志賀直哉「暗夜行路」を読む (6) 59〜64

前篇第二 (七)〜(八)

引用出典「暗夜行路 前篇」岩波文庫 2017年第11刷

 引用文中の《  》部は、本文の傍点部を示す。

 


 

志賀直哉『暗夜行路』 59  自由  「前篇第二  七」 その1  2020.10.14

 

 気持にも身体(からだ)にも異常な疲労が来た。彼はもう何も考えられなかった。彼はそれから二時間ばかり、ぐっすりと眠った。
 四時頃眼を覚ました。その時は気分も身体もほとんど日頃の彼になっていた。彼は顔を洗って、少時(しばらく)、縁へしゃがんで、ぼんやり前の景色を眺めていた。その内彼はお栄や信行が心配しているだろう事を想い出した。そして早速返事を出す事にした。

 

 信行の手紙は、謙作の心を根底から揺るがすものだったが、それでも、2時間ほどぐっすり眠ると、謙作は自分をとりもどす。


 お手紙拝見しました。一時はかなり参りました。日頃の自分を見失ったほどでした。しかし一卜寝入りして今はもうそれを取りもどしています。君がいいにくい事を打明けて下さった事は本統にありがた<思いました。
 母上の事、今は何も書きたくありません。しかしそういう事の母上にあったというのは何より淋しい気をさす事でした。もっともそれで母上を責める気は毛頭ありません。僕には母上がこの上なく不幸な人だったという事きり今は考えられません。
 父上に対しては、多分、この事を知ったがために僕は一層父上に感謝しなければならぬのだろうという気が漠然しています。実際父上がこれまで僕にして下さった事は普通の人間には出来ない事だったに違いありません。それを感謝しなければならぬと思っています。そして父上がこの事から受けられた永いお苦みに就いても想像はつきます。随分恐しい事だったに違いありません。ただ僕としては、これから先、父上とどういう関係をとるか、これを疑問にしています。父上に御苦痛を与える事なしに、やはり今度を機会として、無理のない処まで関係をはっきり落ちつける方がいいように考えます。
 しかし君との関係は別です。それから出来る事なら、咲子や妙子との関係も別だといいたい気が実に強くしています。


 とりもどしたとは言っても、すでに以前の自分ではないはずだ。何かが決定的に変わったはずである。しかし、謙作の手紙を読み進めると、この衝撃は、根底から謙作を変えるものではなかったという印象が深い。

 まず、兄に対して。この事実を打ち明けてくれた信行にはただただ感謝の気持ちが綴られている。一片の恨みも妬みもない。父や母への思いは複雑極まるが、兄信行や、妹咲子、妙子への思いはまったく別だと言い切る。まっすぐな謙作の気持ちが伝わってくる。

 母に対してはどうか。母については「何も書きたくありません」とまず断りながら、それでも、「そういう事の母上にあった」ことは自分を「淋しい気をさす事」であったという。「そういう事の母上にあった」という書き方は、その事実が母の責任ではないという謙作の認識を示している。だから、「母上を責める気は毛頭ありません」ということになる。それはいわば事故だったのであって、母が行為の主体として行ったわけではない、ということだ。そしてその母は、「母上がこの上なく不幸な人だった」としか考えられないというのだ。

 これは謙作が実際にそう感じたということではなくて、そのように事態を理性的に「処理」した、ということだろう。そうすることで、「日頃の彼」を辛うじて保ったということだ。しかし、この事実をほんとうに受け止め、ほんとうの現実を謙作が生きるには、まだそうとうの時間が必要のはずだ。

 一方父に対してはどうだろう。ここでも、理性的な処理は行われている。こうした事実があったにもかかわらず、自分を育ててくれたということに対して父には「感謝しなければならぬと思っています」という。「感謝している」ではなくて「感謝しなければならぬと思っています」なのだ。これも理性的な判断だが、感情的にはそんなに簡単ではない。

 感謝しているからといって、父との関係がどうなるかは「疑問」だというのだ。「父上に御苦痛を与える事なしに、やはり今度を機会として、無理のない処まで関係をはっきり落ちつける方がいいように考えます。」という回りくどい表現からは、この後の父との関係の難しさが滲みでている。


自分に就いては、どうか余り心配しないで頂きます。一時は随分まいりましたし、今後もまいる事があるかも知れません。しかし回避かも知れませんが、自分がそういう風にして生れた人間だという事を余り大きく考えまいと思っています。いやです。それは恐しい事かも知れません。しかしそれは僕の知った事ではありません。僕には関係のない事がらです。責任の持ちようのない事です。そう考えます。そう考えるより仕方ありません。そしてそれが正当な考え方だと思います。


 自分については、まずはこのようにして、自我の崩壊を「回避」したといえるだろう。自分の出生にまつわることを「余り大きく考えまい」とする、そして、「僕の知ったことではない」「僕には関係のない事柄」「責任の持ちようのない事」、そう「考える」ことで、その重大事からの打撃を「回避」したわけである。けれども、それで済む問題ではもちろんなかった。

 この後、謙作は、愛子とのことであれほど悩んだのも、「断られる原因を知ることが出来なかった」からだと言い、今度も、愛子の時のように原因が分からず断られたら今よりもっと悩んだだろうと書き、次のように続ける。


どうか僕の事は心配しないで頂きます。僕は知ったがために一層仕事に対する執着を強くする事が出来ます。それが僕にとって唯一の血路です。其処に頼って打克つより仕方ありません。それが一挙両得の道です。(中略)
 それから創作に自家の事の出る事、心配されるお気持、同感出来ます。それは何かの形で出ない事はないかも知れません。しかし不愉快な結果を生ずる事には出来るだけ注意します。


 この衝撃的な事実を「知った」ことは、かえって自分の仕事への執着を強くするだろう、それが自分にとっての「唯一の血路」だ、そして、そのことでこのことに「打ち克つ」以外に自分の生きる道はない、というのだ。

