「源氏物語」を読む

 

No.26 常夏 〜 No.28 野分

 

 


【26 常夏】

★『源氏物語』を読む〈121〉2017.6.24
今日は、第26巻「常夏」(その1)

▼「常夏」の巻は、源氏と夕霧が、釣殿(御殿の池に張り出して作られた建物)で、涼んでいるシーンから始まる。桂川でとれた鮎なんか食べてる。優雅なものだ。こういう家に住みたいなあなんて思うもおろかなことだけど、憧れるなあ、釣殿。
▼源氏は、頭中将(今は内大臣と呼ばれている。ここではメンドクサイので、「頭中将」でいきます。)とは、若い頃からいつも一緒に遊んでいた仲で、しかも、正妻の葵の上の弟ということもあって、とても気の合う親友だとばかり思っていた。ところが、大人になると、だんだん仲が悪くなってくる。社会的な地位とか、家族の問題とか、大人になれば当然いろいろな違いが出てくるから、どうしても「優劣」がついてしまい、それが嫉みともなりやっかみともなる。
▼よく女の友情は続かないなんていうけれど、そういう意味では男だって同じことだ。ただ、男は基本バカだから、必然的に生まれてくる「優劣」を無視できる、あるいは無視しているつもりになって、子どもの頃と同じ関係で結ばれていると勘違いしているだけなんじゃないかって思うこともある。とくにぼくなんかは、最近、その感が深い。
▼昔同じ教室で机を並べていたころは、成績の格差はひどくあったにせよ、そんなことは遊んでいれば自然と忘れてしまって、友情はつちかわれた。しかし、還暦をすぎてから、たとえば年収が自分の10倍もあるとか、年中テレビに出てチヤホヤされているとか、そういう格差を目の当たりにしたら、いくらバカな男だって、うちひしがれないではいられない。(友がみな我よりえらく見ゆる日よ、だっけ?)それを乗り越えて「友情」が成り立つには、よほどの「知的操作」(つまりは、哲学的思考とか、価値観の確認とか、そういうもので「バカヤロウ! フザケンナ!」っていうような心の底に渦巻く「自然な感情」を否定すること)にたけていなければなるまい。ただ、通常の場合は、そんなメンドクサイことではなくて、「すべてをチャラにして」飲んだくれるということになるだろう。それがたぶん「友情」の本質(少なくともその一面)だし、だからといってそんな「友情」が「ホンモノじゃない」って悩むこともないのだ。
▼源氏は夕霧と雲居雁との幼い頃からの恋をいとしく思っていて、なんとかこの恋を成就させたいと思っているのだが、頭中将は、子どもはたくさんいるけど、とびきり美人の雲居雁をなんとかして入内させたいと思う。源氏がいくら絶大な勢力を誇っているからといって、夕霧と結婚させても得るところは少ないのだ。ただ、そうはいっても、頭中将も、やっぱりこの二人を結婚させてやりたいとも思うのだが、それには源氏が一方的に頭を下げて頼みにくることが前提だなんて思っている。つまりは、意地の張り合いなのだ。やっぱりバカだね、男ってのは。
▼源氏は源氏で、自分は子どもが少ないのに、頭中将にはたくさん子どもがいることを、どこかで嫉んでいる。頭中将は、最近では、さらにどこぞの身分の高くもない女に生ませた娘を引き取ったりしているが、この「近江の君」と呼ばれる女の子は、きれいでもないし、教養もないし、ぜんぜん期待できないから、彼にしても幸せ一杯夢一杯ということでもないんだけど。
▼で、その釣殿に、頭中将の息子たちがゾロゾロとやってくる。(なんだかマヌケな感じがする)源氏は、おお、よく来たといって、歓待するが、ところで君らのところに来た「近江の君」ってどういう子なの? なんて、実情を知っているのに嫌味たっぷりに聞いたりする。挙げ句は、夕霧にむかって、どうだ、お前、アイツのところにいる「落葉」(「近江の君」のこと。なお、後で登場してくる「落葉宮」のことではない。)とでも結婚したらどうだ、アイツが許さない雲居雁なんかと無理やり結婚して変な噂を流されるよしマシだろう、なんていう。「落葉」ってヒドイよなあ。「近江の君」だけじゃなくて、アイツは遊びまくってるから、いろんなところに「落葉」がいるからなあというわけだ。源氏だって、一緒に遊びまくっていたくせに。でも、フシギに、源氏は子どもに恵まれない。夕霧(葵の上との間にできた子)と、明石の姫君(明石の上との間にできた子)だけだ。その他にいたのかもしれなが、名乗りでてもしょうがないって思ってるのかなあと源氏は思っていたりする。
▼そのゾロゾロやってきた頭中将の息子たち(柏木は来なかった)を見て、源氏は、なんか近ごろおもしろいことはないか? オレも退屈でさあ、と「面白い話」を催促する。源氏は、もう、権勢を極めているが、それだけに、宮中での「仕事」がなくて、六条院で退屈してるのである。
▼これにも共感。学校での「仕事」がないぼくは、いろいろと好きなことして暮らしていて、優雅に見えるかもしれないが、やっぱり、心の底では退屈している。「現場」は、楽しいことばかりじゃなくて、むしろ、苦しいとか頭にくるとかいうことでいっぱいだけど、そういう「生き生きとした現実」は、なんといっても生きる上での活力源だし、おもしろいのだと、この年になって痛感している次第なのだ。
▼源氏も、オレもさあ、年だしなあと、たった36歳なのに、もう「老境」なのである。だからこそ、こうした若い男が、若い女に夢中になっている所を見て楽しみたいなんて思うのであろう。「嫌らしい」とぼくが思ったのは間違いだったのかもしれない。
▼源氏は、その男たちを玉鬘のところへ連れていく。玉鬘は、彼らが自分の兄たちであることを知っているが、兄たちは玉鬘が妹だってことを知らないから、それこそ胸をときめかせている。そんな様子を源氏はニヤニヤ笑って見ている。こういう「笑い」を古文では「ほほえむ」という言葉で表している。「ほほえむ」という言葉は今ではいい意味でしか使わないが、昔は、「苦笑、失笑、冷笑などをも含めて、一般に控えめに笑うことをいった。」(日本国語大辞典)とある。源氏物語にはよく出てくる言葉だ。これを知らないと、誤読することになるので注意が必要だ。

★『源氏物語』を読む〈122〉2017.6.25
今日は、第26巻「常夏」(その2)

