「源氏物語」を読む

 

No.36 柏木 〜 No.38 鈴虫

 


【36 柏木】


★『源氏物語』を読む〈187〉2017.9.5
今日は、第36巻「柏木」(その1)

▼「柏木」の巻は、「若菜下」の巻から直接に続いている。
▼「衛門の督の君、かくのみなやみわたりたまふこと、なほおこたらで年も返りぬ。」(衛門の督〈柏木〉は、同じような容態でずっと具合の悪いことが依然として好転しないまま年も改まった。)
▼「なやむ」は「病気で具合がわるい」こと、「わたる」は「ずっと…する」ということ、「おこたる」は「病気が治る。好転する」ということで、重要単語のオンパレード。助詞の「のみ」も、ここでは「だけ」ではなくて、「…ばかりで」ということ。「泣いてのみおり」だったら、「泣いてばかりいる」と訳す。なんてことを、高校の授業ではすぐにやるから、一時間の授業でも、2行ぐらいしか進まないこともよくあった。懐かしい。
▼この「読む」シリーズも、半分授業のような感覚になってしまっているので、「はい、重要単語です。」なんて言ってしまうが、あんまり関係ないね。でも、試験に出るから重要なのではなくて、古文読解のために重要なんだから、意味がないというわけでもない。
▼さて、柏木は、こんなふうで、病はちっともよくならないばかりか、どんどん悪化してゆく。こんな病状をみると、前回「脳溢血」だろうと書いたのは、どうも間違いのような気がしてきた。強度のストレスによる心因性の何かの病と考えたほうがよさそうだ。
▼今だって、診断は難しいわけだから、まして当時は、できることといったら、修験者を総動員するぐらいしかできない。有名なものはもちろん、山奥に籠もってしまっていて誰も名を知らないような修験者まで柏木の父親は引っ張り出してきて、何とか息子の病気を治そうとやっきになる。
▼そういう修験者というものは、愛想もなにもあったものではなくて、怖い目をして威厳を保っているが、どうにも、柏木の病気が分からない。たぶん、これは女の生き霊だか死霊だかが取り憑いているのであろうなんて、ありふれたことを言うのだが、それにしては、「よりまし」に乗り移って語りはじめる様子もない。どうも変だ、といぶかりつつ読経をするばかり。
▼こんな修験者の滑稽さは、たしか、枕草子に出てくるね。
▼そんな加持祈祷を耳にしながら、柏木は思うのだ。オレは、子どもの頃から、人とは違っていて、公私にともに、何ごとにおいても一番でありたいと思って頑張ってきた。けれども、いつもつまずいてばかりで、その度に、オレはダメなんだ、ダメなんだと劣等感に苛まれてきた。もう、こんな世の中には生きていたくない、出家して仏道に励みたいと何度も思ったことがあるけど、父母の嘆きを思うとそれもできずに生きてきたのだが、その挙げ句の果てに、こんなことをしでかすことになってしまった。でも、オレが死んでしまったら、あの源氏も、せめて「あわれ」と思ってくださるかもしれない。死というものは、一切を帳消しにしてくれるものではないか。それにしても、あの方が、せめてオレの思いを受け止めて、いつまでも覚えていてくれないかなあ……。
▼そうか、と、納得することもある。なぜ柏木は女三の宮を望んだのか。帝の后ではないけれど、女三の宮は朱雀院の娘だ。その高貴な身分の女性を手に入れることが、「なんでも一番」を望む柏木の理想だったのだ。それならいっそ帝の后を、と思ったこともあった柏木だが、それはいくらなんでも「罪が重い」と考えた。だから、女三の宮との関係が源氏にバレてしまって、死の床にあっても、柏木は「おれのしたことは、実は、そんなに重罪ではないんだ」と思うのだ。女三の宮は、帝の后ではなく、帝の臣下である源氏の妻にすぎないのだから。
▼それでも、柏木は、源氏を心恐れているから、病の床から起き上がれない。
▼業を煮やした父親は、葛城山の修験者を呼び寄せて読経をさせるのだが、強面の修験者は、「陀羅尼経」を読み始める。このお経は余程の重病の時でなければ唱えないものらしく、言葉も梵語でわからないし、このお経の一部を「首をくくる」と聞き間違えて恐怖のあまり死んじゃった人がいたなんて話もあったものだから、柏木も怖くなって、誰にも気づかれないようにそっと床を抜け出し(こんなことできるんだから、「脳溢血」じゃないな)、隣の部屋で、例の小侍従と語り合う。小侍従には何でも話せるから、思いのたけを語るのだが、その時の柏木は、「からのようなるさま」(抜け殻のようなさま)をしている。魂が身体から抜けてしまって、女三の宮のあたりをさまよっているんじゃないかと柏木は言う。それなら、その魂をオレの身体に戻してくれと、小侍従に頼むのだ。
▼柏木は、自分はもう長くはないのだから、何とか一目女三の宮に会わせてくれと、凝りもせずに小侍従に頼むのだが、もちろん、そんなことは請け合えない。で、せめてということで、手紙を書いて託すのだが、手紙を書く手もわなわなを震えて思うことも十分には書けない。書けるのは、歌だ。
▼「今はとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ」(もうこれが最後と燃える私の荼毘の煙もくすぶって空に昇られず、いつまでも諦めきれぬあなたへの思いが相変わらずこの世に残るでしょう。)
▼これに対して、女三の宮は、相変わらず返事を書くのを嫌がるが、小侍従が、ほんとうにこの手紙が最後になるかもしれないのですからと勧めるので、しぶしぐ手紙を書く。その歌。
▼「立ち添ひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙くらべに」(私も一緒に、煙となって立ち昇って消えてしまいたい思いです。情けない身の上を嘆く悩みの競い合いに。)
▼この歌を読んで、ようやく柏木も報われた思いがするのだった。
▼女三の宮への返事。「御返り、臥しながらうち休みつつ書いたまふ。言の葉の続きもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、〈行方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ち離れはせじ〉」(お返事を、床に伏しながら筆を休め休めしてお書きになる。文章の続きもおぼつかなく、見慣れぬ鳥の足跡のような筆跡で〈行方もしれぬ大空の煙となってしまいましょうとも、いとしいお方のお側を離れることはありますまい〉」
▼柏木がどんなにダメ男であれ、女三の宮がどんなに幼稚であれ、二人の犯した「罪」がどんなに重いものであれ、こうした歌を読むと、「すべては許されている」と思いたくなる。
▼だからこそまた戦後思想では「短歌的抒情」は目の敵にされてきたのだが、ぼくが言っている「すべては許されている」の出典は、聖書のパウロの言葉だ。「短歌的抒情」で、あらゆる「責任」が曖昧にされてはならないというのは、今でもちっとも変わりがない。けれども、それとはまったく違うレベルで、人間というものは、「愛」において「すべて許されている」ということが言えるのではなかろうか。
▼そんなことまで思わせる「歌の力」だ。

