「源氏物語」を読む

 

No.32 梅枝 〜 No.33 藤裏葉

 

 


【32 梅枝】

 

★『源氏物語』を読む〈145〉2017.7.18
今日は、第32巻「梅枝(うめがえ)」(その1)

▼玉鬘をめぐる一連の騒動がおわり、物語は、源氏の娘、明石の姫君の裳着(女子の成人式)の話となる。姫君11歳。
▼源氏には、公にできる子どもは、この明石の姫君と、夕霧しかいないので、特にこの姫君の成人式には精魂込める。大事な後見役の「腰結」は、養女の秋好中宮に頼むのだが、中宮が「腰結」をやるというのは異例のことだから、いやあ、娘はブスでして、あまり人に見せるのもなんなので、ごく親しい中宮に頼んだというわけですよと、言い訳をする。もちろん、姫君はブスじゃない。源氏もいろいろ気をつかわなければならないので大変だ。
▼正月の末というのは、宮中での行事も一段落してヒマらしく、裳着の前に、源氏は、「薫物合わせ」を企画する。当時の「香」については、たびたび言及してきたが、この巻ではそれがかなり詳しく語られていて興味深い。
▼今でも「香道」はさかんなようだが、ぼくはそういう方面にはくらいからよく分からないのだが、とにかく、香は、香木をそのまま香炉に入れるのではなくて、いったん香木を叩いてひいて粉にして、それに蜜やあまづら(つる草の一種からとった甘味料。)を混ぜて練り、丸薬状にしたものを焚くのだそうである。その時に、さまざまな香木などを調合することによって、無限ともいえる「香り」が出来上がる。その「香り」を競うのが「薫物合わせ」というわけである。
▼源氏はこういうことにも熱中するタチで、語り手は、「ひとの親でもあろうという方なのに、ほんとに負けず嫌いなんだからねえ。」と言っている。
▼六条院のそれぞれの女たちが、競って、調合に励み(といっても実際に香木を粉にしたりする作業は家来たちがやるわけだが)、その音が邸のあちこりから聞こえてくる、という描写もあって、なんとものどかである。
▼源氏はみずから、調合に熱中しながら、こんなことを呟く。「錦綾なども、なほ古き物こそなつかしううこまやかにはありけれ。」(錦や綾などでも、やはり昔のもののほうが好ましいし、上質にできているのだね。)
▼「昔のものの方が質がよかった。」という言葉は今でも使う。書道や水墨画をやっていると、中国産の紙をよく使うのだが、中国人の先生は、昔の紙はよかったよ、今はダメになっちゃったと、よく言う。ここに出てくる「錦(数種の染糸で模様を織りだした厚手の絹)」も「綾(斜めの織り筋のある絹)」も、みな中国から渡ってきたものだが、そうしたものも、「昔のもの」のほうがよかったというのだ。1000年も前の人が、「昔のものの方がよかった」というのなら、いったい「今のもの」はどれだけ質が落ちていることだろう、なんて思ってしまう。
▼源氏の従姉妹であり、ずっと前から源氏が言い寄っても絶対なびかない「朝顔の君」は、それでも、何かにつけて文通している仲であって、今回も、花の終わりかかった梅の枝に歌をつけて、ステキな香をおくってくる。その手紙を、源氏はそばにいた螢宮(源氏の弟)に読まれないように隠すと、螢宮は、おやおや、何が書いてあるのかなあ、知りたいなあなんて冷やかす。いやあ、そういうことじゃなくてさ、薫物合わせで、頼んだことがあったからさと、源氏は照れるが、贈り物はあくまでも上品ですばらしい。螢宮は、手紙の歌を目にして、その歌を、わざと大げさに吟じたりする。まるで小学生だ。