▼何をやっても一流というのが源氏だが、楽器の演奏もそのひとつである。華やかにかっこよくギターを演奏するかと思えば、プロ並みの短歌や俳句をものし、イケメンで、モテモテ、なのが源氏である。これにサッカーやらテニスやらもできたら、もう怖い物なしってとこだ。そんなヤツは、まあ、現実にはいるわけないから(いてもいいけど)、光源氏という人物は当時の考えうる最高の男性の理想像に過ぎないという見方もできるだろう。
▼源氏が、楽器演奏も当代切っての名手ということは、何度も出てくるが、この巻では、「和琴(わごん)」について玉鬘に詳しく教えている。「螢」の巻の「物語論」につづく、「音楽論」である。
▼「和琴」というのは、現代の琴のようなものだが、日本古来の楽器とされていて、弦が六弦である。これに対して中国から渡来した琴を「琴(キン)」と呼び、これは七弦である。音色もだいぶ違っていて、「琴」が寂しく小さい音であるのに対して、「和琴」は、華やかで現代風(今めかし)であるとされる。源氏物語の中では、外国製の楽器「琴」が最も重んじられ、「和琴」は「あづま」などとも呼ばれるように、田舎っぽいもの、あるいは二流どころの楽器であった。しかし、「琴」は音が小さく寂しいところから、他の楽器の合奏には向かないし、演奏法も難しいので、次第に演奏されなくなっていったらしい。現代の琴や箏との関連とかは、煩雑だし、ぼくにはまだぜんぜん把握できてないから省略するが、いずれもしても、日本の伝統的な音楽や楽器の歴史というものも、なかなか興味深い分野である。
▼源氏は、「和琴」は、「琴」より一段低い扱いを受けてはいるが、実は奥が深いのだ。特に、秋の夜などに、縁側に置いて、秋風の音、虫の音(ね)などと合わせると、それはもう極上の音色として響くのだというのだ。
▼楽器の音色が、自然の音と関係づけられて味わわれるということは、西欧のクラシック音楽ではあまりないように思う。あくまで西欧の音楽は、教会やホールといった自然から隔絶した空間での響きとして味わわれる。クラシックのコンサート会場で、鈴虫が鳴いていたら、それはやっぱり困るだろう。鈴虫の声は、「雑音」でしかないわけだ。
▼けれども、源氏は、あるいは当時の人は、音楽を自然の中で聞く。自然の音との調和を愛でる。ヘッドフォンで耳をふさぎ、ひたすら人工的な音で作られた「音楽」を聴くスタイルの対極である。
▼先日渋谷のジャズクラブで、遠藤雅美さんのライブを感動して聴いたのだが、そのスペシャルゲストとして、秋田の「西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)」の篠笛奏者矢野栄太郎さんが招かれたが、その篠笛の音は、渋谷のホテルの一角というまさに人工空間に「秋田の風」を吹き込ませた思いがしたのを思い出す。
▼思えば、どんな楽器でも、実は自然と深くつながっている。そして究極の楽器と呼ばれる「声」もまた、自然そのものなのだ。「自然と人工」という対立概念も、実はそう単純なことではない。
▼源氏は、玉鬘に和琴を伝授しながら、実はねえ、この和琴の最高の弾き手は頭中将なんだけどなあ、という。玉鬘は、え? そうなの? いつか親子の名乗りをはたして、オトウサンの和琴を聴きたいわって思うのだが、もちろん、源氏は、いつかそういうこともあるだろうとは思いつつ、なかなか親子の対面をさせる気になれない。そればかりか、今では源氏への警戒心も解けはじめ、源氏が和琴を弾くのをいざり寄って来て、その演奏法を見て覚えようと懸命になる玉鬘のいじらしさに、ますます思いを募らせ、おれ、このままガマンできるだろうかと、わがことながら心配になってくる。それなら、いっそ、螢宮だろうが、黒髭だろうがかまわないから嫁に出してしまえば、諦めがついてオレも落ち着くことができるだろう。それでも、諦めきれなかったら、夫がいてもなんとかならないものでもないしなあ、なんて相変わらず勝手なことを思っている。語り手も「まったくもう!」って怒ってる。
▼実は源氏も自分に呆れているのである。こんな記述がある。「なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの思ひをすらむ」(どうして、こんなせずともよい恋をして、心の安まる時のないもの思いをするのだろう」(古典集成)
▼「あいなきわざ」を新潮古典集成本では、「せずともよい恋をして」と訳し、小学館の古典全集本では「理不尽なこと(玉鬘に対するあるべからざる不相応な恋)」と訳している。ちなみに谷崎潤一郎はここを「下らないこと」と訳している。それぞれに微妙にニュアンスが違うけど、集成本の訳がいちばんいいと思う。全集本訳では道徳的に過ぎるし、谷崎訳では「くだらない」の根拠が分からないし、どうも谷崎の主観が入り込んでいるような気配がある。集成本では、源氏のどうにもコントロールできない気持ちがよく表現できている。

★『源氏物語』を読む〈123〉2017.6.26
今日は、第26巻「常夏」(その3)

▼頭中将もたいへんである。秘蔵の美少女雲居雁は、源氏の息子の夕霧がねらっているし、最近では、自分のまいたタネとはいえ、あなたの娘ですって名乗ってきた女のいうことを柏木がきいて連れてきた「近江の君」は、ほんとしょうもない娘だし、何から何まで源氏にしてやられて、悔しくてたまらない。源氏に勝ってるのは、子どもの「数」だが、数は多くても、雲居雁以外は、どうもぱっとしない。
▼そのうえ、源氏がこの「近江の君」のことを、皮肉たっぷりに聞いてきたということを息子の弁の少将から耳にすると、あんなに立派な男なのに、オレのうちのこととなると、妙に聞き耳たてて、悪口いうなんて、まあなんてありがたい思し召しなんだと、腹をたてる。息子が更に玉鬘の噂をすると、どうせたいした美人じゃあるまいが(あんたの子だよ、って突っ込みたくなるけど、源氏が教えてくれないんだからしょうがないよね。)出世したアイツの子だからといって、皆はチヤホヤするんだよ。世の中ってそんなもんだと愚痴る。
▼雲居雁はどうしているかと部屋へ行ってみれば、扇を持ったまま腕枕してしどけない姿で昼寝している。小柄で、透き通るような肌とか、長く頭のうえに投げ出した長い黒髪とかを見ると、とにかく親バカ全開で、カワイイとしか思えない。でも、やっぱり昼寝はいけない。女というものは、どんなときもつつしみを忘れてはダメだ、そんなかっこうで寝てるなんて、品がないぞ、源氏は、明石の姫君をこんなふうに教育しているそうだよと、こんこんと説教する。
▼対抗心を燃やしていると、相手の教育方針が気に入らないというか、むしろ、そうかアイツはああやって育てているのか、よし、オレだって、という気持ちになるらしい。母親同士が張り合っている場合も、意地をはって違う教育をしようとするよりも、同じ土俵で対抗しようとしがちなものである。
▼源氏の教育方針はこんなふうに語られる。「よろづのことに通はしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそ掟てたまふなりけり。」(諸芸に通じて片寄ることなく、しかも、特にすぐれたわざも持たせまい、またよく知らずにまごつくこともないようにと、ゆったりとした教育を源氏はお心がけだそうですよ。)
▼「ぬるらかに」が、おもしろい。「ゆとり教育=ぬるらか教育」だろうか。ずいぶん印象が違うけど。それにしても、この教育方針は、「個性主義」とはほど遠い。柔軟性を身に付けて、どんな男にも対応できるようにということなのだろうか。ちなみに「ぬるらかなり」は、「日本国語大辞典」では、「(1)ゆったりしたさま。寛容なさま。余裕のある態度をとるさま。」とあり、この部分が用例として載っている。あんまり出てこない言葉だ、その後は、「(2)中途はんぱなさま。なまぬるいさま。」として、1886年の用例がみえる。もちろん「ぬるい」から派生した言葉だろう。
▼ついでに、「ぬるい」の意味を「日本国語大辞典」から紹介すると、「(1)ひどく熱くはなく、少し温かいさま。なま温かい。(2)速度が遅いさま。ゆるやかだ。のろい。まだるい。(3)機敏でないさま。きびきびしていない。間が抜けている。おっとりしている。(4)ひかえめであるさま。不熱心だ。冷淡だ。?物足りないさま。軟弱だ。頼りない。」となっている。(3)も(4)も源氏に用例がすでにあり、(5)だけが、1600年以降だ。
▼「ぬるい」に感じが似ているのが「ゆるい」だが、語源が違う。これも「日本国語大辞典」から紹介しておく。「(1)糸や紐などを張ったり結わえたりした時に、たるみやすきまがあってきっちりしていない。また、まわりからしめつけたときの度合が弱い。たるんでいる。(反対語=きつい)(2)入れ物が大きくて中身とぴったり密着しない。(3)水分が多くて、十分に固まってない。ねばりけがない。(4)激しくない。勢いが弱い。ゆるやかである。(5)動きが緩慢である。ゆっくりしている。のろい。(6)厳しさがない。いいかげんである。たるんでいる。てぬるい。油断している。(7)寛大である。おっとりとしている。おうようである。おおらかである。(8)変化する度合が急激でない。傾斜の角度、曲線の円弧などがなだらかである。」

