志賀直哉「暗夜行路」を読む (7) 65〜73

前篇第二 (九)〜(十二)

引用出典「暗夜行路 前篇」岩波文庫 2017年第11刷

 引用文中の《  》部は、本文の傍点部を示す。

 


 

志賀直哉『暗夜行路』 65  記憶力 「前篇第二  九」 その1 2020.12.13

 

 信行からの返事が届かぬうちに、謙作は尾道を引き上げた。軽い中耳炎にかかり、尾道には耳鼻科がなかったからだが、それ以上に、ここでの日々に起きたことが苦しいことばかりだったからだ.

それにしても、尾道に耳鼻科医院がない、というのも驚きだ。広島か岡山まで行かないと、耳鼻科専門の医者がいなかったという。当時の医療体制というは、そんなものだったのかと、改めて認識した。

 さて、謙作は、汽車に乗った。急行は尾道にはとまらないので、普通列車に乗り、姫路で急行に乗り換える予定だった。

 客車の中は割りに空いていた。それは春としては少し蒸暑い日だったが、外を吹く強い風が気持よく窓から吹込んで来た。彼は前夜の寝不足から、窓硝子に頭をつけると問もなく、うつらうつらし始めた。やがて騒がしい物音に物憂く眼を開くと、いつか岡山の停車場へ来ていた。彼の前に坐っていた、三人連れの素人か玄人か見当のつかない女たちが降りて行くと、そのあとに二人の子供を連れた若い軍人夫婦が乗って来た。軍人は背の高い若い砲兵の中尉だった。荷の始末をすると、膝掛を二つに折って敷き、細君と六つ位の男の児、それからその下の髪の房々した女の児とを其処へ坐らせた。そして自身は其処から少し離れて、腰かけの端へ行って腰を下ろした。

 

相変わらずこういう描写が志賀直哉はうまい。昔の客車は、どんな人が相席するのかが楽しみでもあった。そんな時代をぼくも幾度となく経験している。
それにしても、軍人が一目で、「砲兵の中尉」だと分かるのは、胸とかにつけた徽章によるのだろう。学校の制服というものも、こうした軍服の仕様を引き継いだものであることがよく分かる。

 「素人だか玄人だか見当のつかない女たち」って、どんな格好をしていたのだろうか。当時は「玄人」は、やっぱりそれらしい格好をしていたのだろうが、今では、そんなことは見た目では分からない。

 軍人にしろ、「玄人」にしろ、昔は、その外見でどういう階級か、どういう筋の人かが、一目で分かったということだろう。それがいいのか悪いのか分からないが、それはそれで面白いなあと思う。

 姫路につく一時間ほど前から目覚めた謙作は、ずっと軍人親子の様子を見ている。こうした詳しい描写は、あの「網走まで」を思い起こさせるものがある。

 

 前の席にいた男の児(こ)は二つ折の毛布の間に挟まって、寝ころんだ。すると、女の児もそうして寝たがった。若い、しかし何処か落ちついた感じのある母親は窓硝子に当てていた自身の空気枕を娘のために置いてやった。男の児は父親の方を、女の児は母親の方を枕にして寝た。女の児は喜んだ。母親自身は空気枕の代りに小さいタウルを出し、幾重(いくえ)にもたたんでまた窓硝子へ額をつけた。
 「お母様、もっと低く」と娘が下からいった。
気を少し出してやった。
 「もっと低く」
 母親はまた少し出した。
 「もっと」
「そう低くしたら枕にならんがな」
 女の児は黙った。そして眼をつぶって、眠る真似をした。
 軍人は想い出したようにポッケットから小さい手鏡を取り出した。それからまた小さいチューブを出し、指先きにちょっと油をつけて、さも自ら楽しむように手鏡を見つめながら、短く刈って、端だけ細く跳ね上げた赤いその口髭をひねり始めた。
 細君は最初、タウルの枕に顳?(こめかみ)をつけたまま、ぼんやり見るともなく見ていたが、軍人が余り何時までも髭を愛玩しているのに、細君の無表情だった顔には自然に微笑が上って来た。細君は肩を少し揺すりながら声なく笑った。が、軍人は無頓着になお油をつけ、髭の先を丹念に嵯(よ)り上げていた。
 眠れない子供たちは眼をつぶったまま、毛布の中で蹴り合いを始めた。もくもくと其処が持上った。女の児の方が一人忍び笑いをした。
 軍人は鏡からちょっと眼を移し、二人を叱った。細君は黙って微笑していた。
 しかし男の児はなお乱暴に女の児の足を蹴った。毛布がずり落ちて、むき出しの小さい脛(すね)が何本も現われた。二人はとうとう起きてしまった。
二人はそれから二つの窓を開け、その一つずつを占領して外を眺め始めた。外には烈しい風が吹いていた。男の児は殊更(ことさら)窓の外に首を突き出し、大声に唱歌を唄った。女の児は首を出さずにそれに和した。風が強く、声はさらわれた。男の児は風に逆らってなお一生懸命に唄った。それでもよく聴えないと、わざわざ野蛮な銅鑼声(どらごえ)を張上げたりした。風に打克(うちか)とう打克とうと段々熱中して行く、其処に子供ながらに男性を見る気が謙作にはした。彼はそれが何となく愉快だった。
 「やかましいな!」と不意に軍人が怒鳴った。女の児は吃驚して、直ぐやめたが、男の児は平気で、やめなかった。細君はただ笑っていた。

 

 この前の、信行の手紙や謙作の返事を読んだあとでは、なんとも清々しい光景で、心が洗われるような気さえする。おそらく謙作もそうした気分を味わったのだろう。

 こうした細かく生き生きとした描写を見ると、これは志賀直哉が実際に見た光景なのではないかと疑われる。尾道からの帰途ではなくても、どこかで最近、つまりはこの文章の執筆時に近い時に、車内でこんな光景を見たのではないかと思ってしまう。しかし、志賀直哉は驚くべき記憶力の持ち主だというから、この光景も、尾道からの帰途にほんとうに見たのかもしれない。

 若い軍人のどこか子どもっぽい仕草、それを笑って見ている妻。じゃれあう子どもたち。風にむかって銅鑼声を張り上げる男の子に、どこか共感する謙作。いい場面だ。

 謙作は、疲れていたし、耳の具合もよくなかったが、姫路で下車する。東京を発つとき、お栄から「明珍の火箸」を買ってきてくれと頼まれたからだ。

 「明珍の火箸」なんて、聞いたこともなかったが、調べてみれば、今でもある有名な火箸だ。「もうない」と思っていたものが、「まだある」と分かったということが、この「暗夜行路」読書の過程で何度もあった。これも、読書の功徳のひとつ。

 謙作は白鷺城(原作には「はくろじょう」とルビがある)を見物し、車夫に「お菊神社」に連れて行かれる。そこでは「お菊虫」の話を聞いて、それを買い求める。どうやら「播州皿屋敷」がらみの妖怪らしいが、これも調べてみると、ジャコウアゲハのサナギとか、いろいろな説がある。


 五時頃姫路へ着いた。急行まではなお四時間ほどあった。彼は停車場前の宿屋に入り、耳の篭法を更え、夕食を済ますと、俥で城を見に行った。老松の上に釜え立った白壁の城は静かな夕靄の中に一層遠く、一層大き<眺められた。車夫は士地自慢に、色々説明して、もう少し側まで行って見る事を勧めたが、彼は広場の入口から引き返さした。それから、彼はお菊神社というのに連れて行かれた。もう夜だった。彼は歩いて暗い境内をただ一卜廻りして、其処を出た。お菊虫という、お菊の怨霊の虫になったものが、毎年秋の末になると境内の木の枝に下るというような話を車夫がした。
 明珍の火箸は宿で売ると聞いて、彼はそのまま俥を宿の方へ引き返さした。彼は宿屋で何本かの火箸と、お菊虫とを買った。その虫に就いては口紅をつけたお菊が後手に縛られて、釣下げられた所だと番頭が説明した。


 さすがにこういうことになると、尾道からの帰途に志賀が実際に姫路に立ち寄って、「明珍の火箸」だの「お菊虫」だのを買ったことがあるということだろう。やっぱりすごい記憶力だ。それともメモでもしていたのだろうか。

 それよりなにより、謙作がお栄の頼みをちゃんと覚えているというのがすごい。(ぼくなら絶対忘れる、って自信をもって言える。)やっぱりお栄への思いが強いということなのだろうか。それとも「明珍の火箸」というものが、それほど貴重なものだったのだろうか。

 ぼくが若いころは、外国へ行くという知人がいると、やれ、ジョニグロを買ってきてくれとか、シャネルの香水を買ってきてとか、そんなことを真面目に頼む人たちがいたものだが、まあ、それと同じようなもんだったのだろう。

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 66  食卓の光景 「前篇第二  九」 その2  2020.12.21         

 