 

★『源氏物語』を読む〈188〉2017.9.7
今日は、第36巻「柏木」(その2)

▼女三の宮は男子を出産する。
▼源氏は、それを聞いて、女の子だったら、そうそう人目につかないからよかったのに(深窓に育つから)、男の子だと、何かと人前にでるから、顔が柏木に似ていたりしたら困るなあと思ういっぽう、世話のやける女の子(どこに嫁がせるかが重大問題だから)より、男の子のほうがましか、と思ったりするが、とにかく、生まれてきた子が、柏木の子ではないかという疑念を払拭することはできない。
▼あくまで「疑念」なのであって、「確証」はない。けれども、柏木も女三の宮も、自分たちの犯した過ちの結果だと信じて疑わない。源氏も、女三の宮が妊娠したと聞き、「え?」って思い、柏木の手紙を発見して「そういうことか」と腑に落ちたという経緯から考えると、そのころ、源氏は女三の宮と関係をもっていなかったということなのだろう。
▼女三の宮は、子どもっぽいとか、しっかりしてないないとか、さんざん言われていて、それは確かに、そうとしかいいようのないことだが、それは女三の宮の持って生まれた性格なのだから、あんまり責めてはかわいそうだ。それよりも、年端もいかない女三の宮を妻として迎えた源氏が、やっぱりこの子には満足できないといって、夜離れが続いたことも、罪が重い。もちろん、紫の上が重病に陥ったことも原因の一つだとはいっても、引き受けた以上は責任がある。
▼そのことをするどく感じていたのが女三の宮の父の朱雀院だった。院はすでに山に籠もっていたけれど、娘の懐妊、そして出産の噂を聞いて喜んでいたのに、お産のあとの女三の宮が、すっかり弱ってしまって、食事もとらず、薬も飲もうともせに衰弱していき、お父様に会いたいと言っていると聞き、この世のことは捨てたはずの出家の身の上をもかえりみず、山から下りて、娘のもとに駆けつける。
▼娘は父に、私はもう長くはないから、せめて出家させてほしいと懇願する。
▼実は、その前に、女三の宮は源氏にも出家を願ったのだが、源氏はやはり許すことができなかったのだ。ただ、源氏は迷った。女三の宮が出家を願うのは、自ら犯した罪を悔いてのことだろうし、その罪の意識を抱えてこのまま口さがない世間で暮らしていくのは大変だろう。それに、誰にも知られないとしても、このまま、彼女が元気になって一緒に暮らすことになったとしても、やっぱり自分はつい嫌味の一つも言ってしまって彼女を苦しめることになるかもしれない。それなら、いっそ、産後の病にかこつけて、出家させてしまったほうが、彼女のためにもいいかもしれない、と考えたことは考えたのだ。
▼けれども、女三の宮はまだ22歳なのだ。このうら若い乙女が長い黒髪を切る(当時は「尼にする」には、長い髪を、肩の所で切りそろえるという形をとる。ぜんぶ剃ってしまうのではない。いわゆる「尼そぎ」というもので、今で言う、ショートカットのようなものである。)ことは、いかにもあわれだ。耐えられない。それは源氏の「好き心」からではなくて、ごく普通の感情としてそう思うのだ。そう思う源氏は、心の中では、女三の宮も柏木も、すでに「許している」、すくなくとも「許してやりたい」と思っているのではなかろうか。けれども、頭ではそう思っても、面とむかうと、つい嫌味も言いたくなってしまう自分が信用できない。それが人間とというものだ。よく分かる。
▼で、結局、源氏は女三の宮の願いを聞き入れることができなかった。けれども、父親は、娘がもう死にかけているような状態で、とにかく、命もほとんどないのだから、ほんのちょっとでも尼として生きて、成仏を願いたいと懇願するのを拒否できない。
▼朱雀院は娘の苦しみの「ほんとうの原因」を知らないから、娘がこんな目にあうのも、源氏が自分の願いを聞き入れずに、娘をおろそかに扱ったからだと源氏を恨む気持ちも抑えきれない。
▼朱雀院は娘の願いを聞き入れて出家させてやろうと考えるのだが、源氏は猛反対をする。けれども、結局、朱雀院は強引に、娘を尼にしてしまうのだった。
▼山からいきなり下りてきて、翌日山へ帰ったのだが、その帰り際に、いくら本人の願いだからといって尼にしてしまうという強引さは、考えようによっては、源氏への面当てともとれる。けれども、物語は、別の「原因」を用意した。
▼出ました! 六条御息所の死霊である。修験者たちが、首をかしげて、おかしいなあ、女の霊は取り憑いてないなあと言っていたのに、実は、六条御息所は、「さりげなく」側にいて、女三の宮を苦しめ、出家させるように仕向けていたのだ。
▼女三の宮が髪を切ってしまうと、突然その死霊は「よりまし」の乗り移って、「やったぜ!」みたいなことを口ばしるのだ。紫の上は、失敗したけど、コイツを出家させるのには成功したというのだ。
▼この辺は、いかにも古代の物語という感じで、実は、これに似た話が当時あったらしい。紫式部は、そうしたエピソードをここに使ったということのようだ。
▼源氏は、生まれきた子どもを抱いて、しみじみ、これが「因果応報」ということかとの思いに囚われる。しかし、この世の晩年にこんなに辛いことを味わうのだから、あの世の「報い」は軽くなるかもしれない、などとちゃっかり思ったりもしている。

 

★『源氏物語』を読む〈189〉2017.9.8
今日は、第36巻「柏木」(その3)