▼「ぬるい」と「ゆるい」は、語源が違うが、だんだん意味が重なってくる。「ぬるい」「ゆるい」は、否定的なニュアンスで使われることも多いけど、やっぱり生きていく上では、とても大事な言葉だとぼくなんかは思う。「あつい」「きつい」だけじゃ生きていけない。
▼「ぬるい」「ゆるい」を肯定的に逆転してみせたのが、「老子」であり「荘子」であろう。(いわゆる「老荘思想」)
▼ところで、清水好子は、源氏物語というのは、女性の、というか道長の娘の彰子の教育のために書かれた(道長に書かされた)のではないかと指摘しているが、こういうところを読むと、そうかもしれない、って思う。
▼頭中将は、源氏の教育方針を説明した後で、源氏はそう言うけど、人間は成長していくにしたがって独特な個性も出てくるものさ、と軽く反発をみせている。
▼しかしなあ、それにしても、ウチの田舎娘(近江の君)は、どうしたらいいんだろう、あれじゃ、だれもにも貰ってもらえそうもないしなあ、と頭中将の悩みは尽きない。

★『源氏物語』を読む〈124〉2017.6.27
今日は、第26巻「常夏」(その4・読了)

▼源氏物語の中での滑稽な話としては、「末摘花」が有名だが、この巻の「近江の君」のほうがもっと過激に滑稽である。
▼容貌はそれほど悪くはないが、美人でもない。父親の頭中将は、彼女を見て、あ〜あ、オレに似ているからなあと嘆く。頭中将だってイケメンだったはずだが、母親は、夕顔とまではいかなくても、それなりに美人だったのかもしれない。
▼問題は、早口だということである。源氏物語では、女性をほめるときに、「きよげなり」とか「きよらなり」とか、「なつかし」とか、「うつくし」とか、いろいろな言葉を使うが、「おおどかなり」というのもよく使われる。これは「人の性質がおっとりしているさま」を言う言葉で、それが女性の美質とされていたようなのだ。だから、口をとんがらかして早口でまくしたてるなんてのは、ぜんぜんダメなのである。
▼頭中将が、近江の君の様子を見に行くと、侍女と双六の対戦をしている。しきりにもみ手をして、「小賽(しょうさい)、小賽」(サイコロの小さい目がでますようにという祈りの言葉)って早口でまくしたてている様に、頭中将は「あな、うたて」(あ〜、嫌だ)って思う。「うたて」は、不快感を表す言葉で、古文では重要語のひとつ。
▼おまえのその早口をなんとかしなさいと頭中将は注意するのだが、近江の君は、あ、それは、アタシが生まれたときに、産室でお祈りしていた坊さんが早口だったから、それがうつったんです、なんて言い訳する始末だが、でも、まあ、一生懸命がんばって直します、っていうところなどは素直でカワイイ。
▼しかし、いっこうに直らないその早口から出る言葉がヒドイ。頭中将は、ここに置いといてもどうしようもないから、この子の姉にあたる弘徽殿女御のところへ預けて教育してもらおうと思う。それで、そのことを勧めてみると、近江の君は、もう喜んで、何でもします! 便所掃除だってします! って早口で叫ぶ。(念のために言っておくと、当時の貴族はいわゆる「おまる」に用を足した。これを下女が始末するわけだ。)これには、頭中将ならぬぼくもびっくりしてしまって、笑ってしまった。いくら田舎に生い育ったとはいえ、頭中将の娘である。姉なる女御のもとへ行って、便所掃除をする身分じゃない。品が悪すぎる。頭中将も呆れてしまって、おいおい、そんなはしたない言葉を口にするものではないと叱るのだが、まったく意に介さず、何でもします、水くみだってしますよって言い続ける。(当時の庶民は、水を汲んだ桶を頭上に乗せて運ぶんだ。重労働である。)頭中将も、手に負えないから、まあ、そのうち女御の方へ連れてってやるからと退散してしまう。
▼けれども、そんなの待ってられない。調子にのった近江の君は、さっそく、女御へ手紙を書く。もちろん、和歌である。これがとてつもなくヒドイ歌。
▼源氏物語には何百という和歌が出てくる。その和歌は大事な場面で重要な役割を果たすのだが、ときどき、これはヘタな歌だとか、そぐわない歌だとか、素晴らしい歌だとか、いろいろに評価されるのだが、ぼくには、どこがよくて、どこがヘタなのか、よく分からない。けれど、この近江の君の歌がダメなのはよくわかる。こんな歌だ。
▼「草若み常陸(ひたち)の浦のいかが崎いかでかあひ見む田子の浦波」(草が若いので、常陸の国の海岸の「いかが崎」で、なんとかして会いたいです、田子の浦には波がいっぱい。)……とても訳せない。意味不明。まさに「本末あはぬ歌」(支離滅裂な歌)だ。言いたいことは、「なんとかしてあなたに会いたい」というだけのことなんだけど、それを修辞技法でゴテゴテ飾り立て、意味不明に至っている。「いかが崎」は、「いかでか」(なんとかして)を引き出す序詞(じょことば)。つまり、「いかが」と「いかで」が似ているから、まあ、シャレみたいなもの。こういうのはよく使われる技法だから別にいいのだが、この「いかが崎」というのは近江の国にあって、最初に出てきた「常陸の浦」とはぜんぜん関係ない。最後は「田子の浦」だから駿河の国で、これもまたぜんぜん無関係。要するに、有名な地名(歌枕)を並べただけなのだ。
▼その歌を、ものすごくヘタな字で書いて、それでも女の子らしく手紙を細かく結んで、でもそれに見当違いな花をつけて、こともあろうに、「桶洗童(ひすましわらわ)」(便器の掃除などをする下仕えの童女)に届けさせる。でも、この桶洗童のほうが、その変てこな手紙よりずっとこざっぱりしてるって書いてるんだから、皮肉もきつい。
▼その便所掃除係の女の子は、こざっぱりしてるかもしれないけど、しきたりを知らないから、女御のいる邸に行って、その台所から、「すいませ〜ん、これお願いします〜」(これ参らせたまへ)とか三河屋さんみたいに声かけて、手紙を届けようとする。女御の方の女房は、あ、この子、あの近江の君のところの子だわってんで、何しろ、近江の君は、女御の妹なんだから、おっぱらったりはしないで、手紙を取り次ぐ。
▼女御はその手紙を見て、もう、あきれかえってものがいえない。返事を書く気にもなれない。でも、桶洗童が、はやくお返事くださいってせかすので(ちゃんとお返事もらってくるのよ、って早口の姫君からきつく言われていたのだろう)、女御は、それじゃあ、お返事もよっぽど由緒ありげに書かないと笑われちゃうわね(もちろん皮肉)といいつつ、でも私はいやよ、お前が書いてよ、と中納言という女房に書かせる。他の女房たちもは、さすがに相手が女御の妹君だから笑いをこらえているけど、若い女房などは、ガマンできずに吹き出してしまう。
▼で、その中納言は、女御の筆跡をまねて、こんな歌を詠む。「ひたちなるするがの海のすまの浦に浪たち出でよ箱崎の松」
▼近江の君の歌のヒドさに輪を掛けてヒドイ歌をわざと詠んだわけだ。意味するところは、「たち出でよ」(おいでなさい)、「松」(待っているわ)ってこと。あとは、「常陸にある駿河の海の須磨の浦に浪が立ってるようにお出かけなさいね。箱崎の松のように待っているわ。」ってわけ。まさに支離滅裂。ちなみに「箱崎」は今の福岡市にある。日本縦断の歌である。
▼このどうしようもない娘としてさんざんコケにされる「近江の君」だが、それでも紫式部は、暖かい目で見ているのがそのうち分かるよって、全集本の解説には書いてある。ほんとかなあ。

