志賀直哉「暗夜行路」を読む (15) 126〜150
後篇第四 (一)〜(七)
引用出典「暗夜行路 後篇」岩波文庫 2017年第9刷
引用文中の《 》部は、本文の傍点部を示す。
『暗夜行路』 137 冷たい謙作・冷静な直子 「後篇第四 一」 その1
2023.10.29
謙作はその冬、初めての児を失い、前年とはまるで異った心持で、この春を過ごして来た。都踊も八重桜も、去年はそのまま楽めたが、この春はそれらの奥に何か不思議な淋しさのある事が感ぜられてならなかった。
彼は今後になお何人かの児を予想はしている。しかしあの子供はもう永遠に還っては来ないと思うと、その実感で淋しくさせられるのだ。次の児が眼の前に現れて来れば、この感情も和らげられるに違いない。が、その時までは死んだ児から想いを背向ける事は出来なかった。
散々になやまされ、しかも、それが何から来るか分らなかった自身の暗い運命、それを漸く抜け出し、これから新しい生活に踏出そうという矢先だけにこの事は甚(ひど)くこたえた。丹毒は予防しようもない。むしろ偶然の災難だ。普通ならばそう思って諦める所を、彼は偶然なこと故に、かえってそれが何かの故意のよう考えられるのだ。僻(ひが)み根性だ、自らそう戒めもするが、直ぐ、と、ばかりもいえないという気が湧いて来る。彼はこういう自身に嫌悪を感じた。しかしそういう自分をどうする事も出来なかった。
最初の子どもを失った謙作と直子だが、それからの数ヶ月、意外に淡々とした日々を過ごしているような書きぶりである。いよいよこの長編小説の最終段階へとさしかかるわけだが、始まりを慎重に、抑えた書き方をしている。
「この春はそれらの奥に何か不思議な淋しさのある事が感ぜられてならなかった。」と言うのだが、子を失うという人生の一大事を経験したのに、いったいどこが「不思議な淋しさ」なのだろう。そんな生やさしい感情ではなくて、もう生きていけないというような混乱と絶望に満ちた感情に苛まれるのが普通なんじゃなかろうか。もちろん、「あの子どもは永遠に還っては来ない」とか、「死んだ児から想いを背向けることは出来なかった」とかいった記述もあるが、それも観念的であり、痛切な感情の表出ではない。
赤ん坊の死の原因となった「丹毒」も、「偶然の災難」だとして、「普通ならばそう思って諦める所」だと言うが、それが「普通」なのだろうか。そうは思わないが、謙作は、あるいは志賀直哉はそう思っているのだから仕方がない。
とにかく、謙作はどこか冷たい。子どもの死を、自分の精神の平穏を乱すものとしてしか捉えていないようにも見える。
せっかく、長年にわたる「自身の暗い運命」からようやく抜け出せたと思っていたのに、子どもが死んだ。なんだ、これは。やっぱり、これはなにかの報いか、やっぱりおれは「暗い運命」から抜け出せていないのか、そう思って謙作は思い悩んでいる。そこに、もはや子どもの具体的な死の影はない。死んだ子どものことを思う気持ちも薄い。それが「冷たさ」を感じさせるのだ。
この「冷たさ」は、この直後の直子と謙作の会話で露わになる。
直子は思い出してはよく涙を流した。それを見るのが彼はいやだった。
そして殊更(ことさら)ひき入れられない態度を見せていると、「貴方は割りに平気なのね」と直子は怨言(うらみごと)をいった。
「いつまで、くよくよしてたって仕方がない」
「そうよ。だから私も他人には涙を見せないつもりですけど、仕方がないで忘れてしまっちゃあ、直謙に可哀想よ」
「まあいい」謙作は不愉快そうにいう。「あなたはそれでいいよ。しかしこっちまで一緒にそんな気になるのは御免だ。実際仕方がないじゃあないか」
「…………」
直子がよく涙を流すというのは、ごく自然のことだ。しかし、「それを見るのが彼はいやだった。」という謙作は、実にエゴイストだ。直子が怨み言を言うのも無理はない。それに対して、「くよくよしたって仕方がない。」と言うのはまだいいにしても、「あなたはそれでいいよ。しかしこっちまで一緒にそんな気になるのは御免だ。」というのも、ずいぶんヒドイ言い方ではないか。
子どもの死という夫婦にとってはそれこそ一大事に対して、夫婦でともに堪えていこうという気持ちが謙作にはまるでない。直子が寂しいなら勝手に泣いていろ。オレにその涙を見せて、オレを不愉快にさせるな、というのだ。
こういう部分を読んでいると、時代は変わったんだなあということを、改めて実感する。この「暗夜行路」の時代から、すでに、100年(!)経っているのだ。
100年と一口に言うが、これは大変な時間だ。謙作の言い分を、「ヒドイ」なんて軽々しく言えるのは、その100年を無視しているからだろう。
この時代の「夫婦」とか「結婚」とかいうものが、どういうものであったかをちゃんと知らないと、とても「暗夜行路」なんて読めない。それは、平安時代の貴族の暮らしやその歴史的背景を知らずには「源氏物語」を読めないのと同じなのだ。
子どもの死という事件も、今とその頃では受け取り方がまるで違うだろう。悲しいことは悲しいが、乳幼児死亡率が非常に高い当時では、「悲しみ」も、謙作の感じる程度で収まっていたのかもしれない。直子にしても、謙作に嫌味を言えるほどには冷静なのだ。
まあ、しかし、そういう時代背景を抜きにしても、謙作のエゴイストぶりは相当なもので、今だったら、直子はすぐにでも謙作と別れる決心をして、家を出て行ってしまうだろう。
こんな冷たい言葉を放ったあとに、謙作は、更に予想外の発言をするのだ。
「それより僕は近頃お栄さんの事が少し心配になって来たんだ。此方(こっち)にはまるで便りを寄越さないし、前の関係からいって信さんに任せっきりというわけには行かないから、その内一度朝鮮へ行って来ようと思うんだ」 直子はちょっと点頭(うなず)いたまま、返事をしなかった。少時(しばらく)して謙作は、 「その間、あなたは敦賀へ行っていないか」といった。 「泣言(なきごと)でもいいに行くようでいやあね」 「泣言をいって来ればいいじゃないか」 「それがいやなの。貴方にならいいけど、実家の者にもそれはいいたくないの」 「何故。……一緒に行ってあなただけ置いて来よう」 「いいえ、結構。どうせ、十日か半月位なら仙と二人でお留守番しててよ。あんまり淋しいようだったら、その時勝手に一人で出かけるわ」 「それが出来れば一番いい。家で悲観しているようだと、こっちも旅へ出て気が楽でないからね」
この発言にはびっくりする。
お栄は、謙作の母代わりの人だったとはいえ、謙作が結婚の申し込みまでした女だ。それを直子が知らないはずもない。そのお栄が心配だから会いに行ってくると謙作は言うのだ。直子が「ちょっと点頭いたまま、返事をしなかった。」気持ちも分かる。腹がたっただろう。しかし、直子は逆上しない。冷静なのだ。そこもちょっと不思議な感じがする。
案外気丈な直子に対して、謙作は「それが出来れば一番いい。家で悲観しているようだと、こっちも旅へ出て気が楽でないからね」というのだが、まさに、極めつけのエゴイストである。お栄が心配だからちょっと行ってくるといいながら、「気楽」な旅をしたいと考えているのだ。
子どもの死の衝撃や悲しみを静かに癒やしたいという思いで行くのではない。子どものことなんか忘れたいのだ。正直といえばそれまでだが、なんとも身も蓋もない話である。
しかしこんな事をいいながら謙作はなかなか出かけられなかった。西は厳島より先を知らなかった。それで京城までが甚(ひど)く大旅行のよう思われ、億劫だった。一つはお栄の方にも差迫ってどうという事もなかったから、出掛けるにも気持に踏みきりがつかなかった。 直子が出来、お栄に対する彼の気持もいくらか変化したのは事実だった。が、少年時代から世話になった関係を想い、また、一時的にしろお栄への一種の心持──今から思えば病的とも感ぜられるが、とにかく結婚まで申込んだ事を考えると、差迫った事がないとしても、こうぐずぐず、ほっておく事が、如何にも自分の冷淡からのよう思われ、心苦しかった。
「暗夜行路」でいちばん分かりにくいのは、謙作のお栄に対する気持ちである。「少年時代から世話になった関係」は十分に分かる。しかし、お栄に結婚を申し込んだ気持ちが、どうしても理解に苦しむのだ。「育ての母」への恋というのは、何も、「源氏物語」を持ち出すまでもなく、あり得ることだろうが、正式に結婚を申し込む、ということになると、どうにも理解しがたいのだ。その理解のしがたさを志賀直哉も感じていて、それで、ここで「今から思えば病的とも感ぜられる」と書いているのだろうか。そんな気もする。
しかし、この、わが子を失って間もない時期、いわば夫婦にとっては危機的な時期に、なんで急にお栄に対する「心苦しさ」が持ち出されるのか。いかにも不自然な気がする。その理由は、どうもお栄からの手紙にあるのだが、それはそれとして、小説の構造からして、ここにお栄を持ち出す必然性があるのかどうか、疑問を持つのだ。
もちろん、この旅が、この「第四」におけるもっとも重大な「事件」を引き起こすきっかけとなるわけではあるのだが。
ある日、鎌倉の信行から書留で手紙が届いた。それに信行宛のお栄の手紙が同封してあった。 不愉快な出来事から、最近、警部の家を出て、今は表記の宿で暮らしております。私もほとほと自分の馬鹿には呆れました。この年になり、生活の方針たたず、その都度お手頼(たよ)りするのは本統にお恥かしい次第ですが、他に身寄りもなく、偶々(たまたま)力になってもらえると思ったお才さんは私が思ったような人でなく、どうしても、またお願いするよりございません。
精しい事情はここで申上げません。また申上げられるような事でもございません。私は一日も早く内地に帰りたく、今はその心で一杯でございます。
こんな意味だった。つまり宿の払いと旅費を送ってもらいたいというのだ。謙作は読みながら、信行の手紙にもちょっと書いてあったように、前には大連で盗難に会い、直ぐ帰るよう、金を送っても帰らず、勝手に京城に行き、今、またそんな事を言って金を請求して来る。もしかしたら植民地らしい不検束(ふしだら)な生活から変な男でも出来、それが背後で糸を引いているのではないかしらというような疑問も起こした。
謙作は一緒に暮らしていた頃のお栄を想うと、こういう推察は不愉快だった。しかし、また、病的にもしろ、自分がそういう感情を持ったお栄には何かまだそういう誘惑を人に感じさせるものが残っているに違いなく、かつ話に聞いたお栄の過去が過去であるだけ、この推察も必ずしもあり得ないとは思えなかった。お栄が精しい事情を書かない点からも何か色情の上の出来事らしく感ぜられた。
信行も、今度は行って連れて来るより仕方あるまいと書いて来た。
その日はもう銀行が間に合わないので、彼は翌晩の特急でたつ事にし、その事を京城と鎌倉とに電報で知らせた。
実際には、お栄にはどんな事情があったのか。それは、次の章で説明される。
志賀直哉『暗夜行路』 138 お栄という女 「後篇第四 一」 その2
2023.11.24
お栄は、お才に誘われて天津に出かけたのだが、商売はうまく行かなかった。お才にだまされたというわけでもないが、お才も気が咎めたか、お栄が大連に引き上げたあとも、またやってくるように言ってきたが、お栄はもうその親切が信じられなかった。
鉄嶺(てつれい)ホテルの女あるじ、増田というのは、男まさりのしっかり者だという噂はお栄もかつてお才から聞いていたが、この女が最近土地の検番と喧嘩し、一つは意地から自力で別に検番を作る事にし、前から多少知合いだったお才ヘ手紙でその事をいって寄越た。お才はそれを直ぐお栄の方へ知らして来た。
四、五人の芸者に間に合うだけの衣裳を持ち、それを《もとで》に何処かで芸者屋を開こうとしているお栄には、実にこれは渡りに船の話だった。勿論二つ返事で乗って来るものとお才は思っているに違いなかったが、お栄はそれも断ってしまった。
これが大連とか京城とかの話ならば嬉しいのだが、近頃のように病気をしていると一層気が弱くなり、鉄嶺まで入込んで行くのが、益々内地と縁遠くなるようで心細い、折角の親切を無にするようだが、鉄嶺へは行きたくない。そしてこの大連も今の所いい話もなさそうなので、そのうち京城へ行こうと思う。少しでも内地に近づきたく、もし京城の方にいい話でもあったら、その時はぜひ知らしてもらいたい、と書いた。
天津、大連、京城と、今から思うとずいぶん遠いところだが(といっても、飛行機に乗れないぼくにとってだけの話かもしれないが)、この頃はずいぶんと気軽に移動している。当時は朝鮮は日本の統治下にあったわけだから、当然なのかもしれないが、こうした地理感覚は、時代が変わると、なかなか実感できない。
お栄も苦労ばかりだが、こうして女一人「外地」で生きて行く姿は、たくましくも思える。
その後またお才から、もし京城に行くなら警部で野村宗一という知人がある。それに頼めば万事便宜を計ってくれるだろう。もし行く場合は此方から手紙を出しておこうと言って来た。
お栄は早速その手紙を出してもらう事を頼んだが、隔日に瘧(おこり)の発作が来、塩酸キニーネで漸く治めている時で旅行はまだ暫くは出来そうもなかった。そしてぐずぐずしている内に盗難に会い、唯一の《もとで》としていた芸者の衣裳幾行李かを荷作りのままそっくり持って行かれてしまったのである。
お栄はその時落胆もしたが、何となく清々した気持にもなった。もう内地に帰るより仕方なく、信行に頼んで旅費を送ってもらい、直ぐ帰るつもりだったが、もう再び来る事はないと思うと、少しは見物もしたく、朝鮮を廻って帰る事にした。一つは船の長いのもいやだった。
暢気と言えば暢気な話である。「外地」で「たくましく」生きるといっても、頼めば少なくない金を内地から送ってもらえるのだ。たしか300円を信行から──といっても、結局は謙作が出したのだが。当時の300円といえば、今なら150万から300万ぐらいにあたるわけで、これだけの金をもらえるなら、朝鮮見物だって平気でできる。そういう金を、ホイホイ出せる謙作も、金持ちのお坊ちゃんだといえば、身も蓋もないが。
お栄は、病気(マラリア)がよくなると、京城まで来たが、お才の手紙にあった野村宗一を訪ねると、ここでもう一度商売を始めたらどうかと勧められた。
警部の野村が何故こんな事をいったかよく分らない。しまいに腕力でお栄を自由にしようとした、その下心がその時からあったのか、あるいは単に軽い親切気からそんな風に勧め、同居している内にそういう気になったのか、お栄の話では謙作には見当がつかなかった。が、とにかくお栄はそれでまた其所へ腰を下ろしてしまったのだ。
この章の初めの方の書き方では、客観的な叙述だったが、ここで、これまでのお栄の経緯が、お栄の話によるものだということが、明らかになる。まあ、当然なのだが。
それにしても、お栄というのは、どうにも捉えどころのない女である。内地へ帰ると言って、300円を送ってもらったのだから、さっさと内地へ帰ればいいのだ。それなのに、ずるずると居座ってしまう。
で、「下心」って何なのか。