▼六条院の女君たちの、「競技」への姿勢も個性があっておもしろい。紫の上の香は「梅花」など3種使って完璧。文句なく素晴らしいのだが、花散里は、どうせアタシなんかがいくら頑張ったって目立つわけじゃないから何種類も使うことはないわってんで、1種類だけにする。ところが、シンプルなせいか、かえって趣が深く、胸にしみ入るような香りがする。人柄だね。そこへいくと明石の上は、娘の裳着も控えていることだし、負けてなるものかと気合いを入れて秘法を駆使して調合するので、天下一品の香ができあがる。
▼判定役を押しつけられた螢宮は、困ってしまって「いずれも無徳ならず定めたまふ」(どれもこれも何かとりえのあるように判定なさる)ので、源氏が「八方美人のいい加減な判者だなあ」と冷やかしたりしているうちに、月も出て、宴会に突入。こんなしっとりした描写がある。
▼「月さし出でぬれば、大御酒(おおみき)など参りて、昔の物語などしたまふ。霞める月の影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香りなつかしきに、御殿(おとど)あたりいひ知らず匂ひ満ちて、人の御ここちいと艶(えん)なり。」(月がのぼってきたので、お酒などを召し上がって、昔のことを話したりなさる。おぼろ月の光も奥深く感じられ、雨の後の風が少し吹いて、紅梅の花の香りに心をそそられるうえに、御殿のあたりは香の香りが一面に漂っていて、人々はうっとりとして夢見心地である。)
▼「薫物」は、湿気が多いときによく匂うので、「薫物合わせ」は雨の降っている夕暮れに行われたのだ。その雨もいつのまにかあがり、しっとりとした空気の中に、おぼろに霞んだ月が出てくる。酒が出る。梅の香りがただように庭に、それぞれの御殿から趣向を凝らした「香」の匂いが漂ってくる。酔いがまわる。こちらまで、夢見心地になってしまう。
▼ここに出てくる「艶なり」という言葉は、重要語。今では「艶(つや)っぽい」ほどの意味でしか使われず、使われること自体少なくなっているが、平安朝では、頻出する。意味も広がりがあって、すばらしい言葉だ。「日本国語大辞典」の説明を紹介しておく。
▼【自然や人事についての感覚的、官能的な美を表わす。】
(1)はなやかな趣向美。華麗美。
 (イ)自然や事物の、つややかな美しさ。
 (ロ)人の性情、ふるまいのあでやかさ。色めかしさ。
(2)((1)の美にみやびな風情が加わって)自然、事物、人事の優美、優雅なさま。やさしく上品な美しさ。
(3)((2)の美にさらに深みが加わって)
 (イ)自然の情景や、自然を背景としての人事の、ほのぼのとした趣深い美しさ。
 (ロ)人の気配、様子、態度がひかえめで深みのあるさま。意を含み、思わせぶりなさま。
(4)歌や詩で用いる語。
 (イ)表現・内容ともに美しくはなやかなことを讚えた。
 (ロ)あだっぽい美しさ、色めかしさ、浮薄の美を表わした。
 (ハ)中世以降の歌論、連歌論、俳論などでは、みやびやかな美しさ、優美、妖艷美を表わし、美的理念の一つとされた。
【語誌】
類義語「うるはし」の、きちんと整っている、あるいは礼儀正しいという意味を帯びた華麗性に対し、きらびやかさに、親しみやすい王朝風風情、風流な趣向美を加えたのが「えん」で、和文脈中にも用いられた。俊成・定家は、それに注目し、中世以降の、歌論・連歌論・俳論では美的理念の一つとされた。

