずで、その私を慰めてくださるのは、お姉様だけじゃないの、といって、受け入れない。
▼それはそうかもしれないけれど、女房たちがあんまり私を非難するのでねえ、私も困っているのよ、と大君は、もうそれ以上何も言わない。
▼薫は、ぜんぜん帰らない。中の君は、大君よりもおっとりしていて、男女の仲のこともよく分からない。女房たちは大君を薫に会わせようというので、「例の色の御衣(おんぞ)ども、奉りかへよ。」(「常の色のお召物にお着替えあそばせ」)などとせかす。結婚の準備までしかねない様子。
▼まったく、こんな住まいでは、男が女を奪うのに、なんの障害もないわ、逃げるところもありはしない、と思う大君。
▼薫は、けれども、そんな大げさなあからさまなことではなくて、ただ、目立たない関係を保って、ひっそりと語らい合いたいだけなので、無理に結婚なんて考えていませんよと大君に伝えるのだが、この老人(弁の君)は、ああだこうだと大声で女房たちに指図したりしてノリノリである。
▼これは弁の君が浅はかなせいのか、年をとってボケたのか、これじゃ姫君が可愛そうだ、と語り手は言っている。
▼さて、どうする? 大君。

 

★『源氏物語』を読む〈272〉2017.12.15
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その9)

▼ほとほと困り果てた大君は、弁の君を呼んで、自分の気持ちを分かってもらい、薫を説得してもらおうとする。
▼大君はここでも、自分は、「昔より思ひ離れそめたる心にて」(昔から結婚のことはすっかり思い捨てているいるので)と言う。そうではなかったら、とっくに薫を受け入れているのだけれど、そういうわけで私はこの世を捨ててるのだから、どうか、薫に、中の君と結婚してもらうように説得してもらいたいと言うのだ。
▼その中で大君はちょっと不思議なことを言う。「まことに昔を思ひきこえたまふ心ざしならば、同じことに思ひなしたまへかし。身をわけたる心のうちは皆ゆづりて、見たてまつらむここちなむすべき。」(真実亡き父宮をお慕い申されるのでしたら、この君〈中の君〉を私と同じにお考えいただきたいのです。そうしていただければ身は二つながら心はすべてこの君に預けて、いっしょにあのお方〈薫〉にお逢い申しているような気持にもなりましょう。)
▼そんなことが可能だろうか。それが可能だと真面目に考えているとしたら、「心」と「体」は、別なのだという認識が彼女にあることになる。「体」を愛するなら、妹にしてください。「心」は妹のなかにあるから、妹とあなたが話しているとき、私はあなたと話しているような気持ちになれるのです、というようなことだろうか。
▼こうした背景には、魂が体から離れてしまう「生き霊」などの考え方があるのかもしれない。「心」と「体」の関係は、古くて新しい問題だ。
▼さて、大君の話を聞いた弁の君は、まるで聞く耳を持たない。そんなことおっしゃったって、薫さまは、中の君に鞍替えすることなんてできないと言っていましたよ、それに、中の君のほうは、匂宮さまが面倒を見てくれるはずだとおっしゃっていたし、そうなれば、お二人が同時に結婚できるという、又とないチャンスじゃありませんか。姫様は、お父様の遺言のことばかりおっしゃいますけど、それは、こんな山里に住んでいるので、どこの馬の骨だから分からない男と結婚するようなことがないようにとのご心配からで、薫さまにせよ、匂宮さまにせよ、結婚相手としては申し分ない方じゃありませんか。世の中には、二親に死なれて、その果てに、とんでもない落ちぶれ方をする人がたくさんいるんです。せっかくのお話を棒にふって、いったい仙人にでもなるつもりですか、とにべもない。
▼大君は、まったくこの人は私の気持ちなんてまるで分かってくれないんだと憎らしく思うけれど、まあ、弁の君の言っていることは正論だよね。
▼真面目な薫が、大君がダメなら、中の君でいいやって思うわけないんだし、そもそも、大君が、どうしてまだ若い身空で、結婚を断念してしまうのかが、ぼくにもやっぱり分からない。このままじゃ、霞を食って生きるしかない。
▼薫は帰らないし、弁の君はぜんぜんあてにならないし、大君はどうしようもなくて、伏してしまった。どうしようもないときは、寝ちゃうよね。寝られないかもしれないけど、とりあえず、ベッドに入っちゃう。ぼくは、あんまりそんなことしないけど、源氏物語の姫君たちは、とにかく、ほとんど立たないし(部屋の中の移動も、座ったまま、いざる。)、困ると寝ちゃう。今なら、かえって外へ出て運動したりするんだろうけど、スポーツもないしなあ。気の毒だ。
▼そんな姉を見て、中の君も、かわいそうだと思って、いつものように一緒に寝る。大君は、こんなふうに寝ていたら、弁の君が何をするか分からないと不安だが、いつ薫が来ても、中の君をおいて逃げ出せるように、中の君にきれいな着物をかけてやって、自分は少し離れたところに臥した。
▼薫は、弁の君から話を聞いて、「いかなれば、いとかくしも世を離れたまふらむ、聖だちたまへりしあたりにて、常なきものに思ひ知りたまへるにや、とおぼす」(どういうわけでほんとにこうもこの世のことをあきらめておられるのだろう。聖のように暮しておいでになった父宮のおそばにいらっしゃったために世間の無常を悟っておられたのだろうか、とお考えになる)
▼薫にも、大君が世を離れた理由が分からない。せいぜい、父親の影響かなあと思うぐらいなのだ。けれども、この大君の思いは、自分とそっくりだと思うから、けっしてこういうの嫌いじゃない薫なのだ。
▼けれども、薫は、決心する。それじゃ、もう御簾や屏風を隔てての対面もするつもりもないのかもしれない。それなら、いっそ、今夜忍び込もうと思う。それで、弁の君に手引きを頼む。弁の君はもう待ってましたとばかり二つ返事で引き受ける。こういうのは得意中の得意だ。
▼激しい風の音にまぎれて、姫君たちの部屋へと弁の君は薫を導く。
▼けれども、まんじりともしないで起きていた大君はすぐにそれと気づいて、さっと、奥の方へ逃げてしまう。この辺は、「空蝉」のエピソードにそっくりだ。
▼中の君は、ぐっすり寝ている。薫は、姫君が一人で寝ているのを見て、ああ、ちゃんと分かってくれたんだと嬉しく思うのだが、すぐにそれが大君ではないことに気づく。
▼この辺の描写は実に見事で、薫の気持ちと、中の君を思いやる大君の気持ちが交互に描かれ、思わず息をのむ。全文引用したいくらいだが、やめておこう。
▼目を覚ました中の君は、まったく事情が分からないから、もう途方に暮れている。そんな中の君を見た薫は、かわいそうに思うばかりで、手出しはしない。ここで、中の君に手を出すようなマネをしたら、大君になんて軽い男なんだと思われてしまう、それも嫌だ、と薫は思う。
▼ここは、何ごともなかったように過ごすことにして、いつか、この中の君と結ばれるのが「宿世」であると思えるような状況が訪れたら、その時はまた考えようと、心を静め、優しい態度で、中の君と語りあって夜を過ごしたのだった。ここでも結局「なんにもない夜」。
▼ここまで読んできても、感じるのは、大君も薫も、まったく「ぶれない」ということだ。忍びこんだのが、源氏なら、ぜったいに中の君と「なにもなかった」なんてことはあり得ない。だって、ひとつ部屋にたった二人で夜通しいたんでしょ? それで何にもなかったって言うんですか? って週刊誌の記者に詰め寄られるに決まっている。さっきテレビで、藤吉久美子が、泣いて「ご迷惑をおかけしました」と謝っていたけど、それでも「男女関係」は否定している。でも、それを信じることは難しい。
▼けれども、薫なら、信じられる。薫が、「しませんでした」といったら、はいそうですかとしか言えない。ぶれない男なのである。

 

★『源氏物語』を読む〈273〉2017.12.16
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その10)