▼女三の宮の出家のことを聞いた柏木は、ますます病が重くなり、もうとても助からないというほどの状態になってしまう。
▼最後に、現在の妻である女二の宮(落葉宮)を、呼びたいと思うのだが、落葉宮も高貴な方(朱雀院の娘)ゆえ、柏木のいる邸にはそう簡単には呼べない。それで、なんとかして、自宅(一条にあり、落葉宮もそこにいる)に戻りたいと言うのだが、父親は心配して許さない。
▼母親に、もう自分は長くないから、どうか妻のことをよろしく頼むと遺言するけれど、母は、そんな縁起でもないことをいうものではない、あなたが先に逝ってしまったあとに、どうして私が生きながらえようと涙にくれる。柏木の弟たちも、まるで柏木を父のように慕っているので、その悲しみも尋常ではない。
▼帝も柏木重体の噂を聞いて、少しでも元気になってほしいと、柏木を「権大納言」に昇進させる。柏木はすでに中納言だったが、大納言といえば、その次は大臣である。「権大納言」というのは定員外の大納言という意味ではあるけれど、とにかく破格の扱いで、柏木という男がどんなに周囲の人々に愛されていたかがよく分かる。
▼けれども、その知らせを聞いても、柏木は回復のきざしもない。
▼そうした柏木を心から心配する夕霧は、見舞いに訪れる。幼い頃から、まさに肝胆相照らす仲のふたり。「死ぬときも一緒」だと誓った仲の二人。それでも、柏木は、乱れた姿を見せまいと、なんとか体を床から起こし、烏帽子を被って迎えようとする。そうした礼節は、こうした場面でも悲しみを倍加させる。
▼夕霧は、なぜそんなに病が重くなったのか、それとなく、さぐりを入れるが、柏木は、源氏の不興を被ったというのが精一杯。それ以上は言えないのだ。夕霧も何となく感じてはいるが、それでも、なぜ父の源氏がそれほどまでに怒っているのか、確かなことは分からない。
▼「六条の院にいささかなることの違(たが)ひめありて、月ごろ、心のうちにかしこまり申すことなむはべりしを、いと本意(ほい)なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬとおぼえはべりしに、召しありて、院の御賀の楽所(がくそ)のこころみの日参りて、御けしきを賜りしに、なほ許されぬ御心ばへあるさまに、御目尻(まじり)を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、あぢきなきなう思うたまへしに、心の騒ぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。」(六条院の大殿〈源氏〉に対して、いささか不都合なことがありまして、この幾月か心の中では恐縮に存じあげていることがございましたが、私としてはまことに不本意で、この世に生きていくのも心細くなってきて、そんなことから病みついてしまったかと思っておりましたところ、院の殿のお呼び出しがありましたので、朱雀院の御賀の楽所の試みの日に参上して、ご機嫌をおうかがい申しあげました際、やはりお許しいただけぬお気持のあるかに御まなじりを拝しましたものですから、いっそうこの世に生きていくこともはばかり多く思われるようになりまして、もうどうにもならぬといった気持になりましたが、それ以来気分が落ち着かなくなり、こうしておさまりのつかぬ有様となりまして。)
▼心を許す友の夕霧に対しても、これがギリギリの告白である。この告白からも分かるとおり、あの日の源氏の冷酷な一言が、柏木を追い詰めたのだ。あの時、源氏が、あんな皮肉を言わずに、知らんぷりをしていることができたら、柏木は救われたのだろうと思うと、胸が痛む。
▼誰にも間違いはある。若者ならなおさらではないか。しかも、源氏こそは、最悪の過ちを犯した超本人ではないか。それなのに、あの時、苦しみにあえぐ若い柏木を目の前にして、黙って見過ごすことができなかった。そればかりか、人の心を刺し貫くような皮肉を言ってしまった。その一言で、この若者は死んでいくのだ。
▼こうやって源氏を責めるのは簡単だけれど、人間はそんなに単純なものじゃない。分かっていながら、できない。それがやっぱり人間というもので、みんなそれができたら、人生ほど楽なものはない。人生が楽なものなら、物語などいらない。文学などいらない。人生が、この世に生きていくことが、こんなにも大変で、こんなにも愚かな行いに充ち満ちているからこそ、文学も、そしてまた宗教も必要なのではなかろうか。
▼柏木は、妻の落葉宮をどうかよろしく頼むと遺言して、夕霧を返すのだった。そして、夕霧が帰ってから間もなく、妻に会うこともできずに、柏木は静かに息を引き取る。源氏物語で、これほど哀切に、人間の死に至る経緯を描いた場面はこれまでになかった。深い感動を呼び起こす場面である。

 

★『源氏物語』を読む〈190〉2017.9.9
今日は、第36巻「柏木」(その4)

▼源氏物語は、人が亡くなった後の描写がほんとうに心に沁みる。「桐壺」の巻における、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)が桐壷の更衣の母を訪ねるくだりはあまりにも有名だが、この柏木の死のあと、後事を託された夕霧が柏木邸(一条宮)を訪ねるシーンも印象的だ。
▼夫の死にもたちあえず、その後も、めっきりと訪問する者も少なくなった一条の邸には、柏木の妻、落葉宮(女二の宮)が母親と寂しく住んでいる。
▼柏木は馬や鷹が大好きだったらしく、そうした動物の世話役たちも仕事がなくなってしまいだんだんいなくなってしまい、柏木が得意だった琵琶も和琴も、今は誰も弾くものとてなく、うち捨てられているばかり。故人の愛用品というものは、やはり悲しみを誘うものだ。
▼「御前(おまえ)の木立いたうけぶりて、花は時を忘れぬけしきなるをながめつつ、もの悲しく、さぶらふ人々も、鈍色(にびいろ=濃いネズミ色)にやつれつつ、さびしうつれづれなる昼つかた、前駆(さき)はなやかに追ふ音して、ここにとまりぬる人あり。」(庭前の木々も一面に芽吹いて、花は時をわすれずに咲く風情であるが、そうした景色をぼんやりとながめてもの悲しい気持ちに閉ざされ、おそばにお仕えする女房たちもみな鈍色の喪服に身をやつして、寂しく過ごしているそんな昼頃のこと、先払いの声を派手にかけて、門前にとまった者がある。)
▼おお、かっこいい。まるで白馬の騎士ではないか。もちろん、夕霧である。
▼若い女房たちは、思わず柏木が来たのかと思ったと言って泣き出す者もいる。夕霧は、柏木から「妻を頼む」との遺言があったからと来訪の意を告げる。
▼応対に出たのは、落葉宮の母(一条御息所)である。この人は、朱雀院の妻の一人だから、夕霧の叔母にあたる。
▼一条御息所は、自分の娘と柏木との結婚にはもともと気が進まなかった。以前にも書いたが、この頃の「皇女」は独身率が圧倒的に高かったのである。中途半端な結婚は恥をさらすだけだからということのようだ。けれども、柏木の父が是非にと懇願するものだから、しぶしぶ嫁に出したのだけれど、こんなことになるなんてと、悲しみを夕霧に語りつづける。この辺の語り口というものは、まさに、桐壷更衣の母の嘆きに通じるものがあり、そのえんえんと果てしなくつづく嘆き節は、亡き人を弔うお経のようにも聞こえる。
▼亡くなった人について語り、嘆き、そして最後に歌を詠む。これが当時の常道だ。その歌こそは、祈りである。
▼夕霧は、生前に柏木に対して、あなたはあまりに世の中の道理を知りすぎたために、物事を考えすぎ悟りすぎて、そんなに鬱々としているのではないかと、もっとはきはきとしなきゃダメなんじゃないかと忠告したこともあったのですと、御息所に話す。「忠告した」と言うが、夕霧のほうが年下なのだ。
▼「かの君は、五六年のほどこのかみなりしかど、なほいと若やかに、なまめき、あいだれてものしまひし。これはいとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、ひとにすぐれたまへる。」(柏木は、夕霧より五、六歳年上だったが、それでも、とても若々しく、優雅で、親しみやすいお人柄でいらっしゃった。夕霧は、とてもきりりとして重々しく、顔だけがとても若々しくて、気高い美しさはまた格別なのであった。)
▼柏木について言われる「あいだれて」の「あいだる」という言葉は「甘ったれる。甘えてなよなよとする。はにかんでもじもじする。」(日本国語大辞典)という意味だとあるが、用例が極めて少ない言葉のようだ。源氏物語では、他には「夕顔」の巻で、夕顔が源氏に見せる態度として使われるぐらいだ。この柏木の「甘えてなよなよしている」という所が、柏木を理解するいい手がかりになるような気がする。柏木がこんなにも源氏を恐れ、その一言で死んでしまうほど「弱い」のは、こうした彼の性格によるのだろう。
▼それに対して夕霧は「すくよか=元気だ。生真面目だ。」で、「男々しい」「重々しい」と形容される。それなのに、顔はとってもきれいだというのだ。柏木とはまったく違うタイプだね。
▼柏木は、落葉宮には会わず、母親とだけ話して帰ってゆく。寂しいうえに退屈していた若い女房たちは、久しぶりのイケメンの登場に、少しは心も慰められる思いがしたのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈191〉2017.9.10
今日は、第36巻「柏木」(その5・読了)