 急行は九時だった。寝台をとる事が出来て彼は直ぐ横になった。そして起きたのは静岡近くで、もう日が昇っていた。静岡で東京の新聞を買ったが、出てからまるで見ない東京新聞が変に懐かしかった。富士を見、襞?(ひだ)の多いの山々を見ても彼は何となく嬉しかった。沼津から乗り込んだ一卜家族の東京弁も気持よかった。
 彼は早く東京へ入りたい気持で一ぱいになった。近づくほど、待ち遠しくなった。国府津、それから、大磯、藤沢、大船、こう、段々近づくと、彼はむしろ短気な気持になって行った。時間つぶしに困った彼は、羽織の紐の嵯(よ)り返しになっている房の一本一本を根気よく数える無意味な事で、漸く気紛(きまぎ)らしをした。
 お栄には前日姫路から電報を打っておいた。多分新橋へ迎いに出ているだろうと思った。彼にはお栄と顔を合す瞬間の具合悪さがちょっと想い浮んだ。が、何(いず)れにしろ、もう二、三十分で会える事は嬉しかった。

 謙作の乗った急行列車は東京へ近づく。姫路発9時。

 「出てからまるで見ない東京新聞」「富士を見、襞?(ひだ)の多いの山々」「沼津から乗り込んだ一卜家族の東京弁」──「新聞」「自然」「言葉」、そのどれもが謙作には懐かしく、喜ばしい。だんだんとグラデーションが東京っぽく濃くなっていく。そのグラデーションの一番濃いところにお栄がいる。高鳴る謙作の胸の鼓動が聞こえるようだ。

 結婚を申し込んだが断ってきたお栄との気まずさは当然あるだろう。それでも、お栄に会えることのほうが嬉しい。


 間もなく、汽車は速力をゆるめ始めた。プラットフォームヘかかる前から、彼は首を出し、それらしい姿を探した。そして、彼は直ぐそれを見出した。お栄も此方(こっち)を見ているので、手を振ったが、見ていると思ったお栄は間抜な顔をして、直ぐ見当違いの窓をしきりに眼で追っていた。彼はいくつかの小さい荷物を赤帽へ渡すと、急いでその方ヘ歩いて行った。
 五、六歩の近さで漸く気がつくと、お栄は今までの不安そうな様子から急に変って駈けよって来た。「よかった。よかった」とこんな事をいった。そして、
 「まあ、如何(どう)して?」とお栄は彼の罨法(あんぽう)の頬被りに驚いて訊いた。
 「ちょっと耳が悪かったが、もう今は痛くないんです」謙作は予期通り嬉しかった。会って具合悪いような事もなかった。いつものお栄だった。そしてそういう事は少しも念頭にない風に見えた。殊更そうしているとも見えなかった。

(注:【罨法】患部に温熱(温罨法)または寒冷(冷罨法)の刺激を与えて、炎症や充血、疼痛を緩和し、病状の好転、患者の自覚症状の軽減をはかる治療法。)

 

 プラットフォームで謙作の姿を探すお栄の様子も印象的。短い描写しかないが、映画を見ているような気分になる。たぶんそれは、「汽車は速力をゆるめ始めた」という謙作の側の視点の移動があるからだろう。

 お栄の様子の自然さは、「殊更そうしているとも見えなかった」とあるとおり、とりつくろったものではなさそうだ。それが、お栄の人柄をよく表している。恐らく、お栄にとっての謙作は、息子のように大事な人ではあっても、恋の相手ではないということだろう。それを十分に分かっていながら、お栄との結婚を望む謙作のほうに、ムリがある。


 一緒に人込みを歩きながらお栄はなお二タ言三言、耳の事を訊いた。「でも、早く帰って来て下すってよかったわ」讃めでもするようにいった。が、急に声を落として、
 「謙さん、瘠せましたよ。もう、これからそんな処ヘ一人で行くのはおやめですね」ともいった。謙作はただ笑っていた。
 「信さんへは先刻(さっき)会社の方へ電話をかけさしたの。帰りに寄るという御返事でした」
 「そう」
 改札口に膝掛を抱えた、出入りの車夫が待っていた。彼はそれに赤帽の荷を渡し、チッキの荷も頼んで、お栄と一緒に電車で帰る事にした。
 「お昼はまだでしょう?」
 「ええ」
 「自家(うち)にも何か取ってあるけど、何処かへ行きますか?」
 「僕は何(ど)うでもいいが」
 「尾の道は御馳走がありまして?」
 「魚はいいのがあるんだが、何しろ自分じゃあ作れませんからネ」
 二人は清賓亭の前を通って行った。謙作はお加代でもお鈴でもそういう連中に見られたくない気持から、なるべく俯向き勝ちに歩いて行った。
 電車通りに出ると、お栄はもう一度、
 「どう? 何方(どっち)がいいの?」といった。
 「そんなら、行きましょう。久しぶりで、西洋料理が食いたい」
 二人はそれからそう遠くない、風月堂へ行った。


 こういう二人の描写を読むと、恋人同士のようにも見えるし、夫婦のようにも見えるが、「讃めでもするようにいった」あたりに、やはり保護者としてのお栄が見える。その後の会話でも、率先して話すのはお栄で、謙作はただそれに受け答えするだけだ。我の強い謙作にとっては、こうしたお栄といるときが、不思議と心が安まるのだろう。

 風月堂で食事をしたあと、謙作とお栄は家に帰ってくるのだが、風月堂での食事の光景は省かれている。風月堂へ行く前と、出た後が書かれる。

 こうしたことはうっかりすると見逃してしまうが、小説の流れとしては注目に値する。この風月堂で食事をしながら、いったい二人はどんな話を、どんなふうにしたのだろう。お栄には尾道での謙作の暮らしぶりに興味があるようだが、家に帰ってからも、尾道のことを尋ねていることからすると、そんな話題はなかったのだろう。それでは結婚問題だったのか。それもなさそうだ。

 たわいもない話をぼつぼつとしながら、静かに西洋料理を食べている二人が目に浮かぶ。西洋人の男女なら、ありえないような食卓の光景である。

 二人は家に戻ってくる。

 

謙作は先ず二階の自分の書斎へ入って行った。額も机も本棚も総てが出かける前の通りだった。むしろきちんと整づいていた。床に椿などの生けてあるのがかえって自分の部屋らしく見せなかった。


 すべてが元通りなのだが、きれいに整えられた書斎、床に生けられた椿。そうした端々にお栄の心遣いが感じられる。特に、謙作の部屋には「不似合い」な床の椿が印象的だ。言葉にはならないお栄の謙作への気持ちが、この椿に凝縮されているような気さえする。


 「やっぱり自家(うち)が一番いいでしょう?」こんな事をいいながらお栄も昇(あが)って来た。
 「大変立派な家へ来たような気がする」
 「尾の道ではきたなくしてた事でしょうネ。男鰥(おとこやもめ)に蛆が湧くというから。蛆が湧かなかったこと?」
 「隣りの婆さんがよく掃除をしてくれるので割に綺麗でした」
 「ああお風呂が丁度いいの。直ぐお入りなさい」

 この五つの会話は、小気味いい。特に、「隣りの婆さんがよく掃除をしてくれるので割に綺麗でした」と謙作が答えているのに、それには触れずに、風呂に入れという、この間合い。

 「割に綺麗でした。」との答を聞いて、お栄は、にっこり笑ったのだろうか。舞台なら、演出の腕の見せ所だが、ここには何も書かれていない。一種の「余白」である。その余白を残して、「ああお風呂が丁度いいの。直ぐお入りなさい」というセリフを書いて、「九」は突然終わる。

 それにしても、お栄はとても魅力的な女性だ。ネチネチしたところがなくて、さっぱりしているけど、それでいてやさしい思いやりにあふれている。

 謙作はこれからどうするのか?

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 67  耳鼻科と、ちょっと美しい女 「前篇第二  十」 その1 2020.12.23

 

  謙作は風呂へ入ると、そう遠くない、耳鼻咽喉専門のT 病院へ往った。前に咲子が暫く入っていた事のある病院で、時間外でももしいれば見てもらえるだろうと思ったのだ。
彼の耳は一卜晩痛んだだけで、今はもう痛みはなくなっていた。ただ、耳のわきで、指先を擦合せると、いい方ではサリサリとよく聞えるが、悪い方ではそれが少しも聞えなかった。そして何となく重たい、鬱陶しい気持があった。
 医者は和服のまま、反射鏡をくわえて直ぐ診てくれた。
 「ええ……大分充血してます。大した事はありますまい。中に少し水が溜ってるようですから、切ってちょっと出しておきましょう」こう手軽そうにいった。
 医者は壁の帽子掛から白い仕事着をはずし、無雑作に和服の上から着た。
 肥った、若い看護婦が昇汞水(しょうこうすい)を湛えたヴァットから小さい矛(ほこ)のようなメスや、細いピンセットなどを、ガーゼの上へ並べていた。
 「電気はまだ来ないかネ?」
 看護婦は壁のスウィッチをひねったが、まだ来ていなかった。
 「よしよし」と医者はいった。実際西向きの窓にはまだ、陽があった。看護婦は柄のついた短い針金の先に何本も綿を巻きつけた。
 手術は直ぐ済んだ。鼓膜にメスの触れた時、ゴソッといやに大きな音がした。同時にチクリとした。そして、最初、そのメスが触れた時に彼はそれを大きなものに感じた。それだけだった。いやに手軽そうにいいながら実際は痛い事をするのではないかという気もしたが、医者の言葉通り、それは手軽く済んだ。
 「思ったより沢山出る」医者は綿を巻いた針金を差し込んで、中の水を何本もそれヘ吸い取らせた。綿には血がついて来た。医者は薬をつけ、罨法をすると、翌日午前中、また来るようにいった。彼は待合室で薬の出来るのを待っていた。


