「源氏物語」を読む

 

No.29 行幸 〜 No.31 真木柱

 

 


【29 行幸】


★『源氏物語』を読む〈131〉2017.7.4
今日は、第29巻「行幸(みゆき)」(その1)

▼季節は秋から、一気に真冬の12月へとび、源氏は玉鬘の扱いに苦慮しているというところから、この巻は始まるが、すぐに、帝の大原野行幸の華麗な描写に入っていく。
▼冬の大原野へ、我も我もと、貴族たちが美しい衣裳に身を包んで向かって行く有様は、まるで絵巻物を見るように美しい。源氏物語には、ときどきこうした群衆を描くシーンがあって、それが、室内の心理劇から一転して広大なパノラマへの転換となって、非常に印象的である。有名な葵の上と六条御息所の「車争い」もそうだった。
▼大原はいいなあ。今、どこかへ移住することが許されるなら、大原に住みたい。谷崎じゃないけど、やっぱり、関西のほうがいいやと思う今日この頃。
▼玉鬘も参加するのだが、帝の威厳のある圧倒的な美しさに感動してしまう。ふだん見ている源氏に似ているけど、やっぱり一枚上と見える。まして、自分に求婚してくる蛍宮とか、髭黒大将なんか、見劣りするに決まってるわけだ。
▼帝の美しさに圧倒された玉鬘は、普段は源氏とか夕霧とかいった超イケメンしか見たことないから、居並ぶ貴族たちの顔を見ても、「同じ目鼻とも見えず」(同じニンゲンの顔とは思えない)と思う始末。
▼そういうところへ、「髭黒」が登場する。「右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日の装(よそ)ひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつれり。色黒く髭(ひげ)がちに見えて、いと心づきなし。」(右大将が、いつもはあれほど気どったお方なのに、今日の装いは実にはなやいで、やなぐい(背中に背負う矢を入れる道具)などを背負ってお供していらっしゃる。色が黒くて、顔中髭だらけに感じられて、まことに気に入らない。)
▼「髭がち」の「がち」に注意したい。この接尾語の「がち」は、「そのことのほうに傾いていること、または、傾きやすいことを表わす。…することが多い。…しやすい。この場合、それが好ましくない状態であることについていうのがふつう。」(日本国語大辞典)の意味。今でも「黒目がち」だの「白目がち」だのと目の描写に使ったり、「あの人は、病気がちだよね。」などと使う。
▼この「右大将」は、後の読者によって「髭黒大将」と呼ばれるのだが、それは、ここの記述によっている。源氏物語の中では、彼を一言も「髭黒大将」なんて呼んでいないのだ。前にも書いた気がするが、登場人物の呼び名はほとんど、あとから読者がつけたものだ。物語の中では、なんとかの中将だの、なんとか大臣だのと呼ばれ、時間の経過にしたがって、どんどん出世したりするものだから、その都度呼び名が変わる。これいったい誰のこと? っていう場面が頻出し、「これは源氏のことです」とか「これ夕霧です」とかいった注がないとまったく源氏物語は読めないのだ。源氏自身だって「光くん」なんて呼ばれやしないのだ。今の小説のように「峰子」とか「早苗」とか固有名詞で語られていたら、どんなに源氏物語も読みやすいことかと思うのだが、それこそ無い物ねだりだね。
▼「髭黒大将」というと、なんか、まっくろな髭を生やした男のイメージが浮かぶけど、この記述をみれば分かるように「色が黒くて、まるで、顔中髭だらけに見える」ということだけのことで、髭なんか生やしていないのだ。ということに、今回、遅まきながら気づいた。
▼まあ、髭だらけではないにしても、とにかく、「この人たちの顔ってニンゲンなの?」みたいに思っている玉鬘には、「色が黒い」だけで、もう完全にアウトだ。
▼しかし、そんな玉鬘に対して、「草子地」(語り手の感想を述べる部分のこと)は、そんなこといったって、お化粧で白く塗ってる女のようなわけにはいきませんよ、まあ、この子も若いからそんなことで、人を見下したりするのだわ、ってツッコンでる。「このハゲ〜〜〜!」にも、そうツッコンでもらいたいものだ。
▼で、玉鬘は、あんな人のところにお嫁に行くくらいなら、あのキレイな帝のお側にお仕えするほうが、おもしろいかも、まあいろいろ辛いことはあるに違いないけど(ちゃんとしたお后がいるわけだから、どういう扱いを受けるか分かんないと、玉鬘はちゃんと分かっているのだ)、って考えるのだった。

★『源氏物語』を読む〈132〉2017.7.5
今日は、第29巻「行幸(みゆき)」(その2)

▼とうとう源氏は玉鬘のことを隠しきれなくなって、実の父の頭中将に事実を告げることになる。
▼けれども、まずは、頭中将の母の大宮に告白する。告白といっても、都合の悪いことは言わないで、事実をごまかして打ち明けるのだ。
▼源氏は、ほんとうは、玉鬘を愛人のひとりとして側においておきたかったのだが、やはりそれは無理だと諦め、入内を勧めた。尚侍(ないしのかみ)が空席だから、そこはどうかというのである。尚侍というのは、天皇の側に日常的に使える女官で、定員1名。女御、更衣に次ぐ位だから、あわよくば、天皇の寵愛もアリで、さらにあわよくば子どもでももうければ、親にとっては万々歳といったところ。しかし、源氏は既に、養女を秋好中宮として入内させているから、この玉鬘も自分の娘として宮仕えさせるのは、世間からああだこうだと言われるも目に見えているし、いずれにしても、父親にはバレるだろうから、いっそ、こちらから実の父親に真相を話そう。都合の悪いところは適当にごまかせばいいと思ったわけだ。
▼それよりも、玉鬘を宮仕えさせるとなると、裳着(女子の成人式にあたる)をちゃんとしなければならない。ほんとうは12、3歳で行う儀式だが、ひきとってから、自宅に隠しておいたので、ちゃんとお披露目もできなかったのだ。その裳着の儀式では、「腰結(こしゆひ)」といって、腰の紐を結ぶ役目をする重要な役目が必要で、だれがやってもいいというわけにはいかない。どうせなら、父であり、内大臣である頭中将にやってもらおう。その時に、真相も話そうとおもって、頭中将にたのむのだが、母親が病気だからといって断ってくる。
▼こういう時の親族の「病気」は、ウソのことが多いものだが、母親、つまり、大宮は、ほんとうに病気になっていて、もういつ死ぬかわからない状態。裳着もしないうちに、真相も知れないうちに大宮が死んでしまうと、玉鬘は、祖母の喪に服することもできない。そんなことも気にして源氏は、とうとう、大宮を見舞うついでに、事の真相を話すのだ。源氏が行くと、大宮は、病気も忘れてとび起きる。源氏の類い希な美しさは、見る者の寿命をのばすと今までも何度も書かれてきた。
▼実は、お話がございましてと、源氏が改まっていいかけると、大宮は、てっきり孫の夕霧と雲居雁の件だと思って、まったくあの子は仕事が忙しいのか、親不孝なのか知りませんけど、ちっとも顔を見せないし、近ごろでは、孫たちの仲も噂になっているので、なんとかしてあげなさいと言ってはいるのですけど、何しろあの子は、いったん言い出したら人の言うことなんか聞くもんじゃなし、ほんとうにもう、、、なんて年寄りの繰り言をえんえんと述べる。
▼源氏は、いやいや、それはまあ、そのうち許してくれそうですからいいんです。実は、その、といって、玉鬘の件を、適当にごまかしながらうちあける。
▼実は、その子は、ご子息のお子さんだったのですが、それを私が勘違いいたしまして、なにしろ、急にやってきまして、私の子だともはっきり言わなかったのですが、まあ、私も子どもが少ないことですし、ま、いいや(何がいいやなのか、って思うけどね)というわけで、お世話をしてきた次第ですが、どうしたことか、帝からお声がかかりまして、尚侍として迎えたいとのこと。で、そのためには、裳着の腰結の役目を……てなふうに、いいかげんな言い訳をまじえて話すと、大宮はびっくりして、あの子は、もう、いろいろなところからあなたの子ですって言ってくれば、片っ端から引き取ってきましたのに、その子(玉鬘)はどうしてそんな間違いをしたのでしょうかねえ、と不審顔。源氏の話の支離滅裂さに、どうしてかしら、なんて言ってる大宮も、察しが悪すぎるよね。察しなくっちゃ。源氏だもの。
▼源氏は、詳しいことは、頭中将にこれから話しますけど、実はまだ言ってないんです。いや、下々の者の色恋沙汰のようなくだらないこと(つまり、夕顔と頭中将の件を指してるんだろう。自分のことは差し置いて、よく言うよ)ですから、噂になるのも困るので、内緒ですよ、と釘をさすのだった。
▼話は前後するけど、源氏は、玉鬘に、どう昨日の行幸の帝は? キレイだったでしょ? 例の件(宮仕えのこと)は、その気になった? って聞く。図星なので、玉鬘は、まったく察しがいい人だなあと思いつつ、霧の中でよく見えなかったわ、って歌を送ると、源氏は、あんなに明るかったのに、どうして見えなかったのかなあ、って歌を返す。この辺の呼吸は、けっこういい線いってる。
▼源氏は、紫の上には、めんどくさい気兼ねさえなければ、若い女の子は誰だってあんなキレイな帝にはお仕えしたがるよねえ、と言うと、紫の上は、いくらキレイだって、女の子は自分から進んで行こうなんて思わないわよ、って返す。すると、源氏は、どうだかねえ、君だってあの帝を見たら夢中になるさ、なんて笑っていう。こっちもなかなかいい線いってるわけだ。

★『源氏物語』を読む〈133〉2017.7.6
今日は、第29巻「行幸(みゆき)」(その3)

