「源氏物語」を読む

 

No.22 玉鬘 〜 No.23 初音

 

 


【22 玉鬘】


★『源氏物語』を読む〈108〉2017.6.11
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その1)
★『源氏物語』を読む〈108〉2017.6.11
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その1)
▼六条院も完成して、さてそこに住む女性たちはどうなっていくのかと思って、次の「玉鬘」の巻を開くと、その話とはぜんぜん関係のない話が展開する。つまり、物語の初めのほうで、登場したかと思ったら、あっという間にはかなく死んでしまった夕顔の娘、玉鬘の登場である。夕顔の死から17年後である。「死んだはずだよ、お富さん」じゃないけど、似ている。
▼源氏物語は、「桐壺」から始まるわけだが、そのあとの巻が順番に書かれたのではないのではないかという疑問がもたれたのも、ひとつには、こうした筋の一貫性のなさが原因だろう。ぼくが大学時代に源氏物語の読書会をしていたころは、いわゆる「成立論」が盛んなころだったようで、そんなこともずいぶん論文で読んだような気がする。
▼今でも言われているようだが、源氏物語の本筋、つまり、源氏の誕生から、母の死、藤壺の入内、源氏と藤壺の密通、若紫との結婚といった大きな話の流れを語る巻を「紫の上系」と名付け、それ以外の、例えば「夕顔」とか「末摘花」とか、そしてこの「玉鬘」とかいった、本筋をちょっと離れた話を語る巻を「玉鬘系」と呼ぶ。詳しく研究すると、「玉鬘系」に出でくる人物が、「紫の上系」にはちっとも出てこないとか、いろいろあるらしい。
▼そういう源氏物語の諸問題をひとつ選んで卒論にするつもりだったのだが、大学紛争でぐちゃぐちゃになってしまった大学に嫌気がさして、源氏物語の論文なんて悠長なことは言ってられず、古文読むのすらメンドクサクなって、近代文学、それも小説じゃなくて詩、それも朔太郎のように先行論文の多い作家ではなくて、室生犀星というほとんど研究されていなかった詩人を卒論として、その論文がどんな評価を受けたかもまったくしらずに、さっさと大学を卒業して、高校教師になったのだった。ま、これは、ぼくの個人的事情なので、源氏物語とは関係ないけど、つい思い出してしまう。
▼さて玉鬘は、夕顔と源氏のライバル頭中将との間にできた子どもで、夕顔が死んだとき、乳母の家で暮らしていたので、母の死を知らなかった。お側仕えの右近という女房は、源氏の「この事件は秘密にしておけ」という言葉どおりに、夕顔の死を乳母にも知らせなかったものだから、乳母は、どこかのならず者にでも連れ去られたのだろうかと悲しがり、夕顔の無事を神仏にひたすら祈っていたのだが、やがて、その乳母の夫が小弐(太宰府の次官)となって筑紫に赴任することになり、乳母は玉鬘を連れて一緒にいったのだった。
▼玉鬘は、成長するにつれて、なにしろ絶世の美女だった夕顔の娘で、その上、あの高貴でイケメン頭中将の血も入っているから、そりゃあもう美しい女性になってしまった。それを田舎の男たちが目の色かえて騒ぐので、乳母が、「ウチのお姫様は、からだに欠陥があるから人前には出さないのよ。」なんてフェイクニュースを流したりするから、それを真に受ける者までいて、筑紫の国は大騒ぎ。
▼そのうち、乳母の夫の任は果てて、都へ帰れることになるのだが、この夫は金がなくて、旅費の工面がつかずにグズグズしてるうちに病気になり、三人の男の子に「この娘を都へ連れてくことだけをかんがえろ。オレの供養なんてどうでいもいいぞ。」(ある意味男らしい。明石の入道を思い出す。)なんて遺言して、あっけなく死んでしまう。残された者たちは、早く都へと思っても、なんだかんだと差し障りがあって(この父は真面目な官吏だったらしく、それだけに敵も多かったらしいのだ。なるほど。)、グズグズしているうちに、田舎者の有力者が求婚してくる。どうなる、玉鬘!
▼夕顔の乳母子であり、また侍女でもあった右近は、夕顔の死を目の当たりにした。その後、紫の上の女房として宮中に出ていたのだが、明石の上が源氏に愛されて都へ呼ばれたのを見て、「うちのお姫様が生きていれば、明石様にも負けなかったのになあ。まあ、紫の上とか花散里とかいった身分の方と同列とはいかないけど、けっこういい線いってたんだけどなあ。」って残念がるのが面白い。(夕顔は両親をはやくに亡くしたので不遇だったが、父は三位の中将だったので、身分が低いわけでは決してなかったのだ。)源氏は、この右近を「夕顔の形見(思い出すよすが)」として大事にしていたというのだが、果たして「関係」はあったのだろうか。書かれてないけど、絶対あったよね。
▼夕顔の死を知っているのは、例の惟光と右近ぐらいのものだ。夕顔の遺骸は、惟光の父の乳母のところは運ばれ、葬られた。このとき、19歳。

