「源氏物語」を読む

 

No.40 御法 〜 No.41 幻


【40 御法】

 

★『源氏物語』を読む〈217〉2017.10.9
今日は、第40巻「御法」(その1)

▼夕霧の浮気のドタバタが語られたあと、「御法」の巻を開くと、そこはもう、そんな出来事はなかったかのような、しめやかな空気に包まれている。
▼冒頭からいきなり、紫の上の病状の重さが語られるのだ。
▼「紫の上、いたうわづらひたまひし御ここちののち、いとあつしくなりたまひて、そこはかとなくなやみわたりたまふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、たのもしげなく、いとどあえかになりたまへるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。」(紫の上は、あの重くおわずらいになったご大病の後、めっきり衰弱なさって、どこがおわるいというのでもないが、久しくご気分がすぐれぬままでいらっしゃる。特に危ないといったご病状ではないけれども、年月も重なるので、もうご回復の見込みもなく、いよいよか弱くなられる一方なので、院〈源氏〉のご心痛はこのうえもない。)
▼紫の上は、自分の死期の近いことを感じ、自分としては、もうこの世になんの未練もないし、気になる子どものいないから、死ぬまでの短い間だけでも出家して、祈りの日々を送りたいと源氏に願うのだが、やっぱり源氏はそれを許すことができない。
▼源氏は、なんとしても、紫の上に先立たれたくないと思う。一日でも先に自分が逝きたい。その気持ちは、紫の上もよくわかっていて、この人に先立ったらどんなに悲しむだろうとそればかり思うのだが、いかんせん、もう本当に先がないことが実感される弱りようなのだ。
▼紫の上は、人生最後の法会を開催する。法華経千部の供養である。その法会をみずから指図して完璧なまでの法会を準備したので、源氏はいつそんな準備を進めていたのかと驚くのだった。
▼法会は盛大に挙行されるが、そうしたありさまも、紫の上には、もうこれが最後の眺めだと思うとただただ悲しい。
▼法会がおわると、集まっていた方々(花散里、明石の上など)も次々に帰っていくのを見るにつけても、これが今生の別れと思われてならない。花散里とも歌を詠み交わす。
▼その法会が行われたのは春だったが、夏になって、紫の上はますます弱ってくる。その様子を聞いた明石中宮がお見舞いにくる。中宮は、明石の上の娘だが、紫の上が手塩にかけて育ててきたのだ。愛娘といってもいい。
▼紫の上は、中宮にいろいろと遺言したいけれど、そんな不吉な言葉を注意深くさけるのだが、それでも、中宮の子どもたちの行く末を見たいと思う気持ちが私にも残っていたのね、などと言うので、中宮は、どうしてそんなに悲しいことばかり言うの、と泣き崩れる。
▼中宮の子ども、三の宮(後の匂宮)は、いわば紫の上の孫みたいなもので、この子も紫の上が大事に育ててきた。その三の宮が、そばを行ったり来りしている。まだ5歳だ。
▼その三の宮に言う。「まろがはべらざらむに、おぼし出でなむや。」(この私がいなくなりましたら、思い出してくださいますかしら。)
▼三の宮は答える。「『いと恋しかりなむ。まろは、内裏(うち)の上よりも宮よりも、ははをこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは、ここちむつかしかりなむ。』とて、目おしすりてまぎらはしたまへるさま、をかしければ、ほほゑみながら涙は落ちぬ。」(私は、父帝よりも、母宮よりも、祖母様をもっと大事に存じておりますから、いらっしゃらなくなったらきっと機嫌がわるくなると思います」とおっしゃって、目をこすって涙を紛らしていらっしゃるお姿がかわいらしいので、笑みをうかべながらも涙が落ちた。)
▼泣けるなあ。ほんとうに紫式部は子どもの描きかたがうまい。この三の宮の可憐さは、忘れ難い。
▼紫の上は、三の宮に、大人になったらこの二条院に住んで、花の折々に楽しんでね、そして、仏様にもお花を手向けてね、と言うと、三の宮は、うん、と頷き、じっと紫の上を見つめているうちに涙がこぼれそうになるので、駆け出していってしまった。
▼紫の上にとっては、ほんとにかわいい「孫」だから、この子とその姉の女一の宮を残して死ぬのが心底悲しいと思うのだった。
▼秋になって涼しくなると、少し容体の安定する日もあったが、とうとう紫の上は最期のときを迎える。中宮は、宮中からはやく帰ってこいとの催促があっても、帰ろうとしない。そして、源氏とともに、紫の上の最期をみとるのだった。紫の上の最後の歌は、中宮との唱和だった。そして、紫の上は、中宮の手をとりながら息を引き取る。
▼紫の上の死は、そっけないほど簡潔に描かれる。
▼「さきざきも、かくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。」(以前にも、こんなふうになられてから生き返られたので、そのときの例にならって、今度も御物の怪のしわざかとお疑いになり、一晩じゅうさまざまの手だてをお尽しになったけれど、そのかいもなく、夜の明けはてるころにお亡くなりになった。)
▼夕霧と雲居雁の痴話げんかには、これでもかと言葉を繰り出して描き尽くすのに、物語のいちばん大事な人物の死という重大事には、たったの数行しか言葉を使わない。大事なことは書かない。これが源氏物語の特徴だと言っていい。
▼物語の主人公、光源氏の死に到っては、一言も使わないのも、この成り行きからゆくと当然のことかもしれない。
▼それはそれとして、紫の上の死そのものは簡潔に描かれるが、その死に至る過程には、季節の移り変わりが描き込まれ、春から夏、夏から秋へと移っていくなかで、紫の上の病状は次第に悪化して、秋の中で、炎が消えるように命を終える、という描き方がされていて、とても印象深い。
▼人の死というよりは、ひとつの季節の終わりのようだ。