▼若い頃は、年中つるんで遊びに遊んだ仲でも、いったん学校を出て会社なんかに入り、やがて家庭を持ったりすると、すっかり疎遠になってしまうということは、女でも男でも、ごく普通にあることである。親しければ親しいほど、相手の動向は気になっていて、つい心の中で張り合ってしまうのだが、直接に会っていないと、変なわだかまりができてしまったりもする。
▼源氏と頭中将は、息子と娘の結婚のことで、お互いに意地をはっていることもあって、また、それ以上に頭中将がある意味源氏に対して抜きがたいコンプレックスを持っていることもあって、中年になってからは、めったに会わなくなっていたのである。
▼玉鬘を帝のもとに宮仕えさせようと決心した源氏は、とうとう頭中将にほんとうのことを打ち明けなければならなくなった。大事な「腰結」を彼に頼みたかったからだ。
▼母親(大宮)のところへ源氏が行ったと聞いて、何の話に行ったのだろうと不審に思い、息子たちを差し向けるのだが、あなたも来なさい、大事な話があるんですから、ただし、人目もあるから、あんまり大げさにしないでね、と母親に言われ、それでも、自分の兄弟やら何やらを引き連れて、ものものしい様子で訪れた。何事も、大げさに「きらきらしく」(堂々として立派だ。目立っている。)振る舞うのが頭中将だから、まあ、しょうがない。
▼久しぶりの源氏と頭中将の対面の場面は、しみじみとする。
▼おたがいの今までの無沙汰を詫びあえば、もう、昔のことがただただ懐かしいばかり。夜がふけるまで、酒を飲んで、昔語りに時を忘れた。そういうもんだよね。
▼酔いがすっかりまわったころに、源氏はさりげなく、玉鬘のことを打ち明ける。ここの本文が実にそっけなく、詳しい会話を書かない。「そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。」(こうした折に、姫君(玉鬘)のことをそれとなくお出しになるのであった。)と、これだけである。大宮への告白は、ウソもまじえてのクドクドとした長い言葉だったのと対照的だ。
▼これは、大宮への告白で、源氏の言い訳は詳しく書いたから、頭中将にしゃべったことは、同じようなことだったから省略したのだろうか。いや、おそらくそうじゃないだろう。源氏はおそらく、実はさ、あの玉鬘は、君の子だったんだよと、その事情をごくあっさりと言った(もちろんウソを交えて)だけなのだろう。けれども、それだけで、頭中将には十分だった。すべて察したのだ。察しの悪い大宮とは大違いだ。
▼源氏の話を聞いて、頭中将は、いやあびっくりだなあといって泣き出し、オレもさあ、ずっと気になっていたんだよ。確か、あの「雨夜」のとき、君に話したよねえ。オレのところには、変な子どもがゾロゾロ集まってくるんだけどさ、バカなヤツばっかりでさあ、それにつけても、あの「夕顔」の娘はどうしているんだろうと、そればっかり思っててさあ、なんて言って泣くので、源氏ももう昔が懐かしくて泣くばかり。
▼頭中将は、そんなふうに、涙を流して源氏に感謝して、裳着の儀の「腰結」の役もこころよく引き受ける。ふたりは、涙、涙で酔い乱れた。
▼しかし、三条宮を出て、冷静に考えてみれば、源氏の話は腑に落ちないことばかり。突然、玉鬘のことを聞いて、あの夕顔を思い出したから、酔いにまかせて涙を流して源氏に感謝したけれど、察しのいい彼のことだから、だいたいのところは分かった。源氏と玉鬘が「清い関係」であるはずがない。(実は、まあ、ギリギリ「清い」関係ではあるんだけど)けれども、そのまま愛人にもしておけないし、かといって自分の娘として宮仕えもさせられない、だから、オレに打ち明けておいて、裳着もして、そして宮仕えさせようとしているのだ、と想像する。頭中将は、そういう源氏に腹は立つのだけれど、まあ、だからといって、それがどうこう言えるものでもない、どのみち、アイツの思い通りにさせるしかないのだと思うのだった。
▼昔ながらの友情は友情としてあるが、今生きているこの現実は現実として、厳然としてある、ということだ。
▼源氏は、もうひとつの懸案だった、夕霧の件は、とうとう言い出せなかった。

★『源氏物語』を読む〈134〉2017.7.7
今日は、第29巻「行幸(みゆき)」(その4・読了)

▼裳着の儀式に際しては、空蝉とか花散里レベルの愛人は、気兼ねしてあえてお祝いもしてこないのに、「常陸の宮」がお祝いを贈ってくる。わざと作者は「常陸の宮」と大げさに書くわけだが、あの、「末摘花」である。
▼お祝いだというのに、贈り物は「青鈍(あおにび)の細長(ほそなが)」。「青鈍」は、葬式など凶事の色、「細長」は女の子の普段着だ。非常識もはなはだしい。それをご丁寧にきちんと包んで手紙までついている。源氏は、紫の上の手前、顔を赤らめながらも(こんな変な女とも付き合っていることを知られたことが恥ずかしいらしい。)、返事は出すようにしよう、可愛そうな人なんだからと、紫の上の手前をつくろうが、その返事の歌がヒドイ。
▼末摘花の歌は、「わが身こそうらみられけれ唐ころも君がたもとになれずと思へば」(我が身の上が恨めしくなることです。あなたの側に置いていただけないのだと思いますと。)というもので、ぜんぜん「御祝い」の歌になってない変な恋歌。「あなたのそばにいられなくて、うらめしい」ということを言うのに、「唐ころも」を持ち出して、縁語やら掛詞やらで飾り立ててる。(「うらみ」の「うら」が「裏」の掛詞で「唐ころも」に関係がある、つまり縁語(お互いに関係のある言葉)。「たもと」ももちろん「唐ころも」の縁語。「なれず」は「成れない」だが、「なる(なれる)」は「着物の糊のゴワゴワがとれて柔らかくなって肌になじむ」の意味もあるから、掛詞で、「唐ころも」の縁語、といった具合。)縁語とか掛詞とかといった修辞技法は、古今集には頻出するが、だからといって、やたらに使えばいいというもんじゃない。使いすぎると品がなくなる。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。
▼末摘花は、いつも、やたらと歌に「唐ころも」を入れてくる。で、源氏は、なんて教養のない女だと本心で苦々しくも思ってるから、こんなヒドイ歌を返す。「唐ころもまたからころもからころもかへすがへすもからころもなる」。ころもは「裏返す」から、「かへす」が「唐ころも」の縁語になってるけど、まあ、完全におちょくっているね。残酷だ。こんな歌をもらって、末摘花は、どう思っただろうか。案外、あ、面白い! って思いかねないなあ。
▼さて、肝心の裳着だが、大宮の病気ということもあって、なるべく控えめにということにした。しかしそうはいっても源氏が取り仕切って、なかなか盛大に行われた。頭中将にしてみれば、なんで自分の娘でもないのにアイツはこんなに熱心なんだ? と、ますます、源氏と玉鬘の仲を面白からず思う。それに、せっかく「腰結」の大役をおおせつかり、玉鬘の帯を結うというのに、普通よりは明るい灯火で照らされてはいるものの、玉鬘の顔をじっくりと見ることすらできない。
▼帯を結うわけだから、玉鬘のすぐ後ろにいるはずなのに、どうして、前に回って、ちらっとでもその顔を見ることができないのだろうか。それは、ハシタナイこととして禁じられていたのか、それとも、「腰結」は、形だけで、実際に帯をつけるのは、おつきの女房なのか、よく分からない。けれど、たとえそうだとしても、源氏が気をきかせて、君の娘なんだから、ちゃんと前にいって見ろよ、ぐらいのことは、言ってくれてもよさそうなものだと、頭中将は思ったに違いない。
▼そんなこんなで、裳着がすめば、今度は、出仕か結婚か、と周りのものは気が気じゃない。頭中将の多くの息子たちは、まだ、事の真相を知らされてないらしいが、弁の君(紅梅と呼ばれる、頭中将の次男)と中将(柏木)は、なんとなく知っているらしい。柏木は、恋文をもう出しちゃったから、気恥ずかしい思いだが、弁の君は、ああ、出さなくてよかったとホッとしながらも、これで恋人にはなれないから悲しいけど、妹として交際できるから、嬉しいとも思って複雑な心境だ。
▼さて、頭中将の娘の弘徽殿女御のところにその兄弟たちが集まっているところに、「近江の君」がドタドタと登場する。
▼もう、いったいどうなってるの? 今度、裳着とかいっちゃって、オトウサンと源氏の二人にチヤホヤされてる人って誰なの? どうせアタシと同じ、下々の腹でしょ! なんてわめく。柏木が、いったいどこからそんな話を聞いてきたんだい? って聞くと、うるさい!(「あなかま」)アタシはみんな知ってるんだからね。尚侍になるんでしょ? ワタシは便所掃除までして、さんざん働いてきたのに、どうしてワタシじゃないのよ、ワタシを侍尚にしてよ! 女御さまも冷たいわ、なんていってしまいには、恐れ多くも弘徽殿女御にまで文句をつけるありさま。とにかく手当たり次第の八つ当たりだ。中将さんも、ヒドイ! ワタシをこんなところに連れてきておいて、そいでもって、ワタシをいじめるんだから、フツーの人じゃこんな家、住めないわよ、バカバカバカ! (「バカバカバカ!」って訳したが、原文では「あなかしこ、あなかしこ」。全集本の訳では「ああ恐ろしい、ああ恐ろしい」。谷崎訳では「もう懲り懲りです。」)ともうヒステリックに叫んでから、「後(しり)へざまにゐざり退きて、みおこせたまふ。」(後ろへいざりながら引き下がって、睨んでいらっしゃる。)この頃の女性は、室内を移動するときに「ゐざる」のだが、昆虫みたいだ。「近江の君」が、ゐざり下がって、部屋の奥のほうから目をつり上げて睨んでいるイメージはなんともおもしろい。
▼話を聞いた頭中将は、女御のところに行ったついでに、近江の君はどこだ? こっちへおいで、と呼ぶと、近江の君は「『を』と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。」(「はい」とじつにはっきりと答えて出てきた。)この「を」は、どう訳せばいいのか。全集本の口語訳の「はい」じゃないことは確か。まあ「おう!」とか、「あいよ!」とか、とにかく、姫君が絶対に使わない返事の言葉だ。この「を」の用法は、いろいろ調べてみたが、どの国語辞典にも載っていなかった。近江の君の言葉のなかには、源氏物語の他の部分では使われたこともない、下々の言葉がたくさん出てきて、当時の庶民の言葉をさぐる手がかりにもなりそうだ。しかしねえ、「を」と大きな声で答えてゐざり出てくる近江の君、やっぱり笑っちゃう。
▼谷崎訳は、ここでも近江の君の言葉を普通に訳していて、(「を」も「はい」と訳してる)彼女のとんでもない言葉使いが伝わらない。やっぱり、原文で読むほうが格段におもしろい。
▼頭中将は、裳着の件では面白くないことばかりで、機嫌が悪いから、近江の君をさんざんにからかうものだから、そのやりとりを几帳の陰で聞いている女房たちは「死ぬべくおぼゆ」(可笑しくて死にそう)。笑いをこらえきれない女房は、「すべり出でてなむ慰めける。」(そこからすっとすべり出で、やっと救われるのであった)って訳しているけど、ようするに、腹を抱えて死ぬほど笑ったということだろう。「すべる」にも「いざる」という意味もあるらしいが、おなじ「いざる」でも、滑るようにさっと移動するのだろう。
▼女御も可笑しいのか恥ずかしいのか、顔を真っ赤しにしているから、頭中将は、「ムシャクシャするときは、近江の君を見るにかぎるなあ。」なんていって、彼女を笑いものにする。こっちも残酷な扱いである。まあ、しかし、「近江の君」は、あまりに非常識で突拍子もないから、しょうがないけど、こんな娘にまで八つ当たりして、源氏への鬱憤を晴らしている頭中将のミジメさが際立つと、「解説」は言っている。ミジメさというより、滑稽さだね。
▼源氏のところの末摘花と、頭中将のところの近江の君。これらとんでもない女性は、どんなにコケにされようと、源氏物語の中で、ひときわ輝いている。
▼彼女らは、伝統とか、格式とか、身分とかいったものにガンジガラメになって窒息しそうになっている宮廷生活のどてっぱらに風穴を開けている。高貴な者たちが、愚劣窮まる彼女らを愚弄すればするほど、愚弄するがわの滑稽さもまた見事にあぶり出されるといったアンバイである。