★『源氏物語』を読む〈109〉2017.6.12
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その2)

▼玉鬘の乳母の夫は、小弐となって筑紫(筑前・筑後の総称。今の福岡県)に赴任したのだが、どうも真面目すぎて、土地の者の反感をかっていたらしく、その死後、その一族は、肥前(佐賀県・長崎県)へと移り住むことになった。さっさと都へ帰ればいいのに、金はないし、乳母には娘や息子たちがいて、その二人娘がその土地に根付いてしまった(つまり土地の者と結婚してしまった)ものだから、ずるずるべったりになったのだった。元はといえば、乳母の夫小弐が、多少の金がなくてもなんとか工面をつけて、グズグズしないで都へ帰ればよかったのだ。もっとも、真面目だから金がなかった(つまり役人につきものの賄賂と無関係だった)というわけで、そういう意味では「いい人」でもあったのだが。
▼しかし、いい迷惑なのは玉鬘で、彼女も肥前に移り住んだわけだが、そこへ、肥後の大夫監(たいふのげん)というヤツが、噂をききつけて、乗り込んでくる。大夫監というのは太宰府の判官ということで、肥後国(熊本県)の豪族らしい。これが、まあ、極めつけの田舎者で、物語の中では、徹底的に戯画化され、コケにされている。
▼この大夫監は、肥後の国の邸にたくさんの妻妾を抱えてくらしていたが、玉鬘の噂を聞いて、自分の美人コレクション(?)に加えようと目論んだのである。乳母側では、相変わらず、玉鬘には体の欠陥があるから人前には出せませんの一点張りで、会わせようともしないが、オレはそんなの気にしないぜ、我慢していつまでも見捨てないぜ、って言うがぜんぜん取り合ってもらえない。
▼で、この監というヤツは、乳母の三人の息子のうちの二人を脅して言いくるめてしまい、情けなくも監のいいなりになった次男と三男は、玉鬘に、最初は嫌かもしんないけど、そのうち慣れるよ。この辺で暮らしていくには、ヤツに逆らってちゃどうにもならないし、それに君だって、いくら貴族の血を引いているっていっても、都に行ってもお父さんからちゃんとした扱いを受けることもなくて、そのまま都に埋もれてしまったら生きてるカイももないじゃないか。アイツに逆らったらろくなことにはならないぜ、なんて玉鬘を脅す始末。
▼さすがに長男だけは、父親の遺言を固く守って、何言ってんだ、おとうさんの言ったとおり、玉鬘を都に連れていかなきゃ、と、健気に振る舞うのが救いだ。
▼監がやってきて、歌を贈ったりするのだが、それがまた教養がないものだからヒドイ。もらった歌の意味もよくわかんない。でも、オレを田舎者だと思ってるかもしれないけど、どん百姓じゃないんだぞ、和歌の作り方だってちゃんと知ってらあ、てなもんで、威張りちらすが、そんなこんなを目の当たりにした玉鬘は、もう嫌! 死にたい! って思ってへこんでいる。
▼でも、結局は、監がいったん肥後の国へ引き上げた折をみはからって、長男が奮闘して、玉鬘一行は九州を脱出することになるのだが、すでに九州に来てから16年も経っていた。このとき、すでに九州で結婚して土地にすっかり根付いていた乳母の娘のうちの妹のほうは、さっさと夫を捨てて、一緒に都へ帰るのだが、姉は親族係累が多くなりすぎていて、九州に残ることとなる。姉妹は涙と別れとなる。この辺までちゃんと細かく書いているのには感心してしまう。
▼「田舎者」が「都会の者」に、馬鹿にされる、という話は多いものだ。「徒然草」なんかにもあるし、落語でも、田舎の武士が遊郭で恥をかくという類いの話がけっこうあって、笑いながらも、田舎者に同情して結構しみじみしてしまったりもする。そこに共通するのは、「身分」の問題というよりは、「教養」の問題のようである。つまりそこではいつも「野暮」が馬鹿にされるわけである。この監などは「野暮」の極みであろうが、やはり、どこか同情を禁じ得ないところがある。紫式部にしてみれば、「野暮な男!」って吐き捨てればすむだろうが、それじゃ、若紫をどうしても手に入れたくて「強奪」した源氏が「野暮」じゃないって言い切れるだろうか。「好きな者を手に入れたい」という「心根」では、源氏も大夫監も同じじゃないのだろうか。変に「教養」で格好つけないだけ、大夫監の方が率直でカワイイとも言えるのではなかろうか……なんてことをつい考えてしまう。

