「源氏物語」を読む

 

No.45 橋姫


【45 橋姫】

 

★『源氏物語』を読む〈241〉2017.11.12
今日は、第45巻「橋姫」(その1)

▼いよいよ「宇治十帖」に入る。
▼「そのころ、世にかずまへられたまはぬ古宮おはしけり。」(そのころ、世間からは忘れられていらっしゃる古宮がおありであった。)という冒頭は、なかなか堂々としたもので、「桐壺」の「いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなききはにはあらねど、すぐれて時めきたまふありけり。」という冒頭にくらべれば簡素だが、なにか新しい物語の始まりを予感させるものがある。
▼この古宮というのは、桐壺帝の第八皇子(つまり源氏の異母弟)で、母も大臣家出身の女御らしい。「筋のいい」方なのである。それなのに、すっかり世間からは忘れられてしまっている。
▼その北の方も大臣の娘で、仲睦まじい夫婦だったが、なかなか子どもができず、物足りなく思っていたところに、姫君(大君)が生まれ、夫婦二人で可愛がっていたが、間もなくまたご懐妊。こんどは男かと期待していたら、また女の子。安産だったのに、産後の肥立ちが悪く、北の方は亡くなってしまう。
▼この時、八の宮は、54歳ぐらい。北の方は何歳だったのか不明だが、30代ぐらいだったのだろうか。落魄の身とはいえ、親王だから、そうそう気軽に行動はできない。残された二人の娘の面倒をみるなんてことは、当時の親王がするべきことではないのである。けれども、北の方が亡くなる時、特にこの二番目の娘(中君)のことを、自分の形見と思って大事に育ててくれと遺言したこともあり、簡単に養女に出すなどといったこともできないし、出したくもない。晩年の子は、特に可愛いものだ。
▼ところが、この中君が生まれてすぐに北の方が亡くなるというドタバタの中で、中君を育てる乳母をちゃんと選ぶ余裕がなかったので、しょうもない乳母をやとってしまった。で、その乳母は、ろくに中君の面倒もみないので、八の宮は世間の手前も気にはなるが、それでも一生懸命慈しみ育てるのである。
▼しかし、生活も困窮し、先の見通しのない八の宮のところからは、女房やら、使用人やらがどんどんとやめていってしまうという有様。八の宮も、もともと運のない自分ではあったけれど、なんでまた晩年になってこんな苦労を背負い込まねばならないのか、いっそ世を捨てて出家したいとは思うのだが、可愛い娘をどうしよう。どこかの有力者が引き取ってくれるならともかく、そのあてもないのに、この子たちを見捨てることはできないとグズグズしているうちに、月日は経ち、二人の娘は、美しく成長していく。
▼背景の事情はまったく違うけれど、どことなく「竹取物語」を思わせる設定だ。
▼その美しい姿に八の宮は慰められて生きているが、邸は荒廃していくばかり。この頃の八の宮の邸はまだ都にある。
▼この八の宮という人物は、この「橋姫」で初めて登場するわけではない。第43巻の「紅梅」の巻に、匂宮が「八の宮の姫君」に入れ込んでいるというような記述がすでにチラッと出てくるのだ。
▼しかし、その時は、八の宮っていったい誰なのかについても詳しい説明はなく、この「橋姫」に至ってああ、あの時出てきた八の宮ってこの人かあと分かるといった寸法で、正式な登場はこの「橋姫」と考えてもいいだろう。
▼この八の宮という人は、桐壺帝の第八皇子で、一時は、いずれは帝にもと期待され、特に源氏の敵対者であった弘徽殿女御が肩入れして、春宮に推していたのだったが、源氏の復権によってそれが仇となり、「お呼びでない人」となってしまったわけである。
▼第1部、第2部を通して、すでに忘れられてしまっている人、話題にもほとんどあがらなかった人を、前面に持ち出して、あらたな物語を始めようとするのは、大変なことだけど、これまでの物語に出てきた人の話では、さすがに飽きてしまう。玉鬘の娘たちの話も、それなりに面白かったが、ここまできて玉鬘は、さすがに古びた感じがする。
▼冷泉院のネチネチとした「玉鬘愛」を発展させていけば、それなりの物語になるかもしれないけど、それじゃ、かつてのアイドルのなれの果ての、薄汚れた痴情のもつれ的な話にしかならないような気がする。
▼すでに、男の主人公としては、薫と匂宮の二人を用意した。特に薫は、一癖も二癖もある屈折した青年である。それに対して匂宮は、元気な男子だ。さてそれじゃ、彼らの恋の相手をどうしたらいいか、そんなふうに紫式部は考えたのだろうか。
▼実は、「紅梅」「竹河」の二巻は、時間的には、この「橋姫」やその後の巻と重複しているという複雑な構造となっている。こうしたことは、他の巻にもあって、源氏物語は、第1巻から第54巻まで、時間軸に沿って一直線に継続しているのではないことは、いちおう心得ておく必要がある。
▼まあ、そんなメンドクサイ問題はさておき、世間の片隅に追いやられたような落魄の親王の美人姉妹が、これからどのような運命にさらされていくのか、心して読んでいきたい。今までより更に読むスピードを落としていくことになるだろう。

 

★『源氏物語』を読む〈242〉2017.11.13
今日は、第45巻「橋姫」(その2)