 

【27 篝火】

★『源氏物語』を読む〈125〉
今日は、第27巻「篝火(かがりび)」(その1・読了)

▼「篝火」の巻は短い。全集本でたった5ページ。しかし、秋の風情が印象的に描かれた美しい巻だ。
▼源氏は、頭中将のやり方を批判する。よく調べもしないで大げさに「近江の君」をひっぱり出してきておいて、いざ、気に入らないとなると、女房として仕えさせる。そうなれば、人の目に多く触れることとなって、噂にもなる。「よろづの事、もてなしながらにこそ、なだらかなるものなめれ。」(万事何事でも、取り扱いようひとつで、おだやかにゆくものだ。)というのが源氏の意見である。
▼例の「おもてなし」で、有名になった「もてなす」は、この頃からよく使われている言葉で、現代では「大切に扱う。手厚く歓待する。ご馳走する。」といったような意味だが、平安時代では、何か、あるいは誰かに対して、それを「取り扱う・対処する」ことを意味しているのだが、それが、「見せかけの態度をとる。」とか、「あしらう」とかいった、悪い意味で使われたり、「大切に扱う」という意味にも使われたりしていた。しかし、現在ではいい意味でしか使わない。「お・も・て・な・し」が「いいかげんにあ・し・ら・う」だったら大変だ。
▼同じ言葉なのに、ぜんぜん逆の意味に使われる言葉っていうのが日本語には結構あって、たとえば「おめでたい」なんかがその例だ。まあそれでも「お前はおめでたいなあ」と言われて喜ぶヤツはいないだろうから、誤解はないだろうが、古語の「めでたし」にはいい意味しかない。「愛づ(めづ)=褒める。かわいがる。」から出てきた言葉で、「褒めるに値する。可愛がられて当然だ。」の意味となったわけである。そこから「祝いたいほどだ。」の意味が出てきて、いまの「おめでたい」となる。これが逆説的に使われて、「お人よしだ。ばか正直だ。」となったのは、どうも明治以降のことらしい。言葉はときに反転する。恋人がいう「バカ!」が、「好き! 大好き!」であることがあるのがいい例。
▼逆に、今ではいい意味でしか使われないのに、つい最近までは、いい意味、悪い意味の両方に使われていた言葉もあって、例えば「すばらしい」がそれ。この言葉は、源氏物語などには用例はなく、18世紀以降に出てきたようだが、「ひどい」と「見事だ」の両方で使われてきた。大正時代か、昭和の初期か忘れたが、そのころの新聞に「すばらしき列車事故」という大きな見出しがあったのを見たことがある。いつから、いい意味だけに使われるようになったのか不明だけど、興味深いことだ。
▼さて、ひとしきり、源氏の頭中将批判があった後、源氏が玉鬘のところへ行く場面に移る。時は秋。玉鬘の部屋の前の庭の篝火が消えかかっているので、薪などをくべさせて明るくする。すると、その明かりの中に、玉鬘の美しい姿が浮かび上がる。庭には荻(おぎ)の葉を鳴らして秋風が涼しく吹いている。美しい場面だ。
▼玉鬘に添い寝しながら、明るく燃える篝火の火に自分の恋心をたとえて、歌を詠みかけるのだが、玉鬘は、以前のように嫌よ嫌よの一点ばりではなくて、体は頑として許さないものの、あの近江の君の扱われように比べれば、ワタシなんか恵まれてるほうよねって思って、源氏への好感度をアップさせてはいるから、「添い寝」ぐらいは許すのだ。(ぼくなんかは、これで十分と思っちゃうけどなあ。)
▼けれども、もちろん、源氏は「添い寝」だけじゃやっぱり満足できない。できないけど、ガマンしてしまう、ガマンできる自分がいぶかしい(のだろうとぼくは推測する)。玉鬘の返歌も、そっけないから、「くはや」という変な言葉を発して、帰ろうとする。「くはや」っていうのは、「日本国語大辞典」では、「?驚いたときなどに発する語。これはこれは。あらまあ。?相手に呼びかけたり、指示したり、注意を促したりするときなどに発する語。?別れの挨拶などに使う言葉。ではね。それじゃあね。(用例はこの部分が挙げられている。)」とある。いずれにしても「感動詞」だからいろいろな意味が複合的に含まれているのだろう。「え? そう来るか! クソッ! じゃあな!」っていう捨て台詞かなあ。
▼二人の歌のやりとりはこんな風。訳は「意訳」です。〈源氏〉「篝火にたちそふ恋の煙(けぶり)こそ世には絶えせぬほのほなりけれ」(オレはあの篝火の消えない煙のようにいつまでも君に恋してるぜ。」〈玉鬘〉「行く方(ゆくへ)なき空に消(け)ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば」(篝火の煙のような恋なら、遠い空の彼方に消えちゃってよ。)。これじゃあねえ、「くはや」っていうしかないね。
▼帰ろうとすると、向こうの建物からきれいな笛の音が聞こえてくる。玉鬘の弟の柏木とその弟と、それから源氏の子の夕霧である。おお、うまいじゃないか、こっちへ来てやってくれ、と源氏に声をかけられた3人は、ぞろぞろとやってきて、笛を吹いたり、和琴を弾いたりする。その姿を御簾越しに玉鬘に見られていると思うと、純情は柏木などはどぎまぎしてる。まだ、玉鬘が、姉だと気づいていないのである。