 作家として生きるということは、自分に起きるあらゆることを糧としなければならない、またそうすることで作家として成長できるというこの言葉は、また志賀直哉自身の決意でもあろう。しかも、このことを謙作が小説に書いて世間に知らしめることを危惧する兄に対して、その気持ちは分かるが、自分が作家である以上、「何かの形で出ない事はないかも知れません」と釘をさし、「不愉快な結果を生ずる事には出来るだけ注意します」と、曖昧な形でしか約束をしないところも、謙作の「作家根性」は坐っているというべきだろう。

 肝心のお栄との結婚については、手紙の最後に次のように書く。

 お栄さんも余り心配しないよう願います。
それからお栄さんの事はもう少し考えさして頂きます。しかしお栄さんに《はっきり》断る意志あれば止むを得ませんが、僕としてはもう一度、申出をするか、このまま断念するか、この事もう少し考えたく思います。


 ここはちょっと意外だ。実の父たる祖父の妾であるお栄との結婚となれば、信行でなくとも、やはり思いとどまるというのが普通だろう。だから、「お栄さんとの結婚はきっぱり諦めます。」という文面になるだろうと予測していたら、これが意外に粘り強い。ことここに及んでも、諦めないのだ。お栄が「はっきり」断らないのなら、もう一度申し出てみるかもしれないという。ここまでお栄に執着するのは何故なのか。よく分からないが、やはり、謙作はお栄に生みの母を見ているのだろう。

 書き終ると、彼は完全に今は自分を取りもどしたように感じた。彼は立って柱に懸けておいた手鏡を取って、自分の顔を見た。少し青い顔をしていたが、其処には日頃の自分がいた。充奮からむしろ生き生きした顔だった。何という事なし彼は微笑した。そして「いよいよ俺は独りだ」と思った。彼には自由ないい気持が起った。

 手紙を書いたことで、謙作は「完全に今は自分を取りもどしたように感じた。」という。衝撃の事実を告げる手紙を読んでから、たった2時間寝ただけなのに、もう「完全に」立ち直っている。それどころか、鏡には「充奮からむしろ生き生きした顔」がうつっている。そして「いよいよ俺は独りだ」と思い、「自由ないい気持」が心に起こるのだ。

 明らかに早すぎる立ち直りだ。普通だったらそうはならない。びっくりして、ヤケになり、酒場に飛び込んで浴びるほど酒を飲んで暴れ、二日酔いに苦しんだあげく、女郎屋に出向き、さんざん放蕩を尽くすが、それでも気持ちは収まらない、なんてところが相場だろう。まあ、それが「普通」かどうかは知らないが、それにしても、この謙作の「立ち直り」は不自然だし、それはやはり一時的な「回避」の結果であろう。

 しかしまたこうも思うのだ。人は、とんでもない状況に突き落とされると、かえって意識が高揚し、それまでにない「自由」を感じるものなのかもしれない、と。

 謙作の場合は、「いよいよ俺は独りだ」という感慨は、しかし、ひとえに父が実の父ではないということを知ったことから来るのだろう。実に父たる祖父はすでにこの世にいない。(どうもこの小説中にこの祖父の死は描かれていないが、おそららく死んでいるだろう。)もちろん、生みの母はとうに亡い。自分の「両親」を亡くした人間が感じる「自由」。ぼくはまだそれを知らないが、いったいどんな味のする「自由」なのだろうか。

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 60 フィクションの中のリアル 「前篇第二 七」 その2   2020.10.26         

 

  外から声をかけて、隣りの婆さんが恐る恐る障子を開けた。夕食の飯を持って来たのである。そして彼が何も菜(さい)の支度をしてないのを見ると、
「《でべら》ないと焼きやんしょうかの」といった。
彼にはほとんど食慾がなかった。
「後で食うから其処へ置いてって下さい」
 婆さんはお櫃(ひつ)を其処へ置いて帰ると、また湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿を持って其処へ置いて行った。


 兄信行からの衝撃の手紙を読みおえ、それでも、どこかに「自由」を感じた謙作だったが、その謙作の気持ちの描写を断ち切るように、この短い部分が来る。

 婆さんは「夕食の飯」を持ってきたのだが、おかずは、謙作が用意することになっていたらしい。けれども謙作は「何も菜の支度をしてな」かった。すると婆さんが「でべら」でも焼いてきましょうか? と聞く。

 「でべら」という名前にかすかに記憶があった。昔尾道に行ったときに、見かけたのだろう。「でべら」は「出平鰈」と呼ばれるが正式には「タマガンゾウヒラメ」というらしい。尾道の冬の風物詩だ。

 お櫃を置いて帰った婆さんは、その焼いた「でべら」と、「湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿」を持ってきたのだろう。このほうれん草も旨そうだ。

 こういうのがさりげなく出てくるところがいい。こういうシーンというのは、実際に志賀直哉が尾道に住んだ時に経験したことなのだろう。尾道に住んだこともなく、尾道のことをまったく知らない作家が、調査や想像だけで、こういうシーンを描くことができないということは言えないが、なかなか難しいだろう。

 小説はフィクションだというけれど、そしてこの「暗夜行路」もフィクションだけど、そのフィクションを支えるのは、こうした細部の「リアル」だ。そして細部の「リアル」に魅力を感じはじめると、読書のスピードはとたんに落ちる。別に言い訳じゃないけれどね。


 彼はやはり何となく家へ落ちついていられない気持になった。丁度新地の芝居小屋に大阪役者が来ている時で、彼は隣りの老人夫婦を誘って其処へ行って見ようと思った。しかし隣りではその晩三原という処へやってある孫娘が泊りがけで来るはずだったので、行けなかった。爺さんは婆さんにお前だけ行けと切りに勧めたが、婆さんは「へえ、わしもやめやんしょう」こんな事をいって笑いながらなかなか応じなかった。婆さんは後妻で子がなかった。それ故それは義理の孫娘だった。
 「折角じゃ、お前だけ供をせえ」爺さんはいい機会を逃すことを惜むように押していった。が、婆さんはどうしても応じなかった。切りがないので、
 「そんならまたこの次ぎにすればいい」こういって謙作は婆さんのつけてくれた小さいぶら提灯を下げて一人坂路を下りて行った。