 耳鼻科でのちょっとした手術の描写だが、やっぱり見事なものだ。古めかしい病院の室内が眼に浮かぶようだ。

 「医者は和服のまま、反射鏡をくわえて直ぐ診てくれた。」とあるが、「反射鏡」は、「くわえる」ものだったのだろうか。おそらく、ベルトを頭に巻くのがメンドクサイので、くわえたのではなかろうか。「反射鏡をくわえて診た」あとに、「白い仕事着」つまりは白衣を着て手術にとりかかる。ここにも、この医者の「手軽さ」がよく現れている。

 看護婦が若くて肥っているという情報はいらないが、じゃあ「看護婦が」だけでいいのかというと、そうでもない。若くて肥った看護婦のおそらくは白くてふっくらした手の指が、メスやピンセットを「昇汞水を湛えたヴァット」から取り出し、「ガーゼの上へ並べていた」わけだ。尖った銀色と肥った若い看護婦の手の指が、なぜか美しい。

 「電気はまだ来ないかネ?」というのは、どういうことなのだろうか。当時の電気は、夕方にならないと「来ない」ものだったのだろうか。きっとそうなんだろう。

 なぜ、医者はその「電気がまだ来ない」ことに対して「よしよし」というのか。それは「西向きの窓にはまだ、陽があった」からだろう。この二つをつなぐ「実際」という言葉の意味合いが存分に生かされていて、余計な説明をしなくてすんでいる。

 窓からさし込む夕日に照らされて、肥った若い看護婦の白い指が、「柄のついた短い針金の先に何本も綿を巻きつけた」のだ。鮮やかだ。

 その後の簡易な手術の様子も、実に手短に、それでいて、必要にして十分な情報を伝えている。


彼は去年の秋、青年をおだてて咲子へ手紙を寄越させたあの女の事を憶い出していた。来るまで、彼はそれを全く忘れていたが、今の看護婦がその女でないので、初めて憶い出した。
「あの女はどうしたかしら?」こう思い、彼はそれと会う事を何という事なし、恐れた。幸に、その女は出て来なかった。

 

 「あの女」というのは、ここにも書かれているように、謙作の妹への恋文をある青年に書かせたT病院の看護婦だ。だいぶ前のことなので、ちょっと引用しておく。

 

翌日起きると、前日出した手紙(謙作が青年に出した手紙)の返事が来ていた。平詫(あやま)りに詫った手紙だった。実は御妹様は写真で拝見したばかりで、自分にはそれほどの考はなかったのですがT 病院の看護婦に勧められてあんな手紙を差出しました。もしこの事が松山様に知れでもしましたら私一身にとり由々しき事に相成るべく、御慈悲を以て何とぞ何とぞ御海容被下(くだされ)たく云々。T 病院というのには一年ほど前咲子が入っていた事がある。そしてその看護婦は謙作も覚えている。ちょっと美しい女だった。

 

(第一・10)

 

 とあるわけだが、この咲子をめぐる話はこれで終わってしまい、謙作の放蕩がこの後に始まるのだ。

 この話が出て来る直前には、清賓亭の「コケティッシュ」なお加代にちょっと気持ちが冷えてきたことが書かれていて、そうした過程で、別の「ちょっと美しい女」に眼が行ったということだったのだろう。

 それからだいぶたってのこの場面で、この「ちょっと美しい」看護婦のことがぶりかえしてくる。ここで初めて、その看護婦とのちょっとしたいきさつが語られる。

 彼はその女を嫌いではなかった。ちょっと美しい女だったばかりでなく、何処か賢そうな所があり、一方食えない感じもあったが、彼に対しては割りに慎み深く、彼が話しかけるような場合にも、よく看護婦などにある型の、《いや》にハキハキ切口上(きりこうじょう)で返事をする、そういう方ではなかった。笑いながらむしろ好んで曖昧な返事ばかりしていた。その頃彼は大学で同じ科にいた人々の始めた或る同人雑誌に二、三度、短い小説を出した。それを咲子が話したと見え、ある時、看護婦は咲子の口を通して、その雑誌を貸してもらいたいといった。そういったのはその女が謙作の書いたものを見たいといっている事──自身のついている病人の兄の書いたものを見るという興味──とはわかっていた。が、謙作は他から借りて見るのは差支えないが、自身で自身のものをわざわざ見せに持って行く気はしなかった。彼は自身の物のある号だけを除き、七、八冊の雑誌を置いて来た。その次ぎ行くと、黙って笑っている看護婦の代りに咲子が、不平をいった。そして間もなく咲子は退院し、それから一年ほどして、前に書いたように或る青年が咲子に手紙を寄越したのである。彼がそれに叱言(こごと)をいってやると、その看護婦に勧められて出したものだと、その青年は平詫りに詫って来た。その時、彼はその女が見かけによらずいわゆる不良性のある女だったと思って、ちょっといやな気がした。自分の書いたものなど、見せずによかったとも思った。
 彼は子供らの立騒いでいる夕方の往来を帰りながら、そんな事を憶い出していた。あの女は今もあの病院にいるかしら? 全体、あの青年は自分のやった手紙をあの女に見せたろうか? あの女が何も知らなければいいとして、そうでなければ、両方で具合悪そうだと思った。そしてそう思う裏に、彼は知らず知らずその女に対する漠然とした下等な興味を起していた。その女に不良性のある所に起る興味であった。

 これだけの関わりだから、たいしたことではないのだが、それにしても、なんともチマチマした、いじけた話である。自分が書いた作品を女が読みたがっているということを知っていながら、わざわざ自分の作品の「載っていない」号だけを貸してやるとか、それを黙って笑っている看護婦とか、どういうつもりだったのか分からないが、謙作の妹への恋文を青年にけしかけるとか、なんだか、謙作もその看護婦も、その気持ちの動きが分かりにくい。挙げ句の果てに、その看護婦に「不良性」を感じた謙作は、その看護婦に「漠然とした下等な興味を起していた」というのだ。ま、悪い女にひっかかりそうになった、ということだろうから、分からなくもないが。

 この看護婦とのことは、これ以上は発展しそうもないが、どうしてこんな話をここにまた改めて書いたのだろうか。

 謙作は、恐らく、みずからの「下等な興味」に拘っているのだろう。それはこの後の話を読むと分かりそうだ。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 68  思いがけない気持ち 「前篇第二  十」 その2  2021.1.7           

 

 耳鼻科から帰ると、兄の信行が待っていた。お栄は、甲斐甲斐しく食事の支度をした。謙作が帰る前、お栄は、信行に、久しぶりにあった謙作はずいぶん年を取ったというようなことを話したらしい。

 「お栄さん。十歳位年を取ったって、そんなでもないじゃありませんか」と信行がいった。
 「いいえ。お爺さんになりましたわ」とお栄は謙作の顔を見返しながらいった。
 「そんなにも思わないが、そうかな。脊せたには脊せたが……」
 「今は少し見なれたんで、それほどに思いませんが、新橋でひょいと、前へ出て来られた時には、思わず、お祖父(じい)さんが……と思いましたのよ」
  お爺さんが何時かお祖父さんになっていた。謙作は不意に牌腹(ひばら)を突かれたような気がした。信行は直ぐ気がついたが、お栄は無頓着に続けた。
 「布で頭を巻いていて、顔だけしか見えないので、なお、似て見えたのかもしれないの」
 あの安っぽい、下等な祖父に似ているといわれた事は謙作には致命傷の気がした。彼は平気でそんな事を饒舌(しゃべ)っているお栄の無神経さに腹が立った。が、同時に一方思いがけない気持の自分に起っている事に心附いた。実際それは自分ながら思いがけない気持だった。彼はかつて、祖父に対して、肉親らしい愛情を感じた事はなかった。六歳の時初めて見た祖父の、いやな印象は、そのまま変らず彼に残って行った。その印象は変えようがなかった。彼の祖父は生れながらに下根(げこん)の質(たち)に出来上っていた。する事、なす事、妙に下品な調子がつきまとっていた。それ故、彼は自身が不義の児である事を知った場合にも、母と誰か、── それが祖父でない誰かであったら、まだよかったという気がした。母と祖父と、この結びつきが、何よりも堪えられなかった。彼はそれほどに祖父を嫌っていた。それ故、今もお栄の言葉に、堪らず、腹立たしい気持にもなったが、同時に全く思いがけない反対な気持が不意に湧き起って来た事を感じた。何といっていいか、よく分らなかった。が、とにかく、それはやはり肉親の愛情だった。それは嫌っていながら、父親としての或る懐かしさだった。似ているといわれた事を致命的の打撃に感じながら、何処か心の奥に或る嬉しさを感じたのである。これは彼ではあり得べからざる事だった。それが不意に心へ入って来た。彼は心の混乱を感じた。