 

【30 藤袴】

★『源氏物語』を読む〈135〉2017.7.8
今日は、第30巻「藤袴(ふじばかま)」(その1)

▼玉鬘の悩みから、この巻は始まる。「行幸」の巻から5ヶ月後で、大宮はすでに亡くなっており、玉鬘も、夕霧も、喪中である。
▼玉鬘は、裳着が済んだ後も、源氏の邸の六条院に相変わらず住んでいて、源氏や、父親から、はやく尚侍として宮仕えせよとせき立てられているのだが、どうもいろいろ考えると、気が重い。
▼考えてみればみるほど、我が身は変な立場だと玉鬘は思うのだ。ようやく源氏は頭中将に真実を話して、親子の対面もできたのに、相変わらず父親は源氏に気を遣って私を引き取ろうともしない。この六条院に暮らすのは、悪くはないんだけど、源氏は、親子じゃないということを公表してしまった(とは言っても、皆には内緒だぞって釘をさしていたけど)ものだから、かえって、大胆になっちゃって、私へのセクハラはますますエスカレートしてるしなあ。このまま、アタシ、源氏の女にならずに、キレイな体を守れるかしら。なんか、自信がないなあ。
▼かといって、尚侍になってお仕えしても、万が一、帝のお手がついたりするようなことがあれば、姉さんの弘徽殿の女御や、源氏の義理の養女の秋好中宮の機嫌を損ねることなるだろうし、それでなくても、突然尚侍なんかになってデビューしたアタシのスキャンダルを鵜の目鷹の目で探すヤカラも多いにちがいないし、あ〜あ、メンドクサイなあ。てな心境。
▼ほんのつまらないことでも、なんの気遣いもなく話せる女親でもいればいいのに、って玉鬘はつくづく思うのだ。玉鬘には、気の置けない話し相手がいない。まわりはみんな「はずかしき人(こちらが恥ずかしくなるほど立派な人)」ばかり。愚痴のひとつもいえやしない、って思いながら、夕暮れの空をながめている。そういう姿を作者は「をかし」と言っている。ここでは「愛らしい・美しい」という意味だ。
▼玉鬘は「鈍色」の喪服を着ている。(前回、末摘花が御祝いに贈った着物の色だ。)喪服の女は色っぽいてなことを言うけれど、ここでもそう書いてある。「薄き鈍色の御衣(おんぞ)、なつかしきほどにやつれて、例に変りたる色あいにしも、容貌(かたち)はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前なる人々は、うち笑みて見たてまつるに」(薄い鈍色の御衣を、やさしい感じにまとったやつれ姿〈「やつれ姿」というのは、地味な着物をわざと着ている様子をいう〉で、平常とは異なったその色合いのゆえに、顔かたちは、いっそうはなやかに引き立っていらっしゃるので、御前に控える女房たちは、ほほえみながら見とれているところへ)
▼なるほど、喪服姿が色っぽいのは、こういう理由からだったのか。
▼その喪服姿の美しい玉鬘のところへ、これまた喪服に身を包んだ夕霧がやってくる。この二人の衣服の「色合い」の響き合いがなんとも美しい。
▼夕霧は、雲居雁とはなかなか会えないので、諦めたわけじゃないけど、玉鬘にぞっこんである。といっても、源氏の息子らしからぬ真面目人間なので、真面目に言い寄ってる。ちょっと前までは、てっきり妹だと自分も周りも思っていたから、気安く会えたし(もちろん御簾越しだけど)、今さら兄妹じゃないと分かったからといって、変によそよそしくするのも、なんだかなあという感じもお互いにあるので、仲介の女房なしで、やってくるのだ。
▼源氏からの伝言を伝えにきたのだけれど、それはほとんど口実で、とにかく、御簾近くで、玉鬘とお話ししたい、声を聞きたいの一心。ちょっと二人だけの大事な話があるんだから、席をはずしてくれないかなあと言うと、女房たちは端っこの方へ退散するけど、耳はきっと二人に集中。
▼夕霧は、少しでも玉鬘の声を聞きたいものだから、あることないことでっち上げて、話を引き延ばすのだが、玉鬘はため息ばかり。
▼「答(いら)へたまはん言(こと)もなくて、ただうち嘆きたまへるほど、忍びやかにうつくしくいとなつかしきに」(姫君〈玉鬘〉は、ご返事の言葉もなく、ただそっと嘆息をつかれる気配が、それがひそやかに可憐で、とても心ひかれるので)
▼この玉鬘のつくため息。「ほっ」なのか、「ふっ」なのか分からないけど、いいよねえ。あの「近江の君」の「を」とは比べものにならない。夕霧はもう、メロメロである。念のために言っておくと、この時、夕霧は16歳、玉鬘は23歳である。玉鬘は7歳も年上なのに、どこか少女っぽい。

★『源氏物語』を読む〈136〉2017.7.9
今日は、第30巻「藤袴(ふじばかま)」(その2・読了)

