「源氏物語」を読む

 

No.35 若菜 下

 


【35 若菜 下】

 

★『源氏物語』を読む〈169〉2017.8.18
今日は、第35巻「若菜 下」(その1)

▼小侍従からの手紙を見て、柏木は、そうだよなあ、無理に決まってる、でも、こんな返事だけじゃとても我慢できない、と思う、というところから「若菜 下」が始まる。完全に前とつながっている。
▼三月の終わり頃、六条院では、源氏の提案で、「競射」が開催された。ご褒美をかけて弓を射る遊び。小さい的に近距離から射る「小弓」とか、馬に乗って射る流鏑馬みたなのとか、いろいろあるらしい。殿上人たちもたくさん集まって華やかに行われるなかで、柏木だけは相変わらずぼんやりしている。
▼夕霧と柏木は従兄弟同士で、ほんとに仲がいい。「この君たち(夕霧と柏木)、御仲いとよし。」ってズバリ書いてあるほど。だから、そんな惚けたような柏木を夕霧は我がことのように心配する。
▼柏木は、源氏の姿を見るにつけ、「気(け)恐ろしく、あまばゆく」(何となく恐ろしく、目を伏せたくなるような思いで)とある。自分が女三の宮に恋い焦がれていることが、源氏に対しての「恐れ」として意識されるのである。「まばゆし」というのは、今の「まぶしい」の元の語だが、「(1)強い光がはげしく目を射して、まともに見られない。まぶしい。(2)あまりにきらびやかで、まぶしく感じられるほどである。まぶしいほどすばらしい。光り輝くほど美しい。(3)人目に、至らぬ点などがあらわになってひどく気おくれがする。まともに顔をあげていられぬほど恥ずかしい。また、すばらしいものに対して気がひける。及ばない。(4)あまりに度がすぎていて、思わず顔をそむけたくなる。目をそらしたくなる。まともに相手になっていられない。」(日本国語大辞典)という意味。ここではまさに(3)がぴったり。
▼一夫多妻で、女性関係も乱れているだろうと思っていると、実はそうでもなくて、今でいう「不倫」に対する罪の意識は非常に強いものがある。源氏物語の根幹にあるのは、まさにこの「不倫」中の「不倫」、義理の母との密通(源氏と藤壺中宮)なのだ。源氏はそのことへの罪の意識に死ぬまで苦しめられるし、藤壺はその罪の意識もあって、尼になってしまう。
▼そうした不義密通は、若い源氏や頭中将が、いろいろな女性と遊んだこととは、ぜんぜん違う種類のことなのだ。
▼まして、柏木が恋しているのは、朱雀院の娘であり、源氏の「正妻」である。許されるものではないのだ。そのことを柏木は百も承知なのだけれど、自分の気持ちをまったく抑えることができない。ダメだ、ダメだ、これは悪いことなのだ、と明確に意識しながら、不義の恋の深みへ入って行ってしまう。
▼その点で、源氏の藤壺への恋と似ているのだが、源氏の「罪」のほうがずっと重いにもかかわらず、どこか「透明感」がある。「透明感」というのが変なら、「若さ」といってもいいし、「純粋さ」と言ってもいい。
▼それに対して柏木の場合は、なんともいえない閉塞感に覆われている。源氏という圧倒的な存在が立ちはだかっていて、戦うまえからすでに負けている、といった趣がある。女三の宮に求婚したのは柏木や他の若い貴公子たちであって、源氏ではない。それなのに、源氏は望んでもいないのに女三の宮を手に入れたあげく、彼女を大事にしていない。なんでなんだ! といった怒りが柏木にはある。それならぼくの方が、幸せにできる。ぼくの方が彼女を愛する資格がある。身分は源氏には劣るけど、愛ではぼくは負けないという思いがある。
▼だから、源氏に対して「なまゆがむ心」があったのではないかと語り手は言うのである。「なまゆがむ心」とは、「なんとなくよこしまな心」ということだが、「よこしまな、ゆがんだ、よじれた」心は、源氏を憎む心といってもいいだろう。もう、あんなにきれいな人たちを片っ端から自分のものにしているのに、どうして、こんなに年の離れた女三の宮までとってしまうんだ、という怒りは、憎しみへの変わったのだろうか。もちろんそれは朱雀院の強引ともいえる願いを源氏が聞き入れた結果だとしても、それがすべてではない。源氏の「好き心」があればこそだったのであるということは源氏自身が認めていることだ。柏木が悔しがり、憎むのも、よく分かる。
▼こうした柏木の心の中にある「ゆがみ」は、彼の恋を不透明な、濁った、よこしまなものにしてしまうような気がどうもするのだ。
▼柏木は、どうしようもなく切ない気持ちを、せめて、あの猫で紛らわせたいと思う。春宮のところに行って、女三の宮が抱いていた猫は特別な顔をしたいい猫ですねと吹き込み、猫好きの春宮の心を動かし、春宮が女三の宮からその猫を借りると、さっそく出かけていって、ちょっとこの猫借りますね、といって、ただただその猫を懐に入れて可愛がっている。返せと言われても返さない。周りの人たちは、事情を知らないものだから、あれ? 柏木さんんて、そんなに猫好きだっけ? といぶかっている。
▼こうした柏木の行動は、なんかいじましい。男らしくない。どうしようもない閉塞感のなかで、うめいている柏木の心が見えるような気がする。
▼柏木が猫を抱いている場面にこんな表現が出てくる。「いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに、来て、ねうねう、といとらうたげに鳴けば、かき撫でて、うたてもすすむかなと、ほほゑまる。」(〈柏木が〉ひどくもの思いに沈んで、縁先近くに出て者に寄り臥していらっしゃるところへ、「ねうねう」といかにもかわいげに鳴くものだから、かき撫でて、いやに積極的なやつだなと、苦笑してしまう。)
▼何が「積極的」なのかというと、「ねうねう」という鳴き声が、「寝よう寝よう」と聞こえるからだ。まるで女三の宮が、自分を誘っているようだと思って苦笑いしてしまうというのだ。
▼猫が「ねうねう」と鳴くというのも面白いけれど、猫を抱いて妄想に浸っている柏木も、やっぱりいじましい。そして柏木自身も、そういう自分をばかばかしいと思っているのである。

 

★『源氏物語』を読む〈170〉2017.8.19
今日は、第35巻「若菜 下」(その2)

▼「若菜 上」の中心は、女三の宮の降嫁だが、途中に、明石一族をめぐる話が挿入的に結構ながく語られ、それが終わると、女三の宮への柏木の思いにクローズアップされて、話の流れもはやくなっていく。
▼交響曲などで、いちばん美しい旋律が奏でられる部分は短くて、それをとりまく部分が結構長いなあという印象を持つことがあるが、それとどこか似ている。
▼この「若菜 下」でも、中心は、柏木の女三の宮への恋なのだが、「猫」の話が終わると、いったん話が途切れて、思いがけない周辺の出来事が語れているうちに、あっという間に、4年が経ってしまう。4年も経てば、猫を可愛がっていた柏木も、もう、とっくに諦めて別の女に走っただろうと思うと、どうもそうでもない。そんな不思議な展開をする。
▼話を、柏木と女三の宮のことだけに絞って語れば、「若菜」の巻も、上下にすることもなく、すっきりまとまるはずなのだが、紫式部はそうしない。「あの人は今」的な話題を持ち出して、物語に厚みを出そうとしているかのようだ。
▼「猫」を帝に返しもせずに独占して、可愛がっていたのでした、と語った後は、突然こうなる。
▼「左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、うとからず思ひきこえたまへり。」(左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君のことを、今でも昔のままに、親しくお思い申し上げていらっしゃる。)これじゃ、誰のことだかさっぱり分かんないよね。
▼「左大将殿」は例の「髭黒大将」のことで、その「北の方(奥方)」ということは、玉鬘だ。「右大将の君」というのは、夕霧のことで、なんだ、玉鬘はまだ夕霧と親しかったんだと、これなら納得。
▼ふたりは、ほんとの姉弟じゃないけど(この時、玉鬘27歳、夕霧20歳)、ほとんど姉と弟みたいに育ってきたわけだから、今でも気の置けない友だちみたいな「不思議な」関係になっている。一方、夕霧にとってのほんとの妹である明石の女御は、最近、春宮の女御となってしまったものだから、お澄まししちゃって、夕霧にも冷たい態度をとるので、夕霧はおもしろくなくて、玉鬘と親しくしているということなのだ。もちろん、色恋沙汰じゃない。
▼玉鬘がこんなところに顔を出すなんて懐かしい。その上、夫の髭黒の元妻の子どもの真木柱の縁談が持ち上がっている。髭黒と玉鬘の間には男の子二人だけなので、髭黒はさびしがって、真木柱を引き取りたいというけれど、元妻の親父(式部卿宮)が、許さない。
▼子どもが男の子二人で、つまんない、というのは、ぼくもそうだから、よく分かる。「花嫁の父」なんて演じたくもないけれど、女の子がいたらなあと、ときどく思うことがある。心配は心配だろうけど、その心配も悪くないかも、なんて甘いことを思うのだ。髭黒も、とにかく真木柱を手元において、なんとかこの子の世話をしたいと思うわけで、真面目な人だけに、さもありなんと共感する。
▼しかし、まあ、あちらの家ではその気はないし、それに玉鬘の継母(髭黒の元妻)は、相変わらずの「狂気」のために、まともに対応できない。真木柱は、狂気の実母よりも、継母の玉鬘にあこがれていて、親しくしている。そんな状況で、彼女の結婚はどうなるのか。
▼実は、髭黒は真木柱の夫に柏木がいいかなと思っているのだが、当の柏木はまったく真木柱に無関心。真木柱は猫より劣るのかと、語り手はからかっている。
▼そんなことしているうちに、なんと、真木柱は、あの兵部卿宮(螢宮、源氏の弟)と結婚することになってしまう。螢宮は、玉鬘に熱心に求婚したあげく振られ、その後、女三の宮にも求婚したけど、これも不発におわるという不運な人。この人の奥さんはすでに亡くなっているのだが、この奥さんのことが忘れられないで、いまだに独身なのだ。
▼それでも、いつまでも独り身で物笑いになるのも嫌だなあと思った螢宮は、ためしに、真木柱をいただけないなかと申し出る。すると真木柱のオジイサンの式部卿宮は、二つ返事でOKする。
▼それが、螢宮には気にくわなかった。返事が簡単すぎたからだ。ダメだと言われて、いやそうはいっても、かくかくしかじか。いや、それでも、、というプロセスを螢宮は楽しみたかったというのだ。どうも、結婚も、ゲーム感覚なのだろうか。よく分かんないところである。
▼で、実際に結婚してしまうのだが、どうにも、真木柱が気にいらない。元妻とはぜんぜん違うタイプだからということらしいのだ。しかし、螢宮は年齢がよく分からないのだが、まあ30代の後半だろう。真木柱は16、7歳なのだ。タイプが違うとかいう話じゃないと思うんだけどなあ。
▼そんな真木柱の結婚の様子を聞いて髭黒は、だからダメだっていったんだ、あんな好色者との結婚にはオレは反対だったんだと面白くない。
▼玉鬘は、かつて螢宮をふってしまったことをちょっと後悔もしていて、こんな髭黒なんかと結婚して考えの浅い女だと螢宮に思われていないかしらなんて思うこともあるものだから、いろいろと感慨深い。
▼式部卿宮の北の方は、「さがな者」として有名だが、このオバアサンはまだ生きていて、螢宮の孫への冷たい仕打ちに頭に来て、「親王なんかと結婚させるのは、せめて浮気もしないから、パッとしない生活だって我慢するものなのにさあ。」なんて不満タラタラ。螢宮は親王だけど、政治的な権力からは完全に外れているから、そんなことを言われるのだ。それを漏れ聞いた螢宮は、頭に来て、そりゃあ昔はけっこう浮気もしたけど、こんなひどいことは言われたことはない、ああ、やっぱり死んだ妻が懐かしいなんて思って、ぼんやりとして過ごすうちに、真木柱とのつまんない生活にも慣れてしまった。
▼そんなことを語った直後、「はかなく年月もかさなりて」(これといったこともなく、月日は経って)とあって、なんと、4年もすっ飛ばしてしまう。源氏は41歳から、あっという間に45歳だ。
▼「これといったこともなく」というけど、4年もあれば、相当のことがあったはずなのに、どうしてここで4年もの空白を入れる必要があったのだろうか。不思議な感じだ。