 お栄が何気なく言った言葉が、謙作を混乱させる。大事な場面だ。

 本文では「お爺さん」と「お祖父さん」となっていて、「祖父」には「じい」とルビがあるが、「爺」にはルビがない。しかし、「お爺さん」はやっぱり「おじいさん」と読むのだろうから、耳で聞いただけでは、どっちも「おじいさん」だ。それなのに、「お爺さんが何時かお祖父さんになっていた。」というわけだが、どうして分かったのだろう。アクセントでも違うのだろうか。

 それはそれとしても、自分が祖父に似ていると突然言われて、「牌腹を突かれたような」衝撃を受け、腹が立ったのに、同時に「思いがけない気持」が自分のおこっていることに謙作は気づく。その気持ちを見つめていると、それが、「肉親の愛情」であり、「父親としての或る懐かしさ」だと思い至るのである。

 六歳の時、初めて会ったときに感じた「いやな印象」。「する事、なす事、妙に下品な調子がつきまと」う祖父。その祖父を謙作は嫌い、「生れながらに下根(げこん)の質(たち)に出来上っていた」と断定する。そこまで嫌悪する祖父に自分が似ていると言われ、そこに「嬉しさ」を感じるなんて、謙作にとってはまさに「あり得べからざる事」だ。しかし、現実には、そういうことが起きたのだった。

 肉親の愛情というのは不思議なものだ。自分が祖父の子であるということを理性ではまったく受け入れられない謙作だが、感情の面では、「うれしい」とさえ感じてしまう。こういう矛盾した心の問題は、人間には避けて通れない問題だし、それゆえに、文学の永遠のテーマであり続けるだろう。

 ほんとうに「血のつながり」というのは、なんなのだろう。親と自分、自分と子ども、自分と孫。あるいは、遠い親戚。どこかで「血がつながっている」という感覚は、ある意味神秘的なものですらある。血がつながっているから、親しみを感じるというようなことではなくて、「血のつながり」によってこそ、自分の存在がある、ということ。「存在の神秘」へと、ぼくらを誘う感覚である。

 謙作が心から嫌悪する祖父に「似ている」と言われたとき、そこに「血のつながり」を確認して、嬉しくさえ思ったのも、自分の存在が、やはり「与えられたもの」であることを確認したからだろう。自分は自分だけの力で存在しているのではない。いや、自分の力とは無関係に「存在させられた」のだ、ということに、改めて気づいたからでもあったろう。

 食事が終わると、無神経なお栄に謙作が腹を立てているだろうと思ったのか、信行は謙作を二階へ誘う。

 食事中、信行は尾の道での生活などを色々訊いた。謙作も出来るだけ気楽な調子でそれに答えた。そして、食事が済むと、彼は、
 「二階へ行こうか」と信行を誘った。
 「うん」信行は何気ない顔をして一緒に立ち上ったが、これから二人だけでまた、いやな問題を話さなければならぬかという、何となく降参したような様子を見ると、謙作は自分の事ながらかえって兄が可哀想になった。おかしい気もした。

 「いやな問題」というのは、もちろん謙作とお栄の結婚問題だ。あくまで、謙作と父との間に立って調停役を果たそうとする信行は、いやでもなんでも、父のために、謙作を説得しなければならないのだ。そういう信行をみて、可哀想になったというのは、ちょっと面白い。

 父はやっぱり依然として結婚には反対だという。その上、謙作の書く小説にも注文を付けだしたというのだ。

「手紙に書いたことを繰返せば、お父さんは前と少しも考は変えられないよ。なお、困るのは、お前が小説を書く時、決して自家の事を書いてはならぬといい出したのだ。俺は手紙にもあった通り、不愉快な結果を生ずるような事は出来るだけお前も、避けるはずだといったが、お父さんはそんな事をいっても、それは謙作の標準でいう事で、謙作は不愉快でないつもりでも俺の方が迷惑する場合がないとはかぎらない。絶対に自家の事は書かぬという堅い約束をしてもらわぬ事には俺としては安心出来ない、とこういわれるのだ。心配しだせば其処まで用心しとく必要があるのかも知れないが、余り勝手だからね。それにお前も、何かの形でそれが出ないとはいえないといっているし、俺はそこまで掣肘(せいちゅう)する事は出来ないといったのだ。仕事の性質上、全然それに触れるなというのは無理な要求だといったのだ。お父さんは家庭小説だけが小説でもあるまい、といっていたが、とにかくお前の仕事に対する理解とか、同情とかいうものはまるでないからね。話がしにくいんだ。そこで、俺も──今から思うと、如何にも鼻元思案(はなもとじあん)な話だが、そんならお父さんは謙作が創作の仕事をする事に就いてはどうお考えですかと訊いて見たんだ。それは自分の仕事として、謙作がそれをやるのに少しも不服はないと、こういわれる。それなら、謙作も自分の生涯を打込んでやる仕事なのだから、多少の迷惑があるとしても出来るだけ寛大に、そんな制限はつけてやらない方がいいでしょう。何故ならお父さんでも、鉄道を高架線にするか地上線にするかの問題が起った時、仕事の都合で地上線を主張された事もあるのだし、仕事の上では他人の多少の迷惑は構っていられない場合もあるものですから、とこういったのだ。これは実際俺のいい方も悪かったが、滅茶苦茶に怒鳴りつけられたよ」

(注:「鼻元思案」=きわめて浅はかな考え。)

 まあ、ここでも父の言い分には、共感する。そもそも、自分の家庭のことをガンガン書かれて世間に公表されるということが、そんなに簡単に許せるものではないだろう。それが小説家の仕事だと言うが、「家庭小説だけが小説でもあるまい」という父の言い分には一理ある。

 それなのに、謙作は、家庭のことを書くのは当然だと思っているらしいし、信行もそれを認めている。それを認めない父は、「お前の仕事に対する理解とか、同情とかいうものはまるでない」という。この時代の小説に対する世間の認識は、こうしたものだったのだろう。いかに「私小説」が広く認められていたかがわかる。

 

志賀直哉『暗夜行路』 69  弱い自我 「前篇第二  十」 その3 2021.1.17

 

 

 「鉄道を高架線にするか地上線にするかの問題」を信行が持ち出したところ、父は激怒したというのは、父が興した鉄道会社が、鉄道をある町を貫通させる計画をたてたところ、住民の反対にあって高架線にしたという話だ。仕事には他人に対する迷惑があるのはしょうがないではないかということで信行はこの話を持ち出したのが、謙作は、「そんな事をいえば怒るに決っている」と笑って、自分の仕事と父の仕事は性質が違うのだという。謙作のほうが大人である。

 謙作は改めて小説に家族のことは書かないなんて約束はできないこと、そして、本郷の家(父の家)とははっきり縁を切るのが一番いいと思うと言う。それを受けて信行は言う。

 「うん。それが本統かも知れない。しかしどういうものか、お父さんはそうはっきり、かたづけてしまいたくない気があるんだ。それから、これがある。俺も今度初めて知ったが、お前の貰った金は、あれは総て、芝のお祖父さんから出たものだそうだ。表面上、お父さんが出した事になっているが、実際は一文も出してないのだそうだ」
 「……………」謙作は眼を見はった。そしてちょっと赤い顔をした。彼は父が自分の本統の父でない事を知った時から、この事には拘泥していた。本郷の家と、はっきり関係を断つといいながら、貰った金だけを返さずにおくのは如何にも、それだけに眼をつぶっている、ずるい事のようで、気がとがめていた。そして二度出した信行への手紙の中でも、それへ触れようと、一方しながら、遂に触れずにしまった。彼にとってその金を返してしまうのは差しずめ食うに困ることだった。それが彼はいやだった。しかし、彼はその金を返すことがもっと必然になった場合、なおそれに眼をつぶって平気でいられる自身でない事を知っている点で、其処に或る安心を持って、その事は放っておいたのであった。

 信行が告げたことは、謙作を驚かせた。父から貰ったとばかり思っていた金が、実は実の父である祖父から出ていたということ。それなら、なにも父に気兼ねをする必要もないし、きっぱり縁も切れるというものだ。

 金を返すのは嫌だったけれど、「金を返すことがもっと必然になった場合、なおそれに眼をつぶって平気でいられる自身でない事を知っている点で、其処に或る安心を持って、その事は放っておいた」というのは分かりにくい。「其処に或る安心」とはどういうことか、テスト問題にでもしたいところだ。「其処」とは、つまり、どうしても金を返さなくてはならなくなったら、必ず何らかの方策を講じて返すだろうという自分自身に対する自信ということだろう。だから安心だ。だから金のことには触れずに「放っておいた」というわけだ。そういうもんか、とも思うけど、なんだか変な理屈だなあ。

 しかし、この「祖父から貰った金」についての記述がどこにあったのだろうか。今、ちょっと探し切れていない。

 金のことは信行はそれ以上話さず、信行は、自分のことを話しだす。以前から匂わせていた「会社を辞める」ということを持ち出し、禅をやるつもりだというのだ。これはまた唐突な話だが、どうも本気らしいのだ。