★『源氏物語』を読む〈146〉2017.7.19
今日は、第32巻「梅枝(うめがえ)」(その2・読了)

▼明石の姫君の裳着も終わり(姫君11歳)、そして春宮の元服も終わり(春宮13歳)いよいよ姫君の入内が近づくと、源氏は嫁入り道具の準備に忙しい。その中でも、「草子」をたくさんそろえる。「草子」というのは、「冊子」形式の本のことで、そこに絵や歌や文章が書いてあっても、なにも書いてない白紙でも、とにかく綴じた本が「草子」である。これに対して、綴じてないのが「巻物」。
▼源氏が集めたのは、書の草子で、昔のものもあれば、新たに書の名手とよばれる人たちに、わざわざ頼んで書かせたものもある。夕霧や、紫の上の父の息子やら、螢宮やら、いろいろな人が競って草子に書き、持参する。それを見て、源氏はその筆跡について論評を加えたりする。
▼今はなき六条御息所のことも、話に出てきて、源氏はこんなふうに評している。「心にも入れず走り書きたまへりし一行(ひとくだり)ばかり、わざとならぬを得て、際(きは)ことにおぼえしやは。」(何気なく走り書きなさった一行ほどの、無造作な筆跡を手にいれて、絶妙の筆と感嘆したものです。)そして、そんなこともあって、彼女とのつきあいが始まり、浮き名を流すはめにもなったのだと言う。
▼当時は、顔を見ることなど滅多にできなかったわけだから、「筆跡」から恋が始まることもあったのだ。
▼書というものは、展覧会に出品するときのように、なんども練習を重ねて、さあこれでどうだ! とばかりの力作だけに、価値があるのではなくて、ちょっとした走り書き、人に見せることなんかまるで考えていなかったメモなどに、実は真価が現れたりするものだ。昔の「名跡」「名筆」と呼ばれるものの多くがそうしたものだ。空海が、展覧会に出品するために書いた書などあるわけないものね。
▼書論としても読めるところが多々あって、すべとのことが悪くなっていく昨今だけど、仮名だけは無類の発達を遂げている、との源氏の言葉は、当時の仮名を考えるうえでの貴重な「証言」なのかもしれない。
▼漢字のことを「男手」と呼び、仮名(平仮名)のことを「女手」と呼ぶのだと、授業でも教えてきたけれど、この巻では、「草仮名(万葉仮名を崩したもの)」、「仮名」、「女手」と並列して書かれているところがあって、どうも「女手」というのは、「仮名」そのもののことではなくて、「仮名」のひとつのスタイルだったようだ、と注釈にも書いてある。そうだったのか。うろ覚えの知識で、授業をしてたんだなあと反省される。
▼さて、この巻の最後のほうで、夕霧と雲居雁のことが出てくる。夕霧は、六位の緑色の「制服」を着ていたころに、雲居雁の乳母から「ふん、六位ふぜいが、ウチのお姫様とつきあおうなんて十年早いわよ。」みたいな侮辱を受けたことを今でも忘れず、いつか、出世してアイツらを見返してやりたいと思って一生懸命勉強もしたわけだが、今では、もちろん十分に出世した。けれども、雲居雁に、積極的にアプローチすることができない。玉鬘に寄り道しそうになったけれど、それもあえなくパーになり、心はやっぱり「雲居雁一筋」のマメ男なのだ。
▼そんな息子に源氏は、女のことでオマエに説教できるオレじゃないけどなあ、と言いつつ、そんなに結婚もしないでブラブラしてるとよくないぞ、女で身をあやまる男だってたくさん居るのだ、なんて、自分に言ってるんだか、説教なのかわからないことを、オヤジとして話す。夕霧は、じっとして聞いているばかり。
▼夕霧への縁談もちらほらと出ていることを知った、内大臣は、娘のところへいく。夕霧に縁談があるって聞いたよ。夕霧も冷たいよなあ、おれが君らの仲を邪魔したのを根に持って、源氏がそんな話を持ち込んだんだろうね、でも、今さらこっちから降参したら物笑いのタネだしねえ、と雲居雁に父が涙を浮かべて話すと、雲居雁も涙をハラハラとこぼす。「あやしく心おくれて進み出でつる涙かな」(思いがけず心より先に流れた涙だわ。)と彼女は思う。ふっと涙が出て、その後で、自分の気持ちに気づくということもあるんだなあ。繊細な心。
▼オトウサマはどうなさるつもりかしらとぼんやりしているところに、夕霧から手紙が届き、雲居雁も返事を書く。この二人の行く末を暗示して、この巻は終わるのだが、その最後の文章がおもしろい。
▼「……とあるを、あやしと、うち置かれず、傾きつつみたまへり。」(……と雲居雁の手紙に書いてあるのを、変なことが書いてあると思って、手紙を下にも置かれずに、首をかしげて不審そうに手紙をご覧になっている。)
▼雲居雁の手紙の歌は、夕霧に縁談があるという噂に触れていたのだが、夕霧は自分の縁談が持ちあがっていることなど知らなかったので、「不審」だったのだ。
▼「傾きつつみたまへり。」で終わるというのは、「おわり感」がないだけに、余韻を残す。高等テクニックだ。源氏物語最終巻「夢浮橋」の末尾を思い出させる。

 

【33 藤裏葉】

 

★『源氏物語』を読む〈147〉2017.7.20
今日は、第33巻「藤裏葉(ふぢのうらば)」(その1)