▼そんなこととも知らずに、弁の君をはじめとする老いた女房たちは、やったぜとばかり喜んでいるが、それにしても、中の君はどこへ行ったかと不審がる。
▼「老人(おいびと)どもは、しそしつと思ひて、「中の宮、いづくにかおはしますらむ。あやしきわざかな」と、たどりあへり。」(老人たちは、これで十分に事を運んだと思い、「それにしても中の宮はどちらにおいでなのでしょう。おかしいですね」と、いぶかしがっている。)
▼「しそす」という言葉が珍しい。「うまくやりとげる。十分のしおおせる。」の意だそうだ。
▼中の君も、事情を察して、どこかに隠れているんじゃないの、なんて老女がいうと、別の老女が(いったい何人老女がいるのやら)、だいたい、あんな素敵な方に冷たくするなんて気がしれないわ、変な神様でも憑いてるんじゃないかしら、などと「歯はうちすきて、愛敬(あいぎょう)なげに言いなす女あり。」(歯のぬけた口をしていかにも無愛想に言ってのける老女もいる。)
▼まあ、縁起でもない、よしなさいよ。ただ、ちゃんと教えてあげる母親もいないものだから、男に対してどうしていいのか分からないのよ、でも、自然に男がわかっていくわよ、なんて、言いたい放題言って寝てしまう。「いびきなどかたはらいたくするもあり。」(聞き苦しくいびきなどをかいている者もいる。)
▼この老女たちの描写も、妙に生き生きしていて面白い。
▼夜があける。薫は、さすがに、大君とも区別がつかないほど美しい中の君を見るにつけ、我ながら、「なんにもなく過ごした夜」が残念な気がして、キミは、お姉さんのマネをして私に冷たくしないでくださいね、またいつかきっと、なんていって出ていったが、やっぱり、大君に会えなかったことが心残りだから、なんとかして、もういちどチャレンジしようと思って、部屋にねっころがっている。
▼姫君たちの部屋に弁の君がやってきて、ほんとに中の君はどこへ行ったのかしら、なんて呟いているのを耳にすると(弁の君は、そこに寝ているのが、大君だと思い込んでいるわけだ)、恥ずかしいやら、ワケがわからないやらで、じっと寝たふりしているが、そうか、姉さんが、あなたを結婚させたいなんておっしゃっていたっけと思い出して、ひどい! って思っているところへ、大君が這い出してくる。
▼「明けにける光につきてぞ、壁の蟋蟀(きりぎりす)はひ出でたまへる。」(明けはなれてきた朝の光をたどって、壁の中のきりぎりすのように姫宮は這い出ていらっしゃる。)
▼この表現、面白い。最初読んだとき、ほんとにキリギリス(今のコオロギ)が出てきたのだと思ったが、なんでキリギリスに敬語なの? って思って、比喩だと分かった。
▼大君は、夜通し、壁と屏風の間に隠れていたのだ。疲れたろうなあ。しかも、大君は、中の君がひどいめにあわないだろうかとハラハラしどおしで、そんな目に合わせているのは自分だと思うから罪悪感もさいなまれていたわけだ。
▼そんな大君が、朝の光の中、壁から這い出してくるって、滑稽だけど、疲労困憊のさまもよくわかる。しかも、妹は、すっかり腹をたてていて、口も聞いてくれない。大君もなんといっていいやら、言葉もみつからず、お互いに黙っている。
▼それにしても、妹の姿をすっかり薫に見られてしまうなどというあってはならないこともおきてしまい、ほんとにあの女房たちには片時も気を許せないわと心乱れる大君だった。
▼弁の君は、薫から一部始終を聞いて、大君はなんて強情な人なんだろう、思慮深いにも限度があるわと、薫が気の毒でならない。弁の君は、とにかく他の女房たちと同様に、結婚推進派なのだ。
▼薫は、今までの冷たい仕打ちは何とか我慢してきたけど、今夜という今夜は、もう恥ずかしくて、死んじゃいたい気分だ、と訴える。もうぼくは、お二人には色恋めいた気持ちは持たないことにするよ。あの匂宮が、ちょくちょく手紙を差し上げているようだけど、そうさ、大君は、どうせなら、志を高くもって、ぼくより身分の高い彼のほうと結婚したいと思ってるんでしょうよ、わかりました、わかりましたよ、いかにもごもっともです。もう、ぼくは、来ません。どうぞ、こんな馬鹿な男のことは、誰にも言わないでおいてください、などと、さんざん嫌味を言って、さっさと帰ってしまった。まるで子どもだね。
▼もういちどチャレンジするんじゃなかったの?
▼どっちも(つめたくされる薫も、嫌味を言われる大君も)お気の毒ねえ、と、女房たちは語りあった。

 

★『源氏物語』を読む〈274〉2017.12.17
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その11)

▼源氏が、空蝉の元に忍び込んだとき、とっさに空蝉は着物だけ残して逃げてしまったのだが、源氏は後に残っていた軒端荻と契りを交わしているわけだが、薫は、残っていた中の君にはなんにも手出しせずに自制したのは確かに立派なのだが、その後、弁の君に、八つ当たりするあたりは、まるで子どもで、やっぱり薫は、いいとこの坊ちゃんなんだなあと思わせる。
▼薫がそんなふうにプンプン怒って帰ってしまったので、心配していた大君だったが、ちゃんと「後朝の手紙」が来ると、いつもとは違って、嬉しく思う。
▼その手紙は、「秋のけしきの知らず顔に、青き枝の、片枝(かたえ)いと濃くもみぢたる」(秋の風情も知らぬ体に、葉の青々とした枝の、その片方の枝のとても濃く紅葉している)、そういう枝につけてある。
▼季節は八月末。こんな紅葉の枝は、今でもある。それにかこつけて、こんな歌を詠んだ。「おなじ枝を分きてそめける山姫にいづれか深き色ととはばや」(同じ枝の一方を紅に染め分けた山姫に、どちらのほうが深い色なのかとお尋ねしたいのです。私はご姉妹のどちらに心をお寄せしたらよいのでしょうか。)
▼紅葉は「山姫」(山を守る女神)が染めると思われていたとのことだが、ここでは「大君」をさしているわけである。この意味は、姫君たちには分かるが、女房たちには分からない。薫は露骨な表現をさけているわけだ。
▼けれども、「後朝の手紙」が来たものだから、事情を知らない女房たちは、てっきりもううまくいったんだと思ったのか、「お返事、お返事」と騒ぐので、大君は、「あなたがお返事を書きなさい」と中の君に譲ることもはばかられる。もし中の君が書いたら、それこそ「何かあった」とみんな思ってしまうだろうからだ。めんどくさいもんだね。で、大君が書く。
▼けれども、実際はどうなのだろうか。大君は、薫から手紙が来て嬉しかった。それを我ながらおかしなことだと思ったのだが、ここでも、返事を中の君に書かせたくなかったというのは、自分が書きたかったという面もあるのではなかろうか。微妙なところである。
▼大君は「山姫の染むる心は分かねどもうつろふ方や深きなるらん」(山姫が木の葉を染め分ける気持は分りかねますが、紅に染まったほうに深い心がこもっているのでしょう。あなたが心をお移しになった中の宮のほうが大事でございましょう。)
▼「ことしなびに書きたまへる」(さりげなく書いていらっしゃる)とあるが、ちょっと嫉妬を見せているような歌で、ここにも、大君の揺れる心が見えるような気がする。大君は、薫がちょっと好きなのだ。
▼薫の方も心は千々に乱れる。中の君に冷たくしてしまったことで、大君に嫌われてしまったのではないか、世を捨てようと思っていたのにそれもかなわなかった、それに、このまま、思いが叶わないのにその人のところに通い続けるというのも、世間並みの好色な男みたいで嫌だし、弁の君だってどう思っているだろう、などなど切りがない。
▼で、薫は、匂宮を訪ねる。
▼ずっと、宇治での濃密な心理劇が描かれてきたので、この場面は、ほっと一息、新鮮な感じがする。描写も、絵巻物を見ているようで、美しい。
▼「まぎるることなくあらまほしき御住(すま)ひに、御前(おまへ)の前栽、ほかのには似ず、同じき花の姿も木草(きぐさ)のなびきもざまも、ことに見なされて、遣水(やりみず)に澄める月の影さへ、絵に描きたるやうなるに、思ひつるもしく起きおはしましけり。風につきて吹き来る匂ひの、いとしるくうち薫るに、ふとそれとおどろかれて、御直衣(なほし)たてまつり、乱れぬさまに引きつくろひて出でたまふ。」(これといった用事もなく申し分のないお暮しで、お庭前の前栽もよそとはちがって、同じ花の姿も木や草のなびく風情も格別と見受けられ、遣水に映る澄明な月影までも絵に描いたような折とて、案の定、宮はまだ起きていらっしゃったのだった。吹く風に乗ってただようにおいが中納言のそれとはっきり分って薫るので、すぐお気づきになって御直衣をお召しになり、きちんと身づくろいをなさってお出迎えになる。)
▼匂宮は、美しい月を眺めているのだが、ふと匂ってくる香りに、あ、薫だとわかる。それで、すぐに着替えて迎えるのだ。この礼儀も、美しい。
▼いろいろ話しているうちに、宇治のことも出てきて、匂宮は、こんど一緒に連れてってよと頼むのだが、ダメダメ、そう簡単にはいかないよ、なんていってじらすものだから、匂宮は怒ってしまう。まあ、男同士のじゃれ合いだけど。

 

★『源氏物語』を読む〈275〉2017.12.19
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その12)

