「源氏物語」を読む

 

No.42 匂宮 〜 No.43 紅梅


【42 匂宮】

 

★『源氏物語』を読む〈223〉2017.10.19
今日は、第42巻「匂宮」(その1)

▼「光かくれたまひにしのち、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々(すえずえ)にありがたきなり。」(源氏の光る君がこの世から隠れておしまいになったのち、あの輝くお姿のあとをお継ぎになれるような人は、大勢のご子孫のなかにもいらっしゃらないのであった。)
▼このように、源氏物語の第3部は始まる。光源氏亡き後の物語の始まりである。しかし、「光かくれたまひにしのち」という表現は、源氏が亡くなった後というだけではなくて、この世から「光」が消えた後、というイメージを生む。深い喪失感から物語が始まるわけである。
▼しかも、源氏の跡を継ぐ者が不在なのだ。源氏には実子が三人いた。一人は葵上腹の夕霧、もう一人は明石の上腹の明石の姫君、そしてもう一人は、不義の子冷泉院である。
▼夕霧は子だくさんだったし、明石の姫君は、今の帝を生んだし、冷泉院にも子どもはいたのだから、跡継ぎがいないわけではない。けれども、源氏のような美貌と才知とを兼ね備えた理想的な男はいないのだ。逆に言えば、源氏はこの世には存在しない理想的な男であったということだ。
▼そのあり得ないような美を備えた「光のような」男をめぐって展開したのが、第1部、第2部の物語なのだが、その光が消えた後には、むしろリアルな人間たちの物語となっていくわけである。
▼源氏の血筋を引く男たちの中で、飛び抜けて美しかったのが、匂宮と薫である。
▼この第三部の冒頭には、まず匂宮が登場する。それは、「御法」の巻に、紫の上を慕う匂宮の姿が印象的に描かれていたことを受けてのことで、これまでの物語から自然に連続しているように書かれているわけである。
▼匂宮は、明石の中宮の子ども、今の帝の第三皇子である。源氏の血筋を引く孫だ。この匂宮と、女三の宮と柏木の間にできた薫(もちろん世間では源氏の子だと思われている)が、並び称される美男子だったのだが、「げにいとなべてならぬ御ありさまなれど、いとまばゆき際(きは)にはおはせざるべし。」(なるほどそろいもそろってほんとに並一通りではない御有様であるけれど、まったく見るもまぶしいといったお美しさではいらっしゃらないようである。)と評される。
▼「光君」(眩しいほどに光り輝く君)は、唯一無二だったわけだ。
▼この源氏には比べようもないけれど、それでも美しさでは並ではない二人が、これからの物語の主人公となっていく。
▼この巻の冒頭部は、様々な人たちの「その後」が描かれる。細かいことは省くが、匂宮はこの時15歳。この結婚相手として、夕霧は自分の娘をと考えているのだが、匂宮は興味を示さない。源氏に似て、奔放な性格で、まだまだ結婚なんてといったところだろう。
▼匂宮や薫が登場はしてくるが、まだ子どもで、物語全体はまだ光源氏と紫の上のいない世界の寂しさに覆われている。だんだんとさびれていく六条院が世のはかなさを象徴するような姿になるのを見たくないと、夕霧は懸命になって六条院の手入れをするが、主のない邸の寂しさはいかんともしがたい。
▼「天の下の人、院(源氏)を恋ひきこえぬなく、とにかくにつけても、世はただ火を消ちたるやうに、何ごとも栄(はえ)なき嘆きをせぬをりなかりけり。」(およそこの世にあるほどの人で、故院を恋しくお慕い申しあげぬ者はなく、あれこれにつけてもこの世はただ火の消えたように寂しく、何事もはえないことと嘆かぬ折はないのであった。)といったありさまで、紫の上に仕えていた女房たちの心も紫の上のことでいっぱいで、思い出にひたるばかりだ。
▼「春の花の盛りは、げに長からぬにしも、おぼえまさるものとなむ。」(春の花の盛りはいかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされるというものではある。)
▼春を愛した紫の上に献じられた言葉である。

 

★『源氏物語』を読む〈224〉2017.10.20
今日は、第42巻「匂宮」(その2)