「食料は払っていたんですけど、とにかく厄介になっていると思うから、町のお使もなるべく私が行くようにしてましたし──京子という五つになる女の児があって、小母さん小母さんってよく懐(なつ)いているもんですから、私も可愛くなって、お使の時はいつでも連れてって、翫具(おもちゃ)やお菓子なんか買ってやってたんですけど、それがどうでしょう。──野村がおかみさんの留守に私に変な事をしようとして、しまいには腕ずくでかかって来たから、私は野村を突飛ばしてやったんです。すると、丁度其所へ入って来た京子が、何にも分らない癖に、小母ちゃん、馬鹿馬鹿、畜生畜生って泣きながら二尺差しを持って私をぶちに来るんです。それが一生懸命なの。その時は私も何だか、情けなくなって涙が出ましたわ。あんなに可愛がってやり、むこうもよく懐いていて、やはり他人は他人ですわね。そういう時には本気になって親の加勢をしようとするの。腹が立つやら、おかしいやら、情けないやら……。でも親子というものはいいものだと私は自分がその味を知らないせいか、つくづくそう思いましたよ」
お栄は自分の年にも恥じたし、よくしてくれる野村の妻にも気の毒で、事を荒立てる気にはならなかった。そして翌日なるべく穏かにこの家を去った。
たしかにこれは、「下心がその時からあった」のか、「同居している内にそういう気になった」のか、分からない。分からないけれど、男っていうのは、どうしようもないものである。
このエピソードでは、「親子」の情が、さらっと、しかもくっきり描かれていて、胸を打つ。志賀の筆が冴えている。
謙作はお栄の話を聴きながら何となく愉快でなかった。近頃の自分の生活とは折り合わぬ調子が気持をかき乱した。彼は放蕩をしていた頃にも、そういう場所の空気に半日以上浸っていると、いつも息苦しくなり、憂鬱になり、もっと広々した所で澄んだ空気を吸いたいという慾望にかられた。今彼は丁度そういう気持になった。切(しき)りと京都の家──直子の事が想われた。
彼はお栄が不検束者(ふしだらもの)になっていなかった事を嬉しく思った。要するに、いい人なのだ、ただ人間にしっかりした所がなく、その時々の境遇に押流されるのがいけないのだ、そういうお栄を一人放してやった自分が無責任だったとも顧(かえりみ)られた。
かつて彼はお栄の止(と)めるのも諾(き)かず、一人尾の道に行き、幾月かして、からだも精神もヘトヘトになって帰って来た時、お栄から、「脊せましたよ。もう、これから、そんな遠くヘ一人で行くのはおやめですね」といわれた。
その同じ言葉を今彼はお栄にいってやりたかった。そして彼はそれを彼自身の言葉でいった。
「貴女は馬鹿ですよ、少しも自分を知らないんだ。一本立ちでやって行こうなんて、柄でもない考を起こしたのが間違いの原(もと)ですよ」
しかしお栄の将来をどうしていいか、彼には分らなかった。自分が結婚を申込んだという事さえなければ、当然自家(うち)へひき取り、一緒に暮らしたかった。また、その事があったとしても直子が意に介さないなら、そうしたかった。しかし少しでも直子がそれに拘泥(こうでい)するようなら、きっと面白くない事が起りそうだ。多少でもそういう点で絶えず直子が何か思うようなら、それは避けねばならぬ事だと考えた。
ここが肝心な箇所。謙作自身のお栄への思いが、精密に、正直に書かれている。
お栄の話から流れ出てくる「気分」が、「近頃の自分の生活とは折り合わぬ調子」であることに、気持ちがかき乱される。謙作は、そういう気分から解放されたいと思ってあがき、直子との結婚によって、ようやくそれを成就した。直子との生活には「澄んだ空気」が流れているのだ。
しかし、お栄は、「時々の境遇に押流される」ことはあっても、野村を突き飛ばす気概があった。「フシダラ」ではなかった。それが謙作を喜ばせた。そして、その喜びは、お栄に対する謙作の深い愛を、あるいはお栄の謙作に対する深い愛を確認させることとなった。
お栄が自分にかけてくれた言葉を、今度は「自分の言葉」で、お栄にかける。なんだかとてもほっとするシーンだ。
しかし、そのお栄をどうすればいいのか。謙作は、お栄を自分の家に引き取りたいと考える。けれども、自分とお栄との過去のいきさつ、そしてそれを直子がどう思うかへの不安は、謙作を逡巡させる。
お栄が実の親であれば、なんら問題はない(ということもないが)が、かつて「結婚を申し込んだ」という間柄である以上、ここでそういう考えが浮かぶこと自体があり得ないことだ。それでも、なお謙作は、そこに拘る。
ここまで来ると、謙作がほんとうに愛していたのは、直子ではなくて、お栄だったのではないかと思えるくらいだ。
なんとなく、先ほどの「京子」のエピソードが重なってくる。お栄は「やはり他人は他人だ」と思うわけだが、ここに当てはめると、「他人」なのは直子だ。お栄は「親」ではないが、ある意味「親以上」の存在だ。直子が逆上して、謙作に殴りかかったら、お栄は「馬鹿馬鹿!」と言って、直子を「二尺差しを持って」ぶちに行くだろう。そんな気がする。
志賀直哉『暗夜行路』 139 彫り込まれた思い 「後篇第四 一〜二」 その3
2023.12.14
お栄の話は、一端途切れて、謙作の朝鮮での観光(?)の様子が描かれる。あっさりした記述だが、気楽な旅の様子が短い言葉で綴られる。
謙作は朝鮮では余り歩かなかった。開城から平壌ヘ一泊で出かけた以外は、或る晴れた日、お栄と清涼里の尼寺に精進料理を食いに行った位のものだった。途中山の清水の湧いている所で朝鮮人の家族がピクニックをしているのを見かけた。白髯(はくぜん)の老人が何か話している、囲りの人々が静かにそれに聴入っている、長い物語でもしているらしかった。昔ながらの風俗らしく、見る者に何か親しい感じを与えた。
南山から北漢山を望んだ景色が好きで、彼は二度其所へ出かけて行った。景福宮、昌徳宮、それから夜は一人で鐘路(しょうろ)の夜店あさりをした。古い螺釧の鏡台があり、欲しかったが、毀れている割りに値が高かった。彼は美しい華革張(かかくば)りの文函(ぶんこ)を直子のために求めた。これも今出来でなく、いい味があった。
平壌への汽車の中で、彼は高麗焼の窯跡を廻っているその方の研究家と一緒になり、色々そういう話を聴いた。謙作とはほとんど同年輩の人だったが、話しぶりにも老成した所があり、朝鮮統治などにも一卜かどの意見を持っていた。
謙作は、この「同年配の人」からある「不逞鮮人」となっていった若者の話を聞く。鉄道敷設にからんで、土地の買い占めを役人(日本人ということになる)から依頼されて土地を買い占めるが、やがて、土地の人々から裏切り者と言われるようになった。しかも、鉄道敷設の計画はいつの間にか変更され、その若者が買い占めた土地は、実際の敷設される土地からは3、4里も離れたところで、若者は破産する。彼は、計画変更を自分に知らせなかった日本人の役人を恨んで、やがて、「札付きの不逞鮮人」となり、日本への復讐を誓ったが、悪事に手を染め、結局死刑になってしまったという話だ。
「多分この間死刑になったはずですが、四、五年前例の窯跡探しで、案内してもらった時など、何だか非常に静かでそんなになろうとは夢にも思えないような若者でした」
こういう言葉で、このエピソードは終わるが、謙作のそれに対する感想は書かれていない。日本統治下の朝鮮での出来事だけに、なぜ志賀はこのエピソードを書いたのか、そして、なぜ、それに対する感想を書かなかったのだろうか。
「暗夜行路」には社会情勢がちっとも描かれていないという批判があるが、志賀がそれに無関心だったとは思えない。無関心なら、こういったエピソードを書き込むはずもない。関心はあるが、深入りは避けたといったところだろうか。
「非常に静かな若者」が、日本の役人の不誠実によって破産に追い込まれ、その責任をとろうともしない日本人を恨み、日本への「絶望的な復讐」を誓うが、「不逞鮮人」のレッテルをはられ、結局は破滅するというエピソード自体、統治する日本への批判を含んでいることは明らかで、わざわざそれに対する「感想」など要らぬというのが志賀の考えだったのかもしれない。
このエピソードの後、章を変えて、お栄の話に戻っていく。
謙作は十日目にお栄を連れ、帰って来た。蒸々(むしむし)暑い日中の長旅で、汽車の中は苦しかった。
下関から電報を打ったので、直子が大阪あたりまで出迎えているかも知れないと謙作は思った。「お帰りの時は何所かまでお迎いに出ようかしら」そんな事を直子がいっていたのを彼は想い出していた。で、彼は神戸でも、三ノ宮でも、汽車の止まるたび、プラットフォームに下り立って見た。大阪では列車が駅へ入る前から首を出していたが、此所(ここ)まで来ると、その賑わしさが彼にやっと帰って来たという気をさした。
彼はプラットフォームの人込みの中に直子の姿を探したが、見えなかった。彼は何か軽い失望を感じながら、いっそ、はっきり出て来るよう、いってやればよかったと思った。
「軽い失望」──嫌な予感がすでにある。直子のちょっとした言葉に期待したのだが、それが「軽い失望」に変わる。「いっそ、はっきり出て来るよう、いってやればよかった」と思う謙作の感情は微妙だ。迎えに来てくれとはっきり言っては、「そうか、やっぱり来てくれたのか」という思いは味わうことができない。謙作は、直子の心遣いを期待して、それが報われた喜びを味わいたかったのだ。
お栄は腰掛に横向きに坐って、うつらうつらしていた。一年半、──一年半にしては多事だった、そして漸く帰って来たという事は何人にも感慨深くありそうな事だが、お栄はもうそれさえ想わないほど、疲れて見えた。謙作にはお栄の感情がそれほど乾いたように思われた。
「いらっしゃいませんか」居ずまいを直しながらお栄は物憂そうに袂(たもと)から敷島の袋を出し、マッチを擦った。お栄は久しく止めていた煙草をこの一年半の間にまた吸い始めた。謙作の方は僅(わず)か十日の旅でも、帰って来た事がいやに意識された。今乗込んで来た連中(れんじゅう)は何れも見知らぬ顔だったが、それが皆、知人(しりびと)かのよう思われるのだ。彼は今度は間違いなく出ている直子の晴れやかな顔を想い浮べ、汽車の遅い速力を歯がゆく思った。
見事だなあと思う。お栄の「疲弊」が、こんな僅かな言葉で浮き彫りになっている。長い間やめていたタバコを、また吸い始めたお栄の物憂いたたずまいは、この一年半の労苦を自然と物語っている。そしてそのお栄をいたわりの目で見つめる謙作の心も身にしみて感じられる。
謙作は典型的な「自己中」人間のように言われるが、それは大きな間違いだろう。女を快楽と癒やしの道具としか考えていないと、声高に「暗夜行路」を批判する論文もあるが、こういう細かいところを読まずして、なんの文学研究かと思う。
文学の本質は、細部に彫り込まれた作家の思いを丹念に辿ることによってしか把握することはできない、とぼくは思っている。
志賀直哉『暗夜行路』 140 エスカレートする「不愉快」 「後篇第四 三」 その1
2024.1.13
九時何十分に汽車は漸く京都駅へ入った。謙作は直ぐ群集から少し後ろに離れて直子と、それに附添って水谷が立っているのを見つけた。彼は手をあげた。
水谷は直ぐ人を押分け、馳寄って来た。そしてまだ動いている列車について走りながら、荷を受取ろうとした。謙作は末松なら分っているが、水谷が迎いに来ている事が何
となく腑に落ちなかった。自分とのそれほどでない関係からいって何か壺を外れた感じで漠然不愉快を感じた。
彼は小さい荷物を水谷に渡しながら、
「赤帽を呼んでくれ給え」といった。
「いいですよ。ずんずんお出しなさい」
そういいながらお栄の出す荷物も一緒に水谷は忙しくおろしていた。
直子はちょっと羞(はにか)んだ微笑を浮べながら近寄って来た。
「お帰り遊ばせ」そしてお栄の方にも頭を下げた。
「とにかく赤帽を呼んで来ないか」彼は直子にいった。
「いいですよ。奥さん」水谷は自分の働きぶりを見せる気なのか、またそういった。謙作は苛々しながら、
「いいですって、君、これだけの荷が持って行けるかい」といった。
大きなスーツケースが三つ、その他信玄袋や、風呂敷包みがいくつかある。水谷はそれらを眺めて今更に頭を掻いた。そして、
「じゃあ、僕が呼んで来ましょう」と、急いで赤帽を探しに行った。
直子は京都駅には迎えに来ていたが、やはり大阪、神戸、三ノ宮と迎えを期待していた謙作には、不満があった。その上、末松ではなくて、水谷が同行している。
末松というのは、謙作の中学以来の年下の幼なじみで、ずいぶんと親しいのだが、水谷というのは、その末松が謙作の愛読者だといって連れてきた男だ。初対面のときから、謙作は水谷にいい感情を持たなかったのだ。
その水谷が、頼みもしないのに直子についてきて、なんやかやと世話を焼こうとする。それが謙作にはうっとうしい。手伝わなくてもいいから赤帽を呼べという謙作の苛立ちがよく伝わってくる。
「お帰り遊ばせ」という直子の言葉は、謙作が待ちに待った言葉なのに、それも頭に入ってこないように、謙作は苛立っている。それは、水谷に対して、というよりも、直子に対して、であろう。しかも、自分がお栄を連れているという微妙な「負い目」が、その苛立ちに拍車をかけているようにも思える。
謙作は忘れ物のない事を確め、お栄を先に列車から下りた。
彼は簡単に、
「直子です」とお栄に紹介した。
「栄でございます、何分よろしく……」二人は丁寧に挨拶を交わしていた。
「どうぞお先へいらして下さい」こういいながら水谷が赤帽と一緒に還って来た。
「毀物(こわれもの)があるんだが、それだけ持って行こう」
「どれです。これですか?」
「僕が持って行くよ」謙作は高麗焼を少しばかりと李朝の壺をいくつか入れた一卜包みを取上げた。
「大丈夫です。僕が持って行きますよ」水谷は奪うようにそれを取った。
一体そういう所のある水谷ではあるが、今日は一層それが謙作には五月蠅(うるさ)く思われた。
彼はお栄と直子を連れ、改札口を出、そこに立って赤帽らを待った。
水谷のこうした態度は、今に始まったことではないが、「今日は一層それが謙作には五月蠅(うるさ)く思われた」というのは、やはり直子への不満が根底にあったからだろう。
自分は気をきかせたつもりでも、相手が、そうとるとは限らない。機嫌の悪いときというのは、かえってそういう「気遣い」が「五月蠅く」感じられるものだ。謙作は、なぜ水谷が来たのかと問わずにはいられない。
「どうして水谷が来てるんだ」彼は直子に訊いてみた。「今日自家(うち)へいらしたの。この間要(かなめ)さんが来て、三晩ばかり泊って、その時水谷さんや久世さんもいらして、お花で夜明しをしたんですの」
「何日(いつ)」
「四、五日前に」
「要さんは何日(いつ)帰った。末松は来なかったのか?」
「末松さんは一度もいらっしゃいません。要さんの帰ったのは《さきおとつい》です」
「敦賀へ帰ったのか」
「九州の製鉄所へ見学に行くとかいっていました」
「八幡だね」
「ええ」
謙作は何となく不愉快だった。直子の従兄(いとこ)が、来て泊る事に不思議はないようなものの、自分の留守に三日も泊り、その上、自身の友達を呼んで夜明かしで花をしたというのは余りに遠慮のない失敬な奴らだと思った。また、直子も直子だと思った。
水谷が一緒についていたのは、「今日」水谷が家に来たからだという。水谷は、今日謙作が帰ってくるということを知っていて、「手伝い」にやってきたのだろうか。それはそれでいいとしても、直子の言った言葉が、謙作を更に苛立たせる。
謙作は「何となく不愉快だった」というが、「何となく」どころではないだろう。夫のいない家に、3日も泊まるというのは、いくらなんでも不見識で、それを許す直子もよくない。まさに「直子も直子だ」と誰だって思うだろう。
こうした謙作の感情の揺れを、志賀はこんなふうに書く。