▼柏木の死は、当然のことながらその父親を打ちのめす。父親はかつての頭中将、源氏の親友である。その源氏の親友頭中将の息子と、源氏の息子の夕霧がまた親友だった。無二の友を失った夕霧は、一条宮を訪れた後で、二条邸(頭中将、今は致仕大臣)を訪問する。
▼応対に出たのは、致仕大臣である。この人は、負けず嫌いな派手好きな人で、年中源氏と張り合ってきたのだが、今は息子の死に打ちひしがれて、すっかり痩せて、ヒゲもきちんと剃らないからボウボウで見る影もない。夕霧はその姿に胸をつかれる思いで、泣き崩れそうになるけれども、懸命にこらえる。大臣はもうその姿を見るだけで、涙が「降(ふ)りに降りおりて」それをとどめることができない。
▼夕霧は、大臣に一条宮のありさまなどを伝え、一条御息所(落葉宮の母)が詠んだ歌を懐紙に書き留めておいたのを見せると、大臣は「『目も見えずや】と、おししぼりつつ見たまふ。」(目もふさがって見えないのですよ」と、涙をおししぼりながらご覧になる。)
▼アイツはふつつか者でしたが、やっと一人前にになって、出世もしたというのに、こんなにも深い悲しみのなかでは、そんなことはどうでもいいです。ただ、アイツがふつうのどうってことのない日々の暮らしをしていた頃のことが、たまらく恋しいんですよ、言って大臣は泣くのだ。この気持ち、とてもよく分かるような気がする。目立たないところだけど、こういうことをさりげなく書けるってスゴイなあ。
▼この先、どうしたらこの悲しみを忘れることができるというのかと言ってなく大臣の哀れさは、「先立つ不孝」を語って余すところがない。
▼かつて源氏と青春を謳歌したあの頭中将のこうした「老残」(といっても、48歳ぐらいだけど)を見ると、やっぱり深い感慨がある。兼好法師が、遅くとも40歳ぐらいで死んじゃったほうが、「めやすかるべけれ」(見苦しくないであろう)と言ったのも、頷ける。年を取っても楽しいことはいくらでもあるけれど、そうそういつまでも「ああ楽しい」って言って暮らせるものでもなし、「老残」の身をさらして、「あ〜あ、ああはなりたくないねえ。」なんて言われたくないものだ、というのが偽らざる実感である。
▼悲しみにくれる大臣は、「空を仰ぎてながめたまふ。」(空を仰いでぼんやりとながめていらっしゃる。)
▼この「空を仰ぎてながめる」は、古今集・酒井人真「大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとにながめらるらむ」(大空は私の恋しい人が残した形見なのだろうか。必ずしもそうではあるまいに、私が物思いにふけるたびに、どうしてこのように、自然に眺めてしまうのだろう。)という歌による表現だという。
▼この歌は、高校時代に愛読した萩原朔太郎の『恋愛名歌集』で知って以来ずっと好きな歌だった。(朔太郎は、この歌を「古今集恋愛歌中の圧巻」だと言っている。)もちろん、その頃は「恋しき人」は、恋人としか思わなかった。けれども、ここでは「恋しき人」が、死んだ息子になっている。そういう「恋しさ」があるということも、昔は思ったこともなかった。ほんとに「昔はものを思はざりけり」である。
▼その後の描写が美しい。「夕暮れの雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。」(夕暮れの雲の景色は、鈍色〈濃いネズミ色〉にかすんで、花が散ってしまった後の梢にも、今日はじめて、〈致仕大臣は〉目をおとどめになる。)
▼普段は目にもとめない花の散った梢が、大臣にはことのほか心をひくものとなる。あたり一面は鈍色の夕靄に包まれ、風景全体が、若き柏木の死を悼んでいるかのようだ。
▼その後、夕霧はたびたび一条宮を訪れる。ある日、母親が具合が悪くて、応対できないというので、落葉宮と話す機会があった。そこで歌を詠み交わした夕霧は、落葉宮をしっかりと見たわけじゃなさそうだが、柏木があんまり大事にしてこなかったことなどから推測して、あんまり美人じゃないのかもしれないけど、それでもいいじゃないか、大切なのは「心ばせ(気立て)」だもの、なんて思いながら、どうか隔てなくお付き合いくださいと彼女の気をひくようなことを言う。そこにはいつの間にか「好き心」が忍び込んでいる。そんな夕霧のステキな姿をみる女房たちは、どうせなら、落葉宮のところに通ってきてくださればいいのに、なんて無責任なことを言いあっている。
▼世間でも、柏木を悼む話で持ちきりで、「あはれ衛門の督(かみ)」というのが、流行語になってしまっている。
▼源氏は、柏木の子を、「形見」として可愛がっているが、もちろん、その秘密は誰にも言えない。こうして、「柏木」の巻も終わる。哀切な情緒に溢れる巻である。