▼庭には、そこに住む人の経済状態や、心のさまが現れる。というか、源氏物語では、庭はそのようなものとして描かれる。ヨーロッパの庭園は、たぶん、そうした扱いを受けてはこなかったのではなかろうか。
▼「さすがに広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変はらでいといたう荒れまさるを、つれづれとながめたまふ。家司(けいし)などもむねむねしき人もなかりければ、とり繕(つくろ)ふ人もなきままに、草青やかに茂り、軒しのぶぞ所得顔(ところえがお)に青みわたれる。をりをりにつけたる花紅葉の色をも香をも、同じ心に見はやしたまひにしこそ慰むことも多かれ、いとどしくさびしく、よりつかむ方なきままに、持仏の御飾ばかりをわざとせさせたまひて、明け暮れ行ひたまふ。」(さすがに広く趣向をこらしたお邸とて、池や築山などのたたずまいばかりは昔に変らず、ただひどく荒れまさる一方なのを、宮は所在なく眺めて物思いの日々をお過しになる。家司なども、しっかりした人がいなかったので、手入れをする者もいないままに草は青々と茂り、軒の忍ぶ草がわがもの顔に青く一面に生いはびこっている。四季折々の花や紅葉の色をも香をも、かつては北の方とごいっしょにごらんになりお楽しみになったからこそ、憂いの慰められることも多かったのだが、今はいよいよ寂しくなって、頼りとすべきものもないのだから、ただ念持仏のお飾りつけぐらいをことさら入念になさって、明け暮れ勤行に精を出しておいでになる。)
▼庭が荒れていくのは、しっかりと手入れをする者がいないからだが、それを呆然と見ている八の宮の心が荒れているからでもある。庭の花や紅葉をともに愛でてきた妻を失った八の宮には、庭を整える気力がない。妻とともに見てこその庭だったのだ。
▼池に泳ぐつがいの水鳥を見ても、いつもは何でもない風景だったのに、今は、「ああ、うらやましい。」と思ってしまう八の宮。
▼周囲には、いつまでもウジウジと悲しんでいないで、再婚したらどうかと勧めるお節介者がたくさんいるが、八の宮は、そんな「世間並み」のことはしたくないと思う。自分は特別なのだという、親王としての矜恃がある。その矜恃は、宮を仏道へと向かわせるのだ。
▼見栄をはっているだけじゃんと思われても、オレは、世間のヤツとは違うんだ、女房に死なれたからといって、さっさと再婚するなんて浅薄なヤツじゃない。厳しく自分を律して、聖(ひじり)となるのだ、と心に誓う八の宮を非難するいわれはない。人間は、どこかで意地を張らなくては生きていけないものなのかもしれない。
▼水鳥を見て、うらやましがりながらも、八の宮は姫たちに琴を教え、歌を詠み、涙を流す。そんな八の宮はこんなふうに描かれる。
▼「容貌(かたち)いときよげにおはします宮なり。年ごろの御行ひに痩せ細りたまひにたれど、さてしもあてになまめきて、君たちをかしづきたまふ御心ばへに、直衣(なほし)の萎えばめるを着たまひて、しどけなき御さまいと恥づかしげなり。」(お顔だちのまことにおきれいでいらっしゃる宮であり、長年のお勤行のためにほっそりとやせていらっしゃるけれど、そのためにかえってしっとりと気高く優美になられて、姫君たちをお世話なさるお心づかいから、直衣の柔らかになったのをお召しになってとりつくろわれぬお姿は、まことに拝するも恥じ入りたいくらいの奥ゆかしさである。)
▼さすがは源氏の弟である。しっとりとした気品が漂い、それでいて、娘の世話をするからといって、糊のきいていない柔らかい着物をきている様子が「しどけない」。
▼この「しどけない」という言葉は、「いいかげんでしまりがない。とりとめない。だらしない。」といった意味なのだが、そこから変化して、「(服装や髪などがとりつくろわないため適当に乱れている様子を、むしろ美的なものとして好意をもっていう語)うちとけた親しみがある。ゆるび乱れた美しさがある。」という意味を持つ。(日本国語大辞典)
▼「だらしなさ」が「汚さ」になるのではなくて、「乱れた美しさ」になる。こういう美意識はおもしろい。
▼しかし、これは、男の場合、特に難しいなあ。ただだらしないだけのオジサンやらジイサンはいくらでもいるけど、そのだらしなさに、気品が漂うなんて、至難の業。ぼくなんかが、ちょっとだらしなくすると、もう、ほんとにしょうもないジジイになっちゃう。というか、すでにもうなっているけど。
▼ロックのスターならいるような気がする。よく知らないけど、ミック・ジャガーとか、エリック・クラプトンとか、そういう人かなあ。演歌歌手じゃダメだよね。ま、よくわかなんない。
▼その点、女性なら、こういう感じの人はいまでも結構いるような気がする。誰とは言えないけど、なんとなくそんな感じがする。もちろん会ったことなどないが、森茉莉なんて、そんな女性だったのかなあ。

 

★『源氏物語』を読む〈243〉2017.11.14
今日は、第45巻「橋姫」(その3)

▼冒頭でいきなり「そのころ、世にかずまへられたまはぬ古宮おはしけり。」と紹介されて登場した八の宮だが、その両親についてちょっとした説明があっただけで、話はすぐにその二人の娘の誕生と、北の方の死去へと進んでいったわけだが、ここで、改めて、実はこの人はこうした人だったのですと、詳しく説明される。
▼現代の読者は、いきなり出てきた「八の宮」が、源氏の弟だということを注などを見て知ってしまっているわけだが、本文だけ読んでいくと、そんなことは書かれておらず、ただ、世の中から見捨てられた落魄の親王だということしか分からない。しかも、晩年になって、娘が二人もできたのに、奥方が二人目の娘を産んですぐに亡くなってしまい、ただただ途方に暮れ、嘆くことしかできない、なんとも頼りない人。いったいこの人はどんな人なの? って疑問がそろそろ出始めようとしたころ、実は、ということになる。
▼こうした書き方について、『花鳥余情』という室町時代の学者一条兼良が書いた源氏の注釈書では、「最初から順番に書いても、普通すぎて面白くない。後先の順番を変えて描くから面白いのである。」みたいなことを言っている。たいしたものだ。
▼さて、そういうわけで、八の宮という人について、詳しく述べられる。
▼この人は父母に早く先立たれた。父は桐壺帝で、その第八皇子だから、それも無理はない。母は大臣の家がらだったのだが、これも早く亡くなった。そのうえ、しっかりした後見人もいなかったので、幼いころからちゃんとした教育を受けることができなかったというのである。
▼まあ、現代風に言えば、小学校しかでていない、といったところだろうか。中学、高校、大学へと進んで学べば、世の中で生きていく上で必要な学問もちゃんと身についたのに、それができなかった、当時でいえば、男子はまずは漢学だから、それが身につかなかなかったというわけだ。
▼それで、「女のやうにおはすれば」(女のようなお方でいらっしゃるので)と書かれている。漢学が身についていないと「女みたいだ」と言われるわけだ。紫式部が漢学をばっちり学んだから、親が「男ならよかったのに」と嘆いたとかいう話があったと思うが、その逆だ。
▼で、この親王は、勉強ができない(というわけでもないんだろうけど、そう思われちゃう)だけではく、天皇の息子らしく、とてもおっとりしていて、世の中のことがぜんぜん分からないものだから、親や祖父(母方の)から受け継いだ財宝など、貴重なものが、なんでだか、どんどん消えていってしまって、動かせない家具調度類だけがやたらゴテゴテと部屋にあるということになってしまった。
▼消えていったといったって、自然消滅するわけないから、やってきた人のいいなりに、持って行っていいよとばかり気前よくあげちゃったんだろうね。
▼それでも、金はあったらしく、ヒマにあかせて、家にミュージシャンなんて読んで演奏会やったりするという趣味的な生活を送っていたので、世間からも「女みたい」って言われていたわけだ。やっぱり、男は、仕事とか出世が、生きがいじゃないとダメなんだろう。
▼ところが、女みたいだろうが何だろうが、帝の息子には違いないわけだから、「利用価値」はある。桐壺更衣をさんざん虐めた弘徽殿女御が、あるとき(源氏が、須磨に流謫になったころらしい)、当時春宮だった冷泉院を廃して、この八の宮を春宮に据えようというとんでもない陰謀が企てられたのだという。この「事件」は、どこにも書かれていなかったわけだが、ここへ来て、実はそういうことがあったんです、というわけだ。
▼その時、八の宮は、自分でその気になったわけではなく、いわば担がれたのだったが、その陰謀も不発に終わり、時は源氏の時代へと移っていき、そのとばっちりで、八の宮は兄である源氏とも疎遠にならざるを得なかったのだ。
▼そんな生活の中で、二人の娘が生まれたものの、奥方は死んでしまい、だからといって、じゃあ再婚してやり直そうという気力もなく、ただただ仏道修行に明け暮れ、出家は娘のこともあるから断念しても、心は「聖」(山などに籠もる高徳の修行者)だというのが、八の宮の心の支えだった。
▼そんな八の宮を更なる不幸が襲う。なんと、住んでいた邸が火事で焼けてしまったのだ。もう都には移り住むところもない。そこで、以前から所有していた宇治の山荘に移り住むことにした。「宇治といふ所によしある山里を持ちたまへる…」とある。
▼これが「宇治十帖」の発端である。いや、物語の発端は、すでに娘のことで始まっているのだが、名実ともに「宇治十帖」となるのは、この宇治への引っ越しがあるからだ。
▼なぜ、「宇治」なのか。もちろん、ここは、貴族の多くが山荘を持っていた土地であることも理由の一つだが、全集の注は以下のような説明を加えている。
▼「平安時代は貴族たちの別荘地となり、また長谷寺参詣の経路にもなった。京都からは半日行程。『……といふ所』は、ここで初めて話題になる新たなる別世界の印象を与える表現。『わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり』(古今集雑下・喜撰)以来「憂」の意をこめた歌枕となった。現世に絶望した八の宮を迎える場所としていかにもふさわしい。」
▼そうか、「宇治」は「憂し」につながるってことを忘れてた。土地の名前は大事だなあ。平成の大合併とやらで、昔からの地名がどんどんと消え、ヘンテコな地名が増えたけど、きっと将来に禍根を残すことだろう。まあ、とにかく、「宇治」が、「南きょうと市」とかにならなくてよかった。

