志賀直哉「暗夜行路」を読む (3) 27〜38

前篇第一 (七)〜(十二)

引用出典「暗夜行路 前篇」岩波文庫 2017年第11刷

 引用文中の《  》部は、本文の傍点部を示す。

 


 

志賀直哉『暗夜行路』 27  透明な時間 「前篇第一  七」 その1   2019.12.23

 

 謙作が眼を覚ましたのはもう午頃(ひるごろ)だった。二タ(ふた)晩家(うち)を空けたという事で何となく彼はお栄と顔を合わすのが具合悪かった。戸外(そと)では百舌(もず)のけたたましい啼声がしていた。彼は暫くそのまま横になっていたが、思い切って飛起きた。そして雨戸を一枚繰ると、隣の梧桐(あおぎり)の天辺(てっぺん)から百舌が啼きながら逃げて行った。
 実にいい日だ。風もなく、秋らしい軟かな日差しが濡れた地面に今百舌の飛立った梧桐の影を斜に映していた。風呂の烟突(えんとつ)からかすかな烟(けむり)が立登っている。彼はその朝未明に門を開けさせた女中に湯を沸かすよういいつけておいた事を憶い出した。
 「やっと起きたね」下から信行の声がした。お栄が段々を登って来た。
 「もう一時間も待っていらしたのよ」
 彼は急いで降りて行った。信行は茶の間の長火鉢の側で烟草をすっていた。
 彼は二タ言三言立ったまま話して、そして、
 「信さん、風呂は如何(どう)かな?」といった。
 「俺は沢山だ」
 「それじゃあ、ちょっと失敬するよ」こういって謙作は風呂場へ行った。
 彼は久しぶりで風呂へ入ったような気がした。気持のいい日光が硝子窓を透して箱風呂の底まで差込んでいた。湯気が日光の中で小さな無数の粒になってモヤモヤと動いている。彼は兄が待っているのでなければ、長閑な気持で、ゆっくりと浸かっていたかった。

 

 なんという魅力的なシーンだろう。これはやっぱり小津映画だ。いやそれ以上だ。ここには映画では描ききれない風情がある。

 今では、都会の真ん中では、モズの声など聞くことはまずできない。横浜でも、ちかくの大きな公園に出かけても、モズの声を聞くことはなかなかできなくなっている。あの、澄んだ空気を引き裂くような鋭い声は、他の鳥にはないもので、その鳥が、雨戸一枚開けると梧桐のてっぺんで啼いているなんて、今のぼくには天国的に思える。

 朝のさわやかな戸外の様子を簡潔にしかも十分に描写しておいて、段落をかえ、「実にいい日だ。」とくる。その間合いに、しびれる。

 謙作が「実にいい日だ。」と感じただけでなく、読者もほんとに「いい日」だなあと納得してしまう。これを読んでいる「今」がとても「いい日」に思えてくる。

 その後に描かれる庭の情景と、煙突の煙。極上の映像である。

 煙突って、隣は風呂屋か、なんてトンチンカンなことを思っていると、これが自宅の風呂場の煙突だったことが判明する。そういえば、ぼくの家にもあったなあ。風呂場の煙突。でも、朝から煙がのぼっていたことはない。

 朝風呂。しかも、それが女中に言いつけておいた結果の煙だ。なんという贅沢。当たり前だが、こんな煙は人生で一度もみたことはない。

 階下で兄が待っている。お栄が呼びに階段を上がってくる。兄は、「茶の間の長火鉢の側で烟草をすって」いる。この「茶の間の長火鉢」というものほど、憧れるものはない。これがあるだけで、茶の間に「居場所」ができる。ぽつねんと座るにも、形がいい。タバコも必須だけどね。

 その兄を更に待たせて謙作は風呂に入る。時間がここではゆったり流れている。まさに小津的時間の流れ。小津は志賀直哉からほんとうに多くを学んだのだろう。

 そして風呂場の光景。「気持のいい日光が硝子窓を透して箱風呂の底まで差込んでいた。」かあ。つくづく羨ましい。温泉へ行って、朝風呂に入ると、ときどきこんな光景を目にすることはあるが、家風呂じゃねえ。子どもの頃の風呂場は、ジイサン手作りのバラックだったけれど、それでも風呂桶は杉材だったし、窓から外の光も差し込んだ。だから、気をつけて見れば、「日光が箱風呂の底まで差込んで」いたのかもしれない。しかし、今は、ユニットバス。朝日の差し込む余地もない。

 「湯気が日光の中で小さな無数の粒になってモヤモヤと動いている。」という描写も正確だ。こんな「湯気」を温泉で、確かに見たことがある。

 吉原でのダレた、どこか汚れた時間の後に、こんなにも透明で引き締まった時間が流れるなんて驚きだ。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 28 「大人」への道 「前篇第一  七」 その2   2020.1.10

 

 彼は久しぶりで風呂へ入ったような気がした。気持のいい日光が硝子窓を透して箱風呂の底まで差込んでいた。湯気が日光の中で小さな無数の粒になってモヤモヤと動いている。彼は兄が待っているのでなければ、長閑な気持で、ゆっくりと浸かっていたかった。
 「お前が家(うち)を空けるのでお栄さんが心配してられるよ」信行はそんな事をいって笑った。
 謙作は曖昧な返事をした。
 「昨日偶然山口に会ったら、お前の小説を○○
出したいというんだが、何(なん)かないかい?」と信行がいった。


 前回引用の部分につづく部分だが、この「つなぎ方」がすごい。

 普通なら、「長閑な気持で、ゆっくりと浸かっていたかった。」のあと改行したら、「さて、謙作が風呂からあがって、信行の前に座ると」ぐらいの説明が入るところ。しかし、そういう説明はいっさい省かれ、いきなり信行のセリフとなる。ここも極めて映画的だといえる。