 

★『源氏物語』を読む〈218〉2017.10.10
今日は、第40巻「御法」(その2)

▼まるで季節の推移のように、紫の上はひっそりと死んでしまうが、その波紋は果てしなく大きい。
▼人の死というものは、ただ息をしなくなるという事実に過ぎないけれど、死は、残されたものの中にある。
▼「誰も誰も、ことわりの別れにてたぐひあることともおぼされず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢にまどひたまふほど、さらなりや。」(どなたも、これは逃れられぬ別れであって、世間に例のあることだからとおあきらめになろうとしても、やはりおあきらめになれず、またとないことのように嘆き悲しみ、明けぐれの夢かと取り乱していらっしゃるのも無理からぬことではある。)
▼これは実感のある文章だ。人間はみな死ぬに決まっているし、それなりの年になれば、何人もの死に立ち会っているはずだ。それでも、こうした時、ああ、これはいつものことだ、よくあることだと、落ち着いて認識できず、まったく経験したこともない、まるで初めての出来事のように感じられる。そして、ひょっとして、これは夢ではないかと思うのだ。
▼これと同じ感覚を、宮沢賢治も妹トシの死に際して感じたことが詩の中にみえる。
▼「わたしのこんなさびしい考は/みんなよるのためにでるのだ/夜があけて海岸へかかるなら/そして波がきらきら光るなら/なにもかもみんないいかもしれない/けれどもとし子の死んだことならば/いまわたくしがそれが夢でないと考へて/あたらしくぎくっとしなければならないほどの/あんまりひどいげんじつなのだ」(宮沢賢治「青森挽歌」)
▼この「あんまりひどいげんじつ」を前に、女房たちも正気のものなど一人もいない。源氏ももちろん茫然自失である。それでも、源氏は、夕霧を呼び寄せ、部屋に招き入れる。実は、この時、初めて夕霧は紫の上の部屋に入ることを許されたのだ。これまでは、源氏が万一のことがあってはならないと用心して、決して紫の上に近づけなかったのだ。
▼源氏は、紫の上が出家したいと言っていたのに、それを許せないまま死なせてしまったことが悔やまれてならないから、せめて今からでも僧侶たちを呼び戻して髪をおろして出家させてやってくれと頼む。
▼夕霧は、ひょっとして紫の上はこの前のときのように物の怪にせいでただ気を失っているのかもしれないから、それならそれもいいけれど、もしほんとうに息絶えてしまったのなら、髪を下ろすなんてことをしても、極楽往生の役には立たないし、そんな姿をお父さんが見たら、悲しい思いが増すだけですと反対して、僧に髪を下ろさせはせず、僧にはするべき祈りなどを命じるのだった。
▼浮気騒動で、まるでガキのような大人げない振る舞いをしていた夕霧とは思えないほど、しっかりとした対応である。むしろ源氏のほうが、すっかり動揺してしまって、何をどうしたらいいのか分からない状態だ。
