「源氏物語」を読む

 

No.44 竹河


【44 竹河】

 

★『源氏物語』を読む〈232〉2017.10.28
今日は、第44巻「竹河」(その1)

▼この巻の冒頭はちょっと変わっている。語り手が明示されるのだ。
▼これまでの巻の語り手は、誰だかよく分からないが、源氏に仕えていたひとりの女房といったところが想定されていた。しかし、この「竹河」の巻の冒頭は、源氏の一族ではなくて、髭黒の大将のところに勤めていた「悪御達(わるごたち)」(「集成」では「おしゃべりな女房たち」、「全集」では「あまりさえない女房たち)で、髭黒大将が死んでからもまだ残っている連中が、源氏の子孫の方々の噂にはずいぶん間違ったことがあって、それは、あちらの女房たちがボケてしまっているからよ、なんて言っているのだが、さてどちらが本当なのかしら、といった風に書かれている。
▼「さてどちらが正しいのかしら」って思っているのは、以前からの語り手だろうが、その語り手が直接語るのではなくて、髭黒のところにいた「悪御達」から聞いた話として語るのである。ずいぶん手がこんでいる。
▼そんなわけで、物語は、本筋からはずれて、髭黒一族の後日談となる。
▼髭黒の妻になったのは、あの玉鬘。二人の間には男3人、女2人がいるのだが、肝心の髭黒大将はすでに亡くなっている。一時は、致仕の大臣と並んで絶大な権勢をふるっていたのに、どこでどうしたのか知らないが、ここではすでに「故人」である。いわゆる「ナレ死」どころではない。子どもを紹介するのに、「故殿の御子は」とあって、これではじめて読者は、あ、髭黒は死んじゃったんだと分かるわけである。
▼主が死んでしまうと、財産はあって生活には困らないにしても、次第に人が寄りつかなくなってしまうのが世の常。それでも、まあ、ちゃんとした血筋だから、男の子はそれなりの嫁を得て自立していくけれど、女の子はなかなか大変だ。誰のところに嫁がせればいいのか、玉鬘は思い悩む。
▼あの可愛かった玉鬘も、娘の結婚に悩むおかあさんとなってしまった。当たり前のことだけど、なんか、切ない。いつまでも少女じゃいられないんだよなあ。
▼姫君(長女のこと)には、帝から入内の招きがある。しかし玉鬘は、あそこは、明石中宮が絶大な力で支配していて、他の奥方はみな形無しだ。その末席にうちの娘が連なって、中宮から睨まれて下の下みたいなところに甘んじる娘の面倒をみるのも嫌だしなあ、と考える。玉鬘、けっこうエゴイストだ。明石中宮も、かつての弘徽殿女房みたいになっちゃったのか。
▼そんなところへ、冷泉院から申し込みがある。この人もしつこい。
▼かつて玉鬘にご執心だったのに、髭黒にとられてしまった。そのことをまたぞろ持ち出して、今はあの頃よりずっとジジイになってしまったけれど、親がわりと思って譲ってくれないか? なんて言ってくるのだ。ジジイっていっても、この時、院は44歳。まあ、いい年か。
▼玉鬘は、髭黒と結婚したのも望んでのことではなかったのだが、なんか冷泉院には嫌な女だと思われているだろうと思うとつらいので、ここで娘を差し出せば、院のご機嫌がなおるかも、なんて考える。人間っていうのは、いつでも「いい子」でいたいものなのだ。よくわかる。
▼この姫君は美人だという評判もあるものだから、いろいろな人が求婚してくる。中でも一番熱心なのが、「蔵人の少将」という男で、これは、夕霧と雲居雁の子ども。この少将からすれば、姫君は、従兄弟の子どもってことになる。フクザツで系図みても、こんがらかる。
▼夕霧の息子たちは、ここへしょっちゅう顔を出しているから、遠慮がない。少将もおつきの女房たちとも親しくて、なんとか取り次いでくれるように頼むのだが、玉鬘は、長女を臣下(源氏は皇族から離れ臣下となったのだ)ごときに縁づかせようとは思っていない。中君(次女)ならいいけど、それにしても、少将では位がまだ足りない。もうちょっと昇進したら、許してもいいか、などとしたたかに考える玉鬘には、もちろん少女の面影もない。
▼玉鬘は、おつきの女房たちに、世間体というものがあるんだから、絶対に過ちがないように(つまり、少将を手引きして娘と過ちを犯すことがないように)と口うるさく言うものだから、女房たちも、あ〜あ、めんどくさいなあと、すっかりやる気をなくしている。

 

★『源氏物語』を読む〈233〉2017.10.29
今日は、第44巻「竹河」(その2)