 映画には説明が入らない(のが普通だ)から、カットの「つなぎ」はこうならざるを得ない。つまり、のんびりと風呂に入っている謙作の顔を写したあと、せいぜい庭の光景のワンカットを入れてから(入れなくてもいいけど)、信行の顔のアップになって、このセリフ。

 小津の映画なら、間違いなく、正面向いた顔のアップで、こうしゃべらせるに違いない。

 続く「謙作は曖昧な返事をした。」という説明は、映画では、なんらかのセリフとなるだろう。若い時の笠智衆にやらせれば、「やあ、、」とか言って、頭をかく仕草だろうか。

 小説ではこのあと、説明なしのセリフだけがトントンと続く。映画にするなら簡単だ。

 信行と謙作は、しばらく食事をしながら謙作の小説をどうするかというようなことを話していたが、謙作は昨晩、「西緑」に緒方をおいて帰ってきてしまったのが気になって、食事が済むと、近所の本屋へ行って「西緑」に電話を掛けた。まあ、当時のことだから、謙作の家には電話はないわけである。

 余談だが、ぼくが中学生の頃は、家に電話がない同級生はたくさんいた。ぼくの家は商売をやっていたので電話は必需品だからあったのだが、サラリーマン家庭にはないのが普通だったのかもしれない。だから、電話のない友達の家に連絡するときは、「呼び出し」といって、近くの家に電話して、友達を呼びにいってもらったものだ。今から思うと、よくそんなことができたものだと思うのだが、極めて一般的なことだった。

 この小説の時代は、明治の末期ということになるわけだが、その頃と、ぼくが中学生のころ、つまり昭和30年代後半は、電話についてはあまり変化がなかったということになる。ところが、その後、電話は一家に一台が当たり前になり、そのうち、携帯が出現し、もはや、「家電」一台というのは遙か過去のことになった。

 本屋から「西緑」に電話しているときの様子がこう書かれている。


 謙作は緒方の事が気になっていた。それで、食事が済むと直ぐ近所の本屋へ行って西緑に電話を掛けてみた。
 「もう少し前、お帰になりました」こういったお蔦は更に「ちょっと待って下さいましよ」といって引っ込んだ。
 「昨晩は」と登喜子が出た。「誰か分って?」
 「うん」謙作は自分でも少し不愛想だと思うような返事をした。―つは本屋の小僧だの客だのが近くいて、それとなく電話の話に注意しているような気がしたからであった。


 まあ、こういうことになっちゃうわけだ。「本屋の小僧」とか「本屋の客」とかが、謙作の話に「それとなく」耳を傾けている、ような気がするのも当然で、まあ、これが「家電」であっても、「彼女」からの電話なんかに出た日には、家中の者が「それとなく注意」しているような気がする──あるいは実際に「注意している」のもまた当然のことであったろう。この「やりにくさ」は、ぼくも大学時代さんざん経験してきたことである。

 さて、電話での登喜子の話を聞いていると、緒方は、昨晩謙作が帰ろうと思ったころ、トランプの「二十一」で、芸者相手にさんざん勝って、先に抜けてしまった。そのことを謙作は気にせずトランプを続けていたのだが、どうもそのことを登喜子が気にしているらしい様だと気がついたのだった。

 

 明方近く、それは丁度謙作が帰ろうと思っている頃だった。トランプの二十一をしていて、緒方にだけ不思議なほどいい札がついた。そしてとんとん拍子に皆の財産を捲上げた。換貫(かえがん)(注)をして、はるとまた緒方がさらって行った。その時登喜子は口惜しがって何かいっていた。何をいったか謙作は聴いていなかったが、間もなく、緒方は急にごろりと仰向けに寝て、
 「あああ。こう勝っちゃあ、詰らんな」といって自分だけ勝負から抜けてしまった。謙作は気にも留めずに三人であとを続けていたが、先刻電話で登喜子が気にしていた事や、今緒方が何気なくそういった言葉などから想い合せると、このちょっとした事が、二人の気持ではかなりに変なひっかかり方をした事がらに違いないと思った。彼は一週間前、同じ場所で阪口に不愉快を感じた。それを竜岡がほとんど気づかずにいた事を不思議に思ったが、今自身がその位置に置かれて見て、案外そういう事には気づかない場合もあるものだと考えた。

 

 ちょっとした一言や態度が妙にひっかり、気になることが確かにある。けれど第三者には、別にどうってことないことだったりするわけだ。謙作のように自尊心の高い人間には、自分が気になることが、どうして友人は見過ごすのだろうと「不思議」に思うわけだが、いざ、自分が気にもしなかったことに、友人が気にして悩んでいるのを見て、なるほど、おれだけが正しいわけじゃないんだと納得している。

 成熟した大人なら、そんなことは常識ではあるのだが、ボンボンの謙作が大人になるためには、こうした一つ一つの経験が必要だったのであろう。そのいわば精神の成長の過程を、実に正直に書く志賀直哉の誠意は貴重だ。

 

(注)換貫=花札の勝負で手持ちのチップ(白・黒の石)がなくなった時、他から貫木というチップを借り、終了後清算する。この借りる事およびこの時貫木といっしょに受けとる借り札を換え貫(札)という。(岩波文庫版の注)

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 29  「下らない人間」あるいはAI小説  「前篇第一  七」 その3   2020.1.21

 

 