▼夕霧は源氏と違って根が真面目だから、間違っても紫の上とどうのこうのという気持ちはなかったけれど、その姿を一度でいいから見たい、その声を一度でいいから聞きたいと憧れ続けてきたのだったが、源氏の固いガードの前に果たせなかった。けれども、今なら、その姿を間近に見ることができると思って、泣き騒ぐ女房たちを叱りつけながら、その隙に几帳の帷子を持ち上げて中を見る。
▼まだ朝が明けきっていないから部屋の中は薄暗く、源氏は灯火を近づけて、紫の上の亡き骸にじっと見入っている。源氏は夕霧がのぞいていることに気付いているが、もう隠そうとはしない。このあたりの描写はすごい。
▼紫の上の亡き骸の描写は、夕霧の目を通してなされる。夕霧はもう涙で見えない目を「しぼりあけて」(まぶたをかたく合わせて、涙を絞り出すようにして)紫の上を見る。
▼「御髪(みぐし)のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、つゆばかり乱れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ限りなき。灯(ひ)のいと明(あ)かきに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはすことありし現(うつつ)の御もてなしよりも、言ふかひなきさまに何心なく臥したまへるありさまの、飽かぬところなし、と言はんもさらなりや。なのめだにあらず、たぐひなきを見たてまつるに、死に入る魂のやがてこの御骸(から)にとまらなむ、と思ほゆるも、わりなきことなりや。」(御髪が無造作に投げ出されておありになるのが、ふさふさといかにもきれいで、いささかのもつれもなくつやつやと美しい風情は、もうこれにまさる何があるというのだろう。灯火がまことに明るいので、お顔の色はまったく白く光るように見えて、何かと取りつくろっていらっしゃったご生前のお姿よりも、今はどう嘆いてみたところでなんのかいもない有様で無心に臥していらっしゃるご様子のほうが、それこそ何一つ非のうちどころがないと言ってみたところで、いまさらめいたことではある。並一通りの美しさならまだしも、まったくそれどころではないこの無類のお姿を拝していると、いよいよ絶え入ろうとするこのお方の魂がこのままいつまでもこの御亡骸にとどまっていてほしいと思わずにはいられないのだが、それも無理な願いというものである。)
▼髪が「つやつやとうつくしげなるさま」をしていると読むと、あの「若紫」で初めて紫の上が登場してきたシーンが思わず目に浮かぶ。その時、まだ子どもの紫の上は「髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして」いた。その髪を、祖母なる尼君が、いとしそうになでていた。その幼い紫の上の姿を源氏が忘れるはずもない。
▼その源氏は、今目の前に広がる紫の上の髪を、どんな気持ちでみているのだろうか。それを思うと、涙が出る。
▼人の死に顔がこんなにも神々しく描かれたことがあるだろうか。そして、黒髪がこんなにも涙を誘うシーンをほかの誰が書きえたであろうか。

 

★『源氏物語』を読む〈219〉2017.10.11
今日は、第40巻「御法」(その3・読了)

