「源氏物語」を読む

 

No.20 朝顔 〜 No.21 少女

 

 


【20 朝顔】


★『源氏物語』を読む〈97〉2017.5.31
今日は、第20巻「朝顔」(その1)

▼あんまり目立たないけど、チラチラ出てきて、それで案外源氏と深い仲だったりする女性が源氏物語には出てくる。「花散里」などはその典型だと思うけど、この「朝顔の姫君」もその一人。
▼この姫君が最初に登場するのは、2巻目の「帚木」の巻で、そのとき、源氏はこの姫君に朝顔の花につけて歌を贈っている。そこから「朝顔の姫君」と呼ばれるのだが、源氏との関係でいうと、源氏の父桐壺帝の妹の子ども、つまりは従姉妹である。この頃の恋愛というのは、狭い貴族社会のこととて、従姉妹などは当たり前に恋愛・結婚の対象となる。源氏の正妻の葵の上なども、この朝顔の姫君の従姉妹である。
▼この姫君は、源氏のことを「素敵な人だ」と思うのだが、六条御息所が源氏との恋で悩んでいるのを知っているので、ああはなりたくないと、源氏からは距離を置くのだ。源氏をとりまく女性たちは、いろいろなケースを観察して、結構学習しているのである。
▼源氏は一度目をつけた女性に対しては、執念深いところがあって、この朝顔の姫君にこの巻で、正式に(?)言い寄るのだが、なんと初めて歌を送ってから、16年後なのだ。これだけ、いろいろな女性と関係してきながら、それでも懲りずに言い寄るんだから、呆れもする。
▼物語的にも、この姫君との話は、なくてもいいように思うのだが、この巻の後半になると、この姫君との関係を紫の上が嫉妬するという展開になるらしいから、やがて訪れる紫の上の「大嫉妬」(女三宮の降嫁)への準備なのかもしれない。
▼けれども、この二人のやりとりを読んでいると、源氏は言葉では懸命に口説いているのだが、心の底では諦めているところがあって、若い頃のようなガムシャラさはもうないことがわかる。むしろ、口説いて、断られるのを楽しんでいるふうで、また朝顔の姫君の方でも、何がなんでも嫌なんじゃなくて、でも、これから源氏と関係を持つのは、やっぱりメンドクサイし、でも、なんか憧れるなあというところもあったりするものだから、二人は、ある意味「成熟した男女関係」を味わっているということになるらしい。
▼その辺のところを「解説」は、こんなふうに語る。「典型的な男女対座の構図であるが、それぞれに人生の年輪をもつ中年の男女にふさわしいしめやかな情景で、その陰に、死・無常と神へのおそれを匂わせ、折からの季節感とあいまって陰影の深い文章となっている。」
▼この姫君の母親(五の宮)は、葵の上の母親(三の宮)の腹違いの妹であり、源氏の叔母なのだが、三の宮が、葵の上の母親として華やかな生活をし、美しかったのに比べて、ちっともいい目をみていないから、すっかり老い込んでしまっている。御簾の向こうで源氏と話すときも、ゴホゴホと咳き込んだりするところは、リアルで面白いし、人生の残酷さも思い知らされる。
▼源氏と朝顔の姫君が会う(とっても、御簾越しだが)場面も渋い色彩感覚が美しい。

★『源氏物語』を読む〈98〉2017.6.1
今日は、第20巻「朝顔」(その2)