 信行が帰ったあと、夕方、謙作は緒方と一緒に竜岡を誘って「清賓亭」へ行ったが、お目当てのお加代は出てこなかった。その翌日。


 翌日は起きた時から、謙作は何だか気分が悪かった。しかし丸善まで行く用があって出掛けると、途々無闇に嚔(くさめ)が出た。用を済ますと彼は直ぐ帰って床へ入った。不規律な生活で疲れた所に風邪をひいたので、彼はその翌日も終日床の中で暮らした。彼はもう少し自分の生活をどうかしなければいけないと思った。しかし彼の気持は変に落ちつかなかった。その翌日も元気なく半日床の中で暮らしたが、熱もなかったので、湯に入ると、もうどうしても家に凝(じ)っとしていられなくなった。彼は夕方から竜岡を誘って、西緑へ行った。登喜子も小稲も来たが、少しもその座は《はずま》なかった。夜が更けるに従って、彼はむしろ苦痛になって来た。登喜子との気持も二度目に会って彼が自分のイリュージョンを捨てたと思った時がむしろ一番近かった時で、それからは弾力を失ったゴム糸のように間抜けてゆるく、二人の間は段々と延びて行くように感じられた。彼は今もなお登喜子を好きながら、それが熱情となって少しも燃え立たない自分の心を悲しんだ。愛子との事が自分をこうしたといいたい気もした。しかし実は愛子に対する気持が既にこうであった事を思うと、彼は変に淋しい気持になった。
 彼は自身が如何にも下らない人間になり下がったような気がした。彼はそれを凝っと一人我慢する苦みを味わいながら夜の明けるのを待った。そしてつくづく自分にはこういう場所は性に合わないのだと思った。


 謙作は、いわゆる「高等遊民」なのだろうが、それにしても、風邪を引いたからといって、何日も床の中で暮らすことができるなんて羨ましい限りだ。高齢者ならともかく、まだ20代の若者なのだ。小説を書いているのだが、その原稿料で生きているわけでもない。それなのに、遊郭で遊びまくって、風邪を引けば床からでない。こういう生活をしている人間って、今の世の中にいるのだろうか。たぶん、いるのだろうが、そういう人間が小説を書くとも思えない。ま、よく分からないけどね。

 今、「遊郭で遊びまくって」と書いたけど、ほんとうは遊びまくってなんかいない。そこが問題なのだ。謙作は、登喜子が好きでならないけれど、どうしてもそこにのめり込んでいくことができない。「熱情となって少しも燃え立たない自分の心」が悲しい。こんな自分になってしまったのは、愛子のせいだ(あるいは愛子の母のせいだ)と言いたい気持ちもある。全部そのせいにして、罵ることができれば、まだ謙作は救われるのだが、その愛子に対しても、登喜子への場合と同じように「燃え立たない」自分がいたことを思うと、なんともやるせない気分になるわけだ。その気持ちを「変に淋しい気持ち」と言っている。

 この「淋しさ」はどこから来るのだろうか。なぜ謙作は、愛子に対しても、熱情を燃え立たせることができなかったのか。その根源は何なのか。先走っていえば、それは恐らく謙作の出生にあるはずだ。小説では、まだそこに触れずに、謙作の心の中にどっかと腰を据え、どこまでも根を張っている「淋しさ」を描きだす。

 「彼は自身が如何にも下らない人間になり下がったような気がした。」の一文は、志賀直哉の研究者にとっても重要らしい。ここで言われる「下らない人間」とはどういう人間のことを言うのか、というテーマで書かれた論文を目にしたことがある。ちゃんと読まなかったので、紹介できないが、ぼくなりに考えることはできそうだ。

 この「下らない人間」というのは、もちろん、「遊郭で遊ぶような人間」という意味ではない。「若いのに、ろくに働かずにゴロゴロしているような人間」ということでもない。それはたぶん、「自分の感情に素直に従って生き生きと生きることができない人間」ということではなかろうか。

 心のどこかに、人間的な感情を外に向かってほとばしらせるのを阻害する塊のようなものがあって、いつも、心が冷えている。燃えようと思っても、いつもどこからか霧雨のようなものが降ってきて、炎の勢いを削いでしまう。そういう塊のようなものを壊すことができずに、ついウダウダしてしまう、そんな人間。それが「下らない人間」の少なくとも一面ではなかろうか。

 なんだか、こう書いてみると、まるで自分のことのようで、身につまされる。思えば、ぼくも、なんだか変にひねくれたところがあって、素直に現実に向かい合えないことが多いのだ。

 突然だが、「AI」のことを思い出す。先日の紅白での「AI美空ひばり」がいろいろと論議を呼んでいるが、歌ばかりではなく、小説というものも、いずれは「AI」が書く時代が来るだろうことは想像がつく。実際に既に作られてもいる。(読んだことはないが)しかし、いくらAI技術が進歩しても、「志賀直哉の新作」はできないだろう。いや、今回のAIひばりの「新曲」の「あれから」のように、「続暗夜行路」をAIが書くことは十分に可能だろう。けれども、その「新作」の無意味さは、「あれから」の比ではないだろう。「暗夜行路」という作品は、志賀直哉の精神と肉体抜きに考えることはできないからだ。

 「彼は自身が如何にも下らない人間になり下がったような気がした。彼はそれを凝っと一人我慢する苦みを味わいながら夜の明けるのを待った。そしてつくづく自分にはこういう場所は性に合わないのだと思った。」という文章は、AIには絶対に書けない。「いずれは書けるようになるさ」という人もいるだろうが、たとえ、テキストは書けたとしても、生成されたそのテキストに意味はない。

 どうして「意味がない」のか。それは、AIが「彼は自身が如何にも下らない人間になり下がったような気がした。」という文章を書いたとしても、その文章の中の「下らない人間」とはどういう人間かと真剣にぼくらが考える意味がまったくないからだ。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 30  「老妓」 「前篇第一  七」 その4   2020.2.2

 

 