 

★『源氏物語』を読む〈244〉2017.11.15
今日は、第45巻「橋姫」(その4)

▼宇治の邸は、それこそ田舎もいいところだから、わざわざ訪れる人もいないが、この宇治山に「聖だちたる阿闍梨(あざり)」(聖めいた阿闍梨──「聖」とは、山林に隠遁して苦行を積む修行者、また「阿闍梨」とは、天台宗・真言宗でも僧職の名で、朝廷より任命される)が住んでいた。
▼八の宮が、近くに住んでいて、熱心に経典を勉強しており、お金にも困っているはずなのに、お寺にお布施もしてくれるので、阿闍梨は八の宮を敬って、しばしば邸を訪ねてくるようになり、経典の深い意味などの説明もしてくれるようになった。いわば独学で、仏法を学んでいた八の宮だから、これは嬉しかったことだろう。いろいろと苦しい胸の内を阿闍梨に語るのだった。
▼この阿闍梨は、冷泉院のところにも出入りしていて、経典の講義などしていたので、自然、この八の宮のことが話題になった。いや、なかなかの勉強家でしてな、教えの理解も深く、聖の心構えでいらっしゃいます、というと、冷泉院は、まだ出家はしていないようだね、若い者が「俗聖」(在俗のまま、仏法の戒律を守り修業する者)だとか噂しているが、立派なものだと、感心する。
▼薫も、そばにいて、その話を聞きながら、自分もまたこの世は何の意味もないものと思っていながら、仏道修行もいい加減なままに過ごしている。この「俗聖」の心構えとはいったいどんなものなのだろうかと、真剣に耳を傾ける。
▼まあ、本当は出家なさりたいそうなのですが、お二人の娘を見捨てることもできないと嘆いていらっしゃるわけでしてと言って、その二人の様子をこんなふうに語る。
▼「げにはた、この姫君たちの、琴弾きあはせて遊びたまへる、川波にきほひて聞こえはべるは、いとおもしろく、極楽思ひやられはべるや」(いかにも、なんとまあ、この姫君たちの、琴を合奏してお遊びになるのが、川波の音に競い合うように聞えてきますのは、まことに風情があって、極楽もかくやと思いやられることでございます。)と褒めちぎる。
▼すると冷泉院は、おや、そんな田舎で、そんな父のもとで成長したのに、それはおもしろいねえ。万一、父親に先立たれたりしたら、私のところにゆずってくれないかなあ、なんて、またまた虫のいいことを言い出す。まったくこの人、困った人だ。
▼この冷泉院は、49歳、大君はまだ20歳そこそこ。いい加減にしろっていいたいね。しかも、この時冷泉院の頭にあったのは、源氏のところにものすごく若い女三の宮が嫁いだという前例だったのだ。ああいうこともあったのだからいいんじゃないだろうか。最近退屈だし、遊び相手には丁度いいとふと思ったわけだ。この人、源氏の実の息子なのに、女三の宮の件で、源氏や紫の上や、女三の宮が、どんな苦しい目にあったのか知らないのだろうか。そもそも自分自身が暗い出生の秘密を抱えていたのではなかったか。年をとってボケてきたのだろうかとさえ思ってしまう。
▼「この院の帝は、十の御子にぞおはしましける。」(この冷泉院は、第十の皇子でいらっしゃるのだった。)と書かれていて、八の宮の弟だということが明示される。ということは、姫たちは、院の姪だ。
▼まあ、冷泉院は、源氏の子だから、そういう好き心はいくつになっても衰えないということだろうが、薫は、そんな姫などにはまったく興味を示さず、その父親の方に興味を持つ。そんな人なら会ってみたいと思うのだ。
▼宇治に帰った阿闍梨は、冷泉院の虫のいい気持ちなどは伝えず、薫の熱心な仏法への思いを伝える。
▼八の宮はそれを聞いて、自分の身に何か不幸があったときに、出家したいなどと思うものなのに、まだ若い薫が、何ひとつ不自由もなく、思いのままに暮らしているのに、そんな道心を起こすとはと感動する。それにひきかえ、自分の道心などは、妻の死によって引き起こされたものにすぎず、そのうえ、修業も中途半端でなかなか悟りにも至らない、と反省し、薫を「法(のり)の友」(仏法を学ぶ友)と思うようになるのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈245〉2017.11.16
今日は、第45巻「橋姫」(その5)