 

★『源氏物語』を読む〈171〉2017.8.20
今日は、第35巻「若菜 下」(その3)

▼「はかなく年月もかさなりて」(これということもなく年月も経って)、4年後。冷泉帝は、在位18年になっていたが、急に病が重くなり、天皇の座を降りることとなった。男の子がいなかったので、朱雀院の息子の春宮が帝になる。20歳になっていた。この人の母は、承香殿女御で、髭黒の妹だが、この時すでに亡くなっていた。息子の晴れ姿を見ることはできなかったわけである。
▼一方、明石の女御の生んだ皇子が春宮となり、自分の血筋が天皇につながることに源氏は満足しながらも、やはり、冷泉帝に息子がいなかったことが残念でならない。冷泉帝が源氏の実の子だということは、誰にも知られずにここまで来たことは、源氏にとってもありがたいことだったわけだが、できることなら、この冷泉帝の子どもが天皇になってほしかったという思いはぬぐいきれないのだった。
▼「同じ血筋」とはいっても、冷泉帝に対する源氏の思い入れは格別のものがあったわけだ。なんといっても、藤壺中宮の子どもなんだから。
▼冷泉帝は院となり、リタイア後は、病気のほうもよくなったとみえて、自由きままな生活をしている。
▼新しい帝は、女三の宮の兄だから、ことさら彼女を大事に扱うが、やはり紫の上の勢いには負ける、と書いてあるのだが、その直後、紫の上が、このころしばしば出家したいというようになった、ともある。源氏は、何言ってるんだ、出家するならオレのほうが先だよ、オレはずっと出家したいと思ってきたんだけど、君が寂しい思いをするんじゃないかと思って、我慢してきたんじゃないかと言って、聞き入れない。
▼紫の上は「この世はかばかりと、見果てつるここちする齢(よはひ)にもなりにけり。」(この世はおおかたこの程度のものと、見極めのついた気のする歳にもなりました。)というのである。この時、紫の上は36歳。源氏は44歳。
▼女三の宮の件で悩んだことは詳しく書かれていたが、あれから4年。その4年間の出来事は、「はかなく」過ぎたとあるだけだが、紫の上がこんなふうに思うようになったのには、よほどの辛い思いを重ねてきたに違いないと推測される。紫の上は、すっかりこの世を諦めてしまっている。私の人生は、結局、こんなものだったのだという思いは、36歳にしては、早すぎるが、なんだかよく分かる。
▼幼い頃から源氏に愛されて、私の右に出るものはいないとまで思った時期もあったけれど、源氏の浮気はやまないわ、愛人の娘の養育は任されるわで、それでも、背一杯誠意を尽くしてきたというのに、その結果はどうだったか。源氏はこともあろうに、朱雀院の娘と結婚して正式の妻として、今じゃその娘は新しい天皇の妹だ。私の人生って、いったい何だったのだろうと思うのは当然ではないか。
▼「愛だって? そんなの何さ!」という紫の上の声が聞こえる。もう、いい。私は、出家する。紫の上はそう思うのだ。それなのに、源氏は、オレが先だと抜かす。オレが出家したいのを我慢してきたのは、あなたが寂しい思いをするだろうと思ったですって? 冗談じゃない。それ以上に寂しい思いをさせてきたのはいったい誰なのよ! と今の女性ならくってかかるところだろう。
▼まあ、とにかく、明石の女御は、押しも押されもせぬ帝の后だ。皇后だ。明石の入道の「願」も見事にかない実現した。源氏は、住吉神社にお礼参りに行くことにして、入道の書いた「願文」を見てみると、走り書きだが、実に明晰な文章で書いてあるので、いったいこの入道は何ものだったのかと、あらためて目を見張るのだった。
▼なるべく質素にといういつもの源氏の意向は無視されて、我も我もと住吉詣でに同行して大騒ぎ。
▼珍しことに、この一行に、紫の上も同行する。明石の女御と紫の上が同じ車に乗り、その後を、明石の上が別の車に乗ってついていく。その車には、明石の上の母の尼君もこっそりと同乗している。明石の上は、やめておきなさいと言うのだが、いつまで生きてるか分からないんだから、どうしても行くといってついてきたのである。
▼時は10月の中旬。紅葉の美しい晩秋の風景の中、様々な人の、様々な思いを乗せて、車は行く。

 

★『源氏物語』を読む〈172〉2017.8.21
今日は、第35巻「若菜 下」(その4)

▼住吉詣をするにつけても、源氏は、あの須磨での不遇のときを思い出し、あの時、敵方なのに、そんなこともかまわずわざわざ須磨まで駆けつけてくれた頭中将(今は致仕大臣)をしみじみ恋しく思う。なにかと、対立することもあったけれど、やっぱり若い頃の友だちというのはいいものだ。会ってゆっくり心の憂さをも話したいものだと思う。
▼とはいえ、彼はもちろん同行していないから、明石の上の車に乗って、そこにちゃっかり乗っていた明石の尼君(明石の上の母)と歌を詠み交わすのだった。彼女は、もちろん、ことの初めから全部知っているから、源氏の気持ちも分かるし、また自分としても感慨深く、涙を流す。
▼紫の上は、住吉神社あたりの風景が、とても珍しくて、きれいだわと思う。彼女は、ほとんどの人生を六条院の中で過ごし、こうした外出をしたことがなかったのだ。
▼こんな風景である。「二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く。おもしろくもあはれさも立ち添ひたり。」(十月二十の月が空の高みに澄んで、海の面が美しく遠くまで見通される一方、陸地には霜がひどく厚くおりて、松原も白く霜の色と見まちがえるばかりで、何もかもが肌にしみて寒く、おもしろさもまた心にしみるさびしさも、ひとしお深く〈紫の上には〉感じられた。)
▼なんと美しく、またこころにしみ入る風景だろう。まるで、一枚の水墨画みたいだ。松原まで白いというのは、霜がおりているのではなく、月の光に照らされて白く見えるということだが、それが、地上の霜と見まちがえるほどだという。昨今の都会では、こうした霜の美しさを実感することはほとんどないが、平安時代の物語や和歌には、この「霜」がよく現れる。
▼いちばん有名なのは、百人一首にも入っている、凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」(『古今集』秋下)だろう。この住の江の描写は、当然この歌を意識しているのだろう。この歌の場合は、「初霜」が真っ白で、どこに「白菊」があるのかわかんない、というところに眼目があるのだが、ちょっと作りすぎ感があるのに対して、源氏のほうの描写は、そうしたわざとらしさがなくて、広々とひろがる風景が眼に浮かぶ。源氏の「勝ち」だな。
▼肌に染み込んでくるような寒さは、紫の上の寂しい心情をも象徴するかのようだ。どうして彼女が、この住吉詣についてきたのか、その本意はわからないが、ここでの話題の中心は、あくまで明石の姫君であり、また明石の上、そして明石の尼君である。明石一族の繁栄の物語は、今や、みんなの話題となっていて、「明石に続け」とばかり、その一族のマネをするのが流行にさえなっていた。そんな、だれもがうらやむ明石一族の陰となって、自分は、その一族の繁栄を喜ぶしかすることがない。自分には何もない、という思いが、紫の上の心を重く覆っていたのだろう。
▼有楽町の宝くじ売り場なんかが、やたら人気で長蛇の列ができるように、いちどいい目をみた人がいると、それにあやかりたいという人たちがゾロゾロ出てくるのは、今も昔も変わらない。
▼そんな一例とでもいうように、ここに、突然、あの頭中将の娘の近江の君が再登場する。もちろん、この住吉詣に同行したのではない。明石一族がどんなに有名になっていたかの一例として登場するのだ。
▼「かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ、賽(さい)は乞ひける。」(あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つときの言いぐさにも、「明石の尼君、明石の尼君」と祈って、よい賽の目の出るのを望むのであった。)
▼これだけだけど、こんなところにひょこっと顔を出すというのも面白い。こんな小さなエピソードを、紫の上の悲しみを描いたすぐ後に書き込む紫式部という人のセンスは素晴らしい。
▼源氏は、致仕の大殿を懐かしがって、しんみり話したいなあと思っているわけだが、当の大殿のほうは、相変わらずの娘を抱えてウンザリしてるのだろう。その顔が目に浮かぶ。

 

★『源氏物語』を読む〈173〉2017.8.22
今日は、第35巻「若菜 下」(その5)

▼住吉詣も終えて、日常が戻ってくる。朱雀院は、仏道三昧で、宮中の行事にも顔を出さない。帝は、もっと前向きに生きてくださいと言ったかどうかしらないけど、とかくそういう父親に意見するけど、ただ女三の宮のことをよろしく後見してやってくれと、そればかり。
▼なんとなく、六条院全体に退屈が漂っている。どこか生気を失いかけている。やっぱり、女三の宮の降嫁がよくなかった。それまで小さないざこざは絶えることはなかっただろうが、紫の上がどっかと中心に座っていた六条院には幸福感に満ちていたように思われる。
▼それが、女三の宮の降嫁によって、崩れ始めた。女三の宮が中心に座ったことで、六条院の空気は非常に不安定なものとなってしまった。
▼相変わらず、源氏は紫の上の元にいることが多かったし、女三の宮はそういう意味では軽んじられていたけれど、朱雀院の要望も耳に入ると、源氏もそうそう女三の宮をほっとけなくて、そちらに通うことが多くなり、とうとう紫の上と女三の宮とが、五分五分になってしまった。紫の上には、「夜離れ(よがれ)」(男が来ないので一人に寝ること)が多くなってきたのだ。
▼今さらそんなことで嘆くのも大人げないのかもしれないけれど、やはりそういうことが現実として突きつけられると、紫の上の寂しさは募るばかりで、だんだん年をとってきたし、今のところ源氏のご寵愛はあの人(女三の宮)には負けてないけど、いつか捨てられてみじめな思いをするに違いない。そんな目にあう前に出家してしまいたいと思うのだが、前に、そのことをチラッと言ったら、軽くあしらわれてしまったこともあって、またぞろ、そんなことを言い出して、こざかしいヤツだと思われるのも嫌だし、と思い悩む。当時は、出家は男でさえ難しいのに、まして女が出家するなんてこざかしいと思われたようなのだ。
▼紫の上が出家したいと思うのは、決して仏道修行をして極楽往生を願いたいと思うからではない。自分が女としてみじめな思いを味わわないですむためには、出家しか道がないからだ。それだけ彼女は追い詰められていたということだろう。
▼紫の上は、それで、春宮(明石の姫君の息子)の妹である女一の宮(紫の上にとっては、義理の孫)を引き取って育てることでわが身の慰めとする。もともと子ども好きな人だから、そういうこともあるだろうけど、なんだか可愛そうだ。
▼花散里は、それを見ていて、自分も退屈しているから、いいなあと思って、自分も夕霧の子どもである二郎君というのを引き取って育てる。(この人は、なんとも「前向き」でおもしろい。)この二郎君というのは、夕霧と雲居雁の間の子どもではなくて、典侍という別の奥方との間にできた子どもである。堅物の夕霧だが、第二夫人はちゃんといたんだね。
▼源氏もまた、退屈している。源氏には、三人の子ども(夕霧、明石姫君、それに冷泉院)しかいないけれど、孫はけっこう多くて、その孫たちを可愛がることで、もてあます時間を紛らわしている。
▼そこへ、朱雀院が、女三の宮に会いたいと言い出す。ほんと、この人、メンドクサイ。出家したなら、それでもういいじゃないか。子どもも孫も捨ててこその出家じゃないの、って思うけどね。
▼そう言われると、相手は、元天皇だから、はいどうぞなんて簡単に言えない。なにかきっかけがないとダメだ。何にもないのに、ひょこって訪ねていくなんてことは、元天皇にはできないのだ。
▼それで、源氏は、朱雀院を女三の宮に会わせるために、朱雀院の五十の賀のパーティを企画する。そうなるともう大変で、それじゃ、音楽が是非とも必要ということになって、特に女三の宮に琴を演奏させ、その他の女性たちと合奏させようということになって、ことはどんどん大げさになっていく。
▼ところが、女三の宮は、あんまり琴がうまくない。名うての琴の名手源氏と一緒に暮らしているのだから、さぞ上達していることだろうと父親は思うだろうからってんで、源氏は懸命に女三の宮を特訓する。誰にも教えたことのない秘曲まで伝授する。すると、周りの女たちは、あ、いいなあ、なんで私に教えてくれなかったのかしらなんて嫉妬する。紫の上は、いつにもまして寂しい夜を過ごすこととなるのだ。
▼「娘に会いたい」という一言が、こんなにも、波紋を広げるということを、朱雀院はもちろん分かっていない。分かるような人なら、そもそも娘を源氏に託すなんてことするはずもない。
▼琴といったって、いろいろあって、いちいちここに書くのも煩わしいから書かないけれど、調弦一つとっても大変で、女の力じゃ無理だからといって、わざわざそのために夕霧を呼びつけたり、やってきた夕霧に源氏はえんえんと音楽について論じたり、それはそれでまた興味深いのだが、まあ、それも省略ということで。
▼とにかく、六条院で「女楽」(女性たちによる演奏)の会が開催されるのは、年が明けてのことだった。