▼匂宮は、もう2年も前から宇治の姉妹をなんとかしてくれと言ってきたわけだが、薫にしても、好色な匂宮が果たして中の君を見てがっかりするようなことはないだろうかと気にしてきたのだった。しかし、今回、中の君の姿をみて、これなら問題ないとの確信が持てたので、いよいよ匂宮を手引きする気持ちになった。これは、匂宮への思いやりからではなくて、中の君への思いやりからであるのはいうまでもない。
▼しかし、大君は自分を中の君と結婚させたいと思っているのだから、匂宮を近づけることは、その気持ちを踏みにじることとなる。かといって、自分は中の君に心を移すなんてことは考えられない。
▼とにかく、君の浮気心で、中の君を悲しませることのないようにな、と、まるで親にでもなったかのように真面目に匂宮に言って、8月26日、「彼岸の果て」(吉日。彼岸の入り日と果て日は、事を行うのによいとされていた。)に、薫は匂宮を宇治に連れて行く。薫が一人で訪ねた翌日である。
▼匂宮は、邸の近くにある薫の荘園の管理人の家において、まずは薫ひとりで邸を訪ねる。薫が来たと聞いて、大君は、きっと中の君が目当てだろうと思うし、中の君は、この前のことがあったからもうお姉さんなんか信用できないと思うし、ふたりとも、薫がどっちになにしに来たのか分からない。女房たちも、いったいどうなってるの? と困惑気味。
▼闇に紛れて、匂宮が馬でやってくる。
▼薫は弁の君に、まずは大君にご挨拶したいので、もうちょっと夜が更けてから中の君のところへ昨晩のように案内してくれと頼むと、弁の君は、まあ、どっちでもいいや、どっちかが片付いてくれればいいわけだからと思う。あくまでこの人、自己中。
▼大君は、やっぱり中の君に心が移ったのだと安心して、薫に対面する。それでも、障子(襖のこと)越しなので、一言申し上げるだけですけど、人に聞かれるような大声では話せませんから、この障子を開けてください、と言うと、大君は、このままでもよく聞こえるじゃありませんかといって、頑として開けない。
▼しかし、中の君に心が移ったことについて、黙ったままでは失礼だとおもって薫は何か言いたいのかしら、それなら、さっさと話を聞いて、中の君のところへ行かせようと思って、障子の近くまでいざりよると、突然、薫は、障子の隙間から手を入れて、大君の袖を捉えて口説きはじめた。
▼しまった! なんで言うことを聞いたんだろうと、大君は悔しいけれど、それでも、懸命に中の君と仲良くしてくれと説得する、その姿がいじらしい。
▼一方、匂宮は、昨晩薫がやってきた戸口で、扇を鳴らすと、弁の君は、てっきり薫が来たと思って、匂宮を導きいれる。
▼細かいことを言えば、薫なら、例のいい匂いをまき散らしているはずだから、弁の君は、あ、薫じゃないって気づくはずなんだけど、そこまでは気が回らなかったということだろう。あるいは、「どっちでもいい」という気持ちが、感覚を鈍感にしているのかもしれない。
▼導かれるままに、匂宮は、そうか、薫はいつもこうしてこの老女に導かれて通っていたんだなあと感慨にふけりながら、中の君の部屋に入っていく。
▼一方、大君は、そのころ、懸命に薫をなだめすかしている最中。
▼と、こんなふうに、薫と匂宮の行動が交互に描かれていて、まるで映画を見ているようだ。
▼薫は、大君の袖を捉えたまま、その懸命の説得を聞きながら、このままだましつづけるのもなんだなあ、後で恨まれるだろうしなあ、そうなったら弁解しようもないからなあ、と思った薫は、実は、匂宮が私のあとを追ってきまして、それをダメともいえませんでね、そしたら、どうやらこっそりと中の君のところへ行ってしまったようなんです。あの弁が丸め込まれたみたいでしてね、いやはや、私は、あなたには嫌われるわ、中の君はとられるわで、立場ないです、なんて、弁解にもならないようなことを言う。
▼大君は、もう目もくらむほど驚いて、私をバカにしてるのねと憤慨する。
▼どっちみちバレるのだから、ここは、だまし続けてもいい場面なのだが、つい、ほんとうのことを言ってしまう薫という男には、いたく共感する。もし、ぼくが同じ状況におかれたら、きっと同じようなことをするだろう。薫は、「色の道」では、ずぶの素人なのだ。
▼ほんとうは恋なんてどうでもいい。けれども、恋をまったく知らない野暮な男だとも思われたくない。それが、薫の本音なのではなかろうか。少なくとも、ここまで読んだ限りではそう思える。

 

★『源氏物語』を読む〈276〉2017.12.20
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その13)

▼すっかり怒ってしまった大君に、薫は、もうどうにもならないんです、謝れっていうなら何度も謝りますが、それでも気が済まないなら、抓るなりひねるなりどうとでもしてくださいって言う。「抓(つ)みも捻(ひね)らせたまへ」(抓りあげでもしてください)なんて言い方も珍しい。
▼そう言いながらも、あなたは身分が高い匂宮のほうが好きなんでしょなんていう嫌味も言って、それでも、「宿世」というものがあって、それはどうにも思い通りにはならないんですから、あなたは私を中の君にと思っているのはわかりますけど、どうぞいいかげん諦めてください、これじゃ、あんまりです、と訴える。
▼大君は、障子の鍵をしっかりかけているから、袖を捉えたままの薫も、中へは入れない。そんなにしっかり鍵をかけたって、結局、ぼくたちが清い仲だなんて誰も信じてくれませんよ、だから、鍵あけて中へ入れてください、まさかこのまま私に夜を明かさせるつもりじゃないでしょうね、と懸命に訴えるけれども、大君は、そんな「宿世」なんて目に見えないもののことは分かりません。こんな目にあって、これから生きていけるかどうか分かりませんけど、もし生きながらえたら、気持ちも少し落ち着いたところでお相手しましょうと、薫をなだめる。
▼「宿世」なんてものは「目に見えない」から、信じられないという大君の言葉は、大君の合理的な思考を表していて面白い。なんでもかんでも「宿世」といって言い訳にする当時の風潮への反発があるのだろうか。
▼薫は、ここまで言われると、なんだか恥ずかしくなって、あなたの心に従ってきたからこそ、こんなバカ男に甘んじてきたのではありませんか、もう、ぼくは生きていく気もなくなりましたよ、といって、ようやく大君の袖から手を離すと、大君は、さっと奥の方へ入っていくが、それでも、完全には入りきらない。そんな中途半端な状態で、ふたりは、結局語りあかし、また「なんにもない」夜があける。
▼一方、匂宮は、中の君の部屋で朝になっても寝ていて、ちっとも起きてこないのを、薫は、妬ましくてならず、咳払いなんかして、いい加減に起きろよと合図を送る。
▼薫は大君の部屋の御簾のまえに座っているし、中の君の部屋からは、別の男が出てくるし、女房たちは、目をパチクリ。よく分かんないけど、薫さまがそう悪いようにはしないだろう、なんて、ノンキに考えている。もうここまでくると、薫に頼るしかないものなあ。
▼この辺、落語の『明烏』を思い出させる。堅物の若旦那を遊郭に案内して遊び人たちが、自分たちは遊女に振られて「なんにもなかった夜」を過ごして、朝起きてみると、あんなに嫌がっていた若旦那が遊女の部屋で寝ていて起きようとしないという話。匂宮は堅物じゃないけど、連れていった薫が、「何にもない夜」を過ごすという点で似ている。
▼二人は一緒に都に帰ってくる。二人の乗った車は、人目を避けるための女車で、そんな車にのってコソコソ六条院に帰ってきた自分たちの姿が滑稽に思われて、ふたりはおもわず吹き出してしまう。けれども、薫は、案内役の自分が大君に振られてしまったことが悔しくてあほらしくて、匂宮に愚痴を言う気にもならないのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈277〉2017.12.21
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その14)

▼匂宮からはさっそく後朝の手紙がくる。
▼「宮は、いつしかと御文(おんふみ)奉りたまふ。山里には、誰も誰も現(うつつ)の心地したまはず思ひ乱れたまふ。」(兵部卿宮は、さっそく後朝のお手紙をおあげになる。山里では、姫君たちお二人とも夢の中の出来事のようなお気持で思い乱れていらっしゃる。)
▼ここで「御文」とあるだけで、それが「後朝(きぬぎぬ)の手紙」であり、つまり、昨晩は匂宮と中の君には男女の契りがあったということが明示されているわけである。けれども、匂宮は、いかにもそれらしい手紙として送ったわけではなくて、なるべくそれと分からないようにと気遣して送ったのだった。
▼大君も中の君も、まるで夢を見ているような昨日の出来事に、思い悩んでいるわけだが、中の君のほうが当然ショックは大きい。昨日のことは、大君と薫が示し合わせてやったに違いないけど、そんな企みを顔色にも出さずにいた大君が憎らしくて目もあわせようとしない。
▼大君のほうも、それは違うのよ、私だってぜんぜんそんなふうなことになるなんて思ってもいなかったの、それを、薫さまが私をだましたのよ、などと、はっきりと弁明することもできず、中の君が怒るのも当然だと、心苦しく思っている。
▼女房たちも、もういったいどうなっているのかまるで分からず、どうしたんですか? と、大君に聞いてみたいけれど、大君はもうぼんやりしちゃって気が抜けたようになっているので、どうしようもない。
▼それでも、匂宮からの手紙を自分で開いて、中の君に見せるのだが、そのさすがに手慣れた感じの手紙に、こんな手紙を書くような好色な男が、この先、この子を捨てずに付き合ってくれるのだろうかと心配になるけれど、こういうときは、こんなふうにお返事を書かなきゃダメなのよと言い聞かせて手紙を書かせるのだった。
▼中の君がちゃんと手紙を書いたかどうか、はっきりとは書かれていないのだが、匂宮に返事が届いたとあるから、書いたのだろう。
▼ここまで読んでくると、中の君の態度というのが、なんとなく分かってくる。
▼大君は、どんなに薫がしつこく言い寄ってきても、断固として障子の鍵をはずさなかった。けれども、中の君は、匂宮が入ってくると、案外簡単に部屋の中に入れてしまっている。その辺の描写がまったくなく、「匂宮が入っていった。」の後は、「匂宮が出てきた。」だけだから、実際どうだったのかは想像するしかないのだ。
▼匂宮は、薫と違って、こういうことには馴れているから、薫のように「あなたが嫌といっているうちは、ぜったいに、一線を越えません」なんて悠長なことはいわず、鍵をかけようが何しようが、さっさと中へ入っていったということだろうとは思うけれど、それでも、中の君が、大君のような固い意志の持ち主だったら、そう簡単にはことは進まなかったんじゃないだろうか。
▼返事だって、絶対に嫌、書かない! って頑張れば、しょうがないから、弁の君が書いた、というようなことになるだろう。でも、そうじゃない。大君に説得されて、いやいやながらも書いているわけだ。
▼その返事は、いかにも後朝の手紙への返事らしく、たくさんの贈り物を添えてきたので、匂宮は、せっかくオレはなるべく地味にしたのに、これは、あのでしゃばりバアサンの弁の君のしわざだなと、ちょっと不愉快になる。
▼「新婚」の場合、三日続けて通うのが当時の習慣だったので、二日目の夜も、匂宮は宇治へ行こうとして、薫を誘うのだが、薫は冷泉院のところに行かなきゃならないので、といって同行を断る。匂宮は、チェッ、またいつものように、世捨て人気取りかあと、面白くない。
▼たった一回共寝しただけで、結婚が成立し、「新婚」となってしまう。そのへんの事情を知らないと、どうして大君が薫を部屋に入れないかが分かるというものだ。