▼紫の上は、亡くなったその日のうちに荼毘に付される。おつきの女房たちはひとりとして気の確かな者はいないから、源氏は無理やり気持ちを静めて葬儀をとりしきる。
▼これまで長いこと生きてきて、悲しいこと目にはいやというほどあってきたけれど、幼いころからお世話してここまで連れ添ってきた紫の上との死別はほんとうに堪え難い悲しみだ。
▼源氏はもうこの世に生き長らえる意味を見いだせない。紫の上に後れてしまっては、そう長く生きていられないと思う源氏は、はやく出家したいと思うのだが、女房に死なれた悲しみのあまり出家したというのでは、いかにも情けない男だと世間が噂するだろう、それが気にかかって出家もできない。男の最後の意地だ。
▼「臥しても起きても涙の干(ひ)る世もなく、霧りふたがりて明かし暮らしたまふ。」(寝ても覚めても涙のかわくひまがなく、目も涙に霧りふさがって、日々を明かし暮していらっしゃる。)源氏は、ただただ阿弥陀仏を念じるばかりだ。
▼帝をはじめ、さまざまな方面から弔問がとどくが、中でも、致仕の大臣からも度々見舞いの手紙がとどく。けれども、この昔からの親友に対しても、女々しい男だと思われないように、返す歌にも気を配る。
▼自分の弱みをとことんさらけだして愚痴も悲しみも言える友だちというのは、なかなか得難いものだ。女同士はいざ知らず、男同士では、どうしてもかっこつけてしまう。心のどこかで張り合ってしまっているのだろう。まして、昔からライバルみたいな関係で、大人になってからは、いっそう源氏に対して張り合う気持ちも強かった致仕の大臣の性格を、こうした土壇場でも、源氏は忘れることはないのだ。
▼そんな源氏に、秋好む中宮からの手紙が届く。
▼その歌。「枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の秋に心をとどめざりけむ」(枯れ果てた野辺の風情をお嫌いになって、亡きお方は、秋に心をお寄せにならなかったのでしょうか。)
▼かつて、紫の上と秋好む中宮の間に「春秋の争い」があった。ケンカではない。春が好きか、秋が好きかの「論争」である。紫の上は、春が大好きというのに対して、秋好む中宮は、いや秋の風情のほうが私は好き、と言ったというレベルの話なのだが、紫の上の死に際して、今、私はあなたの気持ちがわかりますという歌をおくってきたのだ。
▼源氏は、「いふかひあり、をかしからむかたのなぐさめには、この宮ばかりこそおはしけれ。」(お話のしがいがあり、風情のある歌などをやりとりして心を慰める人としては、この宮だけがいらしたのだ。」と思って、涙をこぼす。この中宮は、あの六条御息所の娘で、源氏が娘同様にお世話してきた人だ。
▼こういう人が、ほんとうに心の底から「わかりあえる」人ということになるだろう。「風情」とか「情緒」とか、そういった感覚的なレベルでの共感は、人間関係においてはとても大事なことだ。思想的にぴったり一致しても、そういうレベルでの齟齬があると、「わかりあえた」という気持ちになかなかなれないものだ。
▼すっかり気落ちして、惚けてしまったようになった源氏は、男たちの前だと気もやすまらないから、「女方にぞおはします。」(女房たちのいる部屋でお過ごしになる)これは、源氏の好色ゆえではない。男のいる「公式」の場に耐えられない源氏の気の弱りだ。源氏にはもう、この世にいきる気力も失せているのであろう。
▼悲しみ一色に染まる「御法」の巻は、こうしてあっという間に終わる。

 

 

【41 幻】

 

★『源氏物語』を読む〈220〉2017.10.12
今日は、第41巻「幻」(その1)