★『源氏物語』を読む〈110〉2017.6.13
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その3)

▼玉鬘の乳母の三人息子の中の長男、豊後の介は、二人の弟は大夫監側についてしまうし、残ったのはお前だけなんだからなんとかしろと母親からも責め立てられて、玉鬘の悲嘆にくれる姿にも同情して、とうとう九州脱出を決意、実行することになった。
▼大夫監は、吉日の4月20日に、姫を迎えに参上致すなんて言ってきたものだから、その前に逃げちゃえというので、大急ぎで支度をし、家来もたくさん連れて、船も特別に速いのをあつらえ、猛烈なスピードで瀬戸内海を突っ走って都をめざした。なんでも、8人ぐらいの漕ぎ手を使う船らしくて、海賊だらけの瀬戸内海を突っ走るその船を見た人々は、あれま、海賊けえ? って思ったぐらい。この辺のスピード感は、源氏物語でも随一といっていいだろう。どこか、「土佐日記」の影響を感じる。
▼しかし、いくら「速い」といっても当時のこと、京急の快特のようなわけにはいかない。肥前の国から「川尻(今の尼崎市の北東部あたり。ここから川を遡って都に至る。)」まで、およそ一月、都に着いたのは5月中旬だった。船の「速さ」も、推して知るべし。
▼都に着いたとはいっても、よるべなき一行は、九条(都とはいっても、ほとんど郊外)にいる知り合いを探し出して、そこにひとまず腰を落ち着けるのだが、さて、落ち着いて考えてみると、この豊後の介という男も、実は妻子がいたのだが、それを捨てて姫様大事とここまで来てしまったわけで、思わずノリでやっちゃったけど、オレはなんて馬鹿なことしたんだと思ってつくづく反省する。それに、残してきた妻子をあの大夫監のヤツがどんなひどい目にあわせるかしれない、と心配もする。(心配で済むのか? って言いたいけど。)
▼でも、やっぱりオレにやるべきことは、お父さんの遺言を守って、このお姫様をお守りすることなんだと自分を励ますのだが、「ただ水鳥の陸にまどへるここちして(ただもう水鳥が陸にあがってうろうろしているような気分で)」といった有様で、この広い都でどうしていいか分からなくて途方に暮れるばかり。ついてきた家来たちも、薄情にも、ひとりまたひとりと、肥前の国へ帰ってしまう。
▼あとはもう頼れるものは神仏。近くの石清水八幡宮へ、姫君をお参り連れて行ったりしているうちに、そうだ初瀬(奈良の長谷寺)が有名だった、あそこへお参りに行ってくださいと勧める。玉鬘は、そんな遠い所まで歩いていったことなんてないから、大変な苦労をするのだが、それでも、健気に歩いて行く。道中、ひたすら、お母さんに会わせてください、もし死んでいるのなら、お母さんのいるあの世につれていってくださいと心に祈りながら、よれよれになって椿市(つばいち)というところに着く。京の都を出てから4日目である。椿市は、長谷寺への入口で、長谷寺から約一キロ。今の桜井市三輪町金屋。今でも「海柘榴市跡」として有名だ。
▼この椿市の宿に、疲れ果てた玉鬘一行が転がり込むのだが、そこには既に別の一行が予約済みで、急に泊めろといわれてもねえ、なんて主人(お坊さんなのがおもしろい)にブツブツ文句言われてるうちに、その先約の一行がやってくる。今さらどっちかに出て行ってくれとも言いかねた宿の主人はなんとか知恵をしぼって、玉鬘一行を、宿屋の奥の方の部屋へ押し込めて、カーテンなんかで仕切りをしたりして、両方とも泊めることにする。これが、玉鬘の運命を切り開くのだ。後からやってきた、ちょっと身分の高そうな女が、実はあの夕顔の侍女、右近なのでした、という展開。お互いがそれと気づくまでの描写はとてもリアルで、まるで映画を見ているみたいだ。
▼右近の方が先に気づく。右近は、おつきの者(乳母や豊後の介たち)の態度から察して、この相客になった女は、自分よりずっと高い身分の女らしい。いったい誰だろうと、カーテンの陰から覗いてみると、ずいぶん年はとっているけれど、知っている女の顔がある。乳母の娘やら、その他の侍女たちも、みな知った顔だ、というわけで、お互いにそれと気づくのだ。
▼しかし、乳母側の人たちは、だれも夕顔が死んだことを知らない。右近は、どうしようかなあと悩むのだが、そのままにしておくこともできないから、実は夕顔様はお亡くなりになったのですと、乳母とその次女(兵部の君と呼ばれている)に、真実を話す。それを聞いた、乳母たちは大泣きした。けれど、まだ玉鬘にも豊後の介にも話せないでいる、ようだ。
▼右近は、源氏のもとに仕えているのだが、やっぱり、分不相応な感じがして、どうも居心地が悪く、死んだ夕顔のことが忘れられなくて、供養のためにたびたび長谷寺にお参りにきていたのだった。この右近の気持ち、よく分かる。
▼この奈良の長谷寺は、ぼくがとても好きなお寺で、もう何回も行ったが、このシーンをいつもすっかり忘れていた。こんど長谷寺に行ったら、この玉鬘の姿を心に浮かべながら、拝観もし、あたりの風景もじっくりと眺めたいものだ。そして「海柘榴市」も。いわゆる「聖地巡礼」かな。