僅か十日間ではあるが、結婚してこれが初めての旅だった。彼は直子がその間、淋しさに堪えられないだろうと思い、敦賀行きを勧めた位で、自分も朝鮮でそう気楽にしている事が直子に済まない気がし、かつ自身も早く帰りたく、彼は直子に会う事にかなり予期を持って帰って来たのだ。しかし会った最初から、何か、直子の気持がピタリと来ない事が感ぜられ、それに水谷の出ていた事がちょっと彼を不機嫌にすると、それが直子にも反射したためか、直子の気持も態度も変にぎごちない風で、不愉快だった。
「不愉快」がだんだんとエスカレートする。だから言ったじゃないか、おれはお前のことを思って敦賀の実家へ行けといったんだ。オレは、朝鮮にいる間、ずっとお前に申し訳ないと思っていたんだぜ、それなのに、男三人と夜っぴて花札かよ、まったく何やってんだ、と、ガラの悪い男なら口に出して言うところだが、謙作は生まれがいいから、そんなことは言わない。言わないけど、腹の中は煮えくり返っている。
「予期」という言葉が出てくるが、今なら「期待」とするところ。今では「予期」は「予想」ぐらいの意味で使われるが、もともとは「あらかじめ期待すること。前もって期待して待ち受けること。」の意味だ。
水谷が毀物の風呂敷を下げ、赤帽についてニコニコしながら出て来た。
「チッキの荷もあるんでしょう? 直ぐとらせましょう」
謙作はそれには答えず直接赤帽にいった。
「市内配達があるだろう」
「ござります」
「衣笠村だけど届けるかね」
「さあ、市外やと、ちょっと、遅れますがな」
「そう。じゃあ一緒に持って行こう」謙作は側で何かいっている水谷には相手にならず、割符を赤帽に渡した。荷とも俥四台で行く事にした。謙作の不機嫌にいくらか気押され気味の水谷は、それ
でも別れ際に、
「二、三日したら末松君とお伺いします」
といった。
「それより末松にあした行くといってくれ給え」
「承知しました。あしたは末松君も僕も学校は昼までですから、お待ちしています」
「少し用があるから一緒に出たいと末松にいってくれ給え」
謙作は苛々した。
苛立つ謙作と、なんでそんなに苛立つの? って感じの水谷のやりとりが面白い。水谷は善人には違いない。それだけに手の付けようがない。
「結婚して初めての旅(一人旅)」が、この後、とんでもない出来事を生んでいたのだが、そのことを知らなくても、なにやら不穏な雰囲気が漂う「帰宅」だ。
志賀直哉『暗夜行路』 141 直子との距離 「後篇第四 三」 その2
2024.2.4
謙作は、直子が神戸か三ノ宮に迎えに来ているだろうと期待していたのに、そこには現れず、結局迎えに来ていたのは京都駅だったことが不愉快だった。しかも、直子にくっついてきたのが、謙作が好きではない水谷だったから、なおさらだったのだ。しばらくぶりで夫に会えるのだから、一刻もはやく会いたいと思って、三ノ宮ぐらいまでは来ているに違いないと思った謙作は、拍子抜けしたのだ。なんだ、おれをそんなに待ちわびていたわけじゃなかったんだという気分が生じた。そこへもってきて、男と一緒に迎えにきていた。気に食わないのも当然なのかもしれない。謙作はいらだった。
謙作は苛々した。
俥は烏丸通りを真直ぐ北へ走って行った。電車が幾台も追越して行った。謙作は一番後ろから大きな声で前に行くお栄に東本願寺を教えた。それを引きとって年をとったお栄の俥夫が何か説明していた。六角堂でも俥夫は馳けるのを止め、歩きながら、説明した。
「夜とはいえ、電車通りをお練りで行くのは少し気が利かなかったな」彼は一つ前の直子にこんな事をいった。彼は自分は今はそれほど不機嫌でない事を示したかった。
直子は何かいったが謙作には聴き取れなかった。彼は直子が何となく元気がないのが可哀そうになった。そして彼は、
「水谷に荷を宰領さして皆で電車で行けばよかった」心にもないこんな事をいった。
なにかとうるさく世話を焼く水谷が、謙作にはうっとおしかった。水谷にしてみれば、いろいろと謙作の役に立ちたいという好意からだったのだろうが、謙作は、直子だけと会いたかったのだ。それもわかる。
人力車を連ねて走りながら、謙作は、それでも直子のことが気になる。直子が「何となく元気がない」ことを感じていたのだ。自分の不機嫌を直子は感じ取っているのだろうか。自分の一方的な期待が裏切られたからといって、直子がそれほど悪いわけじゃない。謙作がつとめて快活に声をかけても、聞き取れないほどの声で答える直子が可哀そうになる。
みんなで電車にのって、楽しく家路についたほうがよかったよね、と、謙作は言うのだが、それは「心にもない」事だったというのだ。直子を可哀そうに思いつつ、実は、かれの不機嫌はむしろ増大していたのかもしれない。
衣笠村の家へ帰ったのは十一時頃だった。眼刺しの仙が馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。謙作にはそれが直子の気持よりもずっと近く来たのが、変な気がした。直子は自分の留守にそういう連中と遊んでいた事を後悔し、それで心の自由を失っているのだ。しかしそれを今は何とも思っていない事を早く示してやらねば可哀想だと彼は思った。
相変わらずの「眼刺しの仙」である。「馴れた飼犬のような喜び方で玄関に迎いに出た。」なんて、実に生き生きといている。喜んで尻尾振って、迎えに出る仙の姿が目に浮かぶようだ。うまいものだ。
その仙の姿を見て、謙作には「直子の気持よりもずっと近く来た」という。それを謙作は「変な気がした」というのだ。それは自分の仙への親しみが「変な気がした」のではなくて、それほど直子が「遠い」感じがしたというのが「変」だと思ったのだ。ただ、身の回りの世話をしているだけの仙が、妻となった直子より、身近に感じられる、親しく思われる、それが「変」なのだ。それもひとえに、自分のいない間に、男たちを家に泊めたということ、そして、その男たちの一人の水谷が一緒に迎えにきたということのせいなのだ。
しかし、原因は、そのこと「だけ」ではないだろう。むしろ、謙作は、直子との心の距離を今改めて感じているのかもしれない。今回のことがなかったとしても、謙作と直子は、いまだに、心の距離があるのだ。
家(うち)の中はよく片附き、風呂が沸いていた。「いいお住いね」お栄は座敷で茶を飲みおわると、立って、台所から茶の間と見て廻った。
「お栄さんの寝る所は何所にした?」
「分らないから、今晩だけとにかく二階の御書斎にとらしておきました」
「うん」そして彼はお栄に、「今晩は疲れているから早く寝るとよござんすね。風呂ヘ入って直ぐお休みなさい」といった。
「私は後で頂くから、謙さんお入んなさい」
「瀬戸物の荷を解(ほ)どくから僕はゴミになるんです。今日だけ先に入って下さい」
謙作は玄関の間で藁に巻いた壺や鉢をほどいて出した。
仙の心遣いがよく分かる。お栄の寝る部屋についても謙作は仙に指示していない。仙は分からないなりに、気をきかす。謙作はそれに満足だ。
謙作は、土産に李朝の古い焼き物を買ってきていて、「華革張の綺麗な函」も買ってきていた。この「華革張」というのは、見慣れない言葉だが、革張りということだろう。ちょっと調べてみたがあまりはっきりとしたことは分からない。ただ、革製品の制作技術は、西暦500年頃、韓国の革工人から日本に伝わったという記事を見かけたので、韓国の伝統的な工芸品なのだろう。
「僕はゴミになる」という言い方は、今では聞かないが、昔はよく聞いたような気がして懐かしい。もちろん、「僕はゴミだらけになる」という意味で、大掃除のときに畳なんかをバタバタはたくと、「おお、ほこりになった」などと親が言ったような気がする。
「高麗焼の方は少し怪しいのもあるようだ」
直子は辰砂(しんしゃ)の入った小さい李朝の十角壺を取上げ、
「これ、綺麗だこと……」といった。
「お前には華革張(かかくばり)の綺麗な函を買って来た。しかしそれも欲しければやってもいい」
「ええ、頂きたいわ」直子は両手で捧げ、電燈の下でそれに見入っていた。「何でしょう、べたべたするのね」
「さあ、油でも塗ってあるかな」
「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」
「そうしよう」
「この壺を洗ってやるの」
「折角いい味になっているのを無闇に洗っていいかな」
「いいのよ。これじゃあ、きたなくて仕方がない。シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ。もう頂いたんだから、いいでしょう? 私の物になったらもう骨董じゃあないのよ」
謙作は日頃の直子らしくなったと思った。
二人はそれらを座敷へ運び床の間に並べた。
「私の壺が一等ね」
「李朝の物ではそれはいいよ」
「惜しくなっても、もうお返ししませんよ」
謙作は異(ちが)う荷から華革張の函を出して来てやった。直子はそれも喜んだが、所々少し《はがれ》かけた所などを気にした。それを見て謙作はいった。
「お前には今出来を買ってくればよかった。何でも見た眼が綺麗ならいいんだから」
「そう軽蔑するものじゃあ、ないわ」
「実際そうじゃあないか」
「段々分って来てよ」
「辰砂」は、「硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物」(Wikipedia)で、陶芸では「辰砂釉」として使われる。(ただし、水銀ではなくて、銅を含んだ釉薬らしい)。ともかく、きれいな赤い色をした壺である。
直子はそれを綺麗だといいながら、ベトベトするから、お風呂で洗ってもいいかと聞く。そのところで、「お栄さんがおでになったら、お風呂一緒に入っていい?」/「そうしよう」/「この壺を洗ってやるの」という会話がある。この「一緒に」が「謙作と一緒に」なのか「壺と一緒に」なのか、ちょっと曖昧だ。
謙作が「そうしよう」と答えているからには、「謙作と一緒に」なのだろうが、そうすると、お風呂で壺を洗うからという理由でどうして「謙作と一緒に」入らないといけないのだろうか。先に入って、自分ひとりで壺を洗えばいいじゃないか、と思うのだが。謙作の「そうしよう」は、「そうしたらいいだろう」ぐらいの意味だったと考えると自然なのだが。まあ、たいした問題ではないが。
直子は骨董の焼き物をベトベトするから、「シャボンとブラシですっかり洗ってやるわ」と言う。謙作は、直子のそういう所が、ものの価値が分からないと思うし、それを口にする。直子は反抗するが、それで喧嘩にはならない。謙作は、「謙作は日頃の直子らしくなったと思った。」というのだ。
しかし、考えようによっては、せっかくの土産物が「ベトベトするから」、お風呂でメチャクチャ洗ってやるという直子は、ちょっとはしゃぎすぎの感があり、「日頃の直子らしくなったと思った」謙作が、それを感じていないはずもない。
けれども、そのはしゃぎすぎの直子に、「日頃の直子」を無理してでも感じようとして、つとめて駅での再会以来のギクシャクした感じを払拭しようとした謙作だったが、彼のなかのわだかまりは意外に堅固で、まるで地下のマグマのように、地表に出てくる機会をうかがっていたのだ。
志賀直哉『暗夜行路』 142 回りくどい詰問 「後篇第四 三」 その3
2024.2.18
骨董の焼き物の価値を直子がちっとも理解していないのを、からかった謙作だが、そういう会話のなかで、直子が「日頃の直子らしくなった」と思って、ちょっとホッとしたようだ。
次の問題は、お栄の処遇だ。謙作にしてみれば、「いわくつき」のお栄だ。つまり、母親代わりだったとはいえ、一度は結婚したいと思った女なのだ。その女と、一緒に住むのが謙作にとってはいちばんいいことに思えたのだったが、果たして直子はどうでるか。ドキドキものだったことだろう。しかし、あっけなく、話がついた。
謙作は直子が湯上りの化粧を済まして来るのを待ち、お栄のこれからについて相談した。直子はこの家(うち)に一緒に住みたいといった。謙作はそれがどれだけ考があっての返事か余り信用しなかったが、変な事をいわれるよりは遥かに気持がいいと思った。
「お前がそういうのは、それは大変いい」
「いいも悪いも、それが当り前じゃあありませんか」
「子供から世話になった人で、実際はそうだが、お前とはまるで異う境遇で来た人だからね。そんな点でもし合わないようでは面白くない。世話するとして、必ずしも一緒に住まねばならぬという事はないのだから、近所に小さい家(うち)を借りてもいいと思ったんだ」
「かえって困るわ。そんな事」
「お前が差支(さしつか)えなければ、それでいいんだ。もし望まないようならそうしてもいいと考えたまでなんだ」
「私嬉しいわ。何でもこれからは御相談出来て」
謙作は両方ともそう癖のある性質ではなく、案外折合いがいいかも知れぬと考えた。実際お栄は過去は過去として新しい境遇にも順応する方だった。
そうか、それならよかった。案外うまく行くのかもしれないと謙作は考える。
しかし、直子の様子が、やっぱり気になる。焼き物をお風呂で洗うなんて言って、やけにはしゃいでいるのが、「いつもの直子」とは違う、どこか不自然じゃないか、そう思うのだ。直子との「距離」は、依然として遠いままだ。
謙作は自分の留守中の事を直子が少しもいい出さないのを少し変に思った。自分のちょっとした不機嫌がそれほど直子にこたえたのかしら。しかし、直子がその事を悔い、触れたがらないのはいいとして、此方(こっち)も一緒に全く触れないようにしていると、かえってそれがその事に拘泥(こだわ)っている事にもなりそうなので、簡単に話せたら話してしまいたいと思った。そして今後はそういう事にはもう少し気を附けるよういいたかった。しかし、彼はなかなか気軽にそれがいい出せなかった。折角(せっかく)互に機嫌よく、お栄の話も気持よくいっている時、それを切り出すのは努力が要った。自然、両方が沈黙勝ちになった。
この辺の心理の機微は、とてもよく分かる。言い出しかねるし、また、できれば「簡単に話してしまって」オシマイにしたい。せっかく、いい感じで話ができているのに、その感じをぶち壊したくない。で、結局、黙ってしまう。よくあることだよね。「簡単に話す」というのは、「自分のいない間に、いくら親戚でも、いくら友人でも、家に泊めるなんてダメだよ。これからはやめてくれよ。」と言えればそれでよかったのだ。しかし、どうしても、それが言えない。なにか得体の知れないわだかまりがあるのだ。謙作は、遠回りするしかない。
「要(かなめ)さんはいつ卒業するんだ」彼はこんな事からいい出した。
「今年卒業したとか、するとかいってましたわ。八幡は見学もですけど、多分其所(そこ)ヘ出るようになるんでしょう」
「帰りにはまた寄るのか」
「どうですか。何しろ来たと思ったら、直ぐ出かけて、翌日はまた久世さんや水谷さんとお花でしょう。話しする暇なんかなかった。夜明しでやって、そのまままた晩の九時か十時まで、三十何年かしたんですもの。人生五十年やるなんて、とてもかなわないから、私、途中で御免蒙(こうむ)ったわ」
「それで要さんは翌日たって行ったのか?」
「朝、私がまだ寝ているうちに黙ってたって行ってしまったの。本統にひどいのよ。何のために来たか分りゃしない」 「それは花をしに来たんだ。水谷が手紙ででも誘ったんだろう」
「そうよ」
「予定の如くやったんだ。しかし留守なら少しは遠慮するがいいんだ。水谷の下宿でだって出来る事なんだ」謙作はいつか、非難の調子になっていた。
「…………」
「末松はそういう点、神経質だ。水谷はその点で俺はいやだよ」
「それは要さんもいけないのよ」
謙作はふと「お前が一番いけないんだ」といいそうにしたが、黙ってしまった。