▼紫の上亡きあと、源氏は泣いてばかりいる。それはちょうど、桐壺帝が桐壺更衣亡き後すっかり意気消沈してしまい、まったく仕事もせずに引きこもってしまったことを思い出させる。やはり親子である。
▼桐壺帝の場合は、桐壺更衣にそっくりな藤壺を后に迎えることで元気を取り戻したのだが、それがかえって仇となり、源氏の密通を用意してしまう。源氏はというと、そんな元気はもうない。昔からの馴染みの女房たちを相手に、昔語りをするばかりだ。
▼こうした昔から源氏に仕えてきた女房たちも、かつて源氏からの寵愛を受けた者ばかりではあるが、今はもうただの話し相手でしかない。それでも、気のきかない男たちよりはずっとましだ。源氏はもう見舞いに来る男たちには会おうともしない。
▼ただ蛍宮(源氏の弟)とは会って、歌を詠み交わしたりもして、紫の上のいなくなった今、花をほんとうに愛でることができるのは彼だけだなどと思ったりもしたけれど、あとは、面会もしない。息子の夕霧にすら会おうとしないのだ。
▼男というものは、死を間近にすると、もう男とは会いたくなくなるのだろうか。そう思うのは、晩年の室生犀星が、病院に見舞いに来る者がいると、男か女かと聞き、男なら会わない、女ならたとえ読者でも会う、といったということがいまだに不思議なこととしてぼくの頭から離れないからだ。大親友の萩原朔太郎でさえ、会ってもらえなかったという。そうした気持ちは、今ではなんとなく分かるような気がする。極めておおざっぱにいえば、男は自己中心的で共感能力に欠けるからだ。そう思う。自分の抱えた悩みや、苦しみや、愚痴を、だまって、しみじみ聞いてくれるのは、たぶん、「男よりは女」なのだ。たぶん、だけど。
▼少なくとも、源氏は致仕の大臣とは会わないだろう。アイツは、オレの愚痴など聞く耳もたず、自分の愚痴やら自慢やらをとうとうとするにちがいない。きっと、そう思ったはずだ。
▼源氏はただひたすら出家を思うのだが、やはり、妻を亡くしたことで理性を失い、その結果出家したとはどうしても思われたくない。源氏はこのことにほんとうに最後までこだわっている。可笑しいくらいだ。
▼それに、ここにいる女房たちのこともある。紫の上をなくし、そのうえ自分までもが出家してしまったら、後に残された彼女たちはどうするのか、と源氏は心配する。どこまでも面倒見のいい源氏である。
▼「つれづれなるままに」(〈何もすることがなくて退屈だから〉の意。徒然草の冒頭とまったく同じ言い回しがここに出てきたのには驚いた。一種の慣用句なのだろうか。)源氏は女房たちと語る。語るのは、亡き紫の上のことばかり。こんなに紫の上をいとしく思っていたのに、どうして自分は、彼女を苦しめ悩ますような浅はかな恋に浮き意をやつしてきたのだろうと、今更ながら埒もない後悔ばかり。
▼女房たちは、紫の上が我慢してきたことの数々を、ぽつりぽつりと語る。女三の宮と結婚して3日目の朝帰り、雪の降っている朝に、源氏は締め出しを食らってしまったことがあった。あの時は、頭にきた女房たちが、格子を下ろして鍵をかけてしまったのだった。あの朝のことは、オレもよく覚えている。体も芯から冷え切ったなあ。あのとき、紫の上は、泣き濡らした袖をオレに隠していたよなあ。ああ、夢の中でもいいから、もう一度会いたい、などと言っていると、「いみじうも積もりにける雪かな」(ずいぶん雪が積もったわねえ)などという声が聞こえてくる。あの時と同じだ。けれども、違うのは、紫の上がいないことだ。
▼すっかり弱りきり、まるで老人のような源氏だが、この時52歳。紫の上は43歳で亡くなったのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈221〉2017.10.13
今日は、第41巻「幻」(その2)