★『源氏物語』を読む〈111〉2017.6.14
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その4)

▼椿市から長谷寺までは約4キロという。はかばかしくも歩けないまだ子どもの玉鬘をつれて、ようやく長谷寺に着くと、もう、参詣者でごったがえしている。この混雑の有様をよむと、よくまあ、あの奈良の辺鄙なところへ人が集まるものだと感心してしまう。昔の人はとにかく健脚である。玉鬘だって、全部歩いたのだからエライ。
▼で、いよいよ参拝ということになると、玉鬘たちを引率している坊さんは、位が低いらしく、観音さまがまつってある場所から遠いところにしかいけない。右近の方は、さすがに、引率もしっかりしていて、間近のところに席があるから、玉鬘たちに、「こっちへいらっしゃいよ。そんなところにいると、田舎ものに何されるかわからないわよ。」なんていって、親切に誘ってくれる。
▼そんなこんなで、ようやく祈願に入るのだが、玉鬘の侍女の中に、「三条」と呼ばれる古参の女がいて、その女が、「どうぞ、お姫さまを、大弐の北の方(太宰府の次官の妻)か、あの大和の受領の北の方(この人がちょうど参詣にやってきていて、その豪勢な様子に憧れたのである)かにでも、してやってくださいまし。そうすれば、アタシたちも出世できますし、そしたらちゃんと御礼もします!」みたいなことを祈る。それを聞いた右近は、まったく縁起でもない(「ゆゆし」)ことを言うものだと怒って、「あんた、何ろくでもないこと祈ってるの。大弐だとか大和の受領だとかの奥さんにしてくださいなんて、田舎者みたいなこと言ってちゃダメでしょ。お姫様のお父様は、帝からも信頼のあつかったあの中将様なんですよ。」なんて言って叱る。こんな会話が、読経の声やら、人の祈りの声やらでワンワンしている中でかわされる。ドタバタでおもしろい。
▼そのあと、玉鬘たちと右近たちは、宿でゆっくりと話すのだが、右近は、もう、この姫君をとにかく源氏に会わせたくてしょうがない。乳母にも、この玉鬘は、宮中へ連れていっても、紫の上やら明石の上やらにも、決してひけをとらないはずだ、それほど美人だと褒めちぎって、それには乳母も相好を崩すが、右近がしきりに源氏に会わせようというのに対して、源氏には高貴な奥方たちがたくさんいるのだから、それより、まずは実の父である「頭中将」に会わせてやってくれと頼むのだった。なまじ源氏に見初められたりしたら、どうなることか分かったものではないと思っているのである。