ずいぶんと「搦め手」から攻めだしたものだ。ボクシングでいえば、軽いジャブのようなものか。しかし、実はそここそが、正面だった。
直子が「何のために来たか分りゃしない」というと、謙作は、「それは花をしに来たんだ。」と言う。バカバカしい返答だ。でも、こういうところ、とぼけた味があって、ちょっと面白い。「人生五十年」というのは、花札の遊び方なのだろうが、調べたが分からなかった。なかなか勝負がつかないやつなんだろう。
たたみかけるような謙作の質問は、やがて「非難の調子」になっていく。そのプロセスが克明に描かれていて読み応えがある。謙作の非難は、本当は直子に向けられるべきものなのだが、真相を知らない謙作は、直子の言動に、ああでもないこうでもないと憶測を重ねるしかない。しかし、直子になにか普通じゃないものを敏感に感じている謙作は、単刀直入に切り込めない。だから、直子の周辺に当たり散らすことになる。けれども、つい「お前が一番いけないんだ」という一言が口元まで出かかる。けれど、それを思いとどまる。謙作自身、自分がいったい何に腹を立てているのか、よく分かっていないのだ。
「もうこれから断るわ。実際失礼だわ。御主人の留守に来て、いくら親類だって、あんまり失礼ね」
「それは断っていいよ。要さんは会わないから、どういう人か知らないけど、従兄としてお前が親しければなお、はっきり断って差支えない」
「…………」
「とにかく、水谷は不愉快だよ。何だって、今日も出迎えなんかに来ていたんだ。それもまるで書生かなぞのようにいやに忠実に働いたりして。ああいうおっちょこちょいでもやはり気がとがめているもんで、あんなにしないではいられなかったのだ」
「…………」
「水谷は末松も誘ったに違いないのだが、十日ばかり旅をした者を、わざわざ出迎えるほどの事はないから末松は出て来なかったんだ。その方がよッぽど気持がいい」いい出すと謙作は止まらなくなった。
「…………」
「一つは末松は俺が水谷を厭やがっている事を知ってるからなお出て来なかったのかも知れない」
「…………」
「水谷にはこれから来る事を断ってやろう」
要には、今度は断ろうかしらという直子に、謙作は、即座に「それは断っていいよ。」と断言する。待ってましたとばかりだ。本当は「断れよ!」と言いたいところだろう。しかし、親しい親戚なら、どうして「はっきり断って差支えない」のか。親戚ならかえって断りにくいのではないだろうか。普通なら、親戚なら断れなくてもしょうがないけど、水谷だの末松だのといった友人なら、それこそ「はっきり断って差支えない」のではなかろうか。
親戚というものは、親しいからこそ、率直に断れるのかもしれないが、それにしても、謙作の言い分は、分かりにくい。だから直子も黙ってしまう。
謙作は「要さんには会わないから、どういう人か知らない」といっているが、水谷たちが謙作の家に来たとき、要のことが話題になり、そのとき直子が「赤い顔」をしたことを見逃していない。何かを感じたのだ。謙作は、ほんとうは、要のことが気になっているはずなのだが、なかなかそこに踏み込めない。
言い出すと止まらなくなった謙作の矛先は、ひたすら水谷に向かう。水谷にしてみれば、謙作を迎えに出て、一生懸命世話をやいたのに、ここまで言われる筋はないだろうということだが、謙作という男は、一端嫌いとなったら、トコトン嫌いなのだ。困った人だ、まったく。
「悪い奴とはいわないが、ああいう小人タイプの卑しい感じはかなわない。あいつの顔を見ると反射的に此方(こっち)は不機嫌になってしまう。たまに、機嫌がよくて、一緒に笑談(じょうだん)なんかいってしまうと、あと、きっと、自己嫌悪に陥る。何方(どっち)にしても、ああいう人間とつき合うのは馬鹿気ている。末松は神経質な所がある癖にどうしてあんな奴とつき合っているのかな。あんな奴とつき合ってる奴の気が知れない」
謙作は明らかに自分が間接に要の悪口をいっている事に気づいたが、なかなか止められなかった。
「本統に悪かったわ。もうこれから気をつけるから赦(ゆる)して」
「お前もいいとはいえないが、俺はお前を責めているわけじゃあない。他の奴が不愉快なんだ」
「私が悪いのよ。私がしっかりしていないから、皆が私を馬鹿にしているんだわ」
「そんな事はない」
「私、もう要さんにもこれから来てくれるのよしてもらいます。それが一番いい」
「そんな馬鹿な事があるかい。伯父さんとの関係でそんな事出来るかい」
「伯父さんは伯父さん、要さんは要さんよ」
しつこいよなあ、謙作も。水谷と付き合う末松までも、やり玉にあげるんだから。
しかし、謙作は、ここまできて、ようやく「謙作は明らかに自分が間接に要の悪口をいっている事に気づいた」という。水谷と付き合う末松の「気が知れない」なら、彼らと付き合う要の「気も知れない」ことになるわけだからだ。
じゃあ、ここまで延々と水谷の悪口を言ってきて、実はいちばん腹を立てているのが要だったのだということに、気づいていなかったというのだろうか。そうじゃないはずだ。どこかで気づいていたのだが、それを無意識にか、否定していたのだろう。
直子が「私が悪い」と言えば、「そんな事はない」と即座に否定する。さっき、「断れ」と言わんばかりに「断っていいよ」と言ったのに、直子が「もう要さんにもこれから来てくれるのよしてもらいます」と言えば、「そんな馬鹿な事があるかい。」といって、「伯父さんとの関係」を持ち出す。もう、めちゃくちゃである。
謙作は、そうした自分の感情を分析する。そして反省もするのだ。
謙作はあの上品なN老人を想い、その愛している一人児(ひとりご)に対し、ちょっとした不謹慎、それも学生として、別に悪気もない事に、自分の我儘な感情から、こんなに思うのは済まないという気もした。N老人の自分に対する最初からの好意に対しても済まぬ事だと思った。彼はこうしたちょっとした感情から、段々誇張され、理不尽に、他人に不愉快を感ずる欠点を自分でもよく知っていた。彼はN老人に済まなく思うと同時に、自分の気持に対してもいくらか不安を感じた。実際考えようによれば何でもない事なのだ。それが、自分の感情で、一方へばかり誇張され、何か甚(ひど)く不愉快な事のよう思われ、殊(こと)に黙っている間はよかったが、一度いい出すと、加速度にそれが、変に堪えられない不快事になって来る。これは自分の悪い癖なのだ。気を滅入(めい)らしていた直子に今は不機嫌でない事を示し、直子も折角(せっかく)気持を直した所にまた、それをいい出さずにはいられない、実際自分はどうして、こう意地悪くなるのだろうと思った。彼はまた気持を直す、その道を探すのに迷ってしまった。
ここは、実に正直で誠実な自省である。人間というものは、身についた「悪い癖」を、どうすることもできない。それは癖というよりも、生まれ持った感情のマグマのようなもので、簡単には制御できない。だれだって、それに一生悩まされているのだ。
それにしても、「実際自分はどうして、こう意地悪くなるのだろうと思った。」という述懐は、痛切で、身にしみる。
「しかしもういいよ。他人ならあっさり考えられる事に俺は時々変に執拗(しつこ)くなるんだ。一卜通拘泥(ひととおりこだわ)ると自然にまた直るんだが、中途半端に見逃せないのだ。今日プラットフォームに水谷の顔が見えた瞬間から不愉快になったんだ。つまり水谷の来るという事が壺を外れた事だ。何か不純なものをそれが暗示している気がしたんだ。そして結局それが当ったようなものだが、もうそれもいいよ。俺の気持が分り、これからそういう事に気をつけてくれるなら文句はない。お前も気にする必要はないよ」
間もなく二人は床に入ったが、互に気持よくなったはずで、何だか、白々しい空気のため溶け合えなかった。当然謙作はそうして弱り切っている直子を自身の胸に抱きしめてやるべきだったが、それがわざとらしくて出来なかった。直子は泣きもしなかったが、掻巻(かいまき)の襟を眼まで引上げ、仰向けに凝っと動かずにいる。それは拗ねているのでない事は分っていながら、謙作はこの変な空気を払い退ける事が出来なかった。口では慰めたが、自身の肉体で近よって行く気にはなれなかった。
こうして一夜を明かす事は堪えられないと彼は思った。何か自分の感情を爆発さす事の出来る事ならかえって直るのも早いのだがと思った。彼はかなり疲れていたが、そういう直子を残し、一人眠入るわけに行かなかった。眠れなかった。彼は手を出し、直子の手を探した。しかし直子はそれに応じなかった。彼はむっとして少し烈しい調子でいった。
「お前は何か怒っているのか」
「いいえ」
「そんなら何故そんなに《しおれ》ているんだ」
プラットフォームで水谷の顔をみた瞬間「何か不純なものをそれが暗示している気がしたんだ。」という謙作の直感は、恐ろしいほど鋭い。「結局それが当ったようなものだ」と謙作は言うが、「それ」は、まだ三人が「泊まっていった」というだけのことに過ぎない。しかし、現実はそれだけではなかったのだ。謙作はまだ知らないけれど、その恐ろしい事実は、この二人の床のなかの見事な描写で、まるですかし絵のように現れてくる。
ほんとうに何というすごい作家だろう。志賀直哉という人は。
志賀直哉『暗夜行路』 143 妄想から現実へ 「後篇第四 四」
2024.3.7
とうとう謙作「詰問」が始まった。 直子は黙っているばかりだ。しゃべっているのは謙作だけで、ここで直子は「そんなこと……」以外の一言も発していないことに注意したい。
ふと、或る不愉快な想像が浮んだが、謙作は無意識にそれを再び押し沈めようとした。しかし息が弾み、心にもなく亢奮して来るのを彼は出来るだけ抑えて、静かに続けた。
「黙っていずに、何でもいえばいいじゃあないか。お前は俺が何か非難していると、そう思うのか?」
「そんなこと……」
「正直にいえば非難じゃないが、俺は非常に不愉快なんだ。停車場で見た瞬間から気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない。抽象的な気持ばかりをいうのは、分らなくて気の毒とも思うが、何か変だよ。──お前は要さんや水谷の事を何時(いつ)までも拘泥(こだわ)っていると思うかも知れないが、別の事だ、全然別かどうか分らないが、何か気持が抱合わない感じなんだ。其処(そこ)に不純なものが感じられるのだ。一体どうしたんだ。今までこんな事ないじゃないか」
「…………」
「二階に聴こえるのはいやだ。此方(こっち)へ来ないか」
謙作は身をずらして、寝床に空地(あきち)を作ってやった。直子は元気なく起きかえって、来て、其処へ坐った。憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。其処には先刻(さっき)甚(ひど)く喜んだ壺や函がある。
「坐ってないで横におなり」
直子は動こうともしなかった。
謙作の頭にふと浮かんだ「不愉快な想像」とはなんだったのか、書かれないだけに、読者の想像もふくらむ。
謙作は、停車場で直子たちを見た瞬間感じた「チグハグ」な気持ちを、何とか言葉にしようとするが、どうもうまく言葉にならない。「気持がチグハグになって、少しもぴったり此方(こっち)へ来ない」とか、「何か気持が抱合わない感じ」などと言うのだが、謙作自身が言うとおり、それは「抽象的な気持ち」だ。
これは、なかなか難しいところだ。「チグハグ」ということは、謙作の心の中で、何かと何かがしっくりこないということだ。それは、謙作の(あえていえば)「理想」と、謙作の感じている「現実」とが、かみ合わない、あるいは「抱き合わない」ということだ。
本当なら(理想をいえば)、直子は一刻も早く自分に会いたいという気持ちから、せめて三ノ宮ぐらいまで迎えに出ていてもいいはずなのに、京都で待っていた。本当なら、久しぶりの再会を「二人だけで」喜びあいたいと思って、一人でくるのが当たり前なのに、水谷と一緒に来た。なにかおかしい。しっくりこない。そういうことだろう。
直子は黙っている。「憂鬱な、無表情な、醜い顔をして、ぼんやりと床の間の方へ眼を外(そ)らしていた。」「憂鬱」「無表情」が、「醜い顔」を作る。そして「ぼんやり外らした眼」の先にあるのが「壺」や「函」だ。その「壺」や「函」を、「先刻甚く喜んだ壺や函」と表現する。ここがうまい。こう書くことで、直子が家に帰ってきてからの数時間が、鋭くよみがえり、今の重苦しい空気の中に溶解する。ああ、あの時から、直子は、不自然にはしゃいでいたのだ、だから、余計オレはしっくりこなかったのだ、とでもいうように。
二人は暫く黙っていた。謙作の頭の中は熱を持ったようになり、疲れたまま冴えていた。静かな晩だ。寝静まった感じで四辺(あたり)は森々としていた。そしてただこの座敷だけが熱病にうかされ、其処には「凶」という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。
得体の知れない空気がこの部屋に充満する。謙作と直子の苦しみは、二人の心の中に存在するばかりで、目には見えないものなのに、志賀直哉は、それを敢えて言葉にしようとする。それが、「其処には『凶』という眼に見えぬ小さなものが無数に跳躍しているよう謙作には感じられるのだ。」というところだ。
実にユニークな表現だ。本当は、何も見えない。けれども、「眼に見えぬ小さなもの」が見えるような気がする。それが「凶」だ。「わざわい」「不吉」といった意味を持つ「凶」だが、そういう観念的なものではなくて、「凶」というまがまがしい文字が、小さなホコリのように部屋の中を「無数に跳躍している」とも読める。「凶」という文字の、とげとげしく、ほこりっぽい感じも、面白い。
「とにかく、もう少し物をいっちゃあ、どうだい。こうこじれて来てはこのままで眠るわけには行かないし。──それともお前は何にもいわないと決心でもしてるのか?」
「…………」
「はっきりいって、事に依ったら怒るかも知れないが、それでもいいじゃあないか。怒る事なら怒れば直るかも知れないし、ともかくはっきりさして、その上で解決をつければいい。どうなんだい」
「…………」
「こうやっていればお互に段々息苦しくなるばかりだぜ」 直子はやはり返事をしなかった。
「──俺は何のために、こんなにお前を責めているか自分でも分らない。何をいわそうとしてるか少しも分らないんだ。だから、お前も何にもないんなら、ないと、それだけ、はっきりいっていいんだ。──それだけの事ならはっきりいえるだろう? どうだい。ないのか?──ええ? 何(なん)にもないのか?」
謙作は、まがまがしい事態を予想しながらも、それでも、事がはっきりすれば、怒るなりなんなり対処の仕方があるし、そうすれば事は解決するんだ、と思っている。あるいは、思おうとしている。
けれども、謙作の詰問は、「何にもない」のか、どうかだけに絞られていく。つまりは、直子の「不貞行為」があったのか、なかったのか、その一点に絞られていくのを謙作はどうしようもないのだ。つまりは、謙作は、「何かあった」と確信しているのだ。それでも、直子がそれを「なかった」と否定してくれることを期待していたのかもしれない。