▼源氏が悲しみにくれて「つれづれなる」日々を過ごすうちにも、春になり花は時に応じて次々と咲いていく。春を愛した紫の上は、春の間中、花が絶えないように様々な花木を植えていた。紅梅から、桜、山吹、そして藤へと、主を失っても花は今と変わらずに次々と咲いていく。
▼三の宮(明石姫君の息子、後の匂宮)は、紫の上の遺言を守って、そうした花の世話をしている。桜が咲けば、なるべく散らないようにと考えて、桜の木のまわりに几帳を張り巡らそうかなどと言ったりする孫が源氏は可愛くてならない。
▼しばらくは、訪ねていく気も起こらなかった他の奥方のほうへも、ちょっと顔を出すようにもなった。
▼源氏はまず女三の宮を訪ねる。そこには匂宮も来ていて、薫と遊んでいる。女三の宮は、仏前でお経を読んでいるが、なんの深い道心もなくて、ただ自分の苦しさからの出家ではあっても、こうやって心静かに勤行に励むことができることを源氏はうらやましく感じる。
▼仏前に供えた花がきれいなので、しぜんと話題が花のことになり、紫の上のところの山吹が、植えた人が亡くなったというのに、一段ときれいに咲いていたのがとってもいじらしかったよ、と語りかけると、女三の宮はただ「谷には春も」と答える。
▼「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし」(世を捨てた尼の身になっては、花が咲いた散ったということでしみじみするなどということもありません。)(古今集)という歌の一部だ。
▼源氏はこの言葉を聞いて、むっとする。おれが、しみじみとあわれを感じたと言っているのに、なんで「もの思ひもなし」(何にも感じません)なんて歌を返してくるのか、紫の上は、決してこんな受け答えはしなかった。ああ、オレは紫の上にいったい何の不満があったのだろう、と思うと涙がこぼれ、そうそうにそこを立ち去った。
▼源氏は、その足で明石の上を訪ねる。明石の上は、まさか源氏がひょっこり来るとは思っていなかったので、びっくりして迎えるが、それでも優雅さを失わない明石の上は、相変わらず心配りのきいた立派な方だと源氏は感心するけれど、どうしても今は紫の上と比較して、彼女はこうじゃなかったんだよなあと思ってしまうのだった。
▼それでも、明石の上とは、ぴったり気持ちが通じているから、苦しい心の中を語る。話はどうしても、出家のことになる。しかし、明石の上も、心の乱れが原因で出家なさるのはいかがかと思います。もう少し、ゆっくりとなさって、三の宮など子どもたちが成長してから澄んだ心で出家なさるのがよいでしょうし、私もそのほうが安心です、といさめる。
▼けれども、源氏の口から出るのは、紫の上を恋しく思う気持ちばかり。源氏は、今日はこのままここへ泊まろうかとも思うのだが、帰ってしまう。昔の自分だったら、こんなに夜が更けているのに帰ってしまうなんてことはなかったのに、オレはいったいどうなってしまったのかと不思議に思う。女のほうも、そういう源氏をみるにつけ、なんともいえない感慨に浸るのだった。
▼家に帰ってから、源氏は明石の上に手紙を書き、明石の上も返事を書く。その返事は、相変わらず味わいの深い筆跡と歌。
▼紫の上は、この人を、はじめのうちはずいぶんと目障りな女だと思っていたが、やがて、すっかり打ち解けて付き合ってきたけれど、それでも、すっかり気を許したわけではなく、慎重な心遣いで交わってきたのだけれど、そこことにこの人は気づいているだろうかと、源氏は思うのだった。
▼六条院で、多くの女たちと暮らしてきた源氏だが、紫の上が亡くなってみて、初めて自分がいちばん愛していたのは、紫の上だったのだと気づいたのだ。もちろん、初めからずっと好きだったし、大事にもしてきた。けれども、その愛の深さがどれほどのものか、実は源氏は知らなかったのだ。失ってみて初めてわかることがある。人間は、いつまでたっても愚かだから、このことにいつも気づかないで日々をのうのうと生きているのだ。
▼源氏が、もう、他のどんな女にも興味を持てないのは、年のせいでなんかではなくて、深い喪失感からどうしても立ち直れないからだ。ここまで来れば、もう、源氏は生きてはいるが、生きてはいない。救いのない深い闇が、源氏の前にはひろがっている。

 

 

★『源氏物語』を読む〈222〉2017.10.14
今日は、第41巻「幻」(その3・読了)