▼これまでは、紫の上は、「かわいく嫉妬する」女性で、それだから、源氏もそんな嫉妬する紫の上を見て「カワイイ!」なんて思っていられたのだが、ここへきて、俄然様子が変わる。つまり、朝顔の姫君に言い寄る源氏には、かわいく嫉妬してみせる心の余裕がないのだ。それは、朝顔の姫君の身分が高いからなのだ。(彼女は、亡き桐壺帝の姪にあたる)今まで源氏が関わってきた女性は、たとえそれが明石の上であっても、紫の上にしてみれば「格下」だったので、わが身は安全だと確信できたのだが、朝顔の姫君となると、ちょっと違う。
▼「まめやかにつらしと思せば、色にも出したまはず。(心底辛いお気持ちなので、それを顔色にもお出しにならない。)」つまり、今までは、「あら、今日は、どちらへお出かけ?」なんてちょっとすねて顔して応対していたのに、それがぜんぜん出来なくなったのである。むしろ、心の動揺を絶対にみせまいとするのだ。
▼考えてみれば、紫の上は、藤壺の姪であり、皇統ではあるけれど、父をはやく亡くして祖母のところで育ったような、孤児同然の状況から、源氏にいわば「拾われた」のだった。そのことに対するコンプレックスは、紫の上の心の深くにある。今は「正妻格」として扱われているが、いつ、おとしめられるかわかったものではないという不安定さが、紫の上の心をむしばみ始める。

★『源氏物語』を読む〈99〉2017.6.2
今日は、第20巻「朝顔」(その3)

▼朝顔の姫君を訪ねるために、一緒に住んでいる親(五の宮・葵の上の母親の妹)の邸を訪れるのだが、この邸が荒れていて、西側の門の戸の錠が錆び付いていてなかなか開かない。やっとそれを門番がこじ開けて、源氏を中に入れるのだが、当然挨拶しなければならないのが、母親の五の宮。これがまた、興味ある話題もなくてとりとめなく話していると、五の宮は、ねむたくなってイビキをかいて寝てしまった様子。(あくまで御簾越し)源氏は、バアサンから解放され、やったあとばかり、姫君のいる方へ行こうとすると、またもやバアサン登場。なんと、その昔、すでにバアサンだった彼女は、年甲斐もなく源氏へ言い寄った女、源典侍だ。まだ生きていて、こんなところに住んでたんだと源氏はびっくり。なんとこのとき源典侍は70か71歳! 今は尼になっているという境遇に源氏は同情もし、こんなバアサンがこの歳になっても生きているのに、何で藤壺の宮はあんなに若くして(37歳)亡くなってしまったのだろうとしみじみもするのだが、いかにも口の周りはシワだらけといった感じで、ろれつも回らぬのに、色っぽい歌を歌いかける彼女に、源氏は、さすがに気味が悪くなって、痛烈な歌を返す。
▼源典侍の歌「年ふれどこのちぎりこそ忘られね親の親とかいひし一言」(年がたっても、このご縁が忘れられません。親の親とかおっしゃった一言に。)──(「親の親」というのは、以前、源氏たちが源典侍のことを「祖母殿」などとふざけて呼んだことをさす。)
▼これに対する源氏の返歌「身をかへて後をまちみよこの世にて親を忘るるためしありやと」(生まれ変わって来世にでも待って見てください。この世に親を忘れる子の例があるかどうかを。)まったく、ヒドイ返歌である。「来世で確かめみたら?」って言ってるわけである。まあ、これも戯れ言だけど。

★『源氏物語』を読む〈100〉2017.6.3
今日は、第20巻「朝顔」(その4・読了)

▼紫式部は冬の美しさを描き、「すさまじき例」にあげた人は「浅はか」だと言う。これは、註にもあるとおり、清少納言を意識しての言葉かもしれない。そういえば、まだ『紫式部日記』をちゃんと読んでないのだ。読みたいなあ。
▼源氏物語を読んでいると、「月の光りが澄んでいる」という表現がよく出てくる。偶然だが、ぼくの堂号が「澄月堂」に決まったのも、縁があるようで嬉しいことだ。
▼月の光の美しさを、都会に住むものはほとんど味わうことができない。月は見ても、その光に照らされた景色とかモノはなかなか見ることができない。これは、おおきな損失だと思う。
▼紫式部は、子どもの描写がうまいというのは定説だが、ほんとにそうだ。有名なのは、かの若紫が登場する「若紫」の巻の一節だが、ここもなかなかいい。
▼記念すべき、源氏物語読書100回目(ほぼ100日目)で、「朝顔」の巻読了。次回は、「少女」の巻だが、小学館の全集本では、第3巻となる。全集本は全6巻だから、この3巻目を読了したら、ほぼ半分ということになる。前途遼遠だが、このペースでいくと、だいたい300回で全巻読了か?