▼夕霧は、源氏の伝言を届けに玉鬘のところへ行ったのだが、いったい何を伝えたのか分からないままに、自分は必死で玉鬘とお話しようとしただけなのに、源氏のところへ戻ってシャアシャアと報告している。
▼なんか、彼女、宮仕えを嫌がってるみたいですよって言うと、源氏は、おかしいなあ、大原野じゃあ、帝をみてステキだって思ったはずなのになあ、若い女はさあ、みんな宮仕えってしたがるでしょ? だから、オレは気をつかったのになあ、なんて得意げに言ってる。
▼そういう源氏に、まだ高1の夕霧は、実に理路整然と源氏を問い詰めるのである。
▼だいたいねえ、あの子にとって、宮仕えと結婚と、どっちがいいんでしょうかねえ。宮仕えすれば、いくら帝に愛されたって、結局のところ、中宮や女御に並ぶってことにはならないし、蛍宮が、あんなに熱心に結婚したがっているのに、なにも、帝からご指名があったわけでもないのに、こちらから宮仕えさせれば、蛍宮もいい気はしないんじゃないかなあ、なんて、いっぱしの大人だ。原文も「大人大人しく申したまふ。」とある。「おとなしい」の語源は「大人し」で、「大人びている」という意味だ。子どもは騒がしいけど、大人は「おとなしい」ものらしい。
▼さらに夕霧は、追及する。オトウサンがそうやってあの子を手元に置いているのを、世間だって何やってんだっていって噂してますよ。頭中将も、アイツ(源氏)は、紫の上だの明石の上だのと美人をたくさん住まわせていて、玉鬘をそれと同じに扱えないものだから、ああやって、まるで捨てるように、オレに譲っておいて、宮仕えさせようってんだから、って言ってましたよなんて、結構自分勝手に作ったりして「うるはしきさまに」(きちんと。ずばりと。)話す。ここでも「うるはし」が出てきたが、これは、決して「美しい」と訳してはダメ。「きちんと整っているさま」なのだ。つまり、「理路整然」ということ。
▼源氏は、もうタジタジとなって、なんとかごまかしながらも、やっぱもう無理だわ、オレの「心清きさま」を(つまり、玉鬘にまだ手をつけてないということ。何が「心清き」だっていいたいけどね。)、アイツ(頭中将)に何とかして分からせたいものだと思いつつ、自分の下心(つまり、宮仕えさせておいて、あわよくばと思っている下心)を頭中将にばっちり見抜かれたことを「むくつけく思さる」(気味悪くお思いになる)のだった。「むくつけし」というのは、今では「むくつけき男」ぐらいしか使わないが、「(相手の正体や本心がわからないために)ぞっとするほど気味が悪い。」の意。そんなに気味悪がらなくたっていいのに。頭中将だけじゃなくて、みんなそう思ってるって。
▼柏木は、姉と分かった玉鬘(柏木は玉鬘より1〜2歳下)」を訪ねて、姉さんなんだから、もっと姉さんらしく親しくしてくれたっていいじゃないかと、甘えたことを言って近づくけれど、玉鬘はそっけない。そっけないけど、ちゃんと歌は返す。その歌にしみじみとして、明るい月の光の中を帰っていく柏木の姿を、女房たちは、夕霧サマほどじゃないけど美しいなあと、うっとりして見おくる。
▼玉鬘の出仕は、10月と決められたから、9月になると滑り込み求婚でもう大変。中でも、兵部卿宮(源氏の弟)と髭黒大将は熱心だ。ちなみに、ここでいう9月は陰暦だから、今でいえば10月。もう霜の降りる季節なのだ。
▼兵部卿宮はこんな歌を詠みかける。「朝日さすひかりを見ても玉笹の葉分(はわけ)の霜を消(け)たずもあらなむ」(朝日の光を浴びても──帝のご威光に接するようになられましても──玉笹の葉分(一枚一枚の葉)に降りた霜のような私をお忘れにならないでください)。この歌を、なんと、本物の笹に本物の霜が降りているのにつけて、使者が持ってくる。どうやって霜が融けないようにしたんだろう。すごい努力! これには、玉鬘も感動したらしく、こんな歌を返す。「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消(け)つ」(自分から日の光に向かうヒマワリでさえも、朝置く霜を自分から消すでしょうか。まして自分の意志で出仕するのではない私はあなたのことは忘れないわ)。
▼「光にむかふ・あふひ・だに」と分けて読む。「あふひ=あおい」がヒマワリ(向日葵)のことである。ヒマワリって、もうこの頃にあったんだ。意外だ。
▼たくさん舞い込む恋文に、玉鬘は、この蛍宮だけに返事を書いたので、彼はもう嬉しくてならない。で、玉鬘はどうするのだろう、というトコロだが、「この玉鬘のような女性こそ、女性の手本だ。(源氏と実の父の両方をたてて、言い寄る男にも適切に対処したことが高く評価されてるらしい)」と、語り手は玉鬘を讃えて、この巻は終わる。
▼このままだと、玉鬘は、蛍宮のところへ行きそうな気配だけれど、それがどっこい違うのでした、というのが、次の巻。

 

【31 真木柱】

 

★『源氏物語』を読む〈137〉2017.7.10
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その1)

▼いったいどうしたというのだろう、この「真木柱」の巻をあけると、いきなりこんな文章が載っている。
▼「内裏(うち)に聞こしまさむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ。」と諫(いさ)め聞こえたまへど、さしもえつつみあへず。」
▼これだけでは、何のことやら分からないが、注によって、え? そうなの? って思うことになる。昔の読者は、注なんかないから、え、なに? なに? ってやっぱり思って読み進めたのだろう。やがて事態の全容があきらかになる。
▼つまり、玉鬘は、なんと、あの人ならいいかなあと思っていた蛍宮ではなくて、やだなあと思っていた髭黒大将と結婚してしまったのである。その経緯がまったく書かれないまま、その結婚がきまったことを前提として「真木柱」の巻は始まるのだ。これもまた、工夫された面白い語り方である。
▼冒頭の部分の口語訳はこうだ。「『こうしたこと(玉鬘と髭黒の結婚のこと)を帝がお聞きあそばしたら、それも畏れ多いことです。しばらくの間、世間に知れ渡らないようにしておこう。」と(髭黒に)
ご注意されるけれども、髭黒大将は、とてもそう隠し通してばかりもいられない。」
▼髭黒は、もう、玉鬘を我が物にしたことで有頂天になっていて、テンションはマックス。隠してなんかおけっこないから、すぐに世間に知れわたる。そのうえ、もう、仕事もほったらかしで、玉鬘の部屋に入り浸っているから、玉鬘は、やだなあと思ってますます落ち込む。
▼こうした事情から、この結婚が、玉鬘の意に沿わない結婚だったことが分かる。いったいどうやって髭黒大将は、玉鬘をものにしたのだろうか。この後、経過説明があるのだろうか。気になる。昔読んだけど、ぜんぜん覚えてない。だからこそ、面白いんだけど。
▼源氏は、まあ、こうなるのもしょうがないと思いつつ、結婚の儀式を、相変わらず「父親として」取り仕切るのだが、頭中将も、それを「ありがたい」と感謝している。「ありがたし」は「めったにない」という意味だから、ここを「ありえねえ」と訳してもよさそうだけど、まあ、「感謝」の方らしい。(つまり、めったにないほどのことで、感謝すべきだ、ということになるのだ。)しかし、いくら源氏が玉鬘に未練タラタラだったとしても、いいかげん、頭中将のところへひとまず移して、結婚式もそっちでやらせればいいのにって思うのだが。
▼尚侍として宮中に出仕するということは、場合によっては後宮へも出入りし、帝のご寵愛も受ける可能性だってあるのだが、結婚したとなると、尚侍は事務職専門で、後宮へは出ないらしいから、帝も手の出しようがない。それで、帝も、玉鬘結婚の噂を聞いて、な〜んだ、残念、って思うが、頭中将の方は、中途半端な宮仕えで、帝のお手がついたのつかないのでゴチャゴチャするより、こっち(髭黒との結婚)の方がまだいいやと思って、源氏への感謝となったわけである。
▼髭黒大将は、玉鬘の機嫌が悪いので、ご機嫌取りに懸命で、会社どころじゃない状態。今までは妻一筋の真面目な男だったのに、玉鬘に夢中になって、おめかしして彼女の部屋のあたりをうろうろしたり、仕事休んじゃったりするのを、宮廷の女房たちは、おもしろいわねえって眺めている。
▼源氏は、これで紫の上に対しても「身の潔白」を証明してみせた気になって、「おまえ、オレのこと疑ってたでしょ?」なんて軽口叩くものの、「なほ思しも絶えず。」(やはり、きっぱりと断念なさっていないのである。)
▼で、源氏は、髭黒のいないときを見計らって玉鬘のところへいく。しかし、玉鬘は、もう「人の妻」。今までどおりに几帳の向こうなんかへ入れてもらえない。源氏も少し改まった態度にならざるをえない。けれども、玉鬘にしてみれば、この日頃、真面目なだけのつまらない男(髭黒のこと)ばかり見ているものだから、源氏の美しい姿がつくづく身にしみて、こんな境遇に身を落とした我が身の不幸も思われて、涙にくれる。源氏も、そんな玉鬘を見て、ああ、こんなにも可愛い人を手放すなんてあまりにも物好き(心のすさび)だったと悔やみながらも、あれやこれやと、今後の生活上の細々したことを教えるのだった。
▼「物好きだった」という後悔の仕方は、なんか変だけど、源氏は、そういう感覚らしい。

★『源氏物語』を読む〈138〉2017.7.11
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その2)