▼雲居雁からの手紙の意味がわからず、ぼんやりしているシーンで終わった前巻「梅枝」をそのまま受けて、この巻の冒頭も、周囲が明石の姫君入内の準備で大わらわなのに、ひとりぼんやりしている夕霧の描写から始まる。
▼「御いそぎのほどにも、宰相中将(夕霧)はながめがちにて、ほれぼれしき心地するを…」(姫君御入内のご準備の間にも、宰相中将はもの思いにふけりがちで、うつけたような心地であるから…)
▼何度も出てきた「ながむ」(もの思いにふけってぼんやり一点を見るともなく見ている)がここでも出てくるが、その後の「ほれぼれし」がおもしろい。例の「日本国語大辞典」では、「ほれぼれ」という見出しで副詞として載っているが、その意味は、(1)思考力を失うなど、放心したさまを表わす語。ぼんやり。(2)何かに心を奪われて、うっとりとするさまを表わす語。(3)深く心を引かれるようなさま、恋い慕いたくなるようなさまを表わす語。【語誌】「ほる(惚)」は老齢や種々の肉体的精神的衝動のために放心状態となる意であった。したがって、その重複形である「ほれほれ」も基本的にはぼんやりとした精神状態を指した。
▼ついでに「ほれる(ほる)」を調べると、こんな感じ。(1)茫然となる。ぼんやりする。放心する。(2)年老いて知覚や感覚がにぶくなる。もうろくする。ぼける。(3)人、特に、異性に心をうばわれて夢中になる。一心におもいをかける。恋い慕う。(4)人物や物などに感心して心ひかれる。心酔する。(5)(他の動詞の連用形に接続して)そのことに夢中になる。うっとりする。「見ほれる」「聞きほれる」
▼「ぼける」は、この「ほれる」と深くつながっている。
▼要するに、何かに夢中になると、思考力を失って、ぼんやりしちゃう。その状態を指す言葉だということだ。「オレはオマエに惚れたぜ。」と、「オジイチャンもボケたねえ。」も、語源ではつながっているというのは面白い。
▼夕霧は、ただただ雲居雁を恋して、「ながめ」、「ほれぼれした」気持ちになっている。絶妙な表現ではないか。
▼雲居雁の父、内大臣は、さすがに気も弱くなっていて、やっぱり、娘には夕霧しかいないと思いつつ、きっかけがない。きっかけもないのに、わざわざ娘をヨロシクなんて行っていくなんてカッコ悪いなあと思っているし、夕霧もまた、せっかくここまで我慢してきたのだから、あっちから折れてくるのを待とうと意地になっている。
▼内大臣が、なにかのついでがないものかと思いあぐねていると、四月になって藤がきれいに咲き出した。チャンス到来だ。
▼「四月の朔日(ついたち)ごろ、御前の藤の花、いとおもしろう咲き乱れて、世の常ならず、ただに見過ぐさむこと惜しき盛りなるに、遊びなどしたまひて、暮れゆくほどのいとど色まされるに、頭中将して御消息(せうそこ)あり。」(四月のはじめ、お庭前の藤の花がまことに美しく咲き乱れて、ありふれた色ではなく、そのまま散らしてしまうのは惜しいほどの花盛りなので、管弦の遊びなどをなさって、日の暮れ方、花の色がいちだんと美しさを増して見えるころに、頭中将(柏木のこと)を使者にして、(夕霧のもとに)お便りがあった。)
▼この頃の人の花を愛する心の繊細さ、美的感覚の鋭さに心打たれる。今の世では、ソメイヨシノが咲いた咲かないで、日本国中で大騒ぎはするけれど、「お花見」が過ぎればそれでおしまい。藤だって話題にはなるけれど、夕暮れになると、藤の花の色が一段ときれいになるなんてことに誰も気づかない。
▼当時だって「管弦の遊び」(音楽の演奏)はするけれど、あくまで、あまりに美しい花をそのまま散らすのは惜しいからで、今の「お花見」のように酔っぱらって花なんぞろくに見ないのとは大違いだ。
▼晩春の夕暮れ、けぶるように藤の花が咲いている。内大臣は、そうだ、ここだ。意地をはるにも限界がある。夕霧を呼ぼう、そして、謝ろうと思うのだ。
▼この第33巻「藤裏葉」で、源氏物語の「第1部」が終わるというのが、有力な説である。「桐壺」で、数奇な運目をたどる源氏の誕生を描き、そしてそのあとの巻巻で、さまざまな源氏の人生模様を描いたあと、この「藤裏葉」で、頂点を極めた源氏の姿を描いて、大団円となる。すべて、メデタシメデタシで幕を閉じるわけだ。そして、源氏だけでなく、彼をとりまく人々も、みんなメデタシメデタシということになっていく。
▼しかし、次の第34巻「若菜」からは、物語はがらりとその様相を変えて、人生の深淵を覗き込んでいくことになる。
▼まずは、その前に、この華麗な大団円を、ゆっくり味わっておきたいと思う。

★『源氏物語』を読む〈148〉2017.7.21
今日は、第33巻「藤裏葉(ふぢのうらば)」(その2)