 

 

【21 少女】


★『源氏物語』を読む〈101〉2017.6.4
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その1)

▼源氏は引き続き、朝顔の姫君に言い寄るが、結局、彼女は頑として受け付けないので、源氏もそれ以上は踏み込まないのでした、ということで、この朝顔の姫君をめぐるお話は、締めくくられる。
▼で、はじめて「大殿腹の若君(葵の上の子ども)」の元服という話に転じる。つまり、「夕霧」の登場である。このとき、夕霧は12歳。今でいうと中1かな。元服を機に、ほかの貴族の若君たちはみんな四位へと昇格したのに、源氏は、親の七光りっていわれるのもよくないし、若いうちからチヤホヤされるとろくなことはない。自分は、ずっと宮廷の内部でそれこそチヤホヤされて育ったから、ろくに勉強もできなかった。だから息子には勉強させようと思って、大学進学をさせる。「大学」というのが、ちゃんと当時あったのである。もちろん、今の大学とは全然違うけれど、「式部省大学寮」というところで、「文章(もんじょう)・明経・明法・算」の四道があり(つまり、文学部、仏教学部、法学部、理学部、かな。当てずっぽうだけど。)、また入学資格は、五位以上の子弟と、選抜された東西史部の13歳から16歳までだそうだ。大学生であるうちは、昇進もとまるとのこと。案外、今と似てるので、おどろく。
▼この源氏の息子は、「夕霧」と呼ばれるが、この名前は、当時の読者が付けたらしい。ということは、この物語本文では、「夕霧」と呼ばれることはないということになる。検証したい。
▼「大和魂」という言葉が、文献に初めて登場するのが、「源氏物語」だそうで、その意味が興味深い。全集の注にこんなことが書いてある。「『才』すなわち漢学で得た基本的諸原理をわが国の実情に合うよう、臨機に常識的に応用する知恵才覚を「大和魂」という。この「大和魂」の語は、文献上、『源氏物語』に初出。」
▼「少女(をとめ)」とは、五節(ごせち)の舞姫のことを言う。五節というのは、「奈良時代以後、大嘗会(だいじょうえ)および毎年陰暦11月の新嘗会(しんじょうえ)に行なわれた五節の舞を中心とする儀礼の行事。起源は、天武天皇が吉野の滝の宮で琴を弾いた時に、前山に神女が現われて袖を五度翻して舞った故事によるという。11月中の丑・寅・卯・辰の四日にわたって行なわれる。前もって五節定めで選定した舞姫を丑の日に宮中に召し、帳台の試みがある。寅の日には殿上の淵酔(えんすい)、その夜、御前の試みがあり、卯の日には童女(わらわ)御覧がある。辰の日に、豊明節会(とよのあかりのせちえ)の宴があり、正式に五節の舞が演じられる。後世には大嘗会にだけ上演され、さらにそれも廃止されたが、大正・昭和・平成(昭和と同曲)の即位に際し、作曲して行なわれた。ごせつ。《季・冬》」(大日本国語辞典)

★『源氏物語』を読む〈102〉2017.6.5
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その2)

▼夕霧が、大学に入ったとはいっても、普通の学生のように寮に入ったわけではなくて、源氏は自分の邸(二条邸)に特別の部屋を作り、そこで先生を招いて勉強させた。ほんとは、いいとこの坊ちゃんとして、遊びほうけていられたのに、源氏はそれを許さず、ほとんど部屋に閉じ込めて勉強させたのだった。
▼当時は「大学」が、全盛期を過ぎており、そこの博士(儒学者)たちも、すっかり落ちぶれていて、粗末な衣服を身につけていながら、ただただ威張り散らして、しかりつけるばかり。そういった博士たちを、貴族達は馬鹿にしているのだが、それでも、夕霧は一生懸命に勉強して、試験でも抜群の成績をおさめるのだった。夕霧は、真面目な男なのだ。
▼平安時代の貴族というと、ただただ遊びほうけていたと思われがちだが、ぜんぜん違うんだよね。

★『源氏物語』を読む〈103〉2017.6.6
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その3)