直子は急に眼を堅く閉じ、首を曲げ、息をつめて顔中を皺(しわ)にした。そしてそれを両手で被(おお)うと、いきなり突伏(つっぷ)し、声をあげて烈しく泣き出した。謙作は不意に自分の顔の冷めたくなるのを感じた。彼は起き上り、何か恐しいものに直面したよう、波打つ直子の背中を見下ろしていたが、少時(しばらく)すると彼は自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。彼は直子のこの様子を、どう判断していいかと先ず思った。次に彼はとにかく自分たちの上に恐しい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。
その期待は無残にも裏切られた。そればかりか、謙作の予想を遙かに超える「恐ろしい事」として「降りかかって来た」のだ。
ここで、直子が、何をどのような言葉で説明したのかは書かれていない。章を改めて、事の経緯が明かされるという構成になっているのだが、言葉ではなくて、直子の「行動」で「すべて」が分かる。今までの流れの中で、この直子の取り乱した様子は、「すべて」を語っているのだ。
謙作は、直子の姿を見て、「自分の心が夢から覚めたようかえって正気づいた事を感じた。」という。それは、謙作が京都駅についたときからの妄想が次第に膨らみ、まるで夢を見ているかのような気分でいたということだ。しかし、「現実」に直面すると、かえって「正気づく」。こういうことは確かにある人間心理の真実だ。
志賀直哉『暗夜行路』 144 直子の「不安」 「後篇第四 五」 その1
2024.3.17
「第四─四」の章は、突然泣き出した直子を見て、「とにかく自分たちの上に恐しい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。」という文で終わり、「五」章へと入る。
「四」では、ずっと謙作の視点から描かれていたのだが、「五」へ入ると、突然、視点は謙作を離れ、いわゆる第三人称の記述となる。そして、直子と謙作の間に何があったのかを、客観的に語ることとなる。
この経緯は、直子から直接聞いたことが主となっているのだろうが、一種の錯乱状態にあった直子が、こんなに整然とことの経緯を語ることはできるはずはない。もし、直接に会話として語らせたら、意味不明のところや、感情の発作やらを書き込まないわけにはいかず、非常にややこしいことになるだろう。これがドラマや映画だったら、そのややこしいところをどう描くかが、脚本家や演出家や役者の腕のみせどころとなる。
しかし、小説は、そこをすっと避けて、「客観的叙述」をすることができる。ある意味、これが小説の最大の強みと言えるのかもしれない。
作者は、この小説ならではの強みを生かし、ここでいったん第三者の視点をとることで、直子のしてしまったことを、その遠い原因まで遡って描くことにしたわけだ。
直子と要(かなめ)との関係は最初から全く無邪気なものとはいえなかった。それはそれほど深入りした関係ではなく、単に子供の好奇心と衝動からした或る卑猥(ひわい)な遊戯だが、それを二人は忘れなかった。色々な記憶の中で、それだけがむしろ甘い感じで直子には憶い出されるのだ。
直子の「あやまち」の遠因が、直子と要の子ども時代にあることが語られる。
子どもの頃の記憶というのは、不思議なもので、ほとんどがぼんやりしている中で、ある一点だけが、まるでスポットを浴びたように鮮明に残っているものだ。その子ども時代の不思議にも鮮明な記憶のありかたを、ここでは実にうまく使っている。
と同時に、この小説の当初に描かれた、謙作と母親とのある思い出のことも、読者は思い出すだろう。
謙作が尾道で一人暮らしを始めたころ、自伝的な小説を書こうとして、幼児期を思い出すところがある。様々な断片的な思い出の中に、こんな思い出が語られる。
まだ若荷谷にいた頃に、母と一緒に寝ていて、母のよく寝入ったのを幸い、床の中に深くもぐって行ったという記憶があった。間もなく彼は眠っていると思った母から烈しく手をつねられた。そして、邪慳(じゃけん)に枕まで引き上げられた。しかし母はそれなり全く眠った人のように眼も開かず、口もきかなかった。彼は自分のした事を恥じ、自分のした事の意味が大人と変らずに解った。この憶い出は、彼に不思議な気をさした。恥ずべき記憶でもあったが、不思議な気のする記憶だった。何が彼にそういう事をさせたか、好奇心か、衝動か、好奇心なら何故それほどに恥じたか、衝動とすれば誰にも既にその頃からそれが現われるものか、彼には見当がつかなかった。恥じた所に何かしらそうばかりいいきれない所もあったが、三つか四つの子供に対し、それを道徳的に批判する気はしなかった。前の人のそういう惰性、そんな気も彼はした。こんな事でも因果が子に報いる、と思うと、彼はちょっと悲惨な気がした。 「暗夜行路 前編 第二─三」
ここは、母との思い出なのだが、ここで語られるのは、明らかに自分の中の「性的衝動」だ。子どものそうした衝動に「道徳的に批判する気はしなかった」と言うが、謙作の中には、深い「傷」として残っていたに違いない。自分の中にある闇、それが「因果が子に報いる」という形で継承されていることに謙作は「悲惨」を感じていたのだ。
直子においては、それが「傷」として、あるいは「悲惨」として残ったわけではないが、「不安」として残っていて、それが要との再会において、意識されていたのだ。
では、その直子の「不安」はどういう経緯で生まれたのか見ていこう。
春、まだ地面に雪の残っている頃だった。小学校から一度帰った要は父の使(つかい)で直子の母を呼びに来た。直子は近所の年下の女の児(こ)を対手(あいて)に日あたりの縁で飯事(ままごと)をしていた。それが面白く、「お前も要さんとこへ行かんか」と母に誘われたが、断って、遊びに余念なかった。
少時(しばらく)すると、もう帰ったと思った要が庭口から入って来て、二人の仲間に入り、金盥(かなだらい)に雪を積んで来ては飯にして遊んだ。
縁が解けた雪で水だらけになり、皆の手はすっかりかじかんでしまった。三人はその遊びをやめ、部屋に入り、矩撻にあたった。
要は近所の児を邪魔者にし、「あんた、もうお帰り」こんな事を切(しき)りにいい出した。しかし女の児は帰らなかった。
すると、要は「亀と鼈(すっぽん)」という遊びをしようといい、直子に赤間関(あかまがせき)の円硯(まるすずり)を出して来さし、その遊びを二人に教えた。それは硯を庭に隠しておき、子供になった女の児が硯を探して来る。そして障子の外から「お母さん亀を捕りました」という。直子のお母さんが「それは亀ではありません」と答える。その時、要が大きな声で、「鼈」と怒鳴るという遊びだ。二人には何の事かさっぱり解らなかったが、それをする事にした。
女の児が要の隠した硯を探している間、二人は炬燵(こたつ)に寝ころんでいた。そして漸(ようや)く見つけ出し、それを持って来た時、要はいきなり、「鼈」と怒嶋って飛起き、一人ではしゃぎ、跳り上ったり、でんぐりがえしをしたりした。
この遊びは下男から教えられた。そして、その卑猥な意味は要だけにはいくらか分っていたが、直子には何の事か全く分らなかった。ただ、炬燵で抱合っている間に直子はかつて経験しなかった不思議な気持から、頭のぼんやりして来るのを感じた。三人は幾度かこの遊びを繰返した。暫(しばら)くして、直子の兄が学校から帰って来て、二人は驚き、飛起きたが、直子は兄の顔をまともに見られぬような、わけの解らぬ恥かしさを覚えた。
要と直子との間では二度とこういう事はなかった、しかしこの事は不思議に色々な記憶の中で、はっきりと直子の頭に残った。
で 「赤間関」というのは、「日本の硯を代表する一つに挙げらる硯。山口県の特産品。」
ここで要が言い出した「亀と鼈」という遊びがどういうものだったかの概要は分かるが、それがどういう「卑猥」な意味を持っていたのかは、ぼくにもよく分からない。「亀」も「鼈」も、どこか卑猥なイメージがあることは分かるが、遊びのどこが卑猥なのかはイマイチ、ピンとこない。
とはいえ、この遊びの「肝」は、いわゆる「お医者さんごっこ」といった露骨なものではなくて、「二人で隠れる」という部分にあるのだろう。「かくれんぼ」は、大抵ひとりで隠れるけれど、これが二人で隠れるとなったら、どういうことになるか分からない。まして、日頃好きな子と二人で隠れるとなれば。
ぼくには幼稚園での思い出がたったひとつある。それは、鬼ごっこで、逃げているとき、女の子の鬼につかまりたい、と思った、というそれだけのことだ。なぜか、切なくそう思った、ような気がする。
炬燵というのも、また隠微なもので、小学低学年のころ、近くの女の子に家に遊びにいったことがあるのだが、冬で炬燵があった。それも大きな掘炬燵だった。そこに座ってお菓子かなんかを食べていたのだが、なにかの拍子にお菓子が炬燵の中に落ちた。それをとろうと、ぼくは炬燵の中に潜り込んだ。中は意外にひろくて、座れるほどだった。ただ、それだけのことで、そこに女の子の足が見えたとか、それを触ったとかいうことでは全然なくて、まったくただそれだけのことだったのだが、なぜか、今でもその炬燵のなかの空間というか空気というか、そんなものが記憶にくっきりと刻まれている。
たったそれだけのことが、記憶に残っているくらいだから、直子の記憶は鮮明だったことだろう。遊びの意味は分からなくても、「炬燵で抱合っている間に直子はかつて経験しなかった不思議な気持から、頭のぼんやりして来るのを感じた。」というのは、なかなか強烈だ。意味が分からなくても、「わけの解らぬ恥かしさ」は、直子の「性的体験」としての生々しさを語っている。
それ故、直子は謙作の留守に要が不意に訪ねて来た時、かすかな不安を感じたが、感じる自身が不純なのだとも考え、殊更(ことさら)、従兄妹(いとこ)らしい明かるい気持で対するよう努めた。翌日、水谷や久世が来て、花を始めた時にも、こういう第三者がいてくれる事はかえっていいと思い、人妻として不都合だというような事は少しも考えず、自分も仲間になって夜明かしをしたが、夜が明け、陽の光になお、遊び続けていると、さすがに体力で堪えられなくなり、食事の事など総て仙に頼んで、自分だけ裏の四畳半に引き下がり、ぐっすりと寝込んでしまったのである。
直子の感じた「かすかな不安」も、「不安」を感じること自体が「不純」ではないかとも考え、そのうえ、第三者がいるということで、かき消され、直子は、疲れで寝込んでしまったのだというのだ。
この「かすかな不安」は、ひょっとして昔のあのときの要は、自分と同じような気分を感じ、あるいは、そういう気分を感じるためにあんな遊びを提案したのではないか──とすれば、今でもあのときのような気持ちをまだ自分に対して持ち続けているのではないかという要に対する「不安」であると同時に、自分はあのときのような気分をまだ忘れていないのだとすれば、要がなにかしてきたときに、抵抗できないのではないかという、自分自身に対する「不安」でもあっただろう。
そしてその直子の不安は、現実のものとなってしまったのだった。
志賀直哉『暗夜行路』 145 客観的描写 「後篇第四 五」 その2
2024.4.1
直子が眼を覚ました時は、もう家の中は暗かった。直子は湯殿へ行こうとし、途中、唐紙の隙間から座敷を覗くと、三人はまだ一つの座蒲団を囲み、同じ遊びを続けていた。皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。三人はちょっとした事にもよく笑い、普段それほどでもない久世までがたわいなく滑稽な事を饒舌(しゃべ)っていた。
直子は身仕舞いを済まし、仙と一緒に夜食の支度をした。
三人は食事の間も落ちつかず、人生五十年だけやって、レコードを作ろうなどいっていた。
そして、また直ぐ始め、直子も一緒になったが、前日から一睡もしない三人はおりている間にも、ちょっと横になると直ぐぐっすりと眠りに落ちて行った。要は肩や首の烈しい凝りで、甚く苦しがっていた。
十時頃になり、遂にやめた。三人は一緒に湯に入り、騒いでいたが、間もなく、久世と水谷は帰って行った。
要は座蒲団を折って、それを枕に長々と仰向けに寝ていた。直子は幾度か床に入るよう勧めたが、「今、行きます」といい、なかなか起上がらなかった。仕方なく、直子は丹前をかけてやり、側で雑誌を読んでいると、暫くして要は不意に起き、
「おやすみ」といい捨て、二階へ上がって行った。
直子は睡くないので、そのまま其所で雑誌を読み続けていた。そして、どれだけか経った時、直子はふと、二階で要が何かいっているのに気づき、立って階子段の下まで行き、其所から声をかけてみたが、要の返事が、寝ぼけ声でよく聴取れなかった。直子は段を登って行った。
この章「第四 五」は、客観的な描写となっているのだが、細かく見ていくと、ところどころに「謙作の目」が入っているのが分かる。
たとえば、「皆、眼をくぼまし、脂の浮いた薄ぎたない顔をしていた。」あたりには、謙作の彼らに対する嫌悪感のようなものが感じられる。謙作は水谷を嫌悪しているので、それが現れるわけである。
「薄ぎたない」という表現は、決して客観的ではない。しかし、客観的な描写とは、いったい誰の目から見た描写なのだろうか。一般的にいえば、「全体を見渡すことのできる語り手」ということになるだろうが、その語り手に「純粋性」を求めるのは難しい。えてして、それは「作者」とイコールになってしまう。この小説の場合は、作者と謙作が近い位置にいるので、この謙作の水谷に対する嫌悪感が紛れ込むことになるわけである。
「肩が凝って眠れない。按摩(あんま)を呼んでもらえないかな」
「さあ、ちょっと遠いのよ。それも早ければかまわないが、もう十二時過ぎよ」
要は不服らしく返事をしなかった。
「仙も今、丁度寝たとこだし、今から起こしてやるのも可哀そうね」
「そんなら要らない」
「よっぽど凝ってるの?」
「キリキリ痛むんだ。頭がまるで変になっちゃって、眠れないんだ」
「私が少し揉んで上げましょうか」
「いいえ、沢山」
「割りに上手なのよ」
直子は部屋へ入って行った。そして要の首から肩の辺(あたり)を揉み始めたが、到底女の力では受けつけそうもなかった。
「少しは利きそう?」
「うむ」
「利かないでしょう?」
「うむ」
「何方(どっち)なのよ。いやな要さんね」直子は笑い出した。「こうして揉んでる間に、早くお眠りなさい。あしたお起きになる頃、按摩を呼んどいて上げるから」
直子は暫く、そうして揉んでやった。要は少しも口をきかなかった。直子はもう眠ったかしらとも思い、しかし止めて、もしおきていられたら気まりが悪いとも考えた。
要が不意に寝がえりをした。直子は驚き、手を離したが、要はその手を握り、片手を首に巻いて直子の身体(からだ)を引き寄せた。要は眼を閉じたままそれをした。直子は吃驚(びっくり)したが、小声に力を入れて、
「何をするのよ」といった。
「悪い事はしない。決して悪い事はしない」こんな事をいいながら、要は力で無理に直子を横たえてしまった。
直子は驚きから、ちょっと喪心しかけた。そして叱るように、「要さん。要さん」と抵抗し、起き上ろうとしたが、要は自身の身体全体で直子を動かさなかった。そして、
「悪い事はしない。決してしない。頭が変で、どうにもならないんだ」これを繰返した。
こういう争いを二人は暫く続けていたが、しまいに直子は自分の身体から全く力が脱け去った事を感じた。それから理性さえ。
直子は静かに二階を降りて来た。仙に覚られる事が恐しかった。そして、床に就いたが、何時までも眠られなかった。
翌朝、直子が眼を覚ました時には、要は出発し、もう家にはいなかった
「第四 五」はこれで終わる。