▼薫はまだ14、5歳で、四位の侍従という位にあるが、なかなかしっかりしたした人柄なので、玉鬘は、この薫を婿にできたらなあと思っている。
▼熱心に通ってくる蔵人の少将(夕霧の息子)は、美男(「容貌〈かたち〉のよさ」のという点では申し分ないのに対して、この薫は優雅さ(「なまめいたる方」)で申し分がない。この比較は、よくわからないけど、まあ、顔の少将、心の薫ってところだろうか。
▼薫は、源氏の子どもだからと思っているからか、世間の人もとても大切にしている。玉鬘も薫が柏木の子だとは知らないのだ。
▼正月のご挨拶に、玉鬘のもとにはいろいろな人が続々とやってくる。夕霧も、ここはひとつオレの出番だとばかり息子6人をゾロゾロと従えてやってくる。
▼源氏には男の子は夕霧ひとりしかいないのに、夕霧にはこんなにたくさんいるというのが、なんだかおもしろい。
▼夕霧は、息子の蔵人の少将が、玉鬘の娘に惚れてることを知っているから、なんとか援護射撃をしたいと思ったわけだ。玉鬘と夕霧は実の兄弟並みの付き合いだから、几帳越しではあるけれど、親しく話す。
▼実はね、冷泉院が、うちの娘を寄越せっていってきているんだけど、どうしたものかと困っているのよ、と玉鬘がいうと、夕霧は、おや、帝からもご所望があったんでしょ? どっちがいいのかなあ。院はたしかに盛りを過ぎたオジイチャンだけど、いつまでも若いからねえ、ぼくに年ごろの娘がいたら差し上げたいところですよ、でもねえ、院の奥方(冷泉院のたった人の女の子、女一の宮の母)は大丈夫なの? 嫌がるんじゃないの? それでダメになったって話ずいぶん聞いてるけどなあ、って釘をさす。よけいなお世話だけど、暗に、オレの息子にしたら? と言っているわけである。
▼玉鬘は、そんな夕霧の思わくも無視して、それがさ、当のご本人からのお話なのよ。院も退位してしまって、二人で過ごすのもどうも退屈でいけないからから、院と一緒のお世話したいなんていうんだもの、と言う。
▼まあ、ワタシ迷ってるのなんて相談するときは、大抵迷ってなんかいない、もう心は決めてるってことだね。
▼冷泉院はこのとき44歳。妻の元弘徽殿女御は45歳。いってみれば晩年の夫婦なのだが、いい年した夫が、若い女をもらいたいと言い出したのに対して、そうね、退屈だから一緒にお世話しましょうか、そうすれば少しは気が晴れるわ、なんて言うものだろうか。言うものだろうかと言ったってしょうがない。言ったんだから。
▼とすれば、妻のほうも、いまだに玉鬘にも未練たらたらな夫にそうとう疲れ切っていて、今更嫉妬する気にもなれない。若い女だろうがなんだろうが、この退屈な日常を紛らしてくれるのなら、なんでもいいやって思っているのだろか。

 

★『源氏物語』を読む〈234〉2017.10.30
今日は、第44巻「竹河」(その3)