 

★『源氏物語』を読む〈174〉2017.8.23
今日は、第35巻「若菜 下」(その6)

▼「女楽(おんながく)」というのは、女性だけの演奏のことを言うのだが、今なら、プリプリのように(古いか、せめてAKB48?)ステージの上に女性がずらっと並ぶというイメージだけど、当時は、やっぱり御簾の中らしい。だから、演奏する女性の姿は見えず、楽器の音だけが聞こえてくるということのようだ。
▼ここには、4人の女性がフィーチャーされていて、まずは紫の上が和琴、明石の上が琵琶、明石の姫君が箏、女三の宮が琴(きん)である。
▼これらの楽器はみな「琴(こと)」と総称されるが、それぞれ形も奏法も音色も違う。いちいち説明すると煩雑だからしないが、和琴というのが日本古来の楽器ということで、音色は派手で現代風。それに対して「琴(きん)」は中国伝来の楽器で、源氏物語でも最も重視されている楽器で、音色は小さく、奏法も難しいらしい。
▼夕霧を相手に、源氏は、こうした楽器やその奏でる音楽について、持論を展開する場面が結構長くあって、それはそれでとても興味深い。
▼そうした議論を読んでいて痛切に感じるのは、当時、音楽がどれほど深く愛されていたかということだ。かの孔子様も、音楽をもっとも大事な教養と位置づけているが、音楽は単なる娯楽ではなくて、人間のもちうる最高の「芸術」だと源氏も思っていたようだ。
▼この音楽が常に「自然の中」で演じられ、また「自然とともに」感受されているということも注目される。ここが、どうも西欧の音楽観と根本的に違うのではないかと思うのだ。西欧では、自然から隔絶された室内のホールで、自然の音や風景から遮断された空間で、音楽が奏でられる。けれども、平安時代においては、音楽はいつも自然の中にある。月の光、松を吹く風、そらの色、そんなものとの関係で音楽が味わわれる。
▼源氏が、やっぱり春の朧月夜のもとでの音楽より、澄んだ秋の月の光のもとの音楽のほうが身にしみるなあなんて言うと、夕霧は、いや、秋は隅々まで見え過ぎちゃって趣に欠けますよ、春のぼんやりした気色の中に漂う音の方がいい、みたいな議論となるのである。
▼ベートーヴェンの弦楽四重奏を、冬の暖炉のそばで聞くほうがいいか、それとも夏のビーチで聞くほうがいいかなんて議論はできないことはないけど、まあ、あまりしない。
▼日本は、というか、東洋は、自然の音込みで、音楽を考えているような気がする。だいぶ前の話だけど、西欧人には秋の虫の声はノイズとしか聞こえないなんてことが言われたことがある。(たしか小倉朗『日本の耳』岩波新書)その後、その手の話はとんと聞かないけど、あれはどうなったのだろうか。
▼源氏物語は、恋の話だけじゃなくて、芸術論もあるというのが面白いところ。
▼さて、御簾の内だから見えないはずだけど、源氏が覗いてみると、ということで、女性4人がずらりと並び、花にたとえて描かれる。
▼まず、女三の宮は、相変わらず「御衣(おんぞ)のみある心地す。」(着物しかないみたいな感じ)で、細くて小さい。せっかく4年もの空白を作って、女三の宮の成長させたのに(この前、源氏物語に詳しい中高以来の友人と飲んだとき、なぜ「若菜」で、突然4年の空白が入るんだろうねと聞いたら、女三の宮を成長させるためなんじゃないの、って答が返ってきて、そうかあと半分納得したのだった)、これじゃ台無しだ。この「御衣のみある心地す。」というのは、単に彼女の小ささだけを言っているのではなくて、「精神的な貧しさ」の比喩ではないかという気もする。
▼でも、さすがにそれだけじゃなくて、その姿はなかなか魅力的に描かれている。「二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむ心地して、鶯の羽風にも乱れぬべくあえかに見えたまふ。桜襲の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。」(二月の二十日ごろの青柳が、少しばかり枝を垂らしはじめたような風情で、鶯の羽風にも乱れてしまいそうなほど華奢にお見えになる。桜襲〈さくらがさね=表が白、裏が赤)の細長〈丈の長い細めの上着〉に、髪が左右からこぼれかかっていて、柳の糸という趣である。)
▼これはこれで悪くない。それにしても、鶯の羽が起こす風で倒れそうだって、どんだけ細いんだ。でも、「御髪は左右よりこぼれかかりて」なんてところはとてもいい。こういう描写は、紫式部、得意だよね。
▼明石の女御(姫君)も、小さくて細いけれど、「よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりてかたはらに並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞしたまひける。」(美しく咲きこぼれた藤の花が、夏にはいっても咲きつづけ、ほかにこれと並ぶ花とてなく朝日を浴びているというような感じでいらっしゃる。)女御は懐妊中で、脇息によりかかっている。その脇息が女御の体の小ささに合わないので、源氏は、もうちょっと小さい脇息を作ってやろうかなと思う。
▼紫の上は、ここぞとばかりに力を入れて描かれるのかと思うと、そうではなくて、あっさりと、桜にたとえられ、豊かな髪とともに「あたりににほひ満ちたる心地して」(あたり一面につややかな美しさがあふれているような風情で)と描かれるにとどまる。紫の上は、美しすぎて、個性的な描き方ができないのかもしれない。
▼夕霧はこの義理の母である紫の上に憧れていて、もっと親しくしたいといつも思っているが、源氏のような不埒な思いは露ほどもないと書かれているが、紫の上の美しさは、こうしたたとえば夕霧の思いを通じて間接的に描かれることが多いような気がする。それは、藤壺中宮がそうだったのと似ているのかもしれない。
▼さて最後は明石の上。彼女は身分が低いので、ほんとうはこういう場では気圧されるはずなのに、ぜんぜんそんなことはなくて、「心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。」(心の底を知りたく心ひかれる深みがあり、どことなく気品がただよい優雅に見える。)
▼明石の上も美人なのだが、それ以上にこの人は「忍従」によって培ってきた精神的な高貴さによって、なんともいえない気品を醸し出しているわけである。そして彼女がさりげなく弾く琵琶の音の懐かしさ。「五月まつ花橘、花も実も具して押し折れるかをりおぼゆ。」(五月を待花橘の、花も実もいっしょに折り取ったような美しさをおぼえるのである。)とされる。

 

★『源氏物語』を読む〈175〉2017.8.24
今日は、第35巻「若菜 下」(その7)


▼「女楽」も終わり、源氏は部屋に戻るが、紫の上はそのまま残って夜遅くまで女三の宮と話してから、源氏のいる部屋に戻る。どうして源氏と一緒に戻らないのか、ちょっとひっかかるところ。その日は、日が高くなるまで「大殿籠れり」(お休みになった)。
▼起きてからのことだろう、源氏は、紫の上と長いこと話し込む。
▼女三の宮の琴(きん)は、最初はどうなるかと思ったけれど、ずいぶん上達したよねえと言うと、紫の上は、それはあなたがあんなにご熱心におしえて差し上げたのですから、と答える。源氏は、そうさ、手をとって教えたからなあ、と自慢げ。源氏には、紫の上の皮肉が通じないらしい。
▼君にはゆっくり教えてあげることもできなかったのに、それにしては、あなたの和琴は見事だったね、夕霧もうっとりしてたのは、ほんとに面目がたった、なんて、どういうつもりか知らないけれど、紫の上はどんな気持ちで聞いただろう。
▼しかし、源氏は、急に自分の半生を顧みて、人もうらやむような地位にまで上りつめた自分だが、心の中には、どうしようもない悲しみと鬱屈があるのだと言う。生母の桐壺更衣には記憶もないころに死に別れ、ついで祖母、父と、みな自分が若いころに失った。そして、紫の上にすら言えない藤壺との関係。こうした悩み苦しみの多さの「代わり」として、自分はこんなに長生きしているのかもしれないと言う。
▼紫の上の完璧さは、源氏には「ゆゆしき」(不吉な)ものと見える。そういえば、紫の上は、37歳。女の大厄にあたる歳なのだ。源氏はそれがどうも心配で、無理をしてはいけないとも諭すのだった。
▼紫の上も、その大厄が心配なのか、どこか体に不調を感じているのか、(もちろん、女三の宮のことでのストレスが原因だろうが)私ももう長くないような気がしますので、いつかも申し上げたとおり、どうぞ、出家を許してくださいと、また訴えるのだが、源氏はまったく取り合わない。
▼それどころか、その後で、源氏は今まで自分が付き合ってきた女性についての批評をえんえんとする。葵の上、六条御息所、明石の上、と続く。紫の上の気持ちをいったん脇に置いてこれを読むと、ああ、そうだったのかとよく分かるところが多い部分である。それぞれの女性の特徴と、源氏のそれぞれの女性に対する思いが、実に的確に描かれていて、おどろくほどだ。
▼特に、ここでも、明石の上が際立っているように思われる。
▼「内裏(うち)の御方の御後見は、何ばかりのほどならずあなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠りて、そこはかとなくはづかしきところこそあれ。」(女御の御方のお世話役〈明石の上〉は、どれほどたいした身分でもないとはじめは軽く考えて、気のおけない相手のように思っていたのですが、やはり奥底の知れない、どこまでもたしなみの深い人です。うわべは人の言いなりになっていて、おとなしく見えながらも、油断のならぬところが隠されていて、どことなく気のおけるところがあるのですね。)
▼これが源氏の明石の上評である。それに対して紫の上は、確かに、馴れ馴れしくできない方で、私の単純さを馬鹿にしているのではないかと思うときもありますが、明石の女御(娘)は、私にはなついてくれました、と言う。
▼源氏は、紫の上が、ほんとは目障りだと思うはずの明石の上を許すのも、すべて、明石女御のためだったのだと納得するのだった。
▼そんなこんなの長談義のあと、源氏は、そんな女たちの中で、あなたほど行き届いた人はいないよと、「ほほえみて」言う。この「ほほえみて」を、全集本では、「笑みを浮かべて」と訳しているが、集成本では「にやにやして」と訳し、更に「冗談めかした風情」と注する。
▼どっちだろう。全集本にしても「ニッコリ笑って」とは訳していないから、この「笑み」は、やはり、「にやにや」系なのかもしれない。とすると、源氏の心こそ計り知れない。
▼源氏が、女三の宮への嫉妬に苦しむ紫の上に、自分の悲しみはともかく、付き合ってきた女性についてことこまかに語ってきかせるというのは、全集本の注では「紫の上に対する愛の証であろう」といっているが、それは違うんじゃないか。
▼君を愛するから、今までオレが付き合ってきた女性のこと全部話すっていうのは、今だって、アリとはいえない。そういうことしたがる男はいるのかもしれないが、女としては、むしろ迷惑だろう。結局、あんたのモテっぷりを自慢したいだけなんじゃないの? てことになる。
▼そんな話をするのは、読者にとっては参考になるけれど、紫の上にとってはやはり迷惑な、「やめてよ!」っていいたくなる話のはずで、そんな与太話より、紫の上が真剣に頼んでいるのは、自らの出家である。この女三の宮への嫉妬の苦しみから解放されるためには、出家しかないのだ。そこんところ、源氏は、まったくわかっていない。
▼だからこそ、この話を終えると、昨日の演奏のこと、ちょっとねぎらってくるとかいって、その晩は女三の宮のところにさっさと行ってしまうのだ。女三の宮は、無邪気なままで、紫の上が自分ことを死ぬほど嫉妬しているなんてことにぜんぜん気づいていないから、夢中になって琴の練習をしていて指導をせがむ。源氏は、今日は少しは休ませてくれよ、「ものの師は心ゆかせてこそ」(師匠〈源氏は女三の宮の琴の師匠ということ〉というものは、喜ばせなくちゃいけないんだよ)なんていって、「御琴どもおしやりて、大殿籠りぬ。」(そこに出ている琴どもを押しのけて、おやすみなる)
▼「大殿籠る」というのは「寝る」の尊敬語だが、さて、「寝る」の意味は、この場合どうなんだろう、というのも野暮だろうか。ただ、「眠る」だけだったら、「琴を押しやる」こともないわけだし。
▼「あんたの悲しみの代償があなたの長生きだというのなら、私のこの悲しみは、私が生きて祈るためなのですね」(心に堪えぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける。)という紫の上の切実な言葉も、源氏の心の中には響いていないのである。