 夕食を食べたのか食べなかったのか分からないが、謙作は芝居を見にいく。その芝居を見にいくか行かないかで、ちょっとした老夫婦のやりとりである。

 この当時は、地方に「大阪の役者」が来て芝居をするというのも、そうそう頻繁にあったわけではないだろう。しかも、二人で行くとなればそれなりに出費もかさむ。誘うからには、謙作持ちに決まっているから、爺さんも婆さんも行きたいに決まっている。けれども、そこへ孫が来るという事情が加わっている。しかも、この婆さんは、爺さんの後添いである。当然婆さんとしては、その「義理の孫」をそっちのけにして芝居に行くことはできない。そんな義理立てをする婆さんに、爺さんは、そんなことは気にしなくてもいいからお前だけでも行ってこいと強く言う。爺さんも、婆さんに気を使っているのだ。

 老夫婦の感情の襞を、短い文章で繊細に描いていて見事だ。この老夫婦をめぐって、一篇の短編小説ができそうだ。

 こうしたリアルな庶民の哀歓をさらりと描いた後、もういちど謙作の内面が描かれる。


 盛綱の芝居をしていた。それは今までとは異った平舞台に沢山の金屏風を立て廻してする首実検で、盛綱になった役者が、浄瑠璃の三味線に乗ってむしろよく踊っていた。少しも内面的な所がなく、しかし気楽に見ているにはそれも面白かった。そして三幕ほど見て其処を出た。彼はぶらぶらと一人海添(うみぞい)の往来を帰って来た。彼の胸には淋しい、謙遜な澄んだ気持が往来していた。お栄でも信行でも、咲子でも、妙子でも、その姿が丁度双眼鏡を逆に見た時のように急に自分から遠のき、小さくなってしまったように感ぜられた。そして誰も彼もが。それは本統に孤独の味だった。しかも彼にはそれらの人々に対し、実に懐かしい気持が湧き起っていた。そして彼はまた亡き母を憶い、何といっても自分には母だけだった、という事を今更に想った。幼時の様々な記憶が甦って来た。彼は臆面もなく感傷的な気持に浸ってそれらへ振り返った。それがせめてもの安全弁だった。彼は此処でも屋根に乗った時の記憶を想い浮べ、涙ぐんだ。しかし母の床に深くもぐって行った時の事を憶うと、彼は不意に何かから突き返されたような気がした。その時の母の情けない気持が彼に映ったのだ。母にはそれが自身の罪を突きつけられる事だったに違いない。罪の子、自分は本統に罪の子なるが故に生れながらにして、そう出来ていたのではなかったか。こんなに考えられた。


 芝居のことはそうそうに切り上げられて、謙作が内面が語られる。孤独感のなかに、母の姿が浮かぶ。それは、幼いころに屋根に上ってしまった謙作を下から涙をためて心配した母の姿だったが、それとどうじに、母の蒲団のなかに潜り込んだときに手厳しく叱った母でもあった。感傷的な気分のなかに、自分が「罪の子」であることが実感されるのだった。

 しかし、謙作は、そういう自分をなんとか立ち直らせようとする。


 彼は段々自分が、そういう気分に惹き込まれつつある事を意識した。坂路で惰性のままに段々早くなる。それを踏み止るような心持で、むしろ意志的に彼は気分を惹きもどそうとした。手段として、彼は広い広い世界を想い浮べた。地球、それから、星、(生憎曇っていて、星は見えなかったが)宇宙、そう想い広めて行って、更にその一原子ほどもない自身へ想い返す。すると今まで頭一杯に拡がっていた暗い惨めな彼だけの世界が急に芥子粒ほどのものになる。──これは彼のこういう場合の手段で、今も或る程度には成功した。
 少し腹が空いて来た。彼は時々行く西洋料理屋まで引きかえそうかと思ったが、新地をまた通って、行く事がいやに思えた。そして暗い海添い道をちょっと後もどりして蠣船料理へ行った。


 自分の悩みでいっぱいになったとき、自分を「宇宙」の中に置いてみる。そうすることで、自分の世界が「芥子粒ほどのもの」に見える。つまりは自分の存在を相対化するということだ。

 高校生のころ、何かにつけて悩みが多かったが、あるとき、山下公園のマリンタワーに一人でのぼったことがある。その展望台から見ると、山下公園を歩く人々がまるで蟻のように見えた。なんだオレもあの蟻のようなものじゃないか、と、実に通俗的な「発見」で、一時的にではあれ、救われたような気がしたことがあったが、ひょっとしたら、あのとき、「暗夜行路」を読んでいたんじゃないだろうかと、ふと思った。

 

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 61 「情景」と「気分」 「前篇第二  七」 その3  2020.11.5

 


 信行の手紙を読んでショックを受けた謙作は、いたたまれない気分で外へ出る。芝居をちょっと見て、海の方へ歩いていき、そして海沿いの道を帰ってくる。少し腹が空いてきたので、ちょっと後戻りして「蠣船料理」へ入って行った。


 桟橋からかけ橋を渡って入ると紺の青くはげ落ちた法被(はっぴ)を着た十四、五の生々した子供が中腰でないと歩けない小さな廊下から彼を座敷へ案内した。座敷には低い天井から暗い電燈がただ一つ下っているばかりだった。
 彼は食うものをいいつけた。そして、それを待つ間に座敷の陰気臭さがまた彼の気分に影響して来た。彼は殊更に自分の頭を仕事へ向けようとした。それは本統に今の彼には唯一の血路に違いなかった。しかしそう思っても、努めても、彼の気分はなかなか方へ入って行かなかった。変な淋しさ、そして、暗い何か知れぬものが四方から被いかぶさって来る。そして今はそれを跳返すだけの力は、身中の何処にも潜んでいなかった。頭も胸もまるで空虚だった。そういうものは浸み込み放題だった。彼は浪に捲き込まれた者が浪に身を任かせ、その過ぎ去るのを待っような心持で、今は素直にされるままになっていた。それより仕方がないと考えた。