★『源氏物語』を読む〈112〉2017.6.15
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その5)
▼紫式部は、実際に長谷寺に参詣したのだろうか。ちゃんと確かめてないが、たぶん、行ったことがあるのだろう。長谷寺の描写はほんとうにその雰囲気をよく伝えている。ぼくは、何度も長谷寺に行っているので、懐かしい。この長谷寺での、玉鬘と右近の奇跡的な出会いは、当時よく語られた「長谷寺霊験談」の形をとっているとのことだが、それにしても、その語り口は写実的で軽妙だと「解説」は述べている。
▼三日にわたるお籠もりも終わり、別れとなって、このまま玉鬘が行方不明になってしまったら大変なので、右近は、自分の家は、源氏の六条邸の近くだからときちんと教える。考えてみれば、電話もスマホもない時代、ちょっとしたことで行方不明になってしまうわけだ。もっとも、今だって、同窓会名簿では「行方不明」となっている人間はごまんといる。生死すら分からないということがあるのだから、実際のところ、当時と事情は大して変わっていないとも言えるのだ。
▼都に戻った右近は、源氏のところに参上すると、「しばらく顔を見せないで、どこいってたんだ。マジメ人間が、なにかいいことでもあったのかい?」って源氏がたわむれかかる。右近はこのとき40歳ほどで、源氏は35歳だから、この二人の関係はもう中年のお友達という感じである。もちろんかつては男女の関係もあったのだろうが、今はもうそんなことはなさそう。(分かんないけど)
▼右近は、玉鬘のことを言いたいのだが、紫の上もいるものだから、なかなか言えない。といって、紫の上のいないところでこっそり源氏だけに教えるのもフェアじゃない、というか、後でメンドクサイというか、そんな感じがあって、「ちょっと田舎に行ってましたので、いいことなんかありませんでしたけど、カワイイ人を見つけましたよ。」ってほのめかす。源氏は、「お! どこかの坊主でも仲良くなって連れてきたのか?」って茶化すと、「違いますよ。あの夕顔の娘さんですよ。」と言うと、源氏はびっくりして、おいおい、そんなことこの人(紫の上)のいるところであからさまに言うなと、どうも目配せしたか、小声で言ったかすると、紫の上は聞きつけて、「あら、メンドクサイお話ね。私は眠いから聞いてなんかいられないわ。」といって、扇で耳をふさぐ。ふさいだって、起きてれば聞こえるのに、源氏はそれをいいことに、「で、どうなんだ。夕顔よりキレイか?」ってせき込んで聞く。やっぱりそっちかよ、って思うけど、まあ、源氏だからしょうがない。
▼右近は、椿市の宿では、玉鬘は紫の上にだって負けないって乳母に言ったけれど、今こうして紫の上を目の前にして比べてみると、やっぱり、比べようがないほど紫の上は美しい。源氏も、この奥方と比べてどうだなんて、紫の上の機嫌をとろうとして聞くものだから、右近は「そりゃあ、比べものになりませんよ。」と話を合わす。まあ、本心だったわけだけど。
▼夕顔に似てキレイですけど、お父様にも似てますから、と右近は言って、源氏は、そうか、オレに似てるんじゃ、それほどでもないかな、なんてとぼける。つまり、源氏は、この玉鬘を引き取りたいともう思っているので、自分の子であると紫の上に信じさせたいのである。どこまでも、キレイな女性には目のない源氏である。
▼話は前後するが、参詣のおり、右近は寺の僧に玉鬘のことを「藤原の瑠璃君」と紹介する。とっさとの思いつきなのか、玉鬘の幼名なのか分からないらしいが、ちょっといい名前だ。たった1回しか出てこないのはもったいない。
▼それから、源氏が右近に足がだるいからもんでくれといって、足をマッサージ(「御脚(みあし)まゐり」という)させる場面がある。もんでもらいながら、源氏は、若い女房たちはめんどくさがってダメだ、やっぱりお前のような年寄りは心が通い合っていいようなあと言うと、若い女房たちは、クスクス笑っていると、右近が、そうじゃありませんよ、お殿様が、若い子たちにエッチなことばかり言うから嫌がるんですよ、と言うところがあって面白い。
▼「御脚まゐり」、いと、うらやまし。