 

★『源氏物語』を読む〈176〉2017.8.25
今日は、第35巻「若菜 下」(その8)

▼源氏が女三の宮の方へ行ってしまっている夜は、紫の上は、物語などを女房に読ませて退屈をしのいでいる。そんな物語の中には、不実な男やそんな男に苦労する女の話がたくさん出てくるのだが、私も、結局のところ、ほんとうに頼れる人もなくて人生を終えるのだろうか、つまらない(あじきなし)なあなどと思い続けて夜がふけてからお休みなった明け方、紫の上は、突然発病する。
▼突然の胸の痛みに苦しみ、高熱もある。すぐに源氏を呼びましょうという女房に、呼ぶ必要はないと言い張り、苦しみにひとり耐える。女房たちは、紫の上の言葉を無視して源氏に知らせることもできなかったが、そこへ明石の女御から、この前の「女楽」のことなどで、一緒に話しませんかというような使いが来たので、紫の上の病気のことを話すと、すぐに女御が駆けつける。女御は、すぐに源氏にも知らせるから、あわてて源氏も駆けつける。
▼なんの病気なのだろう。胸の痛みの発作は断続的に続き、熱も高く、ほとんど食事もとれない日が何日も続く。源氏はもすっかりううろたえて、つきっきりだ。当然のことだが、女三の宮どころではなくなっている。
▼加持祈祷もさかんにするけれども、なかなか快方に向かわないので、六条院から二条院へ移す。この二条院は、源氏が幼い若紫を強引に引き取ってきて、一緒に住んだ邸で、後に源氏はこの邸を紫の上のものとし、彼女も自分の私邸のように思っていたのである。女たちでいっぱいの六条院よりは、ずっと紫の上の気も休まるだろうと思ったのだろう。
▼紫の上のいなくなった六条院は、ひっそりとしてしまう。女房たちもこぞって二条院に移ってしまうし、お見舞いもひっきりなしの二条院は大騒ぎ。あらためて「紫の上あっての六条院」だったのだとみんな痛感したのだった。
▼苦しい病の床で、紫の上は源氏にしきりに出家を願う。けれども、ことここに及んでも、源氏はそれを許すことができない。紫の上への執着を断ち切れないのである。けれども、衰弱する一方の紫の上の最後の願いを、どうして源氏は聞いてやることができないのか。執着といったって、紫の上の上はもう助かる見込みもないでのである。
▼ひっそりとしてしまった六条院には、スキができた。女三の宮のガードが甘くなったのである。源氏も、紫の上のことで頭がいっぱいで、女三の宮のことなんかもう頭の片隅にもない。
▼柏木がそこへ入りこんでくる。前からなんとかして、女三の宮に近づきたい一心の柏木は、こともあろうに、こんな大事が起きているときに、みずからの邪心を押さえるどころか、ますます募らせるのである。
▼そうはいっても、女三の宮の周辺にはたくさんの女房たちがいて、守っている。そこに近づくのは容易ではないのだが、前にも出てきた「小侍従」という女房に柏木は執拗に手引きを頼むのである。この「小侍従」というのは、女三の宮の乳母の娘で、柏木とは旧知の仲。
▼そのころ柏木は、不本意ながら、女三の宮の姉の女二の宮と結婚しているのだが、これにはぜんぜん満足がいかない。やっぱり妹のほうがいいという。「げに、同じ筋とは尋ねきこえしかど、それはそれとこそ思ゆるわざなれ。」(なるほど二の宮を同じ筋だと思って頂戴いたしましたけれど、それはそれとして別事と考えねばならないものでした。)なんてことを言う。女二の宮は女三の宮の腹違いの姉なのだから、姉妹とはいっても「それはそれ」なのかもしれないが、まったくなんて言いぐさだ。
▼それを聞いた小侍従は、「それはそれ」とは、なんて大それたことを言うのですか、奥様を差し置いて、いったいどうしようっていうんです、と言うと、「ほほえみて」(またか。この「ほほえみ」はくせ者だ)、そういうもんなんだよ(これも、嫌らしい言い方だなあ)、ぼくはもともと女三の宮に求婚したんだ、それなのに、朱雀院はお情けをかけてくれなかった。あのころは、ぼくもまだひよっこだったけれど、今はもう立派に出世したんだ、と、言いたい放題。
▼こんなめったにない機会を逃してなるものか、なんとかして、手引きしてくれ、御簾越しにお話できればそれでいいんだ、大それたことなんか考えてないよ、と言う柏木に、何言ってるんですか、御簾越しに会うだけでも「大それたこと」じゃないですか、とんでもないことですと、にべもないのだが、柏木は、それでも屈せずに、ああだこうだと小侍従を責め立てるので、小侍従も若いから、ま、しょうがないかと思ってしまい、それじゃ、スキをみつけて、ご案内しますと、約束してしまうのだった。
▼紫の上が死ぬか生きるかという大問題が起き上がって世間が大騒ぎになっているその最中に、柏木はここぞとばかり自分の欲望をむき出しにして女三の宮に近づこうと懸命になっている。邪悪なものが渦を巻いているようなこの構図はすごい。

 

★『源氏物語』を読む〈177〉2017.8.26
今日は、第35巻「若菜 下」(その9)

▼柏木は、女三の宮の言葉が欲しかったのだ。かなわない恋だと分かっているが、それでも、せめて、柏木の気持ちを聞いて、それに対して、「かわいそうに」だけでもいいから言葉をいただきたかったのだ。それ以上のことは、ほんとは望んでいなかったのだ。
▼あの6年前に、猫がめくりあげた御簾の隙間から女三の宮を見て以来、柏木の恋の炎は消えることがなかった。そして、今、紫の上の重病で、六条院がてんやわんやとなっていて、源氏の注意もひたすらそっちへ向いている「絶好の」チャンスが訪れたのだ。
▼小侍従は、最初は、なにを大それたことをと、相手にもしなかったが、あまりに柏木がしつこく責め立てるので、とうとう根負けして、「密会」の手引きをする約束をしてしまう。
▼そして、それはすぐに実現する。みんな出払ってしまって女三の宮についているのは小侍従だけという夜がやってきた。柏木は、小侍従に導かれて、女三の宮のいる部屋の中に入ってしまった。
▼おやおや、そんな所にまで引き入れていいのでしょうか、と、「草子地(語り手の語る地の文)」は増田明美みたいに語っている。いいわけない、のである。
▼柏木は、かしこまった態度で、女三の宮を御帳台(ベッドのようなもの)から抱いておろす。女三の宮は、てっきり源氏だと思って、顔をみると、まったくの別人である。たぶん、柏木の顔を知らなかったのだろう。女三の宮は、ただただ恐怖に襲われて、水のように汗を流して、ふるえている。
▼柏木は、あの御簾の蔭から姿を見て以来の、自分の思いのたけを話すのだが、それを聞いて女三の宮は、はじめて相手が柏木だと分かるのだが、とにかく恐ろしくて、何ひとつ答えることができない。柏木は「あはれ、どだにのたまはせば、それを承りてまかでなむ。」(せめて不憫な者よとだけおっしゃってくだされば、そのお言葉を承って退出いたしましょう。」と言うのだが、女三の宮は一言も発しない。
▼そんな言葉を言ってはいけないという明確な意思によってではなく、ただただ気が動転していて、言葉がでないのだ。『風とともに去りぬ』の中で、レッドバトラーが、スカーレットオハラに、ただ一言「愛している」とだけ言ってもらえらば、私はそれでいいのだと言ったとき、スカーレットは、言いたいけど、強い意志で「言わない」、という場面が確かあったと思う。(読んだのではなくて、帝劇の舞台で数十年前に見た記憶なので、間違っていたらごめんなさい。)それと比べてもしょうがないけど、そういう「言わない」とはここはまったく違うのだ。
▼柏木は、こうして女三の宮に直接会うまでは、さぞ女三の宮は威厳もあって、とても馴れ馴れしくなんてできない高貴な方だろうと想像していたのに、いざ、目の前に見てみると、案外そうでもなくて、ただの、なよなよとして美しい方に過ぎなかった。
▼それがいけなかった。高貴でとても近づけそうもない方だったら、「色めいたことはなしにしよう」と思っていたのに、案外、身近に感じられる方だったので、見境がなくなってしまったのだ。もう、どうなってもいい、この人を連れてどこか山の奥にでも隠れてしまいたいとまで思い乱れてしまったのだった。
▼この最後の部分は「思ひ乱れぬ。」となっているが、この直後にこんな文章がくる。
▼「ただいささかまどろむにともなき夢に、この手馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを、この宮に奉らむととてわが率(ゐ)て来たると思しきを、何しに奉りつらむ、と思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむ、と思ふ。」(ほんの少しの間、うとうととしたともいえぬほどの夢の間に、あの手馴らしていた猫が、いかにもかわいらしい姿をして鳴きながら近寄ってきたのを、この宮にさしあげようとて自分が連れてきたのだ、と思ったが、なんのためにさしあげたのだろう、と考えようとするうちに、目が覚めて、どうしてこんな夢を見たのだろう、と思う。)
▼つまり、「思ひ乱れぬ。」思い乱れた。」と「「ただいささかまどろむにともなき夢に、」の間に、二人は結ばれてしまったということなのだ。昔の物語は、こうした場面をあからさまには書かないから、よほど注意しないと核となるところを読み落とす。
▼しかも、この夢に猫が出てくるというのは、当時の俗信では、「懐胎」を暗示したらしい。そのことになかば気づきながら、柏木は、現実とも夢ともつかない空間に浮遊しているかのようである。夢の描写が、朦朧としていてすばらしい。
▼女三の宮の元を去るときも、柏木はひたすら彼女の優しい言葉を求めるが、彼女は、もう、恐ろしいと思うばかりで、最後の最後にやっと歌を送るのが精一杯だった。これでやっと柏木が帰ってくれるという安心感からだと、注は言う。
▼その歌をか細い声で伝えるその声も最後まで聞かないで、女三の宮の部屋から抜け出してきた柏木は、「魂はまことに身を離れてとまりぬる心地す。」(魂は、真実、身から離れて女三の宮のおそばに残り留まっているような気持ちである。)という状態。
▼柏木のこの夜の行動は、ほんとうに「魂が身から離れた」ような状態の中で起きたとしか思えない。そして、女三の宮の側でふと眠った夢の中に、猫が出てきて、ふっと目覚める、といった、まさに「夢」か「うつつ(現実)」かの境目で、「事実」は起きたのだった。
▼なぜこんなことをしてしまったのか、柏木には分からない。女三の宮と結ばれることまでは、絶対に望んでいなかったのに、気がついたら、こんなふうになってしまった。これが天皇の后との「不倫」でもあったなら、その罪の重さははかりしれないから、自分は死んでもいい覚悟でその恋にかけただろうに、女御、更衣といった女性との関係なら世間にけっこうあって、こんどのことも、そんなに重い罪ではないはずだ、とふと柏木は思ったりもする。思うけれども、自分が裏切った相手が源氏であることに、柏木は改めて慄然とするのだ。柏木は、源氏が怖い。もう外へも出られない。
▼この柏木の源氏への恐怖は、いったいどこから来るのだろう。恋のためなら天皇だって怖くない、と思う若者が、源氏だけは別格で、怖くてどうしようもないのはいったいなぜだろう。
▼女三の宮も、自分が源氏を決定的に裏切ってしまったのだという思いに、うちひしがれる。部屋の奥に閉じこもり、明るい所にも出てこない。
▼こうして、ふたりは、救いのない深い闇に閉じ込められることになったのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈178〉2017.8.27
今日は、第35巻「若菜 下」(その10)