▼若い頃、遊び友だちとして仲良かった源氏と頭中将だが、中年にもなると、それぞれ複雑な思わくを抱えて対立することになる。この「少女」の巻に関していえば、源氏は養女とした斎宮女御(六条御息所の娘)を、冷泉帝(源氏の腹違いの兄、朱雀帝の子ども)の后にしようとするが、また頭中将は、すでに娘の弘徽殿女御が入内しているから「おれんちの方が先だ」とばかり意気込んでいるし、兵部卿の宮というのがいて、この人は紫の上の父親だが、別の娘を「王女御」としてこれもすでに入内させているので、「おれの娘のほうが冷泉帝の母親の藤壺に血筋的に近いから、ウチの娘だろ」って思っている。それなのに、結局は、源氏の養女が后と決まってしまうのだった。
▼若い頃は、そんな世間的なことにはおかまいなく、ただただ楽しく遊んでいただけなのに。人間、年はとりたくないものである。ぼく自身にしても、この年になって、中高以来の同級生たちが、桁違いの年収を得ていたりするのを目の当たりにすると、ああ、やだやだと、ため息のひとつも出ようというものだ。
▼そんな、煩わしくて生臭い大人の世界を描いた後に、爽やかにクローズアップされてくるのが、源氏の息子、真面目人間夕霧と、頭中将の娘で夕霧の幼なじみ雲居雁の初恋である。この二人は、大宮(頭中将の母、つまり雲居雁の祖母。源氏の叔母にあたる。)のところで一緒に育てられたのだった。けれども、当時の習慣として、10歳を過ぎると、隔てられ、簡単には会えなくなってしまう。それでも、夕霧は彼女が好きで、元服後も歌を送っている。夕霧そのとき12歳。2歳上の雲居雁も、だんだん夕霧が好きになっていく。
▼けれども、雲居雁の父、頭中将は、この娘をゆくゆくは今の春宮の后にと期待をかけているのである。こんどこそ! って思ってるわけである。これはこの二人、前途多難。ロミオとジュリエット風である。
▼夕霧が、頭中将を訪ねると、まだ二人の関係を知らない頭中将は、それでも源氏の息子だというだけども面白くないのに、夕霧がやたら優秀で、猛勉強して東大に受かったみたいな時だったから、皮肉っぽく「君は勉強ばっかりしてようだけど、もっと外へ出て遊んだほうがいいぜ。」みたいなことを言いながら、笛を与えて吹かせたりするが、娘の雲居雁は、奥へ下がらせてしまうのだった。
▼いつの世も、初恋の物語は、切なくも美しいものだ。樋口一葉の名作『たけくらべ』が思い出される。
▼二人の手紙の描写がいい。幼い筆跡で書かれた恋文。それを、子どもだから、つい落としてしまって女房たちにはバレバレである。けれども、それを見て見ぬふりをする女房たち。いいね。

★『源氏物語』を読む〈104〉2017.6.7
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その4)