「俺はね」信行はこんな風に今度は自身の事を話し出した。「やはり最近会社をよすつもりだ。お父さんにもちょっといって見たが、案外簡単に承知しそうなんだ」
「そう。それはいいね。で、何をするつもりなの?」
「禅をやるつもりだ」
謙作は思いがけない気がして黙っていた。
「近頃俺は、つくづくお前を羨しく思う。或る意味で、──運命的にというのか、境遇的にというのか知らないが、そういう意味ではお前は俺より不幸な人間だ。しかし性格的にいうと、遥かに幸福な人間だと思う。しかも、何方(どっち)が、より幸福かといえば勿論性格的に幸福な方が本統の幸福だと思ったよ」
「僕が性格的に少しも幸福なものか。同時に境遇的にも君のいうように不幸な人間じゃあないよ」謙作は柄にない信行の断定的な言葉にちょっと苛々して言葉を挟んだ。
「俺のいい方が悪いのかも知れない。そういう言葉をよく知らないから言葉が間違っているんだ。が、とにかく、俺はお前が俺より恵まれた人間だという気がして羨しい。お前は強い。お前は何でもお前の思う通りにやって行こうという強い自我を持っている。ところが俺にはそれがない。ない事もないが、それが非常に弱いのだ。禅をやるというのは最近にきめた事だが、今の生活に不満を感じ出したのは随分久しい事だ。ところが、どうしても、それを直ぐよす気になれなかった。いっかお前は直ぐよしたらいいだろうと、簡単にいったが、それが俺にはなかなか出来なかった」

 

 信行は謙作が羨ましいという。境遇としてみれば、謙作のほうが「不幸」なのに、謙作は強い「自我」をもってその「不幸」に立ち向かうことのできる「性格」を持っている。自分は、謙作よりはるかに境遇は恵まれているのに、「自我」が弱いために、自分の思い通りに生きることができない、というのだ。

 謙作は即座にそれを否定するが、しかし、信行の気持ちもよくわかるのだ。

 ここで問題になっている「自我」というものは、近代文学のいわばキーワードとも言うべき「近代的自我」というやつだ。それを簡単に言うことはできないが、それまで組織や共同体によってガンジガラメになっていた人間が、そこから自由になり、そこで初めて「本当の自分」というものに出会うことができた。それが「近代的自我」だろう。その「本当の自分」というものが、どこまで深められた概念だか分からないが、さしあたっては、「自分のやりたいこと・やりたくないこと」「自分が好きなこと・嫌いなこと」などがはっきりと自覚され、その自分のやりたいことや好きなことを貫きたい、という思い、あるいは欲望が、「自我」の中身となるだろう。本当はそんなことではないのかもしれないが、少なくともここで信行が言っている「自我」というものは、そのレベルと考えられる。

 自分は謙作と違って、父に真っ向から反対はできない。いつも父のいいなりだ。それが歯がゆい。仕事にしても、その延長だ。つまり自分は自我が弱いのだ。だから謙作が羨ましい。だから、仕事もやめる。禅をやる。単純化すればそんなことになる。

 「しかし何故会社がそんなにいやになったのかしら?」
 「元々いやな処なのだ。ただ、入りたては無我夢中で、とにかく、自分が一つの仕事にたずさわっているという意識でだまされていたのだ。今でも新しく入って来る若い連中を見ると皆、そうだ。親の脛を噛って、小さくなっていた奴が、自分の手で金が得られるようになると、急に一人前になった気で、妙に嬉しいんだね。中にはそれで家族を養って行かねばならぬ者もあるが、そういうのはそれほど迷わないが、それだけの必然さもない俺たちのような人間になると、直ぐ仕事の興味はなくなるし、いわばいつまで経っても雇人の生活だからね。──重役になった所で同じ事だ。こんな事をしていて、一体、一生どうなるのだ、という気に段々なって来る。四十にして惑わずというが、四十位になると、大概、ちょっとそういう気になるらしい。俺なんか早い方だ」

 仕事をやめるという信行の言い分はこういうことだ。

 ほとんどの人が仕事で「家族を養って行かねばならぬ」わけだから、信行の思いは、家族を養う必要もない金持ち階級のそれであり、いい気なものだといえばそれまでだ。しかし、エリートサラリーマンになったけど、40過ぎで早期退職して田舎で野菜作りをするなんて人もテレビでよく見かけるわけだから、信行の言い分も、案外古びていないのかもしれない。今どきは、「禅」が「野菜作り」「ソバ打ち」「古民家カフェ」などに変わっただけなのかもしれない。

 

志賀直哉『暗夜行路』 70  「弱さ」と「強さ」 「前篇第二  十」 その4 2021.1.27

 

 「禅をやる事もお父さんに話したの?」
 「話した。とても承知しまいと思ったが、例の(考えておこう)だから、大概いいだろうと思う。お前の事もあるし、重ねて、そんな話をするのは気の毒だったが、絶えずそういう気持で煮え切らない自分がいやで堪らなくなったのだ。今度の場合でもお前にはいつも或る一つの焦点があって、総ての針が直ぐそれを指すのが、俺は非常に羨しかった。ところで、俺にはその焦点がないのだ。ぐうたらな性格からも来ているが、今の俺の生活が悪いのだ。どうしても其処から建て直して行かなければ駄目だと思ったのだ」
 謙作は父の信行に対する案外寛大な態度が、自分に対するそれと全く違うのをちょっと不快に感じた。しかしそれが当然な事とも思った。不快に思うのが間違っているとも思った。そして信行が自身の喜びから、謙作の気持に顧慮する余裕もなくむしろ自分のそうなる事で謙作を喜ばそうという、子供らしい、一種のフラッタリーさえあるのを見ると、謙作は信行に好意を感じないではいられなかった。しかし禅をやれば、そういう点で本統に安心出来る気でいそうな所が危なっかしい気もした。謙作は近頃の禅流行には或る反感を持っていた。


 信行の悩みというのは、なんだかよく分かる気がする。生きている上での「焦点」がないという不満あるいは不安。まわりに流されてしまって、確固たる自分を持てない自分を信行は「自我が弱い」と言っていたが、そういう信行が、謙作をみて「羨ましい」と感じる気持ちはとてもよく分かるのだ。

 ぼくの「自我」らしきものも、やっぱりそんなに強いものではなくて、常にフラフラしているから、「この道一筋」とか「思い込んだら百年目」とか「石の上にも三年」とかいった生き方をする人をテレビなんかでみると、「羨ましい」とまではいかないけれど、スゴいなあと感心してしまう。感心はしてしまうけど、「羨ましいとまではいかない」のは、どこかでそういう人のことを、「別世界の人」のように感じてしまうからだろう。「羨ましい」と思うというのは、なんとか努力すればその域に達することができるとどこかで思っているからで、世界が違うんだと思えば、「羨ましい」とすら思わない。

 まあ、少なくとも、謙作という人間には、信行が言うほどの「強さ」を感じてはいない。信行には強く見えるということだろう。

 父の態度が自分と信行とでは違うことに謙作は「不快」を感じるのだが、それは理性的に解消しうる「不快」さだったようだ。それよりも、信行に対する「好意」は、面白い観察から来ている。

 「フラッタリー」とは「お世辞」とか「おべっか」という意味だが、自分のよころびを話すことで、相手も愉快になるだろうと考えるのが「子どもっぽいおべっか」なんだと考え、そんな信行に好意を感じる謙作は、決して我利我利亡者ではないのだ。むしろ、他者の心に敏感な人間なのだといえるだろう。

 信行の言葉を真に受けて、信行は弱く、謙作は強いなんて思ってはならない。

 謙作の「近頃の禅流行」に対する反感というのは、記憶に値する。

 「行く寺は決めたの?」
 「円覚寺へ行こうと思う。何といっても、SN は当代随一の人だからね」
 謙作は黙っていた。
 彼は何となくそのSN 和尚を好まなかった。三井集会所あたりでよく話をするSN を荒地に種蒔く人間のような気がして好まなかった。
しかし他にどういういい和尚があるかもまるで知らなかったから、彼は黙っていた。


 このSN 和尚というのは実在しそうな感じだ。

 円覚寺といえば、すぐに漱石の「門」が思い浮かぶ。「門」は明治43年の作品だから、この「暗夜行路」よりも十数年前ということになるが、漱石が参禅した頃も禅は流行していたのだろう。そういう流行に対する謙作の(あるいは志賀直哉の)醒めた意識が伺えて面白い。

 SN 和尚を謙作が好まない理由が「荒地に種蒔く人間のような気がして」とあるのだが、これはいったいどういうことなのだろうか。「荒地に種蒔く人間」というのは、言うまでもなく聖書の言葉で、そこでは種蒔く人が否定されているのではなくて、「荒地」の方に問題があるとされていたはずだ。せっかくイエスの教えを聞いても、聞く人が「荒地」(聞く耳を持たない、受容性がない、など)だったら、その教えは決して実を結ばないということだろう。こういう文脈では、SN 和尚を好まない理由としてはどうも成り立たない話だが、しかし、どうせ無駄だと分かり切っているところで説教をする、ということで、謙作の好みじゃない、ということなのかもしれない。

 この後、信行はほんとうに会社を辞めて、禅をやるために鎌倉に移住することになる。信行もけっこう「強い」。

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 71  なんとなく、がっかりな展開 「前篇第二 十一」 2021.2.7 

 