▼女三の宮の体の不調を聞いて、源氏は、紫の上の病気だけでも精一杯なのに、これはまたどうしたことかと心配して女三の宮のもとを訪れるが、別にどこかどう悪いというこもないらしい。けれども、源氏と目も合わせない様子に、これはきっと、自分が紫の上につきっきりだから恨んでいるのだと思って、あの方は、特別な方で、どうしても側にいてあげたいのだからこらえてほしいというのだが、女三の宮は、自分の過ちに源氏がまったく気づいていない様子に、ただただ申し訳なく思うばかりで、一人で涙を流している。
▼柏木は柏木で、外へ遊びにいく元気もなく、ただ自分の部屋に引きこもっているが、柏木の妻、女二の宮は、どうして自分がこんなに夫に疎まれているのか分からないけれど、何だか面白くないなあと思いつつ、箏の琴などを弾いているのを聞くと、柏木は、この人も優雅ですてきな人だけど、どうせなら、もう一段上の妹の方(女三の宮)がよかったのになあって思って、こんな歌を詠む。
▼「もろかづら落葉を何にひろひけむ名はむつましきかざしなれども」(姉妹の中で、どうしてつまらぬ落葉のような方を頂いたのだろう。どちらも同じ朱雀院の御息女だけど。)
▼ひどい歌だよなあ。この歌のせいで、この後、この女二の宮は、後世の読者に「落葉の宮」と呼ばれるようになる。
▼こういう柏木を見ていると、どういう男なのか分からなくなる。女二の宮との結婚にしても、いつまでも独身だと外聞が悪いからといった理由だったし、そんなに外聞を気にするなら、女三の宮との恋なんていうとんでもない不埒なことは考えるなよと言いたくもなる。
▼まあ、それでも若気の至りということもあるから、とんでもない過ちがあったとしても仕方ないと考えるにしても、今は「反省」の真っ最中なのに、どうして妻を馬鹿にするような歌なんか詠まねばならないのか。なんか、一貫性に欠ける男である。しばらく、注意深く観察を続けなければならない。
▼そんなことをしているうちに、突然、紫の上の「訃報」が六条院にいる源氏の元に入る。
▼「大殿の君は、まれまれわたりたまひて、えふとも立ち帰りたまはず、静心なくおぼさるるに、『絶え入りたまひぬ』とて、人参りたれば、さらに何ごとともおぼしわかれず、御心もくれてわたりたまひぬ。」(大殿君〈源氏〉は、たまたま女三の宮のもとにお越しになられて、そうすぐにはお立ち帰りになることもできず、気が気でなくていらっしゃるところに、「ただいま、息をおひきとりになりました」と言って使いが参上したので、まったく前後の分別もお失くしになって、気も動転なさって馳せつけられる。)
▼二条院はもう紫の上の「死」に大騒ぎだが、源氏は、落ち着け、まだ死んでしまったとは限らない、もっとちゃんと加持祈祷をせよと、祈祷師に命じる。集まった祈祷師は、「頭(かしら)よりまことに黒煙を立てて、いみじき心を起こして加持したてまつる。」
▼そんな気合いの入った祈祷のせいか、紫の上は蘇生する。紫の上に取り憑いていた「物の怪」が、側に居た童女に乗り移り(憑依である)、なにやら語りはじめる。源氏は、人払いをして、その物の怪の憑依した童女と二人きりになると、なんと、童女にとりついているのは、またしても、あの六条御息所なのだった。
▼いまだ成仏できずにさまよっている六条御息所の魂は、今また紫の上に取り憑いていたのだ。しかし、なぜなのか。ここで、六条御息所の魂は驚くべきことを言う。私は別に紫の上を恨んでいるのではない。けれども、あの晩(源氏が「女楽」の後、自分と関係のあった女性について語ってきかせたあの晩のことだ)、あなたは紫の上との話の中で、私のことを悪く言いましたね。私のように闇の中をさまよう魂は、ほんのささいなことでも、心を乱され、死霊となって取り憑いてしまうのですよ。
▼「あの晩」源氏は、六条御息所のことをどう評したのか。別にひどい悪口を言ったわけではない。あの方は、とにかく、気を許せない人で、ちょっとでも油断したら見下されるのではないかと思って気をつかっているうちに、疎遠になってしまったのだよ、という程度のことである。
▼それでも、六条御息所の魂は、そこに傷ついた。自分が愛した男が別の女との会話の中で、自分について、たとえわずかないことでも、悪口めいたことを話すのは、話題になった当の女には許せないということだろう。しかも、その女が既に死んでいたとしても、死んだ女は、いつも、そばでそれを聞いている。
▼思わず背筋がぞっとする話である。
▼人間というものは不思議なものだという感慨に襲われる。人間は、自分が思っているとおりに行動することができないのだ。「生霊」にしても「死霊」にしても、近代的にいうなら、人間の「無意識」のことだろうが、自分の意志を超えて、魂が肉体を離れてしまう。その結果、絶対にしてはいけないことまでしてしまう。それが人間なのだ。そういう人間観が、当時はかなりリアルにあったのだろう。
▼それを説明するのに、「宿世」という言葉を用いた。つまり「前世からの因縁」ということだが、そうでも考えない限り、人間の行動の不合理性は説明がつかないのである。
▼紫の上は、なんとか蘇生し小康を得るが、「紫の上死去」の噂は、号外のように世間をかけめぐり、世間はその噂でもちきりだ。そうしたなか、二条院には、次々と「弔問客」が駆けつけるのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈179〉2017.8.28
今日は、第35巻「若菜 下」(その11)

▼紫の上の死去の噂を聞いて、柏木も、二条院にかけつける。けれども、ほんとうに死んでしまったのか確かめる術もないから、柏木はあくまで「お見舞い」として訪問するのである。
▼考えてみれば、今でも何をもって「死」とするのかは、いろいろ意見の分かれるところである。まして当時のこと、死がこんなにもあいまいなものであることは、十分に納得できることだ。
▼応対に出た夕霧は、柏木の言葉に、なんとか息を吹き返したけれど、物の怪のわざとかいうことで、まだまだ安心できないのだという。その夕霧の目は泣き腫らしている。そんな夕霧をみて、柏木は、自分の「悪行」による曇った目で見るからだろうか、夕霧にとっては継母なのに、こんなに泣き悲しむのは、ひょっとして夕霧は紫の上のことが好きなんじゃないかと邪推する。
▼源氏は、もう、六条御息所の霊が怖くてたまらない。こんなにいつまでもつきまとわれると、彼女の娘の秋好中宮の世話をするのさえ嫌になり、男女の仲そのものにも嫌気がさしてくる。
▼そうか、思い出してみれば、紫の上と自分のたった二人の睦言のなかで、確かに、六条御息所のことをちょっとだけ批判めいて話したことがある。そんなことまで彼女の霊は聞いていたのかと思うと、ほんとうに、厄介なことだなあと思うのだった。
▼いろいろな女性といろいろな関係を持ったがゆえの当然の報いだ、と、ぼくみたいな朴念仁は思うけれど、あえて源氏の身になってみれば(いや、「あえて」というまでもない。男というものは、実際の行動はともかくも、何らかの「源氏的なるもの」を心の中に持っている。世の中の男は言ってみれば、プチ源氏、プチ柏木、プチ夕霧みたいなものだ、と言えるかもしれない。日本の場合はスケールが小さいから、プチだけど、欧米なんかにいけば、プチどころか、グランクラスの源氏とか柏木とかがいっぱいいそうではないか。行ったことないからよく知らないけど。)、そういう感慨があるのもまた当然だろうなあと思う。あ〜あ、男と女ってのは、めんどくさいもんだなあというため息である。思えば人間は何千年にもわたって、このため息をついてきたのである。
▼紫の上は、病床で、しきりに出家を願うのだが、源氏は、簡単な「五戒」(在家の信者に授ける五つの戒律。これを受けても正式の出家とはならない。)というものを受けさせるにとどまり、どうしても出家を許さない。これは、桐壺更衣が、病の床で実家に帰りたいと訴えるのを、離れるのが嫌さに、桐壺帝がなかなか許せなかったことを思い出させる。
▼6月に入って、紫の上は、小康を保っているが、源氏は、その側を離れず、女三の宮のいる六条院には出かけられない日が続く。
▼やがて、女三の宮は、体の不調は懐妊によるのだと知る。つわりがひどく、食事もろくにとれない。
▼一方、柏木は、あの夢のような一夜が忘れられず、あんなに反省したのに、どうしても会いたくて、幾度となく女三の宮のところへ赴くのだが、女三の宮は、柏木を好きになどなれない。幼い頃から、源氏のもとも嫁いで、源氏ばかり見てきたものだから、柏木なんかぜんぜん美しくもなく、身の程知らずの深いな男としか思えないのだ。それでも柏木を拒絶できない。この辺りが、「柏木の恋」が美しく見えず、どこか「濁っている」ように感じられる原因かもしれない。相思相愛なら、どんな逆境だって、どんなに道にはずれていたって、それなりの「美しさ」はあるはずだ。近松の心中物などには、そうした「美しさ」がある。
▼源氏は、紫の上の病状が、比較的安定しているので、久しぶりに女三の宮のところに行くことになる。何もこんなときに行かなくてもいいじゃないかと思うのだが、朱雀院の手前ということがあるのだ。源氏も苦しい立場なのである。
▼それじゃ、六条院へ女三の宮の見舞いに行ってくるからねと、紫の上とつかの間の別れをする場面は、美しい情景描写と、死を意識した紫の上のしみじみとした感慨が歌に託され、いい場面である。
▼女三の宮は「御心の鬼」(良心の呵責)のために、源氏の顔をみることもできない。源氏は、あまりに来なかったから怒っているのかと思って何かと機嫌をとっていたが、ふと、女房から、実はご懐妊なのですと源氏は聞かされる。
▼源氏は、それを聞いて、「あやしくほど経てめづらしき御ことにも」(どうしたのだろう。今頃になってそのようなことがおありとは。)と言う。女三の宮が降嫁して、すでに6年経っているので、今頃に妊娠? って不思議に思ったということだ。
▼けれども源氏はその懐妊が、柏木によるものだとは、まだ知らない。
▼やっとのことで六条院に来たのだから、すぐに帰る気にならず、源氏はそのまま2、3日泊まるのだが、それでも紫の上のことが心配だから、ひっきりなしに手紙を書いている。それを見て、事情を知らない女房たちは、まったく、どこからあんなにたくさんの言葉が出てくるのだろう。やっぱり、源氏の心はあちらにあって、こちらの姫様はどうなるのかしらと陰口をたたいているが、事情を知っている小侍従は、もう、気が気でない。

 

★『源氏物語』を読む〈180〉2017.8.29
今日は、第35巻「若菜 下」(その12)