▼雲居雁のオトウサン(内大臣)から、藤の花がきれいだから来ないか? ってわざわざ柏木が使者としてやって来たのに、夕霧はなんでだろう? って思っている。
▼実は、この藤の花の件の10日ほど前の3月20日、雲居雁と夕霧を可愛がってくれたオバアチャン(大宮)の3回忌の法要があって、そのとき、すれ違った内大臣が夕霧の袖をひっぱってきて、そんなに怒るなよ、オレみたいな年寄りを見捨てないでくださいよ、なんてささやいたということがあったのだ。それでも、夕霧は、なんであの人はあんなこと言ったんだろうと、あれこれ考えて寝られなかった。
▼そういうことがあっての、「藤の花、見に来ないか?」なのだ。いいかげん、気づけよってことだよね。
▼で、夕霧は、源氏のところへ行って、カクカクシカジカと報告する。源氏は、それみたことか! あいつとうとう根負けしたな、オレの勝ちだぜっ、てドヤ顔だけど、マジメでちっとも空気の読めない夕霧は、だってオトウサン、そうとは限りませんよ、ただ、藤の花がきれいだから、見に来いってだけのことかもしれないじゃないですか? なんてことを言うもんだから、源氏は、そんなことあるわけないだろ、わざわざ使者をよこしたんだぞ、縁談に決まってるだろ、さあ、とにかく、そんな着物じゃダメだから、これを着てさっさと行ってこいと、自分の衣服で最高級のものを夕霧に持たせて、内大臣邸へ行かせるのだった。親心だよなあ。
▼まあ、話がここまでくれば、いくらなんでも、夕霧だってどういうことで招かれたのかは分かるわけで、これ以後の、夕霧の「え? どういうこと?」って態度はみな演技(らしい)。
▼夕霧が、内大臣邸に到着すると、みんな正装してお出迎え。柏木をはじめとする貴公子たちも、みんなイケメンばかりだけど、夕霧は抜群に美しい。内大臣本人も、非常に気遣いして、ばっちり正装して迎える。
▼堅苦しい話もそこそこに、さっそく藤の花見の宴会だ。内大臣は、わざと酔っぱらったふりをして、夕霧に、しきりに今までのことを泣いて謝るのだが、それでも、夕霧は、はて? なにをそんなに謝るの? ってな感じで受け流す、これも芝居か。
▼それで、内大臣は、頃合いをみて、「藤の裏葉の」と口ずさむ。それは「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ」(心をひらいて打ち解けてくだされば、私も心を一つに合わせましょう。〈「春日さす藤の裏葉の」は「うらとけて(打ち解けて)」を導く序詞〉)という歌の一節。つまり、結婚を許すという意味なのだ。
▼それに引き続いて、柏木が、いちばんキレイな藤の花咲く枝を夕霧の杯に添えて出す。夕霧は、藤の枝をかかえてどうしていいか分からなくて困っているのを見て、内大臣は、結婚の申し込みを待っていましたのに、こんなに待たされた愚痴は、娘に言っておきましょう、なんていう歌を詠む。夕霧も、私もどんなに涙を流して待ったことでしょう、今日という日を迎えられてうれしいです、てな歌をきちんと返したのだった。
▼内大臣の歌は、決して「本心」を直接には歌っていない。待たせたのは自分なのに、なんでこんなに待たせたのか? と夕霧をなじる。こうした屈折した表現は、当時の歌のスタイルだ。素直な恋の歌なんか、ほとんどないっていっていい。それにくらべると、夕霧の返歌は、案外素直。
▼いずれにしても、七年間にも及ぶ源氏家と内大臣家の反目の解消には、こうした手の込んだ芝居が必要だったのだと、「解説」には書いてある。「ごめん」「わかった」とはいかないんだね。確かにそれは今でもそうで、だから、すぐに「親戚の縁を切る」「親子絶縁」みたいな無粋なことになる。こうした和解の高等テクニックは、当時の方がだんぜん進んでいたのかもしれない。
▼柏木が藤の花を差し出すところは、今風にいえば、プロポーズの場面なんだろうけど、肝心の雲居雁がいないというのがなんとも残念。この後、夕霧は彼女に会いにいくのだが、やっぱりこれだけ華麗なプロポーズなんだから、せめて、雲居雁に同席してもらいたかったというのは、もちろん、現代人からのないものねだり。
▼ちなみに、この「藤の花」というのは、紫色だから、「紫のゆかり」として、結婚にはふさわしいのである。そもそも、藤壺女御の「藤=紫」がすべての根源なのだし、その「紫のゆかり」の線上に、紫の上もいるわけだし、この後登場する女三宮もいる。それに、作者の「紫式部」という名前も「紫の上の物語を書いた式部」というあだ名。「式部」というのは、オトウサンの官職名。つまり、「あの紫の上が出てくる物語を書いた、式部さんとこのお嬢さん」ということだ。本名は、まったく伝わっていない。男なら、どんなトンチキだってちゃんと名前が伝わっているのに、これだけスゴイ仕事をしたのに、女だと、名前がカケラも伝わらないっていうのも、フシギといえばフシギなことだ。
▼「紫のゆかり」の元となったのは、「紫のひともと故にむさし野の草はみながらあはれとぞ見る」(むらさき草が一本咲いていると言う「縁」だけで武蔵野の草花が、皆いとおしく感じてしまう)という古今集の歌である。紫蘇のフリカケの「ゆかり」という商標も、ここから来ている。