▼問題は、髭黒の奥さんである。髭黒大将は、独身だったのではない。れっきとした北の方がいたのだ。この北の方は、紫の上の腹違いの姉。ということは、源氏の義理の姉ということになる。この髭黒大将というのは、源氏の兄の朱雀院の奥さんの承香殿女御の兄弟で(なんだかゴチャゴチャするけど)要するに、どこの誰だから分からないという類いの人ではない。ちゃんとした貴族なのだが、「髭黒大将」という後から読者がつけた迷惑なアダ名のために、「髭もじゃの変な人」っていうイメージがある。もちろん、前にも確認したけど、髭など生やしているわけじゃなくて、ただ色が黒いだけのこと。この人の最大の特徴は「まめ男」ということだ。
▼今、あの男はマメだねえ、というと、いろいろなことを面倒くさがらずにやる人、働き者って感じで、浮気するような男はみんなマメだね、なんて言われる。それぐらい、気が利いてなんでも先回りしてデートなんかもちゃんとセットするようじゃなきゃ、二股だの三股だのできるわけがないというわけだ。(もちろん一股だって大変。)
▼ところが、平安時代の「まめ」は、「真面目」とか「実用的」だとかいう意味にとることが多い。夕霧も、だから「まめ男」だし、この髭黒も極めつけの「まめ男」なのである。真面目な堅物となると、結婚向きと思われるかもしれないが、そういう男は、ともすると、人間の情を理解できずに、まして妻の気持ちなどぜんぜん想像できない朴念仁ということにもなりかねない。
▼こんなことが書いてある。「なよびかに、情々(なさけなさけ)しき心うちまじりたる人こそ、とざまこうざまにつけても、人のため恥がましからむことをば、推しはかり思ふところもありけれ、ひたおもむきにすくみたまへる御心にて、人の御心動きぬべきこと多かり。」(ものやわらかで思いやり深い人ならば、何かにつけても、その女性にとって恥になるようなことは、斟酌して配慮するだろうが、髭黒は頑固で融通のきかない性分だから、北の方の気持ちを逆なでするようなふるまいが多いのである。)
▼つまり、「まめ男」は、恋愛向きじゃないってことだ。恋愛というのは、ただ一方的に好きになって、ガムシャラに突進すればいいってもんじゃない。いろいろ気をつかって、ことを運ばないとダメなんだろうけど、真面目な男にはこの髭黒のような、共感能力や感受性の欠けてるヤツが多いから、気の使いようがない。どこにどう気をつかっていいのか見当がつかないからだ。
▼そんな亭主をもった北の方も、いい面の皮としかいいようがない。しかも、そんな亭主のせいかどうか知らないが、精神を病んでしまっていて、ときどきヒステリーのような発作を起こす。(原文では、「物の怪」にときどき取り憑かれる、と書かれている。)キレイな人なのだが、髭黒は、そんな妻にだんだん嫌気がさして、夫婦仲も冷えているのである。
▼ここで、当時の結婚の形態を確認しておきたい。平安時代の貴族は、「一夫多妻」だったわけだが、他にもうひとつ、よく言われることに「妻問婚(つまどいこん)」だったということがある。つまり、結婚しても、二人は一緒に住むのではなく、男が女の家に夜になると出かけていって、朝には自分の家に帰るのだ。だから、男は「有利」で、浮気もし放題。一方、女は、結婚しても「待ってる女」でしかない。そういうことだよと、授業でもずいぶん得意になって説明してきたのだが、実は、同居しないで妻の家に行くのは、結婚の当初のことで、しばらくすると、今のように一緒に住むことが多いのだそうである。そのことを、最近になって知った。(遅すぎるよね)
▼それでは、この髭黒と玉鬘の「結婚生活」はどうだったのかというと、まだ「結婚当初」だから、髭黒は源氏の住む六条院へ、玉鬘を夜な夜な訪ねなければならない。広い邸宅だから、源氏に気づかれないように行けないこともないが、いつどこで出くわすか分かったもんじゃないから、つい、髭黒はコソコソとすることになる。どう考えたってこれは異常だ。そもそも、玉鬘は、源氏と「やってない」とはいえ、源氏は「元彼」みたいなものだ。髭黒にしてみれば、せっかく結婚までこぎ着けたのに(どうやったか依然といて謎だけど)、「元彼」の住んでる邸に、行かなきゃ妻に会えないなんて理不尽すぎる。
▼玉鬘が宮中へ出仕することを嫌がって許さなかった髭黒だが(こっちでも何が起こるか分かったもんじゃないから)、こんなことなら、ちょこっとだけ宮中へ出仕させて、その帰りにそのまま自分の家に連れてきてしまおうと考える。源氏が紫の上を「拉致」してきたのと似てるが、こっちは、結婚しているのだから、別に「拉致」でもなんでもない。むしろ当然の「権利」だ。
▼髭黒が、玉鬘を、自分の家に引き取りたい、と思うのは、ごく自然の人情というものである。しかしである。その家には、妻が住んでいるのである。いくら「一夫多妻制」だといっても、それが実は簡単なことでないことを、髭黒は想像もできない。あの細やかな心づかいにかけては天下一品の源氏でさえ、さんざん苦労しているのである。「まめ男」にそんな器用なことができるはずがないではないか。
▼しかし、玉鬘を手に入れたと舞い上がっている髭黒は、玉鬘がただ美しいだけじゃなくて、あの源氏と一緒に暮らしていたのに、「処女を守った」ことを「ありがたきこと(めったにないこと)」だと賛美してやまず、ますます熱をあげる始末だから、病気で苦しんでいる奥方のことなんかまるで目に入らない。今まで可愛がってきた子供達のこともすっかり忘れてしまう。「まめ男」が、なまじ恋をすると、もうかくのごとく手が付けられなくなるものだ。真面目な私としては、心したいところである。
▼というか、大学時代に源氏物語を読んで、髭黒だの夕霧だのといった「まめ男」の行動とその結果を目の当たりにして、「まめ男」を自認してやまなかった私はすっかりビビってしまい、もって「他山の石」とすべく、深く深く心の奥にとどめたのである。その結果、この「晩年」に至るまで、メデタク浮気のひとつもしない(できもしない)という「成果」を挙げるに至った、なんてことはどうでもいいけど。
▼そういう私と違って、「源氏物語」を読むことのできなかった髭黒は「他山の石」とするものとてなく、年甲斐もなく(といっても33歳ほどだけど)10歳も年下の玉鬘への恋に狂ったあげく、具合も悪いし機嫌も悪い奥方に、まあ、オレとしてもさあ、源氏に気兼ねしてあの子のところを訪ねるのも疲れるんだよね、でさ、家に引き取ろうと思うんだけど、いいだろ? なんて加山雄三の歌みたいな(加山雄三が無神経であるわけではありません)無神経窮まることいって、シッチャカメッチャカになっている家の中(北の方が病気なので、そうなっているのである)を片付けたり、リフォームしたりして、もうルンルン気分なのだ。
▼そんな噂を聞きつけた、北の方の父親の式部卿宮(この人が紫の上の姉のダンナ)が、そんなことでは、娘があまりにカワイソウだからオレの家に引き取るっていってくるのだった。

★『源氏物語』を読む〈139〉2017.7.12
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その3)

▼兼好法師は、「友にするに悪き人」として七項目あげている。「@身分が高い人。A若い人。B病気がなくて健康な人。C酒が好きな人。D勇ましい武士。E嘘つき。F欲の深い人。」そして、「よき友」には三つあるとして、「@ものをくれる人。A医者。B知恵のある人。」を挙げている。
▼悪い友の中に、「A若い人」があるのは、たぶん、若いと経験がないから、あまりいい話し相手にはならないということだろう。「D勇ましい武士」を挙げるのは、彼が平安貴族の末流を自認し、新興階級の武士を嫌っていたこともあるだろうが、まあ、マッチョなヤツっていうのは、やはり「共感能力」には欠けるよね。後は、まあ、だいたい納得できる。特に「よき友」に「物くるる友」を挙げているのは、正直でいい。ぼくもそういう友は大事にしたい。
▼「悪い方」で、いちばん共感するのは、「B病気がなくて健康な人」というところだ。こういう人は滅多にいないけど(少なくともぼくの周りには)、ぼくみたいに、ひ弱で病弱な人間は、「おれはさあ、病院なんて行ったことないぜ。」みたいなヤツは苦手である。ぜんぜん話が通じない気がする。
▼髭黒大将が、そういう健康な人だったかどうかしらないけど、まあ、とにかく、思いやりのない男であったことは確かで、精神を病んでいて(物の怪に取り憑かれていて)、心身ともにボロボロになっている北の方に対して、どうしてこんなこと言えるんだろうというような物言いばかり。
▼北の方の父親、式部卿宮は、そんな派手な女を家に入れて、お前が片隅に追いやられて、世間の物笑いになるようなことはオレの目の黒いうちは絶対にさせない、家に帰ってこい、と言って、部屋をかたづけて、娘を迎える準備をするのだが、北の方は、一度嫁いだ身が、おめおめと実家に帰るなんてことはできはしないと、これも当然の煩悶。その煩悶は、北の方の病気を悪化させて、彼女は寝てばかりいる。
▼髭黒は、玉鬘の住む部屋を見てから北の方の部屋を見ると、そのあまりの違いに愕然とするが、それでも、長いこと連れ添った北の方への情愛はまだ残っているらしく、何とか説得しようとする。(説得するんじゃなくて、玉鬘と別れるべきだろうって、思うんだけど、まあ、そんな発想すらない。)
▼世間の女は、これぐらいのことはみんな辛抱してるんだ、あの子(玉鬘)のことは、君が具合が悪そうだからなかなか言い出せずにいたんだよ。オレだって、病気の君にガマンしてきたんだ、それなのに幼い子どももいるというのに、君はガマンできないというのかい? 君の父親は、君を引きとろうなんて言ってるらしいが、軽率もはなはだしいよ、まあ、オレに任せて、もう少し様子をみていなさい、なんてグダグダと勝手な御託を並べる。(オレだって我慢してきたんだ、ってセリフ、最低。)
▼それを聞いた北の方は、ワタシなんか、もうどうでもいいんです。バカだのボケてるだの言われたって、もう、慣れっこですから。でも、オトウサマのことを引き合いになんて出さないでください。こんなワタシの父だということで、オトウサマがどんなに恥ずかしい思いをすることか、と泣き崩れる。
▼その姿はこんなふうに描かれる。「いとささやかなる人の、常の御悩みに痩せおとろへ、ひはづにて、髪いとけうらに長かりけるが、分けたるやうに落ち細りて、けずることもをさをさしたまはず、涙にまろがれたるは、いとあはれなり。」(まことに小柄な人で、日頃のご病気からすっかり痩せ細って衰弱し、髪はとても長かったのが、今は分け取ったように抜け落ちて、梳(と)かすこともほとんどなさらないで涙で固まっているのはまことに痛々しい。」
▼平安時代の女性の美にとって「髪の毛」は最重要項目だから、ここは、ほんとにやつれきった姿だということだ。
▼そういう北の方に向かって、玉鬘を引き取りたいというのだ。そして、なんとか仲良くつきあってくれと言う。ヒドすぎる。
▼北の方は、オトウサマは、妹(紫の上)のことを思って、あんな目にあわせたくない(つまり、源氏の愛人になったけれど、明石の姫君を育てるような屈辱を味わうような、ということ)から、ワタシのことも心配して家に引き取るなんて言うんでしょうけど、ワタシはほんとにもうどうでもいいのです。ワタシは気になんかしていません。ワタシはあなたのなさりようを見てるだけです、という。
▼それを「許可」と勝手に受け取った髭黒は、もう、夜が近づくと、玉鬘のところへ行きたくてウズウズして、それでも、北の方を気にして、グズグズしてる。いっそ、北の方が、嫉妬に狂って暴れだせば、それをあおっておいて、それを口実に家を出て行ってしまえるのに、なんて、普通の男なら思いつきもしないような、とんでもないことを考える始末だ。ほんとに「クソ野郎」だぜ、って思って、紫式部は書いているんじゃないだろうか。ぼくはそう思うな。
▼雪が降ってきた。「あいにくの雪ね。どうやってこの雪を踏み分けてお出かけになるの?」と、止めても無駄だとすっかり諦めて、そんな言葉を投げてぼんやりしている北の方を見て、髭黒は出かける決心をする。
▼北の方は、おだやかに見送ろうと、けなげにも、愛人のもとへ出かけていく髭黒の着物に香をたきしめたりするのだが、その目は真っ赤に泣きはらしている。そんな妻の姿を見て、髭黒は、うとましく思って、どうしてこんな女と長いこと暮らしてこられたのだろうかという思いがふとよぎり、それでもさすがにそんな自分の心変わりを軽薄だなあとは思うのだが、やっぱり、心は玉鬘へ、玉鬘へと向かう。
▼玄関の方から共人の声がする。「雪が少しやんできました。はやくなさらないと夜も更けますよ。」