 

【37 横笛】

 

★『源氏物語』を読む〈192〉2017.9.11
今日は、第37巻「横笛」(その1)

▼柏木は「泡の消え入やうにて亡せたまひぬ」(泡が消え入るようにお亡くなりになった。)が、いまは「故大納言」と呼ばれ、多くの人からその死を惜しまれている。
▼源氏も、例の件はあるけれども、決して憎んでいるわけではなくて、やはり悲しんでいる。一周忌の法要にも、源氏は多くのお布施を出すが、薫(女三宮と柏木の子)からの分として、別にお布施を出す。「黄金百両」なんていう言葉が出てきて、びっくりするが、どうも砂金らしい。この頃の貴族の経済は、どのようにして成り立っているのかよく知らないけど、「百両」なんて言い方があったんだね。
▼柏木の父、致仕大臣は、何にも知らないから、源氏にただただ感謝するばかり。夕霧もまた多くのお布施も出し、落葉宮へのお見舞いも欠かさないから、柏木の兄弟よりも深い志にこれまた感謝しつつ、息子のあまりに早い死を嘆くのだった。
▼「山の帝」と呼ばれている朱雀院は、娘の落葉宮が、結局こんなふうに夫をなくして、世間の物笑いの種になっているし(「世間」というのも残酷なもんだ)、女三の宮は尼になってしまうし、思うようにいかないことばかりだが、自分は出家の身だから、こうした世間のことには無関心でいようと思うものの、どうしても女三の宮が不憫でならない。同じ仏道に励む身だから、一緒に、極楽往生を祈ろうねなどと、折に触れて手紙をくれる。
▼その手紙に添えて、山寺のちかくでとれた筍やら山芋(野老・トコロ)やらをどっさり送ってきた。源氏がそこへやってきて、院の手紙を読んでしみじみとする。それにしても、髪を尼そぎにした女三の宮は、ますます少女っぽくて、かわいい、こんなにかわいい人がどうして尼になんてなってしまったのだろうと、自分のせいだったような気もしてくるのだった。
▼薫は、どんどんかわいくなる。それだけじゃない。その顔が尋常じゃなく美しいのだ。その顔は柏木に似ているところもあるけれど、柏木はこんなにも際だった美しさはなかったし、といって、女三の宮に似ているわけでもなく、いったいどうしたことだろうと思いつつ、鏡の中の自分の顔にちょっと似ていなくもないなあと思う。
▼このとき、源氏は、ひょっとしてオレの子か? って思ったのだろうか。しかし、そうは書かれていない。並外れて美しい顔は「わが御鏡の影にも似げなからず見なされたまふ。」とだけ書かれているわけだが、それは源氏のはかない願望だったのだろうか。
▼紫式部は子どもの描写にかけては定評があるが、ここでもその手腕は存分に発揮されている。
▼「若宮は、乳母のもとに寝たまへりける、起きて這い出でたまひて、御袖を引きまつはれたてまつりたまふさま、いとうつくし。白き羅(うすもの)に、唐の小紋の紅梅の御衣(おんぞ)の裾、いと長くしどけなく引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なしたまへるさまは、例のことなれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。頭は露草してことさらに色どりたらむここちして、」(若君は、乳母のところでお寝みになっておられたが、起きて這い出してこられて、殿のお袖を引っぱっておそばを離れ申そうとなさらぬご様子がまことにかわいく思われる。白い薄物に唐綾の小紋の紅梅の御衣の裾を、長々と無造作に引きずっていて、お腹はまる出しにして背中のほうにばかりたくれた着方をしていらっしゃるさまは、幼子によくある姿であるが、いかにもかわいらしく、色白ですらりとしていて、柳を削ってこしらえたようである。頭は露草でとりわけ色をつけたかのような感じで、)
▼この薫の体が「柳を削って作ったようだ」という比喩は卓抜だ。また「頭」が「露草で染めたみたい」だと言われるのは、どうやら、幼児は頭を剃っているかららしい。(異説あり)今でも普通に見ることのできるツユクサは、その花の色を使って染めることができる。
▼薫が、朱雀院から送られてきた筍をかじる場面も印象的。
▼部屋においてある筍を食い散らかすので、源氏は叱るのだが、それにしても、幼い子をオレはあんまりたくさん見てこなかったからかもしれないが、子どもはただあどけないと思っていたのに、今からもう美しいじゃないかと、将来が心配になる。いかにも源氏らしい心配だが、その将来もオレは見届けることは無理だろうなあという愚痴もでる。そのとき、また薫が筍をかじる。
▼「御歯の生ひ出づるに食ひあてむとて、筍(たかうな)をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば」(若君は、御歯が生えかけているところにかみ当てようとして、筍をしっかりと手に握ったまま、涎をたらたらと流しながらかじっていらっしゃるので、)
▼そんな薫を見て源氏は、お前もずいぶんと変わった「色好み」だねえ、などと言いつつ、お前の父の柏木に似て、将来そんな色好みで間違いをするんじゃないよなどと思ったのだろうか。源氏は、いろいろ許せないことはあったけれど、お前だけはやっぱりカワイイなあというような歌を作って薫に語りかけるが、薫は、ニコニコ笑って、あたりを這い回っているばかりだ。

 

★『源氏物語』を読む〈193〉2017.9.12
今日は、第37巻「横笛」(その2)