▼とうとう夕霧と雲居雁の恋が、雲居雁の父(内大臣、昔の頭中将)にバレてしまった。というのも、大宮(内大臣の母)の邸を訪れた際に、おつきの女房にちょっかいだそうと、帰ったふりして女房の部屋へ忍び込もうとしたときに、口さがない女房たちの陰口を聞いてしまったのだ。
▼「自分では利口だとおもってるらしいけど、親ばかようねえ。そのうちまずいことになるわよ。子どものことは親が一番知ってるなんていうけど、そんなのうそよ、うそ、うそ。」なんて小突きあいながらの陰口で、それをじっと聞いて、すべてを悟ってしまったのだ。
▼結構長い時間立ち聞きしていたようで、帰るときの先払いの大きな声を聞いた邸内の女房たちは、「え、まだいたの? あの年になっても、あれなんだから。」なんて言いあって、内大臣の好色ぶりに呆れているのだが、当の陰口言い合っていた女房たちは、「え? 聞かれた? なんかいい匂いがしてきたけど、夕霧だとばっかり思ってたのに、やばっ!」ってあわてる。とにかく、当時の家の中がどれだけ暗いかがよくわかる。
▼頭に来た内大臣は、別の日に、母親のところに行って、「ぼくに黙ってるなんてヒドイじゃないか。」って母親を責めたてる。そんなことちっとも知らなかった大宮はびっくりするが、それでも、「あんた、あの子をそんなに大事に思っていたわけじゃないじゃないの。私が丹精込めてここまで育てたらから、これなら春宮の后も行けそうだなんて色気だしたんでしょ。」って抵抗する。内大臣は、そんなこといったって、冷泉帝の后の件では源氏にやられちゃったし、こんどこそはと思ってたのに、と腹の虫がおさまらない。
▼大宮は、夕霧と雲居雁のおばあちゃんだから、孫たちがカワイイから、二人が一緒になりたいならそれでもいいんじゃないかと思っているんだけど、息子の手前、いちおう、雲居雁のお父さんが、あんたたちのことを知って怒ってるわよと夕霧に伝えるのだった。
▼なんかこの辺のやりとりは、ものすごく身近で面白い。そして、女性の言い分が、いちいちもっともで、男は、馬鹿だ。ほんとに。夕霧はお利口さんだけど。
▼源氏物語では、従姉妹同士の結婚なんて普通だけど、それだけに「当たり前でつまらない」と一般には思われていたようだ。むしろ、ぜんぜん関係ない血筋同士の結婚のほうが望ましいと考えられていたようである。もちろん、その結婚で、出世の道を切り開こうということではあるが。

★『源氏物語』を読む〈105〉2017.6.8
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その5)

▼幼い恋は、大人の思わくによって引き裂かれる。
▼娘雲居雁が夕霧といい仲になっていることを知った父内大臣は、お前らの恋なんて許さん、別れろなって、ことは言わない。言わないで、引き離す。
▼自分の娘を弘徽殿女御として冷泉帝のところに送り込んでいたのに、源氏の養女の梅壺(六条御息所の娘)が鳴り物入りで乗り込んできたものだから、コケにされているという理由で、弘徽殿女御を引き取ってしまう(里下がりさせる)。冷泉帝は、え〜、そんなあと不服だが、どうせあなたが大事なのは梅壺サンでしょう、おつきの女房たちだって肩身狭い思いをしてるんですからね、といって、強引に引き取ってしまう。冷泉帝は「しぶしぶ」従うしかない。いっぽう内大臣は、その娘に、一人じゃオマエも寂しいだろうから、雲居雁と一緒に遊びなさいといって、雲居雁を大宮のところから、これまた引き取ってしまうのである。何という、策謀家であろうか。
▼いよいよ二人の別れ。雲居雁が父の元へ引き取られて大宮の邸から出ていくという場面。二人は、そのごたごたのなか、ほんのわずかな時間に会って話す。ここがすごくいい。「ぼくのこと恋しいって思ってくれるよね。」との夕霧の言葉に、言葉もなくこっくりとうなずく雲居雁のかわいさったらない。
▼雲居雁の乳母と、夕霧の乳母の態度が全然違うのも、鮮明に描き分けられている。彼女らは、当然それぞれの味方なんだけど、夕霧の乳母は心広くて、ワタシはお二人に仕えてきたのです、こんな仕打ちってありません。お父様のところに行って、誰かと結婚させられそうになっても言うことなんか聞いちゃいけませんよ、なんて雲居雁の耳元でささやくのだ。それに対して、雲居雁の乳母は、二人がいよいよ引き裂かれるってときに、「嫌だ、離れたくない!」って(もちろん、こんなはしたない言葉は発しません。)雲居雁が夕霧の袖をしっかりつかんで離そうとしないのを屏風の陰で見ていて、「まあ、嫌になっちゃうわ。大宮はちゃんと二人の仲を知ってたんだ。冗談じゃないわよ、六位風情の男と一緒になるなんて。」なんて悪態を呟く。それが夕霧の耳に入って、恋もさめるほど(さめないけど)夕霧は傷つくのだ。紫式部自身が、それほど高い身分の出ではないので、こうした「身分」による屈辱は、自分自身の問題としてわが身のことのようによく分かるのだろう。この「身分」の問題は、明石の上、そして紫の上までもが、苦しめられた問題なのだ。
▼それにしても、大人の思わくと、色情のうごめく世界の中で、この夕霧と雲居雁の恋は、ほんとに美しく、心が洗われる。