「西緑」で遊んでいるうちに、自分が「下らない人間」に成り下がったように感じた謙作だったが、その翌日、夕方にやってきた緒方がこんなことを言った。

 

「それはそうと一昨日はとうとう帰らなかったのかい」と緒方がいった。
 「どうして?」
 「お加代という人がちょっとでもいいから君を呼んでくれというので、十時過ぎに俥を迎えに寄越したが、聴かないかい?」
 謙作は顔を赤くした。お加代が如何(どう)いう気持でそんな事をいったか?  それとも誰も時々そういう調子を見せるのか? そういう事が彼にはさっぱり見当がつかなかった。
 彼は初めて会った時、既にお加代には多少惹きつけられた。ただその何となく荒っぽい粗雑な感じは、一方では好き、他方では厭に思っていた。それは深入りした場合きっと不愉快なものになるという予感からも来ていた。第一今の自分の手には余る女という感じから、興味は持てたが、それ以上には何とも考えていなかった。その上に、お加代にとってのその日の自身を思うと、プラスでもマイナスでもないただ路傍の人に過ぎなかったと思い込んでいただけに今緒方からそれを聴くと変に甘い気持が胸を往来し始めた。
 しかし彼はそれを出来るだけ隠そうとした。
 彼はしかし一方でちょっと不愉快を感じた。何故お栄でも女中でもそれを自分にいわないか。毎日単調な日暮しをしているお栄にとって、俥を持たして迎えに寄越すという事でも、或る一事件になり得ない事ではない。勿論これはいい忘れをしているのではなぃ。故意に黙っているのだ。女中にまで口留してあるのだと思った。


 「一昨日」は、「西緑」で謙作は緒方と遊んでいたのだが、緒方はトランプに嫌気がさして先に帰ってしまった。謙作は帰らずにそこに残り翌日に家に帰ったのだが、夕方になるとまた「西緑」へ出かけ、そこで「下らない人間」になったもんだと思ったわけで、その夜帰宅した。その翌日、緒方がやってきて、こんなことを言ったのだ。どうも時間の進行がゆるやかである。

 緒方は、お加代が謙作に気があるようなことを言ったわけだが、謙作もお加代のことが気になっていたので、その話は満更でもなかったわけだ。

 ただ、お加代は「手に余る」女だと謙作は感じていた。この女とかかわるとヤバいなあと思ったわけだが、それはかえって謙作の気持ちをそそることでもあり、しかし、そんな「ヤバい女」が朴念仁の謙作に好意を持つとも思えないから、「お加代にとってのその日の自身を思うと、プラスでもマイナスでもないただ路傍の人に過ぎなかったと思い込んでいた」のだ。この「思い込んでいた」というのは、「思い込もうとしていた」というほうが正確かもしれない。

 そのお加代が「ちょっとでもいいから」謙作を呼んでくれと緒方に言ったということを聞いた謙作は、そりゃ、悪い気はしない。つまり「変に甘い気持が胸を往来し始めた」のである。けれどもその気持ちを謙作は「出来るだけ隠そうとした」。なぜだかよく分からないが、そんなことで鼻の下をのばすのは男の沽券に関わるということだろうか。どこまでもウブな謙作である。

 ちょっといい気分になった謙作だが、その一方で「不愉快」も感じる。でました! 「不愉快」。お栄はどうしてそれを自分に言わないのか。お栄には、そんな些細なことでも十分に「一事件」で、それは謙作のためにならないと考えて女中にまで口止めして、お加代との仲をさこうとしたのではないか、と謙作は邪推する。被害妄想である。そしてその被害妄想は、お加代に傾いていく自分に一種の罪悪感を感じているからこそだろう。

 緒方と謙作は、外へ出て、「山王下の料理屋」へいく。

 

 きちんとした《なり》の女中が床の活花を更(か)えに来た。軒近くいる二人からは遠かったので、女中は床の前に坐って仔細らしくその位置を、眺めては直し、眺めては直ししていた。
 「とにかく、例の婆さんを呼んでくれないか」と緒方は女中に声をかけた。「それから千代子かしら……」
 女中は古い方の花を廊下へ出してから、また畳へ膝をついて黙って《いいつけ》を待った。
 「じゃあ、その二人」と緒方がいうと、女中はお辞儀をして出て行った。
 間もなくその婆さんといわれた芸者が入って来た。四十以上の脊せて小柄な少し青い顔をした如何にも酒の強そうな女だった。そしてよくしゃべる女だった。

 

 「料理屋」に行っても、この連中は芸者を呼ぶ。しかも昼間だ。贅沢な話である。

 それにしても、「婆さん」と呼ばれた芸者は、「四十以上」とある。「以上」なのだから、50かもしれないし、60かもしれないけど、まあ40代だろう。それが「婆さん」である。

 

「飯を食ったら直ぐ帰るからネ。千代子の方もちょっと催促してくれ」膳を運ぶ女中に緒方はこういった。
「ねえ。それはそうとお供は何時出来るの?」とその老妓がいった。
緒方はそれに答えずに謙作の方を向いて、
「今度、この婆さんと一緒に吉原へ行く約束をしたよ。この間の話をしたら、大変讃(ほ)められたよ」といった。
「仲の町の芸者衆でお遊びになればもう本物です」老妓はこんな事をいって笑った。
緒方と老妓とは謙作の知らぬ人の噂を二人でしていた。老妓はよくしゃべった。そしてその間々に時々甲高い真鍮を叩くような笑い声を入れた。それが変に人の気持を苛立たせた。


 地の文でも「老妓」である。そうか、40過ぎると「老妓」なのか。そういえば岡本かの子の「老妓抄」って小説があるが、この「老妓」って60ぐらいだろうと漠然と思っていたが、もっと若いのかもしれない。調べなくちゃ。(読んでみたが、年齢は分からなかった。でも40代ではなさそうだ。たぶん60以上。)