 芝居を見ても、海を見ても、謙作の心は、どうしても「罪の子」たるわが身のことで一杯だ。感傷的な気分に浸ることでそこから何とか救われようとするけれど、寄せては返す波のように、「罪の子」の暗澹たる気分は繰り返し謙作をおそってくる。

 飯を待つ「蠣船料理」の店の陰気さが、ますます謙作を「変な淋しさ」「暗い何か知れぬもの」で包み込む。謙作はそれに身を任せるしかなかった。


 彼は低い窓障子を開けて、其処から外の景色を眺めた。石垣の上が暗い往来で、向側に五、六軒破風を並べて、倉庫がある。新地から宿屋へ呼ばれて行く芸者だろう、三、四台続いた俥の上で互に浮かれた高調子で、何かいい合いながら通って行くのがその暗い中に見られた。


「寄せては返す波のように」と言ったが、このあたりの叙述自体が、「情景」と「気分」を交互に描き、「情景」が「気分」に影響を与え、また「気分」が「情景」に奥行きを与えるような書き方となっている。そのいわば「情景と気分の交感」のさまが実に見事に描かれている。
窓から見える外の景色は、さっと書かれたスケッチのようだが、そこに人力車に運ばれていく芸者の「浮かれた高調子」が、謙作の思いに輪郭を与えているかのようだ。どこまでも沈んでいく謙作の心の暗さの背景に、そうした暗さとは一見無縁な芸者の「浮かれた高調子」が配置されることで、情景の中に、謙作の心が浮き彫りのように浮かんでくる。その上で、その心の中身へと筆を進める。この呼吸は絶妙だ。


 自分のような運命で生れた人間も決して少なくないに違いない。謙作はそんな事を考えた。道徳的欠陥から生れたという事は何かの意味でそれは恐しい遺伝となりかねない気もした。そういう芽は自分にもないとはいえない気がした。しかし自分には同時にその反対なものも恵まれている。それによって自分はその悪い芽を延ばさなければいいのだと思った。本統につつしもう。自分は自分のそういう出生を知ったがために一層つつしめばいいのだ。少しもそれに致命的な要素は含まれていないのだ。むしろ親の泥酔中に出来た子の生涯呪われた生理的の欠陥などに較べると、それは遥かに仕合せに思えた。淫蕩な気持、これを本統につつしまねばならぬ。そんな事を思った。

 「道徳的欠陥から生れたという事は何かの意味でそれは恐しい遺伝となりかねない気もした。」というような、「遺伝」への不安・恐怖は、ゾラやその後の日本の自然主義などを背景に考えるべきだろう。そうした恐怖を背景に、「自分には同時にその反対なものも恵まれている」という自覚から、「それによって自分はその悪い芽を延ばさなければいいのだと思った。」という決意は、次に来る「本統につつしもう」という短い言葉に集約されている。それは「淫蕩な気持、これを本統につつしまねばならぬ。」と再度繰り返される。

 初めて会った時の「祖父」の下品な印象。自分には辛く当たった母だが、屋根にのぼってしまった自分を心の底から心配した母。いつも冷たい父。愛子の結婚の拒否。自らの放蕩。それらの「過去」が、みな「罪の子」である自分という観点から顧みられる。その中で明らかになってきたのは、今までがどうであれ、自分はその運命を乗り越えていかねばならない。それにはとにかく「淫蕩な気持をつつしむ」ことだと、謙作は思ったわけである。

 自然主義の作家にはまず見られないこうした「倫理的態度」は、「白樺派」の面目躍如といったところだろうが、まあ、「白樺派」といっても、それぞれがぜんぜん違う。単に「理想主義」などといってすますわけにはいかないわけで、特にこの志賀直哉の場合は、ほとんど自然主義の作家とすれすれのところにいるといっていいだろう。


 食事をのせた大きな盆を持って、先刻の子供が大股に入って来た。そしてそれをぐらぐらする小さな飴台(ちゃぶだい)の上に置くと元気にちょっと頭を下げ、出て行った。
 腹が空いているつもりだったが、彼は余り食えなかった。酢にした蠣だけが食えた。
 何か小さな物が舌の上に残ったので、彼はそれを指の先に落として見た。それは目高(めだか)の眼ほどの小さい真珠だった。勿論大きさからいっても別に価(あたい)のあるものではなかったが、口へ入れたものから、そんなものの出た所に何かしら幸運らしい気持が感ぜられた。


 志賀直哉はほんとうに子供の描写がうまい。この店の子供の「生々した」様子が目に浮かぶようだ。けれども、言葉はほんのちょっとしか使われていないのだからびっくりする。

 舌の上に残った小さな真珠。そんなものにすら「幸運らしい気持」を感ずる謙作だったが、ことはそう簡単には進まなかったのだ。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 62  父の激怒 「前篇第二  八」 2020.11.15

 

 謙作はあの手紙から受けた衝撃からなかなか立ち直れない。元気になったかと思うと、参ってしまうということを繰り返した。

 謙作は牡蠣の中から出てきた小さい真珠を咲子(姪)に送った。咲子の礼状と一緒に兄の信行からも手紙が届いた。この手紙がまた波乱を起こすのだった。

 信行はこう書きだしていた。

 困った事が起った。俺はお前に済まない事をしてしまった。自分の浅慮からお前に思わぬ不快と迷惑を与える結果になった事をあやまらなければならない。俺はその事で生れて初めてといっていい位烈しい衝突を父上とした。その結果はやはり思わしくない。