▼玉鬘の腹づもりは、姫君(大君・長女)は、冷泉院のところへやるということなのだろうが、夕霧の息子の蔵人の少将は、そんなこととは関係なく熱心そのものだ。
▼当然、夕霧のあとにゾロゾロついてきた6人の息子の中にも少将は入っていたわけだが、彼らから遅れて、薫がやってくる。
▼この「遅れてやってくる」というのが大事なんだね。最初は、あ〜、お久しぶり〜とかいって大騒ぎになるから誰が誰やら分からないけど、その挨拶も一段落して、ちょっと静まったころに、やあ、なんて登場してきた人は、やっぱり注目をあびるし、どこか「大物感」が漂う。
▼宴会なんかに行くとき、ぼくはせっかちだから、どうしても遅れて行くのが嫌で、大抵は最初にその場所に行っちゃうけど、これでは「小物感」しかない。
▼遅れて登場するだけじゃなくて、薫はもう全身からこの世のものではない香りを漂わせているものだから、若い女房たちは、ジャニーズのおっかけみたいにキャーキャー言って大騒ぎ。「やっぱ、違うわよねえ!」(「なほことなりけり」)とか、やっぱり姫様のお側にはこの方じゃなきゃ! なんていいたい放題。
▼玉鬘が、こちらへいらっしゃい、というので、御簾の前に座った姿は、つぼみをつけた梅の木に、まだ初音もたどたどしいウグイスみたいな風情。女房たちは黙っていられず、薫にちょっかいを出す。年増の女房が、「折りて見ばいとどにほひもまさるやとすこし色めけ梅の初花」(折り取ってみたら、なおいっそうよいにおいもまさるかと思われますものを、少しは色めかしく咲いてくださいな。梅の初花の君よ)なんて、はすっぱな歌をよみかける。
▼すると、薫は、なかなかどうしてたいしたもので、こんな歌を返す。「よそにてはもぎ木なりやと定むらむしたににほへる梅の初花」(よそ目には枝葉をもいだ枯木とでも定めているのでしょう。心の底では色香ににおう梅の初花なのですよ)
▼その歌の後に、「そうおっしゃるのなら、袖を触れてごらん。」なんて添えるのだ。やるじゃん、薫。
▼こんなこと言われたものだから、女房たちはもう興奮してしまって、薫の着物を引っ張らんばかり。
▼「『まことは色よりも』と、口々、引きも動かしつべくさまようふ。」(「本当は色よりもその薫りを」と、口々に、袖を引き揺すりもしかねないくらいに、この君のそばに付きまとっている。)この口語訳は、「全集」のものだが、これによれば、どうも女房たちは御簾の外に出ていて、薫のそばに「つきまとっている」ことになる。この部分の「集成」の訳は、「『本当は、色よりも香りの方がすばらしいのですわと口々に言って、薫の袖を簾中から引っ張らんばかりにざわつく。」となっている。これだと、女房たちも御簾の中にいることになる。どっちがいいのかなあ。「集成」訳のほうが自然かしらね。
▼この騒ぎを聞きつけて、ようやく奥の方からいざり出てきた玉鬘は、まったくなにやってんの、あんたたちは、この「まめ人」をからかったりして、と叱りつける。
▼それを聞いた薫は、え? 「まめ人」かあ、そんな言われ方はやだなあ、と思う。「まめ人」として有名なのは夕霧だが、夕霧はこういう反応はしなかったように思う。ほんとうに「まめ人(真面目人間)」だったからだ。けれども、薫はたぶん「まめ人」ではない。好色な心も十分に持っている若者なのだ。ただ、世の中を捨てたいと思うような屈折した気持ちがあるだけに、蔵人の少将のように恋に突き進めない。だから表面上は「まめ人」に見える、ということなのだろう。
▼夕霧さまは、年をとるにつれてお父様の源氏によく似てきましたけど、あなたは似ていないわねえ。源氏が若かった頃は、きっと今のあなたみたいだったのね、と、真相を知らない玉鬘は、そんなことを言って、亡き源氏を偲ぶのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈235〉2017.10.31
今日は、第44巻「竹河」(その4)