★『源氏物語』を読む〈113〉2017.6.16
今日は、第22巻「玉鬘(たまかづら)」(その6・読了)

▼玉鬘を六条院(源氏邸)に迎えるにあたって、どの「町」に住まわせるのか、源氏は考えたあげく、困った時の「花散里」じゃないけど、とにかくおおらかな彼女に任せることにする。実子の夕霧も彼女に任せたものだから、源氏は少しは気をつかって、また頼んで悪いけど、いい? みたいなノリであるが、花散里は、いいですよ、と、少しも気にしない。それどころか、そんなお嬢様がいらっしゃったなんて、ちっとも知らなかったわ、よかったじゃないですか、お嬢様が一人しかいらっしゃらなくて寂しかったでしょうから、と、玉鬘が源氏の実子だと疑いもしないのである。
▼何でも気楽に頼める花散里には、実は源氏は「ほんとうのこと」を話していない。あくまで自分の子どもであるということにして、突如六条院に出現した美少女! ってことで、若い男たちが目の色変えて大騒ぎするのを楽しもうとする魂胆なのである。なんという嫌らしい中年男なのであろうか。
▼そういう源氏を見て、紫の上は、まったく変なオトウサンねえ、と嫌味を言う。この紫の上には、源氏は、「ほんとうのこと」を話してきかせる。紫の上は、そんな話は聞きたくないし、聞いても不愉快になるだけだと言うのだが、源氏は、お前を心から大事に思っているからこそ、事実を話すのだという。
▼まあ、花散里にはウソをつき、紫の上にはウソつかないのだから、そういう理屈も成り立つけれど、どっちにせよ、女にとってはいい迷惑である。
▼玉鬘も迎えた六条院では、正月の準備に入る。宮中での儀式に着ていく装束を、源氏は、それぞれの女性に似合いそうなものを選んで贈るのである。初めのうちは、紫の上が、がんばって、着物というものは、似合う似合わないがあるんですから、ちゃんと選んでね、なんて女房たちに指図しているのだが、源氏は、顔も知らないのに似合うかどうか分かるわけ? みたいなこといって茶化す。確かに、紫の上にしても、明石の上にしても、お互いの顔をちゃんと見てはいないのである。源氏の言葉にむっとした紫の上は、そんなこと言ったって、鏡がないからわからないわよっていいかえす。(そうか、全身をうつす鏡なんてないから、自分が何を来たら似合うのか分からないんだ!)で、結局、源氏自身が選ぶことになって、ああだ、こうだと着物を選んでいるのを、紫の上は見ながら、ああ、こういう着物の似合う玉鬘って、たぶん、こんな顔なのね、なんて、心中穏やかならず想像するわけだ。
▼源氏は、この時、わざと派手な着物を末摘花に贈ることにして、さぞ似合わないだろうなあと、ニヤニヤ笑ったりしている。愚弄するために、末摘花をかこっているのかと思わせるほど、ヒドイ仕打ち。末摘花からは、相変わらず野暮ったい歌が帰ってきたりして、それもまた笑いの種になったりして、そんなところは、読んでいて、すごく後味悪い。
▼源氏の好感度がぐっとさがる「玉鬘」の巻の末尾であった。
▼源氏その人の人物造型は、たぶんに矛盾もあり、破綻もあるのだと思うけれども、源氏を取り巻く、女や男は、きわめてリアルに造型されているのが源氏物語の特色だといえるのかもしれない。光源氏は、彼に関わる女たちを造型するための、いわば「触媒」に過ぎないのかもしれない。
▼これで「玉鬘」の巻はおしまい。いろいろな発見があって、すごくおもしろかった。

 

【23 初音】

 

★『源氏物語』を読む〈114〉2017.6.17
今日は、第23巻「初音」(その1・読了)