 

【28 野分】

★『源氏物語』を読む〈126〉2017.6.29
今日は、第28巻「野分(のわき)」(その1)

▼「初音」巻(正月)から、四季を辿ってきて、この「野分」の巻で、秋となる。源氏36歳の1年間を、四季折々の風情ともに描いているのである。
▼この「野分」(つまり台風)の巻は、秋好中宮の御殿の庭に咲き乱れる秋の花で幕があく。その庭を、「野辺」と書いている。つまりは、小さな(といっても我が家の庭とは比較にならないほど大きいが)庭だけど、広々とした「野原」をイメージして作られているわけで、めったに外へ出ないお后たち、お姫様たち、女房たちも、その庭から広大な自然を感受しているのだ。日本の庭の典型的なありかたのひとつだ。
▼そこへ台風がやってきて、庭をメチャクチャにしてしまう。その荒れた六条院の庭を庭師なんかが懸命に修復しているなか、夕霧が源氏を訪ねてやってくる。源氏は、たまたま明石の姫君(紫の上と同じ邸だけど、部屋は別)の方へ行っていて、春の御殿(つまり紫の上の住んでるところ)では、風が強いので、普段ならおいてある屏風もかたづけてしまって、御簾もあげて、紫の上は、「端近く」(つまり、庭に近いところということ。普通は、奥の方にいる。だから「奥方」である。昼間から出歩いてオトモダチとお茶なんかしている女性は、だから「奥方」じゃない。別に批判してるわけじゃありませんよ。)に座って、庭を眺めている。その姿を、夕霧ははじめて「見てしまう」のである。
▼源氏は、自分のやってきたことを考えるにつけ、紫の上を夕霧には見せないように気をつけていた。もし、夕霧が紫の上に惚れてしまったら、エラいことになるからだ。けれども、この「野分」の翌日、図らずも、夕霧はこの絶世の美女たる紫の上を見てしまうのだ。とはいっても、夕霧は源氏とはまるで違ってマジメ人間だから、まかり間違っても源氏のようなことはしないわけだが、それでも、源氏は心配するのだ。
▼このときの紫の上の様子はこんな風に描かれている。
▼「御屏風も、風のいたく吹きければ、押しやりたたみ寄せたるに、見通しあらはなる庇(ひさし)の御座(おまし)にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬(あいぎょう)はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。」(隔ての御屏風も、風がひどく吹いてきたので、片隅にたたみ寄せてあるために、中まであらわに見通しがきく、その廂の間の御座所にすわっていらっしゃる方は、他の誰と見まちがえようはずもなく、気高く美しく、さっと映え迫るような感じがして、春の曙の霞の間から、みごとな樺桜が咲き乱れているのを見るような風情である。どうにもならぬくらい、そのお姿を拝見しているわが顔にまでふりかかってくるかのようにやさしく情あふれる魅力が映えこぼれて、またとなくすばらしい御有様なのである。)
▼やや類型的で、あの「若紫」での「初登場」には及ばないが、紫の上の類いまれな美しさは十分に伝わってくるが、それよりも「どうにもならぬくらい、そのお姿を拝見している」(あじきなく見たてまつる)という夕霧の描写がすばらしい。見てはいけないのに、あまりの美しさに、目が釘付けになってしまうのだ。その夕霧の感覚・気持ちを通して、紫の上の類い希な美しさが描かれているわけだ。
▼ここで注意してほしいのが「にほふ」という言葉。今ではもっぱら嗅覚について使われるが、この頃はむしろ、視覚について使われていた言葉である。
▼「日本国語大辞典」の解説を引く。「?赤などのあざやかな色が、光を放つように花やかに印象づけられることをいう。色が明るく映える。あざやかに色づく。古代では、特に赤く色づく意で用いられたが、次第に他の色にもいうようになった。?他のものの色がうつる。染まる。?明るく照り映える。つやつやとした光沢をもつ。美しく、つややかである。中世になると、ほのぼのと美しい明るさにもいうようになった。?嗅覚を刺激する気がただよい出る。香り、臭(くさ)みなどが感じられる。?花がつややかに美しく咲く。咲きほこる。?生き生きとした美しさや魅力が、内部からあふれ出るように、その人のまわりにただよって感じられる。うるわしくある。?世に栄える。また、影響を受けて周囲のものまで花やかに栄える。引き立てられる。?染色もしくは襲(かさね)の色目を、濃い色からしだいに薄くぼかしてある。また、ある色からある色へしだいに変化するように配色してある。?何となくそれらしい気配が感じられる。あまりよくないことについていう。」と、まあ、さまざまな意味が書かれている。この羅列された「意味」だけ読むだけでも、うっとりしてしまう。ちなみに、刑事ドラマなんかで、「この店、におうなあ。」なんて場合は、?の意味。
▼?だけが、嗅覚に関する意味で、あとはほとんど視覚的な印象である。この紫の上の描写の場合は、?の意味だろう。まさに、その「美しさ・魅力」が、夕霧のところまで「漂ってくる」のである。もちろん、夕霧は、魅せられてしまって、ぼーっとしてしまう。そこへ、源氏がやってきて、すぐに気づく。(こういうところ、憎らしいほど鋭い源氏だ。)しまった、コイツ見ちゃったのか、って思うがもう遅い。見ちゃったら忘れられない。
▼当時は、女性を直に見ることがどれだけ稀であったかを、とことん頭に叩き込んでおかないといけない。ぼくらは、あまりに、見過ぎているのである。ある意味とても幸福なのだが、その幸福に気づいていないだけ不幸であるともいえる。

★『源氏物語』を読む〈127〉2017.6.30
今日は、第28巻「野分(のわき)」(その2)