▼夕霧自身の生活はどうなったのか。怒って実家に戻ってしまった雲居雁はどうなったのか。この巻では、雲居雁はちゃっかり戻ってきていて元の三条殿に住んでいる。一方、落葉宮は、かつて花散里が住んでいた六条院の丑寅の町に住んでいる。夕霧は「丑寅の町に、かの一条宮(落葉宮)を渡したてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住みたまひける。」(〈六条院の〉東北の町に、あの一条宮〈落葉宮〉をお移し申しあげられて、三条殿〈雲居雁〉とこちらと、一晩おきに月の十五日ずつ、几帳面に通い住んでいらっしゃるのであった。)ということになった。
▼「うるはし」という言葉が面白いなあ。前にも書いたが、この言葉は、「きちんと整って欠点のない様子」を表す。「まめ男」(真面目な男)の夕霧が柄にもなく恋に狂ったさまは、馬鹿馬鹿しいほど滑稽だったが、その結末は、悲劇に終わるのではなくて、雲居雁が、もちまえの可愛さを発揮したのか、ま、いいか、ってとこでめでたく仲直りしたらしい。夕霧は、それで、「夜ごとに十五日づつ」きちんきちんと通ったっていうんだから、これもなんか滑稽な結末だ。
▼で、薫だ。この時薫は14歳。匂宮よりひとつ年下ということになる。
▼源氏は薫の将来を考えて、冷泉院の養子とした。(注によれば、そのことは前の巻々には書かれていなかったそうだ。)そして、子どもに恵まれなかった秋好中宮が大事に育てた。それだから、それこそ、おんぶ抱っこで育ち、大人になると異例の出世。部屋付きの女房たちも、選りすぐりの美人ぞろい。冷泉院や中宮のところに仕えていた女房でも、気品があって美しい者はみんな薫のほうへ移したというほど。これはもう恵まれてるよね。うらやましい限りだ。
▼当時は、姫君となれば、その周囲を選りすぐりの女房たちで固めるのが通例だったのだが、男となると、そんな配慮はされなかったというから、薫は特別待遇で、これには、世間でも、どうしてそこまで? て不思議に思うほどだった。
▼しかし、薫は、母である女三の宮のことが気にかかる。すでに尼になっていた女三の宮はこの時35、6歳。まだ若いのに仏事の他にすることとてなく、薫が訪ねていくと、まるで親のように自分を頼りにしているような態度が切なくてならない。どうかして母を慰めたいと思うのだが、冷泉院やら帝やらも、薫を側においておきたがるし、東宮たちも一緒に遊ぼうと誘ってくるし、ゆっくり母を訪ねることができないことが苦しい。
▼「いかで身を分けてしがなとおぼえたまひける。」(なんとかしてこの身を二つに分けたいものと思わずにはいらっしゃれないのであった。)という薫である。
▼源氏も若いころ、多くの女性たちを相手にしていたときは、「なんとかして身を二つ(三つ、四つ?)にしたい」って思ったに違いない。けれども、薫は、母のためにそう思うのだ。
▼ここに薫の心根がすでに見えるような気がする。お経ばっかりあげていて、ちっとも幸せそうでない母の姿に、薫を心を痛めるのだ。そして、やがて、薫は自らの出生の秘密を知ることとなる。

 

★『源氏物語』を読む〈225〉2017.10.21
今日は、第42巻「匂宮」(その3)