前述したとおり、この「第四 五」は、終始、第三人称の語りで進められる。他のほとんどの部分が、謙作に寄り添った形での語り、主語は「謙作」だが、ほとんど「私」と同じで、あくまで謙作の視点から描かれているのに対して、この部分は、特別である。下手をすると、ここだけ浮いてしまう恐れがあるのである。この点については、安岡章太郎が、その「志賀直哉私論」で書いている。
安岡は、例の「亀と鼈」の遊戯の部分を引用したあと、こんなふうに続けている。
こういう不得要領で、ただ何となく猥褻な遊戯は、前篇で謙作の夢の中に出てくる”播摩”と同様、志賀氏自身の創作(?)であるようだ。播摩は極度に危険な秘技で、それをやると死ぬことがわかっているのに、情欲に生活の荒んだ阪口はついにそれをやって死んだという、ただそれだけで終っている謙作の夢は、要を得ないことが淫らであり、不可解であることが猥褻なナゾを残すのであるが、播摩といい、この「亀と鼈」といい、志賀氏が何となく空想してこしらえたというこれらの話は、単純で奇妙に肉感そのものの味があり、たしかに独創的であるだけに、志賀氏の生来の素質に何か特異なデモーニッシュなものがあることを窺わせることだ。そして、こういう端的に肉感的な夢や遊戯が作中人物の感覚を通じて増幅され、むしろ情欲の直接的な描写以上に情欲描写の効果を発揮するのは、志賀氏の天性の小説家であることを示す特異な技巧の一つであろう……。何はともあれ、ここではこの「亀と鼈」の遊戯自体に志賀氏の体臭ともいうべき個性の感じられることを注目すべきで、このことが直子と要の過失が少年少女の無意識な性本能の延長であることを説明すると同時に、謙作の主観の世界の外側で起ったこの事件を、うまく謙作の世界へ文体的に誘導してくる役割を果しており、そのためにこの章だけが「暗夜行路」の全体から、不自然に浮き上ったものになることを免れているのである。
このように小説の形式や技法の上では、謙作の外部で起った事態は、謙作の主観で動かされるこの小説の中に客観的な事実としてウマく定着させており、そこには何等の難点もない。
なるほどと深く納得させられる。客観的な描写にみえて、「薄ぎたない」という表現に、謙作(あるいは志賀)の主観が紛れこむように、事件の客観的な記述は、いつの間にか、謙作の内部の問題に深くつながっていき、事件は、謙作の内部の問題となっていくのだ。
重大な「事件」なのだから、もっと細かく描いてもよさそうなのに、書かない。要が、直子を抱き寄せた後の描写も、「要は眼を閉じたままそれをした。」と、実にあいまいで、そっけない。「それ」って何だ? って思うくらいで、もちろん、「それ」は、その直前の「直子の身体を引き寄せた。」を指すと読めないこともないが、おそれくは、「引き寄せた」あと、「眼を閉じたまま」した「キス」のことだと思われる。もちろん、志賀は、そんな直接的なことは書かないわけだ。
その後の展開における描写も極めてあっさりしたもので、直子が「理性を失った」以後のことはまったく描かれず、いきなり階段を降りてくる直子の描写になる。
ここは、まるで、歌舞伎の舞台だ。歌舞伎では、いわゆる「濡れ場」が演じられることはなく、部屋に入ってしまったあと、そこから髪がやや乱れた女が呆けたように出てくる。そこに、「濡れ場」の客観的な描写はないが、それ以上のエロスを感じさせるという仕組みである。
描かないことによって、想像させるということだけではなくて、事件の背後にある「経緯」を描くことで、その事件が内包する「デモーニッシュなもの」を浮き彫りにする。それが「亀と鼈」の遊戯のことから書き始めた理由だ。
直子に落ち度というほどの落ち度はない。要の要求を断固としてはね返せなかったことが「落ち度」といえばいえる。しかし、積極的な「不倫」というほどのものはないといっていいだろう。いや、悪いのは要で、直子はちっとも悪くない。直子は抵抗したがしきれなかっただけで、それは仕方のないことだったのだ、と直子を全面的に擁護することだってできる。しかし、問題は、直子が最後まで抵抗できなかった、という事実にではなく、そこに至った経緯が問題となった。それを問題だと意識したのは謙作なのだ。
安岡はさらに続けて、「『亀と鼈』で直子の告白した過失が具体性をおび、過失自体を一つの実感のあるものにした。」と書いている。つまり、唐突に告白された「直子の過失」は、謙作にとっては、「実感」のないものだった。それが、「亀と鼈」の話で、性的衝動についての謙作自身の過去と結びついたことで、直子の過失は、「謙作の外側」の事件ではなく、謙作自身の内部の事件となったというのだ。
もし、「直子の過失」が、あくまで「謙作の外側」の事件にとどまったのなら、謙作は、直子を捨てるにしろ、許すにしろ、それに苦しめられることはなかっただろう。「謙作の外側」で起きたかに見える事件が、実は謙作の内部に深く関わる事件だったことが、この事件を複雑にし、謙作が直子を許すことができない原因となる。自分ほど許せないものはないからである。
志賀直哉『暗夜行路』 146 告白のゆくえ 「後篇第四 六」 その1
2024.4.22
直子の告白を聞いた謙作は、翌日、友人のもとを訪ねるために外出する。
翌日謙作は一条通を東へ急足(いそぎあし)に歩いていた。南風は生暖かく、肌はじめじめし、頭は重かった。天候の故(せい)もあり、勿論寝不足の故もあったが、その割りには気分が冴え、気持は悪くなかった。つまり彼はしんで亢奮していた。ただ、落ちついて物が考えられなかった。断片的に色々な事があたかもそれが廻転しているもののようにチラチラと頭にひらめくばかりだった。
「第四 6」は、こう始まる。「第四 5」が、三人称の視点から書かれた特異な部分だったが、ここではまた謙作の視点に戻っている。巧みな構成だ。
短い文章なのだが、案外複雑なことが書かれている。「天候」「寝不足」のために「頭は重」かったが、「その割には」、「気分が冴え」「気持ちは悪くなかった」という。体調はイマイチなのだが、気分が妙に冴えていて、気持ちが悪いということがない。
志賀直哉という人は、「気分」がすべてなので、この「気分は悪くない」というのは、重要だ。普通なら「不愉快だ」の一言で済んでしまうところを、「気分は悪くない」どころか、「気分が冴えている」というのだから、注目に値する。
そうした「冴えて」「悪くない」気分は、「しんで亢奮していた」からだと説明される。説明といっても、くどくど説明しているわけではない。ただ「つまり」という接続詞でそれが表現されているのだ。簡潔の極み。
「しんで亢奮していた」から、「落ち着いて物が考えられ」ず、「断片的に色々な事があたかもそれが廻転しているもののようにチラチラと頭にひらめくばかりだった。」というのだ。
何か重大なことに直面して動揺しているとき、よくこんな感じになるような気がする。いろいろな場面、言葉などが、断片化して、頭に浮かぶのだが、それがちっともまとまらない。まとまらないのだが、どこかで、精神が高揚していて、それがときとして精神の深みをのぞき込むような形になる。
謙作は、歩きながら、直子との会話を反芻して、自分の精神を整理しようとする。
「直子を憎もうとは思わない。自分は赦す事が美徳だと思って赦したのではない。直子が憎めないから赦したのだ。また、その事に拘泥する結果が二重の不幸を生む事を知っているからだ」彼は前夜直子にいった事をまた頭の中で繰返していた。 「赦す事はいい。実際それより仕方がない。……しかし結局馬鹿を見たのは自分だけだ。」
直子の告白を聞いて、謙作はどのような反応を示したのか、ここで初めて明らかになる。謙作は、「赦した」のだ。
それは、謙作の道徳観念からのことではなくて、「直子を憎めない」という、いわば「直子への愛」からのことだったという。そして、更に、「その事に拘泥する結果が二重の不幸を生む事を知っているからだ」という、いわば「処世上の判断」からでもあったという。
直子の告白を聞いても、謙作は直子を憎めない。憎めないから赦すしかない。憎みつつ赦すということは謙作にはできないのだ。もちろん、そんなことは誰にだってできないだろう。「赦せない」なら、憎むことになる。人間の感情はそのようにできている。
二番目の「処世上の判断」はこの際どうでもいい。それは、あくまで理性的な判断にすぎないし、謙作にとっては実際にはどうでもいいことだ。問題は、謙作の直子への感情のありかたなのだ。
謙作が直子を「憎めない」以上、「赦すことはいい」という結論は当然の帰結だ。しかし、その次にくる、「しかし結局馬鹿を見たのは自分だけだ」が、強烈にリアルだ。
直子への愛情とか、赦しとか、そういうところを出たあとに来る、「なんだ、おればっかりが貧乏くじか」というむなしさ。直子と要は、なんだかんだいっても「いい思い」(かどうかは知らないが)をして、まあ、それなりに苦しんでいるだろうけど、それとはまったく関係のないオレは、「いい思い」はまったくなくて、苦しみだけをひっかぶっている。なんなんだ、これは。オレはまったく「割に合わない」じゃないか。
こういった思いが、実にリアルで、見事に言語化されている。周囲の目を気にする人間は、こんなことを思わない。というか、思っても言わない。小説はフィクションだけど、志賀直哉が、世間体を気にする人なら、こんなリアルなセリフを謙作に言わせないだろう。フィクションだからといって、謙作の思いが、作者志賀直哉と無関係だとは言えないからだ。
そういう意味では、志賀直哉という人は、ほんとに正直な人なのだと思う。
この後、北野天神の縁日の様子などが簡潔に、しかも印象的に描かれたあと、謙作の心中が引き続き語られる。こうした情景描写を適宜挟むうまさも、特筆ものだ。
「つまり、この記憶が何事もなかったように二人の間で消えて行けば申分ない。──自分だけが忘れられず、直子が忘れてしまって、──忘れてしまったような顔をして、──いられたら── それでも自分は平気でいられるかしら?」今はそれでもいいように思えたが、実際自信は持てなかった。お互に忘れたような顔をしながら、憶い出している場合を想像すると怖しい気もした。
「自分はまた放蕩を始めはしないだろうか」彼は両側の掛行燈(かけあんどう)の家々を見ながら、ふと、こんな事も想った。
「お互に忘れたような顔をしながら、憶い出している場合を想像する」と、確かに「怖ろしい」。この記憶が、「二人の間で消えて行」くなどということは、「申分ない」に決まっているが、そんなことはあり得ないだろう。とすれば、今後の生活は、つまるところ、「お互に忘れたような顔をしながら、憶い出している」ということになるしかない。それが嫌なら、別れるしかないだろう。けれども、謙作は、「別れる」ということをまったく考えていないのだ。
だから、「自分はまた放蕩を始めはしないだろうか」という思いがふと浮かぶのだ。それは、せっかく全力を尽くして抜け出したいまわしい過去への逆流であり、謙作としてはなんとしても避けたいところだが、「結局馬鹿を見たのは自分だけだ」という思いが、そんならオレはオレで遊んでどこが悪いという開き直りに向かう危険を感じていたのだろう。
彼は今日の自分が変に上ずっているように思えて仕方なかった。末松に今日は何事も話すまい。もしきりだしてしまったら、恐らく下らぬ事まで饒舌(しゃべ)るに違いない。
「そうだ、末松へやる土産物を忘れて来た」彼は帽子を脱ぎ、額の汗を拭った。
「しんで亢奮していた」という謙作のこころは、ここでは「変に上ずっている」と言い換えられる。「しん(芯)」が亢奮しているために、気持ちが「上ずっている」、つまりは、心の奥の「亢奮」が、気持ちの表面、つまりは「発せられる言葉」を上ずらせている。これも、なんだか、身近に感じられる感情の状態のような気がする。
志賀直哉『暗夜行路』 147 強烈なエゴイズム 「後篇第四 六」 その2
2024.5.7
千本の終点からは楽に乗れた。(その頃其処が終点だった。)戸外(そと)も夕方のように灰色をしていたが、電車の中は一層薄暗く、その上、蒸々して、長くいると、嘔気(はきけ)でも催しそうに思われた。
実際暫くすると、彼は湿気と《人いきれ》から堪えられなくなった。そして烏丸の御所の角まで来ると、急いで電車を飛降り、其所の帳場から人力に乗換えた。
岡崎の下宿では玄関に立つと、偶然二階から馳け降りて来た末松と向い合った。
直子の告白を聞いてから、家にいたたまれない思いから、謙作は末松に会いにいったようだ。
朝家を出る時も、「南風は生暖かく、肌はじめじめし、頭は重かった。」とあるように、謙作の心の中の状況は、湿気の多い空気や「人いきれ」と、それに対する謙作の肉体の反応によって描かれる。
こうした描き方は、普通のようにも思えるが、また志賀直哉独特のものにも思える。というか、こうした描き方は、志賀の「発明」じゃないかという気がする。検証はしてないけど。
謙作の「嘔気(はきけ)」は、電車の中の「蒸し蒸し」した空気によって催されるが、しかし、もちろん謙作自身の心の葛藤から生じていることも確かなのだ。末松に会ったときも、
謙作はその路次を出た。道の正面に近く見える東山は暗く霞み、その上を薄墨色の雲が騒しく飛んでいた。変に張りのない陰気臭い日だった。
という情景描写がある。謙作の内面が、風景そのものになっている趣である。それに続いて、一見なんのつながりもないような光景が描かれる。
公園の運動場で自転車競争の練習をしている若者があった。赤色のシャツ、猿股の姿で、自転車の上に四ツ這いになり、頭を米揚機械のように動かしながら走っていた。向かい風では、上体を全体右に左に揺り動かし、如何にも苦しそうだが、再び追い風に来ると、急に楽になり、早くなる。謙作は往来端に立ち、少時それを眺めていた。
末松が出てくるのを路地で待っている間に見た光景なのだが、どうしてこういう光景をここに書き入れる必要があったのか、不思議だ。自転車の練習をしている若者の姿に己の姿を投影したのか、などというのはうがち過ぎの読み方だろうけれど、それ以外に、この光景を書き込む必然性が見当たらない。
しかし、小説は論文ではない。「必然性」、つまりは「論理性」によって展開しなければならないということはないのだ。見えたから書く、それでいい。それでいいのだが、ただ、これはフィクションだ。だから、志賀直哉が「見た」というような単純なものではなく、作者志賀直哉が、謙作にこういう光景を「見せている」わけで、やっぱり、「それは何故?」と問いたくなるのもまたやむを得ない。
この奇妙な行動をする若者が、謙作の内面のなにかを語っている、というのではなく、内面に葛藤を抱えて吐き気すらおぼえている謙作が、この若者になぜか興味をもって、「少時それを眺めていた」という「事実」(フィクションの上での事実)が大事なのだ。「なぜ眺めていたのか」という問いはこの場合意味がない。「何故か」は分からないけど、「なにかを見つめてしまう」ということは、ぼくらの生活の中でよくあることだ。そして、「なぜか」が分からないまま、妙にその光景が長く心に止まり続けるということもまた多いものだ。
末松は、道具屋で見つけた「藤原時代の器」をいつか見てくれと謙作に言うのだが、謙作は、興味を示さない。
大津からの電車に乗る事にし、広道(ひろみち)の停留場で、其所のベンチに二人は腰を下ろした。
「下らない奴を遠ざけるのは差支えないが、時任のように無闇と拘泥して憎むのはよくないよ」末松は突然こんな風に水谷の事をいい出した。