▼話は少しもどるが、女三の宮の具合が悪いというので、源氏が紫の上に、ちょっと行ってくるからねと言って出かけるときの描写がいいと言ったが、そこを引用しておきたい。急ぐ旅でもなし、しばしお付き合いのほどを。
▼「女君は、暑くむつかしとて、御髪すまして、すこしさはやかにもてなしためへり。臥しながらうちやりたまへりしかば、とみにも乾かねど、つゆばかりうちふくみ、まよふ筋もなくて、いときよらにゆらゆらとして、青みおとろへたまへるしも、色は真青(まさお)に白くうつくしげに、透きたるやうに見える御肌つきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫の殻などのやうに、まだいとただよはしげにおはす。」(対の女君〈紫の上〉は、暑くうっとうしいからと、御髪をお洗いになり、多少すがすがしそうにしていらっしゃる。横になったまま御髪をうち広げておいでになると、そうすぐには乾かないけれど、いささかも癖をふくんだり乱れたりする毛筋もなく、まことに気高くゆらゆらとして、お顔の色の、青ざめておやつれになっていらっしゃるのが、かえって青みがかった白さにかわいらしく感じられ、透きとおるように見える御肌の感じなどは、世にまたとないくらいの可憐なご様子である。もぬけた虫の殻かなんぞのように、まだじつに頼りない感じでいらっしゃる。)
▼「らうたげなり」という言葉は頻繁に出てくる言葉で、この訳(全集本)では、「かわいらしく感じられ」としているけれど、「集成本」では、「痛々しい美しさに見える」と訳している。これは断然「集成本」のほうがいい。この言葉の元になっているのは「らうたし」だが、その意味は「日本国語大辞典」によれば以下の通りだ。
▼(1)(「労(ろう)いたし」の変化した語)こちらが何かと世話をしていたわってやりたい気持にかられる。また、そういう気持にさせるようなありさまである。可憐でいとおしい。姿やしぐさやたたずまいなどが、弱々しくいじらしい。(2)和歌・連歌などで、心深く、艷で美しい。(3)(「ろう」を「ろうたける」の「臈」と意識してできた語か)洗練された美しさがある。上品ですきとおるように美しい。
▼ここでは、(1)の意味だろうが、(2)(3)の意味も入れてもいいかもしれない。少なくとも、今の「カワイイ」ではないのだ。とてもいい言葉だけど、残念ながら、今は滅びてしまった。これに代わる現代語もない。
▼「美」を表現する言葉は、現代は、本当に貧しい。それに比べて、平安時代は、ほんとうにあふれるばかりに豊かだ。
▼紫の上の直接の描写はあまりないので、印象的である。特に洗ったばかりの髪の毛の描写は珍しい。髪が「ゆらゆらとして」という表現は、はじめて源氏が幼い若紫を見たときにも、出てきていた。その時は、「おかっぱ」だったけれど。
▼肌の色が透き通るようで、まるで、虫の抜け殻のようだ、というのも、なんともいえない表現。この虫は、やっぱり?だろう。小康状態にあるとはいえ、既に、紫の上の魂は、体を抜け出ているのかもしれないと思わせる秀逸な描写だ。
▼さて、話を戻すと、源氏が女三の宮の部屋に来た場面だった。
▼柏木は、源氏が女三の宮の部屋を訪れていると聞きつけると、まったく身の程知らずにも嫉妬心を起こして苛立ち、女三の宮に手紙を書いて、それを小侍従に託す。柏木の「反省」はいったいどこにあるのだろう。それをまたよせばいいのに、小侍従は源氏がほんのちょっと部屋を離れた隙に、女三の宮に渡す。その手紙を見た女三の宮は、メンドクサイわ、私は気分が悪いんだから、見たくないわよと言うのだが、小侍従は、でも、ほら、こんなことが書いてありますよ、かわいそうじゃありませんか、などと言って見せているところへ、源氏が戻ってくる。
▼あ、やばい!って思った小侍従は、几帳を引き寄せて、源氏の目に手紙が入らないようにして引き下がる。残された女三の宮はもうどぎまぎしてしまって、慌ててその手紙を隠そうとするが、どこに隠したらいいのか分からない。しょうがないので、自分が座っている座布団(茵〈しとね〉)の下に「さしはさみつ」(さしはさんだ)。
▼座布団の下に隠した、ではなくて、さしはさんだ、というところが大事。まあ、こうした時、どこへ隠したらいいのかは、確かに的確に判断はできない。それでも、部屋には何があったか知らないが、なんらかの家具めいたものがあったはずだ。せっかく、小侍従が几帳を寄せて源氏の目隠しにしたのだから、隠し場所ぐらい探せたはずだ。それなのに、座布団の下なんて。しかも、「さしはさんだ」なんて。
▼入ってきた源氏は幸いなことにそれに気づかなかった。しばらくして、源氏は紫の上のいる二条院へ戻ろうとするが、女三の宮があんまりにも沈んでいるので、かわいそうでなかなか立ち去ることができずにいるうちに、その部屋でうたた寝をしてしまう。やがて目覚めて、歌など詠み交わしているうちに、まあ、今晩は、ここに泊まることにしようかということで、その晩、女三の宮のもとに泊まったのだった。
▼それが、いけなかった。

 

★『源氏物語』を読む〈181〉2017.8.30
今日は、第35巻「若菜 下」(その13)

▼源氏が、それじゃ今夜はここへ泊まるとしようと言って、女三の宮のところに泊まった翌朝のこと。
▼原文を引く。「まだ朝涼みのほどにわたりたまはむとて、とく起きたまふ。「昨夜(よべ)のかほりを落して、これは風ぬるくこそありけれ。」とて、御扇置きたまひて、昨日うたたねしたまへりし御座(おまし)のあたりを、立ちとまりて見たまふに、御茵(しとね)のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の押し巻きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶(えん)に、ことさらめきたる書きざまなり。二重にこまごまと書きたるを見たまふに、まぎるねきかたなく、その人の手なりけりと見たまひつ。」(まだ朝の涼しいうちにお出かけになろうと、早くお起きになる。「昨夜の扇をどこかに置き忘れて。これでは風がなま暖かい」と言って、今お持ちになっている檜扇をお置きになり、昨日うたた寝をなさった御座のあたりを、立ちどまって捜していらっしゃると、宮のお褥〈座布団〉の少し乱れている縁のところから浅緑色の薄様の紙に書いた手紙の巻いてある端が見えるのを、何気なく引き出してごらんになると、それは男の筆跡である。紙にたきしめた香もまことにほのぼのと心をそそるような風情で、ことあらたまった書きぶりである。二枚の紙にこまごまと書いてあるのをごらんになると、紛れもなくあの人〈柏木〉の筆跡ではないかとお分りになった。)
▼という次第である。柏木の手紙が、源氏に見つかってしまうという「大事件」だ。
▼この手紙が見つかってしまうシーンは、大学時代に読んだときも、はっきりと印象に残ったつもりでいたが、今回読んでみると、実に鮮明にくっきりと描いてあることに驚嘆した。ぼくの記憶では、源氏が女三の宮の部屋に来ると、いろいろなものが雑然と取り散らかしてある部屋の床に、手紙が落ちていて、それを源氏が拾ったのだとばかり思っていたが、ぜんぜん違う。
▼いくら女三の宮がだらしがないといっても、そんなことではないのだ。座布団の下に、チラリと手紙の端っこが見えて、それを、源氏がおや? って思って、引っ張り出して見たのだった。
▼源氏が「おや?」って思ったのは、その手紙が、「浅緑色の薄様の紙」に書かれていたからだ。つまり、緑色の薄い紙は、恋文を書くときに使ったものだったのだ。そんなものがどうしてここに? という源氏の思いは当然だったわけだ。
▼見ると、明らかに「男の手」だ。「手」というのはもちろん「筆跡」のこと。「男手」というと、漢字を指すことが多いが、恋文を漢文でかくはずはないから、ここはたぶん平仮名で書いてあるのだが、筆跡から男だとわかるらしい。どうして? って思うけど、そういうものなのだろう。しかも、読み進めていくうちに、それが柏木の筆跡だと分かる。内容からも、柏木だとすぐ分かったのだろうが、その筆跡からも柏木だと分かるというところがまた面白い。
▼それにしても、柏木もアサハカではないか。源氏が女三の宮のところへ行ったと聞いて、それで手紙を書いたわけだから、バレないように、せめて恋文に使う緑色の紙なんか使わないで、普段使いの「陸奥紙」でも使えばいいじゃないかって思うのだが、そういうわけにもいかないのだろうか。
▼梓みちよの「メランコリー」に、「緑のインクで手紙を書けば」という歌詞があったけど、あれは、「別れ」を意味していた。色で気持ちを表すというのは、手紙ならではのことだが、そんな「伝統」がこんな昔からつい最近まで生きていたということも面白い。
▼源氏が手紙を手にして読んでいるのを見て、小侍従は、それが「緑色」だと知ると、もう胸が「つぶつぶと鳴るここち」して、え、でも、まさか、あの手紙なんてことあるはずがない、私はカーテン引いて源氏の目をさえぎったのだ、その間に女三の宮は隠したに違いないと思うのだが、肝心の女三の宮は、まだ寝てる。
▼源氏が帰って行ってしまった後、小侍従は女三の宮の側に寄って、昨日のお手紙はちゃんと隠したんでしょうね、さっき、源氏が見ていた手紙の色が、昨日のと同じでしたよ、って言うと、女三の宮は、びっくり仰天して泣くばかり。もうっ! 何なのよ、しょうがないわねえ、ちゃんと隠さなきゃダメじゃないですか、他の女房たちにさえ隠していたのに! あの方が、お部屋に入ってくるまで、ちょっとは時間があったでしょうに! って言うと、女三の宮は、だって、私が手紙を読んでいたときに入っていらっしゃったから、どこにも隠せずに、座布団の下にはさんだんだけど、そのまま忘れちゃって、なんて言うもんだから、小侍従は、あきれ果て、手紙を探すが、どこにない。源氏が持ち去ったらしい。
▼小侍従は、もうキレてしまって、だいたいあのとき、柏木さんにお姿を見られてしまったのが悪いんです、みたいなことまで持ち出して、女三の宮をなじり続ける。小侍従は、女三の宮と友だちみたいなものだから、もう遠慮もなにもあったもんじゃなくて、ズケズケ言うのである。
▼しかし、柏木に見られてとき、あんたはどこにいたの? あんただって、側にいたのに、若い男たちに夢中になってたんじゃないの? それに、柏木を手引きして、こんな事態を招いた張本人は、あなたじゃないの、って言いたいよね。
▼まあ、いずれにしても、久しぶりのドタバタで、愉快だ。事態は「愉快」なんてもんじゃなくて、深刻なんだけど。
▼この「手紙露見」事件の場面で、こんなに小侍従が「活躍」していたことも記憶になかった。やっぱり、再読はするものだ。
▼手紙を持ち帰った源氏は、その手紙の精査にはいる。

 

★『源氏物語』を読む〈182〉2017.8.31
今日は、第35巻「若菜 下」(その14)