▼女房たちというのは、当然ながら、噂好きだ。だから、邸のあちこちで、暇さえあればああだこうだと噂話に花を咲かせる。今の人間と、ちっとも変わらない。
▼その噂話を幼いころから耳にして育った薫は、うすうす自分の父が源氏ではないのではないかと感づいていたようなのだ。けれども、それを誰に聞くこともできない。もちろん、母にそれを聞くことはできないし、自分がそれにうすうす気づいているらしいという気配を母に感じとられたくもない。そういう複雑な心理を抱えて子ども時代を過ごすのだ。
▼いったいどういう因縁で、自分はこんなふうな悩みを抱える身に生まれついたのだろうと悩む薫は、まだ、14歳。中2である。
▼薫はこんな歌をひとり詠む。「おぼつかな誰(たれ)に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」(気にかかることだ、誰に聞いたらよいのだろう、どうして、はじめもまた行く末も分からぬわが身の上なのだろう。)
▼この歌の直後に「いらふべき人もなし。」(答えてくれる人もいない。)とある。
▼母を見れば、まだ女盛りで(このころ、36、37歳)すでに尼になっている。毎日読経に明け暮れているけれど、どう考えても、道心を起こしての出家ではなく、なにか辛いことがあっての出家だろう。ただでさえ、女の極楽往生は難しいとされているのに、こんな状態でいくら精進しても、母は極楽往生できないのではないか、それなら、ぼくが一生懸命にお祈りして、母の極楽往生の手助けをしたい、そんな風に薫は考える。
▼薫は、すでに亡くなってしまった柏木が自分の父ではないかと感づいていて、生まれ変わってでも対面したいと思ったりしているから、元服の儀式も気が進まないけれど、周囲に押し切られて元服し、輝かしい出世街道に押し出される。
▼源氏は、桐壺帝から溺愛されたが、敵も多く、母の身分が低かったうえに早く亡くなってしまったこともあって、必ずしも、恵まれた境遇にはなかったのだが、もちまえのおおらかさで穏やかな気質で我が世の春を築き上げた。それにくらべて、薫は、最初からもう周囲から大切にされ、気位も非常に高い人間として成長した。
▼こんなことも書かれている。「げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける、仮に宿れるかとも見ゆること添ひたまへり。」(じっさいこの世の人ならずつくり出されたお方だったのだから、仏菩薩がかりそめに人の姿となり地上に宿ったのではないかとも見受けられるようなところがおありである。)
▼これには驚く。この世の人ではなくて、仏の化身のようだ、というのだ。源氏については、こんな記述は一切ない。源氏は、理想化されてはいるが、あくまで好色な男である。
▼さらに、こう続く。「顔容貌(かたち)も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしうはづかしげに、心の奥多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり。」(ご器量も、はっきりととりたてて、どこがどうすぐれているとか、ああなんとお美しいとか、そう見えるところがあるわけではないお顔だちが、ただまことに優美で、相手のほうで気づまりになるくらい、いかにも奥底の計り知れないような様子が、余人とはまるでちがっているのであった。)
▼美貌という点では、源氏にははるかに及ばないのである。けれども、「心の奥多かりげなるけはひ」が他の人間とはまるで違う。源氏にもこういう「心の奥」があるとは書かれていない。
▼なにも源氏が浅はかな人間だったということではない。さまざまな苦難を経験し、さまざまな女性関係に神経を酷使し、過酷な状況の中を生き抜いてきた源氏の心の深さは計り知れない。けれども、その「心の深さ」は、読者が推測するしかない形で描かれてきたように思うのだ。それに比べると、薫は、直接的に、その「心の奥深さ」が提示される。これが、今までの源氏物語とはまったく違ったテイストを感じさせるのだ。
▼たったの14歳の薫は、このように、きわめて精神的な人間として登場してくる。そして、薫のもうひとつの特徴は……。

 

★『源氏物語』を読む〈226〉2017.10.22
今日は、第42巻「匂宮」(その4)

▼「香のかうばしさぞ、この世の匂ひならずあやしきまで、うちふるまひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風も、まことに百歩(ひゃくぶ)のほかも薫りぬべきここちしける。」(〈薫の〉御身に備わる香りのこうばしさは、この世のにおいとも思われず、不可解なまでに、御立居のあたりから遠く隔たったところまでただよう追風も、真実百歩の外まで匂ってゆきそうな風情なのであった。)
▼これが薫のもうひとつの特徴だ。生まれつき、芳香が身に備わっているのである。ここでも「この世の匂ひならず」とあるのが注目される。リアルだとされる第三部だが、この薫の造型は、リアルではない。源氏のほうがよほどリアルである。
▼当時は、みな競って香を焚きしめたものだけど、薫はそんなことしなくても、体からいい匂いを発して、それが遠くまで匂うほどだというのだ。だから、お忍びで出かけるにしても、すぐに自分だと分かってしまうので、困ったという。そればかりではない。薫が触れたものは、みないい薫りがする。
▼「御前の花の木も、はかなく袖かけたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風ことに、折りなしからなむまさりける。」(庭前の花の木も、軽く袖をお触れになった梅の香りは、春雨のしずくにも濡れて、その身に染ませたがる人が多く、秋の野にその主知れず脱ぎかけられた藤袴も、もとの香りは薄れて、心をそそる追風も格別といった風情に、この君に手折られることにより、ひとしおにおいがまさるというものであった。)
▼なんか、すごい。やっぱり薫は仏の化身なのだとしかいいようがない。この辺の描写は、仏典に拠っているのではなかろうか。そんな気がする。
▼匂いというのは、見た目と違って、また強烈な印象を形成するものだ。普通なら、それは、肉感的な魅力、性的な魅力に結び付くところだろうが、薫は、むしろ「精神的」な側面が強調された人物なので、かえってその匂いが神秘的なものとして感じられる。「この世のものではない」という感じはそこから出てくるのだろう。
▼一方匂宮は、そんな「体臭」を持ち合わせていないから、もうムキになって珍しい香を集めて、それを調合して焚きしめ、薫に対抗するのを仕事みたいにしている。それで、二人とも、いい匂いがするものだから、世間では二人を「匂ふ兵部卿、薫る中将」と並び称したのだった。
▼匂宮は、とにかく、衣に焚きしめる香はいうまでもなく、庭の花まで、いい匂いのするものに熱中して風流がっていたので、世間の人は、匂宮はちょっと軟弱で趣味に溺れすぎているなあと思っていたという。
▼しかし、源氏はこうじゃなかったと書かれている。「〈源氏は〉やうかはり、しみたまへるかたぞなかりしかし。」(昔の源氏の君は、何事によらず、このように一つ事を特にとりたてて、異様なまでに熱中なさるということのないお方ではあった。)
▼源氏は、あらゆる面において優れていたが、その一つに熱中するということはなかった。バランスよく力を配分していたわけだ。女性に関しても、紫の上ひとりに熱中したわけではなく、いろいろな女性を愛した。女癖が悪いといってしまえばそれまでだが、それでは片付かないものがある。
▼源氏は、当時の男性の理想像として、バランスのとれた、何ごとにも優れた男、時としてそれはありえないというほど理想化された男だったわけだ。
▼けれども、その子どもたちの世代になると、どこかバランスが悪い。一つの趣味に溺れるという傾向も、「時代の退廃」を物語るのかもしれない。それが、こうじると「虫めづる姫君」となる。薫の体の芳香も、神秘的ではあるが、どこか異様だし、匂宮の熱中もどこか異常である。
▼どこかが壊れている。六条院のあの調和的な世界は、もうどこにもないのだ。