★『源氏物語』を読む〈140〉2017.7.13
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その4)

▼源氏物語に出てくる重要なアイテムに、香炉と伏籠(ふせご)がある。その頃は、毎日お風呂に入るってこともなかったから、体もきっと臭かったはずで、その臭いを消す意味もあったのだろう、衣服に香をたきしめるということが行われた。香もいろいろあるから、それぞれ好みの香を使い、おそらくブレンドもしただろうから、男も女もみなオリジナルな香の匂いを漂わせて、暗がりのなかをうごめいていたのだろう。源氏などは、もう最高級の香を使っているに決まってるから、もう、遠くから源氏がやってきただけで、真っ暗闇でも、あ、源氏が来た! って分かっちゃうわけである。
▼御簾越しに男女が会っても、御簾の隙間から、相手の香の匂いがすっと漂ったりするだけで、心をときめかせたりもしたのだ。ま、今でも、「匂い」は、恋愛において大事な要素なのだろうけど、なにしろ、「見えない」世界での情事において、「匂い」は絶大な威力を発揮したわけだ。
▼で、髭黒の北の方は、どう引き留めようとしても愛人のところへ行ってしまう夫への嫉妬に耐えながら、夫の衣服に香をたきしめさせていたのであった。(前回、自分で焚きしめてるように書きましたが、間違いでした。「使役の助動詞」を見落としていました。)香炉の煙が衣服全体に染み渡るように、香炉の上に、伏籠というザルのようなものをかぶせて、その上に衣服を広げる。まあ、「燻製」みたいなものだと思えば分かりやすい。香炉がイメージしにくい人は、要するにお焼香するときの、アレだと思えばいい。灰の中に火のついた炭(これを「埋み火」という)を埋めて、その上に、香木を置くと、徐々に燃えて煙が出るという仕組み。お焼香もそうだよね。
▼髭黒は、鼻歌交じりの気分で、自分でも小さな香炉を手にして、袖なんかに入念に香をたきしめて、さて、雪も小やみになりましたという家来の声に、部屋から出ようとした。
▼お仕えする女房たちは、もう、北の方が気の毒でならず、ねえ、奥様があんなに辛そうなのに、ひどいわねえ、やっぱり出かけていくのねえ、なんて言い合っている。
▼その時だ。脇息(きょうそく=ひじかけ)にもたれかかってじっとしていた北の方が突然立ち上がり、伏籠をはねのけ、中の香炉を手に取ると、髭黒の背後にススッと近寄り、手にした香炉の灰を髭黒に思い切りぶちまけた。周りの者がとめるいとまもない瞬時の出来事。髭黒は呆然とするが、着物から、髪の毛から、もう灰まみれで、着物は埋み火の火がついて焼け焦げる始末。こんな姿では、出かけることもできない。
▼北の方は、すっかり正気を完全に失って大暴れするので、加持祈祷の坊さんがやってきて、一晩中、打たれたり叩かれたりしているうちに、ようやく発作も治まった。当時の医療事情は、今さら言うまでもなく、もっぱら僧侶の加持祈祷によっていたわけだが、それにしても、北の方が「打たれ引かれ泣きまどひあかしたまひて」(打たれたり引き倒されたりしながら泣き狂って朝をお迎えになり)というのは、あまりに悲惨で、目を覆いたくなる光景だ。平安時代って、案外野蛮なんだよねえ。
▼この北の方の発作は、「物の怪」の仕業と説明されるわけだが、その「物の怪」の正体は、抑圧された女性の心なのだろう。「一夫多妻」の世界の中で、どれだけ女が苦しんだことか。どんなに苦しんでも、それを男は理解しないし、同情も、共感もしない。むしろ、嫉妬する様を楽しんでいるふうでもある。現に、この髭黒は、こんなふうに灰をぶっかけられる直前に、いっそ嫉妬に狂って発作でも起こしてくれたら、それを口実に家を出られるのになあ、なんて不埒なことを考えたわけである。それが、見事に実現したわけだ。けれども、その発作は、髭黒の想像をはるかに超えた形で現れ、口実にして家を出るどころか、そのために家を出て玉鬘のもとへ行けなくなってしまったのだ。
▼「埋み火」は、まさに、抑圧された嫉妬心の象徴である。それが限界に来たとき、埋み火は、灰とともに、男の全身に降りかかったのだ。
▼こう考えてからもう一度読んでみよう。「御火取り召して、いよいよ焚きしめさせたてまつりたまふ。みづからは、萎えたる御衣(おんぞ)どもに、うちとけたる御姿、いとど細うか弱げなり。しめりておはする、いとこころ苦し。御目のいたう泣き腫れたるぞ、すこしものしけれど……」(北の方は香炉をお取り寄せになって、いっそう香をたきしめさせておあげなさる。〈自分で焚きしめるのではなくて、おつきの女房たちにさせるのである〉ご自身は、糊のとれたお召し物を重ねての普段着のお姿で、ますます痩せ細って弱々しげなさまである。うち沈んでいらっしゃるのがまことに不憫に思われる。目を泣き腫らしているのは、〈髭黒には〉いささかうとましいけれど)
▼この北の方の姿の描写は、なぜか、『東海道四谷怪談』を思い起こさせる。すごく怖い。
▼心はまるで上の空で、愛人のことで頭をいっぱいにして香を着物に焚きしめている男を、じっと見ている女の不気味さ。その瞳の奥に「埋み火」が見える。灰に埋もれながら静かに燃えている火。自分でも抑えきれない嫉妬の炎。紫式部は、「見えないもの」を描いている。本物の文学であるゆえんである。

★『源氏物語』を読む〈141〉2017.7.14
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その5)

▼灰だらけになってしまった髭黒は、その日は玉鬘のもとへ行くことをさすがに諦めたのだが、翌日になると、ようやく落ち着いてきた北の方に安心したのか、お出かけの用意に余念がない。
▼灰にまみれた衣服には、焦げた匂いが染み付いていて、それが「嫉妬」の匂いのような気がして、こんな匂いに玉鬘が気づいたら嫌がられるに決まってるから、着物も脱ぎ捨て着替える。それでも体に匂いが染みついているような気がするから、「御湯殿」(お風呂)に入る。源氏物語で、お風呂の場面って珍しい。ま、浮気も、けっこう「匂い」でバレるらしいから、そういう気遣いというのは、古今東西変わらないのかもしれない。それにしても、当時の「湯殿」ってどういうものだったのか気になる。
▼お仕えの女房の「木工の君」という女が、髭黒の着物に香を焚きしめながら、歌をおくる。「独りゐてこがるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見し」(お召しものが焼けたのは北の方がひとりで取り残されていて、焦がれていらっしゃるお胸の火のような苦しさから、思いあまって燃え出た炎のせいだと思います。)
▼木工の君は、こうやって北の方の気持ちを代弁するのだが、実は、自分の髭黒への思いも込めていると「解説」にはある。そうした女房たちとは、なんらかの「関係」はあるものだから、それはそうかもしれないが、まあ、この際、それは置いておこう。
▼とにかく、木工の君は、奥様が可哀相でなりませんと訴えるわけだが、髭黒は、なんでオレはこんな女(北の方)と付き合う気になったんだろうと思うばかりで、語り手も「情けなきことよ。」(薄情だわ」って言っている。
▼玉鬘のところへ行けば、たった一晩会わなかっただけなのに、玉鬘はいちだんと美しくなったように見えるもんだから、もう、家に帰る気がしないで、そこに籠りっきりになってしまう。たまに、家に帰っても、北の方は恐ろしくてならないから、彼女の部屋は避けて、子どもたちとだけ会っている。北の方は、ああ、もうこれで終わりだと絶望しているので、その姿をみる女房たちもただただ悲しむばかり。
▼髭黒と北の方の間には、3人子どもがいて、長女が後に「真木柱」と呼ばれる女の子で、12、3歳。その下に男の子が二人いるけど、まだ幼くて、両親の不和も理解できない。
▼噂を聞いて、北の方の父親、式部卿宮が、もう我慢の限界とばかり娘を迎えにやってくる。北の方は、今まで頑固に実家に戻ることを拒み、どうせなら、最後までここに居続けて、あの人に完全に捨てられてしまうのを見極めようと思っていたのだが、それも人の物笑いになるだけだと納得して里へ帰る決心をする。
▼北の方の絶望は深い。自分はもうどうなってもいいやと思うのだが、子どもたちが不憫だ。娘は何があっても自分の手元においてなんとか養うとしても、男の子はどうするんだ。オジイサマ(式部卿宮)が生きているうちはいいけれど、もし亡くなったら、この子たちが頼りにできるのは、父親だけ。その父親がぜんぜんあてにならない。ただでさえ、今の世は、源氏と内大臣(頭中将)らの一族が牛耳っているのだから、出世の芽もないに等しい。そう思うと、愁いはつきないのだった。
▼女房たちや、その他のお仕えしていた者たちも、みなお役御免となって、ちりぢりになっていく。子どもたちを世話してきた乳母たちも、あんな父親じゃ、この先真っ暗だわねえと嘆きあうのである。
▼髭黒の恋は、それが女房子どもをもった「いい大人」の恋だっただけに、しかも、「いい大人」なりの分別のある恋(それはたぶん「場数」を踏むことで初めてなし得るものなのだろう)ではあり得なかっただけに、多くの人の運命を狂わせていく。髭黒は、いつになったら、目が覚めて、「反省」するのだろうか。
▼こう考えてくると、やっぱり「恋」は、みずみずしい命に生きる純情な若者の特権なのだと思われてくる。中高年が、いくら「大人の恋」をきどったところで、どこか、そこには、薄汚いものが混じり込んでしまうのではなかろうか。それはそれでまた違う「味」だとも言えるのかもしれないけれど、やっぱり「美しい」とは言えないだろう。
▼古今東西「初恋」は、いつも、文学の大切なテーマであった。