▼「大殿は、この文のなほあやしくおぼさるれば、人見ぬかたにて、うち返しつつ見たまふ。」(大殿〈源氏〉は、この手紙がやはり不審に思われるので、人目にふれないところで、繰り返し繰り返し御覧になる。)
▼この手紙は柏木のだと直感した源氏だったが、やっぱりどうにも腑に落ちない。それで、「人目につかないところ」で、繰り返し見る。「うち返しつつ」の「つつ」に注意。今の用法では、「ながら」という意味だが、昔は、それ以外に、「何度も…する」の意味がある。ここは、その意味だ。
▼源氏には、これが柏木の手紙だとにわかには信じられないのだ。ひょっとして女三の宮のおつきの女房が、柏木の筆跡をまねてふざけて書いたのだろうかとまで考える。しかし、ずっと前からお慕いしていましたが、念願叶ったけれど、それがたまにかえって不安でたまらない、なんてことが、はっきり書かれているので、やっぱり柏木本人の手紙だと考えるしかない。
▼しかしなあ、と源氏は考える。こんなにはっきりと書いていいものだろうか。オレもいろいろ危ない橋をわたってきて、恋文もたくさん書いてきたけど、どこで誰かの目にふれないとも限らないから、できる限りはっきりしたことは書かないようにしてきたものだ、まったく、柏木というヤツは、用心に欠けるどうしようもない男だなあ、と軽蔑の気持ちが湧いてくるのだった。
▼一方で源氏は、女三の宮のことを考える。そうか、あのご懐妊も、こういうことの結果だったのか、と思うと、こんなことを直接に知ってしまった今、これまでどおりに妻としてお世話しなければならないものだろうか、と、許せない気持ちになる。
▼源氏は何も好き好んでこの晩年に若い女三の宮を妻に迎えたわけではない。兄の懇願を断りきれなかったからだ。できることなら、紫の上とともに安寧のうちに晩年を過ごしたかったのだ。もちろん、源氏にもスキがあった。若い女三の宮に多少でも心引かれる「好き心」はあった。けれども、紫の上が病に倒れてからは、ずっと側にいたかったのに、兄の手前もあるから、無理して通っていたのだ。
▼それなのに、こんな用心のかけらもない若造と過ちを犯すなんてことがあっていいものだろうか。
▼帝に仕える女御・更衣といった方々だって、いろいろで、その宮廷の生活の中では、そんな人たちが過ちを犯すことも多々ある。それはそれで仕方のないことだが、それでも、そうした色恋沙汰をなるべく表に出ないように用心することで、なんとかなっているという面もあるのだ、と源氏は考え続ける。
▼「恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。」(誰しも心を狂わす恋の山路は、非難することもできないだろうという気持ちもなさる。)というのが、源氏の思いなのだが、それでも、そうした「恋の山路」では、最低限の「作法」としての「用心」が要求されるのだ。恋の山路に狂うのは、人間の性(さが)として仕方がないにしても、それなら、せめて「隠せ」。それが人の道だ、ということだろう。女三の宮も柏木も、その「作法」を守れない。守る気もない。
▼女三の宮も、自分の立場をわきまえていない。自分が、親の肝いりで源氏のもとに降嫁したことで、どれだけ紫の上を傷つけたかが分かっていない。源氏がどれほどの犠牲をはらって自分の世話をしてくれているかに考え及ばない。柏木が、強引に関係を迫ってきても、それをはねのける気持ちの強さがない。ただただ、泣いているだけの幼さだ。しかも、絶対に見られてはならない手紙を無造作に座布団の下にちょこっと隠し、それを忘れてしまう。
▼晩年の源氏には、柏木や女三の宮といった若者の気持ちが分からないのだろう。なんだか、どこか底が抜けてしまっている。自分の思いのままに行動しているだけで、「畏れ」がない。源氏にしても、若いときは遊び惚けていたわけだが、そういう源氏でも、「今どきの若いヤツは!」って感慨に浸らざるを得ないのだ。
▼それは、源氏の身勝手というよりも、やはり時代がどんどん悪くなっていくという背景があるような気がする。源氏物語のいろいろな場面に出てくる「末の世(末世)」という概念は、こうした源氏の感慨にも色濃く影を落としているようだ。そして不思議なことに、それは、現代においても、また色濃く感じられる感慨である。「末世」は、ずっと続いているのかもしれない。
▼源氏の思いはやがて自分自身がかつて犯した重大な罪に及ぶ。オレは、親父にあのことを秘密にし続け、親父はそれを知らずに死んだと思ってきたが、ひょっとして親父はみんな知っていて、それでもなお、知らぬふりをしていたのではなかったか、と思うのである。ほんとうにそうだったのかは分からない。けれども、源氏がそこに思い至った意味は大きい。
▼「絶対に隠さねばならない」という強い意志のもと、藤壺中宮は、二度と源氏を寄せ付けようとはせず、それでも若い源氏が会いたいと言ってくるので、尼になってしまう。そうすることで源氏と縁を切り、秘密を守り、我が子を守った。その藤壺中宮と、女三の宮のなんという違い。やがて源氏は「罪の子」を我が腕に抱くだろう。源氏の上には濃い夕闇がおりてきている。

 

★『源氏物語』を読む〈183〉2017.9.1
今日は、第35巻「若菜 下」(その15)

▼源氏は「つれなしづくりたまへど」(さりげなくしていらしゃるけれど)、その様子を見て、紫の上は、源氏が女三の宮の病気を心配して悩んでいるのだろうと察し、私はもう大丈夫だから、あちらに行ってあげてくださいと言う。あの方は、なんとも思わなかったとしても、きっと周りの女房たちがああだこうだとあなたのことを非難しているだろうから、それがおいたわしい、と言うのである。
▼ああ、この人は、こんなふうに人の身の上を忖度することができるのに、女三の宮ときたならなあと思いつつ、あなたと一緒に六条院(この時、女三の宮は六条院に、紫の上は二条院にいるのである)に戻ったら、その時にでも行くからいいさ、と慰める。紫の上は、そんなこと言ってないで、先においでになってください。私ももう少しここでゆっくりしてから、後で伺いますから、などと言っているうちに日が過ぎていく。
▼こんなふうに重病の床にありながら、なお源氏のことを気にかけ、さらには女三の宮のことまで気にかけずにいられない紫の上という人には感心せざるをえない。紫の上にとって女三の宮は、憎い敵以外の何者でもないのに、それでも、「男から捨てられる女」には、共感してしまうのだ。すべての女性がそういうものであるということではないだろう。それは紫の上という人の美質なのだろう。
▼その点では、源氏にもちょっと似たところがある。柏木の手紙を何度も読んでいるとき、切ない思いを語る文章に源氏は「見どころあり」と感じるのだ。自分の妻に来たラブレターの中心部分を読んで、「ここはなかなか読ませるなあ、心にしみてくる」なんて感じる男なんて今ではまずいないだろうが、源氏は、そう感じるのだ。
▼そうしたところというのは、紫の上にしても源氏にしても、「人間の真実」(それが人倫にもとるものであろうと、世間の非難の的となることだろうと)への一種の「畏敬の念」があるのかもしれない。江戸時代の儒学者なら、それを不道徳だといって非難もしようが、そうじゃない、それが「人間的真実」なのだ、それが「あはれ」を感じさせるのだと、本居宣長は考えたのではなかろうか。
▼女三の宮は、源氏が来ないことも、今までみたいに愛情が薄いからだと恨むのではなくて、ただただ柏木とのことが原因だと思うと、世間にも源氏にも顔向けできない気持ちでいっぱいだ。
▼柏木は、小侍従から、手紙が源氏に見られてしまったことを知る。それまでも、まるで「空に目つきたるやうにおぼえし」(空に目がついて自分を監視しているように恐ろしく思っていた)のに、あの手紙を「見られた」なんて、もう、「はずかしく、かたじけなく、かたはらいたきままに」(申し訳なく、畏れ多く、居たたまれない思いなので)と、三つも形容詞を連ねて語られている。最後の「かたはらいたし」は、今の時代劇なんかで出てくる「かたはらいたい」(笑止千万だ)とはまったく違って、「傍ら痛し」(そばにいてハラハラするほどだ。みっともない。側の人がどう見るか考えるときまりが悪い。)という意味。今の「笑止千万」は、「傍ら」を「片腹」だと思ったところから出た意味。昔の「誤用」だろう。
▼更にその後に、「朝夕涼みもなきころなれど、身もしむるここちして」(朝涼みも夕涼みもないといった夏の酷暑の頃だが、体も冷え込む思いがして」ただただ恐ろしく思っている。この身体感覚は、柏木の病の前兆だろう。完全にストレス性疾患である。
▼柏木は、源氏を尊敬し、また源氏からも特別可愛がられてきた。だって、源氏の親友の息子なのだし、息子の夕霧の親友でもあるのだ。それなのに、その大切な源氏を裏切るようなとんでもないことをしでかしてしまったことに、身も凍るような空恐ろしさを感じるのである。不安でたまらず、身の破滅も予感されて、もう、二度と源氏の前に出られない気持ちだが、そうかといって、無沙汰を重ねるのも、世間の手前どうかと思うし、源氏もまた、やっぱりそうかと確信を深めることになるだろう、そう思って、悶々としている。
▼そういう柏木は、こんなことになったのも、女三の宮にタシナミがなかったからだと言わんばかりに、心の中で女三の宮の欠点をあげつらう。それも、女三の宮への思いを無理して冷まそうという思いからなのだろうかと、「草子地」は弁護する。
▼そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。しかし、「草子地」がいうように、女三の宮への思いを断ち切るために、あえて欠点を探すというよりは、「自分可愛さ」なのではなかろうか。ぼくが悪いんじゃない、彼女が悪いんだ。彼女が皇女らしい毅然とした態度でぼくをはねつければ、ぼくはこんなことにはならなかったんだ、ってことなんじゃなかろうか。柏木も幼いわけである。
▼源氏は、改めて、女三の宮の幼さを思う。しかし、この子はダメだと見限っても、彼女への恋しさはまだ残る。残るけれども、もう、愛せない。見た目だけは仲のよい夫婦のように取り繕うが、完全に心は隔たってしまっている。
▼女三の宮があまりにもしっかりしたところがないので、同じ高貴な身分の我が娘、明石女御のことまで心配になってくる。あの子に、柏木みたいなヤツが言い寄ったら、果たしてきっぱりと拒絶できるだろうか、理性を失って、自制心もなくし、とんでも過ちを犯すことはないだろうか、と源氏の心配はさらに広がる。
▼それというのも、自分の心をよく知っている源氏は、男というものがどういうものかを、身にしみてよく知っているからである。

 

★『源氏物語』を読む〈184〉2017.9.2
今日は、第35巻「若菜 下」(その16)

▼それにしても、玉鬘はエラかったと源氏は思うのだ。
▼あんなところに生まれ育ったというのに、オレが親代わりとなって面倒を見ている間にも、ずいぶんオレはケシカラヌ了見を起こして言い寄ったりしたものだが、それをかどをたてないようにさりげなく受け流して、決していいなりにはならなかった。髭黒のヤツが、悪い女房に手引きさせて無理やり妻にしてしまったときも、自分が悪かったのだと評判が立たないように実に見事に身を処した。ほんとに、たいした女性だと感心するのである。
▼この玉鬘を褒めるときに出てくるのが「かどかどし(角角し)」という言葉。今までも何度も出てきているが、日本国語大辞典によれば、「(1)物がかどだっている。かどが多い。かどばっている。(2)性格が円満でなくかどだっている。とげとげしい。(3)善悪をはっきりさせ、それに対する態度がきっぱりしている。(4)堂々としている。威厳がある。」という意味を持つ。今ではあまり使わないけど、(2)の意味では使うような気もする。しかし、源氏物語では、(3)の意味で使われることが多いようだ。
▼日本人は、あるいは特に日本人の女性は、どこかあいまいではっきりしないウジウジしてるといったイメージがあるようだが(もちろん現代女性はぜんぜん違うと思うけど)、この「かどかどし」が褒め言葉として使われてきたということは、何ごとも曖昧ではっきりしないのが美徳だというのが日本の伝統ではないということを示している。
▼男のいいなりにならざるを得なかったような当時の社会で、「かどかどしい」女性がちゃんといて、それが紫式部によってきちんと評価されていることは、なんか心強い、というのも変だけど、胸のすくような思いがする。
▼もう一方で、これとは趣の違った「おいらかなり」(人の態度、心、性格について、おだやかなさま、あっさりしてものにこだわらないさま)という言葉も、女性への褒め言葉として頻出する。
▼これを合わせると、穏やかで、あっさりしているけど、言うときゃ言う、ってのいうのが、最高の女性なのかもしれない。穏やかだけど、きっぱりしている、かあ。穏やかだと、はっきりしないし、きっぱりしてるとヒステリック、っていうのが相場かなあ。よく分からない。
▼そうこうしているうちに、あの朧月夜が出家してしまう。突然のこととて、源氏はショックを受ける。源氏にとって、この人は、何でも話せる大親友のような存在だったようだ。ああ、先を越された。それなら、お経をあげるときも、私のことを祈ってくださいよなんて歌を送ったりしたあとに、紫の上に、朧月夜からの返事を見せたりする。尼になったから、安心、というのでもないだろうけど、紫の上の反応は書かれていない。
▼この朧月夜との一件も、考えてみれば、朧月夜は朱雀院を裏切るようなマネをしたわけで、今回の女三の宮の件を経験した今となっては、アレはやっぱり彼女は軽率であったと源氏は思うのだ。そんなこと言っても、悪いのはアンタだろうってことだが、しかし、それはそれとして、女としては、アレはやっぱり「かどかどしく」拒絶すべきだったのだ、と源氏は思うのである。いや、「源氏は」というのではなく、たぶん、「紫式部は」ということなのだろう。紫式部は、源氏の言葉に乗せて、いろいろな物語論やら音楽論を語っているのだから、こういうところは、彼女の「女性論」として読んだほうがいいのだろう。
▼源氏は、いろいろな女性のことを思い出し、女というものは、なかなか親の思うようには育たないものだなあと思うのだが、ここも、紫式部の「女性論」だろう。自分には、女の子は明石女御だけで、あんまり女の子の教育に苦労しなかったのはよかったともいえるが、やはり苦労して育ってみたかったとも思うのだ。
▼どんなに苦労して育てても、結局は「宿世」とやらで、思い通りにはならないとしても、それでも、一人前になるまでは、親としてできる限りのことはすべきだと思う源氏。
▼人間も年を取ってくると、「教育」に興味を持つものらしく、功成り名を遂げた人が、晩年は学校を作ったりしてやけに教育熱心になったりするものだが、それは人間として当然の帰結なのだろうか。
▼ぼくなんかは、教育なんか論じるようになっちゃあオシマイよ、てな気分がどこかにあり、それは教師を生業としてきた身としては誠に不都合なことではあったが、今でも、どこかにそんな気分がある。「教育」は大事に決まっている。これがなければ文化の継承どころか、普通の生活すらもできない。けれども、「教育」というのは、どこかに「自分のことは棚にあげてのおせっかい」的なところがあるものだ。
▼自分のことは棚にあげて、ああしろこうしろと目下の者をいい気になって責め立てる。じゃあ、アンタはどうなんだなんてことは金輪際言わせないコザカシイ権力者。若い頃はさんざん遊んで馬鹿やっておきながら、もう遊べなくなると、今度は「教育」か、ふざけんじゃねえや、という気分。エラそうに人に「教えている」ヒマがあったら、自分が「勉強しろよ」といいたくなる気分。そんなやっかいな気分を抱えながら42年も教師を続けてきてしまった。「これでよかった」といえばいいのか、「反省している」といえばいいのか、分からない。
▼源氏は、今、何を思っているのだろうか。