▼「まめ人」だと言われたことが、ちょっと悔しいから、薫は、それじゃ好き者的な行動をしてみようというわけで、梅の花の盛り、1月の20日あたりに、玉鬘のところにいる藤侍従(玉鬘の三男)のもとへ遊びにいく。
▼門を入ると自分と同じ直衣(なおし・貴族の平服)を着たもうひとりの男がウロウロしている。男は薫に気づくとすぐに隠れようとするのだが、薫がひきとめて見ると、蔵人の少将だった。邸の方からは、琵琶や箏の琴の音が響いてくるので、少将はその音色に心をときめかせて、立って中のようすを伺っていたらしい。
▼薫はそういう少将を見ると、ああ、なんか苦労しているなあ、許されない恋に心を染めるのは罪深いことだと思う。薫も、「好き者」としてここへやってきたのに、少将とは全然違うスタンスである。一途な恋に身を焦がす少将と、それを冷静に見つめる薫は、対照的だ。
▼琴の音がやむ。薫は、さあ、案内してくれよ、ぼくは不案内だからさ、と少将を促し、中へ入っていく。
▼「西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに、梅が枝をうそぶきて立ち寄るけはひの、花よりもしるく、さとうち匂へれば、妻戸おしあけて、人々、あづまをいとよく掻き合はせたり。」(西の渡殿の前にある紅梅の木のそばに、「梅が枝」を口ずさんで立ち寄る気配が、その紅梅の香りよりも際立ってさっとにおうので、女房たちは妻戸を押し開けて、和琴をまことに上手に合せ弾いている。)
▼薫が口ずさんだ「梅が枝」というのは、催馬楽(さいばら)だ。この催馬楽というのは、これまでもよく出てきていて、まあ、今でいえば流行歌のようなものだろう。「日本大百科全書」によれば「平安時代の歌謡。もと風俗歌であった歌謡を、外来音楽である唐楽風に編曲して歌ったもの。おもに宮廷貴族の祝宴、遊宴の場で、大和笛、和琴(わごん)、琵琶などの伴奏で、笏拍子(しゃくびょうし)を打ちながら歌われた。旋律の違いで、律(りつ)・呂(りょ)の二つに分類される。」ということだ。このうち、「呂」は、洋楽の長調に近く春の調べ、「律」は、わが国固有の俗楽的音階で、秋の調べ。(集成注)なのだそうだ。
▼「梅が枝」は、「呂」の調べなのだが、その歌に、女が和琴で合わせるのは難しいらしく、薫も、うまいなあと感心している。
▼この辺は、なかなかイメージしにくいけど、薫がビートルズの歌を歌いながら入ってくると、女房たちが、三味線で見事に伴奏した、って感じかなあ。違うか。。
▼御簾のうちから和琴が差し出される。弾いてほしいというのである。少将も薫も、気が引けて手をつけずにいると、玉鬘は薫に、あなたの和琴の音色が、父の弾いた音色によく似ていると評判です。どうか聴かせてくださいなと懇願するのだ。
▼薫も、それじゃあといって、さらさらと弾くと、なかなかいい感じだ。玉鬘も、あまり慣れ親しんだ父ではないけれど、この琴の音に、その父が思い出されて感無量だ。
▼それにしても、この薫は、不思議なほど兄の柏木に似ている。柏木も和琴の名手だったが、この琴の音はその音そのものだわと言って涙を流す。薫は、玉鬘の甥なのだが、もちろん、彼女はそのことを知らない。
▼「さかしら心つきて、うち過ぐしたる人」(分別くさい料簡を持った年配の人)もいないので、気楽な宴会となる。ほんとに、そういう年寄りって、ジャマだよね。ぼくも若い頃、よくそう思ったものだが、気がつけばそういう年寄りになってしまった。いくら若いつもりでいても、若い人からみれば、ジャマ者にすぎないのだから、調子にのらずに、退散するのがいいのだ。若い人は若い人で十分に楽しめばいい。そのジャマをしてはいけないんだよなあ。
▼少将もはめをはずして、催馬楽の「さき草」というのを歌う。主人の藤侍従は、父親の髭黒に似て無粋な男で歌も下手だけど、みんなに催促されて皆の歌う「竹河」に声をあわせて歌う。
▼御簾の中から玉鬘は、杯を差し出し、薫に勧めるが、薫は、あんまり飲むとつまらぬことを口走ってしまいそうですからと言って、口もつけず、さっと立ち去ってしまう。
▼残った少将は、こんなふうにして薫はしょっちゅうここに出入りして、モテモテでいいなあ、それに比べてオレなんかとしょげかえって恨みの歌を詠むと、御簾の中の女房が慰めの歌をかえしてくる。
▼熱心なヤツがもてず、どうでもいいやってヤツがもてる。うまくいかないものである。

 

★『源氏物語』を読む〈236〉2017.11.1
今日は、第44巻「竹河」(その5)

▼その翌日、薫から藤侍従のところに手紙がくる。昨日は酔っ払いまして、失礼しました、などと「見たまへとおぼしう、仮名がちに書きて」(玉鬘や姫君たちもご覧くださいというつもりか、仮名を多くまぜて書いて)よこす。
▼男同士の手紙は、漢文で書くのが普通なので、男の藤侍従への手紙なんだけど、仮名が多いということは、女たちにも見せてくれということなのだということだ。なるほどねえ、芸が細かい。
▼「竹河のはしうちいでしひと節に深き心の底は知りきや」(「竹河」を謡わせていただいた、その一ふしの中に、私の深い心の底はお分りいただけましたでしょうか。)というのが薫の歌。
▼薫は、姫君にどの程度気があるのだろうか。ちょっと「好き者」になってみようと出かけたわけだから、その延長のような気がするが、その手紙を藤侍従は、母親の玉鬘のところへ持っていく。玉鬘や姫君がなんだかんだ批評しながらその手紙を読んでいる。
▼それにしても、なんときれいな字だろう。この年で、こんなになんでもかんでも完璧なんてねえ。源氏にも先立たれ、あの女三の宮にだらしなく(しどけなう)育てられたというのに、こんなに素晴らしいなんて、よっぽどいい星のもとに生まれたのねえ。それに引き換え、何ですか、あなたたちの字は、と玉鬘は息子たちの字の汚さを叱る。玉鬘はすっかり「教育ママ」だ。とんだとばっちりを受けながらも、藤侍従はほんとに下手くそな字で返事を書くのだった。
▼三月になった。桜の花のもとで、姫君たちは、縁側で碁を打っている。ふたりは、18、9歳といったところで、それぞれに美しい。姉の大君は、「桜の細長、山吹などの、をりにあひたる色あひの、なつかしきほどに重なりたる裾まで、愛敬(あいぎょう)のこぼれおちたるやうに見ゆる、御もてなしなども、らうらうじく、心はづかしき気(け)さへ添ひたまへり。」(桜の細長に山吹襲などの、春の季節にふさわしい色合いのやさしく重なっている裾のあたりまで、情味をたたえる魅力があふれているように見えるが、その御物腰なども、嗜みが深く行き届いていてこちらの気がひけるくらいの風情までも備えていらっしゃる。)
▼着物の裾まで、魅力が「こぼれおちる」ように見えるなんて、いい表現だ。「水もしたたるいい男」なんていう言い方を思い起こさせる。人間の美とか魅力というのは、おうおうにして、体の外側へ「あふれ出る」「こぼれおちる」ものらしい。
▼妹の方は、また違った風情。「今一所は、薄紅梅に、御髪(みぐし)、色にて、柳の糸のやうにたをたをと見ゆ。いとそびやかになまめかしう、澄みたるさまして、重りかに心深きけはひはまさりたまへれど、にほひやかなるけはひは、こよなしとぞ思へる。」(もうお一方は、薄紅梅のお召物に、御髪もつやつやと美しく、柳の糸のようにたおやかに見える。まことにすらりと優美に落ち着いた様子で、重々しく思慮の深そうな感じはまさっていらっしゃるけれども、あたりに映えるお美しさは、姉君のほうが格別であるとどなたも思っている。)
▼どうやら、姉の勝ちらしい。けれども、妹の「澄みたるさま」もなかなかいい。この「全集」の訳では、「落ち着いた様子」となっているが、「集成」では「しっとりとした物腰」となっている。
▼ただ「にほひやかなるけはひ」では、姉にかなわないということなのだ。やっぱり、内面の美しさはわかりにくく、ぱっと華やかなほうが、人目をひくわけだ。
▼二人の美人姉妹が、碁を打っているさまは、「碁打ちたまふとて、さし向ひたまへる髪(かむ)ざし、御髪(みぐし)のかかりたるさまなども、いと見所あり。」(お二方が碁をお打ちになるというのでさし向いになっていらっしゃる、その御髪の、生えぎわや、垂れ下がっている様子などは、まったくおみごとなものである。)
▼女性が俯いたときに、ハラリとこぼれかかる髪が、紫式部はほんとに好きみたい。