 

★『源氏物語』を読む〈227〉2017.10.23
今日は、第42巻「匂宮」(その5)

▼世の人は匂宮と薫のことを「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、「聞き苦しい」ほどに噂したのだが、そもそも「匂ふ」と「薫る」は意味が異なる。全集の注によれば、【「匂ふ」「薫る」はともに、あたりに映発浸透する美質をいう語であるが、「匂ふ」は、視覚印象に重点があり、「薫る」は、もっぱら嗅覚的印象をいう。】とある。
▼匂宮は薫に対抗して、一生懸命に香に凝っていい匂いを発散させようとしたけれど、所詮は薫の芳香にはかなわなかったということかもしれない。いい匂いをさせてはいるが、それ以上に「匂う」がごとき美しさがあったと考えてもいい。
▼その匂宮は、好色で、積極的にいろいろな女と付き合ってはいるが、これといった好きな女がいたわけではなかった。しかし、あるとき「冷泉院の一宮」に興味を持った。この女性は、伏線もなくこの巻になって突然あらわれた女性で、冷泉院の娘である。母は弘徽殿女御。血筋からいうと源氏の孫にあたる。一方匂宮も明石中宮の息子だから、これも源氏の孫にあたる。こういう場合、お互いをなんと呼ぶのかしらないが、ややこしいことではある。
▼この女一の宮が、なかなか美しい人らしいということを女房たちから聞いて、だんだん惹かれていく。全集の注によれば、作者紫式部は、この辺りを執筆中に、この女一の宮を、これ以降の女主人公とする物語の構想があったという説があったと紹介しているが、この説がほんとうなら、おもしろい。紫式部はいったいどんな物語を紡ぎ出さそうとしていたのか、考えるだけでも、楽しい。
▼匂宮がだんだん女一宮に惹かれていくのを知った薫は、自分でも興味は持つが、自分の言うことなら何でも聞いて可愛がってくれている冷泉院は、なぜかこの女一宮とだけは会わせないようにしているのを、それももっともなことだし、めんどうはごめんだというわけで、あえて近づこうとはしない。
▼薫は、この頃にはもう自分の父が柏木だということを知っていて、それもあってか、「世の中を深くあぢきなきものに思ひすましたる心あれば」(この俗世をあじきないものと悟りきった気持なので)、なまじっか結婚などして、世を捨てにくくなるなんてごめんだと考えている。世間では、若いのにずいぶん老成した方だと思っている。まだ、中2なんだからね。
▼けれども、薫は、いい匂いがするだけじゃなくて、源氏ほどではないにしろ、当代きっての美男子なんだから、モテモテなのである。高貴な方との結婚なんて考えてもいない薫だが、けっして女嫌いなわけじゃない。女房階級の女たちには、それなりにやさしくするもんだから、女房たちはほっとかない。薫はその女たちと付き合うけれど、結婚だとかいう大げさなことにはしないで、そこそこの付き合いにとどめるから、女たちもいったいどこまで本気なんだろうとヤキモキする。それがまたたまらない、ってことなのだろうか。女たちは、我も我もと薫の住む三条院の女房となってしまう。
▼だからといって、薫と結婚できるわけでもなく、冷たくされるのがオチなのだが、それでも、薫さまのお側にいられるだけでいい、って思っているみたいだ。
▼前回、源氏はバランスのとれた人間で、それに比べて匂宮や薫は、どこか偏った人間だと書いたけれど、それは源氏が死んだ後の美化された姿と比較しているからだろうと、全集の注は言っている。若い頃の源氏は、バランスどころか、メチャクチャな遊びぶりだった。手が付けれらないほどの好色ぶりだった。しかし、今度はその若い頃のメチャクチャな源氏と、比べてみると、匂宮の好色ぶりも、どこか「小物感」が否めないし、薫に至っては、はち切れるような「若さ」や「生命力」が感じられない。
▼そういう主人公たちが、今後の物語を背負っていくわけである。