★『源氏物語』を読む〈149〉2017.7.22
今日は、第33巻「藤裏葉(ふぢのうらば)」(その3)

▼内大臣からのお許しも出て、めでたく結婚ということになった夕霧だが、雲居雁に会うには、まだすんなりとはいかない。
▼今度は夕霧が、すっかり酔っぱらったふりをして、これじゃ夜道を帰れそうにないから今夜は泊めてくださいという。おお、それもよかろうといって、上機嫌の内大臣は、息子の柏木に「寝所」(つまり、雲居雁の部屋)へ案内させる。夕霧はもう夢をみているような気分で、オレもこうして内大臣の許しがでるまでに立派になったんだなあと感慨にふけりつつ、柏木の後についていく。
▼柏木は、夕霧が妹の婿になるのを喜んでもいるのだが、反面、かわいい妹を他人にとられるような、複雑な気持ちにもなる。柏木の弟の弁少将などは、催馬楽の「葦垣」を歌って、我が家の娘を盗むヤツは誰だ? っというようなあてこすりをする始末だ。
▼妹の結婚というのは、そういうもんだろうか。ぼくにも、6歳下の妹がいるけれど、結婚するとき、安心こそすれ、「とられた」なんてこれっぽっちも思わなかった。まあ、いつも、お兄ちゃんは冷たいって言われてたからなあ。その妹ももう、とっくに還暦すぎた。
▼夕霧は雲居雁の部屋にはいると、ぼくは恋に狂って死にそうだったのに、君は冷たかったね、みたいなことをいって雲居雁をなじるけれど、その後は歌のやりとりがあって、もう、夜明けまで入り浸り。
▼その辺のことは、もちろん、詳しくは書かない。え? それでどうなったの? って思っているうちに、あっという間に、夜が明けてしまう。愛人の家に行った場合、まだ暗いうちに帰るのが当時の常識なのだが、夕霧は明るくなっても、二日酔いで苦しいなんていってなかなか起きようとしない。(雲居雁と離れたくないんだろう)内大臣は、「したり顔なる朝寝かな。」(いい気なもんだ、朝寝なんて。)と思って、内心チッと舌打ちだが、やっと起きてきた夕霧の「ねくたれ顔(寝乱れた朝の顔)」がまた一段と色っぽく美しいので、ほれぼれとその顔を見て、婿にむかえたかいがあったと満足する。
▼この辺の、「娘の父」の心境は、ぼくには娘がいないから、よく分からない。「初夜」を過ごしたその朝の婿の「寝乱れた顔」を見て、うん、いい婿だなあと思う父親がいるものだろうか。まあ、いたと書いてあるんだからそうなんだろうけどね。
▼夕霧が帰ると、さっそく「後朝(きぬぎぬ)の文」が来る。これで、ああ、この二人は結ばれたんだと、はっきり分かるわけだ。その手紙の返事を雲居雁は、恥ずかしがってなかなか書けない。そこへ、父親がやってきて、夕霧の手紙を読んで(え? 読んじゃうんだ、ってびっくりする。プライバシーなんてないんだよね、この時代。)、いい字を書くなあなんて感心するが、娘がまだ返事を書いてないのを知ると、ダメじゃないか、ちゃんと返事を書かないとみっともないぞ、っていいながら、そうだそうだ、オトウサンがそばにいたんじゃ書けないよね、まあ、はやく書きなさいといって、部屋から出て行く。娘のことを心配する父親の姿が細やかに書かれている。
▼これまで、夕霧の手紙をもってきた使者は、まだ「許されぬ」仲の手紙だから、こそこそと持ってきたのに、今度は、正々堂々とやってくる。返事を渡された使者は、お土産までもらえる。今までとはえらい違いだ。こうして、夕霧と雲居雁の結婚は、周囲の家来たちにも、晴れがましい思いをさせたわけである。兄弟たちは、やっぱり、複雑なようだけど。