▼夕霧は、柏木が今際の際に残した言葉が気になってしかたがない。何とかして、源氏に許してもらいたいとの言葉だ。夕霧は、うすうす気づいてはいるが、やっぱりモヤモヤしていて、源氏にはっきりと聞いてみたいと思いつつ、それもできないでいる。
▼趣深い秋の夕暮れ時に、夕霧はまた一条宮を訪ねる。落葉宮は、くつろいで琴など弾いていたらしく、突然の夕霧の来訪に、あわてて片付ける。御簾の近くに座っていた女房たちも、あわてて奥の方へいざっていく衣擦れの音も聞こえる。
▼応対に出るのは、いつも決まって御息所(落葉宮の母)で、ふたりはしみじみと話をするが、ふとそこに出ている和琴を引き寄せてみると、「律に調べられて」いる。つまり、「秋の調べという『律』という調子に調弦してあるということで、ついさっきまで落葉宮が弾いていたことが分かる。琴に染みついた女三の宮の香の匂いもなつかしい。
▼こんなことだと、どこかの不埒者がいつ言い寄ってくるものでもないと、真面目な夕霧は心配になるが、自分がもうかなりアブナイ状態になっていることには気づかないらしい。
▼気のあるところを歌に詠んで送るというのは、当時の「儀礼」のようなものだから、夕霧も歌をおくり、落葉宮も返歌する。これもあくまで儀礼的なもので、彼女の「その気」があるかどうかは分からない。
▼夕霧は、落葉宮に和琴を弾いてくれと所望するが、もちろん、そう簡単には弾こうとはしないが、月に誘われるかのように、思わず、落葉宮が箏の琴を弾く。
▼「月さし出でて曇りなき空に、羽うちかはす雁がねも、列(つら)を離れぬうらやましく聞きたまふらむかし。風膚寒く、ものあはれなるに誘われて、箏の琴をいとほのかに掻き鳴らしたまへるも、奥深き声なるに、いとど心とまり果てて、なかなかに思ほゆるれば、琵琶を取り寄せて、いとなつかしきに、相夫恋(そうふれん)を弾きたまふ。」(月が出てきて曇りなく澄みきった空に、羽翼をうち交して飛ぶ雁も仲間と離れずにいる、それを宮〈落葉宮〉はうらやましくお思いなのであろう、風が肌寒く、しみじみとした気分なのについお気持が動いて、箏の琴をほんのかすかにかき鳴らしていらっしゃるのも深みのある音色なので、大将〈夕霧〉はますます心をひきつけられてしまい、なまじ聞かぬがましといった物足りない気持になるものだから、今度はご自分で琵琶を取り寄せて、まことにやさしい音色に想夫恋の曲をお弾きになる。)
▼二人の合奏である。すでに心は通じ合っているかのようだ。この文章などは、まるで謡曲のようで、音楽的だ。「まるで謡曲のようで」というのは、もちろん「逆」であって、謡曲が源氏物語におうところは大きいわけである。久しぶりに、能でも見たい気分にさせられる。
▼それでも、あくまで真面目で堅物の夕霧だから、あんまり長居すると故人(柏木)に叱られますからと、帰ろうとすると、御息所は、柏木が大事にしていた横笛を夕霧に渡す。柏木がかつて、この笛は誰か愛好者に譲りたいものだと言っていたことを思い出した夕霧は、一節吹いてみるが、なかなかうまく吹けない。和琴はなんとか故人を偲んで弾いてみましたが、これはとても私には無理ですといいつつその笛をもらった夕霧は、去りがたい思いを胸に一条宮を去るのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈194〉2017.9.13
今日は、第37巻「横笛」(その3)

▼落葉宮にあってから、うっとりした気分を抱えたまま自宅に戻った夕霧だったが、「格子」がピッタリしまっている。この「格子」というのは、横開きではなくて、上にあげる形の扉だが、普段は主人が帰ってくるというのに下ろしたりはしない。
▼しょうがねえなあと夕霧は格子をあげさせ、自分で御簾をあげて部屋の中に入るのだが、奥方の雲居雁は、あっちをむいて寝たふりをしている。旦那様は、あの落葉宮様に同情して熱心にあちらへお通いですから、こんなに遅くなるんですよ、なんてお付きの女房が告げ口したので、すっかりお冠だ。
▼今夜はいい月夜だ、こんな夜に月もみないで寝てしまうなんてことがあるものか、さあ、起きて、こっちへこいという夕霧の言葉も無視。
▼部屋の様子は、当たり前のことだけど、一条宮とはうってかわって所帯じみている。子どもたちは、夢にうなされていたり、女房たちはひしめきあって寝ているし。夕霧は、まだうっとした気分で、もらってきた横笛を吹きながら、今頃は、あちらではオレが帰ったあとも物思いに沈んで、琴なんが奏でているんだろうなあ、なんて想像している。
▼それにしても、柏木は、落葉宮をいちおうは大事に扱っていたけれど、どうしてもっと愛さなかったのだろう。いちど会ってみたいものだ。それでがっかりすることがあったとしても、それはそれでいい。世間で評判の美人なんていっても、実際はそうでもないなんてことはざらだしな。
▼しかし、オレたち夫婦は、と夕霧はかえりみる。
▼オレと雲居雁は、幼なじみで、そのまま結婚したわけだから、いわゆる「恋の駆け引き」など経験したことがない。だからアイツはわがままで、ずっと大きな顔して暮らしてきているのだと、夕霧は思う。
▼「恋の駆け引き」がさんざんあってこそ、人間は鍛えられるのだということなのだろうか。確かに、嫌われるかもしれない、捨てられるかもしれないという不安があるからこそ、細やかな心遣いも、色気を失わない努力も必要となろう。最初から何の苦労もなくどっかと妻になってしまい、(といっても、親の反対とかそれなりの苦労はあったわけだが、それでも雲居雁には恋敵がいなかった。)、おまけの亭主はくそ真面目ときたら、安心してしまって、「女を捨ててしまう」のも当然のなりゆきだろう。
▼そのことを、夕霧は別に不満に思ってきたわけではないだろうが、今、落葉宮という「思い人」が現れて、その人と比較すると、雲居雁にがっかりすることになるわけだ。
▼なんかこの辺てえものは、ひどく現代的で、とても千年も前の話とは思えない。
▼そんなことを思いながら寝てしまった夕霧は、柏木の夢を見る。夢の中で柏木は、あの横笛が、自分の思い通りのところに譲られなかったのが残念だと言う。誰に譲りたかったのか? って思ったとき、子どもの泣き声で目が覚める。
▼子どもは火が付いたように泣いている。お乳を吐いたりするので、雲居雁も、おっぱいを吸わせたりしている。
▼「上も御殿油近く取り寄せさせたまひて、耳はさみして、そそくりつくろひて、抱きたまへり。いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて、乳(ち)などくくめたまふ。」(北の方〈雲居雁〉も灯火をそば近くにお取り寄せになって、額髪を耳に挟んで、せわしなくあやして若君をお抱きになっている。よく肥えて、ふっくらときれいな胸をあけて、お乳などをくわえさせていらっしゃる。)
▼「耳はさみ」というのは、前髪が前に垂れないように髪の毛を耳にはさむことを言うのだが、もちろん、高貴なお方はそんなことはしない。「世話女房」の特徴で、この言葉は『帚木』の巻に出てくる。
▼夕霧も、近くによって子どもをあやしたりしているが、結局子どもは物の怪に襲われたらしく、一晩中泣き続ける。
▼雲居雁は、この子が、こんなに具合が悪くなったのも、あなたが、なんか、妙に若い格好をして浮かれてうろうろ歩きまわったたあげく、夜のお月見だとかいって、格子をあげたりするから、物の怪がはいっちゃんじゃないの、なんて、美しい顔して文句を言う。もちろん、当てこすりだ。夕霧は、まったく、たくさんの子どもを持つと、ずいぶん立派になるもんだねえと皮肉を言う。あてこすりと皮肉、結構この夫婦、仲いいんだよね。
▼もういいから、出てってよ、恥ずかしいから、と雲居雁は言う。これだけなじんだ夫婦でも、灯火にあらわに照らされた夜の顔を見られるのは、恥ずかしいらしい。