  信行は、ほんとうに会社をやめて、鎌倉に住んで、円覚寺の僧堂に通うようになった。

 父との交渉は、信行が鎌倉に住むようになると、うやむやになっていき、それを謙作はかえって好都合だと思った。 お栄とは相変わらず一緒に暮らしていたが、お栄に対する気持ちにも次第に変化がでてきた。

 お栄とは相変わらず一緒に暮らしていたが、お栄に対する気持ちにも次第に変化がでてきた。

 それにお栄に対する心持も既に前とはいくらか変っていた。何故変ったか。それを明らかにいう気はしなかったが、やはり信行が彼に書いたように運命に対する或る恐れ、──祖父と母と、そしてまた、祖父の妾と自分と、こう重なって行く暗い関係が何かしら恐しい運命に自分を導きそうな漠然とした恐怖が段々心に拡がって往ったのである。実際彼は信行のいうように強くはなかった。反対される事がらには否応なしに、はっきりした態度を示す割りに、心持もそのように毎時(いつも)、はっきりした態度を持っているのではなかった。反対が薄らぎ、自由が来るとかえって彼は迷った。
  自分が不義の子であったという事に就いても肯定的な明るい考を彼は持ったが、時が経つにつれ、心の緊張が去るにつれ、彼は時々参る事が多くなった。 彼は妙に落つけなくなった。

 反対されて燃え上がっていた思いが、事態がなんとなくうやむやになり、緊張感がなくなるとともに、迷いも生じ、憂鬱にもなってきたというわけで、話の展開としては自然だしリアルでもあるが、なんとなく、がっかりするような展開でもある。 

 実際に即して考えてみれば、現実というのはこんなものなのかもしれない。しかし、今まで、お栄との結婚にとことん拘り抜いて、さんざん父を怒らせ、信行を困らせてきたのに、「反対」が薄らいできたから迷いが生じ、緊張が去ったから、気持ちが参るようになったというのでは、なんというか、ここまで読んできた甲斐がない、ような気分にさせられる。 

 しかし、そうかといって、どうなれば「がっかりしない展開」になるのかと考えてみても、お栄とは初志貫徹、ついに結婚して幸せな家庭を持ちましたなんていうのでは、小説としておもしろくもなんともない。

  で、謙作は引っ越しを考える。ここから話が新しい展開を見せるのだが、どうも、とってつけたような感じなのだ。

  謙作は、家探しを信行に頼む。すると、ある日、家を一緒に見に行こうと言って、石本と連れだって来た。 この石本というのは、信行の友だちで、信行に頼まれて謙作の面倒を見てきた男で、謙作の先輩でもあるが、また遊び友達でもある。 家を見てまわったあと、三人は、柳橋の待合で食事をすることとなる。  

  
 「そしてその晩彼らは柳橋の或る待合で食事をしていた。若い芸者が二人、それとその家の女中が其処にいた。もう一人桃奴(ももやっこ)という芸者を先刻(さっき)から再三いっていたが、いつも、もう直きという返事だけでなかなか来なかった。
 桃奴をいったのは謙作だった。
 「元、栄花(えいはな)といった女義太夫が此処で芸者をしているそうだ。わかったらそれを呼んでもらいたい」こういったのだ。
 「栄花というのは昔、君に連れて行かれて聴いた事があるよ。可愛い娘(こ)だった。何でも今川焼屋の娘だとかいってた」石本もその女を知っていた。
 恰度(ちょうど)来ている芸者の一人が路次の中で向い合せに住んでいるとか、桃奴の消息は精しかった。幾度か電話をかけて来ない所から、その女の噂がよく出た。そして芸者も女中も桃奴には好意を示さなかった。謙作たちが個人的にその女を知っているのでない事がわかると、女たちは少しずつ悪意をさえ示した。おさらいの会で士地での古株の芸者と喧嘩をしたとか自動車の中で酔った客の指環をぬき取ってしまったとか、── 古い事では生れたての赤児をキリキリと押し殺したとか、そして今もその男と離れられずにいるのだとか、──現在一人の若い人を有頂天にさしているとか、その若い人が自動車を持っていて、いつもそれを迎いによこし、また自分で会えない時にはよく品物に手紙をつけて送り届けるとか、そんな噂をした。
  とにかく、昔の栄花、今の桃奴が芸者の中でも最も悪辣な女になっていて、仲間でも甚だ評判の悪い女である事がわかった。


 新しい女の登場だ。新しいといっても、以前、女義太夫をしていたころから知っていた女ではあるが。その「栄花」が、女義太夫からどうして芸者になったのかのいきさつが、エピソード的に語られる。

 
 一体、謙作は子供のうちから寄席とか芝居とか、そういう場所によく出入りした。それは祖父やお栄が行くのについて行ったので、しかし後に中学を出る頃からは段々一人でもそういう場所へ行くようになった。殊に女義太夫をよく聴きに出掛けた。
  その頃十二、三の栄花は、小柄な娘だった。美しくなる素質は見えていたが、それよりも何か痛々しい感じで謙作はこの小娘に同情を持っていた。瘠せた身体、眉毛が薄いので白狐(びゃっこ)を聯想させる、青白い顔。声は子供としても甲高い方で、それに何処か悲しい響を持っていた。
「あれは斃(たお)れて後、やむ、という女だね」こんな事をいった彼の仲間があった。はっきりしない詞(ことば)ながら、悲し気な、痛々しい感じの中にも何処か負ん気らしい変な鋭さある事を感ずると、謙作はこの評を大変適切に思った。後でも栄花を考えるとよくこれを憶い出したものである。
 同級生の間に寄席行仲間が段々に多くなると、その一人の山本というのが、ある時、高座の彼女を見て、「知ってる娘だ」といい出した。
 山本の家の一軒措(お)いて隣りの、しかしそれは表通りでいうので、裏では塀一重の隣りに住んでいる今川焼屋の娘だという事だった。この事は彼らの間に一種の興味を惹き起した。が、山本と小娘との間には何の交渉もなかった。しかし半年ほど経って夏になると、丁度山本の屋敷に非常にいい掘井戸があって、界隈での名水という位、近所の者がよくそれを貰いに来る、そして栄花もその一人として時々山本の屋敷へ来るようになったというのである。
 井戸は湯殿の前にあった。夏の事で窓は開放たれ、細い葭(よし)すだれが其処へ下げてある。或る夕方山本が入っていると、すだれ越しに水を汲みに来た栄花が見えた。此方からだけ見えるつもりでいると、栄花は汲み込んだ手桶を上げるなり、山本の方を向いて礼をいって行った。そしてこういう事が二、三度続いて二人は段々話すようになったというのである。山本は風呂の縁へ腰掛け、栄花は井戸側へ後手に椅りかかりながら、汲んだ水の温むまで話し込む事もあった。寄席の内幕話だった。暫くして、謙作は山本がやったという湯呑を高座に見た。
 山本と栄花との交渉はしかし少しも深くなっては行かなかった。山本は華族だった。山本の家には謙作たちがチャボと綽名(あだな)していた小さくて、頑固で、気の強い、年寄りの三太夫がた。これだけでも深入するには厄介だったろう。まして、深入するほどの気もなかったらしいので、二人の間には何事もなく二年余り経った。
 栄花はその間にめきめきと美しくなり、肥りはしなかったが、とにかく身体も女らしく発逹して行った。芸も上り、人気も段々出て来た。

 

 風呂に入っている山本と、井戸の水を汲みに来た栄花とが「汲んだ水の温むまで」話し込むなんてシーンは、なかなかいい。今ではまったく想像もできない東京の風情である。

 ここは、素晴らしい「絵」なのだが、お栄との結婚話が、まったくうやむやになっているこの時点で、こういうシーンがどういう意味を持つのかがどうも分からない。必然性といえば野暮だろうけど、それでも、そういう野暮も言いたくなる。

 この後、栄花が「近所の本屋の息子」とどこかへ隠れてしまうと事件が起き、そのため生家の「今川焼屋」(実は栄花は養子だった)からも絶縁され、おまけに妊娠も発覚し、自暴自棄になった栄花は、腹の子を堕胎したとも、生まれたてを殺したとも噂され、やがて、その男に連れられて新潟に行き、芸者になって、北海道へ行っていたが、それから2,3年して、柳橋から桃奴という名で出ているという記事を、謙作は「演芸画報」で見たというわけだ。だから桃奴を呼んだのだ。

 謙作が呼んだ桃奴はなかなか来ない。どうもお客と相撲を見に行っているらしい。

 桃奴のことを話しているうちに、どうやら桃奴は石本の甥といい仲になっているらしいことが分かる。

 