▼八の宮に心ひかれた薫は、宇治を訪ねる。その描写。
▼「げに、聞きしよりもあはれに、住みたまへるさまよりはじめて、いと仮なる草の庵に、思ひなしことそぎたり。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべくのどやかなるもあるを、いと荒(あら)ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、夜など心とけて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹きはらひたり。」(いかにも、宇治の山里は聞きしにまさって胸にしみるような寂しさであり、宮のお住いのご様子をはじめとして、まったくかりそめの草の庵であって、思って見るせいか、諸事簡素なお暮しぶりである。同じ山里といっても、それなりに心のひきつけられるような静穏な所もあるものだが、ここは、じつに荒々しい水の音、波の響きに、昼は物思いを忘れる折もなさそうだし、夜は夜でくつろいで夢を見たりするような暇さえもなさそうなくらいに、すさまじく風が吹き荒れている。)
▼宇治川は、この当時は、かなりの急流だったらしく、「水の音」「波の響き」がさわがしいと前にも書かれていた。十年ほど前に宇治川を訪れたときも、川はかなり激しく流れていた。京都の鴨川などとはだいぶ趣が違う。文学散歩とかいったものに昔はそれほど興味がなかったが、やはり、その土地を訪ねることには大きな意味があると最近では痛感している。
▼海外旅行というものを、したことがなく、これからもするつもりもないが、そのぶん、こうした古典文学やら現代文学にゆかりの土地を曲がりなりにも訪ねてきたのはよかったと思う。とはいえ、朔太郎の郷里の前橋に行きたいと思いつつ、いまだ実現しない引きこもりぶりである。
▼今の宇治をちょっとばかり知ったとて、平安時代の宇治の様子を鮮やかには思い描くことはできない。けれども、こうした言葉のおかげで、何とかその雰囲気を察することができるというのは、考えてみればたいしたことだ。ぼくは昔から「言葉はタイムマシンだ」と思ってきたけれど、その感はますます近年深い。
▼薫は、こうした荒々しい宇治の自然を前にして、「聖」にとってはこういう場所は世の中への執着を断つには好都合かもしれないけど、娘たちはいったいどんな気持ちで暮らしているのだろうか。普通の女じゃないんじゃないか、などとと思う。つまり、こんなところにいて平気だとすれば、普通の女のようなやさしいなよなよした女だとは考えられないということだ。
▼山荘は狭いから、薫が通された仏間の隣はもう姫たちの部屋だ。薫はさすがに、心ひかれて、何か言いかけようかと思うのだが、いやいやぼくがここへ来たのはそんな色っぽいことをするためじゃない。むしろ、そんな恋なんていう執着を逃れるためなのだ。ここで仇っぽいことなんかいうのは筋違いだと「思ひ返す」。
▼薫は、いつもこうして、「思い返す」。
▼薫にとってはお姫様より、八の宮だ。その魅力ははかりしれない。八の宮は、いわば素人の修行者だから、それほど思想的な深さはないけれど、そこらにごろごろいる「高徳の僧」みたいにふんぞり返っていないし、ただ戒律を守っているだけで偉い坊さんなんだと勘違いしている連中みたいな言葉の汚さとかもない。
▼八の宮は、仏の教えを分かりやすい例えにして語り、教えの核心をつかんでいるのだ。
▼こんな記述がある。「よき人はものの心を得たまふ方のいとことにものしたまひければ」(高貴なご身分のお方は物事の道理を会得なさるところがまったく格別でいらっしゃったので)
▼全集の注では「一般に、皇族など高貴な人が道心をいだくのは格別奇特とする。」とある。八の宮も感じたとおり、人間というものは、何かおおきな悩みなどがないと「道心」などは起こさないものだ。それこそ「困ったときの神頼み」というやつで、普段、何ごともなく平穏に暮らしているときは、神も仏も忘れているのが普通だ。まして、高貴な方ともなれば、少なくとも生活にはなんの不自由もないのだから、「道心」など起こさないのが普通なのだ。
▼そういう高貴な方が道心を起こすと、世間一般の僧侶などとは、ぜんぜん違った境地に至る、ということなのかもしれない。おれは高徳の僧だぜなんて威張っている僧侶などは、俗臭紛々たるもので、もともとは生活のために僧侶になったのだろうから、実はその思想はきわめて浅いのだ。紫式部という人には、そうしたことまでお見通しなのだ。
▼薫がこんなふうに八の宮に入れ込むものだから、冷泉院も、八の宮を大事にしだす。使者を出して、いろいろと面倒をみるようになる。経済的な援助もするようになる。薫もひっきりなしに八の宮を訪ねる。そんなことをしているうちに、3年ほどたった。
▼ちょっとびっくりする。薫は、八の宮を訪ねて、そこに美人姉妹がいるのに、何の手出しもしないで3年もたったというのだ。3年もあれば、少しは何かあってもいいんじゃないかと思うのは、それこそゲスの勘ぐりというやつだろうか。

 

★『源氏物語』を読む〈246〉2017.11.17
今日は、第45巻「橋姫」(その6)

▼あっという間に3年経ち、薫は22歳になった。
▼その秋のある日、薫は久しぶりに宇治を訪ねる。都からは半日の行程だが、薫はまだ世があけないうちに、お忍びで出かけるのだ。道ならぬ恋の場合などはよくあることだが、ここでは八の宮を訪ねるわけだから、そんなにお忍びでなくてもいいはずなのに、家来4人を連れてはいるが、牛車では目立つというので、馬に乗って行く。宇治に着いたあたりの描写が素晴らしい。
▼実は、この日は、八の宮は邸にいない。四季の念仏(四季に割り当てて唱える念仏)というのがあって、お経をあげるには、宇治川が近く、網代の波音がやかましくて落ち着かないということで、阿闍梨のいる山へ籠もっていた最中だったのだ。7日間も籠もるというのだから、連れていってもらえない娘たちは、どんなに寂しかったことだろう。道心も結構だが、これじゃ娘がかわいそう。
▼「姫君たちは、いと心細く、つれづれまさりてながめたまひけるころ、〈薫は〉有明の月の、まだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなくて、やつれておはしけり。川のこなたなれれば、船などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに、霧りふたがりて、道も見えぬ繁き野中を分けたまふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるも、いと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬここちに、心細くをかくしくおぼされけり。」(姫君たちはまことに心細く、常にもまして所在なく物思いの日々を過していらっしゃったが、そのころ中将の君は、ここしばらくご無沙汰を重ねてしまったことよ、とお思い出し申しあげられたので、早速に有明の月のまだ夜深くさし上る時分にお立ちになり、ほんとにお微行で、お供に人数もなく、身なりをやつしてお越しになるのであった。〈八の宮の邸は〉川のこちら岸なので、舟などの面倒もなく御馬でおいでになるのだった。山路にさしかかるにつれて霧があたり一面に立ちこめていて、道も見えない繁木の中を分けていらっしゃると、じつに荒々しく風が吹きつのるので、ほろほろと乱れ落ちる木の葉の露が降りかかるのも、まことに冷やかで、自ら求めての道中ながらしとどにお濡れになった。このような夜歩きなどめったになさることもない君のお気持には、心細くも、またおもしろくもお思いになるのであった。)
▼引用が長くなったけれど、味わい深い文章である。じっくり読みたいところだ。
▼「やつれておはしけり」という表現がはじめの方に出てくるが、これは病気でやつれているのではない。身分を隠すために、質素な身なりをしていることを「やつる(やつれる)」というのだ。そういう身なりをすることを「やつす」という。またそういう姿を「やつし姿」という。古文を読む上での重要語。
▼この後半の、霧のかかる山道を馬で進むと、風に吹かれた木の葉から露が「ほろほろと」乱れ落ちるなんて、まるで絵に描いたようだ。
▼源氏物語は、そのほとんどが都での、そして室内での話として展開するので、こうした都を離れた自然が出てくる場面というのは、とりわけ新鮮な印象を与える。今まででは、須磨・明石のあたりの自然がまさにそうだったし、ぐっとスケールは小さいが、「夕顔」の巻の、都のはずれの家なんかの描写もあった。
▼薫が馬に乗って静かに進むと、あたりに点在している「民家」では、すでに目覚めている人がいて、薫の放つ「いい匂い」に気づくなんてことが書いてある。いったいどれだけすごい体臭なんだろうか。「体臭」って書くと、変な匂いみたいだけど。
▼八の宮の邸に近づくと、何の「琴」だか分からないけれど──「琴」は、琴(きん)、和琴、箏の琴、琵琶などの総称──とにかく、「琴」の音がしみじみとした感じで聞こえてくる。それは二人の姫君が、つれづれの慰みにつまびく「琴」だったのだ。薫は、その音にじっと耳を傾ける。まだ夜は明けていない。

 

★『源氏物語』を読む〈247〉2017.11.18
今日は、第45巻「橋姫」(その7)