▼「初音」の巻は、絵巻物のように、美しい巻だ。
▼正月の準備に、源氏は六条院に住む女たちに、それぞれに似合いそうな着物を贈ったのだが、年があけると、さっそくそれぞれの女性たちのもとを訪れる。自分が贈った着物をどんなふうに着こなしているか、見たいのである。
▼なかでも印象的なのは、明石の上だ。紫の上の春の御殿、そこに預けられている明石の姫君、その後、花散里とたずね歩き、夕暮れ時になって、明石の上の冬の御殿に行く。その描写が素晴らしい。(写真版参照)
▼「白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ」(白い表着にあざやかな黒髪のかかっているのが、少しさらりとした程度に薄くなっているのも、ひとしおみずみずしさが加わって、心がひかれるので)とある。「けざやかなり=くっくりと際立っている」「さはらかなり=さっぱりしている」と続く形容動詞が、明石の上のなんともいえない清潔感を表現している。白い上着に、黒い髪の鮮やかなコントラスト。その黒髪は、先の方へいくに従って、さっぱりとした感じで薄くなっている。そのグラデーションのなんという美しさ。
▼その後にでてくる「なまめかし」という形容詞。今では「なまめかしい」といえば、「色っぽい」とか、「エロい」なんて、もっぱら、なんか嫌らしい感じがつきまとうが、平安時代の「なまめかし」はぜんぜん趣が違う。漢字をあてれば「生めかし」で、「未熟ではあるが、若々しい美しさ」を表す言葉だ。若い女性の美しさを表す言葉で、そこから「上品だ」とか「優美だ」とかいう意味になる。ただ「上品だ」と訳すと、ほかにも「上品だ」を意味する「あてなり」なんかと区別がつかなくなってしまう。「あてなり=貴なり」は、「高貴である」ところからくる「上品さ」だ。そんなわけで、上の口語訳では「みずみずしい」と訳しているわけだ。
▼また、その後に出てくる「なつかし」も、大事な言葉。今では「なつかしい」というと、昔のことや、故郷のことが「なつかしい」というふうに使われるが、もとは「なつく=慣れ親しむ」から来た言葉で、「その人や物に心引かれて、離れたくない、そばに置きたい」という気持ちを表すのである。(だから今の「なつかしい」の用法も正しいのだが、普通は「遠く離れたところ」や「過去のこと」に対してだけしか使わないところが昔と違う。)ここで、「なつかし」が出てくるのは、源氏が、明石の上を見て、きれいだなあと思っているだけじゃなくて、「ああ、この人のそばにいたい」と思ったということでもある。だから、その晩、源氏は、紫の上が怒るだろうなあと思いつつも、明石の上の部屋に泊まってしまうのである。(翌朝、源氏は言い訳に苦労するのだ。)
▼源氏物語を口語訳で読んでも、ちっともかまわないと思うのだが、口語訳だと、今説明した「なまめかし」「なつかし」といった言葉の持つ味わいをどうしても味わうことができないのが難点。だいたいは口語訳で読んで、「ここぞ」と思ったところを原文で(もちろん口語訳を見ながら)読むのがいちばん望ましいし、楽しい。
▼外国の文学も、原文で読まなければほんとうに味わったことにならないわけだが、かといって、ぼくのような老人は、今さらフランス語やらロシア語やらを身に付けることはできない。(ほんとうに、何か一つ、外国語をきちんと身に付けておきたかった。)その点、日本の古典文学は、高校のときに眠たいならがらも強制的に学ばされた「古典文法」をそこそこ知っていれば(忘れてしまっていても、ちょっと勉強すれば、なんとかなる。)奈良時代から江戸時代までの文学を全部原文で読めるのだ。これは、お得ではないか。
▼さて、源氏は、あの末摘花やら、空蝉やらのところへも、ちゃんと顔を出し、末摘花の相変わらずの様子にうんざりしたり、尼になっちゃった空蝉にはこれじゃどうしようもないけど、話し相手にはいいなあ、せめて、末摘花もこれくらいの教養があるといいんだけどなあなどと思ったりしている。
▼末摘花は、大事にしていた毛皮のコートを赤い鼻した兄貴(坊さんである)に持ち去られ、着物も縫うこともままらならないからといって、重ね着もできず、ぶるぶる震えて「寒くはべる」なんて源氏にいうのだ。考えてみれば、重ね着したって、当時の住宅事情では、寒いに決まっている。さすがに源氏も、ああ、ほったらかしにして、悪かったと反省して、改めて、いろいろと着物を追加しておくったりしたのだった。源氏の好感度もアップである。
▼最後に、華やかな「男踏歌(おとことうか)」の行事が華やかに行われ、あっという間に、この巻は終わる。

 

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