 

★『源氏物語』を読む〈278〉2017.12.22
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その15)

▼大君は、中の君を薫と結婚させようと思っていたのに、こんなことになってしまったのだが、しかし、本意じゃないからといって今更どうしようもないので、とにかく、匂宮がやってくるのに備えて準備をして待っている。
▼はるか遠い道を匂宮が急いでやってくるのを嬉しいと思うのも思えば不思議なことだ、と大君は思う。大君は、ときどき、こうして自分の気持ちを「あやし」と反省する。中の君が匂宮と結婚することは自分の思いの他ではあったが、それでも、中の君が相手が誰であれ結婚するということは大君にとっても安心なのだ。
▼しかし、当の中の君は、もう呆然としていて、大君にきれいな着物を着せてもらっても、ただ泣いてばかりいる。
▼私はね、この先長く生きていられるとは思わないから、あなたのことだけが心配だったの。でも、こんな形になるなんて、私は思ってもみなかったの、ほんとうよ。これが人がよくいう「のがれがたき御契り」(逃れられない前世からの約束事)なのかもしれないわね、と大君。大君は、これまでもしばしば、自分はそう長く生きないというようなことを口にする。何か、からだに異常を感じていたのだろうか。それとも、ただ父亡き後は、生きているつもりはないということなのだろうか。気になるところだ。
▼薫には、「宿世」なんて目に見えないから信じられないといった大君なのに、ここでは前世からの約束事を持ち出している。まあ、これも、中の君への弁解だろう。けれども、思いがけずにこんなことになってしまった詳しい事情はいずれ話すわね、どうか私を恨まないでねと言って、やさしく中の君の長い黒髪をなでてつくろうのだった。
▼中の君も、さすがにこんなふうに言われると、お姉様だって、きっと私のことを思ってくださってのことだろうと思われ、それなら、こんどは私がみっともなく匂宮に捨てられたりしてはお姉様に恥をかかせることになると考えるのだった。
▼そんなふうに姫君たちが思っていることなんか匂宮はぜんぜん思いもせず、昨日はただびっくりしているだけだったのに、今日は、ちょっと女らしい風情があると感じて、ますます中の君に惹かれていくが、こんな遠いところまでくるのはキツいなあと思いつつ、決して捨てはしないよと約束する。
▼中の君は、親兄弟などがいつもそばにいるのならまだしも、そんな人もいず、こんな山里の中でひっそりと育ったものだから、まるで男女の仲などということも知らず、どういうふうに男と話したらいいかも分からないから、ただただ遠慮がちに話すのだが、それでも、大君よりはずっとはなやかな女性だった、とある。やっぱり、ここでも、大君との違いが強調されているわけである。
▼三日目には、餅を食べるのが、習慣だったので、大君は馴れないながらも女房たちに指図して餅を作らせる。
▼薫からは、昨日は用があって行けませんでした。どうせ行ってもまた御簾の外でしょうからね、なんて嫌味な手紙が届く。手紙は、陸奥紙(恋文には使わない)に、きちんと行をそろえて(恋文は散らしてかく)書かれている。贈り物も、あり合わせのもの。
▼その手紙に書かれていた歌。「小夜衣(さよごろも)きてなれきとはいはずともかごとばかりはかけずしもあらじ」(夜着を着てあなたと枕を交しなじみを重ねた仲だとは申しませんが、あのようなことがあったのですから言いがかりぐらいはつけぬわけでもありませんよ。)
▼言いたいことがよく分からないが、とにかく、オレには文句があるんだという、おどしめいた手紙だ。どうも薫という男のこういうところはよく分からない。自分のポリシーとして、人の嫌がることは絶対にしないんだ、だから、あなたがノーという限り、あなたを奪うことなんてしませんと言ったわけだから、大君にノーと言われたら、さっさと諦めればいいじゃないか。それを、あなたと寝たわけじゃないけど、あんなことがあったんだから、文句言いたい、って、いったい何なの? 「あんなこと」って、部屋の中に入れてくれなかったってことか? っていろいろ聞いてみたいところだ。
▼それに対して、大君の返歌はいい。「隔てなき心ばかりは通ふとも馴れし袖とはかけじとぞおもふ」(心だけは隔てなくお付き合いさせていただいておりますけれど、なじみを重ねた間柄だなどとはまさかお口になさるはずもあるまいと存じます。)
▼「キッパリ!」だね。「穏やかな表情のうちに凜としてゆるがぬ気品を示す。」と「全集」の中は評してている。

 

★『源氏物語』を読む〈279〉2017.12.23
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その16)

▼新婚、三日目の夜。
▼薫の手紙では、なんだか宮中で大事な儀式があるようなことが書いてあったので、夜になってもやってこない匂宮のことを、大君は、やっぱりあの人は浮気性な人だから今日はもう来ないんだと思っていると、夜中に、匂宮は、強風をついてやってくる。その姿の立派さに、大君も感動する。
▼中の君も、だんだんと打ち解けてきて、匂宮の宮が宮中を脱出する苦労も少しは分かるようだ。中の君の美しさも際立っているから、古女房たちも、あれほど都で美人ばっかり見ている宮様の目にとまるんだから、この辺のヘタな男と結婚なんてしなくてよかったわ。それにしても、姉君のほうは、妙に意地をはって薫さまに冷たくするなんてねえ、と、悪口言っている。
▼薫から送られてきた派手な着物をちゃっかり身につけて、ぜんぜん似合わないのに、きどっている年寄りの女房たちのみっともない姿を見るにつけ、大君も、ああ、自分もだんだんああなるのだと悲しみにくれる。その部分。
▼「我もやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし、鏡を見れば、痩せ痩せになりもてゆく、おのがじしは、この人どもも、我あしとやは思へる、後手(うしろで)は知らず顔に、額髪をひきかけつつ色どりたる顔づくりをよくしてうちふるまふまり、わが身にては、まだいとあれがほどにはあらず、目も鼻もなほしとおぼゆるは心のなしにやあらむ、とうしろめたう、見出して臥したまへり。」(自分だってそろそろ盛りを過ぎてしまう身なのだ。鏡を見ればだんだんとやせ細ってゆくばかりだのに。この女房たちにしても、めいめいの心では自分が醜いなどと誰も思ってはいまい。みじめな後ろ姿がどう見えるのかなど気にもかけぬ体に、額髪をひきかけては、紅おしろいの厚化粧にうつつを抜かしているようだ。自身を振り返ってみると、まだあれほど見苦しくはないし、目鼻だちもまずまずと思われるのはおのれを知らぬうぬぼれなのかもしれない、と我ながら気づかわしく、外を眺めて横になっていらっしゃる。)
▼大君は、この時まだ24歳。明石中宮なんかはすでに40歳ほどになっているのに、ますます若々しく美しいのだから、大君のこのふけかたは尋常じゃない。
▼それにしても、年齢のことを脇においておけば、大君のこの嘆きは、実に切実で、身にしみる。
▼自らの老いを自覚しないで、いつまでも、若いつもりではしゃいでいることのみっともなさは、女に限ったことではない。男だってそうだ。床屋に行って、はい、これでよろしいでしょうか? と合わせ鏡で我が後頭部を否応なしに見せつけられると、「後手は知らず顔」なる常日頃の自分に気づかされ、はっとする。
▼「色どりたる顔づくり」なる表現は、ルキノ・ヴィスコンティの不朽の名作『ベニスに死す』を思い出させる。あの老いた主人公が、床屋で化粧してもらって懸命に若返ろうとする悲しさ。あの悲しさを、まだ20代のころに見たぼくは、わかった、と思ったつもりでいたが、実はまだよく分かっていなかったのだ。ああ、老いることのなんという悲しさだろう。その悲しさを、たったの24年の時間で知った大君は、なんと悲しい人だろう。
▼その後はこう続く。
▼「恥づかしげならむ人に見えむことは、いよいよかたはらいたく、いま一二年(ひととせふたとせ)あらば衰へまさりなむ、はかなげなる身のありさまを、と御手つきの細やかにか弱くあはれなるをさし出でても、世の中を思ひつづけたまふ。」(お逢いすれば気おくれするようなあのお方にお目にかかることは、いよいよきまりがわるいことだし、それにもう一、二年もすれば、自分はなおいっそう衰えまさることであろう。いかにも頼り所のないこの身の上よ、と、姫宮はいかにも細々とか弱く痛々しいようなお手もとを袖から出して見入りながら、世の無常をお思い続けになる。)
▼この「じっと手を見る」大君の姿とその心情は、心に深く沁みる。
▼それにしても、名文だなあ。