▼野分の風は、まだ吹きつのっている。紫の上を「見てしまった夕霧」は、吹きすさぶ風の中を、大宮(葵の上、頭中将の母。つまり、夕霧のオバアチャン)の家(三条宮)に行く途中がこんな風に書かれている。
▼「道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものしたまふ君にて、三条宮と六条院とに参りて、ご覧ぜたまはぬ日なし。」(道中、風ははげしくもみ合うように吹き荒れるが、この君(夕霧)は、几帳面で礼儀正しいお人柄だから、普段から三条宮(オバアチャンの家)と六条院(オトウサンの家)とに参上して、祖母宮と父大臣にお目通りなさらぬ日はない。)
▼文章としては、ちょっと分かりにくいが、要するに、夕霧はマジメで礼儀正しいから、普段からオバアチャンとオトウサンへの挨拶を欠かさないのだが、こんな台風の風が吹き荒れる日でも、さぼらずにちゃんと出かけたのだ、ということだ。
▼夕霧が来てくれたので、オバアチャンは、もう、この孫だけが頼りだから、ブルブル震えてすがりつく。息子の頭中将は、ちっとも来てくれない。孫だけが頼り、って、よくある話。
▼それはそうと、注目してほしいのは、この「うるはしくものしたまふ君」で、「ものしたまふ」は「いらっしゃる」だからいいとして、大事なのは、「うるはし」という言葉だ。今の「うるわしい」だが、これは、だいたい「うつくしい」という意味で使っている。「うるわしい友情」なんて使われるけど、じゃ、どのような面でうつくしいのか、よく分からないだろう。まさか、イケメン同士の友情ってことじゃないだろうし。
▼この「うるはし」は、古文では「きちんと揃っていて美しい」とか、「端正だ」とかいう意味なのだ。たとえば、茅葺きの屋根の端がきちんと切りそろえてあったり、垣根もきちんと張り巡らしてあったりすると、「うるはし」と形容される。
▼ということは、「うるわしい友情」っていうのは、「仲はメチャクチャいいけど、きちんとお互いに礼節を守っている友達同士の友情」ってことになるね、なんて、ずいぶん、古文の授業の時に話したものだ。
▼現代の日本語では、「美」を表す言葉が貧弱で、何をみても、「カワイイ」でおしまいだけど、古文では「美」が実に細かく分類されていて、それぞれに対しての言葉がちゃんと用意され、それをきちんと使い分けている。この「うるはし」なんかは典型的で、基本は「きちんと整っていることから生まれる美」なのだ。清潔な制服をきちんと着て、髪の毛もきちんと切りそろえて、姿勢正しくさっさと歩いている女子高生なんかを見ると、「うるわしい」とつい思ってしまう。あんまりいないけど。
▼さて、「夕霧」の人柄は「うるはし」と形容されたように、とても、几帳面で、礼儀正しい人なのである。決してイケメンだなどということではないので、注意してほしい。その「うるわしい夕霧」が、台風の大風の中を、まるで夢遊病者のように、フラフラとさまよい歩いている。もちろん、オバアチャンの家に行くのだが、それはマジメな彼のルーティンにすぎず、実は「心ここにあらず」なのだ。夕霧の心の中は、もう、あの美しい紫の上のイメージで一杯なのだ。「あのカワイイ雲居雁がいるのに、いったいぼくはどうしちゃったんだろう。」と、我ながらこの心の動揺が「恐ろしい」。
▼原文を引く。「中将、夜もすがら荒き風の音にも、すずろにものあはれなり。心にかけて恋しと思ふ人の御ことはさしおかれて、ありつる御面影の忘れられぬを、こはいかにおぼゆる心ぞ、あるまじき思ひもこそ添へ、いと恐ろしきことと、みづから思ひまぎらはし、異言(ことごと)に思ひ移れど、なほふとおぼえつつ、来し方行く末ありがたくもものしたまふかな……」(中将は夜通し荒々しく吹きつける風の音を耳にするにつけても、なぜともなく哀しい気持ちにおそわれる。いつも心にかけて恋い慕っている人(雲居雁)のこともついそっちのけになって、昼間拝見した(紫の上の)お姿が忘れられないので、「これはまたなんとした心だろう。だいそれた料簡も生じかねない。まことの恐ろしいことだ」と、自分で思いを紛らわし、他のことに考えを移してみるけれども、それでもやはり、ふっとその御面影が幾度となく浮かんできて、「これまでにも、またこれから先にも、めったに世にいらっしゃるものではない、お美しい方であった……」
▼美は魔力だ、と、つくづく思う。そして、夕霧の心の乱れを、吹きすさぶ風の中に描く紫式部の文章の冴えに感じ入る。
▼で、その紫の上の美しさを思うにつけても、マジメな夕霧は、自分を可愛がって育ててくれた花散里のことを思う。花散里はあんなに美しい紫の上に比べられたらひとたまりもない。気の毒だなよなあ。それでもそんな花散里を大切にするオトウサンは立派だなあと思いつつ、でも、どうせなら、紫の上みたいなキレイな人を朝夕眺めて暮らしたい、なんてマジメな夕霧は思ったりしている。まあ、夕霧もやっぱり男ってことか。そんなこんなで、夕霧は、三条宮で、眠れない夜を過ごす。
▼翌朝、夕霧は、まだ夜が明けないうち(暁)に、六条院に行く。すると、強い風に夜も寝られなかったのか、源氏と紫の上の上がイチャイチャしているのを、また、見てしてしまう。正確にいえば、今度は、ちゃんと御簾の内だから、二人の姿は見えない。見えないけれども、二人の親しげな会話が聞こえてくる。それに、夕霧はこんどは「耳が釘付け」になってしまうのだ。たいしたことを話しているわけではないが、仲むつまじいその会話に、夕霧は、仲いいよなあ、いいなあ、って思うのだった。

★『源氏物語』を読む〈128〉2017.7.1
今日は、第28巻「野分(のわき)」(その3)