 

★『源氏物語』を読む〈185〉2017.9.3
今日は、第35巻「若菜 下」(その17)

▼女三の宮の父親、朱雀院は出家して山に籠もっているが、どうも最近、娘のところに源氏があんまり来てないらしいと噂に聞いて、あれこれと心配して、手紙をおくる。もう俗世のことはきっぱり捨てたはずなのに、やはり子どものことは捨てきれないのである。
▼源氏は女三の宮のところにいたので、その手紙を読んで、兄朱雀院にこんなに心配をかけてほんとうに申し訳ないことだと思う。けれども口がさけても、今回の件については言えない。あなたも、お父さんを心配させるようなことは言ってはダメだよと、女三の宮にこんこんと説いてきかせる。もちろん、柏木とのことをはっきりいいはしないが、女三の宮にもそれくらいのことは分かる。
▼源氏はこんなふうに女三の宮に言う。「人の上にても、もどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ、身にかはることにこそ。いかにうたての翁ぞやと、むつかしくうるさき御心添ふらむ。」(他人のことでも、話に聞いてよくないことと思っていた年寄りのおせっかいというもの。しかし、今は私がするようになってしまいましたよ。何といやらしいジジイかと、うっとおしく邪魔なと思うお気持ちがつのることでしょう。)
▼泣いてばかりいる女三の宮にこんなことを言いながら、源氏も泣いている。
▼この源氏の言葉は、ぼくのような年齢になるととても身にしみる。源氏はこのとき45歳だが、すでに「晩年」なのである。源氏の死の年齢ははっきりせず、54〜60歳の間のようだが、53歳で出家しているのだから、短くみて、この後10年以内に死んでいるわけで、長くみつもっても15年。なんか、今のぼくに似ている。ぼくはもうすぐ68歳だから、あと生きても、せいぜい15年、というぐらいが実感で、それ以上のことはあまり考えられない。もちろん、人間の命なんてはかりしれないから、おまえのようなヤツは100まで生きると言われれば、それを否定する根拠もないけわけだけど。
▼まあ、そんなことはともかく、ぼくが「ジジイ」であることは、だれがなんといおうと厳然たる事実であって、そういうジジイからすると、この源氏の言葉は、あまりに的確なので、思わず拍手したくなるのだ。拍手するような内容じゃないけど、ぼくは、もう30年以上も前に、あ〜あ、年寄りってやだなあ、ああはなりたくないなあと、何度も何度も思ったものだ。
▼「古人のさかしら」──ああやって、いい気になって説教たれて、いったい何が面白いんだ。オレは絶対ああならないぞって、若いころは、思った。そして今「いかにうたての翁ぞやと、むつかしくうるさき御心添ふらむ。」とつくづく思うのだ。
▼だからもう生きていたくない、とか、アンチエイジングに励んでいつまでも若者のように元気でいたいとか思うわけではない。どっちみち、同じことだ。いつかは、あの世におさらばすることだけは、確実なことだ。不確実な世界で、これだけが、唯一確実なことだ。そして、ジジイは、どんなジジイであれ、「いかにうたての翁ぞや、むつかしくうるさき」者よと、思われずにはいられない存在なのである。
▼何もそこまで悲観しなくてもいいじゃないかと思うかもしれないけれど、ジジイに限らず、すべての高齢者は、そう感じているのである。どんなに元気で、自分だけは死なないなんて思っているように見える高齢者でも、実は頭の片隅でそう感じていて、ただ、それを表に出さないだけなのだ。
▼今日はやたら断定的に語っているが、明日になれば、いや、そうでもないかも、なんて言いかねない。まあ、愚痴だね。
▼そんな愚痴を言いながら、源氏は、女三の宮に、お父さんにお返事を書きなさいと勧める。源氏がみずから墨をすり、紙も用意するのだが女三の宮は、手がぶるぶる震えてしまってちゃんと書けない。(「御手もわななきて、え書きたまはず。」)
▼そんな女三の宮の姿を見るにつけ、ああ、あの細々と書いてあった柏木への手紙は、きっとスラスラ書いたんだろうなあと思って、彼女を憎らしく思うのだった。これもまたいやらしいジジイのヒガミであろう。

 

★『源氏物語』を読む〈186〉2017.9.4
今日は、第35巻「若菜 下」(その18・読了)

▼源氏主催による朱雀院五十の賀(50歳の御祝い)の宴会は、紫の上の病気や、女三の宮の懐妊やらで延期されてきたが、その年の暮れにどうしてもやろうということになり、その宴会のリハーサル(試楽)が、結構な規模で、六条院にて行われた。本番とは違うのだが、それでも、見に来る人々はきちんとした衣裳に身をつつみ、まさに本番さながらである。
▼多くの人が招かれたが、柏木は、もう源氏が怖くてならず、身体の具合も悪いから、出席しようとしない。源氏も、呼ばないのもみんながどう思うだろうか、しかし、呼んだら呼んだで、柏木に対して冷静でいられるだろうか、と迷いはするのだが、やはり、柏木以外には、音楽会の指導をできる人がいないから、何とかして出てくるようにと誘う。
▼柏木の父(致仕大臣)は、事情を知らないから、そんなにたいした病気でもないんだから、何とかしていかなきゃだめじゃないかとさとす。それで、やむなく柏木は六条院に参上したのだった。
▼まだ人が集まっていないうちに、源氏は、柏木を部屋に招きいれる。柏木は「いといたく痩せに痩せに青みて」(ひどく痩せてしまって顔色も青ざめて)いる。柏木は、源氏にどんなことを言われるかと、もう緊張の極みだけど、源氏は意外なことに優しい。
▼念願だった朱雀院五十の賀の宴会も、のびのびになってしまったけれど、何とか舞楽などをお目にかけることだけでもできそうだ。それには、どうしても君の力が必要だからお願いしたんだよ。」などといわれても、柏木はもう言葉も出ない。それでも何とか父親の言葉を伝えるのが精いっぱいだった。源氏は、そんな柏木の口上を褒め、まあ、音楽指導のほうはよろくし頼むよと、親しく言うのだった。
▼そして、リハーサルが始まる。源氏ゆかりの子供たちも見事に踊り、式部式部卿(紫の上の父)などは孫が踊っている姿を見て、もう涙にくれている。源氏もきっと涙ぐんでいたのだろう。その時だ。源氏はすっかり酔っぱらったふりをして、こんなことを言う。
▼「過ぐる齢(よはひ)に添へては、酔(ゑ)ひ泣きこそとどめがたきわざなれ。衛門の督(えもんのかみ=柏木のこと)心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老はえのがれぬわざなり。」(寄る年波には勝てないもので、酒を飲むと、泣けて仕方のないものです。柏木が目ざとく見つけてにやにやしておられるのは、なんとも気の引ける恥ずかしいことですよ。しかしまあ、それももうしばらくのことでしょう。逆さまには流れぬ年月というもの。誰しも老いからは逃れられないのです。)
▼おまえは、オレの「老醜」を見てニヤニヤしているが、なに、それも今のうちだけ。時が逆行するわけじゃなし、おまえだって、いずれ老いて死ぬのだ。
▼この冷酷きわまる源氏の言葉を聞いた柏木はその場で、急に気分が悪くなり、退席して、そのまま家にで病の床に伏してしまう。おそらく脳溢血の発作を起こしたのだろう。
▼源氏の一言で、柏木がどっと病の床に伏すという筋は、大学時代の読書で知っていたが、その言葉が、これほど短かかったとう記憶はなかった。そして、これほど冷酷だということも記憶になかった。もっと、グチグチとネチネチと責め立てたのだと思っていた。
▼それというのも、もう数十年も前に、この場面をテレビドラマで見たことがあるからだ。柏木を演じたのが誰だったかは忘れたが、源氏は沢田研二だった。このときのジュリーの演技は秀逸で、それがどこかにこびりついていたのだろう。セリフも覚えていないが、これだけのセリフではドラマにはならないだろうから、もっと長かったのではなかろうか。
▼この源氏の言葉は、源氏自身の「老醜意識」が大前提となっている。オレはもう、ジジイなのだ、醜いジジイなのだ。かつては、女という女はみんなオレに憧れたというのに、今じゃ、ちょっとしたことでも泣いてしまう、情けない哀れなジジイになってしまった。柏木は若くて魅力的だが、まだ、ただの若造にすぎない。そいつにオレは馬鹿にされているのだ、許せない。
▼そういう気持ちが源氏を突き動かしている。女三の宮を寝取られたという悔しさ、恥ずかしさもあるだろうが、それ以上に源氏を逆上させているのは、源氏の意識の中にあるこの「老い」である。それは老人の若者に対する嫉妬である。それが、源氏にこの言葉を吐かせた。
▼おまえだった、いつかは老いて死ぬのだ、ということは、事実そのものだ。けれども、若さの絶頂にあって、命を燃やしている最中の人間に言う言葉ではない。それを言いたくなるのは、自らの「老い」と間近に迫った「死」を自覚し、そこに絶望しているからだろう。
▼柏木はこの源氏の一言で死んだといってもいい。源氏は冷酷だ。残酷だ。
▼しかし、自分の女房を、自分の息子ほどの年の男に寝取られて、その若い男に対して「若いっていいね」なんて言えっこない。じゃ、なんていえばいいのだ。ふざけるなこのヤロウ! って往復ビンタを食らわせればいいのか。それができるのは、まだ若い証拠だろう。わが身の老いを深く自覚している男は、黙って身を引くか、こんな皮肉で一矢報いるしかないではないか。
▼こんなジジイのイタチの最後っ屁みたいな皮肉を、そうだとも、いずれに死ぬにしても、今はオレの方が若いんだ、その若さのどこが悪い、今はオレの時代だ、さっさと引っ込め! って言ってぶっ飛ばすぐらいの精神力が、本当は大事なのかもしれない。
▼柏木は、妻の女二の宮と涙の別れをして、ともに住んでいた邸を出て、親の邸に引き取られていく。その姿はほんとうに哀れである。
▼朱雀院の五十の賀は、そんなゴタゴタの中でも、暮れの二十五日に無事とり行われ、そうして、長かった「若菜」の巻は終わる。



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