「実際そうだ。それはよく分っているんだが、遠ざける過程としても自然憎む形になるんだ。悪い癖だと自分でも思っている。何でも最初から好悪の感情で来るから困るんだ。好悪が直様(すぐさま)此方(こっち)では善悪の判断になる。それが事実大概当るのだ」
謙作の「悪い癖」は、この小説全体を通じて描かれているが、それを端的に謙作自身の自覚として語る重要な部分だ。
「何でも最初から好悪の感情で来る」、そしてその「好悪の感情」がすぐに「善悪の判断」になる。それは、この「暗夜行路」の至るところでお目にかかってきたことだ。謙作は、それを「悪い癖」だというながら、「それが事実大概当るのだ」と結論する。
そして、このことを巡って、以下末松との議論が展開する。これは、むしろ謙作の内部の「自問自答」というべきものだろう。
「それは当ったように思うんだろう」
「大概当る。人間に対してそうだし、何か一つの事柄に対してもそうだ。何かしら不快の感情が最初に来ると、大概その事にはそういうものが含まれているんだ」謙作は昨夜水谷が停車場へ来ていた事、それが不愉快で、知らず知らず糸を手繰って行った自身の妙な神経を想った。
「そういう事もあるだろう。しかしそれを過信していられるのは傍(はた)の者には愉快でないな。何となく脅かされる。──少なくともそれだけに手頼(たよ)るのはいかんよ」
「勿論、それだけには手頼らないが……」
「気分の上では全く暴君だ。第一非常にイゴイスティックだ。──冷めたい打算がないからいいようなものの、傍の者はやっばり迷惑するぜ」
「…………」
「君自身がそうだというより、君の内にそういう暴君が同居している感じだな。だから、一番の被害者は君自身といえるかも知れない」
「誰れにだってそういうものはある。僕と限った事はないよ」
しかし謙作は自身の過去が常に何かとの争闘であった事を考え、それが結局外界のものとの争闘ではなく、自身の内にあるそういうものとの争闘であった事を想わないではいられなかった。
「つまり人より著しいんだ」と末松がいった。
謙作はこれまで、暴君的な自分のそういう気分によく引き廻されたが、それを敵とは考えない方だった。しかし過去の数々の事を考えると、多くが結局一人角力(ひとりずもう)になる所を想うと、つまりは自分の内にあるそういうものを対手に戦って来たと考えないわけには行かなくなった。直子の事も解決は総て自分に任かせてくれ。お前は退(ど)いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。──自分が直ぐこれをいったのは知らず知らず解決をやはり自身の内だけに求めていた事に初めて気がついた。実際変な事だと思った──
「自身の内に住むものとの争闘で生涯を終る。それ位なら生れて来ない方が《まし》だった」そんな意味をいうと、末松は「しかしそれでいいのじゃないかな。それを続けて、結局憂(うれい)なしという境涯まで漕ぎつけさえすれば」といった。
大津からの電車はなかなか来なかった。
「暗夜行路」の中核となる重要な部分だ。
「好悪の感情が善悪の判断」となってしまう謙作は、その「癖」を、「自分の中の暴君」と呼ぶ。(実際にこの言葉を発したのは末松だが)その「暴君」を、末松は「非常にイゴイスティック」だという。しかも、その「暴君」は、謙作自身ではなくて、謙作の中に「同居している」というのだ。
そして謙作は、こんなことを言う。「自身の内に住むものとの争闘で生涯を終る。それ位なら生れて来ない方が《まし》だった。」
痛切な述懐である。謙作は、自分の生涯をそんなふうに眺めている。なにか、切ないほどの実感がある。
人生は、所詮、「自身の内に住むものとの争闘」ではないのか、と、読むものに反省を強いるからだ。もちろんぼくにとってもそれはあてはまる。それが何かということは、謙作の場合のようにはっきりと言語化できないが、たしかに、自分の中に「どうしようもないもの」があって、それを否定したり、ある時は妥協したり、まれに肯定したりしてかえってまた酷い否定感情に陥ったり、そんなことを繰り返す人生だったなあと今にして思う。で、結局、その「決着」はついていない。「決着」がつかぬまま「生涯を終わる」ことになりそうだ。
それでも、鈍感なぼくは、「それ位なら生れて来ない方がましだった。」とは思わない。「それ位」でも、「生まれてきてよかった」と思えるくらいの、それこそ「境涯」に達しつつあるような気がする。しかし、それも「気がする」程度で、末松がいうように、「それを続けて、結局憂なしという境涯」には到底達しそうにないのである。
それはそれとして、直子の告白を聞いた謙作が、何と言ったかが、初めてここで明らかになる。それは驚くべき言葉だった。引用を繰り返す。
直子の事も解決は総て自分に任かせてくれ。お前は退(ど)いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。当ったように思うんだろう」
謙作は、こんなことを言った自分自身を「変なことだ」と言っているが、「変」どころか、「非常に変」だ。
「直子の事」というのは「直子の過ち」のことだ。責任は直子にある。だからその「解決」は、まずは直子がどうするかにかかっているはずだ。それなのに、謙作は、直子の過ちについての「解決」を、自分「だけ」の問題として考えている。事実としては、「直子だけ」の問題でもなく、「直子と謙作の間」の問題なのだ。
「お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。」とは、なんというエゴイズムだろうか。これはオレだけの問題だ。オレが「妻に裏切られた」という事実から何をどう感じるかを、いや、感じることが「善悪」に直結してしまうオレをどう乗り越えるかを考えなければならない。そこにはもう、お前の存在はいらない。邪魔なのだ。オレだけに、取り組ませてくれ。そういう思いなのだろうが、これを言われた直子は、いったいどう思ったのだろうか。
過ちを犯した直子への「憎しみ」すら入る余地のないエゴイズム。直子にしてみれば、「憎まれ」「ののしられ」たほうがどんなに楽かしれない。憎しみ、憎悪を受け止めてこそ、直子の悔い改めは始まるだろう。その果てにあるのが謙作の「赦し」だったら、直子はどんなに救われるだろう。
しかし、「お前は邪魔だ」と謙作は言う。直子はこの問題から、除外されてしまったのだ。
つまり、それほどまでに謙作の衝撃は大きかったということだ。それは、謙作の出生の秘密にも密接にかかわる問題だったからだ。自分が祖父と母との間に生まれた「不義の子」だということが、謙作のこれまでの人生すべてを覆い尽くす暗雲だった。謙作の強烈なエゴイズムも、この暗雲から生まれでたのではないかと思うほどだ。
その暗雲から、直子との結婚でなんとか脱出できたと思ったのに、またもっと深い闇に包まれてしまったわけだから、謙作にしてみれば、もう直子どころではない。あっちへ行ってろ、オレは一人で戦う、そう言いたくなるのも、ある意味もっともなのだとも思える。
この強烈なエゴイズムから、謙作はどのようにすれば「憂なしという境涯」に辿りつくことができるのだろうか。その過程をこれから志賀直哉は書いていこうとしているのだろうが、果たしてそれはどんな過程なのだろうか。
志賀直哉『暗夜行路』 148 誤読訂正 そして「暗夜行路」の価値 「後篇第四 六」 その3
2024.5.19
前回、どうやらぼくは大変な誤読をしたようだ。それは、前回の後半部分。次の引用部についての読み取りだ。
しかし謙作は自身の過去が常に何かとの争闘であった事を考え、それが結局外界のものとの争闘ではなく、自身の内にあるそういうものとの争闘であった事を想わないではいられなかった。
「つまり人より著しいんだ」と末松がいった。
謙作はこれまで、暴君的な自分のそういう気分によく引き廻されたが、それを敵とは考えない方だった。しかし過去の数々の事を考えると、多くが結局一人角力になる所を想うと、つまりは自分の内にあるそういうものを対手に戦って来たと考えないわけには行かなくなった。直子の事も解決は総て自分に任かせてくれ。お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。──自分が直ぐこれをいったのは知らず知らず解決をやはり自身の内だけに求めていた事に初めて気がついた。実際変な事だと思った。──
「自身の内に住むものとの争闘で生涯を終る。それ位なら生れて来ない方がましだった」
そんな意味をいうと、末松は「しかしそれでいいのじゃないかな。それを続けて、結局憂なしという境涯まで漕ぎつけさえすれば」といった。
この部分の「直子の事も解決は総て自分に任かせてくれ。お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。」の「お前」をなぜだか「直子」ととってしまったのだ。だから大変なことになった。「直子はこの問題から、除外されてしまったのだ。」というとんでも誤読になったわけである。
いくらスーパーエゴイストたる謙作だとて、過ちを犯した当の本人を「問題から除外する」ことなどあるわけがない。あるわけがないことが書かれていたととってしまったのだから、ぼくは、えらく混乱したけど、まあ、謙作ならそこまで行くのかもしれない、と恐らく思ったのだろう。
今、改めて冷静になって、ここを読めば、謙作の態度を難詰してくる末松に対して「お前は退いていてくれ」と言ったのだとしかとれない。どうしてそんな誤読をしたのか分からない。「魔が差した」ということだろうか。
うるさい、ゴチャゴチャ言うな、オレの問題はオレが解決してみせる、お前は邪魔だ、というのは、友人の末松にこそ向けられた気分だったのだとすれば、すっきりする。それしかないよね。
ここに、謹んでお詫びして訂正致します。(何度目か?)
さて、それでもなお謙作の「強烈なエゴイズム」は、「健在」だ。
謙作は、自分というものを度しがたいものとして捉えているし、その度しがたいものとの戦いとして自分の人生を捉えてもいるのだが、つまりそれだけ「自分」というものの存在を疑っていないのだといえる。
思想家の内田樹と精神科医の春日武彦の対談「健全な肉体に狂気は宿る」(2005・角川書店)の中で、内田は、いわゆる「自分探し」を批判して、自分なんてどんどん変わっていって、結局何だか分からないものなんだから探しても意味がない、というようなことを言っているが、謙作(あるいは志賀直哉)の場合は、探すまでもなく、ちゃんと「ある」。把握されている。ということは、その「自分」というものは、変化しないもの、度しがたいほど変化しないものとして把握されているのだ。
謙作が把握していた(あるいは把握していると思っていた)自分というものは、内田がいうような自分ではなくて、いってしまえば「近代的自我」とでもいうべきものなのだろうと思われるが、この点については深入りしない。いつか、言及できればいいとは思っているが。
さて、この本で、「ひきこもり」が話題となり、「ひきこもり」の原因となることの一つに「罪悪感」があるとの春日の指摘に、内田はこんなふうに言っている。
うーん、それは深刻だな。でも、いずれにしても、ソリューションの選択がちょっと早すぎるような気がするんですよ。罪悪感にしても、幼児虐待のトラウマにしても、とにかくレディメイドのお話にわりと簡単に乗ってしまうんじゃないですか。ひきこもりでも、解離症状でも、罪悪感でも、問題の生成プロセスは一人ひとり、みんな全然違うわけじゃないですか。
ひどい親だ、ひどい先生だ、ひどい学校だ、と言っても、実際はその「ひどさ」には無限のグラデーションがあるわけでしょう? その差異というか、微妙な違いをどうやってていねいに言語化するか、という努力を放棄して、するっとできあいの物語のパッケージにはまり込んでしまう。ぼく、その安易さがどうも気になるんです。
自分の身に起きている事柄には、「バリ」というか「バグ」というか、そういう「まだことばにできないような何か」、「できあいのストーリーでは説明できない余剰」があるわけでしょう。むしろ、その割り切れないところにその人の個性とか、スキームを書き換えるときの足がかりになるようなヒントがあったりすると思うんですけど、「バグ」や「ノイズ」を全部切り捨てて、できあいのチープでシンプルなソリューションに飛びついてしまう。
これって、バランスを崩した人が、池の真ん中の小さな石の上にパッと飛び移ったようなもので、たしかに当面の足場はあるけれど、そこから先はもうどこにも行けないし、元へも戻れなくなっている。問題の解決を急いで安手のソリューションに飛びつくとむしろ「出口なし」ということになりそうな気がするんです。
そういう行き止まり状況を打開して、そこから脱出するための手がかりというのは、実は自分の中にしかないんです。自分の中にあるほんとうに個性的な部分、誰にも共有されない部分、誰にもまだ承認されていないような傾向、そういうものしか最終的には足場には使えないとぼくは思うんです。
その誰にも共有されないもの、自分が他ならぬこのような自分であることを決定づけるような特異点を、何とかして主題化・言語化することで、自分がこの世界に存在することの必然性みたいなもの、宿命的なものを感知できる。そのときにはじめてそういう行き止まり状態から出られると思うんです。
でも、今問題にしているケースだと、自分の中の特異点を切り捨てて、わかりやすいソリューションに飛びついてしまったことで、苦境に陥っているわけですから。そもそも出口を自分で塞いで「出口なし」にしちゃったんだから。
自分というものは、結局のところ何だか分からないものだが、それでも自分の中に起きた問題というものを解決していくためには、出来合の「ソリューション」に飛びつくのではなく、自分をじっくり見つめていかねばならないということだが、特に、「自分の中にあるほんとうに個性的な部分、誰にも共有されない部分、誰にもまだ承認されていないような傾向、そういうものしか最終的には足場には使えないとぼくは思うんです。
その誰にも共有されないもの、自分が他ならぬこのような自分であることを決定づけるような特異点を、何とかして主題化・言語化することで、自分がこの世界に存在することの必然性みたいなもの、宿命的なものを感知できる。そのときにはじめてそういう行き止まり状態から出られると思うんです。」という指摘は、そのまま「暗夜行路」の「価値」を考える際に重要なことだと思われるのだ。養老孟司は、日本の私小説をこきおろして、こんなことを言っている。
なにしろいきなり「独立した自我」なんていわれても、フツーの人は、「そりゃ、俺のことか」と思うに違いなかったからである。それなら「俺ってなんだ」を具体的に吟味することになり、日本人は生真面目なところがあるから、自分が毎日することを懇切丁寧に記録し、それが私小説になった。だって、それ以外に、自分なんて、吟味のしようがないではないか。(「日本の無思想」2005・ちくま新書)
養老孟司には、私小説を論じた本もあるらしいから、ここだけを取り上げるのもどうかとは思うが、「私小説」がそんなに単純なものじゃないことは、「暗夜行路」を読めばよく分かる。もちろん、「暗夜行路」は純然たる私小説ではないけれど。
謙作が見つめていたのは、「自分の中にあるほんとうに個性的な部分、誰にも共有されない部分、誰にもまだ承認されていないような傾向」であり、それを何とかして「主題化・言語化」して、「自分がこの世界に存在することの必然性みたいなもの、宿命的なものを感知できる」ところまで行こうとしていたのだということになる。