 

★『源氏物語』を読む〈228〉2017.10.24
今日は、第42巻「匂宮」(その6・読了)

▼薫は、とにかく母のことが心配で、朝夕に、お側を離れずにお目にかかりお仕えすることをせめてもの親孝行としたいと、まことに見上げた思いでいるものだから、結婚なんて考えることができない。ぼくみたいな親不孝ものからすれば、ちょっと考えられない心境だが、やはり自分の出生と母の出家を合わせて考えると、こういうところに行き着くのかもしれない。
▼そういう薫を見ている夕霧は、自分の六人もいる娘のうち、だれかひとりを薫の嫁にしたいと思うのだが、話の切り出しようもない。
▼六人の娘の中でも、雲居雁腹ではなくて、典侍(ないしのすけ)腹の六の君というのが、とびっきりの美人なのだが、母親の身分が高くないので、軽く見られている。その六の君なら、きっと薫や匂宮が目を付けるにちがいないとふんで、夕霧はその娘を、落葉宮に引き取らせる。う〜ん、フクザツだなあ。
▼落葉宮と夕霧に間には子どもがいないので、落葉宮はヒマだからというわけだ。落葉宮は六条院の一角に住んでいるので、そこのおいておけば、匂宮とか薫の目にとまることもあろうという魂胆である。
▼それにしても、いやいやながら結局夕霧の妻となって今は六条院に住んでいる落葉宮は、いったいどういう心境なのだろう。遺憾ながらその辺のところはまったく書かれていない。それを書き出したらきっと「落葉宮」という一巻が必要となるだろう。この地味なキャラを主人公にして、誰か小説でも書かないものだろうか。
▼さて、正月十八日、宮中では賭弓(のりゆみ)という行事があって、その後の宴会を夕霧は六条院で開くことにする。賭弓というのは、左右に陣営を分けて、弓を競うのだが、いつも「左」が勝つのが恒例らしい。歌合もだいたい左が勝つのが恒例であるというが、そうなんだろうか。知らなかった。いったい何のための「競射」であり、「歌合」なのかと思うが、まあ、勝ち負けより、集まって何かするということが大事なのだろう。その点では、今もあんまり変わりがない。
▼夕霧が宴会を六条院でやるのは、それをきっかけに、匂宮なり薫なりに六の宮との縁談をなんとか進めたいと思ってのことだが、薫は賭弓が終わるとさっさと帰ろうとするので、懸命に引き留めて、六条院へと連れていく。もちろん、匂宮もちゃんと別の車に乗せている。
▼極楽浄土とはこういうところかと思わせる六条院で宴会は華やかに行われ、薫から発する芳香はあたりに漂い、御簾の中の女房たちもうっとりするのだった。
▼といったところで、はやばやと「匂宮」の巻は幕を下ろす。

 

【43 紅梅】

★『源氏物語』を読む〈229〉2017.10.25
今日は、第43巻「紅梅」(その1)