 それにしても、「飯を食ったら直ぐ帰る」のに、なんで芸者を二人も呼ぶのか。呼べばそれなりの金がかかるのに、なんてこと言うのは野暮なんだろうけど。

 ところで先日、さる会議の後、まだ30代の気鋭の国文学者二人と飲んだとき、「いやあ、『暗夜行路』は面白いなあ。」と言ったら、「そうかなあ。昔読みましたけど、面白くなかったなあ。」と一蹴されてしまった。「若いときにざっと読んだだけでしょ。それじゃあ面白くないよ。ゆっくり読めば面白いよ。」って言ったけど、まあ、こんなにゆっくり読むなんて、若い人にはできないだろうなあ。たとえできたとしても、「得るもの」があるかどうかおぼつかない。

 そもそもあんたには「得るもの」があるのか、って彼らなら聞きたいだろう。その答は、「ある」としかいいようがない。もっとも、それは、これからの人生に「役立つ」ものではない。というか、「得るもの」はこれからの時間の中に「ある」のではなく、ただいまこの時に「ある」。志賀直哉が残した言葉に、いちいち、ああでもないこうでもないと想像を巡らしながら時間を過ごす。その想像の中に、様々な人間達が生まれては消え、消えては生まれる。その想像のうちに、志賀直哉という人間の心のひだがおぼろげながら見える。それだけで、十分に「得ている」のである。

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 31 「答える事のいやな問い」 「前篇第一  七」 その5   2020.2.11

 

 

 「老妓」と緒方の会話が続く。


 緒方は話の運びからは全然、突然に、
 「今、蕗子(ふきこ)、いるかい?」といった。
 老妓はふッといいつまった。ちょっと表情が変った。緒方の方も何気なく見せているが一種緊張した顔つきをしていた。謙作はこの間話に出た芸者の事だろうと思った。
 「旅行してます」老妓は漸く答えた。その調子は傍で聞いても如何にも嘘らしかった。
 それでも緒方は、
 「何処へ?」と訊いた。
 女はまた答えにつまった。
 「塩原じゃあないかと思うの」そして老妓は不自然に話を外らし、塩原や日光辺の紅葉がまだ早いとか晩いとかいう事に持って行った。緒方はそれきり、忘れたように蕗子という女の事はいわなかったが、謙作はその老妓が一卜かどの苦労人らしい高慢な顔をしながら、緒方の軽く訊く言葉に一々ドギマギした様子を何となく滑稽に感じた。


 ここで出て来る蕗子という芸者は、緒方のお気に入りだが、別の金持ちの男とも昵懇になっている。その蕗子のことを持ち出されて、「一卜かどの苦労人」らしい老妓が、うまく応対できなくてドギマギする様子を、少ない言葉で実に見事に描きだしている。

 「老妓はふッといいつまった。」と、まず老妓の「沈黙」のさまを描く。書かれてはいないが、当然、その老妓の口元が目に浮かぶ。次に「ちょっと表情が変った。」とその表情をさっと描き出す。どう変わったのかは具体的には書かない。その短い文が二つ続いて後に、「緒方の方も何気なく見せているが一種緊張した顔つきをしていた。」と、今度は緒方の表情を描くことで、二人の間の緊張関係を際立たせる。そして、最後に謙作の推測を書き込むことで、緊張したシーンがカチッと「ズームアウト」する。見事なものだ。

 「一卜かどの苦労人」らしい老妓なら、こんな場面には何度も遭遇しているだろうに、それでもドギマギしてしまう。その滑稽さは、人間そのものの滑稽さでもある。

 そうこうしているうちに、「千代子」という芸者がきた。


 食事の済む頃に漸く千代子という芸者が来た。前からいる老妓とは反対に大きな立派な女だった。ちょっと小稲の型で総てがずっと豊かで美しかった。そして何よりもその眼ざしに人の心を不思議に静かにさす美しさと力がこもっていた。謙作は特にその眼に惹きつけられた。


 この頃の謙作は、とにかく目の前に現れる女に次から次へと惹きつけられる。手当たり次第といったところだ。そういう自分への反省がこう語られる。


 暫くして二人はその家を出た。品川の東海寺へ行く緒方とは彼は赤坂見附の下で別れた。それから彼は見附を上って、的(あて)もなく日比谷の方ヘ一人歩いて行ったが、その時、彼の胸を往来するものは、今見た美しい千代子の事ではなくて、かえって今までそれほど思わなかった清賓亭のお加代の事が切(しき)りに想われた。「ちょっとでもいいから君を呼んでくれというので」といった緒方の言葉を彼は幾度となく心に繰返した。
 登喜子といい、電車で見た若い細君といい、今日の千代子といい、彼は近頃ほとんど会う女ごとに惹きつけられている。そして今は中でも、そんな事をいったというお加代に惹きつけられている。
 「全体、自分は何を要求しているのだろう?」
 こう思わず思って、彼ははっとした。これは自分でも答える事のいやな、しかし答える事の出来る問いだったからである。


「答える事のいやな、しかし答える事の出来る問い」なんてずいぶんと回りくどい言い方だけど、まあ、とにかく女性との肉体関係を「要求」しているわけだ。しかしその本能的な「要求」を、謙作は、どうしても認めたくないのだ。

 ところで、ここに出て来る「東海寺」というのは、北品川に現存している寺で、徳川家光が創建し、沢庵が開山に迎えられたという由緒ある禅寺で、その旧境内にある「東海寺大山墓地」には、賀茂真淵やら、板垣退助やら、島倉千代子やらの墓があるという。こんど行ってみよう。

 