▼紫の上の姿を見てしまってから、夕霧は、ずっと泣きっぱなしである。声に出して泣くわけではないが、心の中は、なんともいえない悲しみでいっぱいになっている。心の中で泣きながら、源氏に命じられて、祖母の大宮を見舞い、花散里を見舞い、秋好中宮を見舞う。けれども、夕霧の心を占めているのは、紫の上の輝くばかりの美しさで、その美しさは、夕霧を悲しみの霧で包み込んでいるかのようである。
▼夕霧は、三条宮から六条院にかえると、こんどは、秋好中宮のところへ見舞いに行ってこいと命じられる。忙しいことである。
▼「霧のまよひ」という言葉が出てくる。秋好中宮の御殿では、野分の風で秋の花もうちしおれてしまった庭に色とりどりの着物をきた女の子たちが降りたって、庭のあちこちに置いてある虫籠に霧を吹いたり、撫子の花を摘んだりしている。その子たちの姿が、まだ明け方のぼんやりと明るい庭に、「霧のまよひ」に見えるというのだ。つまり「女の子たちが霧の中に見え隠れする」ということだ。今では、まったく使われないが、いい表現だ。
▼わざわざ虫籠に入れて飼わなくても、庭に虫はたくさんいるだろうに、すでもこの頃から、虫を籠に入れて飼うという習慣があったというのはおもしろい。そういえば、「堤中納言物語」には有名な「虫めづる姫君」の話があった。
▼秋好中宮は、源氏の愛人ではなく、帝の后だから、やはり気品高い。夕霧はもちろん、中宮の顔をみることはできないが、伝言だけ伝えて帰り、源氏に中宮の様子を報告する。源氏は、あの人は、か弱い人だから昨晩はさぞ心細かったろう、じゃ、オレも見舞ってくると出かけようと、着物を着替えるために、御簾を引き上げて奥へ入る。そのとき、少し引き上げられた御簾のすきまから、紫の上の着物の一部が見える。
▼その場面を引く。「御直衣(なほし)などたてまつるとて、御簾引き上げて入りたまふに、短き御几帳引き寄せて、はつかに見ゆる御袖口は、さこそはあらめと思ふに、胸つぶつぶと鳴るここちするも、うたてあれば、ほかざまに見やりつ。」(御直衣などをお召しになるというので、大臣(源氏)が御簾を引き上げて奥にお入りになるとき、丈の低い御几帳を身近に引き寄せた陰から、ちらりとお袖口がみえるのは、あのお方(紫の上)に違いないと思うと、胸がどきどきと高鳴る気持ちになってくるのも我ながらいとわしいので、(夕霧は)ほかのほうへ目をそらした。)
▼「胸つぶつぶと鳴るここち」という表現にも驚く。ぐっと平安時代が近くなる。
▼源氏はというと、自分の顔を鏡に映してみながら、中将(夕霧)も、きれいだよねえ、まだ子どもだけど。親の欲目だろうか、と紫の上にそっと語りかける。オレの子だからとでもいうことだろうかと、語り手が突っ込んでる。どうも、源氏はいろんなところで、オレは顔がいいと言っているようなのだ。
▼ときどき、語り手が、登場人物に対して突っ込んだり、感想を述べたりする部分のことを、専門的には「草子地(そうしじ)」という。『ひよっこ』でいえば、増田明美の語りにあたる。『酒場放浪記』でいえば、河本邦弘さんのナレーション。
▼で、源氏は着替えて、夕霧の前に出てくると、夕霧は「ながめ入りて、とみにもおどろくまじき気色」(ぼんやり考えこんでいて、すぐには(源氏に)気づきそうもない面持ち」である。ここで「ながむ」と「おどろく」という古文では最重要単語が出てくる。「ながむ」は今の「眺める」だが、これは前にも説明したような気がするけど、「ぼんやりと、どこを見るともなく見ている。」という意味で、「ぼうっとしている」というのが意味の中心になる。目をつぶってるわけじゃないけど、どこを見てるというわけでもなく、ぼんやりしている、という精神状態あるいは態度を表すのである。「おどろく」は、「はっと気づく」という意味と「はっと目を覚ます」という意味がある。この場合は、もちろん、前者。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の場合は、後者。
▼つまり、まだ、夕霧は「夢の中」なのである。紫の上の美の衝撃の大きさは、はかり知れないものがあったわけだ。
▼源氏は、「心鋭(と)き人」(察しのはやい人)だから、すぐに、あっと思う。で、紫の上に、お前、昨日アイツに見られたんじゃないのか? 昨日はけっこう御簾をあげたり、端に座ったりと、不用心だったじゃないか、と言う。紫の上は、顔を真っ赤にして、そんなことあるわけないじゃないの、人の来る音だってしなかったもの、と言うのだが、源氏は、「なほあやし」(それにしてもおかしい)と呟きながら、中宮の方へ去っていくのだった。
▼大丈夫だよ。夕霧は、顔はあんたに似てイケメンかもしれないけど、心は、ぜんぜん違うからさ、って言ってやりたいよね。

★『源氏物語』を読む〈129〉2017.7.2
今日は、第28巻「野分(のわき)」(その4)

▼源氏は、秋好中宮を見舞ったあと、明石の上を見舞うが、ちょこっとお見舞いの言葉を言っただけで、すぐに去ってしまう。明石の上は、先払いの声を聞いて、源氏が来ると知ると、普段着の上に、さっと上着をはおって衣裳を整えて迎えるのだが、それは、自分の身分に引け目を感じているからだ。だらしのない姿は決して見せようとしない明石の上に、源氏は、かえって他人行儀を感じてしまうのだろうか。源氏がすぐに帰ってしまうのを見送りながら、ひとり、歌を詠む明石の上がいたましい。
▼その足で、源氏は、玉鬘のいる御殿に行く。ここは、花散里が住んでいるところだが、その「西の対」に玉鬘が住んでいるのだ。源氏は、先払いの声も控えさせて、そっと玉鬘の部屋に入っていくと、彼女は朝のお化粧を終えたばかり。朝日が差し込む部屋は、台風の風を避けるために、屏風もたたまれ、物も雑然としているが、その中に座っている玉鬘は、目も覚めるほど美しい。
▼源氏は、さっそく、凝りもせず嫌らしいことを言いかけると、玉鬘はプリプリして、もうそんなことばっかりおっしゃるんだったら、昨日の風に乗ってどこかへ行ってしまったほうがよかったわ、なんて言う。源氏は、笑って、おいおい、風に乗ってなんて軽はずみなこというもんじゃないよ(風が「軽い」からというダジャレ)、それとも、お目当てでもあるのかい? オレが嫌いになったのかい? なんて言う。
▼玉鬘は、はやく本当の父親に引き取られたいと思っていて、それが、おもわず口に出ちゃったので、あ、やばい、本音が出ちゃったと、これもまた笑う。けっこう、いい仲。
▼そんなやりとりを、夕霧は、また「見てしまう」。この巻での夕霧は、あっちこっちで覗き見をして、驚くことばかりだ。見なけりゃいいのに、この美人との評判の高い玉鬘も、なんとかして見たいと思っていたものだから、絶好のチャンスだったわけだけど。
▼父源氏とその子と称する玉鬘のイチャイチャぶりを見た夕霧は、こんな風に思う。
▼「かくたはぶれたまふけしきのしるきを、あやしのわざや、親子と聞こえながら、かく懐離れず、もの近かるべきほどかはと、目とまりぬ。」(そんなふうにイチャイチャとふざけ合っている様が、はっきり見えるので、まったく何ということだ、親子だといいながら、あんなに懐に抱かれるように馴れ馴れしくしてよいものだろうか、と、じっと見てしまう。)
▼ここをよく読むといろいろ分かって面白い。まず、夕霧は玉鬘が源氏の本当の娘だとまだ思っているということ。それから、源氏は玉鬘に「手を付けていない」けれど、もう「寸前」までいっちゃっているということ。そして、夕霧があくまで「こんなことはあってはならない」と生真面目に思っているということ、それでも、そういう二人に、「目が釘付け」になってしまうということ、など。
▼この後、夕霧は、まあ、それでも、オヤジは女好きだし、幼い頃から育ててこなかった娘には色目を使うことがあってもしょうがないか、って思いつつ、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪を覚えるのだった。
▼それにしても、玉鬘の美貌は、かつて玉鬘の侍女の右近が言っていたとおり、紫の上にも匹敵するものであったらしくて、夕霧もそう感じている。そして、ボクも、下手をすると「腹違い」だからいいやなんて気持ちがおきて、とんでもないことをしてしまいそうだとすら思う。それほどキレイだったらしい。そこの部分。
▼「昨日見し御けはひには、け劣りたれど、見るに笑(え)まるるさまは、立ちも並びぬべく見ゆる。八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露かかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。」(昨日見た紫の上のご様子には感じが劣るけれど、見ていると自然に微笑を誘われるような感じは、紫の上と肩を並べられそうに見える。八重山吹の咲き乱れている盛りに露がかかった夕映えの美しさがふと思い出される。)
▼これが夕霧の感想。紫の上については「春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。」とあったのに見事に照応している。ちなみに、「夕映え」というのは「?あたりが薄暗くなる夕方頃、かえって物の色などがくっきりと美しく見えること。?夕日の光をうけて美しくはえること。夕焼け。」(日本国語大辞典)今では「夕焼け」のことだと思われがちだけど、この言葉の美しさを覚えておいてほしい。
▼玉鬘の描写で、印象的なところとして、こんなのもある。「酸漿(ほほづき)などいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々(ひまひま)うつくしうおぼゆ。」(酸漿などというもののようにふっくらしていて、髪などがふりかかったその隙間から見える肌がかわいらしく感じられる。)
▼酸漿が出てきた。そういえば、昔は、縁日の夜店などで、酸漿を買ってきて、それを指で柔らかくしてタネをだし、小さな風船のようになった酸漿を口にいれて鳴らして遊んだものだ。(ちっともうまく鳴らなかったけど。そういえば、ウミホオズキってのもあったなあ。)この遊びは、江戸時代の遊女の遊びだったと聞いたことがあるが、平安時代にもやっていたのかもしれない。ここでは、「酸漿のように」という比喩は、丸い実のふっくら感が、玉鬘のほっぺたの感じを表しているようだが、「酸漿を吹いてふくらませて」という比喩が、『栄花物語』に出てくるらしいから、そういう遊びを当時もしていた可能性もある。
▼と、ここまで書いて、「日本国語大辞典」で「酸漿」を調べたら、こんな「語誌」が載っていた。「口の中でキュウキュウとホオズキを鳴らすあそびは?の挙例『栄花物語』に見られるように古くからのものである。また、丸い果に着物を着せて人形遊びをすることも多く、蕪村に「鬼灯や清原の女が生写し」の句もある。暑いさなかに美しい姿を長く保つところから、観賞用にも重宝され、江戸の街には多くのホオズキ売りが見られた。市日にホオズキを売ることは今日も行なわれており、七月九・一〇日浅草寺のホオズキ市は有名。」(?の例とは、栄花物語〔1028〜92頃〕初花「御色白く麗しう、ほほづきなどを吹きふくらめて据ゑたらんやうにぞ見えさせ給」──これは道長の娘、彰子の描写)
▼そもそも「ほおずき」という名前の由来はいくつか説があるが、「頬」のように丸いという所から来ると考えるのが自然ということだ。考えたこともなかったなあ。