▼紫式部は、なかなか几帳面な人で、あまた出てくる登場人物の「その後」も、ちゃんと書いてくれている。
▼源氏が死んじゃったのだから、あとは適当にすませて、さっさと「宇治十帖」へ行けばいいと思うのだが、そうでもない。というか、この辺を書いていたときは、まだ「宇治十帖」の構想が固まっていなくて、手探り状態だったのかもしれない。「匂宮」に出てくる女一宮という女性も、主人公候補だったみたいだし。
▼そういえば、源氏の親友でもあり、源氏をライバル視してなにかと対抗していたかつての頭中将は、致仕の大臣と呼ばれていたが、いつの間にか死んでいる。どうも源氏と前後して亡くなっているらしい。「匂宮」の巻にそのことが書いてあったらしいが、気づかなかった。いずれにしても、源氏同様、その死は具体的には語られなかった。彼も源氏が亡くなって気が抜けたのだろうか。このように、若い日々を楽しく過ごした二人が、あんまり幸せそうじゃない晩年を過ごして、手をとるようにして死んでいくというのも、なんだかもの悲しい。
▼この「紅梅」の巻は、この亡くなった致仕の大臣の次男、按察使の大納言(後に紅梅と呼ばれる)の話から始まる。
▼この人は幼い頃から、ちょくちょく物語の中に顔を出していて、たとえば、あの玉鬘に思いを寄せていたのだが、彼女が兄弟であることを知らされて、ああ、告白しなくてよかったって思った子である。
▼柏木の弟にあたる大納言は、子どものころから利口で、気が利いて、音楽も得意。昇進するにつれて、羽振りもよく帝の信任もあつい。この人の北の方(奥さん)は二人いて、最初の北の方は亡くなっていて、今の北の方は、なんと懐かしや、あの真木柱である。真木柱といっても忘れちゃったかもしれないけど、あの玉鬘を強引にお嫁さんにしてしまった髭黒(今は太政大臣となっている)のもう一人の奥さんとの間の子どもだ。この子は、蛍の宮と結婚したのだが、その蛍の宮が死んでしまうと、この大納言が通うようになり、そのうち、北の方に収まったというわけである。
▼この大納言には、亡くなった北の方腹の子どもが二人の娘がいるのだが、それだけじゃ寂しいというので、一生懸命お祈りなどしたかいあって、真木柱にも男の子ができた。
▼それに、真木柱には、蛍の宮との間にできた女の子(宮の御方と呼ばれる)がいる。つまり連れ子である。大納言は、亡くなった北の方腹の女の子ふたり、大君と中君、それに真木柱の連れ子の宮の御方の三人を、邸のそれぞれの部屋に住まわせて、分け隔てなく面倒を見たのだが、娘二人のほうの女房たちは、なにさ、後から来たくせになどと不満がつのり、いさかいも起きるのだが、真木柱は、「いと晴れ晴れしく今めきたる人」(いかにも屈託のない現代風な気性の方)で、いろいろ嫌味をいわれても、穏やかにうけとって、万事まるくおさめるのだった。
▼あの真木の柱から離れたくないとダダをこねていたカワイイ娘時代からは、考えられない成長ぶりだ。まあ、昔アイドルだった女の子が、青年実業家なんかと結婚して、けっこうそつなく暮らしているって感じかな。それなりに苦労はしているけど、明るい性格で得してるね。
▼大納言がこんな風にして三人の娘を大事に育てていることを知って、各方面から、お嫁に欲しいといってくる。中でも、帝や東宮からご所望があるけれど、帝のところには、明石の中宮がでんといて、かないっこないし、東宮のところには、夕霧のところの長女が女御として入っていて、これもまたやっかいだが、そうも言っていられないと大納言は思って、大君を東宮に参上させることにした。
▼中君も、大君に並んで美人だから、そんじょそこらの普通の男じゃもったいない、というわけで、それなら匂宮はどうかしらと大納言は考える。
▼匂宮の方も、宮中にチョロチョロ出入りしている真木柱の息子を見ればかわいがり、オマエの兄弟(つまり中君)にも会いたいなあなんてほのめかすものだから、大納言は、ヘタに宮仕えさせるより、匂宮に縁づけて、オレも匂宮の世話をすれば、あの美しさで命も伸びるというものだと、ほくそ笑みながら、まずは、大宮の東宮参上をいそぐ。源氏のときもそうだったが、美しい人を見ると、それだけで寿命が伸びると当時は信じられていたようだ。
▼亡くなった致仕の大臣は、娘が弘徽殿女御として帝に仕えたけれど、結局、源氏のところの秋好中宮に圧倒されて后にはなれなかった無念を今こそ晴らそうなんて大納言は思うのだ。恨みは深し海よりも、ってとこかな。ま、そんな深刻なものじゃなくて、意地の問題だけどね。

 

★『源氏物語』を読む〈230〉2017.10.26
今日は、第43巻「紅梅」(その2)