 

★『源氏物語』を読む〈280〉2017.12.24
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その17)

▼大君は、悲しみにくれるばかりだが、中の君は、ちがう。
▼匂宮は、帰るまえに、昨晩、母親(明石中宮)に、そうそう遊んでばかりいてはいけませんと注意されて、なかなか家を出ることができなかったんだ、と事情を説明する。そして、明日からは、そういうわけで、「夜離(よが)れ」(男が夜に訪ねてこないこと)が続くかもしれないけれど、それは、そうした事情によるもので、決して君を嫌になったわけじゃないからね、と念を押す。
▼それを聞いて、中の君は、やっぱりこの人は浮気な人だから、こんなことを言うんだわ、ましてこんな田舎ものの私だから、まして、と悲しく思う。
▼そして、匂宮が帰っていく場面。ここも素晴らしいので、引用する。
▼「明けゆくほどの空に、妻戸おし開けたまひて、もろともに誘(いざな)ひ出でて見たまへば、霧(き)りわたれるさま、所がらのあはれ多くそひて、例の、柴積む舟のかすかに行きかふ跡の白波、目馴れずもある住まひのさまかなと、色なる御心にはをかしく思しなさる。山の端(は)の光やうやう見ゆるに、女君の御容貌(かたち)のまほにうつくしげにて、限りなくいつきすゑたらむ姫君もかばかりにこそはおはすべかめれ、思ひなしの、わが方ざまのいとうつくしきぞかし、こまやかなるにほひなど、うちとけて見まほしう、なかなかなる心地す。」(夜明けの空が白んでくるので、宮〈匂宮〉は妻戸をお押し開けになって、女君〈中の君〉を端近くにお誘い出しになりごいっしょにごらんになると、霧の一面に立ちこめている景色は、山里ならではの心にしみる風情もひとしおで、いつものように柴を積んだ舟が影も淡く行き来する跡の白波も珍しく、めったに見られぬ住いの有様よと、多感な宮のお心には興深くお感じになる。山際がしだいに明るくなってくると、女君のお顔だちの申し分ないお美しさがはっきりしてくるので、宮は、「どこまでも大事にかしずかれている姫宮でもこれに上越すご器量ではいらっしゃるまい。あの女一の宮だって身びいきからいかにもご立派に見えるだけなのだ。この女君の行き届いて深みのある美しさなど、ゆっくりここでくつろいでの逢瀬を楽しみたいもの」と、かえってせつなく満ち足りない心地になられる。)
▼匂宮が見た景色は、まるで水墨画のようだ。そして、朝日に照らされて浮かびあがる中の君のなんという美しさ。ここで、中の君が「女君」と呼ばれることに注目。すでに男女関係にある場合は、「中の君」とよばれずに、「女君」「女」と呼ばれるのは源氏物語のお約束だ。
▼「色なる御心」というのは、「好き心」「好色な心」ということだろうが、これは決して、単なる「女好き」をいうのではない。こうした情趣を理解し、愛でる心でもあるのだ。そのことがここを読むとよく分かる。
▼朝の光の中で、歌などを詠み交わすうちに、中の君も、匂宮にすっかり魅了されてしまう。
▼この方のほうが、薫さまよりずっと気楽でいいわ。第一、薫さまの本命はお姉様なのだし。今までは、薫様より身分が高いというので、手紙のお返事書くのも緊張したけど、今はもう、会えなかったらどんなにか辛いことだろうなんて思ってしまう。私としたことが、なんという変わりようなのかしら、と思う。
▼美しい匂宮を見送り、その移り香に切ない気持ちになる中の君を、語り手は、中の君もなかなか隅におけないわねえと、からかっている。
▼ずっと一緒に暮らしてきた姉妹だが、ふたりの行く末はまるで違ったものとなりつつある。
▼女房たちも、帰っていく匂宮の姿にうっとりして、薫様も立派だけど、やっぱ、身分が一段上だからかしらねえ、匂宮様って格別よね、なんて褒めそやしている。
▼いつも、こうやって女房連が出てきて、場面を締めくくるのも面白い。宇治十帖の特徴かもしれない。

 

★『源氏物語』を読む〈281〉2017.12.25
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その18)

▼三日間は宇治に通い続けた匂宮だが、その後は、なかなか出かけることができない。手紙を日に何通も出すのが精一杯。
▼こうした「夜離れ」を、大宮はわがことのように辛く感じる。中の君がどんなに辛いだろうと思うから、気にしていないふりをしているが、せめて自分だけでもこんな辛い目にあうことのないようにしようと、ますます独身を通す気持ちを固めていく。
▼薫は、匂宮がなかなか宇治へ行かないのをみて、ああ、中の君がどんなに寂しがっているだろう思うと、責任を感じてしまって(薫らしいね)、匂宮に、おまえまさかもう飽きたなんていうんじゃないろうななんて注意したりしながら、様子をうかがっていると、匂宮は中の君にぞっこんなのが分かるから、いちおうは安心している。
▼「九月十日のほどなれば、野山のけしきも思ひやらるるに、時雨めきてかきくらし、空のむら雲おそろしげなる夕暮、宮いとど静心(しづごころ)なくながめたまひて、いかにせむと御心ひとつを出でたちかねたまふ。」(九月十日のころなので、寂しい野山の景色も思いやられる折から、にわかに時雨模様にかき曇って、空のむら雲のたたずまいも恐ろしい夕暮に、兵部卿宮はいっそうお気持もそぞろに思い屈していらっしゃって、どうしたものかとご一存ではお出ましを決めかねておられる。)
▼匂宮は、母親がうるさいから、なかなか出かける決心ができないのだ。時雨が降って、雲もあやしげな夕暮れというのは、どっちかといえば、出かけたくない状況だと思うのだが、どうも、それは違うらしい。むしろ、このちょっと普段とは違った天候が、気持ちを高ぶらせるようだ。「色好み」とは、そういうものらしい。雨だからやめとこう、寒いから行かない、なんてのはダメなんだね。
▼薫は、そうした匂宮の気持ちを察して、やってきて、匂宮を引っ張り出す。どこまでも、思いやりに溢れる薫である。
▼いつものように、二人は一つの車に乗って出かける。
▼「黄昏時(たそがれどき)のいみじく心細げなるに、雨は冷やかにうちそそきて、秋はつるけしきのすごきに、うちしめり濡れたまへる匂ひどもは、世のものに似ず艶にて、うち連れたまへるを、山がつどもは、いかが心まどひもせざらむ。」(たそがれ時のいかにもひどく心細いうえに雨が冷たく降ってきて、晩秋の景色のもの寂しいなかを、お濡れになり、しめやかに匂うお二人の風情は世に類もなく優艶に、こうしておそろいでお越しになるのを、山賤どもがうろたえてお迎えするのも無理からぬことではある。)
▼「匂ひども」と、「匂ひ」が複数になってる。もちろん、薫と匂宮の匂いがそれぞれ異なっているからだけれど、なんだかおもしろい。匂いというのは、湿気の多いほうがよく広がるものだから、この場面の「匂い」は、まさに「この世のものとも思えない」ものだったのだろう。「体臭」と「香」と、そして自然の雨や空気の匂いが絶妙にブレンドされているわけで、こうした「匂い」を描いた文学というのはなかなか珍しいのではなかろうか。
▼宇治の山荘の女房や使用人たちは、それまでブツブツ言っていたのがウソのように、ニコニコして出迎える。姫君を見限って出ていった使用人たちも、いつの間にか、戻されている。
▼大君も匂宮が来てくれたことが嬉しいのだが、薫がついてきたことに複雑な思いを味わう。
▼「姫宮(大君)も、をりうれしく思ひきこえたまふに、さかしら人のそひたまへるぞ、恥づかしくもありぬべく、なまわづらはしく思へど、心ばへののどかにもの深くものしたまふを、げに人はかくはおはせざりけりと見あはせたまふに、ありがたしと思ひ知らる。」(姫宮も、折からの〈匂宮の〉お越しをうれしく存じあげていらっしゃるが、さし過ぎた世話役の中納言がごいっしょとあっては気づまりでもあり、何やら面倒にもお感じになるけれど、このお方のご気性がおおらかに思慮深くていらっしゃるのを、なるほど宮〈匂宮〉はこんなふうではいらっしゃらなかった、とお二人をお比べになるにつけても、このようなお方はめったにありはしないとよくお分りになる。)
▼かわいそうに、薫は「さかしら人」なんて言われている。つまり、匂宮を中の君に会わせるというおせっかいをした人だと大君は思うわけだ。
▼けれども、匂宮があっという間に中の君と通じたのに比べると、薫はまるで違っている。自分が嫌だといったら、絶対薫はそれにいつも従った。大君は、今更ながら、薫の「よさ」に気づくのだ。薫とは大違いの匂宮は、大君にはやはり信じることのできない人。どうせ、こうした男は、手もはやければ、さめるのもはやいに違いないと踏んでいるのだろう。
▼なるほど薫は「ありがたき人」(めったにいない人)なのだ。