★『源氏物語』を読む〈150〉2017.7.23
今日は、第33巻「藤裏葉(ふぢのうらば)」(その4)

▼内大臣の邸から帰ってきた夕霧は、こんな風に描かれる。
▼「宰相、常よりも光添ひて参りたまれば、うちまもりたまひて」(夕霧は、いつもよりも輝きを増した面持ちで源氏の御前に参上なさったので、じっとごらんになって)
▼夕霧は、顔つきまでも、輝きを増している。その息子の顔を、源氏は深い感慨をもってみつめるのだ。「まもる」は「もる(守る)」と同義で、「もる」は「入口などにいて外敵や獣の侵入を防いだり、異変を他に知らせたりする。番をする。見張る。まもる。」の意味が基本で、そこから「そばにいて常に安全であるように取り計らう。守護する。」の意味に発展したようだ。
▼ひときわ美しくも立派にもなった夕霧に、源氏は、おまえもよくヤケを起こさずに辛抱したね、えらい。世の中には、女のことしくじるヤツがいっぱいいるのに、おまえはたいしたヤツだ。アイツ(頭中将)も、ずいぶん頑固だったけど、すっかり気弱になったし、いずれ世の人々もアイツの方が悪かったんだと思うようになるさ。しかし、それで図に乗って、浮気心なんて起こすんじゃないぞ、アイツは一見、大きな人間に見えて、案外小っちゃいヤツだからな、などと説教する。
▼自分のことは棚にあげているようでもあり、自分の経験からの反省を息子に伝えたいようでもあるが、いずれにしても、源氏の満足感がしみじみと伝わってくる。
▼この親子は、二人並ぶと、それぞれの美しさの個性が分かるけれど、別々にいると、見間違えるほどだと書いてある。二人がそのときどんな色のどんな装束でいたかが詳しく描かれ、そういう部分を読むと、絵巻物を見ているような気分になる。
▼「初夜」の翌日は四月八日で、灌仏会が華やかに行われたが、夕方になると夕霧は、いてもたってもいられずに、またおめかしして、雲居雁の住んでる内大臣の邸へ向かう。(このように結婚しても、同居せずに、妻の実家を訪ねるという形式を「妻問い婚」と呼ぶが、これは生涯続くわけではなく、あくまで結婚当初のことである。ぼくは教師をしているころ、この辺の知識が曖昧で、ずっと同居はしないと思い込んでいて、そんなふうに教えてしまった。今さら遅いけど、反省している。)夕霧の「お情け」にあずかっている若い女房たちは、そういう夕霧を見て、ちょっと妬けるけど、それはしょうがない。
▼夕霧は、他の女に心を移さなかったのはエラいと源氏は褒めるけれど、こうした若い女房とはそこそこ関係をもっているようだし、玉鬘にだって確か惚れてたよね。けれども、そういうことは、それこそ「ちょっとしたこと」であって、「雲居雁一筋」であったことに間違いないと認定されるわけだ。今だと、そういうわけにはいかないだろうなあ。
▼まあ、とにかく、結婚した二人は、「水も漏らさぬ仲」。こんなに幸せそうな娘夫婦を間近に見る内大臣は、結局は自分が折れたことをまだ悔しいと思う気持ちも残っているけど、自然と心も安らぐのだった。
▼しかし、内大臣の北の方(雲居雁の継母)は、実の娘の弘徽殿女御より、この雲居雁のほうが断然美しいので、おもしろくなくて、陰で雲居雁の乳母なんかと悪口いいあっている。しかし、そんなことはどうってことない! と語り手は斬ってすてる。雲居雁の実の母(内大臣の元妻)はとても喜んでいるということも、ちゃんと書かれている。

★『源氏物語』を読む〈151〉2017.7.24
今日は、第33巻「藤裏葉(ふぢのうらば)」(その5・読了)