▼薫が八の宮の邸に着くと、「宿直人」(@貴人を警護するため宿直番にあたる人。A主人不在の屋敷を預り守る人。管理を託された人。転じて、身分の低い者。〈日本国語大辞典〉)ふうの無骨な男が迎え、主人の不在を告げる。
▼薫をみた男は、さすがにその美しさがわかり(当時は、身分の低い者には、ものの情緒とか、美しさなどは分からないと思われていたようだ。)姫君に来訪を伝えようというのだが、薫は、いやちょっと待て、オレはあの琴をもっと聞いていたいのだ、という。
▼姫様たちは、ああして、だれも訪ねてこないときは、いつも合奏しているのですが、ちょっとでも都からなどの客人があると、絶対に弾きません。父親が、娘の存在を隠しているからです、というようなことをいうと、薫は、それはもったいないことだ。それはそうと、どこかで、こっそりとあの琴を聞ける場所に連れて行ってくれないかと頼む。
▼男は、そんなことしたらご主人様に叱られますよなどといいながら、透垣(すいがい)の元へ連れて行く。ここからが有名な場面となる。源氏物語絵巻にもこの場面がある。
▼「あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、簾(すだれ)を短く捲き上げて、人々ゐたり。簀子(すのこ)に、いと寒げに、身細く萎えばめる童一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人、一人柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥(ばち)を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月のにはかにいと明(あ)かくさし出でたれば、『扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり』とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし。添ひ臥したる人は、琴の上にかたぶきかかりて、『入る日をかへす撥こそありけれ、さま異(こと)にも思ひおよびたまふ御心かな』とて、うち笑ひたるけはひ、いますこし重りかによしづきたり。」【中将〈薫のこと〉が姫君のお部屋のほうに通じているらしい透垣の戸を少し押し開けてごらんになると、簾を低く巻き上げて、お付きの女房たちが、月の風情も美しく霧が一面に立ちこめている景色を眺めて控えている。簀子には、いかにも寒そうに、細くやせてよれよれの着古した衣装を身にまとった女童が一人、また同じ姿をした女房などがいる。廂の間にいる姫君は、一人は柱に少し隠れていて、琵琶を前に置いて撥を手まさぐりしながらすわっていたが、雲に隠れていた月が急に明るくさし出てきたので、〈中君は〉「扇ではなく、これでも月は招き寄せることができましたよ」と言って、撥からちょっと月をのぞいたその顔は、たいそうつややかに美しいお方らしいと見えた。他方、物に寄り添ってうつぶせになっている人が、琴の上に前かがみになって、〈大君は〉「夕日を呼び返す撥のことは聞いておりますけれど、変ったことをお思いつきになりますのね」と言って、にっこり笑う様子は、もう少し重々しく嗜みの深そうな風情である。】
▼琵琶を前にしているのが大君なのか、中君なのかは、古来論争があるらしいが、最近の説は、中君ということになっているらしい。
▼薫が垣根の戸をちょっと開けて覗くと、童や女房たちの姿が見え、その奥に二人の姫君がいる。薫の視線は、ズームインするカメラのように奥へ奥へと入っていく。しかし、暗いからよくわからない。そこへ雲が切れて、さっと有明の月の光が差し込む。まるで、舞台照明のようだ。ただただ美しい。
▼全体に暗いグレーを感じさせる色調は、まだ夜もあけない薄暗さと、深い霧のせいだが、その霧がさっとはれて、有明の月のひかりがパッとさしこむ。有明の月だから、満月とは違って弱い光なのだが、それでも室内の姫君を銀色に浮かび上がらせるには十分だ。
▼こうした微妙な光を、ぼくらは今ほとんど味わうことができない。そしてまた、こうした緩やかでしかも劇的な男女の出会いというものも無縁となってしまった。
▼このシーンもいわゆる「垣間見(かいまみ)」のシーンだ。垣間見といえば、「若紫」の巻で、初めて源氏が少女時代の紫の上を見るシーンが思い出されるが、「若紫」の方は、夕方の赤みを帯びた光のせいか、色彩感が豊かで、みずみずしい生命感に溢れている。それに比べると、このシーンは、ぐっと渋く、重厚で、神秘的ですらある。う〜ん、いいなあ。この世界にずっと浸っていたいなんて思ってしまう。

 

★『源氏物語』を読む〈248〉2017.11.19
今日は、第45巻「橋姫」(その8)

▼美しい姫君に心惹かれた薫は、帰りの牛車の手配を家来に命じるとともに、(来るときは馬だったのだが、帰りは車で帰ろうというわけである。贅沢だね。)宿直人に姫君への取り次ぎを頼む。宿直人が伝えると、姫君たちは驚きあわてる。
▼そういえば、さっきからいい匂いがしていたのに、気づかなかったなんて、あたしたちとしたことが! それじゃ、琴の演奏も聞かれてしまったのだわ、恥ずかしい! なんていって、応対どころのさわぎではない。お付きの女房も若くてこういうことに慣れてないから、姫からの伝言を伝えるにも、あたふたしてしまって、ちっとも要領をえない。薫は、こういうときは「臨機応変」だ、霧も深いことだしってわけで、さっさと、姫君たちのいる部屋の御簾の前にひざまづいてしまう。こういうところは、薫もなかなかの行動派だ。
▼御簾の前に座った薫に、若い女房が座布団(しとね)を差し出すのだが、その手つきもぎこちない。
▼おやおや、こんなところでは落ち着きませんよ、どうか御簾の中に入れてください。こんな遠くまで、露に濡れながら訪ねてきたのですから、私の心の深さは分かってくださるでしょうね、と、いっぱしの色男。
▼こういうとき、普通なら、お付きの女房が、気の利いた返事をして間を取り持つのだが、ここにいる若い女房たちは、薫と聞いただけで、もうぼうっとしてしまって、気を失ってしまいそうに恥ずかしがっているばかりでどうしようもない。そうかといって、もうちょっと気の利いた古株の女房を呼んではいるけど、奥の方でまだ寝ていて、起きて応対するには時間がまだかかる。そんなことでぐずぐずしていたら、なんだかわざと恋の駆け引きをしているみたいで、そんなふうに思われるのも嫌だから、大君は自分が応対しようと決心する。
▼これ以降は、薫と大君のやりとりとなる。薫としては、垣間見したとき、どちらにより心惹かれたとかいうことはなかったし、御簾の向こうには二人いるのだから、どっちでもよかったのかもしれないが、ここで応対した大君に次第にひかれていくようになる、ということらしい。
▼何ごともわきまえない私どもでございまして、なんとお答えしたものやら、なんてことを、大君が気品のある声で言うと、何でも知っていながら、何にも知らないふるするなんてことはこの世界では常道でしょうけど、あなたまでがそんなことをおっしゃるとはナサケナイです。私は、そんじょそこらの「好き者」ではありません。お聞き及びかもしれませんが、そんな色めいた道に私を誘う人がいたって、断固として断ることで私は有名なんです、なんて、ずいぶんヘンテコなことをいう。
▼それじゃ、君がいまやっていることって何なの? って聞きたくなるけど、薫は大真面目で、とにかく私はいつも一人で、退屈なんです。(といって、自分が独身であることを示唆する、と「全集の注」が言っている。)ですから、話し相手になってほしいんです、いや、私が、あなたの話の聞き手になりましょう、みたいなことをいうのである。
▼父親のいいなりになって、こんな田舎の寂しいところで暮らしているあなたには、きっといろいろお話したいことがあるでしょう、というわけだろう。たしかに、そういう女性の気持ちを聞いてみたいという思いが薫にはあったのかもしれない。
▼しかしまあ、「話し相手になってほしい」なんて、立派な口説き文句じゃなかろうか。だれだって、最初はそういって近づき、結局はそれじゃすまないってことになる。そんなことは百も承知の薫のはずだけれど、自分は並の好き者じゃないんだという自覚はあるのだろう。自分は、女などには興味はなく、仏道修行に興味があるのだと自分で思い込みたいのだろうか。けれども、実際の自分の心情や行動はその自分の「あるべき姿」とは異なっている。
▼これは、漱石の『こころ』のKだよね。Kの場合はその矛盾に悩んだ挙げ句自殺してしまうのだが、薫はそこまで悩まない。今後どうかは読んでないから(いや、読んだのだが、忘れているから)分からないけれど、少なくとも、ここで、御簾の外から大君に言い寄る薫には、そうした葛藤は見られない。
▼大君は、次から次へとペラペラしゃべる薫に、どう答えていいかわからず、メンドクサイなあと思っているところへ、奥から「老人(おいびと)」(さっき起こしにやった老女房)が出てきたので、これ幸いに応対を任せた。