▼大君は東宮に入内し、母親の真木柱はその後見としてついて行ってしまったので、大納言は退屈だ。
▼中君も、いつも一緒にいた姉さんがいなくなったので、これもまたぼんやりしている。真木柱の連れ子の宮の御方のところに集まっては、琵琶なんかを宮の御方を師として習っていたころが懐かしい。
▼宮の御方は、どうも、琵琶がうまいらしい。ときどき掻き鳴らすその音色を大納言は耳にするのだが、もちろん、あの源氏にはとうていかなわないけど、結構趣深くひいている。大納言は、いったいこの宮の御方はどういう容貌なのだろうと知りたくなる。
▼新しい妻の連れ子が、どんな顔をしているのか知らないというのも、変だけど、それが当時の慣習なのだろう。とにかく、相手が誰であれ、女は顔をめったに見せないものなのだ。
▼自分の娘の入内などばっかりに時間をとられ、真木柱の娘の宮の御方をないがしろにしていると思われるも嫌なので、大納言は、真木柱に、宮の御方の夫として誰かこれといった方がいれば言ってください、お世話しますから。」と言うのだが、真木柱は、娘はそんな気はぜんぜんないようです、なまじっかな縁談はかえってかわいそうですからね。私が生きている限りはお世話しますし、たとえ、私が死んだあとに尼になるようなことになっても、人に笑われないように過ごしてほしいものですと言って、涙を流しながら、娘の気立てのよいことを夫に話す。
▼大納言は、ますます宮の御方の様子を見たいと思って、部屋に出かけていくのだが、どうしても姿を見ることができない。お母さんが宮中へ行っている間は、私がここへ来ようと思っているのに、どうしてそう他人行儀なのかと言いながら、御簾の前に座ると、宮の御方は、小さな声でなんとか返事をする。
▼その気配や物腰から、大納言は、この子が気品があって優雅な女性であることを感じとる。自分の二人の娘も、この子にはかなわないのではなかろうかと思うと、まったく世の中は油断できないものだ、上には上がいるものだと、ますますこの姫を間近に見たいと思うのだった。
▼カーテンの向こうに隠れていて、ぜんぜん顔も姿も見えないのに、ちょっとした言葉のやりとりで、その人の人となりが分かってしまう、容貌までもが想像されてしまうというのは、やはり当時はそうした状況に何度も出会って、感覚が研ぎ澄まされているからだろう。
▼そんなことをしているうちに、退屈も極まり、大納言は、なんとかして宮の御方の琵琶を聞きたいと思うのだが、彼女は恥ずかしが屋で、ちっとも応じない。大納言は、琵琶というものはねえ、と音楽談義をはじめるが、そうするとすぐに夕霧のこと、源氏のことが思い出される。あの匂宮も薫も、音楽には堪能らしいけど、やっぱり源氏仕込みの夕霧にはかなわないね。でも、あなたの琵琶の音は、夕霧によく似ているよ、指さばきなんかなんともいえないよ、さあさあひとつ弾いてみてごらんと勧めるのだが、女房ともども、御簾の向こうに引っ込んだままなので、大納言も中っ腹。
▼そこへ、若宮(大納言と真木柱の間にできた男の子)が、殿上へ行こうというので、「宿直姿」で通りかかる。大納言は彼を引き留めて、今日は体調が悪いといって休みなさい、それより、そら笛を吹いてごらん、いつも帝の前で吹いているそうじゃないか、まだ未熟のくせに、と言うと、若宮は笛を吹く。
▼おお上手いじゃないか、オマエがどんどん上手くなっていくのは、このあたり(宮の御方のところ)で、お琴に合わせて吹いているからだろうね、なんて言うので、宮の御方もさすがに心苦しくなって、琵琶を爪弾く。琵琶はバチで弾くのが普通だが、ここでは、遠慮がちに爪ではじくのだ。大納言は上機嫌になって口笛で合わせる。
▼庭には美しく紅梅の花が咲いていた。

 

★『源氏物語』を読む〈231〉2017.10.27
今日は、第43巻「紅梅」(その3・読了)