★『源氏物語』を読む〈106〉2017.6.9
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その6)

▼真面目男の夕霧も、やっぱり人の子、源氏の子。
▼雲居雁と引き裂かれ、会うこともできないでいるうちに、豊明りの節会(陰暦11月に行われる宮中の宴会のことぐらいにとっておいてください。)で帝の前で舞う「五節(ごせち・ごせつ)の舞姫」を選ぶなんてことになり、あっちこっちの貴族たちが、娘やら何やらを我も我もと競い合って出す。まあ、今でいうと、何かなあ、うちの娘をアイドルにしようってんで、AKBなんかに応募するようなものか。いや、もちろん、かなり違うけど。
▼で、夕霧は、さすがに源氏の子だけのことはあって、雲居雁に会えないので、身代わりを見つける。五節の舞姫の一人の女の子だ。これが、雲居雁によく似ている。なんだ、それじゃ、ほんとに源氏と同じ。藤壺に会えないから、そっくりな紫の上をめとったのと構図はそっくり。真面目な夕霧だが、さっそくその子に手紙を書いて渡すと、その子も、年は雲居雁とほぼ同じだけど、世慣れていて、ちゃんと返事をくれる。
▼こう書くと、簡単だけど、実は、手紙を書いて渡す、ということが当時はそれほど簡単ではない。
▼夕霧には家来(付き添い)の少年がいて、これも源氏の場合では、惟光という男だったが(若紫の巻で、まだ幼い紫の上が住んでいる尼君の邸を源氏と一緒に覗いたのが惟光だった)、この惟光の息子が源氏の家来になっている。そして、夕霧が、雲居雁に似てるって思って惚れたのが、この惟光の娘(つまり家来の姉)だったというわけだ。もともと惟光は、自分の娘を五節の舞姫には出したくなくて、「深窓の令嬢」にしておきたかったのだが、源氏が出せ出せというから、仕方なく出したのだ。舞姫に選ばれると、そのまま宮仕えということだったから、まあ、それもいいかという気持ちだったのかもしれない。
▼ところが、人前に出してみると、この惟光の娘が何人もいる舞姫の中で断然きれい。で、夕霧の目にとまる。夕霧は、前述のような心理的事情で、手紙を出す。その手紙を、自分の家来であるその子の弟に託すわけだ。弟の方は、こんなことが度重なるとメンドクサイなあと思うけど、主人の言うことだからしょうがない。夕霧は、オレは暗がりでちょっとしか見ることできないのに、オマエは弟だからいつも見れていいなあ、なんて言うと、そんなことありませんよ。姉だからといって、そんなに簡単に顔をみるなんてことできないっすよ、それより、どんな手紙ですか? っていって、手紙をみると、なかなか素敵な紙に、いい字で歌が書いてある。いいすっねえ、なんて言って二人で見ているところに、惟光がやってきて、なんだその手紙は、というので、慌てて隠そうとするけどバレてしまう。まったくお前たちは何やってんだと怒る惟光だったが、それは夕霧が姉さんにあてた手紙だということを知ると、そうかそうかと上機嫌。そうか、夕霧の目にとまったのか。それなら、宮中に出仕させるより、夕霧にあげちゃおうかなあ、その方がいいかも、あの明石の上の例もあるし、なんて思うのだった。やっぱり大人は勝手だね。
▼ちょこっと書いてあって、面白いと思ったのは、源氏は、夕霧を絶対に紫の上に近づけない。それは、自分がかつて藤壺と過ちを犯したことがあったからだ、とある。人間というものは、自分の尺度で人をみてしまうものらしい。
▼夕霧は五節の舞姫を見て、雲居雁を思い、いっぽう父親の源氏は、その五節の舞姫を見て、かつて明石で恋をした五節の君を思って、「あの頃はきれいな舞姫だったけど、いまはもう、すっかりオバアチャンかな。」なんて失礼な(これが失礼にならないところが中年らしい)手紙を書くと、「ほんと、昔のことが今のことのように思い返されるわ。」なんて、ちっとも恨みがましくない返事が返ってくる。
▼少年の未来のある切ない恋と、中年のすでに終わってしまった苦い恋、の二つの恋が、美しい五節の舞姫を中心に見事に配置されている。