 信行は、確かに父親とは衝突することなく暮らしてきた。その信行が父と「生れて初めてといっていい位烈しい衝突」をしたというのだ。

 それは、信行が、謙作の結婚の意向を父に話してしまったからだった。父に直接話したのではなく、母に話したのだが、それが父に伝わってしまった。父は激怒した。

 最初俺は何がそれほどに父上を怒らしたか解らなかったほどだ。俺はそんな父上を初めて見た気がした。「そんな事は断然ならんから。お栄は今から直ぐ解雇してしまえ」こんな風にいわれた。今になれば、俺にも父上の気持はよく解る。何がそれほど父上を激怒させたか、それを想うと、涙が出て来る。それは、お前に対する怒りでも、お栄さんに対する怒りでもない。そういう間違った事(この言葉は父上の言葉だが)に対するそれは激怒なのだ。が、俺はその場にあって、其処まではつい考えられなかった。

 自分の妻がこともあろうに自分の父親と関係して子どもまで出来たことだけでも許せないことなのに、しかもそれをなんとか我慢して許したのに、その父親の妾だったお栄とその不義の子どもが結婚したいと言い出したなんてことを聞いて、ま、それもまたよかろう、なんて言う男がいるだろうか。「何がそれほどに父上を怒らしたか解らなかった」と信行は言うわけだが、この鈍感ぶりにはびっくりする。

 信行は初めて見る父の激怒にすっかりうろたえてしまったが、すぐにこれは謙作に対して申し訳ないことになったと気づいて、なんとかお栄を「解雇」するなんてことは思いとどまってほしいと父に訴えたのだが、それがまた父を激しく刺激した。

 「貴様までがそんなことをいうか」父上は机の筆筒を、いきなり俺の膝の前へたたきつけられた。その時筆箇の底にあったペン先が、どうしたはずみか一本畳へささった。俺はそれを見詰めながら、これはとても今話した所で駄目だと思った。それでも俺は、「そんな事を仰有(おっしゃ)っても、謙作が承知しますまい」といった。「いや断然それは俺が許さん」と父上はいわれた。仕方がない、俺はそのままその場を切り上げたが、後で亢奮が少し静まると、初めて俺には父上の気持がハッキリ映って来た。俺は何年ぶりかで泣いた。そして自分でつくづく馬鹿だと思った。俺の浅慮は一度にお前やお栄さんに思わぬ迷惑をかけ、父上には漸く忘れかけた苦痛を呼び起してしまったのだ。どうか俺を余り責めないでくれ。いうまでもなく、それは全く悪意からではなく、浅慮からの過失だったのだ。

 

 筆筒を投げたらその筆筒の底にあったペン先が畳のうえに突き刺さった、というのが、なんともリアルだ。ペン軸についたままのペン先が突き刺さったのではなく、ペン軸についてない、「筆筒の底にあったペン先」が突き刺さったのだ。普通ではまず考えられないことだ。その畳に突き刺さったペン先を「見つめながら」、信行はこりゃだめだと思ったという。どうしようもない父の怒り。言葉にならないほどの父の怒りと痛み。それが畳に突き刺さったペン先によって形象化している。見事としかいいようがない。その鋭い怒りと痛みを前にしては、信行の謝罪の言葉も力を失う。

 信行はその後も、ことの次第をくどくどと書き連ねる。同じ晩に父に会ったときも、父の言い分は変わらなかったこと。そしてその言い分を自分は承知してしまったこと。その言い分とは、

 表面上の理由はこうだ。お前がそうして尾の道にいる以上、別に東京に家を持っている必要はないし、お栄さんとしても、永久に一緒にいるはずの人でないのだから、早く一人になって、生涯安心の道を立てた方がいいだろうというのだ。で、お栄さんのためには父上は前からそのつもりでいたように、二千円だけの金をあげるというのだ。俺は二千円ばかり、今時どんな商売をするにしても足りはしないから、五千円位出して頂きたいといったのだ。父上はなかなか承知されなかったが、しまいに三千円だけ出すという事になった。こんな事まで書くのはお前の気を悪くする事に違いない。しかし万々一、お前の気持が変って、これを承知する場合がないともいえないので、こんな事も決めたわけだ。

 つまりお栄の「解雇」は、二千円の手切れ金で解決しようというのだ。信行はそれを五千円にしろと要求したが、結局三千円でまとまったという。こんなこと、謙作が気を悪くするに決まってるって思いながら「万々一、お前の気持が変って、これを承知する場合がないともいえないので、こんな事も決めたわけだ。」なんていうのだ。

 ずいぶんと失礼な話ではないか。父が二千円でどうだ、って言ってきたら、冗談じゃないですよ。謙作がそんな金を受け取ると思いますか? って反論すべきところだろう。それもできないで、じゃあ五千円、じゃあ三千円、って、いったい何なの? ってことだ。

 とにかく三千円で話はまとまったので、信行はお栄に「報告」に行った。

だから、俺のはむしろただその報告に行ったのだ。──そこで露骨にいえばこういう事になる。父上の命令的ないい条は、それを認める認めないは実はお前たちの勝手なのだ。ただ認めないとなると、お栄さんの受取るはずの金を請求する事はちょっと困難になりそうだ。これだけだ。俺はその事も、少し露骨だったがお栄さんにハッキリいったのだ。しかしお栄さんはそれに対し、何もハッキリした返事はされなかった。無論大した金ではないが、お栄さんのような境遇の人にとって、そう冷淡ではいられなかったに違いない。お栄さんからすれば、自身お前と結婚しようとは思っていないから、早晩お前が誰かと結婚した場合、別れる事に変りはないと考えられるのが本統らしい。ただそれは時期の問題だ。今、直ぐ別れるか、他日かという。しかし金の方は今なら受取れるが、他日では駄目だとなると、これは問題が変って来る。それ故お栄さんは自身のこれからを考えれば、父上のいわれるように今お前と別れるのがいい事にもなるのだが、またまるで異(ちが)う気持から、今お前と引き離される事は随分つらいらしく、それは俺の眼にも見えた。