 

★『源氏物語』を読む〈282〉2017.12.26
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その19)

▼匂宮の方はさっさと中の君の部屋に入っていったのに、薫はあいかわらず、御簾の外。これじゃあんまりです。いい加減に、中に入れてください。この前のように、と訴えても、障子の鍵は固い。
▼大君は思うのだ。「〈大君も〉やうやうことわり知りたまひにたれど、人の御上にてもものをいみじく思ひ沈みたまひて、いとどかかる方をうきものに思ひはてて、なほひたぶるに、いかでかくうちとけじ、あはれと思ふ人の御心も、かならずつらしと思ひぬべきわざにこそあめれ、我も人も見おとさず、心違(たが)はでやみにしがな、と思ふ心づかひ深くしたまへり。」(姫宮もしだいに人情の機微がお分りになっていらっしゃるけれど、中の宮の御身の上についても何かとたいそう心痛なさって、こうした夫婦の仲らいをますます情けないものとお見限りになって、「やはり自分は一筋に、どうぞしてあのように夫をもつ身にはなりたくない。今はいとしいと思うお方のお気持にしても、いつかは必ず恨めしく思わねばならないこともあるにちがいない。こちらも、またあのお方もお互いに相手を見下げたり裏切ったりするなどということのないままで一生を終えたいものだ」というお考えをお固めになる。)
▼新婚のたった三日間でさえ、匂宮がくるかどうかで気をもみ、そしてその後は、もう来ないないんじゃないかと毎日悩んだ日々を思うと、ますます大君は結婚に絶望していく。どんなに愛し合っている夫婦でも、どこかで行き違いが生じて、憎んだり恨んだりということになる。だからこそ、深く理解しあえそうな薫とは、結婚なんかして、お互いに幻滅を味わうよりは、このままの関係でいたい、と大君は思うのだ。
▼この大君の気持ちは、性急に結婚を望むよりは、よほど深く男を愛していることを意味しているように思える。もっとも、源氏物語において、「愛する」という言葉をあまり軽々しく使うことはためらわれる。この当時の男女関係を、西洋の概念である「愛」で表すことはたぶんできないだろう。けれども、この大君の気持ちは、西洋的な「愛」にかなり近いように思うのだ。
▼そんなわけで、大君は、相変わらず薫とは障子越しの対面だが、匂宮はそんなことは知らないから、薫はちゃんとした部屋の方へ案内されていいなあ、なんて羨ましがっている。
▼匂宮は、なんとかして、宇治通いの現状を改め、中の君を都に連れてきたいけれど、どこに住まわせればいいのか、また、どういう立場で遇したらいいのかで思い悩んでいるうちに、自然、宇治にも足が遠のく。
▼ほんとは六条院あたりに住まわせたいのだだ、そこにはあの夕霧がデンと構えていて、自分の娘の六の宮を匂宮にと思っていたのに、匂宮が鼻も引っかけないので、すっかり頭にきているから、そんなところに連れていくわけにもいかない。
▼中の君も大君も、匂宮が来ない理由がよく分からないから、またまた気をもむことになる。
▼そんなことをしているうちに、紅葉の季節がやってきた。紅葉狩りを口実に、匂宮は宇治へ出かけるのだが、いくらお忍びでも、すぐにバレてしまって、いろんな殿上人が我も我もと同行してしまう。例によって、匂宮は、いったんは、宇治の薫の邸宅に立ち寄るのだが、そこでは、紅葉狩りだの船遊びだののドンチャン騒ぎ。その騒ぎは、川の向こうの姫君たちの邸にも聞こえてくる。
▼ああ、匂宮様がいらしているんだ、いつこちらにお見えになるのだろうと、大君も、中の君も期待して待っているのだが、匂宮は、なんとかしてこの場から逃げ出して中の君のところへ行きたいと思いつつ、そのチャンスがとうとう見つからずに、結局そのまま帰ってしまう。
▼「かしこには、過ぎたまひぬるけはひを、遠くなるまで聞こゆる前駆(さき)の声々、ただならずおぼえたまふ。心まうけしつる人々も、いと口惜しと思へり。」(あちらでは、宮〈匂宮〉の一行がついにそのまま行っておしまいになった気配を、遠くなるまで聞えてくる先払いの声々からお分りになるにつけても、平静なお気持ではいらっしゃれない。)
▼匂宮が遠い都にいるのならまだしも、すぐそこの川の向こうまで来ていて、その騒ぎさえ聞こえるというのに、それでも、自分のところへは来ずに帰ってしまうことに、中の君も大君も傷つく。
▼やっぱりあの人は心変わりの早い浮気者なんだわ、と中の君は嘆くし、そんな妹を見るのも辛い大君は、私たちがもっと貴族らしい暮らしをしていれば、こんな仕打ちはうけまいにと悔しくて、体調まで崩してしまうほど思い乱れるのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈283〉2017.12.27
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その20)

▼思ったとおり、中の君は、匂宮と結婚したものの、夜離れに苦しんでいる。このまま捨てられてしまうのではないか、そうしたら、世間の物笑いの種になって、その後の暮らしも思うようにはいかないだろうと思うと、大君は、自分もこのまま生きながらえれば、結局は薫と結婚するはめになり、その挙げ句は、中の君と同じような苦しみをなめることになるだろう。中の君だけじゃなく、自分までもが笑われるようなことになったら、亡きお父様はどんなにか悲しむことだろう、ああ、このまま死んでしまいたい、そう思うと、食事も喉に通らない。
▼匂宮は、紅葉狩りでは素通りしてきたしまったので、すぐにでも宇治を訪ねたいと思うのだが、ジャマが入る。夕霧の長男が、しゃしゃり出て、この前急に紅葉狩りだとかいって出かけたのは、宇治に通うところがあるからなんですよ、世間でも噂してます、なんて明石中宮(匂宮の母)にご注進したので、中宮も父親もすっかり怒ってしまって、だいたい一人住まいしているのがよくないんだ、これからは、宮中にいつも控えるようにと命じられてしまった。禁足令である。
▼そればかりではない、前々から、夕霧の娘の六の君と結婚するようにと言われていたのを、匂宮は断っていたのだが、こうなったら、なにがかんでも結婚させようと、どんどん話が進んでいってしまう。
▼その話を聞いた薫は、ああ、こんなことになるんだったら、匂宮を手引きなんてしなきゃよかった、取り返しのつかないことをしちゃったなあ、と激しく後悔する。
▼匂宮は、もう、中の君が恋しくてならないけれど、母中宮は、好きな人がいるのなら、宮中に参内させて女房にすればいいじゃないの、お父様は、あなたを春宮にしようとしているのに、軽々しい振る舞いはいけませんよと手厳しい。
▼思い屈した匂宮は、時雨降るころ、同腹の姉、女一の宮のところへ行く。この姉と匂宮を、紫の上はとても可愛がって大事に育てたので、二人は幼いころからの仲良しだ。けれども、成人したあとは、姉弟といえども滅多に顔を見ることはできない。今美しく成人した姉は、匂宮にはドキドキするほど魅力的だ。
▼ああ、この姉と、もうちょっと血が離れていたらなあと、好色な匂宮は我慢ができず、あなたと共寝をしようとは思いませんが、ぼくは悩ましいです、なんて歌を詠みかける。姉は、なんてことを言うのだと驚いて返事もしない。
▼女一の宮につかえる女房たちは、もうどこにも欠点がないような選りすぐりの美人ぞろい。そんな若い女房たちに手をつけたりして過ごす匂宮は、中の君を忘れたわけじゃないけれど、結局宇治へ出かけることもなく日が過ぎっていった。
▼薫はどこまでも、宇治の姉妹のことを考えて行動し、悩みもしているのだが、匂宮は、深刻には悩まない。実の姉にまでちょっかいを出しかねない匂宮に、実を求めるのは所詮無理なのかもしれない。
▼そんなとき、大君の具合が悪いという知らせをきいて、薫は宇治へ、見舞いにでかけてゆく。

 

★『源氏物語』を読む〈284〉2017.12.28
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その21)