志賀直哉『暗夜行路』 32 リアルな現実 「前篇第一  八」 その1   2020.2.23

 

 

 暫く上方の旅をしていた宮本という謙作よりは年下の友達が、松茸の籠を下げて訪ねて来た。

 謙作が家でこの宮本と話をしているとき、清賓亭から電話がきて、お加代がこっちへこないかと誘ってきた。聞けば、緒方もいるらしい。謙作は、緒方と一緒に家にこないか、こっちには松茸があるからというのだが、加代子はめんどくさがって承知しない。それで、謙作は、宮本と一緒に清賓亭に出かけていく。

 清賓亭では、緒方がお鈴とお加代相手にウイスキーを飲んでいた。

 急に緒方が言った。

 

「オイ、君々」と緒方はお鈴の膝を叩いて、「橋善の天ぷらで日本酒を飲もう」といった。
「天ぶらは見るのも苦労らしいな」と内気らしく宮本がいった。
「いやかい? そんならよそう」
「本統にそうですよ。陽気の変り目ですから、もしもの事があるといけませんからね」
「この人のいう事は何だか、お婆さん染みてるよ」そうお加代は傍白のようにいった。


 宮本の「天ぶらは見るのも苦労らしいな」というセリフの意味が分からないが、緒方が「いやかい?」って即座に聞き返すので、どうも、「見るのも嫌だ」ぐらいの意味なのだろう。それに対してお鈴が、陽気の変わり目だからもしものことがあるといけないと言うのをみると、天ぷらで食中毒を起こすことが結構あったようだ。今ではあまり聞かないが、それでもそれなりにあるようだ。

 お鈴が、そういう心配をするのを、お加代は「お婆さん染みてる」と評するところがおもしろい。

 ここに出て来る「橋善」は、新橋にあった天ぷら屋で、創業1831(天保2)年の老舗だったが、2002年に休業しているとのこと。ちょっと残念。行ってみたかったのに。

 若い頃はちっともそんなことはなかったのだが、最近は、小説に出て来る場所に行ってみたいと思うようになった。なぜだか分からない。田山花袋の「田舎教師」を読んでいたころには、舞台になっている羽生あたりを小旅行する計画まで立てた。いまだ実現していないけれど、いつか、行こうと思っている。

 小説に、地名やら、店名やらが出て来ると、そこに行ってみたいと思うのは、やはり、それらの土地や建物の実在性が、小説にとって非常に大事だと思うようになったからだろう。土地や建物がそこにかつてあって、そこに登場人物が行った、つまりは、作者がそういうふうに創作したということが、その必然性が、果たしてあるのかということ。単に思いついたとか、本で読んだとかいうことではなくて、作者の実際の経験があって、そうした土地や建物を描いたということが大事だと思える。

 最近ではすぐにAIのことが頭に浮かぶが、例えば、AIが書いた小説には、果たしてその土地や建物(お店、そこで食べた食事なども含むわけだが)にまつわるリアルな記憶がある種の必然性をもって描き込まれる、ということが可能だろうか。

 さて、緒方は例によってベロベロだが、連れてきた宮本も酒が強い。


 宮本も酒は強かった。そしてペッパーミントのような甘い酒を一緒に飲みながら少しも酔わなかった。そして変に沈んだ顔をしていた。前夜の夜汽車でよく眠れず、宮本は元気がなかった。
 「どうしたのよ」謙作と並んでいたお加代は、向い合った宮本の俯向き顔を覗込み、
 「いやあね。さっきから一人で悲観ばかりして……」そしてお加代は謙作を顧みた。「全体どうしたの?」
 そういってお加代が身を起した時、何気なくお加代の椅子に手をかけていた謙作の指が背中で挟まれた。
 「寝不足なんだ」こう答えながら、謙作は指を静かにぬこうとした。
 「イキな寝不足じゃ、ないの?」お加代はかえって謙作に誘惑的な眼つきを向けながら、心持、背中に力を入れた。
 「イキなもんか。夜汽車の寝不足だ」謙作は不愛想にいって、ぐいと指を抜いてしまった。その時彼はお加代が不快な顔をするかと思った。が、お加代は如何にも無関心らしくしていた。
 謙作には女からそういう遣方(やりかた)で交渉される事は余り気持よくなかった。それで不愛想に指を引き抜いてしまったが、やはり一方ではそれを後悔していた。こんな事に変な潔癖を見せつけたような自分も気に食わなかったし、―つの機会を見す見すに逃した事も惜しかった。皆が酔っている中で自分だけが酔わずにいるからだと思った。そして気まぐれな心持で、
 「その酒をくれないか」と一度断ったペッパーミントを注がして、それを一卜息に飲んだ。


 もともとお加代に惹かれていた謙作は、ズルズルとお加代と親密になっていく。指が挟まれたとか、抜いたとか、細かい動作が精密に描かれ、その都度の自分の心境も書かれている。どうでもよい情事の断片だが、これだけ精密だと、心を惹かれる。


 「隅に置けないわ」
 酔うに従ってお加代の眼はまた美しくなった。脣(くちびる)も美しい色になった。そして動作が段々に荒っぽくなって行った。
 のりの利いた厚いテーブル・クロースに緑色の酒がこぼれたのが白熱瓦斯の下で一層美しく見えた。
 「まあ綺麗だこと、──」こういってお鈴がそれへ顔を寄せると、
 「もっと作って上げよう。ねえ?」お加代はぞんざいにこういいながら、小さい塩の匙を取って、やたらにその酒を撒散(まきちら)した。
 「またそんな乱暴をする」
 「綺麗だって讃めたからさあ」とお加代はお鈴をにらみ返した。
 「全く綺麗だ」と謙作がいった。
 お加代は直ぐ謙作の方を振り向いた。そして、
 「ねぇ──」と顔と顔をつける位までに近づけて首肯(うなず)くような事をした。謙作は今度は故意に、それに応じて、同じように首肯いて見せたが、それが自分ながらちょっと調子がはずれていた。気が差していると、今まで黙っていた宮本が、
 「仲のええ事」と京都訛りを真似て冷やかした。識作には妙に皮肉に響いた。彼はそれに抵抗しようとした。するとなお調子がはずれて来た。彼は 椅子をずらし、お加代の方へ身を寄せながら、
 「僕は君が好きなんだ」といってしまった。