▼紅梅の花の匂いに、大納言は匂宮のことを思う。まあ、匂宮とか薫といったって、源氏の足もとにも及ばないと大納言は思い、源氏のことを思い出して懐かしさに涙を流すのだが、それもせんないこと。今更源氏のような人を求めても、いるはずもないのだから、せめてその忘れ形見の匂宮に娘を嫁がせたいと考える。
▼それで、紅梅の花を歌に詠んで、匂宮に渡すように若宮(息子)に託す。この若宮は、東宮にも匂宮にも寵愛されている。「集成」(新潮社版)では、可愛がられているといった程度の説明しかないが、「全集」(小学館版)では「男色のさま」と断定している。何かと過激な小学館版であるが、ここはやはり小学館版のいうとおりだろう。
▼源氏物語には、あまり「男色」はあからさまには出てこないが、源氏の件で、前に一度はっきりと出てきたことがある。どこだか忘れてしまったが。
▼子どものほうは、それを別に嫌がっているふうでもなく、若宮などは匂宮に可愛がられたいと無邪気に思っている。
▼若宮はさっそくその手紙を持って宮中に赴くと、ちょうど匂宮が明石中宮の局から宿直所にさがってくるところだった。匂宮は若宮を見つけると、側に呼んで、人がいなくなると、御前は東宮から少しはお暇をいただけたようだな、お姉さんにとられちゃって残念だな、なんてからかう。こういう会話からも、そこに「東宮からのご寵愛」の実質がわかる。
▼東宮様はちっともぼくを離してくれないから困ってたんです、などと答える若宮に、匂宮は、君の姉さんは、オレをウダツのあがらぬヤツだと思って相手にもしてくれず、東宮にべったりだけど、まあそれもしょうがないや。でも、あの「東と聞こゆるなる」(宮の御方のこと)は、私と仲良くしてくれないかなあと思ってるんだ。ちょっと誘ってみてくれよ、と頼む。
▼すると、若宮は大納言から託された手紙とそれに添えた紅梅の花を差し出すので、匂宮は、その香りにうっとりする。その姿をみて、若宮は、ああ届けてよかったと思う。
▼匂宮は大納言は中君を自分にくれようとしているのだと、手紙の文面や若君の言葉から察するのだが、自分としては、中君ではなくて、宮の御方と付き合いたいので、返事もそっけないものとなる。そして若宮には、年寄りどものいいなりにならずに、そっと宮の御方と渡りをつけておくれと頼むのだった。
▼そっけない返事をもらった大納言は、腹をたてながらも、更に手紙を書くのだが、匂宮はそこまで自分をほしいのかと思って嬉しいけれど、相手が違うので、返事もはかばかしくない。
▼そのうち、北の方(真木柱)が、宮中から帰ってくる。
▼若宮が一晩宿直して部屋から出てきたとき、すごくいい匂いがしたんですけど、それを東宮さまはすぐに気づいて、あ、どうりでオマエは冷たいはずだ、匂宮のほうがいいんだね、なんて嫌味をおっしゃっていたけど、なんかおもしろかったわ。で、あなた、匂宮にお手紙さしあげたの? って聞く。
▼そうなんだよ、あんまり紅梅がいい匂いだったものだからね、と、大納言はしきりにそれから匂宮を褒める。真木柱は、この人は、中君を匂宮にやりたいんだわとその意中を知るのだが、一方、匂宮は自分の連れ子の方へしきりに手紙をよこすので、当惑する。
▼当の宮の御方は、自分はどうせ母親の連れ子だし、世間の目はもっぱら大君、中君に行っているのだからと、結婚のことはまったく考えていない。大納言の方は、自分としては中君をやりたいのに、匂宮が宮の御方にご執心なのを知って、もし、宮の御方がその気になったらどうしようとハラハラしている。
▼真木柱は、まあ、匂宮の宮なら娘(宮の御方)を嫁がせるに何の不足もないけど、どうも、あの人は遊び人で、たくさん通っているところもあるということだし、と気が進まない。けれども、匂宮はますます勢いづいて手紙をよこすので、しょうがないから、真木柱が代わりに返事を書いたりしている、というところで、この巻もあっという間に終わってしまう。
▼この最後の「たくさん通っているところがある」という部分に、「八の宮の姫君」という名前が出てきて、この方に「御心ざし浅からで」(ご執心並々でなく)とあるわけだが、この「八の宮の姫君」こそ、このあとの「宇治十帖」の中心人物の一人となっていくのである。
▼結局、「匂宮」から始まって「紅梅」まで(そして次の「竹河」まで)は、源氏物語の第2部の「後日談」であり、また「宇治十帖」の準備なのだろう。
▼ベートーヴェンの第九の第4楽章の冒頭で、主題を探してさまようところがあるが、それに似た感じがする。この女性を主人公にしようかなあ、でもなあ。じゃ、彼女か? う〜ん、これじゃ代わり映えしないなあ、なんて考えている紫式部の姿が思い浮かぶ。
▼いうまでもなく、源氏物語は、今のような形で「出版」されたわけではなく、書いたそばから、まずは中宮彰子が読んだと考えられる。もちろん、その後、その「本」が貸し借りされ、写本が作られ、多くの読者を得たのだろうが、紫式部は常に「待っている読者」に対して、物語を書き続けなければならなかったわけだ。
▼とすれば、この辺りというのは、彼女の中には、まだ「宇治十帖」の構想はできてなかったのかもしれない。あったとしてもまだぼんやりしていて、手探りの状態だったのかもしれない。突然、匂宮の通う女として「八の宮の姫君」が登場してきたとき、すでにその後の物語ができあがっていたのか、それとも、単なる思いつきだったのか、そんなことを考えるだけでも楽しみは尽きない。
▼もっとも、そんなことは、すでにさんざん研究され、論文も山ほど出ているのだろうが、それはそれ。素人の楽しみは、また格別である。




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