★『源氏物語』を読む〈142〉2017.7.15
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その6)

▼まだ12、3歳の「真木柱」の歌が泣かせる。
▼真木柱は、もちろんあだ名だが、髭黒の長女。父親がとんでもない恋に狂ったために、母親と一緒に母親の里に行くはめになる。けれども、髭黒は、この子をけっこう可愛がっていたものだから、オトウサマとは離れたくないと言って泣くのだが、もちろん、そんなことはできない。無理やり母に連れられ、オジイチャンのオバアチャンの家に行かなければならないのだ。
▼長年住み慣れた家を離れるというのは、悲しいものである。二度とこの家を見ることもないだろうと思えばなおさらだ。それでこの子は、こんな歌を詠む。「今はとて宿かれぬとも馴(な)れ来つる真木の柱はわれを忘るな」(もうこれっきりと、この家を去ってしまっても、日頃寄り添って来た真木の柱は私のことを忘れないでね。)
▼この歌を書き付けた紙を、柱の裂け目にはさむのだ。その部分はこんな風に書かれている。
▼「常に寄りゐたまへる東面の柱を、人にゆずるここちしたまふもあはれにて、姫君、檜皮色(ひはだいろ)の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の乾(ひ)われたるはざまに、笄(かうがひ)の先して押し入れたまふ。」(いつも寄りかかっていた東面の柱を他人にゆずってしまうような気がするのも悲しくて、姫君は、檜皮色(黒みのある紅色)の紙を重ねたのに、ほんの小さく歌を書き付けて、柱のひび割れの隙間に笄〈髪を?いたり整えたりする棒状の道具〉の先でお差し込みになった。)
▼この歌によって、この子は「真木柱」と呼ばれる。この子については、その容貌についてはほとんど言及がないが、どうも、この後、実の母よりも、玉鬘にあこがれるらしくて、「今風」な女の子だといわれる。おもしろいことに、源氏物語には「今めく(今風だ。ナウい。)」とか「古代(古くさい)」といった言葉が出てくる。どの時代にも、そういう感覚があったのは当然のことだけど、1000年も前の物語を読んでいて、「この人ったら、妙に古くさくて」とか、「この子は、さすがに現代的で」なんて出てくると、おやっと思ってしまう。不思議な感覚だ。
▼当時のお姫様というのは、文字通り「箱入り娘」として、家の中に起居しているわけだが、具合が悪ければ伏せている(寝いている)か、脇息にもたれて座っているかなんだけど、具合がよくても、あんまり、立っていたり、歩きまわったりしないで、座っているみたいで、この歌なんかをみると、柱に寄りかかっていたことも多いのだということが分かる。この子だけが特別に柱に寄りかかっていたというわけでもないだろうから、一般的な所作だったのだろう。当時の部屋というものは、そういえば、「壁」が少ない。部屋も、御簾とか几帳とかで仕切ってあることが多いから、ヘタに寄りかかったら倒れちゃう。で、柱に寄りかかるということになるんだろうね。
▼この子にとっては、自分の部屋の中で、まるで「お友達」のように親しみを感じていたのが、まさにその「柱」であり、それが誰かのものになってしまうの耐えられない気がしたのだろう。なんか、かつての、「三井のリハウス」のCMを思い出す。
▼こんなかわいいけれど切ない場面を描いたあと、物語は、北の方の親と源氏との確執を描く。親戚間の不和というものは、今でも当たり前のようにあることだし、ぼくもそれを何度も何度も経験し、骨身にしみてそのすさまじさは分かっているけれど、それはもう、昔からの永遠の課題なのだ。
▼北の方の父親、式部卿宮(以前は兵部卿宮だった)というのは、紫の上の父親であり、また藤壺の兄である。ということは、源氏にしてみれば、いちばん大事な親戚ということになるはずなのだが、そもそもの始まりが、オバアチャンの家に預けられていた紫の上を見初めてしまった源氏が、その父親の許可も得ずに自宅に「拉致」してきてしまい、しかも、娘はどこへ行ったのだろうと親が探しているのに、源氏はしばらく知らん顔をしていたのだから、父親の式部卿宮としてはおもしろくなかったわけである。
▼それでも、今をときめく源氏の妻となったことは、父親としてもありがたく思う面もあったのだが、それでも、源氏が須磨でどん底だったときに、世間体をはばかって(つまりあんな源氏と付き合っているのかと思われたくなかったということだ)「冷たかった」ことを源氏はその後も長く恨みに思っていたのだ。
▼源氏のことを執念深いヤツだということもできるけれど、病気や不遇でどうしようもない時にこそ、友達も親戚も、その真価が分かるというのもまた真実である。
▼で、娘がこんなふうに実家に戻ってきたのを、母親は、ものすごく腹をたてる。誰にって? 源氏にだ。あの人は、大事な親戚筋にあたるのだから、頼りにしていたのに、なにさ! どこのだれとも分からない若い子を継子だとか言って引っ張り込んで、さんざん慰みものにしておきながら、もう飽きたからといって、ウチの婿(髭黒)に押しつけたのよ、まったく冗談じゃないわよ、と大騒ぎして、挙げ句の果てには「まがまがしきこと」(とんでもない不吉なこと。日本には「言霊信仰」があるから、不吉な言葉は発してはいけないのだ。)まで「言い散らす」始末で、いくら「女は正しい」(これはぼくの言葉です)とは言っても、ここまでくるとさすがに弁護はできなくて、語り手も「この大北の方ぞさがな者なりける」(この北の方は、手に負えない性悪女なのであった)と言っている。「大北の方」っていうのは、娘の「北の方」の親だから、そう言っているのだそうだ。「さがな者」というのは「手に負えない人。口やかましい者。性悪者。ろくでなし。」(日本国語大辞典)という意味。
▼この「大北の方」が「さがな者」とまで言われるのは、「まがまがしきこと」を口走ったこともあるだろうが、玉鬘の件を誤解しているからでもあろう。彼女は、髭黒が玉鬘に言い寄ったことを知らずに、源氏が、「おふる」の玉鬘を髭黒に押しつけたと思い込んでいるわけである。
▼ちなみに、源氏物語で、「さがな者」と言われているのは、あの「帚木」の巻で話題になった「指喰いの女」(指を喰ったのではない、噛みついただけ)と、あの「近江の君」そしてこの「大北の方」の3人だけである。近江の君は、けっこうカワイイと思うんだけどなあ。
▼まあ、そんな妻のとんでもない物言いに、さすがに夫は、そういうことを言うもんじゃないと、ただただ妻をなだめるのであった。夫もまた、大変である。女もつらいけど、男もつらいね。

★『源氏物語』を読む〈143〉2017.7.16
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その7)

▼髭黒は、北の方が実家に戻ってしまったと聞くと、玉鬘にむかって、どうしたのかなあ、変なことになっちゃってさあ。まあ、出てってくれたんなら、かえってその方が気楽なんだけど、まあ、アイツも部屋の隅っこにでも居てくれればそれでいいと思ってもいたんだよね、それがさあ、実家に帰ったなんて、世間体が悪いからなあ、ちょっと行って呼び返してくるよ、なんて言って、着飾った堂々とした衣裳で出かけようとする。玉鬘の女房たちは、ステキだ、これなら姫様にお似合いだわって思うのだが、当の玉鬘は、勝手にしろとばかり、無言、無視。
▼北の方の実家に行くまえに、自分の邸に行ってみると、(ややこしいなあ。玉鬘は、今は、六条院、つまり源氏の邸に住んでいるのです。)、木工の君なんかが、真木柱が歌を詠んで、それはそれはおかわいそうでしたなどと報告する。娘の書いた歌をみると、そこには幼い筆跡で、あの歌が書かれている。さすがの髭黒も、これにはボウダの涙だった。
▼さて、実家に行っても、父親はケンンモホロロで会ってもくれない。せめて娘に会わせてほしいと頼んでもダメ。しかたがないので、男の子二人をつれて帰る。(男の子じゃ、価値がないんだよね。当時は。)でも、六条院の玉鬘のところに連れていくわけにもいかないから、自分の邸に連れて行き、木工の君などに世話を頼む。男の子こそいい面の皮で、上の子が8歳ぐらいだから、オトウサンが自分たちをおいてどこかへ行っちゃうのは悲しくてしょうがないから心細そうに見送る。その姿をみて、髭黒は、ちょっとカワイソウだなあとは思うけれど、玉鬘に会うともう「よろづをなぐさめたまふ」(いろいろな心労も何もかも忘れる思いがなさる)だって。なんて、自己中な父親であろう。ナサケナイ。
▼そんなこんなでゴチャゴチャしているうちに年もあけ、宮中では「男踏歌」の儀式が華やかに行われる。それを機会にと、髭黒は、仕方なく、玉鬘を尚侍として、宮中に出仕させることにした。しかし、尚侍ともなれば、帝の寝室に侍るしきたりもあるので、それが心配で心配でならない。その心配は見事に的中する。
▼髭黒が、そもそもどうやって並み居る求婚者を押しのけて、玉鬘をものにしたのかは依然として不明なのだが、どうも、髭黒の手紙を取り次いでいた「弁のおもと」という玉鬘おつきの女房が、髭黒を手引きしたらしい。この巻の冒頭あたりに、髭黒が、「石山寺の仏」と「弁のおもと」を並べて拝みたい気持ちだ、という記述があって、そこから、そんなふうに推測できるらしい。それが事実なら、「先に手をつけたものが勝ち」って話なのかしら。競争者の中には、帝もいたんだけどなあ。ある意味、平等なのかもしれないけど、釈然としない。今度、国文学者の友人に会ったら聞いてみよう。
▼玉鬘は、宮中に「局(つぼね)」を与えられ、男踏歌の踊りを見物していたが、さっそく、髭黒の心配のタネ、帝がやってくる。この帝は、冷泉帝で、源氏の実の息子。御年20歳。さすがに源氏の血を引いているだけのことはあって、美しくまた好色である。玉鬘もこの帝を見ては、まるで亭主の髭黒とは雲泥の差だから、この方を嫌う筋はないと思って、好感も持つのだが、この帝がしつこい。
▼そばに寄ってきて、髭黒に先を越されて悔しいなあ、タッチの差だったなあ、君のこと好きだったのに、せっかくここへ来たのだから今夜はいいでしょ? だかなんだかしらないけど、ああでもない、こうでもないと言って玉鬘に迫る。そうされると、玉鬘は、ええい、メンドクセエなあと思って、もう絶対「マジメ」な顔しか見せないぞって思う。断固拒否である。とはいえ、歌などおくってくれば、畏れ多くももったいないと思ってそれなりのお返事は出すけれど、「我は我」(私は私だ。)と思うのだった。この「我は我」という言葉が、こんなところに出てくるなんて、びっくりした。
▼こういう玉鬘は、えらい。髭黒のことなんか、これっぽちも好きじゃないのに、だからといって、この誰もが憧れる美しい帝になびこうとしない。それは、もし、自分がこの帝の子でも宿したら、他の奥方たちからどう扱われるかしれないという恐怖があるからだ。そんなメンドウは絶対に嫌なのだ。だから、なびかない。
▼髭黒は、もう、心配で心配で気が気じゃないから、あっというまに、玉鬘を宮中から下がらせてしまおうとするのだが、下がろうとする玉鬘に、帝は、ねえねえと(これに対応する古語はありません。あくまでイメージです)、どこまでも、蠅取り紙みたいにベタベタくっついてきて、どうしようもない。でも、それを振り切って、家に帰る。
▼帰ったら帰ったで、こんどは亭主の髭黒が、ねえねえ、オマエ、帝にあったんでしょ、だからぼくは嫌だと言ったんだ、ねえ、ねえ、どうだったの、それで、何にもなかったの? ってなことを聞いてくるものだから、玉鬘は、ああ、なんってこの人はつまんない男だろうとつくづく嫌気がさして、ご機嫌ナナメなのだった。