▼たった数日でも、待つ身には途方もなく長く感じられる。宇治の姫君は、なかなか来ない匂宮に苦しみ続ける。
▼匂宮も、宇治のことが気になるけれど、いろいろな行事が重なるし、親はうるさいしで、なかなか出かけるチャンスがない。けれども、ほんとうに宇治の中の君のことを思うなら、万難を排してもいくべきだろうし、行くだろう。誠意がないと思われても仕方がない。所詮、中の君のことは遊びでしかないのだろう。
▼薫は、大君の体調が思わしくないと聞いて、取るものも取りあえず、見舞いにいく。薫の方が身分上、身軽だからすぐ行けるといえばそれまでなのだが、やはり誠意は薫にある。
▼大君は、会って話ができないほど衰弱しているわけではないが、それでも、病気を口実に、対面しようとしない。これだけ心配してやってきたのにいくらなんでもこれはあんまりだと薫がいうので、大君は、病室に招き、御簾越しに対面する。伏せているけれど、頭をもたげて応対する。
▼薫は、匂宮がこちらになかなか来ることができない理由などを詳しく説明するのだが、大君は、すっかり悲観して、泣いてばかりいる。薫は、懸命になって慰めながら、自分の恋はそっちのけで、なんで匂宮の言い訳をオレはしているんだと変な気持ちになるのだった。
▼話をしているうちに、大君は気分が悪くなってしまい、おつきの女房たちが、今日はそこまでにして、あちらの客間に行ってくださいと頼むのだが、そんなことができるものか、この人をちゃんとお世話できる人がどこにいるのだと薫は怒って、祈祷をさせる指図をする。
▼大君は「いと見苦しく、ことさらにもいとはしき身を、と聞きたまへど」(なんと見苦しいこと、わざとでも厭い捨ててしまいたいこの身であるのにとお聞きになっていらっしゃるが)と思う。
▼「わざとでも厭い捨ててしまいたいこの身」というのは、ずいぶん強い言葉で、自殺してしまいたい、という意味にもとれる。大君のこの病気が何なのかは分からないが、多分にストレス性の疾患で、更にくわえて、ものをちっとも食べないことからくる衰弱のようでもあり、ほとんど「自殺」に近いのかもしれない。
▼大君は、とにかく「死んでしまいたい」といつも思っているのだが、それでも、後に残す妹が心配でならないから、思いとどまっている。けれども、今、死を間近に感じる時に、薫が修験者に祈祷を頼むのを聞いて、「何と見苦しい」と思うのだ。そんなのいらない、私はこのまま死にたいのだ、と思うのだ。
▼けれども、薫が自分の命を長らえさせたいと思っているのだと思うと、また大君は嬉しくも思うのだった。
▼翌朝、大君は、今日は特に苦しいので、といって、自分から進んで病室の御簾の前に薫を呼び寄せる。そんなことは今までなかったことなので、かえって薫は不安にかられながらも、御簾近くに寄って、大君を慰める。そして薫は泊まらずに帰っていく。
▼ところで、薫の供人で、この邸の若い女房とねんごろになった者がいて、そいつが、匂宮の身の上に起きていること──つまり、六の君との結婚問題──を語った。それはたちまち噂として大君の耳にも入り、大君はますます絶望していく。
▼せっかく薫が伏せていたことを、その家来がみんなばらしちゃうんだからなあ。
▼大君はますます弱っていく。その姿がこんなふうに描かれる。
▼「夕暮れの空のけしきいとすごくしぐれて、木(こ)の下吹きはらふ風の音などに、たとへむかたなく、来し方行く先思ひやられて、添ひ臥したまへるさま、あてに限りなく見えたまふ。白き御衣(おんぞ)に、髪はけづることもしたまでほど経ぬれど、まよふ方なくうちやられて、日ごろにすこし青みたまへるしも、なまめかしさまさりて、ながめ出だしたまへるまみ額つきのほど、見知らぬ人に見せまほし。」(夕暮の空模様はまことに寂しく時雨れて、木の下の紅葉を吹きはらう風の音などにつけても、たとえようもないわびしさなので、今までのことこれから先のことを思案しながら物に添い臥していらっしゃる姫宮〈大君〉のお姿はどこまでも気高くお見えになる。白いお召物〈病気なので白い着物を着ている〉に、御髪は櫛をお入れにならぬまま日数を重ねているけれども、ほつれた毛筋もなく流れるようにうち置かれていて、長らくのご病気の間にお顔の色の多少青ざめていらっしゃるのが、かえっていっそう優美な感じで、物思わしく外を眺めていらっしゃる目もとや額のあたりなども、心ある人〈たとえば薫〉に見せてやりたい風情である。)
▼病身の大君を描く際にも、その背景に自然が描き込まれる。見事なものだ。
▼昼寝をしていた中の君は、夢に父の姿を見る。今まで夢に現れることのなかった父だが、心配そうな顔をしていたと聞いて大君はまた涙を流す。
▼匂宮からは、やっと手紙が来たけれど、どこかありきたりの文句は慰めにならないばかりか、腹がたつ大君。そして匂宮は案の定、なかなかやってこない。
▼そんな匂宮を見て、オレが思っていたよりも不実なヤツだったんだと思うにつけても、責任を感じる薫。
▼薫は、たびたび宇治へ見舞いの手紙を出すが、少しは気分もよいという返事に安心して、宮中の行事も重なったりもしたので、5、6日のあいだ使いを出さずじまいになってしまった。気になった薫が、いろいろある用事を放り出して宇治へ出かけてみると、そこには弱り果てた大君がいた。

 

★『源氏物語』を読む〈285〉2017.12.29
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その22)

▼大君は弱り果てていた。なぜこんなになるまで私を呼ばなかったのですと薫が言っても、時すでに遅し。こんな時こそ、弁の君が出しゃばりと言われようと、薫を呼べばよかったのだ。
▼そんな今際の際になってさえ、大君は、薫を自分の部屋に入れようとはしない。しかし、もう限界だ。薫は、中に入っていく。
▼「灯(ひ)はこなたの南の間にともして、内は暗きに、几帳を引き挙げて、すこしすべり入りて見たてまつりたまへば、老人(おいびと)ども二三人ぞさぶらふ。中の宮は、ふと隠れたまひぬれば、いと人少なに、心細くて臥したまへるを、「などか御声をだに聞かせたまはぬ。」とて、御手をとらへておどろかしきこえたまへば、「心地にはおぼえながら、もの言ふがいと苦しくてなん。日ごろ、訪れたまはざりつれば、おぼつかなくて過ぎはべりぬべきにやと口惜しくこそはべりつれ」と息の下にのたまふ。」(灯はこちらの南の間にともしてあって部屋の中は暗いので、几帳を引き上げて少しすべり入って姫宮〈大君〉を拝されると、そばに老人たち二、三人が控えている。中の宮はすぐに姿を隠しておしまいになったので、まったく人少なに、姫宮は心細そうに臥せっていらっしゃるのを、中納言〈薫〉が、「どうしてお声なりともお聞かせくださらないのです」と、御手をとらえてお話しかけになると、女君〈大君〉は、「そうは思っておりましても何か口にするのがとても苦しゅうございまして。このごろお越しくださらなかったものですから、気がかりなままはかなくなってしまうのかしら、と心残りでございました」と、苦しい息の下でおっしゃる。)
▼ここで、「大君」は「女君」と呼ばれる。大君は、はじめて素直になる。自分が冷たい女だと思われたまま死ぬことが辛かったのだ。
▼阿闍梨がやってきて、私も八の宮(姫君たちの父)の夢を見たなどという。大君は、お父様がまだ極楽往生していないのなら、早く私も死んで、お父様のところへ行きたいと思う。薫はいてもたってもいられなくて、方々のお寺に経を上げさせるように命じるのだった。
▼しかし、いくらお経をあげても、一向にかいがない。それは、そもそも大君本人が「助かりたい」と思っていないからだと言うのだ。
▼「みづからも、たひらかにあらむとも仏をも念じたまはばこそあらめ、なおかかるつひでにいかで亡(う)せなむ、この君のかくそひゐて、残りなくなりぬるを、今はもて離れむ方なし、さりとて、かうおろかならず見ゆめる心ばへの、見劣りして我も人も見えむが、心やすからずうかるべきこと、もし命強(し)ひて、とまらば、病にことつけて、かたちをも変へてむ、さてのみこそ、長き心をもかたみに見はつべきわざなれ」(当のご病人も、どうか回復するようにと仏にお祈りなさるのだったらともかく、ぜひこうした機会にどうぞして死んでしまいたい。この中納言の君〈薫〉がこうしてそばに付き添っていて、すっかり隔てもなくなってしまったからには、もう他人で通すすべもありはしない。かといって、このように並大抵とは思われぬご親切が、連れ添ってみればお互いにそれほどでもなかったというのであったら、どんなにか穏やかならず情けない気持になることだろう。もしどうしても命をとりとめるようなことになったら、病にことよせて尼にでもなってしまおう。それでこそお互いに変らぬ心をどこまでも保ち続けることができるのだろう)
▼どこまでも、大君は、一貫しているのだ。結婚というものが、大君にとっては、どうしても幸福を約束するものとは思えない。それどころか、「幻滅」をこそ約束しているとしか思えないのだ。薫と結婚して、その果てに幻滅するくらいなら、この病気で死んでしまいたい、と思うのだ。
▼そればかりではない、万一助かったら、もう尼になってしまおう。そうすれば、幻滅を味わうことなく、薫とつきあっていける、と考える。
▼この思考回路は、いったいどこから来るのだろうか。この頑ななまでの結婚への不信。男への不信。
▼恋愛から結婚へ、恋人から夫婦へ、と変われば、男女関係も変わる。恋愛中のままの気持ちで夫婦生活が送れるものではない。夫婦になってしまえば、遅かれ早かれ「こんなはずじゃなかった」という幻滅を感じるものだ。それが絶対に嫌だというのなら、やっぱり結婚はできないだろう。
▼大君の死の場面は哀切をきわめる。どんどんと弱っていく大君を見て、薫はむせび泣くばかり。
▼「いかなる契りにて、限りなく思ひきこえながら、つらきこと多くて別れたてまつるべきにか、すこしうきさまをだに見せたまはばなむ、思ひさますふしにもせむ、とまもれど、いよいよあはれげにあたらしく、をかしき御ありさまのみ見ゆ。腕(かひな)などもいと細うなりて、影のやうに弱げなるものから、色あひも変らず、白ううつくしげになよなよとして、白き御衣どものなよびかなるに、衾(ふすま)を押しやりて、中に身もなき雛(ひひな)を臥せたらむ心地して、御髪(みぐし)はいとこちたうもあらぬほどうちやられたる、枕より落ちたるきはの、つやつやとめでたうをかしげなるも、いかになりたまひなむとするぞと、あるべきものにもあらざめりと見るが、惜しきことたぐひなし。」(〈薫は〉「どういう因縁から、こうまで限りなくお慕い申しておりながらも、情けないことばかり重なってお別れ申さねばならぬのか。せめて少しでもいやなお姿をこの目にお見せくださるのだったら、この思いをさますよすがにもなろうものを」と思って、じっと見まもるけれど、いよいよいかにもいとしさがつのって、もったいなくお美しいご容姿しか目に入らない。腕などもほんとに細くおやせになって、影のように弱々しいものの、肌の色つやも変らず、白くかわいらしくなよやかな感じで、白いお召物の柔らかなのをお召しになっていて、夜具は横に押しやり、中身のない雛人形を寝かせたような風情で、御髪はうっとうしいというほどではなくうち置かれ、枕からこぼれ落ちているあたりがつやつやとみごとに美しいにつけても、いったいこのお方はどうなっておしまいになるのだろう、もういくらも生きてはいられそうもない、と思われるのが、またとなく惜しまれてならない。)
▼紫式部の筆は冴え渡っている。
▼そしてとうとう大君は息をひきとる。その場面は短く、一筆書きのようだ。
▼「世の中をことさらに厭ひ離れねとすすめたまふ仏などの、いとかくいみじきものは思はせたまふにやあらむ、見るままにものの枯れゆくやうにて、消えはてたまひぬるはいみじきわざかな。ひきとどむべき方なく、足摺(あしずり)もしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず。限りと見たてまつりたまひて、中の宮の、後れじと思ひまどひたまへるさまもことわりなり。あるにもあらず見えたまふを、例の、さかしき女ばら、今はいとゆゆしきこととひきさけたてまつる。」(中納言〈薫〉に、世の中を厭い離れよと特にお勧めになる仏などが、いかにもこうしてわざわざ悲しい思いをおさせになるというのだろうか、姫宮〈大君〉が見る見るうちに草木の枯れてゆくようにして絶え入っておしまいになったとは、なんと悲しいことか。引きとどめるすべもなく、足ずりもしたい思いで、人目に愚かしい男と見えようとも、それをはばかるゆとりもない。いよいよご臨終と拝されて、中の宮がご自身もあとに残るまいと取り乱していらっしゃるのも無理からぬことである。正気も失せたご様子なのを、いつものことで分別顔の女房たちが、御亡骸のそばにいらっしゃるのは不吉なことですと言ってお遠ざけ申しあげる。)
▼ここでも、「例の女ばら」が、悲しみの中での、辛味のアクセントとなっている。