 酒の酔いの中で、謙作の自制心はとうとう崩れる。崩れるのだが、どこか醒めている部分もあって、描写自体の崩れはない。あくまで、精密に行動と心理を追っている。

 他愛ない情事のただ中に、「のりの利いた厚いテーブル・クロースに緑色の酒がこぼれたのが白熱瓦斯の下で一層美しく見えた。」の一文が、どこか硬質の輝きをたたえているようで、美しい。


「ありがとう」お加代は謙作の不意な変りようにちょっとまごつきながら、それでも今の荒々しい様子とは、全く思いがけない可愛らしい顔つきをした。
「どうしよう?」謙作の方は大胆になって、肩でお加代の肩を押した。
「どうかしましょうよう」とお加代は甘ったれた声をした。その時は何時かお加代も自身を取返していた。そして、首を傾け、謙作の胸へ顔をつけてそのまま、凝っとしてしまった。髪の毛が謙作の頬に触れていた。
「こりゃあ、たまらない」お鈴は大きな声で笑い出した。
謙作はお加代の首へ腕を巻いて、顔を寄せて接吻する真似をした。二人は蟀谷(こめかみ)と額とを合していた。しかし脣と脣とは三、四寸離れていた。そしてただ凝っとしていると、酔った皮膚からの温かみが顔と顔の間に立迷っているのが感じられた。謙作は意識の鈍るような快感を感じた。
ふと、その辺が急に静かになったので、彼は顔を挙げた。皆は何時か入口の厚いカーテンを下ろして何処かへ行ってしまった。お加代も少し汗ばんだ顔を挙げた。二人は不意に変に覚めた気持に突きもどされた。笑談(じょうだん)一ついえない気持だった。
「きっと隣りよ」
「行って見よう」
二人は直ぐその部屋を出た。隣りへ入って見たが、誰もいなかった。


 自制心は崩れたとはいうものの、ここまでだ。「三、四寸離れていた」脣は、触れ合うことがない。そして、「酔った皮膚からの温かみが顔と顔の間に立迷っているのが感じられた」というのだから驚くほかはない。

 考えようによっては、何をばかなことをだらだたやってるんだ。さっさと脣を重ねればいいじゃないか、ということにもなるのだろうが、そんなことを言ってもしょうがない。謙作はこういう男だったし、お加代もまたこういう女だった。回りでとやかくいってもはじまらない。

 そういうそれぞれに、独特な感性と生き方みたいなのがあって、それがこうしたいわば「商売女」と「客」の間にも厳然としてあって、それが接触するとき、こういう事態にたまたまなった。たまたまだけれど、それはそれで、真実である。

 真実というよりは、「リアルな現実」である、といったほうがいいだろうか。「リアルな現実」というのは、実に多様で、それこそ人の数だけある。その「リアルな現実」が小説に描かれるとき、やっぱり、小説はおもしろい、と思えるのだ。

 


 

志賀直哉『暗夜行路』 33 謙作の「苦悩」 「前篇第一  九」その1   2020.3.8

 

 

 謙作が、お加代に「好きだ」なんて言ってしまった夜から2日経った朝。

 

 その翌々日の朝、謙作がまだ寝ているところへ信行が訪ねて来た。会社の出がけで、上ってはいられないというので、謙作は睡そうな顔をして玄関へ出て行った。寒い朝で信行は元気そうな赤い顔をしていた。
 「咲子にこんなものを寄越した奴があるんだがね」
 こういって信行は無造作に外套のポケットから草色の洋封筒に赤インキで書いた手紙を出して渡した。弱々しい安っぽい字で、裏には第〇高等女学校寄宿舎より、志津子、封の所には「津ぼみ」と書いてあった。
「この手紙は昨日、此処から廻した手紙じゃないか」
「そうだ。お前の妹という事を知ってるんだ。それで此処にいると思ってるらしい」
謙作は歯の浮く不快(いや)な文字を予想しながら読んだ。その予想があったためか、思ったよりは厭味のない手紙だった。「男女交際の真正なるものは一向差支えなきものと私推(しすい)仕り候。就ては少々御面談致度明後六日貴嬢之学校帰り途中(二時及び三時)氷川社境内にて数分間拝顔致度候」こんな事が書いてあった。
「私はこの夏某私立大学を卒業致し只今は麹町区〇〇町〇子爵方へ止宿罷在候」そして繰返し繰返し秘密にしてもらいたいという事、しかしもしこういう事のために結婚前の貴女に障りが起っては気の毒に思うから、そうなら遠慮なく断ってくれというような事も書いてあった。
「曖昧な態度で瀬踏をしてる」と謙作は笑った。
「この前寄越した奴ほど不良性はないようだ。しかしとにかく、どんな奴か、お前見といてくれないか。場合によっては嚇しつけてもいいし」
「うん」
「俺がいってもいいけど、そんな事で会社を休むのもいやだから」


 さらっと書かれているが、わかりにくい。「志津子」という女が謙作の妹「咲子」にあてた手紙なのかと思うと、それは偽装で、男からの恋文だということらしい。「男女交際」も厳しい目で見られていた当時はこういうのは一般的だったのだろうか。ごく当たり前に「ああ、男からか」と謙作も信行も納得している風である。