 

★『源氏物語』を読む〈249〉2017.11.20
今日は、第45巻「橋姫」(その9)

▼奥から出てきた老女は、ああ、もったいないことです、こんなところにお席をもうけるなんて、さ、さ、御簾の内へお入りになってくださいと、遠慮なく言う口ぶりが嫌だなあと薫は思うが、しかし、そのしゃべりかたや気配は、どこか優雅で、田舎じみていない。
▼その時、老女は、薫を垣間見る。
▼「『いとたづきも知らぬここちしつるに、うれしき御けはひにこそ。何ごとも、げによく思ひ知りたまひける頼み、こよなかりけり。」とて、よりゐたまへるを、几帳のそばより見れば、曙、やうやうものの色分かるるままに、げにやつしたまへると見ゆる狩衣姿(かりぎぬすがた)の、いと濡れしめりたるほど、うたてこの世のほかの匂ひにやと、あやきしまで薫り満ちたり。」(「まったく取りつく島もない心地がしておりましたが、うれしいおとりなしです。万事、いかにもお分りくださっているのは、このうえもなく頼もしいことです」と〈薫が〉言って、物に寄りかかっていらっしゃるのを、几帳の端から女房たちが〈老女が〉透き見していると、明け方のようやく物の見分けのついてくるころとて、いかにも人目を忍んでいらっしゃるとみえる狩衣姿のしっとりと露に湿っている、そのあたりに、なんとこれはこの世のほかのにおいではなかろうかと、不思議なくらいあたり一面に薫りが満ちている。)
▼時間は確実に経過して、「曙」のころとなっている。枕草子にもあるとおり、曙は、夜が明けかかりあたりがうっすら明るくなってくるころのことだ。(「暁(あかつき)」は、その前のまだ暗いころをいう。)老女が几帳の端の隙間から覗いてみると、その曙の光の中に、まごうことなき貴公子の姿、しかも、彼からは、極楽のものかと思えるほどの薫りがただよい、あたりに満ちている。老女は、これが「薫」であると確信するのだ。
▼言葉としては、そうは書かれていない。しかし、この直後にくる「この老人はうち泣きぬ。」という短い文が、それを証する。
▼ああ、ずっと私はあなたのお耳にいれたいことがございまして、毎日あなたに会うことができますようにとお祈りしてきたのですといいながら、あまりにもひどく泣くので、薫は、年をとると涙もろくなるものだとはいうが、これはちょっと変だなあと思う。
▼老女は、実は、私は弁と申すものでして、と語り出す。ここらあたりは、お能を見ているみたいで、ゾクゾクしてしまう。柏木の死後、弁の君は、「遙かなる世界」(遠い田舎──後に九州だと分かるらしい)に行っていたのだが、同世代の友達もみんな死んでしまったので、また都に出てきて、ここ五、六年、この邸に仕えていたのだという。
▼老女は、柏木の乳母子であり、柏木と女三の宮の仲をとりもった小侍従の従姉妹であったのだ。柏木は死の床で、この弁の君を枕元に呼び遺言をしたのだ。それを私はあなたに伝えなければならないのです、という。そこまで言って、あたりをはばかり、弁の君は、終わりまで聞きたいと思いましたら、いずれまたゆっくりと言って、口を閉ざしてしまった。
▼老人が呼び起こす過去の時間。薫が心に感じていた「ある疑念」につながる事実の一端が、今、語られた。薫は、呆然と夢を見ているような気分に陥る。
▼「あやしく、夢語り、巫女(かむなぎ)やうのものの、問はずがたりすらむやうにめづらかにおぼさるれど、あはれにおぼつかなくおぼしわたることの筋を聞こゆれば、いとおくゆかしけれど…」(中将〈薫〉は、なんともいぶかしく、これは夢物語か、それとも巫女の類の、問わず語りでもしているかのような話で、こんなことがあってよいものかと思わずにはいらっしゃれないけれども、胸がしめつけられるようにつねに気がかりになっていらっしゃったことの筋を老人が申しあげるので、じつにその先のことを知りたいのだが、)
▼はやりこれは「能」だなあ。夢幻能そのものだ。能には、源氏物語に題材をとったものが結構あるが、実は「題材をとった」というレベルではなく、源氏物語が「能」あるいは「謡曲」を生み出したのかもしれないなんてふと思った。もちろんその辺も十分に研究されているんだろうけど、興味深い。

 

★『源氏物語』を読む〈250〉2017.11.21
今日は、第45巻「橋姫」(その10)