★『源氏物語』を読む〈144〉2017.7.17
今日は、第31巻「真木柱(まきばしら)」(その8・読了)

▼玉鬘は、帝に言い寄られても、「私は髭黒の妻だ。」と、自分をしっかり保持して、なびかなかった。帝は、やっぱり未練があるけれど、もう、どうしようもないから、玉鬘を思う歌を口癖のように呟いているばかり。
▼一方、まだまだ未練たっぷりで、悲しみに暮れているのが源氏である。源氏は、もうこんなことで思い悩むトシじゃないんだと分かっているのだが、「色好み」の宿命がそうはさせない。以前にも説明したが、この「色好み」は、単に「女好き」ということではなくて、たぶん、人生における「芸術的な態度」ともいうべきものなのだろう。もちろん女性関係抜きの「色好み」はないだろうけど、だからといって、女性関係だけで「色好み」になるわけでもない。女性に恋する過程での、さまざまな駆け引きとか、風情とか、場合によっては、振られたときの悲しみとか、そういったものを全部ひっくるめて、味わう態度というべきか。
▼兼好法師もその辺のことをこんなふうに書いている。「万(よろづ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。」(すべてのことにすぐれていても、ひたむきな恋心の動かないような男は、まるで玉の杯の底がないもののような気持ちがするだろう。)ここでは(日本古典文学全集)、「色好む」を「ひたむきな恋心」と訳しているが、その後の文章を読むと、世間からも親からも非難されて、恋人を求めてさまよってはみても、結局は「ひとり寝」をするのがオチなのだが、そういうのが「趣がある」のだというのだ。しかも、恋に溺れきっているようには女からは見えないような態度をとるのが好ましいなんて、兼好法師は言うのである。
▼このような兼好法師の発想も、実は、源氏物語あってのものだということがよく分かる。ただ、兼好のこうした物言いには、どこか濁った感触があり、源氏物語の澄み切った美意識とはまた趣を異にしていると、最近思うようになった。「王朝文学」(平安文学)の美意識と、中世の美意識には、どこかで、かみ合わないところがあるような気がする。というか、「王朝文学」の美意識は、まるで別格なもので、二度とその高みに到達はできなかったということなのかもしれない。もちろん、現代でも、だ。
▼さて、そういう「色好み」の代表選手の源氏は、玉鬘のことがどうしても思い切れないので、歌をおくる。とはいえ、あの堅物の髭黒の元へ手紙を出すのだから、表面上はアケスケなことを書かないようにする。しかも、玉鬘の側にはあの右近がいるから、彼女に変に勘ぐられるのも嫌だという気持ちもある。右近は、源氏からも、玉鬘からも、ほんとのことを聞いてないから、この二人って、どうなんだろうと思っているのだが、分からない。
▼玉鬘は、源氏の歌を読むと、そこに込められたひたむきな思いが伝わってくるので、懐かしくてしょうがない。一緒にいたときは、あの人が変なこと言ってくると、ウザいって思ったけど、でも、あの人はやさしかったわ、と思うのだ。なまじ「親じゃない」と知れたので、簡単にはもう会えない。「あなたが恋しい」とも言えない。あんまり切ないから、表面上はそっけない歌に託して思いを伝える。
▼その玉鬘の手紙をもらったときの描写が目を見張るほど素晴らしい。
▼「ひきひろげて、玉水のこぼるるやうに思さるるを、人も見ばうたてあるべしとつれなくもてなしたまへど、胸に満つ心地して…」(手紙をひろげて、源氏は涙もあふれんばかりに恋しく思われなさるが、人が見たら、外聞も悪かろうと、平静を装っていらっしゃるけれど、胸がいっぱいになる思いがして…)
▼源氏が玉鬘におくった歌は「かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人はいかに偲(しの)ぶぞ」(しとしとと降ってのどやかなこの春雨に、あなたは昔なじみのこの私を、どのように思っていてくださいますか。)「ふるさと人」とあるが、「ふるさと」というのは、いわゆる故郷のことではなくて、「住み慣れたところ」という意味で、暗に自分のことを指すわけである。
▼それに対して、玉鬘の返歌は、「ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人を偲ばざらめや」(長雨の降る軒の雫に──悲しみの涙に──袖を濡らしつつ、どうしてあなたをことを恋しく思い出さないことがありましょうか。」「うたかた人」の「うたかた」は「水の泡」という意味だから、「水の泡のようにはかない間柄だったあなた」ということで、源氏を暗に指すと考えられる。(ただし「うたかた」の意味は、確定的ではなく、古来謎とされてきたとのこと。)これでも、「恋しい」気持ちはバレバレだと思うけれど、当時の歌としては、「そっけない」のだろう。
▼この贈答歌を念頭において、先の描写を読むと、その素晴らしさが納得されるだろう。玉鬘の手紙を開いて読んだとたん(あるいは開いたとたん)、源氏は玉水(宝石のように美しい涙)をハラハラと流した、というのだが、それは、玉鬘の歌にある「軒のしづく」との関連である。しかし、ここを読んだとき、広げた手紙から、玉水がハラハラとこぼれ落ちた、というイメージが頭に浮かんだ。そうは訳せないけど、そのイメージは鮮烈だった。いっそ、そう読んでしまいたいほどだ。玉鬘の悲しみが、玉水となって手紙からこぼれ落ちる、そして源氏も玉のような涙を落とす、そうとってもいいのではないか。勝手な読みかもしれないが、それが「読書」の醍醐味でもある。
▼しかも、この「玉水=涙」のイメージは、「春雨」「軒のしづく」と合体して大河となり、その後の「胸に満つ心地」へと連なる。「満つ」は、水が満ちるイメージを生んでいるのだ。悲しみの海に溺れる源氏と玉鬘が見える。まあ、ロマンチックすぎるけど。
▼こうして、玉鬘をフィーチャーした「玉鬘十帖」(「玉鬘」の巻からこの「真木柱」の巻までの10帖を、こう呼ぶのである。)は、源氏と玉鬘の悲しみを見事に描いて、幕を閉じるのだ。この後、玉鬘は、髭黒の子どもを産み、良妻賢母の道を歩まざるを得ないだろう。それが、彼女の幸せであったはずもないが、それが彼女としての精一杯の人生であるはずだ。
▼そして、何と、この「真木柱」のラストには、あの「さがな者」の「近江の君」がドカドカと登場し、貴公子の夕霧を女房たちが、うわ〜、ステキねえとみている中を割って出て、「あ、この人だ、この人だ!」って夕霧を指さして大声で叫ぶのだ。みんなが顔をしかめる中、彼女は、臆面もなく夕霧に歌をよみかける。あなたにまだ決まった人がいないんだったら、私付き合ってもいいわよ、って歌。それにはいくらマジメな夕霧でも閉口して、いくら相手がいなくて困ってるぼくでも、君となんか付き合わないぜ、みたいな歌を返したので、近江の君も、さすがにきまりの悪い思いをしたそうです、というのが、ラストである。
▼しっとり終わればよさそうなものだけど、そこをあえて崩して、苦みと笑いを添える作者の手腕も相当なものだ。
▼意外と読み切るのに時間がかかった「真木柱」だが、次の2巻では、源氏の栄華の極みを描き、いよいよ、この物語の頂点「若菜」の巻へと続いていく。



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