 この文面では、いったいお栄は金が欲しかったのか、欲しくなかったのか、まるで分からない。信行が「無論大した金ではないが、お栄さんのような境遇の人にとって、そう冷淡ではいられなかったに違いない。」と推測するだけだ。(それにしても何という慇懃無礼な言い草だろう。)その推測にのっとって、さあ、すぐに別れるか、ぐずぐず引き延ばすのか? すぐに別れれば三千円だ、伸ばせばゼロかもしれないぞ、と脅しているようなものだ。

 そもそも、いきなり金の話を持ち出すのが下卑ている。そんなことは後回しで、お栄の気持ちを聞くことこそ第一ではないのだろうか。信行の気持ちはとにかくお栄を追い出すことに向かっているわけである。

 お栄の答は、分からないということでしかなかった。

「私には解りませんわ。何事も貴方と謙さんにお任せ致します」こうお栄さんはいわれた。実際そうとよりお栄さんとしたらいえない事だ。結局ハッキリした事は何も聴かずに帰って来たが、お栄さんはお前がまだ尾の道にいるようならば、一人でこんな家住んでいるのは贅沢過ぎるから、とにかく最近、もっと小さい家に引越したいと、それを頻にいっておられた。で、俺もその事は賛成して来た。

 

 信行の手紙はまだこれで終わりではない。謙作とお栄の結婚についてどう自分は思っているのか、などということを更にくどくどと続ける。その内容は、要するに、お栄との結婚は諦めてほしいということに尽きる。その詳しい内容については次回。

 

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』  63  怒りの「正しさ」 「前篇第二  八」 その2   2020.11.22           

 

信行の手紙は続く。

 そして夜おそく、(一つは父上と会うのがいやだったので)帰って来ると、二十八日出しのお前の手紙が来ていた。俺はそれを読みながら、さすがお前らしく、参りながらも、その苦みから抜け出す路を見出そうとする気持に感心した。本統に随分苦しかった事と思う。しかしその苦みにまた添えて今度のような問題をいってやらねばならぬ事を考えると俺は全く気が滅入ってしまった。のみならず、俺はお前がお栄さんに対する申出をまだ断念してないのを見ると、これはもしかすると今度の問題でお前がその決心を一層堅くしはしまいかという不安を感じた。不安といっては済まぬ気もするが、実際俺にはそれは不安だ。お前のためにも不安だが、父上がそれから受けられる苦痛を考えると、変に不安になる。俺は本統に自分の無力を歯がゆく思う。全く板ばさまりだ。もし自分に力があればこんな事もどうか出来る事かも知れない。しかし俺にはどうする事も出来ない。父上は父上の思い通りに主張される。お前はお前の考に従って何でもしようとする。両方それは正しく、両方に俺はよく同情出来る。が、さて自分の立場へ帰って、それを考える時に、俺は本統にどうしていいか分らなくなる。

 信行の「不安」は、結局は、父への配慮からくることがわかる。信行は「板ばさまり」だという。父も謙作も頑固で、自分の思いを貫こうとするが、信行には貫くべき「自分」がない。ただ父を苦しませたくない。あるいは、父と衝突したくないのだ。

 信行はどうしていいか分からない。

 全く俺は臆病なのだ。二、三年前一年ほど家を持たした事のある或る女とも、約束しながら、しまいに俺はそれを破ってしまった。これは恥ずべき事とは思うが、とても承知するはずのない父上との衝突が考えてもいやだったからだ。衝突はいいが、俺が勝ったとしても父上がそれで弱られる事を考えると、俺にはそれを押してやる気にはなれない。幸にその女も簡単に納得したからいいようなものの、こういう事はお前としては考えられない事かも知れない。それからお前がたつ前日にもちょっといったが、俺は今の生活をどうかして変えねばならぬという気を随分強く感じている。精しい事は長くなるから書けないが、あの時お前は「それなら直ぐ会社をよしたらよかろう」といったが、それすら俺には出来ない。今更にこんな事を書くまでもないが、どうして、こう弱いか自分でも歯がゆくなる。

 どうしていいか分からないので、自分の弱みを書く。「家を持たした事のある或る女」との「約束」って、愛人だった女との結婚の約束ということだろうが、それも、父との衝突がいやでその約束を破ってしまう。そんなに父と衝突したくないのなら、最初から家など持たせなければいいじゃないかということだが、そんな理屈が問題なわけではない。信行は、とにかく自分の恥をさらすことで、自分の弱さを口実にして、謙作にお栄との結婚を諦めさせようとしているわけだ。なぜ、そんなに謙作とお栄との結婚を嫌がるのか。ほんとうに父のことを思ってなのか。どうもそれだけではなさそうだが、その辺ははっきりしない。そして、結論を述べる。

 そこで仕方がない。俺は俺の希望を正直に書く。出来る事なら、どうかお栄さんの事を念(おも)い断(き)ってくれ。これは前の手紙にも書いた通り、必ずしも父上を本位にしていうのではない。その事は何故かお前の将来を暗いものとして思わせる。そしてなお出来る事なら、この機会に思い切ってお栄さんと別れてくれ。これは後になれば皆にいい事だったという風になると思う。それはお前の意地としては、なかなか承知しにくい事とは思う。が、それをもしお前が承知してくれれば吾々皆が助かる事だ。俺は俺の過失に重ねて、こんな虫のいい事をいえた義理でない事をよく知っている。が、俺の希望を正直現わせばこういうより他ない。

 ここに至って、信行の「希望」がいったい何を願ってなのかがさっぱり分からなくなる。「必ずしも父上を本位にしていうのではない」というわけだが、じゃあ、「何故かお前の将来を暗いものとして思わせる」との言葉通り、謙作の将来を思ってのことなのかと思うと、「もしお前が承知してくれれば吾々皆が助かる事だ」と言う。「吾々皆」って誰なのか。「吾々皆」がどう助かるというのか。

 要するに、信行や父や、その他の親族が、この結婚を快く思っていない。親族の恥だと思っているということだろう。世間から非難されるようなことを謙作にしてほしくない。それが本音であろう。