▼あてどなく季節をさまようように、源氏は、六条院の女たちの中をめぐる。それは、この世への別れを告げる悲哀にみちた旅のようだ。
▼人生は旅だ、ということを、最初に誰が言ったのか分からないけれど、李白であれ、芭蕉であれ、いや孔子も、イエスも、みんなそういうことを言っていたのではなかったか。
▼源氏にとって、紫の上のいない世界は、もう何の魅力もない。それほどまでに紫の上が、源氏の人生の中核にいたことは、源氏自身も知らなかったことなのだ。
▼女三の宮を訪ね、明石の上を訪ねた源氏は、花散里からの四月の衣替えの贈り物にも、むなしい気持ちを詠んだ歌を返すばかり。
▼そのうち、賀茂祭りがやってくる。自分は出かける気にもならないが、自分に殉じて引きこもっている女房たちに、気にせずにでかけてこいというのだが、中将の君が残っている。この女房は、かつて源氏の寵愛をうけた者だが、かわいらしい風情に、源氏は彼女とともに過ごしたことがほのめかされる。
▼五月雨のころ、源氏は夕霧と語る。衣替え、賀茂祭り、五月雨、というふうに、絵巻物のように物語が流れる。あるいは、走馬燈のように。
▼紫の上が子どもを残さなかったことが残念でしたねという夕霧に、源氏は、それもまた宿世なのだ、おまえはたくさん子どもを残して子孫を広げてくれよと言う。二人が待ちかねたホトトギスが鳴きはじめる。
▼六月になる。池の蓮、月、ひぐらし、撫子、蛍などが、源氏の前につぎつぎに現れ流れていく。
▼七夕にも、源氏は音楽会をもう開かない。
▼八月。秋風が立つ。夢見る思いで、紫の上の一周忌の法要を行う。
▼九月。菊が咲く。
▼十月、神無月。時雨、雁。
▼十一月。懐かしい五節(ごせち。新嘗会のこと)。若者たちの舞を見るにつけても、源氏は若き日をさびしく思い出す。
▼そして歳末。出家を我慢して暮らしているうちに、一年もあっという間に過ぎた。源氏はとうとう出家の決意をして、女房たちや、お仕えする者たちに贈り物をする。
▼源氏のところには、女たちの恋文がたくさん残っている。別れた女も、死別した女も、その手紙を捨てることができずに持っていたようだ。中でも、あの須磨での孤独な生活の折にもらった手紙は、特別に大事にしてあって、その中でも紫の上からの手紙は「ことに結ひ合はせてぞありける。」(特別に、ひとつに結わえてある。)
▼これを持っていても、出家してしまえば見ることもないだろうと、源氏は気心のしれた女房たちに命じてその手紙を破らせる。それを見る源氏の目からは涙がとめどなく流れ、女房たちに情けないと思われることが恥ずかしいけれど、その筆跡は悲しみを誘うばかり。
▼「この世ながら遠からぬ御別れのほどを、いみじとおぼしけるままに書いたまへる言の葉、げにそのをりよりもせきあへぬ悲しさ、やらむかたなし。いとうたて、今ひときはの御心まどひも、めめしく人わろくなりぬべければ、よくも見たまはで、こまやかに書きたまへるかたはらに、〈かきつめて見るもかひなし藻塩草(もしほぐさ)おなじ雲居の煙(けぶり)とをなれ〉と書きつけて、皆焼かせためひつ。」(同じこの世で、それほど遠くもない須磨と都とのお別れであったのを、ひどく悲しくお思いになったお心を、そのままお書きになったお手紙の文面は、これをごらんになると、いかにもその当時にもましてこらえかねる悲しさは慰めるすべもないのである。まことに情けなく、これ以上お取り乱しになっては、女々しく見苦しいことにもなりそうなので、そうよくはごらんにもならず、亡きお方が、こまやかにお書きになっている、その横に、〈かき集めてみたところでなんのかいもないことよ、藻塩草──この文殻も焼かれて亡き人と同じ空の煙となるがよい〉とお書きつけになり、みな焼かせておしまいになった。)
▼紫の上の「筆跡」が炎のなかに消えてゆくとき、源氏は紫の上の死を確信したのかもしれない。そしてそれは同時に自分の死だということも。
▼すべての「別れ」は済んだ。
▼そして、源氏が最後に詠んだ歌。「もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世もけふや尽きぬる」(物思いに、月日の過ぎてゆくのを知らずにいる、その間にこの一年も、そしてわが人生も今日でいよいよ終ってしまうのか。)
▼時は十二月晦日。匂宮が追儺の行事を前にはしゃいでいる姿を悲しくみつめながら、正月の準備をいつになく格別にしようと、源氏は思う、というところで、「幻」の巻は終わる。この終わり方は、谷崎の『細雪』を思わせる。というか、谷崎がまねたのだ。
▼この後には「雲隠(くもがくれ)」という巻名だけあって中身のない一巻がある。中身がないので、通常はこれを巻数に数えない。巻名からして源氏の死を思わせるわけだが、源氏は出家の後「二三年」で亡くなったと、後の「宿木」の巻にあるという。
▼この「幻」の巻が、いわゆる源氏物語の「第二部」の最終巻である。別に紫式部がそうしたわけではいが、後の研究者がそう分けたのだ。この「第二部」以降は、光源氏亡きあとの物語だ。「42巻・匂宮」「43巻・紅梅」「44・竹河」の三巻を、「匂宮三帖」と呼び、その後の十巻が有名な「宇治十帖」ということになる。
▼源氏物語が好きという人の中でも、特にこの「宇治十帖」が好きという人は多い。けれども、大学時代、ぼくは、あまりに「若菜」の巻に打ちのめされた結果、この「宇治十帖」をきちんと読めなかったように思う。あまり記憶がないのである。それだけに、今回は、新鮮な気持ちで読めるような気がしている。



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