 

★『源氏物語』を読む〈195〉2017.9.14
今日は、第37巻「横笛」(その4・読了)

▼夕霧は、横笛のことが気になるので、六条院を訪れる。
▼夢にまで出て、その笛は、ほんとは君に譲るべきものじゃないんだなんて言われると、そりゃあ気になるよね。そんな「モノへの執着」は、やっかいだから、オレは決してそういう執着はしないように気をつけてきたんだけどなあと夕霧は思う。
▼執着とかこだわりって、なかなか侮れない。昆虫採集の熱中していた中学生のころは、その昆虫の標本に執着するあまり、家が火事にならないかということばかり心配していた。火事になって、十数個あった標本箱がぜんぶ燃えちゃったら、もう生きていけないなんて本気で考えたものだ。
▼そんな執着も、その後、2年ほどですっと消えてしまって、標本も箱ごと従兄弟にやったり、学校の生物部に寄付したりして、さっぱりしたものだ。
▼その後いろいろなものに執着してきたけど、今はもう何にもいらない。相変わらず欲しいモノはあり、ため込んでいるものもあるけれど、なければないでいいやっていう気分で、これはどうもやっぱり年のせいらしい。
▼さて、夕霧が六条院に来てみると、そこには明石の女御の子どもたちがいて、紫の上が世話をしている。中でも人並みはずれてきれいなのが、三の宮(女三の宮ではない。明石の女御の三男で、後の匂宮。)で、やたらと、だっこしてだの、あっちへ連れてってだのといってまつわりついてくる。
▼女三の宮のいる「東の対」につれていくと、そこには薫もいる。源氏は、薫はあくまで臣下たる自分の子どもだから、明石の女御の子どもたちとは同じ扱いにはできないと思って、つい薫を下に扱うが、そうしたことが女三の宮の気持ちを動揺させるのではないかと気をつかう。ああ、やっぱり柏木の子だから、源氏は冷たく扱うんだと彼女が思うのではないかと思うということだ。こういう気遣いをするということは、源氏は必ずしも女三の宮を憎んでいるとも言えなくて、それなりに大切にしているというわけだ。
▼夕霧は、そうだ、オレは薫の顔をよく見たことがないと気づいて、薫を近くに招いてしげしげとその顔を見ると、やっぱり、柏木によく似ている。源氏もこれじゃあ気づいているんじゃないかなあと、夕霧はそれを源氏に確かめたくてしょうがない。
▼夕霧は、源氏といろいろしんみりと話をする。一条院へ行ったこと、そこで落葉宮が「相夫恋」を奏でたこと、横笛をもらったことなどを話すが、源氏は、女というものは、そうやって「相夫恋」なんて弾いて、男の気をひくようなことをするものではないのだと落葉宮を批判する。お前も落葉宮のお世話をするにしても、清い心で接し、けっして間違いなどおかしてはダメだぞ、と説教する。それを聞いた夕霧は、まったく人のことだとそんなふうにカッコいいこというけど、自分はどうなのさ、ってちょっと不愉快になるのだった。ほんとに、そうだ。説教できる立場じゃないよね。でも、親っていうのは、自分のことは棚にあげて説教するものなのだ。教師もまた同じ。
▼横笛のことは、源氏もよく知っていて、それは、かつては陽成院の持ち物で、めぐりめぐって柏木のものになったのだが、そんな由緒も女たちはしらずに、お前に譲ったのだろう。柏木は、自分の息子たる薫にこそ譲りたかったに違いないのだと思いつつ、それは夕霧もきっとそう気づいているのだろうと思うのだった。
▼夕霧は、柏木の遺言を語り、お父さんにどうしても許して欲しいって言ってたんだけど、どういうこと? って聞くのだが、源氏は、はて、何か変なこと言ったかなあ、よく覚えてないなあ、そもそも夢のことは夜に話しちゃいけないって女たちは言ってるぞなんて言って話をそらしてしまうので、夕霧はやっぱり聞かないほうがよかったかなあと思っている。
▼ということで、あっという間に「横笛」の巻はおしまい。ちょっとあっけないけど、「匂宮」がはじめて登場してきて、新しい時代を感じさせる。

 

 

【38 鈴虫】

 

★『源氏物語』を読む〈195〉2017.9.15
今日は、第38巻「鈴虫」(その1)