▼夕霧と雲居雁の一件もめでたく決着し、いよいよ明石の姫君の入内の日がやってくる。姫君を育ててきたのは、紫の上だが、これから宮中での後見役は、実の母親明石の上にしようと源氏は思い、また紫の上もその方がいいと納得する。
▼実に、娘から引き離されて8年もの間、明石の上は、娘と再会できなかったのだ。その嬉しさはいかほどだったことだろう。けれども、入内の日、車に乗って参内する娘と紫の上の後を、徒歩でついていかねばならない身の上は、やっぱり私の身分はそんなものでしかないんだという思いを突きつける。宮中でも、そんな身分の低い明石の上が実の母親だということを、姫君の「キズ」だと悪口をいう人もいる。それでも、美しく成長した娘の姿を見て、明石の上は、ただただ涙にむせぶのだった。そのあふれ出る「うれし涙」を、悲しいときに流れる涙と「同じ涙だろうか」といぶかる彼女の姿は胸をうつ。
▼紫の上にしてみても、自分の子どもではないけれど、8年もの間親身に育ててきた姫君を手放すのはやるせないが、明石の上の気持ちにも深く思いをいたし、親密に語らう。紫の上と明石の上は、こうして、こころを通わせることができるようになった。
▼源氏は、「準太上天皇」の位を賜り、天皇にはなれなかったものの、これ以上ない位へと上りつめた。実の娘の入内も実現し、もうひとりの息子夕霧も結婚し、もうこの世に思い残すことはない。紫の上のことは、心配だけれど、秋好中宮が養女となっているから彼女が守ってくれるだろう。明石の上は、もう安泰だし、花散里は、夕霧に任せておけば大丈夫だ。
▼来年に四〇の賀を迎える源氏は、もう自分がこの先そう長くは生きてはいないだろうと思う。以前から、出家の志はあったのだが、いろいろな心配事が多くて叶わなかった。今は、それができそうだ。
▼10月20日ごろ、紅葉の盛りに、冷泉帝(源氏の実子)と朱雀院(源氏の兄)が、そろって六条院に行幸する。源氏、冷泉帝、夕霧が並んでいると、まるでひとつの顔のように似ている。
▼こうして、源氏の絶頂を美しい秋の風景のなかに描いて、源氏物語は、その第1部の幕を閉じる。
▼第1部、第2部、第3部と、源氏を3部構成で捉えるのは、もちろん、後世の「説」である。その他の説もあるが、これが高校の教科書などでも採用されている一般的な捉えかただ。第1部は、「桐壺」〜「藤裏葉」、第2部は「若菜上」〜「雲隠」、第3部が「匂宮」〜「夢浮橋」となっている。
▼そういうわけで、何とか第1部を読了することができた。ぼくにとっては、大学時代以来、二度目の通読だが、実に得るところの大きな読書である。というか、ほとんど、初めて読むような気分なのだ。大学時代は、3人の読書会という形式をとっていたのだが、やはり、じっくりと腰を据えて読むことができなかったのだと思う。ぼくらの「読書」の外側では、大学紛争の嵐が吹き荒れ、いったいいつになったらロックアウトが解除され授業が再開するのか、この大学を卒業することができるのか、諦めて他の大学を受け直したほうがいいんじゃないだろうか、といった不安が心の中に渦巻いていた。それでも、ヤケを起こさず、なんとか、せっかく入った国文学科の学生として、大学時代を全うできたのも、この源氏物語読書会を続けていたからだった。
▼その読書会で、ぼくらを圧倒的に打ちのめしたのは、「若菜上・下」の2巻だったことは忘れられない。この巻を読んで感動したぼくは、もうこれ以上の文学はこの世には存在しないと思った。それなら源氏物語の研究に生涯を捧げてもいいかなと、ほんのちょっとだけ思ったような気もする。けれども、その後の、紛争の嵐は、学問そのものの価値自体を疑わせ、さらに、大学そのものへの嫌悪を生み、ぼくは、学問を捨てて、逃げるように大学をあとにした。
▼それが、若気の過ちだったのかどうか、そんなことは分からない。むしろ、正解だったのだと思う。誠実に資料を読み、テキストにとことん向き合い、先行文献を丁寧に辿るといった学問への姿勢は、ぼくには無縁のものだったから。それより、教育の現場に飛び込んでいくことこそ、ぼくの本望だったはずだし、初心でもあったはずだ。けれども、ぼくが飛び込んでいった「教育の現場」には、思いもしなかった「現実」が待ち受けていたのだった。(なんか、過剰にドラマチックだなあ。)
▼まあ、そんなことはさておき、そういうわけで、第1部を読み終わり、次回から、源氏物語の白眉ともいえる「若菜」へと入っていくことなる。ここまで続けてくることができたのも、「いいね」や「コメント」をしてくださった方々のおかげです。この読書は、新しい時代の「読書会」の形のように思えます。
▼ほとんど毎日更新してきたフェイスブックへの投稿ですが、ここで、しばらく休憩をいただきます。一息ついて、また新鮮な気持ちで読み進めていきたいと思っています。再開は、8月1日の予定です。




Home | Index | Back | Next