 

★『源氏物語』を読む〈237〉2017.11.2
今日は、第44巻「竹河」(その6)

▼大君と中君が碁を打っているところを、たまたま少将は目にする。兄弟たちと談笑していたので、すっかり気を許して簀子(すのこ)に出て碁を打っていたのである。そこをたまたまやってきた蔵人の少将が見たわけだ。
▼こうしたチャンスはめったにないから、少将は、その美しさにうっとりして、ますます恋心を燃えた立たせる。
▼夕映えのうすぐらい光の中に、はっきりとは見えないけれど、それでも、あ、あれが大君だと分かるほどに見えるという具合で、夜目遠目笠の内とはよく言ったもので、さぞかし幻想的な風情だったことだろう。
▼少将は、まるで仏がこの世に出現したかのように思えたとあるが、それはまあ大げさにしても、それくらい滅多にない衝撃的なシーンなのである。
▼翻って現代を考えてみると、こうした美の衝撃にはなかなか出会えない。ぼくの場合は、大学生のころ、出来たばかりの国立劇場のロビーで、若尾文子が立っているのを目撃したのが、それに近いかもしれない。仏とはいわないが、それでも「この世ならぬ美」をまとって立っていた若尾文子の姿は忘れられない。
▼少将がそんなことで、ますます大君に入れ込んでいく一方で、冷泉院は、矢の催促。
▼なんで冷泉院がいい年して、こんな18や19の姫君に入れ込むのかと不思議だったが、なんと、こんなことが書いてある。
▼「尚侍の君(玉鬘のこと)、かくおとなしき人の親になりたまふ御年のほど思ふよりは、いと若うきよげに、なほ盛りの御容貌(かたち)と見えたまへり。冷泉院の帝は、多くは、この御ありさまのなほゆかしう、昔恋しうおぼし出でられければ、何につけてかはとおぼしめぐらして、姫君(大君)の御ことをあながちに聞こえたまふにぞありける。」(尚侍の君は、このように成人なさった方々の親になっておられるお年とは思われぬほど、まったく若々しくきれいで、なお年盛りのご容姿とお見えになる。冷泉院の帝は、だいたいがこのお方のご器量に今もなお気がおありで、昔のことを恋しく思い出さずにはいらっしゃれないので、何かにかこつけて逢いたいものとご思案の末に、姫君の宮仕えの御事をたってご所望申しあげあそばすのであった。)
▼そうだったのか! 冷泉院は、今更玉鬘をどうにもできないから、娘をもらっておけば、ちょくちょく会うチャンスもあるだろうと思ってのことだったのだ。まったく呆れるよねえ。ほんとに玉鬘が好きで好きでしょうがなかったんだなあと思うと、呆れもするが、いじらしくもある。
▼玉鬘の息子たちは、冷泉院への参内には反対だ。世の中は、権勢のある者へ向かうものなのに、なにも、そんな天皇を降りて盛りを過ぎたジイサンのところへ行かなくたっていいじゃないかというわけだ。それより春宮のところへやればいいと言うのだが、それはねえ、あそこにはもう夕霧の娘が入っているから、ダメよ。あ〜あ、お父さん(髭黒)が生きていてくれれば、なんとかなったのになあと、玉鬘はため息だ。
▼そんなことで、グズグズしているうちに、時は過ぎてゆく。相変わらず冷泉院からは毎日催促の手紙がくる。そして、驚くべきことに、冷泉院の奥方の女御から直々の手紙まで来た。
▼なんか、私が焼き餅やいて、ジャマしてるんだろうなんてうちの人は言うんですよ。たとえ冗談にしてもそんなこと言われるのは辛いです。どうせなら早く決心してください、という文面には、切実な心がこもっている。
▼普通なら、真っ先切って反対するはずの奥方が、催促してくるという展開に、さすがの玉鬘も畏れ多く感じて、とうとう決心して、参内の準備に取りかかるのだった。
▼しかし、この女御の気持ち、ほんとによく分からない。もう夫婦のことはどうでもいいのだ。かといって、今更出ていくこともできない。なにしろ冷泉院の奥方なんだから、世間の目がうるさくてしょうがない。このしょうもない夫と暮らしていかなければならないのなら、せめて、ああだこうだと文句なんか言われたくない。ただ心静かに暮らしたい。若い女を引っ張り込もうが、そんなことどうでもいいし、かえっていい暇つぶしになる、と、まあそんな心境なんだろうけどねえ。いろいろな夫婦があるもんだなあと、ある意味、しみじみしないこともない。