 遂に栄花の桃奴は来なかった。来られなければ、そうとはっきりいうがいいのだと女中が不服をいった。九時頃三人はその家を出た。
 「不思議な事があるじゃないか」と歩きながら石本はこの偶然を面白がった。「実は姉にそういう話を聴いたが、何処で遊んでいるのかわからなかった。最初は決して遊ばない代り自動車を買ってくれというので、五万円だけ貰う事になった中で一万円の自動車を買ったもんだ。馬鹿な話さ。遊ばないからと、それを真に受ける奴も受ける奴だし……」
 信行も謙作も笑った。
 「しかしいい小説の材料じゃあないか」と石本は謙作を顧みた。「君は栄花の経歴を知っているんだし。今日の処も面白い材料じゃないか」
 「うむ。いい話の種だね」と謙作はいい変えた。そういっておかないと彼は気が済まなかった。そういう出来事とか、今日のような偶然とか、雑談の種にはいいが、これけで直ぐ小説になると思う事には不服だった。
 三人はそれから散歩して、銀座の方へ行き、其処で石本と別れ、十一時頃二人は福吉町の家へ帰って来た。
 お栄は二人を待っていた。そして三人はそれからまた暫く茶の間で話した。信行はその日の事をお栄に話した。信行の話し方はそれほどの経歴を持った、そしてそれほどに悪辣な女だという所をい<らか強調した話しぶりなので、傍で謙作は余りいい気がしなかった。すると、今度はお栄が如何にも、いまわしそうな顔つきをしながら、
「ひどい女もあるものね」といった。謙作は急に腹が立って来た。彼は「悪いのは栄花ではない」こういってやりたい気がむらむらとした。彼には十二、三の青白い顔をしたいたいたしい高座の栄花が浮んで来た。「あの小娘がどうして、ひどい女だろう……」彼は変に苛々して来た。そしてふとその時、「ああ、これは書く事が出来る」と思った。

 

 これで小説が書ける、と思ったのは、自分の栄花に対する思いと、お栄の栄花に対する評価が食い違ったからだろうか。そうだとすると、ちょっと期待できるのだが、しかし、「暗夜行路」の「前篇」は、もう終わりにさしかかっている。

 ぼくには、どうも、ここまできて、志賀直哉も、この先どう書いていいのか分からなくなってきている、行き詰まってしまっているように思えてならないのだが。

 それはもうすぐる分かるだろう。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 72  ずる賢いヤツら 「前篇第二  十二」 その1 2021.2.18

 

 

 転居をしようと思い立った謙作は、信行と引っ越し先を見学にいく。

 

 翌日二人が家を出たのはもう二時過ぎていた。五反田の方から先に見た。小さい鉄工所の側から狭い坂を登り、下に四、五百坪の草原になった空地を見下しながら廻って行くと、その一軒があったが、きたない平家で、前は割りに広い庭になっているが、日当りは余りよさそうでなく、よほど手を入れなければ住めそうもない家で、彼は気乗がしなかった。それにこういう家(うち)を余り見た事のない謙作は、自分が住めばこれが何(ど)の程度に居心地よくなるのか見当がつかなかった。何となく、このがらんとした、きたない家にこのまま自分が入るような気がされて一層気乗がしなかった。もう一軒は周囲が狭苦しくってとても入る気のしない家だった。二人はのんびりした心持で樫の芽の強い香りを嗅ぎながら道路を大森の方へぶらぶらと話しながら歩いた。信行はもう一トかどの禅居士になり済ましていた。そして、丁度高等学校時代の知識慾のような知識慾で、『碧巌録』に載っている話を次から次とよく覚え込んでいて話した。

 

 この頃は、どこへ行くにも歩きだ。五反田から大森へ。のどかである。

 二軒とも「入る気がしない」家。「こういう家(うち)を余り見た事のない謙作は、自分が住めばこれが何(ど)の程度に居心地よくなるのか見当がつかなかった。」なんて、やっぱり謙作は金持ちのぼんぼんなのだ。

 「樫の芽の強い香りを嗅ぎながら」というところに惹かれる。樫の木は知っているが、その芽が強い香りを放つなんて知らない。樫の芽特有の匂いなのだろうが、いったいどういう匂いなんだろう。

 五反田から大森へと歩く途中に、こうした樫の木なんかがふつうにあって、その芽の香りを当時の人は当たり前のように知っていて、そこに季節を感じたりしていたのだと思うと、なぜだか不思議な気がする。むろん今だって、街路樹に樫の木が植わっていることはあるだろうし、家の庭に樫の木があることもあるだろうが、そこを歩く人々が、その香りに敏感だということはありそうもない。匂いどころか、どれが樫の木かということすら、分かる人は稀だろう。

 

「そうだ、この道は自家(うち)の地所のある処へ出る道だよ」信行は立止って往来の前後を見較べながら、こういい出した。「ちょっと寄って見るかね。生垣を作らして、まだ誰も見に行かないんだ」

 

 やっぱり金持ちだね。自分の家の土地があって、植木屋に生け垣を作らせたが、放ってあるというのだ。

 この植木屋は「亀吉」というのだが、善良そのものの人間のように見えるので、「この者に任せておいて、ずるい事をされる心配はないと誰でも思わないわけにはいかないような男」だと書かれているが、謙作は、「見た通りが本統だろうか?」と疑っていたが、信行はその意見には反対だった。二人は、間もなくその土地に着いた。

 

 長方形に往来に添うた二千坪ばかりの地所で、今まで畑にしてあったのを宅地に直し、四つ目垣に結び、これに檜(ひのき)の苗木を植込ましたのである。
 「何処から入るのだ」信行は入口を探して歩いた。「入口がないぜ」
 「そんな事はあるまい」
 「何処にも入る処はないよ。そういえば、俺が亀吉に見積りを出さしたのだが、入口の事をいうのを忘れたのかも知れない」
 二人は笑った。そしてなお、探したが完全に四つ目垣を結い廻してあって、何処にも入る処はなかった。
「作りながら気がつかなかったかね」
 むしろ愛嬌だった。二人はそれから、土地を管理してもらっている百姓の家へ寄って入口の事を亀吉へいいつける事を頼んで来た。(そしてこれはそれから二、三ヶ月後の話であるが、亀吉は実際謙作が疑ったように本統の正直者でない事がわかった。草刈をしたからと、土地の広さに対しても多過ぎる手間賃を本郷の家から受取っておいて、草は草で、生えたなりに馬の飼い葉として売り、懐手をしながら、両方から金もうけしていたのであった。)

 

 話の本筋とは関係のない話だが、ちょっと面白い。周囲を生け垣で囲めと言われて、いくら入口も作れと言われなかったからといって、中に入れないんじゃしょうがない。

 みるからに正直そうな人間が、実はずる賢い悪党だということも、よくある話だ。「みるからに○○そうだ」という時点で、既に「あやしい」と思わなければなるまい。けれども、それがなかなか見抜けない。だから詐欺被害もなくならない。その点謙作の人を見る目は確かだ。

 しかし、それにしても2000坪とは恐れ入る。信行が、簡単に会社を辞めて、鎌倉に引っ越し、禅なんかをやっていても、ちっとも金に困らないのは、こういう背景があるわけで、それはまた謙作とて大きな違いはないのだろう。

 

 日が暮れかかって来た。大井の山王寄りに一軒建ての二階家があった。外から見た所ではちょっと気の利いた家だった。謙作はもう疲れていた。そして、これで充分だと思った。
 「新しいだけでも気持がいい、間どりもよさそうじゃないか」と信行もいった
 で、二人は山王の大家の家へ寄って借りる事に話をきめた。
 大森の停車場へ来ると(院線電車のない頃で)上りは少し間があって、下りが先へ来た。鎌倉へ帰る信行を送りがてら、横浜まで支那料理を食いに行く事にして、そして晩(おそ)くなって謙作だけ東京へ帰って来た。
 五日ほどして、謙作は其処へ引移った。
 しかしその家は夕方、気忙しく見て思ったよりは、遥かにいやな家だった。本統の貸家向きに建てた家で、二階で少し烈しく歩くと家が揺れた。そして誰か下の部屋で新聞でも展げていれば、その上にバラバラと音がして天井のごみが落ちて来た。
 「此方(こっち)へ来てから髪がよごれてしようがないのよ」下の部屋にばかりいるお栄はこんな事をいってこぼした。

 

 五反田の家を見て、大森の方へ歩いていき、大井の山王寄りにある借家を借りることにした。見ただけですぐに借りたわけだが、実際住んでみると、「いやな家」だったという。もうちょっとちゃんと下見すればいいのにと思うのだが、なんというか、どうもその辺が鷹揚というかいい加減だ。

 「本統の貸家向きに建てた家」というのは、こんなものだったということだろうか。二階で激しく動くと、家が揺れ、下では天井からゴミが落ちてくるというのは、いくらなんでもひどいとは思うが、昔はこんなもんだったというのはよく分かる。

 年寄りはよく「昔はよかった」というが、そんなことはぜんぜんない。ここに出てくる植木屋のしても、貸家の建て主にしても、良心のかけらもないずる賢いヤツらだ。いわゆる「格差」もひどいもの。今の世の中だってロクデモナイけれど、だからといって「昔はよかった」ということにはならないのである。

 大森からわざわざ横浜へ行って、「支那料理」を食って東京へ戻るというのも、贅沢なものだ。この小説が書かれた大正10年のころは、まだ今ほどの「中華街」というもものではないけれど、それでも本格的な中華料理屋があったわけで、東京にはあまりなかったということだろう。交通費だってバカにならないわけだが、まあ、金持ちだからね。

 それにしても、お栄がまだちゃんと一緒に住んでいるというのが、どうにも違和感がある。普通、こうした経緯なら、一緒に住んではいられないと思うのだが、いったいお栄はどういう料簡なんだろう。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 73  「快」と「不快」  「前篇第二  十二」 その2 2021.2.26

 