 こうやって信行の気持ちを謙作側から見ていると、信行のずるさばかりが目に立つわけだが、しかし、世の中ってこんなもんじゃなかろうかという気もするのだ。何かをしようとすると、決まって反対するヤツがいて、ああだこうだと理由をつけてくる。それがどこかすっきりしなくて、どうして反対なのかが分からない。いろいろ挙げてくる理由を分析しても、どこに焦点があるのか分からないままだ。しかし、反対だという意志だけは、妙に強固で、揺るがない。その訳の分からない「反対」の奥の奥にあるものは、結局はエゴイズムだと思うのだが、それが絶対に表面には出てこないのだ。

 そう考えると、信行の場合は、そのエゴイズムが比較的みえているので、まだカワイイとも言えるのかもしれない。

 さて、謙作は、この手紙を読んでどう思ったのか。「不快」に決まっているが、まあ、見てみよう。

 謙作は漸く、この彼には不快な手紙を読みおわった。そしてやはり彼は何よりも父の怒りに対する怒りで一杯になった。しかも彼は自分の怒りが必ずしも正しいとは考えなかった。同様に父の怒りも正しいとは考えられなかった。
 とにかく彼は腹が立った。愛子の事に、「そういう事は自分でやったらいいだろう」と変に冷たくいい切った父が、何時か彼には浸み込んでいた。そしてその時はそれをかなり不快に感じたが、段々には彼は「それもいい」という風に考えるようになった。それ故、今度の場合でも父が不快を感ずる事は勿論予期していたが、それほどに怒り、それほどに命令的な態度を執るという事は考えていなかったから、何となく腹が立って仕方なかった。

 謙作の、あるいは志賀直哉の面目躍如だ。いきなり「不快な手紙」と来る。しかしその後の「怒り」は複雑だ。

 謙作はまず「父の怒りに対する怒り」を感じたわけだが、その自分の怒りと父の怒りの「正しさ」を信じられない。それは、まず父が「不快」には思うだろうとは予想していたが、そんなに怒るとは思っていなかったということがあるらしい。父の激怒は、謙作には「意外」だったのだ。なぜ、そんなに怒るんだろう。関係ないでしょ、あんたには。愛子との結婚の件も、勝手にしろと冷たかった父だから、そんなふうに激怒するとは思っていなかったというのだ。

 改めて考えてみる。自分の女房を寝取った父親が囲っていた妾と、女房が父親との間にできた子どもが結婚するということに対して、「ふざけるな!」って怒ることがそんなに「意外」なことだろうか? 話が複雑すぎて、感情も込み入りすぎて、ぼくだったら、もうどう反応していいか分からないってところだけど、取りあえず、「ふざけるな! なにやってんだ! おまえたちは!」ってぐらいは思うだろうと思う。それを細かく分析すれば、謙作は、父にとっては、淫乱な女房の子どもで、したがって女房の同類で、その父の父はまさに淫乱な唾棄すべき男で、その男が妾にしたお栄だって淫乱な女で、つまりは、淫乱な女房の息子が、淫乱な親父の淫乱な妾と結婚だって? って話になる。やっぱり、「怒る」でしょ。それは。誰に対して、というのではなくて、そうした状況そのものに腹が立つ。激怒する。人間として当然という気がする。

 だからこそ、謙作は父の怒りに対する自分の怒りが「正しい」とは思えないわけだ。けれどもまた父の怒りも「正しい」とは思えない。それは、少なくとも自分のお栄に対する愛情には一片の淫乱さもないと信じているからだ。

 しかしである。そもそも、自分の出自が分かったあとに、なお、謙作はお栄と結婚することに拘っているのはなぜなのかということが気になるのである。信行はそれは「意地」だというのだが、もちろん、謙作にとってはたぶん意地ではない。お栄に対する愛情は、一緒に生活しているうちにごく自然に生じた愛情なのだと思われる。もうすこし実情に即したことを言えば、一緒に暮らしているうちに謙作はお栄に情欲を感じるようになった。その情欲を満足させるためには結婚しかないと思った、ということもある。もちろん情欲だけの問題ではないが、やはりそのことは大きいし、それは前にはっきり書かれていたことだ。

 しかし、そうだとしても、自分が祖父の子であることを知った今、その妾であったお栄と結婚することにためらいを感じるほうが普通だろう。それを諦めないというところに、謙作の不思議さがある。自分の愛情が純粋であればそれで十分で、その他のことは考慮の余地はないということなのだろうか。そうだとすれば、ずいぶん子どもっぽいことではある。

 そういう謙作に対して、ああ、もうやめてよ、これ以上ゴチャゴチャするの。もうほんとにメンドクサイよ。勘弁してよ。という信行の気持ちも痛いほど分かるわけである。

 ここで謙作がお栄とさっぱり縁を切って別れてくれれば、「皆が助かる」というのも確かなことで、いっそ読者も助かるっていいたいところである。

 それにしても、怒りが「正しい」か「正しくない」かを考えてもしょうがないのではなかろうか。そういう「分別」を離れたところに怒りは生じるもので、だからこそまた怒りは純粋であるともいえるのだ。確か三木清がそんなことを言っていたように思うのだが。


 

志賀直哉『暗夜行路』 64 信行と謙作の「自我」 「前篇第二 八」 その3  2020.12.12

 

 

  信行の手紙に「不愉快」を感じ、怒りも感じた謙作だが、その怒りの「正しさ」が信じられない。同時に父の怒りの「正しさ」も信じられない。とにかく腹が立ったのだった。

 信行がこの結婚の問題について義母に話したことも気に入らなかったし、信行が自分に同情しているようにいいながら、結局のところ父の気持ち第一なのが気に入らなかった。

 しかし謙作にも信行の気持、同情出来ない事はなかった。同情しなければ、いけないという気持すらあった。が、同時に其処まで同情したら、自分の方はどうするのか? という気がした。それに信行は自分がお栄に申出でをした事だけを話したらしく書いているが、自分に自分の出生を打明けた事を話したか話さないか、まるで書いていない。この事も彼はちょっと不快に感じた。それは勿論話したのだ。ただ自身の軽挙をいくつもいいたくない気持から、それが書けなかったに違いないと彼は思った。其処まで話したとすればなおの事、自分の事は自分だけで処理さすよう徹底的に父を納得させるがいいのだ三千円に執着しているような所も、感心出来なかった。