▼「若菜」も終わり、「柏木」「横笛」と来るにしたがって、内容がだんだん薄くなってくる感じがする。野球の「消化試合」みたいだといっては言い過ぎだろうが、物語に進展がない。
▼この「鈴虫」の巻は、女三の宮の「持仏」の開眼供養の様子がまず語られる。「持仏」というのは、個人専用の仏様のことで、「更級日記」で、作者が千葉に住んでいるとき、どうしても「源氏物語」が読みたくて、そのためのお祈りのために「持仏」を作らせて毎日「どうぞ、源氏物語を読めますように」ってお願いしたという印象的な場面があって、そこを読む限りでは、ちょっと仏師に頼めば簡単に作ってもらえるんだぐらいにしか思っていなかったが、ここを読むと、作ったあと、わざわざ「開眼供養」まで大々的にしている。これはもちろん女三の宮の「持仏」だから、こういうことになるのだろう。
▼いろいろな方からお布施は届くわ、女房たちが4、50人もひしめくわの、まことに盛大な行事である。こういう時、きまって源氏は、地味にやろうと言うのがおきまりだが、地味にできたためしがないというのもまたおきまりである。
▼持仏だけではなくて、女三の宮専用のお経も必要だというので、源氏が、そのお経をみずから書く。「唐の紙」は弱くて、毎日お経を読むために使っていたらすぐにボロボロになっちゃうからといって、わざわざ専門の紙漉きの役人に上等の紙を漉かせて、その紙に、金色の罫線を引かせ、そこに黒々としたお経の文字を書いてある。その見事さったらない、のだそうだ。
▼当時の書道の水準は、ほんとうにものすごく高いものがあって、それは筆跡だけではなくて、紙漉きの技術にまで及んでいたということだろう。
▼女三の宮の女房たちは、相変わらず数は多いが、教養がない。部屋に焚く香をがんがん焚いてしまって、源氏から「富士山の峰からのぼる煙じゃないんだから、もっと、そこはかとなく匂うようにたきなさい。」と指導される始末。当時は、富士山はさかんに噴火していたのだ。
▼そういう教養のない女房たちの中には、女三の宮の出家のマネをして、尼になってしまう女房が続々と出る。まるで、アイドルのおっかけだ。源氏は、それはよくない、たいして信仰もあつくないのに、トレンドだからといって尼になるなんてけしからんといって、人数制限をする。いつの世も、同じことが繰り返されるものだなあ。
▼開眼供養のために、女三の宮の寝台が、仏壇になる。それがなんとも面白い。他に場所はないのだろうか。源氏は、それを見て、あ〜あ、なんでこんなことになったのかとため息。うら若い女三の宮が、自分を見捨てて尼になってしまったのが、今では、残念でしかたがないのだ。
▼開眼供養も終わると、朱雀院は、女三の宮に相続した三条の宮に移り住まわせてはどうかと源氏に言うが、源氏は、それでは彼女の面倒を十分に見ることができないと拒否する。
▼秋になると、源氏は、六条院の女三の宮の住んでいる邸の庭に鈴虫を放つ。源氏は、その声を愛でながら、琴など弾いて楽しんでいるのだが、やっぱり、なんだかんだと女三の宮に言い寄るのだ。この辺がどうにも、源氏のよく分からないところだ。尼になってしまったら、かえって、いとしさがつのるのだそうだ。そんなものだろうか。
▼女三の宮は、柏木の件で、明らかに自分への思いが冷めてしまった源氏と、もう嫌な話をしなくて済むようにと思ってせっかく尼になったというのに、それでも、こんなふうに妙に言い寄られるのはめんどくさくて心外で、もう、山に籠もっちゃいたいって思う。尼になってからも、源氏と一緒に生活してたんじゃ、そりゃダメだよね。
▼ところで、平安時代で「鈴虫」というのは、今の「松虫」のことだというのが定説になっていて、それが当たり前のように言うが、この「鈴虫」の巻では、鈴虫と松虫の両方が出てきて、どちらも同じ虫のことを言っているみたいで、どうにも不思議である。
▼「日本国語大辞典」によると、【「鈴虫」と「松虫」の名は、いずれも中古の作品から現われるが、現在のように「リーン、リーン」と鳴くのを「鈴虫」、「チンチロリン」と鳴くのを「松虫」というように、鳴き声によって区別することができる文献は近世に入るまで見当たらない。そのうえ、近世の文献においても両者は混同されており、一概にどちらとも決め難い。初期俳諧でも、現在の鈴虫と解せる例と松虫と解せる例と両様である。しかし現在では、中古の作品に現われるものについては、「鈴虫」を「松虫」と、「松虫」を「鈴虫」と解するようになっている。】ということになるわけだが、最後のところが正しいのだとすると、この「鈴虫」の巻に、二つの名前が同時に出てきて、しかも同じ虫のことらしいというのが説明できない。
▼平安時代の「キリギリス」は、今の「コオロギ」だとか、「アサガオ」は「キキョウ」のことだとか、いろいろ言われるが、どこで、こうした動植物の名前が変わってしまうのだろうか。興味深い。
▼紫の上はどうなっちゃたの? って思うと、女三の宮の開眼供養の準備などを、しっかり取り仕切っていると書かれているだけで、その心境も、病状にもふれない。スポットライトが当たっているのは、女三の宮で、紫の上は、まるでお仕えの女房みたいな感じになってしまっている。現実とは、そういうものなのだ。

 

★『源氏物語』を読む〈196〉2017.9.16
今日は、第38巻「鈴虫」(その2・読了)

▼六条院で、なにやら楽しそうな宴会をしてるって噂を聞いて、冷泉院(源氏の実の息子)から、手紙がくる。
▼冷泉院は、まだ32歳だがすでに譲位して「院」となっている。天皇の位にあると、なかなか制約が厳しくて、そう簡単に外出したり人を呼んだりできないのだが、「院」になってしてしまえば、そんなことも気軽にできる。そうした自由を求めて譲位したのだった。
▼源氏はさっそく冷泉院のもとを訪ねる。月が明るい夜に、源氏以下、夕霧やら柏木の弟やらが、身軽な出で立ちで、列をなして出かけていくさまは、また趣がある。
▼その夜は明け方まで歌や漢詩を吟詠したりして、お伴のものは夜明け前に帰っていく。源氏は帰らずに中宮(秋好む中宮・六条御息所の娘)の部屋を訪れる。
▼中宮は、六条院に暮らしていたが、源氏の後押しもあって冷泉帝の中宮となり、宮中に入ったわけだが、冷泉帝が譲位した後は、冷泉院と一緒に暮らしているのである。天皇在位中は、何人もお后がいるから、その后たちを公平に扱わなければならないのが掟である。それを破ることは、天皇といえども、いや天皇だからこそ、なかなかできないことなのだ。それを破って大問題となるところから、実は源氏物語は始まっていたわけだ。桐壺帝の桐壺更衣溺愛である。
▼思えば、桐壺帝という人は、大胆きわまる人だったわけだ。冷泉帝にはそんな度胸はないから、「自由になりたい」は即「譲位」につながってしまう。そのことによって、冷泉院は、自分が一番好きな人とだけつきあえばよくなった。その一番好きな人が、この中宮だったのだ。
▼そんな中宮だが、源氏にそれとなく出家したいという気持ちを伝える。え? またかよ、て源氏は思ったかどうかしらないが、とにかく、びっくりして、そんなこと考えるもんじゃない、いくら出家がはやっているからといって、そんなのに乗っかっちゃダメだと大反対。
▼中宮は、ああ、やっぱり源氏は私の気持ちが分かっていないんだと思って、出家の真意を話す。
▼中宮は、自分の母親六条御息所が、いまだに成仏できずに地獄の炎に焼かれ、ときに死霊となって人々を苦しめているという噂を耳にしていたのだ。源氏は、つとめてそのことを中宮に知られないように気をつけていたのだが、人の口に戸は立てられないもので、いつの間にか彼女の耳に入ってしまっていたのだ。
▼中宮は、その母親の苦しみをなんとかしたい、出家してひたすら母親の成仏を祈りたいと、そう言うのだった。さすがに源氏も、中宮がかわいそうなって、もちろん出家は許さなかったが、あれこれと慰める。中宮は出家を諦めるが、母親の追善供養に四年のない日々を暮らしながら、世のはかなさを悟っていくのだった。
▼娘の供養を描くことで、六条御息所もようやく救われていくようである。これ以後、六条御息所の死霊は登場しない。ひとつの時代が終わりかかっているのだ。
▼そして、物語は、夕霧のその後を描く「夕霧」、紫の上の死を描く「御法(みのり)」、そして源氏の死を暗示する「幻」へと向かう。



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