 

★『源氏物語』を読む〈286〉2017.12.30
今日は、第47巻「総角(あげまき)」(その23・読了)

▼「中納言の君は、さりとも、いとかかることあらじ、夢かと思して、御殿油(おほむとなぶら)を近うかかげて見たてまつりたまふに、隠したまふ顔も、ただ寝たまへるやうにて、変りたまへるところもなく、うつくしげにてうち臥したるを、かくながら、虫の殻のやうにても見るわざならましかばと思ひまどはる。今はのことどもするに、御髪をかきやるに、さとうち匂ひたる、ただありしながらの匂ひになつかしうかうばしきも、ありがたう、何ごとにてこの人をすこしもなのめなりしと思ひさまさむ、まことに世の中を思ひ棄てはつるしるべならば、恐ろしげにうきことの、悲しさもさめぬべきふしをだに見つけさせたまへと仏を念じたまへど、いとど思ひのどめむ方なくのみあれば、言ふかひなくて、ひたぶるに煙だになしはててむと思ほして、とかく例の作法どもするぞ、あさましかりける。空を歩むやうに漂ひつつ、限りのありさまさへはかなげにて、煙も多くむすぼほれたまはずなりぬるもあへなしと、あきれて帰りたまひぬ。」(中納言の君〈薫〉は、いくらご重態とはいえ、まさかこう急に亡くなられることもあるまい、夢ではないかとお思いになって、灯火を近づけ明るくしてお見あげ申されると、袖で隠しておいでになるお顔もただ眠っていらっしゃるようで、ふだんと変られるところもなく、いかにも愛らしいご様子で臥していらっしゃるのを、このまま虫の脱け殻〈セミの抜け殻のこと〉のようにしてでもここにお置きすることができるのだったら、と途方にくれるお気持である。ご臨終の作法のために御髪をかきあげると、さっとあたりにただようにおいがご生前そのままに薫って、やさしく香ばしいにつけても、「またとないお方であった。このお方のどこを見れば多少とも普通並の人だったと思いあきらめることができるというのだろう。これがもし真実、俗世の執着を捨てさせる仏のお導きのしるべであるというのなら、せめてこの御亡骸に、悲しみもさめはてるような恐ろしく醜いところをこの目に見つけさせてください」と、仏をお念じになるけれど、ますます恋しい気持を静めるすべもないので、なんともいたしかたなく、いっそのこと早く荼毘の煙にでもしてしまおうとお思いになって、あれこれとこうした際の作法を行うのが、あまりといえばあまりのことであった。足も地につかぬようによろよろしていらっしゃって、最後の御葬りの様子までがいかにも頼りなく、煙も多くは立ちのぼらずにすんでしまったのもあっけないことよと、中納言は茫然自失の体でお帰りになった。)
▼明かりの下で大君の死に顔を見る場面から、遺骸を荼毘に付すまでを一気に語る。味わい深い文章である。こうした文章を、ゆっくりと読み味わうことができるのは、日本語を母語としているからこそであろう。ありがたいことである。
▼中の君もすっかりやつれ、まるで死人のように見える。匂宮からは手紙こそくるけれど、本人はやってこないのを見ると、薫はますます責任を感じ、それと同時に、大君の言っていたとおり、自分が中の君を妻とすればまだ慰めにもなったのにと後悔する。
▼薫は、この際、出家してしまおうかと思い悩むが、母の嘆きを思い、また中の君の今後が心配でもあるので、思いとどまる。
▼薫は、宇治にしばらくとどまり、「七日七日」の法要を営むのだが、夫婦ではないので、喪服を着ることができない。大君の女房たちが喪服を着ているのを見るにつけても悲しくてならない。
▼雪の深く積もったある夜、突然、匂宮が馬で訪ねてくる。中の君は、匂宮が来てくれたことは嬉しいのだが、今までのつらさや、大君が自分のことを心配しながら死んでしまったことが思われて、会う気持ちになれないのだが、薫が、あの匂宮は、いいとこのボンボンで、冷たくされたことがないんだから、会ってあげなきゃダメだよ、と説得するので、御簾越しに話をする。
▼匂宮は、薫がまるでこの家の主のように、女房たちを使っているのを見て感心するが、その薫の顔をみると、すっかりやつれているけれど、なんともいい男なので、女ならやっぱりコイツに気持ちが移るだろうなあと、ふと中の君のことが心配になる。このままここに置いておくと、薫にとられてしまうのではないかと不安になるのだ。
▼それで、匂宮は、中の君を都に連れていくことを具体的に考えはじめる。母も前から、連れてきて女一の宮(匂宮の姉)の女房にでもしておけばいいと言っていた。もちろん匂宮は、中の君を女房扱いするのは本意ではないが、とにかく宇治に置いておいてはいけないと思うのだった。
▼薫は、そんな匂宮の動きを聞いて、やっぱり中の君と結婚しときゃよかったなあと思うものの、匂宮が心配しているような件では、まるでそんな気はなく(つまり、後悔はしているが、だからといって、この期に及んで中の君に色目を使うような薫ではないのだということ。)、生活のお世話などは、オレじゃなきゃ誰がするんだと思っている。匂宮をあんまり信用してないわけだ。
▼というところで、長かった「総角」の巻も終わる。物語は新しい年を迎えようとしている。
▼ちょうど、年末にこの「総角」を読み終えることができてよかった。あまりに長く、また、あまりに充実しているので、つい時間をかけてしまった。一日に数ページしか読まなかったが、この読書記録を書くのに、毎日1時間以上かかっていたので、ずいぶんと長くこの「総角」とは付き合ったことになる。
▼さて次は「早蕨」の巻だが、年末年始のお休みということにして、来年の4日ごろに再開したいと思っている。皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。



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