 転居して、気持ちが変わったのだろうか、謙作は「仕事」をしようと考える。もちろん小説を書くのが「仕事」である。

 

 謙作の気分はいくらか変った。彼はこの機をはずさず仕事をしようと考えた。尾の道でかかっていた長いものにはちょっと手がつかなかったから、彼は栄花の事を書く事にした。
 実際会えばどうだかわからなかった。が、離れていて考えると彼は心から栄花に同情出来た。それには、一方不確かな感じもあった。会ってどうだか知れない人間に対し、離れているがために同情出来るのだという事は仕事の上からも面白い事ではなかった。
 しかし実際会えば、そして第三者よりも何かの意味で近づけば、それでも自分は現在の栄花に対し同情が持てるかどうか、彼は甚だ心もとなかった。元々書こうと思う動機が同情──お栄が少しも同情なしに何かいったのに対する腹立にあっただけにこの事は拘泥しないではいられなかった。彼はある時栄花に会って見てもいいと思った。しかし妙に億劫な気もし、なかなか実行は出来そうもなかった。
 そして彼は自分が栄花に会った場合を想像して見て、栄花がどういう調子で自分に対するか? そうなる前の栄花を知る自分に対し、栄花も多少その頃の気持を呼び起すであろうか? それとも、そう見せかけ、その頃をなつかしむような風を見せ、心は現在を少しも動かない、そういう荒んだ調子であるか? 何方(どっち)とも想像出来た。しかし何れにしろ、彼はそういう絶望的な栄花にやはり同情出来そうに思えた。絶望的な境地から栄花を救う、こういう気持も彼には起った。児(こ)殺し、それから数々の何か罪、そういうものを総て懺悔し悔改めた栄花。が、それを考えて見て、彼はやはり妙に空ろな栄花しか考えられなかった。もし自分が栄花に会う場合、こういう風に、いわゆる基督信徒根性で簡単にこんな望みを起すとすれば、それは余り感心出来ない事だと考えた。
 本統に一人の人が救われるという事は容易な事ではないと思った。
 しかしその家は夕方、気忙しく見て思ったよりは、遥かにいやな家だった。本統の貸家向きに建てた家で、二階で少し烈しく歩くと家が揺れた。そして誰か下の部屋で新聞でも展げていれば、その上にバラバラと音がして天井のごみが落ちて来た。
 「此方(こっち)へ来てから髪がよごれてしようがないのよ」下の部屋にばかりいるお栄はこんな事をいってこぼした。

 

 やっぱりなんだか根に持ってる。お栄が、栄花のことに「同情」を持たなかったことが、謙作は気にくわないのだ。

 栄花の噂を聞いて、お栄は「ひどい女もあるものね。」と言っただけなのだが、謙作は「悪いのは栄花ではない」と言ってやりたかった。だから、噂だけではなくて、実際に栄花にあってつきあってみたら、自分がそれでも栄花に同情し続けることができるのだろうかと考えるのである。同情しつづけて、更に栄花を救うことができるか? そこまで考えて、謙作は、オレにはまだそんな「基督信徒根性」が残っているんだなと気づき、それを「余り感心出来ない事」だと考える。

 謙作がキリスト教を捨てたのは、結局のところそのあまりに厳しい性へ戒律が原因だった。ごく簡単にいえば、遊女と遊ぶか、信仰を守るかの二者択一になってしまったのだ。この辺が、明治期のプロテスタントのネックだったのではなかろうか。そんな二者択一で信仰が考えられたら、キリスト教が持っている深い「思想」を理解する以前に「棄教」になってしまうのは目に見えている。

 謙作が、栄花という「不幸な遊女」を救いたいと思うことを「基督信徒根性」だと考えてしまうのは、やはり、謙作が、つまりは志賀直哉が、キリスト教の思想を深く理解していないことの反映としか思えない。

 だから、「本統に一人の人が救われるという事は容易な事ではないと思った。」という謙作の感慨には、残念ながら、真実味がない。「救われる」ということはどういうことなのかについて、ちっとも考えが深まっていないように思えるからだ。

 この後に、「蝮のお政」のことがでてくる。お政は、京都の八坂神社の下の寄席で、自身の一代記を芝居にしていたというのである。そのお政を芝居小屋の入り口で見かける。

 

 

 謙作の気分はいくらか変った。丁度電燈の下で謙作はその顔をよく見る事が出来た。それは気六ヶしそうな、非常に憂鬱な顔だった。心が楽しむ事の決してないような顔だった。
 彼は蝮のお政については何も知らなかった。長い刑期を神妙にして、そして悔改めた事を認められ、何かの機会に出獄して、そして、今は生活のために一座を組織し、旅から旅と自身の過去の罪を売物に、芝居をして廻っている。──これだけの事が考えられるのであった。
 そしてこれだけでも彼はその時見たお政の顔つきからその心持を察するには十二分だった。それが妙にはっきり映って来た。彼は淋しい、いやな気持になった。彼はお政のした悪い事をしらなかったし、それに何の同情も持てなかったが、それでもそういう悪事を働きつつあった時の心の状態に比し、今が、よりいい状態だとはいえない気がして、変に淋しい不快(いや)な気持になった。それは何れもいい状態でないに違いない。しかしお政自身の心として何方(どっち)がより幸福な状態であるかを想像すると、悪事を働きつつあった頃の生々した張りのある心の上の一種の幸福は今は全く彼女から消え去ったに違いないと思わないわけに行かなかった。そして、その代りに今何があるか。自身の罪を芝居にして廻っている。それは全く芝居に違いなかった。懺悔でも何でも要するに芝居に違いなかった。しかも見物はそれが当の人物である所に何らかの実感を期待するだけに一層彼女には苦しい偽善が必要となるに違いなかった。こういう生活が彼女をよくするはずはない。そして、一度罪を犯した者は悔改めてからも、たといお政ほど罪に露骨な関係を持った生活をしないまでも、きっとこういう心の不幸に苦しめられないものはないだろうと彼は思った。
お政は脊(せい)の高い男性的な強い顔をした女だった。若い頃は押出しの立派な女だったろうと思われる所がある。
 謙作は今、栄花の事を書こうと思うと、かつて見たその女を憶い出さずにはいなかった。彼は現在の栄花を考え、気の毒なそして息苦しいような感じを持ちながら、しかいわゆる悔改めをしてお政のような女になる事を考えると一層それは暗い絶望的な不快(いや)な気持がされるのであった。本統の救いがあるならいい。が、真似事の危っかしい救いに会う位ならやはり「斃(たお)れて後やむ」それが栄花らしい、むしろ自然な事にも考えられるのであった。
 彼は会いに行く機会を作る事が億劫だったので、そのまま書き出した。ある時彼は山本に会った時、その事を話すと、山本は、
「ああ、先日ネ、家内と牡丹を見に行く時、両国で船に乗ろうとして待っていると路次の口に立って此方(こっち)を見ているのが、どうも栄花じゃあないかと思った。やはりそうだったのだネ」といった。実際その路次に栄花の桃奴の家はあったのである。
「会って見る興味はないかい?」
「そうだネ、ない事もないが……」山本は言葉を濁し、乗気な風を見せなかった。

 

 蝮のお政の「心の状態」は、悪事を働いていたときと、こうして懺悔の芝居をしているときとでは、どっちが「いい」のだろうかと謙作は考えるわけだが、不思議な思考回路である。

 「悪事」を働いているときの、「生々した張りのある心の上の一種の幸福」とは何だろうか。道徳に反した恋をして、その結果相手を殺したとかそういう「悪事」が想定されるが、そしてそうした行為に「一種の幸福」感が伴うということはもちろんあるだろうが、その「心の状態」と、その後の「心の状態」を同じ平面にならべて、どっちがいいか? などと比べるのはナンセンスに過ぎはしないか。

 「心の状態」はどうであれ、その行為が「悪」かどうかは、人間の生き方をかけた問題であるはずだ。「心の状態」など、それに付随して出てくる感情にすぎない。「いやな気」がしようと、正しいことはするし、「幸福」を感じようと、悪は避ける、これが人間の基本だろう。

 しかし、そんなふうな常識的なことを言ってもしょうがない。志賀直哉にとっては「心の状態」こそが、すべての基準なのだ。

 この引用部分に、「不快(いや)な」を初めとする感情を表す言葉がどれだけ出て来るかを詳しく見ると、ほんとうに驚く。ほとんどが、それだ。

 栄花にしても、今のままでは「気の毒なそして息苦しいような感じ」がするけれど、だからといって生半可に救われるのも、「暗い絶望的な不快(いや)な気持」になる。だからいっそのこと、「斃(たお)れて後やむ」──つまりは死ぬまで今のままで突っ走る、それが「自然」だというわけである。なんという論理だろう。いやこれはもう論理ですらない。
栄花の人生について、謙作は考えているように見えながら、実は、何も考えていない。考えているのは、自分の「感じ」だけだ。自分が「不快」に感じるような生き方は認めたくないというだけのことで、そんなことは栄花にとってはどうでもいいことなのだ。

 志賀直哉における「快・不快」は、志賀直哉論の要となるのだろうが、それにしても、改めてその凄まじさを目の当たりにして、呆れるほかはない。

 

 


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