▼老女の話をもっと聞きたいと思った薫だが、あたりも次第に明るくなってきたので、邸を出る。自分のやつし姿を、姫君にあからさまに見られたくないからだ。霧はまだ深い。その霧の向こうから、八の宮が籠もっている寺の鐘が聞こえてくる。
▼薫は、こんなところで日を暮らす大君の心の中はどんなに寂しいだろうと思い、歌を贈る。
▼「橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」(姫君たちのおさびしいお心の内はいかばかりかとお察しして、浅瀬を漕ぐ棹の雫(涙のこと)に袖を濡らしております。)
▼この歌は、「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(むしろの上に自分の衣だけを敷き、独り寝をして今夜も私の訪れを寂しく待っているのだろう、宇治の橋姫は。〈古今集・詠み人しらず〉)の歌によっており、また、この薫の歌によって、この巻も「橋姫」と名付けられている。
▼今までもそうだったが、源氏物語の文章や歌の多くが、古今集などの和歌を下敷きにしていることが多く、そのさまは華麗な引用のつづれ織りのようだ。どんな表現にも、すぐにこうした和歌を引用できる紫式部という人もすごいけれど、いつだったか、友人の国文学者と話しているときに、当時の人にとってはそんなことはごく普通のことだったんだと教えられた。
▼まあ、ぼくの場合でいえば、何かというと、古い歌謡曲の歌詞が思い出されて、女に振られたと言われれば、「だから言ったじゃないの!」とつい言いたくなったり、道の向こうにいる友人を見つければ「お〜い! 中村くん!」って叫びたくなったり、何かをしようとして意気込むと「包丁い〜っぽん、サラシに巻い〜て〜」と歌いたくなったりするようなもので、特別な「教養」とかいうレベルではないのかもしれない。
▼それはそれとしても、源氏物語という文学は、それまでの「竹取物語」に代表される「作り物語(フィクション)」の伝統と、「伊勢物語」に代表される「歌物語(和歌を中心に話が構成される物語)」の伝統とを集大成し、そこに古今集以来の和歌をさらに統合した、「大文学」なのだということを、授業などでは、毎回力説してきたわけだが、特に和歌がここまで深く源氏物語に染み込んでいるということは、今回の読書を通じてしみじみと分かった。(ということは、授業をやっているころは、ただ「知識」としてそう知っていたというレベルだったわけだ。)
▼古今和歌集の「橋姫」の歌がなければ、ひょっとして「宇治十帖」はなかったかもしれない、と思ったりもする。紫式部はこの歌を読んで、いつか舞台を宇治にして、そこに住むお姫様の話を書こうと思ったのかもしれないなどと思うと、なんだか楽しい。
▼薫からの手紙を持ってきた「宿直人」は、あまりの寒さにガタガタ震えている。大君は、こういうときは、さっさと返事をしないといけないと思って、返事をする。グズグズしていると、「気を持たせている」というふうにとられる恐れがあるということだろう。
▼「さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖を朽(くた)し果つらむ」(棹さして何度も行き来する宇治川の渡し守は、朝夕雫に袖を濡らして、すっかり朽ちさせていることでしょう。〈ここにいつも住む私の袖も涙で朽ち果てることでしょう。〉)
▼無難な内容の返歌だが、趣深い筆跡で書かれたその歌を見て、薫も、大君に未練が残るけれど、都からの牛車も到着して、早く早くとせかすので(三橋美智也なら「旅をせか〜せる、ベルの〜音、ってとこだね。)、車に乗り込む。手紙を仲介してくれた宿直人には、今まで自分が着ていてすっかり濡れてしまった着物を脱いで与える。(高価な着物だから大変なご褒美だ。)牛車には新しい着物がちゃんと用意されているので、着替えたのである。
▼与えられた着物には、薫の体臭が染みついていて、宿直人が歩きまわる度に、いい匂いを振りまくものだから、宿直人は、怪しまれたり、褒められたり、おちょくられたり、大変だったとある。どこまでも「細かい」源氏物語である。
▼ところで、最近ネットで、日本では香水がまったく売れないとヨーロッパの業者が嘆いているという記事を見た。「日本は香水砂漠だ」とあった。日本には香りの文化はないのだと思われているらしいのだが、この源氏物語を読むとむしろ平安時代には、貴族に限ってのことだが、香りの文化は高度に発達していたことがわかるわけだ。それなのに、どうして「香水砂漠」になってしまったのか、それはいったいいつ頃からなのか、興味深いことではある。
▼昔、中学1年生を教えていたとき、「好きな場所」という題で作文を書かせたら、「デパートの1階が好きだ。いい匂いがするから。」と書いた生徒がいたのを、今ふと思い出した。その子は、デパートの1階がどうして「いい匂い」がするのか、たぶん知らなかったんだろう。微笑ましいことである。
▼ちなみに、ぼくは「大北海道展」をやっている時の京急百貨店の7階が嫌いだ。「イカめし」の匂いがするからだ。たいていは、4階ぐらいまで匂ってくる。「イカめし」は嫌いじゃないけど、あの匂いが充満する感じは嫌いだなあ。

 

★『源氏物語』を読む〈251〉2017.11.22
今日は、第45巻「橋姫」(その11)

▼宇治からの帰途、薫は、老女(弁の君)の語ったことが心にかかりながらも、また、予想を超えた美しさだった二人の姫君の面影が目先にちらついてならず、捨てようと思っても、やはり捨てがたい世の中だと「心弱く」思うのだった。
▼薫はまた姫君(たぶん大君)に手紙を書くが、その手紙は、恋文ふうには書かない。「懸想だちてもあらず、白き色紙の厚肥えたるに、筆ひきつくろひ選(え)りて、墨つき見所ありて書きたまふ。」(懸想文といったふうではなく、白い色紙の厚ぼったいのに、筆は念入りに選んで、墨つきもみごとにお書きになる。)
▼懸想文(恋文)は、普通は、種々に染めた薄い紙(鳥の子紙の薄いもの)に書くわけだが、それを避けてわざと白くて厚ぼったい紙に書くわけである。それでも、念入りに選んだ筆で見事に書く。「墨つき」というのは、筆跡の墨の付き具合のことで、これがなかなか難しい。ぼたぼたに墨を付けて書けばでっぷりと太った筆跡になるし、かといって、墨が少なすぎれば擦れがめだつ。今でも、書道では、筆にどれほど墨をつけて、その筆をどう紙の上に滑らせるかに苦心するわけである。
▼ペンなどの筆記具が、均等にインクを紙の上にのせていくのと、大きな違いがある。「筆」という筆記具は、ほんとうに奥が深い。
▼薫は、あの宿直人がブルブル震えていたのをかわいそうだったなあと思い出し、彼にも「檜破籠(ひわりかご)」(檜の薄板で作った折り箱に料理をつめる)を贈る。また山籠もりしている八の宮あてにも、たくさんの贈り物をする。経済的に苦しい八の宮が、お寺にたくさんの御礼をしなければならないことを知っているからだ。心優しい人である。
▼薫はまた宇治に行こうと思うのだが、そうだ、匂宮に宇治の姫君のことを話して羨ましがらせてやろうと思う。匂宮は、日頃から、宮中の外の世界にいい女がいるんだよねえなんて、かつての頭中将みたいなこと(「雨夜の品定め」)を言っていたから、きっと気をひかれるに違いないと思ったからである。
▼宇治での出来事を匂宮に話してきかせると、案の定、匂宮は身をよじらせて羨ましがる。匂宮は、それなりの身分にあるので、そう簡単には外出できないからなのだ。いいなあ、いいなあ、と言う匂宮に、そうなんだよ、明け方にさ、月明かりの中に見えた二人の美しさったらなかったよ、などと意地悪く具体的に話すものだからたまらない。そもそも女になど関心を持たないはずの薫が、こんなに褒めるんだから、どんなにきれいな人たちなんだろうと、ますます関心を深めていく。
▼これからもさ、どんどん訪ねていって、また様子を知らせてね、と匂宮は頼むのだが、薫は、女のことにそんなにかかずらうのもくだらないことだよ、ヘタに女なんかと付き合ったら、修業の妨げになるだけだしね、とそっけなく言うと、匂宮は、おいおい、また例の「聖言葉」(坊主くさい言い分)かい? どこまでそんな気持ちが持つか、まあ見ものだなと笑う。
▼薫にしてみれば、確かに、大君には心惹かれるものがあるのだが、今はそれ以上に老女の言った言葉が気にかかり、正直、女どころではなかったのだ。
▼この辺りの薫の真意は分からない。なぜ、大君に心ひかれながら、恋敵になるかもしれない、いやその可能性が十分すぎるほどある匂宮の気をそそるようなマネをするのだろうか。大君への恋心を断ち切るためなのか、単なるいたずらなのか。今後の展開が注目されるところである。
▼十月になって、薫はまた宇治へ出かける。やはり「やつし姿」である。今度は、めでたく八の宮に会うことができ、経典の解説なども、阿闍梨を山から招いて、ともにゆっくり聞くこともできた。
▼明け方、この前に来たときの姫君たちの琴の合奏のことが思い出され、薫は八の宮に琴の演奏を所望すると、八の宮は薫に琵琶を渡す。二人は、ひととき合奏する。隣の部屋にいる姫君たちに、琴をひくように薫は頼むが、恥ずかしがって弾こうとはしなかった。
▼こんなところで、さりげなく合奏ができるというのも、なんだかいいなあ。ぼくには縁遠い世界だが、本当の教養というのは、こんなところにあるのかもしれない、なんてふと思う。
▼その後、八の宮は、私が死んだら娘達のことをよろしく頼みますと薫に遺言をする。薫は、真剣にその話を聞き、私の命のある限り、一言も違えずにお約束を守りますと固く誓うのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈252〉2017.11.23
今日は、第45巻「橋姫」(その12・読了)