 

★『源氏物語』を読む〈238〉2017.11.3
今日は、第44巻「竹河」(その7)

▼姫君が冷泉院のところに参内することが決まったらしいと聞いた蔵人の少将は、もう、死ぬほど辛くて、お母さんに、何とかしてよと泣きつく。なんだかだらしがないなあ。どうも20歳ぐらいらしい。薫はこの時まだ15歳ぐらい。
▼母親の雲居雁も、まったくしょうがいない子だわと困りはてながらも、そこは母親、息子がカワイイものだから、玉鬘に手紙を書く。
▼ほんとにお恥ずかしい話なんですけど、あなたもご存じのはずよ。親馬鹿ですけど、あなたも人の親なんですから、少しは同情なさって、なんとかあの子の気持ちをくんでくださらないかしら。
▼玉鬘は、「ご存じのはず」といっても、何のことやらと、はぐらかしながらも、とにかく、あの冷泉院がやいのやいのと責め立てるので、どうしようもないんですの。お子さんのことは、ほとぼりがさめたころに、いいようにさせていただきたいので、ちょっと辛抱してくださいませんか、と返事をする。
▼玉鬘は、妹の方の中君を、少将にと考えているのだが、少将の方では、姉がダメなら妹でいいやなんていい加減な気持ちはこれっぽっちもないから、ああ、もうダメだと絶望する。
▼愚痴でも聞いてもらおうと思って、少将は、藤中将(姫君の弟)のところへ出向くと、薫から姉のところに来た手紙を読んでいる。少将が来たので、隠そうとするのだが、少将は奪って読んでみると、あっさりした文面で、姫君への恨み言が書いてある。
▼薫は、姫君に気があるんだけど、少将みたいに夢中になったりはしない。どこまで冷静である。縁談が決まったことは残念だけど、絶望なんかしない。というか、最初から世の中に絶望しているのかもしれない。けれども、いちおう恋してるわけだから、それなりの恨みごとぐらいは言っておこうというスタンスなんだろうか。15歳にしては、まったく老成している。
▼その手紙を見て、少将は、ああ、この人は、こんなにゆとりをもって行動しているのに、ぼくはすっかり舞い上がって焦っちゃって、それをもう皆見慣れているから、笑いものにさるんだ、とますます落ち込んでしまう。
▼藤中将は、その手紙を玉鬘に渡すために、部屋を出ていってしまう。
▼それにも腹を立てた少将は、そばにいた「中将のおもと」(玉鬘の女房)にグチグチと恨み言を言うものだから、彼女もさすがに気の毒にはなるけれど、だからといって、甘い顔もできない。
▼少将はあの碁を打っているところを垣間見たことまで言い出して、あ〜あ、もう一度あんなチャンスがないもんかなあ、ねえ、何とかしてよと彼女に迫る。
▼彼女は、そうか、あの碁を打っているところをこの人は見ちゃったんだ、だからこんなに狂っちゃったんだわ、と思うと、それは無理もないなあと思いつつ、それでも、気はゆるめずに、「碁を打ってるところを見てしまったなんてことを、お母様(玉鬘)が知ったら、それこそあなたが嫌いになりますよ。私だって、あなたを応援する気なんかなくなってしまったわ。」って突き放すと、少将は、「もうどうでもいいや! どうせぼくなんかもうオシマイなんだ、怖いものなんかないさ。それにしても、あの時、あの碁、あの人が負けた(碁は中君が勝った)のが納得いかないなあ。ぼくを、ちょっと中に入れてくれれば、あの人に勝たせてあげることができたのにさ。」などと言い出す始末。
▼それで、碁について、勝った負けたのといった歌を詠み交わし、少将の「生きる死ぬ」が、いつの間にか碁の「生き死に」に入れ替わっていったりして、笑ったり泣いたりして、少将は「中将のおもと」と夜が明けるまで語らった。
▼ここのところは、「泣きみ笑ひみ語らひ明かす。」とあるだけだが、「全集」の注は、「寝物語である」と断定する。とすると、この二人には肉体関係があることになる。いやはや、油断のならないことではある。
▼おかあさん、何とかしてよ! なんて言っているそばから、なじみの女房とはちゃっかりよろしくやっているのである。ぼくみたいな人間には、この辺がいちばん「実感」として、分かりにくいところである。