★『源氏物語』を読む〈107〉2017.6.10
今日は、第21巻「少女(をとめ)」(その7・読了)

▼夕霧の後見人に、花散里があたることになり、夕霧は二条の邸に、彼女と一緒に住むのだが、夕霧はその花散里を見て、あまり美人じゃないのに驚く。というのも、夕霧の周囲には美人しかいなかったからである。夕霧の祖母の大宮だって、今でこそ年取ってはいるものの(といってもたぶん50代)、やはり美人だ。それなのに、たいして美人じゃない花散里を父源氏が大事に扱っていることを知って、そうか、女は顔だけじゃないんだ、花散里のような穏やかな心を持った女性こそ素敵なんだと大人びたことを思う一方で、でもなあ、やっぱりカワイイほうがいいよなあと、子どもっぽいことも思うのだった。まだ12歳ぐらいなんだから、これは当然。
▼夕霧は、雲居雁のことをどうしても忘れられないが、会うこともできないし、宮中へ行ってもまだ六位だってことで肩身が狭いから、部屋に引きこもりがち。それでも、一生懸命勉強して、受験を突破。進士となる。何人受験したか書かれてないが、たった3人しか受からなかったというのだから、相当な倍率だったのだろう。ここに、源氏の「圧力」など微塵もない(たぶん)のが爽やかである。
▼やがて、源氏は、あの有名な「六条院」の造営に取りかかり、見事に完成する。六条の広大な敷地に、春夏秋冬の四つの町(「町」というのは、「宮殿、または邸宅内の一区画。」の意味)を作り、南東の町には紫の上を、東北の町には花散里、西南の町には梅壺中宮、西北の邸には明石の上を、それぞれ住まわせた。紫の上の町は「春」、花散里の町は「夏」、梅壺中宮の町は「秋」(この中宮はやがて秋好中宮と呼ばれる)、そして明石の上の町は「冬」である。それぞれの季節にもっとも美しい風情が味わえるような植栽をするのだが、たとえば、「春」の町だからといって、春の草木だけをべったり植えるのではなくて、秋の草なども混ぜるなどという心遣いをしたと書いてあって、当時の造園感覚の素晴らしさが伺える。今の、ただただ派手な花を一面にべったり植えるなんていう感覚はここにはない。
▼この六条院は、ともすれば、男の身勝手な欲望から作られた不道徳きわまる邸宅だと受け取られがちだが、やはり、当時の貴族の結婚の事情を考えなければならないだろう。また4人が全員源氏の「愛人」であるのではなく、梅壺中宮は、源氏の養女であり、源氏の愛を拒否し続けた女性である。花散里は、夕霧の批評にもあるとおり、源氏が熱烈に愛した女性ではないのだが、まあ、「癒やし系」なのだろうか、どこかおっとりしていて気取りがなく、源氏との関係もほとんど友情に近い。しかも、息子の世話役ともしたわけで、それを彼女は嫌がるどころか、親身になって世話をする。更に、注目すべきは、紫の上ととても仲が良いのだ。
▼明石の上も、源氏が愛した女性ではあるが、彼女は身分コンプレックスを抱えていて、結局、源氏との間に子をもうけたことで源氏にここまで大事にされてきたけど、その娘とは引き離されるし、我慢我慢の人生で、この六条院にも、いちばん最後に引っ越してきた。「どうせワタシなんか」系、かな。
▼この4つの町は、お互いに行き来できるように配慮され、ここに、「みんなが幸せ」という、源氏ワールドが完成したわけだ。けれども、この調和した世界も、当然のことながら崩れていく。源氏ワールドの崩壊は、どこから始まるのか。そして、どのように…。すでに一回読んでいるから、おおよそは知っているのだが、それでも興味は尽きない。


 

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