▼八の宮との話も済んだ薫は、例の老女を呼び出して話を聞くこととなった。
▼老女は、八の宮が姫君の後見人として仕えさせている弁の君と言った。60歳ちょっと前といった年齢で、都人らしい風情を失っていない。
▼老女は、柏木の乳母子として親しく仕えてきたのだが、柏木が病気になって死んでしまうと、その後を追うように母親(つまり柏木の乳母)もなくなり、二重の喪に服すような悲しみを味わった。そのうち、身分のたいして高くもない男にだまされて結婚して九州まで行ったのだが、その男にも先立たれて都に帰ってきた。しかし、自分の面倒を見てくれそうな弘徽殿女御(柏木の姉)のところへも、恥ずかしくて行けず、結局、昔縁のあった八の宮のところに仕えることになったのだと言う。
▼実は、この弁の君は、死の間際の柏木から遺品を託されていた。それをいつか薫に渡さねばと思いつつなかなかその機会もなく、自分としてはこれをどうしたものかと悩んでいたのです。これを残して私が死んでしまったら、だれかが見て大変なことになるかもしれない、そう思うと、いっそ焼き捨ててしまおうかとも思ったのですが、最近、あなたがここへ度々いらっしゃることを知って、いつかはお渡しできる機会が訪れますようにとお祈りしてきたのです、といって、遺品を薫に渡す。
▼「ささやかにおし巻き合はせたる反故(ほぐ)どもの、黴くさきを袋に縫い入れたる、取り出でてたてまつる。」(弁は、小さくいっしょに巻いてある反故の数々のかび臭いのが袋に縫い入れてあるのを取り出して中将〈薫〉にさしあげる。)
▼この中には、お手紙が入っています。ほんとうは小侍従に渡して、あなたに届けてもらおうと思っていたのですが、彼女の消息もわからなくなってしまい悲しいことです。どうか、これは、あなたがご処分なさってください、という。
▼小侍従は、女三の宮の乳母子で、弁の君の従姉妹。薫はこの小侍従をかすかに覚えているが、自分が5、6歳のころに胸を患って亡くなったと弁の君に伝える。
▼そして薫は、その袋をさりげなく袂に隠し、こうした老人は、おしゃべりだから、いつどこでこの話をするか知れたものではないと心配になり、絶対に誰にも話さないようにしてくださいと念をおすのだった。
▼弁の君も、実は、そんなにおしゃべりな老人ではない。この事実を知っているのは、小侍従と私だけで、それ以外にはまったく話したことはないと言っているのだ。だからこそ、薫は、この事実を知らなかったのだ。それでも、薫は安心できない。その気持ちもよく分かる。薫に語ったことで、張り詰めた気持ちがゆるみ、これ以後、ベラベラとしゃべりまくるということにならないとも限らないからだ。
▼都に帰った薫は、ドキドキしながら袋を開ける。
▼「帰りたまひて、まづこの袋を見たまへば、唐の浮線稜(ふせんりょう)を縫ひて、上(じょう)といふ文字を上に書きたり。細き組(くみ)して口のかたを結ひたるに、かの御名の封つきたり。〈薫は〉あくるもおそろしうおぼえたまふ。いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返りこと、五つ六つぞある。」(中将は京にお帰りになって、何よりもまずこの袋を取り出してごらんになると、唐の浮線綾を縫ったもので、上に「上」という文字が書いてある。細い組紐で口のほうを結んである所に、あのお方〈柏木〉の御名の封がしてある。中将は開けてみるのも恐ろしいお気持になられる。さまざまな色の紙で、たまさかに女宮と取り交されたお手紙のご返事の五、六通が入っている。)
▼それ以外には、柏木が書いて結局出さずに終わってしまったと思われる手紙も入っている。「陸奥紙(白くて厚い紙。普通恋文には使わない。)に、細々と「鳥の跡のやうに」書いてある。この「鳥の跡」というのは、仮名が連綿にならずに、とぎれとぎれになっている様で、病気で筆を執ることもままならない様子が目に浮かぶ。
▼その手紙の描写。「紙魚(しみ)という虫の住処(すみか)になりて、古めきたる黴くささながら、跡は消えず、ただ今書きたらむにも違(たが)はぬ言の葉どもの、こまごまとさだかなるを見たまふに、げに落ち散りたましよと、うしろめたう、いとほしきことどもなり。」(紙魚という虫のすみかになって、古びたかび臭い文殻であるが、筆跡は消えないどころか、たった今書いたのと違わぬくらいの言葉の数々が、こまごまとはっきりしているのをごらんになるにつけても、中将は、なるほど、これが散らばって人目にふれもしたら、と気がかりでもあり、またおいたわしい方々のことでもある。)
▼このリアルさには驚く。かび臭い紙に書かれた文字は、くっきりと鮮やかで、まるで今書かれたように見える。それは、ぼくら現代人も、どこかで何度か経験してきたことだ。そして、こうした経験は、電子機器の登場で、突然この世界から消えようとしている。
▼それにしても、「いとほしきことどもなり」とあるが、これは薫の思いなのだろうか、それとも語り手の感想なのだろうか、判別がつかない。両者が混じり合っていると考えるのが妥当かもしれない。
▼まるで今書かれたようによみがえる、父と母の秘められた恋の思い。「いとほしく」もあるけれど、薫は、深い衝撃をうける。宮中に参内する気にもなれない。
▼それで母の部屋に行ってみると、母は、「いと何心もなく、若やかなるさましたまひて、経読みたまふを、はぢらひてもて隠したまへり。何かは知りにけりとも知られたてまつらむ、など、心に籠めて、よろづに思ひゐたまへり。」(母宮の御前にまいられると、いかにもなんの屈託もなさそうに若やいだお姿でいらっしゃって、お経を読んでおられたが、きまりわるそうにそれをお隠しになる。〈経など読むのは女らしくないとされていたので〉秘密を知ってしまったということを、どうして母宮にお知らせ申すことができようなどと、この件は心におさめてあれこれと尽きぬ思案に身をゆだねていらっしゃる。)
▼薫の底知れない苦悩をよそに、母は、相変わらず無邪気だ。この対照的な心のありようをくっきりと描いて、「橋姫」の巻は終わる。



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