 

★『源氏物語』を読む〈239〉2017.11.4
今日は、第44巻「竹河」(その8)

▼結局、大君は冷泉院のところの入内した。退位した天皇が后を迎えた例は、歴史上にもあったという。
▼なかなか盛大な儀式に、内心面白くない雲居雁も玉鬘に贈り物をする。これまでそれほど親しくしていたわけではないが、この件でいろいろ手紙などをやりとりしたものだから、急に疎遠になるのも辺だからというわけである。
▼蔵人の少将の悲しみは深く、あの中将のおもとに手紙を託す。私はもう生きてはいけません(今は限り)、せめて、「おかわいそうに」の一言をかけてください、その言葉があれば、私はその言葉を頼りに生きていけます、と、なんだか、「風とともに去りぬ」に出てきたようなことがかいてある。
▼で、中将のおもとが、手紙を届けに、姫君のところに行ってみると、大君と中君が一緒に嘆いている。この二人は、大の仲良しで、いつも一緒に過ごしてきたのに、これからは別れて暮らさなければならないのが悲しいのである。
▼そんなしんみりした心境にあったので、少将の手紙を読んで、「今は限り」って本当かしらと心配になって、そのまま、少将の手紙に歌をちょっと書いて、これを書き換えて出してねと、中将のおもとに頼むのだが、おもとは、そのまま少将に渡してしまう。
▼自分の書いた手紙の余白に返事が書いてあるのを見て、少将は、珍しいやら、院への参上の当日に返事をくれたことが嬉しくて、涙にくれる。
▼で、また手紙を書くということになって、その手紙をもらった大君は、あれ、書き直して出してって言ったのに、あのまま渡しちゃったの? って困ってしまって、もう返事を出さなくなってしまった。
▼さて、大君が参上すると、そこには、秋好む中宮やら、女一宮の女御やらがいるけれど、みんな年増になっていて、若い大君の美しさが際立つばかりで、院の寵愛は大君に傾くのは必至の状況だ。
▼院は、一緒についてきた玉鬘にしばらく御所にいるようにと声をかけるが、玉鬘はさっさと帰ってきてしまい、院はがっかりする。院も、二兎を追ってはいけないね。
▼冷泉院は、薫を源氏の忘れ形見と思って、このうえなく可愛がっているものだから、薫もいつも院のところにやってくる。すると、当然、大君のことが思われ、なんだか切なくなるのだが、薫は冷静だから、むやみと悲しがったりはしない。
▼少将の方は、玉鬘が、中君をどうかとほのめかしても、一向に聞くことなく、冷泉院のところに顔を出さなくなった。少将の恋もむなしく終わったわけである。
▼ところが、ひょんなところから文句が来た。帝である。どうしてオレのところに来ないで、院のところへやっちゃったんだと帝が御不興なのである。
▼玉鬘の息子たちは、だから言ったじゃないか、なにも、引退した院のところにやらなくたってよかったじゃないか。帝のところに入内させるのが本当だったんだと玉鬘を責めるけれど、そんなこといったって、あれだけしつこく言ってくるんだもの、しょうがないじゃないの、と玉鬘も困惑しきり。
▼そのうち、大君は懐妊する。正月、宮中では男踏歌がはなやかに行われる。院はその翌日、薫を呼んで、宴会をひらく。
▼物語の展開は、あまり深まることなく、終局へ向かっていくようだ。「宇治十帖」は、もうすぐそこにある。

 