 「もういい加減にしてくれよ!」といった信行の気持ちが謙作には分かる。「同情しなければ、いけないという気持すらあった」のだ。けれども、「同時に其処まで同情したら、自分の方はどうするのか? という気がした。」という。正直な話である。

 ぼくらはいつも、この「同情すべきだ」と「そこまで同情したらオレはどうなる?」の間でのせめぎ合いで生きている。「君の気持ちは分かるよ。分かるんだけど、でもね、それじゃオレはどうなるの?」こんなことの繰り返しで日々が過ぎているのではなかろうか。

 信行に同情すべきだという気持ちはありながら、彼の行動への不満は山とあるわけである。

 謙作は返事を書いた。


 お手紙只今拝見、父上のお怒り、僕には不愉快でした。この問題は前の手紙にも書いた通り、父上との関係が本統の所まで、はっきり落ちついていない所から起った事です。それがはっきりしないうちに父上のお耳に入れたのは面白くない事でした。しかし今更それをいった所で始まりません。が、僕としては──僕の行動としては関係がはっきりした後にとるべき行動と、同様のものを今もとるより仕方ありません。いいかえれば僕は僕の考え通りにするより仕方ありません。


 単刀直入とはこのことだ。こんな手紙、なかなか書けない。まずは、社交辞令から始まるのが普通なのに、いきなり「不愉快でした」だもの。取り付く島がない。

 結婚の事は勿論僕だけの勝手には行きません。しかしお栄さんと別れる、別れないは、──ある時別れる場合があるとしても、──それは二人の間だけの問題にしたいと思います。しかしただこれだけの事はいえます。僕はこれからお栄さんと正式に結婚すればよし、もしそれが出来ないとすれば、出来ないままに今までと全く同じ関係を続け、決して深入はしまいと決心しているという事を。それなら父上には今までと同じわけです。もっともこれは父上のためにした決心ではなく、僕は僕の運命を知る事で、一層そういう事につつしみ深くならねばならぬという気が強くしているからの事です。
 それから金の事は僕直接の事ではありませんが、お断りします。僕の金も元々父上から頂いたものですが、お栄さんには、それから分けます。
 それから家を引越す事、これもそんな必要ないとも思いますが、お栄さんが気になるなら、引越す事賛成します。何処か郊外へでも行ったらいいでしょう。

 実に筋が通っている。信行は謙作とお栄の結婚を、当事者二人だけの問題として捉えてはいない。お栄との結婚を諦めてくれというのは、「必ずしも父上を本位にしていうのではない。その事は何故かお前の将来を賠いものとして思わせる。」といいながら、謙作の言うとおり、やっぱり、父本位なのだ。あるいは、父と自分との関係が問題なのだ。

 そこを謙作は断固として突っぱねる。信行に同情のかけらすら示さない。これでは間に入った信行が「子どもの使い」になってしまう。それでも、謙作は、そんなの関係ねえ、と突っぱねるのだ。

 この取り付く島もない謙作の言葉の後で、信行が手紙に書いてきた言葉を再びよむと、信行があわれに思えてくる。

そしてなお出来る事なら、この機会に思い切ってお栄さんと別れてくれ。これは後になれば皆にいい事だったという風になると思う。それはお前の意地としては、なかなか承知しにくい事とは思う。が、それをもしお前が承知してくれれば吾々皆が助かる事だ。俺は俺の過失に重ねて、こんな虫のいい事をいえた義理でない事をよく知っている。が、俺の希望を正直に現わせばこういうより他ない。重ね重ね俺はお前に済まぬ気がしている。

 ここまで恥をも厭わず本音をさらけ出して書いた信行があわれである。もちろん、信行は、事なかれ主義で、常に父の顔色を伺って生きているしょうもないヤツだろう。それでも信行の気持ちには切実なものがある。

 しかしまた謙作のお栄に対する気持ちも切実だ。お互いに一歩も譲らないという事態。まあ、これが現実というものだろう。

 父上の怒られたお気持、僕にも解ります。しかし僕には君のように父上のお気持を全然主にしては、自分の事だけに考えられません。君の板ばさみの立場についても同様です。これは僕の我儘かも知れません。しかし君の望まれる通りになる事は僕には性格的に不自然です。どうか悪しからずお思い下さい。

 こう手紙は結ばれる。最後の「性格的に不自然」という言葉が印象的だ。この「不自然」という言葉は、謙作が遊郭で遊んでいたころに、盛んに使われていた言葉だが、「こういう場所(遊郭)に不馴な自分が、それほどの馴染でもない家に電話まで掛けて、一人で出向いて来る事はどうしても不自然で気が咎めた。」というように、遊ぶ場合の態度についてであって、意味はそんなに重くない。けれども「性格的に不自然」というのは、なかなか重い意味を持つ。つまり、それでは「性格的に自然」ってどういうことだ? という疑問を持たせるからだ。

 たとえば、ぼく自身についていえば、自分の性格に照らして、どういうのが「自然」なのかと考えても、ぜんぜん分からない。もちろん、何が「不自然」なのかも分からない。「こういうことは性格的に不自然だ」と言うことができるということは、自分の「性格」に確固たる自信があるということだ。

 「志賀直哉のおける自我の構造」といったような論文が、おそらくいくつもあるような気がするのだが、それはこうした自分の性格に対する自信が作品の随所に見えるからかもしれない。

 ひるがえって信行の性格を考えてみるに、謙作の対極にあることが分かる。つまり、信行の造型は、謙作の自我の強さを印象づけるための「鏡」として設定されたのだろう。

 

 

 


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