「暗夜行路」を読んでいて、時折ぶつかる「わけのわからないもの」は、謙作のなかの「バグ」であり、「バリ」である。謙作の幼児期のそれこそ特異なトラウマも、さまざまある人間のトラウマの「無限のバリエーション」のひとつであり、その「差異」を、志賀直哉は、飽くことなく「ていねいに言語化」する「努力」をしてきたわけだ。
その果てにしか「行き止まり状態」からの脱出はない、と内田は言う。とすれば、謙作の「脱出」は、約束されたようなものではないか。それとも──。
志賀直哉『暗夜行路』 149 またまた誤読訂正 「後篇第四 六〜七」 その4
2024.5.28
どうもだんだんボケてきたのだろうか。「誤読問題」が続いている。
前回、どうもひどい誤読をしたようだといって、お詫びと訂正をしたばかりなのだが、ふたたび、お詫びと訂正をしなければならなくなった。これが「最終決着」だといいのだが。
「誤読」はどこにあったのか。
謙作はこれまで、暴君的な自分のそういう気分によく引き廻されたが、それを敵とは考えない方だった。しかし過去の数々の事を考えると、多くが結局一人角力になる所を想うと、つまりは自分の内にあるそういうものを対手に戦って来たと考えないわけには行かなくなった。直子の事も解決は総て自分に任かせてくれ。お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる。──自分が直ぐこれをいったのは知らず知らず解決をやはり自身の内だけに求めていた事に初めて気がついた。実際変な事だと思った。──
この中の「お前」が誰を指すのかということだ。前々回では、これを「直子」ととった上で、問題は直子の過ちなのに、その問題の解決から直子を排除してしまうことの理不尽を指摘したのだが、その後、いやいやそれはあまりに非常識だ、そんなことを直子に言うはずがないではないか、「お前」は末松に決まっている、そう考え直して、「お詫びと訂正」に至ったわけである。
しかし、それも間違いでないかと改めて思ったわけだ。
それは、この前後をちゃんと読むと、謙作はまだ末松に直子の過ちについて何も語っていないことが分かるからだ。末松は、謙作の水谷への態度に関して、謙作のエゴイスティックな態度を非難しているだけなのだ。それなのに、謙作がいきなり、「解決は総て自分に任かせてくれ」とか「お前は邪魔だ」など言うわけがない。もし末松がそんなことを言われたら、この後、末松が穏やかに話していることが納得できない。
こういうわけで、やっぱり前々回にぼくが書いたことは、間違いではなかった。前回の「お詫びと訂正」こそが間違いだったということになる。
しかし、それにしても、なぜこんな「誤読問題」が生じたのかを考えてみると、負け惜しみじゃないけど、志賀直哉の書き方が分かりにくいということに原因の一端がある。「自分が直ぐこれをいったのは」という部分だ。「直ぐ」という言葉が突然出てくる。「何から直ぐ」なのかが明示されない。最初の読みでは、直感的に、直子の告白を聞いて直ぐだと思ったわけだが、結局はそれが正しかったらしい。しかし、いくらなんでも、過ちの当事者を「邪魔」だというのは、エゴイズムにもほどがある、という「常識」が、「誤読」を引き起こした。謙作自身が「実際変な事だと思った」と言っているわけだが、ほんとに変だ。でも、それが正解だった、としか今は思えない。
というわけで、前回分は、そっくりそのまま削除したいところだが、関連して引用した内田樹の文章が貴重なので、煩雑だがそのまま残し、恥をさらしておくことにしたい。
さて、気を取り直して先へ行こう。
大津からの電車はなかなか来なかった。
謙作はぼんやり前の東山を見上げていたが、ふと異様な黒いものが風に逆らい、雲の中に動いているのに気がついた。そして彼は瞬間恐怖に近い気持に捕えられた。風で爆音が聴こえなかったためと、こんな日に如何にも想いがけなかったためと、その姿が雲で影のように見えていたためとで彼の頭にはそれが直ぐ飛行機として来なかったのだ。
機体は将軍塚の上あたりを辛うじて越すと、そのまま、段々下がって行き、しまいには知恩院の屋根とすれすれにその彼方(むこう)へ姿を隠してしまった。
「きっと落ちたぜ、円山へ落ちた。行って見ようか」
陸軍最初の東京大阪間飛行で、二人とも新聞では知っていたが、今日はまさか来まいと思っていた。それが来たのだ。
二人はそのまま粟田口の方へ急ぎ足に歩いて行った。
ここに描き込まれている事故は、実際にあった事故らしい。
このエピソードを描き込んで、「第六」は終わる。「第七」は、そのまま飛行機事故のことから書き始められる。
二人は円山から高台寺の下を清水の方へ歩いて行った。何処でも飛行機の噂をしているものはなかった。朝の新聞でもしそれを見ていなければ謙作は先刻(さっき)の機体を自分の幻視と思ったかも知れない。それほどそれは朧気にしか見えなかったし、またそれほど彼の頭にも危なっかしい所があった。彼は甚(ひど)く空虚な気持で、末松に前夜の事を話そうか話すまいか、迷いながら、絶えず他の事を饒舌(しゃべ)り続けていた。実は話すまいと彼は決心しているのだ。しかしその決心している自身が信用出来なかった。
墜落してゆく飛行機の姿が幻視と思えるほどに、謙作の頭は「危なっかしい」ところがあった。冷静さを欠いている謙作の心理的状況をうまく描いている。
彼は前にも尾道でちょっとこれに近い気持になった事がある。それは自分が祖父と母との不純な関係に生れた児(こ)だという事を知った時であるが、その時はそれを弾ね返すだけの力が何所(どこ)かに感ぜられた。そして実際弾ね返す事が出来たのだが、今度の事では何故かそういう力を彼は身内の何所にも感ずる事が出来なかった。こんな事では仕方がない、こう思って、踏張(ふんば)って見ても、泥沼に落込んだように足掻(あが)きがとれず、気持は下ヘ下へ沈むばかりだった。独身の時あって、二人になって何時(いつ)かそういう力を失ってしまった事を思うと淋しかった。
自分に自信が持てず、空虚感を抱えている状態を、自分の出生の秘密を知った「尾道」時代にまで遡って重ねている。謙作も歳をとって(といってもまだ30歳前後)、気力が衰えたというわけだが、独身の時にあった「力」が、結婚したらなくなったというのは、どういうことなのだろうか。なんとなく分かるような気もするが、実感的には分からない。というのは、ぼくは23歳で結婚したので、いわゆる「独身時代」というのをほとんど経験したことがないからだ。
結婚というのは、どこかで男の活力を削ぐものなのだろうか。
志賀直哉『暗夜行路』 150 密雲不雨 「後篇第四 七」 その5
2024.6.14
疲れ切った謙作は、茶屋に入り、末松にことの次第を話そうとするが、なかなか切り出せない。
少時(しばらく)して二人は二年坂を登り、其所(そこ)の茶屋に入った。謙作は縁の籐椅子に行って、倒れるように腰かけたが、今は心身の疲労から眼を開いていられなかった。節々妙に力が抜け、身動きも出来ぬ心持だった。これは病気になったのかも知れぬと彼は思った。そして、
「茶が来たよ。そっちへやろうか」末松にこう声をかけられた時には謙作はいつか、眠りかけていた。
「どうしたんだ」
「寝不足なんだ。それにこの天気でどうにもならない」
謙作は物憂い身体を漸く起こすと敷居際から這うような恰好で、自分の座蒲団へ来て坐った。
「大変な参り方じゃあないか」
「実は君に話したい事があるんだ。しかしそれを話すまいと思うんでなおいけない」
末松はちょっと変な顔をした。
「…………」
「持て余しているんだ。僕の気持の上の事だが」
しかし謙作はまだいうまいと思っている。いえばきっと後悔する事が分っていた。
「気持の上の事?」
「ああ、丁度今日の天気見たように不愉快な気持なんだ」
「どういうんだ」
「何れ話す。しかし今日はいいたくない」
今日の「天気」が重要な役割を果たしている。今日の天気のために、からだがいうことをきかない。今日の天気のように不愉快な気持ちだ。謙作は、天気の支配下にある。この天気は、謙作の感情そのものだ。
謙作は、末松に、以前末松がその関係に悩んでいた商売女のことに話題を転じる。嫉妬に苦しんでいた末松の気持ちと自分の気持ちを比べてみようと思ったわけだが、末松の場合は女に対する疑心暗鬼が問題だったのに対して、謙作の場合は、問題はすでにはっきりしているという違いがあった。少しずつ、謙作は語り始める。
「疑心暗鬼ではない。しかし事件としては何も彼も済んでいて、迷う所は少しもないのだ。ただ、僕の気持が落ちつく所へ落ちつかずにいるんだ。それだけなんだ。それは時の問題かも知れない。時が自然に僕の気持を其所まで持って行ってくれる、それまでは駄目なのかも知れないんだ。が、とにかく今は苦しい」
「…………」
「しかし一方ではこうも思っている。今直ぐ徹底的に僕が平和な気持になろうと望むのはかえって、自他ともに虚偽を作り出す事だとも。その意味で、取らねばならぬ経過は泣いても笑っても取るのが本統だという考えもあるんだ」
「…………」
「抽象的な事ばかりいっているが、そうなんだ」
「大概分ったような気がする。そしてそれは水谷に関係した事なのか?」
「いや、直接関係した事ではない。露骨にいえば水谷の友達で直子の従兄がある。それと直子が間違いをしたんだ」
「…………」
「それも直子自身に少しもそういう意志なしに起った事で、僕には直子が少しも憎めないのだ。再びそれを繰返さぬようにいって心から赦しているつもりなのだ。実際再びそういう事が起こるとは思えないし、事実直子にはほとんど罪はないのだ。それで総てはもう済んだはずなんだ。ところが、僕の気持だけが如何しても、本統に其所へ落ちついてくれない。何か変なものが僕の頭の中でいぶっている」
告白された直後、謙作は、とっさに観念的に事態を捉えることで、なんとかダメージを最小限に食い止めようとしているようにみえる。これは人間の自衛本能なのかもしれない。
「事件としては何も彼も済んでいて、迷う所は少しもない」というが、現実には「事件」はまだ始まったばかりで、「迷う」ところばかりだ。けれども、事実としては、妻は過ちを犯し、それを謙作に告白したが、謙作は、妻にはほとんど罪はないと考え、赦したつもりになっている。それでもう「事件」は終わりだとするのだ。ただ、「僕の気持が落ちつく所へ落ちつかずにいる」ことが苦しいという。この「僕の気持ち」の問題は、時間の問題で、いずれ解決するだろうと言うのだ。もちろん、それは当座の頭の中での解決で、真の解決にはほど遠い。本当に厄介な問題は、「僕の気持ち」なのだ。
謙作は、直子の告白を聞いた直後に、お前は邪魔だ、俺がこの問題を解決するんだと言い放ったのだが、それがどれだけ間違った認識だったのかを、あとで痛いほど知ることとなる。けれども、まだ、この時点では、謙作は、自分の感情が、あるいは肉体が、どれほどのダメージを受け、それがどんな行動を自分にとらせることになるのか知るよしもなかったのだ。
いくら謙作が直子を「赦したつもり」になっていても、直子に「罪はない」と思っていても、それは謙作だけの勝手な判断にすぎない。それで「事件」が終わるわけではない。直子がどう思っているかが肝心なことで、直子は「赦された」と単純に思っているはずはない。「赦したつもり」の謙作が直子に憎しみをほんとうに感じないかといえば、それもおぼつかない。憎しみは、持続するとは限らない。波のように繰り返し打ち付けるかもしれないのだ。
その予兆のようなものを、「何か変なものが僕の頭の中でいぶっている」と表現していると言えるだろう。
謙作の話を聞いて、末松は、時の経過を待つしかないが、それとともに、感情を意志で乗り越えるべきだと言う。
「それは君のいうように時の経過を待つより仕方ないかも知れない。現在はむしろそれが自然だよ」
「それより仕方のない事だ」
「無理な註文かも知れないが、事件として解決のついた事なら、余り拘泥しない方がいい。拘泥した所で、いい結果は生れないから。つまらぬ犠牲を払うのは馬鹿馬鹿しい」
「ただ、当事者となると、よく分っている事で、その通り気持が落ちついてくれないのが始末に悪いんだ」
「本統にそうだ。しかし意志的にも努力するのだな。そうしなければ直子さんが可哀想だ。感情の問題には相違ないが、君のように事件が十二分に分っているとすれば、感情以上に意志を働かして、それを圧えつけてしまうのは人間としても立派な事だと思う」
「君のいう事に間違いはない。しかし僕としてはそれは最も不得手な事だからね。それとたとえ直子に罪がなかったとはいえ、僕たちの関係からいえば今まで全然なかったもの、あるいは生涯ないとしていたものが、出来た点で、今までの夫婦関係を別に組み変える必要があるような気がするんだ。極端な事をいえば仮に再び同じ事が起っても動かないような関係を。──もっとも、こんな事をいうのからして、君のいう事を本統に意志してない証拠かも知れないが」
「まあ、それは無理ないと思うけど……」
「密雲不雨という言葉があるが、そういう実にいやな気持がしている」
「それはそうだろう。しかしとにかく、君にとって、これは一つの試練だから、そのつもりで充分自重すべきだな」
時の経過を待つよりしかたがないという末松だが、「事件として解決のついた事なら、余り拘泥しない方がいい」という。しかし、これもまた観念的な言い方だ。ついさっき起きた(少なくとも謙作の心の中で起きた)事件が、すでに解決済みということはないだろう。頭では解決していても、謙作の感情がついていかないのだから、それを「解決」とはいえない。いろいろと「拘泥する」ことがあるから、謙作の心も落ち着かないのだ。「時の経過を待つ」というのは、座してただのうのうと待つことを言うのではない。むしろ謙作の言うように、「取らねばならぬ経過は泣いても笑っても取る」ことだ。その「経過」には、当然ながら様々な「拘泥」があるはずだ。相手をなじり、追求し、罵倒し、といったそれこそ泥まみれの「経過」があるはずだ。その「経過」がなくて、「赦す」ことなどできるはずがないのだ。
お前は邪魔だと直子に言った謙作も、この「事件」が「夫婦関係」の中で起きていることを知らないわけではない。しかし、この「事件」が、夫婦関係の根幹を揺るがすものだとまでは、まだ感じていない。
だから、「たとえ直子に罪がなかったとはいえ、僕たちの関係からいえば今まで全然なかったもの、あるいは生涯ないとしていたものが、出来た点で、今までの夫婦関係を別に組み変える必要があるような気がするんだ。極端な事をいえば仮に再び同じ事が起っても動かないような関係を」というようなトンチンカンなことを考えるのだ。ことは、そんなに単純に観念的に運ぶものではないことも、やがて謙作は知るはずだ。
「密雲不雨」という天候に関する言葉が、この後の展開を見事に暗示する。「密雲不雨」とは、「兆候はあるのに、依然として事が起こらないことのたとえ」だが、謙作は、夫婦関係の新たな姿を模索しながら(たとえトンチンカンであったとしても)、「事件」が決して解決済みではないことを実は痛切に感じ取っているのだ。むしろ、これから何が起きるのか、不安の真っ只中にいるといったほうがいいのだろう。
そしてこの「七」は、二人が見た飛行機が、深草に不時着したという号外の件を挿入して終わる。夫婦関係の崩壊を暗示するかのような不気味な幕切れである。