★『源氏物語』を読む〈130〉2017.7.3
今日は、第28巻「野分(のわき)」(その5・読了)

▼夕霧は、憂愁につつまれながら、源氏の愛人たちをつぎつぎと訪問する。この巻は、夕霧を案内役として、六条院、および三条宮に住む女性たちを、ざっと眺め渡すといった趣向である。
▼中でも夕霧の心をとらえて離さなかったのは、紫の上、そして源氏と彼女の仲むつまじさだったが、常軌を逸したと感じられる玉鬘と源氏の仲は、夕霧の心を不快感でいっぱいにした。けれども、そんなのアリかよ? って思う夕霧は、同時に、オレもひょっとしてと、我が心を疑わざるをえなくなり、ますます濃い憂愁の霧に包まれていく。
▼けれどもぼくには雲居雁がいる。そう思っても、肝心の雲居雁とは、会わせてもらえない。それで、夕霧は、雲居雁に歌を送るのだが、その歌がダメ。生真面目さがモロにでてしまってオモムキに欠けるのである。
▼こんな歌だ。「風さわぎむら雲まがふ夕べにもわするる間なく忘られぬ君」(風が吹き荒れ、むら雲が乱れ走る夕べでも、片時とて忘れようにも忘れられないあなたです。)
▼「草子地」では、「あやしく定まりて、憎き口つきこそものしたまへ。」(型にはまっていて、おもしろくない詠みぶりでいらっしゃる。)とこき下ろされている。どこか悪いのか、ぼくにはよく分からないが、確かに「わするる間なく忘られぬ君」っていうのは、ヘタだね。「風さわぎむら雲まがふ夕べ」っていうのも、そのまんまで、工夫がないし。
▼それでも、その歌を、硯で丁寧に墨をすって、筆の先に気をつけながら、紫色の薄い紙に書く夕霧の様子は素晴らしいと評価はされているのだけれど、その手紙に、風でぼろぼろになった「刈萱(かるかや)」(イネ科の多年草で秋の七草のひとつだが、趣に欠ける草だろう。)を付けるものだから、手紙に付ける花は、紙の色に合わせるものですよと女房にとがめられ、あ〜あ、ぼくは、そういうこともよく分かんないんだ、どこにあるのそんな花は? なんて聞く態度も、どこか生真面目で、女房たちにも受けがよくない。これがいったい源氏の実の子だろうか? って女房たちも思ったことだろう。
▼その後、夕霧は、明石の姫君(夕霧の腹違いの妹)のところへ、源氏のお供でいくが、几帳の陰より覗くと(ほんとに覗いてばっかり)、まだ小さくて痛々しいほどの姫君がちらりと見える。前に見たときよりずいぶん大人になっていて、まるで「藤の花」みたいだと思って、これまで見てきたキレイな人たちを、朝に夕に見えて暮らせたらどんなにいいだろうと思う一方で、こういう方たちから自分を遠ざける源氏をうらめしく思うのだった。
▼ここで確認しておくと、この時、夕霧は15歳。明石の姫君は8歳である。中3と小2かあ。ちなみに、雲居雁は高2である。ふ〜ん。
▼そんな夕霧はまた三条宮にオバアチャンを訪ねると、そこへ、雲居雁の父、つまり頭中将が珍しく来ていた。オバアチャンは、あの子(雲居雁)にぜんぜん会わせてくれないじゃないの、会わせてよ、と、ただただ泣いてばかりいる。そうか、頭中将は、夕霧との仲を裂くために、自分の邸に雲居雁を引き取ってから3年も経っているのだ。それは、オバアチャンとしても耐えられないよなあ。
▼頭中将は、そのうち会わせてあげますよ、でもねえ、アイツもすっかりふさぎ込んでしまって、すっかりやつれてしまってねえ、なんて言ってる。いったい誰のせいで、「ふさぎこみ」「やつれてる」んだって言ってやりたいところだけど、彼はつづけて、まったく女の子なんて持つもんじゃないなあ、手を焼くよ、って愚痴る。ぼくは、幸か不幸か息子二人だから、そういう意味で「手を焼いた」ことなかったけど、やっぱり、いくら「手を焼いて」も、女の子が欲しかったって思うんだけどなあ。
▼頭中将は、最後に、それはそうと、このごろ、しょうもない子(近江の君)がやってきて、また手を焼いてますよって愚痴る。「しょうもない子」って訳してみたけど、原文は「いと不調(ふでう)なる女(むすめ)」。「不調」は、「まとまらないこと。調子が悪いこと。至らないこと。」などの意味で、今とほとんど変わらない。
▼愚痴る息子に母親の大宮は、それは変な話ね、あんたの娘なら不出来のはずないじゃないの、って皮肉たっぷり。息子は、それがねえ、見苦しくてねえ、そのうち会わせてあげますよなんて言って、お茶を濁すのだった。
▼これで「野分」の巻はおしまい。読み応えがありました。



Home | Index | Back | Next