★『源氏物語』を読む〈240〉2017.11.5
今日は、第44巻「竹河」(その9・読了)

▼4月に、大君は女の子を産む。女の子だから目立ったお祝いもしないが、それでも、院のご意向でそれなりの祝いをする。しかし、帝の子じゃなくて、院の子だから、世間的にも取り立てて注目するほどのことではない。
▼しかし、院はこの女の子ばっかり可愛がり、御息所(子どもが生まれたので、大君はこう呼ばれる)の方にばっかりいるものだから、当然、女一の宮についている女房たちは面白くない。諍いはおきるのである。
▼女御(女一の宮の母)と、御息所は、そんなにはしたなく張り合ったりはしないが、お付きの女房たちが張り合うわけである。いろいろなめんどうなことが起きてくるので、玉鬘は困りはてていると、それに追い打ちをかけるように帝がますます腹をたてていると噂が入るものだから、もう、しょうがない、こうなったら、妹の中君を帝に差し出すしかないなあと思案した玉鬘は、尚侍の職を娘に譲ってしまう。そんなことは例のないことだったが、なんとか許しを得る。
▼帝の后にするのは、明石の上もいることだし、とてもじゃないけど身が持たないから、尚侍という公職について出仕するなら、気楽でいいだろうということなのだ。もちろん、尚侍も、帝の寵愛を受けるけれど、后と張り合うようなことにはならないらしい。帝もこれで納得したのかしらないが、いずれにしても、困った男たちである。
▼玉鬘は、だんだん生きているのが辛くなったのだろうか、出家したいと言い出すが、息子達に説得されて断念する。
▼そのうち何年かたって、今度は御息所は男の子を産む。院は、天皇在位のときなら、もっと張り合いがあったのになあと思うけれども、ますますこの子どもたちを可愛がる。まあ、孫みたいなもんだもんね。
▼そうなると、さすがに、女御のほうも黙っていられない。自分からいらっしゃいと招いたくせに、こんなことになってみると、妬ましさで、意地悪し始める。そうなると、院に仕えている人たちは、歴とした奥方は女御の方だから、当然女御の味方をするし、なんと今まであんまり口を出してこなかった秋好む中宮まで、何やら不愉快な様子。
▼玉鬘は、いまだに自分に何かというといいよってくる院の腹の底を知っているから、院のところに行こうともしない。すると、今度は娘の御息所が、お母さんは私には冷たいといって玉鬘を恨む。娘は院が母親にいまだに気があって、折りあらばと狙っているなんて知るよしもないのだ。
▼まあ、めんどくさいことである。とうとう、御息所は、実家に帰ってくることが多くなる。息子は、だからいったじゃないですか、どうせこんなことになるってあれほど言ったのに、と母を責める。
▼そんなところへ薫が挨拶にやってきたから、玉鬘は、ほんと困ってるのよ、と御息所の実状を訴えるのだが、薫は、院のところへやったのですから、そんなことは当然予想できたはずのことじゃないですか。そんな覚悟もなくて、院に差し上げたのですか? とにべもない。
▼とまあ、こんなわけで、もっといろいろ書かれているが、ここにまとめるのもメンドクサイからやめる。この「メンドクサイからこれ以上書きません。」というのは、紫式部の常套手段で、それをまねておく。
▼思いの他時間がかった「竹河」である。どことなく「消化試合」みたいなところがあって、突然数年たっていたりして、雑なところも見受けられるが、とにかく、これでようやく「宇治十帖」に進めるというものである。
▼ところで、この「匂宮」「紅梅」「竹河」の3帖を「匂宮三帖」と呼ぶらしいのだが、ぼくが大学時代に読んだときは「橋がかり三帖」と呼んでいたような気がして、いろいろ検索してみたが、どこにも出てこない。で、ぼくの記憶違いかと思って、先日、源氏物語を大学で専門に勉強した友人と飲んだとき、昔はさあ、「橋がかり三帖」って言ってなかったっけ? といったら、そうだよ、それしかないじゃん、今は違うの? って言うから、「匂宮三帖」って言うんだよと言うと、ほんと? そんなの聞いたことない、って言っていた。学会もいつの間にか、「進歩」したらしい。
▼でも、「橋がかり三帖」の方がずっといいネーミングだと思う。「橋がかり」というのは、能舞台のあの「橋がかり」を思わせ、「何者か」が登場してくる道である。しかも、「宇治十帖」の最初の巻は「橋姫」だ。どうして、こんな素敵な呼び方をやめちゃったのだろう。
▼いずれにしても、次回からは、源氏物語の「白眉」とも言われ、作者は別人なんじゃないかという議論もあった「宇治十帖」である。楽しみに読んでいきたい。
▼連載は、しばらくお休みします。なるべく近いうちに再開するつもりです。



Home | Index | Back | Next