 それにしても「草色の洋封筒」に「赤インキ」で表書きを書くっていうのも一般的だったのか。梓みちよの「メランコリー」では「緑のインクで手紙を書けば、それはさよならの合図になる」なんて歌っていて、へえ、そんなもんかあと思っていたけど、赤いインキで表書きねえ。女性の習慣だったのかもしれない。それに、封の部分に「津ぼみ」と書くというのも、知らなかったけど、やっぱり女性の習慣だったのだろう。ちなみに「つぼみ」は、「のしあわびをいう女房詞。」の意味があると「日本国語大辞典」にはあったが、そもそも封に「のしあわび」を貼ることってあったのだろうか。それともその言葉だけを使ったということかしら。

 こういう細かい習慣的なことって、なかなか真相がつかめない。

 謙作は、その男を見て、場合によってはとっちめてやろうということで、信行は帰っていく。

 その後、急に、謙作が久しぶりに書いた日記の文面が引用される。いかにも唐突な感じだが、女に溺れているような日々のなかで、謙作は久しぶりに心境を吐露する気になったらしい。

 

──何か知れない重い物を背負(しょ)わされている感じだ。気持の悪い黒い物が頭から被(おい)かぶさっている。頭の上に直ぐ蒼穹(そうきゅう)はない。重なり合った重苦しいものがその間に拡がっている。全体この感じは何から来るのだろう。
──日暮れ前に点ぼされた軒燈の灯という心持だ。青い擦硝子の中に橙色にぼんやりと光っている灯がいくら焦心(あせ)った所でどうする事も出来ない。擦硝子の中からキイキイ爪を立てた所で。日が暮れて、灯は明るくなるだろう。が、それだけだ。自分には何物をも焼き尽くそうという慾望がある。これはどうすればよいか。狭い擦硝子の函の中にぼんやりと点ぼされている日暮れ前の灯りにはその慾望はどうすればよいか。嵐来い。そして擦硝子を打破ってくれ。そして油壺を乾いた板庇に吹き上げてくれ。自分は初めて、火になって燃え立っ。そんな事でもなければ、自分は生涯、擦硝子の中の灯りでいるより仕方ない。
──とにかく、もっともっと本気で勉強しなければ駄目だ。自分は非常に窮屈だ。仕事の上でも生活の上でも妙に《ぎごちない》。手も足も出ない。何しろ、もっともっと自由に伸(のん)びりと、したい事をずんずんやって行けるようにならねば駄目だ。しどろもどろの歩き方でなく、大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに。──そうだ、嵐を望む軒燈の油壷では仕方がない。


 謙作を閉じ込めているものはいったい何なのか。謙作はどうしてそんなに窮屈なのか。謙作自身にもその正体は分からない。謙作の女遊びも、そうした「青い擦硝子の中」で必死に爪を立ててもがく姿なのだろう。けれども、それも、いつも中途半端で、「ぎこちない」ことばかり。

 日記はこの後もえんえんと続く。中でも、謙作はしきりに「人類の滅亡」ということを話題として、その中で人間はどう生きるべきなのかを模索している。「地球のコンディションが段々悪くなって」いく不安も語る。この当時、そういう意識が世間にあったのだろう。それにもかかわらず、謙作は、人類はそうした滅びの運命に抵抗して、「出来るだけの発達」をしようとしていると述べる。

 謙作の苦悩は、個人としてのものから、人類へと展開するのだが、そうなればなるほど観念的になっていき、現実感を失っていく。

 

 

 

志賀直哉『暗夜行路』 34 「本能」と「感情」 「前篇第一  九」 その2   2020.3.15

 

 

 謙作の日記は続く。

 

──人類の運命が地球の運命にきっと殉死するものとはかぎらない。他の動物は知らない。しかし人類だけはその与えられた運命に反抗しようとしている。男の仕事に対する、あく事なき本能的な慾望の奥には必ずこの盲目的な意志がある。人間の意識は人類の滅亡を認めている。しかしこの盲目的な意志は実際少しもそれを認めようとしていない。


 人類の滅亡は、「人間の意識」が認めてはいるが、「(人類の)盲目的な意志」は、その「人類の滅亡」を認めようとはしない、というのだが、この「盲目的な意志」という概念がどこから来たのか分からない。どうもその当時のはやりの思想だったのではないかという気がする。この後の記述を読むと、どうやらいずれ氷河期がやってきて、人類は滅亡するのだという考えが広く行き渡っていたようである。

 それはそれとしても、この中の「男の仕事に対する、あく事なき本能的な慾望」というところにひっかかる。引用前の部分で「キューリー夫妻」を例に挙げているのに、どうしてここでわざわざ「男の仕事」と限定するのか。ちょっとした不注意だったのかと思うと、それが全然違うのだ。


 女は生む事。男は仕事。それが人間の生活だ。人間がまだ発達しない時代には男の仕事は、自分の一家族、自分の一部落の幸福のために働けばよかった。それが段々発達して、一部落の輪が大きくなった。日本なら男はその藩のために働く事で仕事の本能を満足させていた。それが一国のため、一民族のため、そして人類のためという風になった。


 一昔前、女は「生む機械」だみたいな発言が物議を醸したことがあったが(2007年柳沢伯夫厚生労働大臣)、この謙作の(つまりは志賀直哉の)発言は、その原型みたいなもので、いくら柳沢氏がバッシングをうけようと、そうそう簡単には拭えない考え方であるわけだ。

 それにしても、「女は生む事。男は仕事。それが人間の生活だ。」という断言は、なんという粗雑さであろう。男と女のあり方に対するこの粗雑な思想に対して、一片の疑いすら持たない志賀直哉という作家の頭の中はどうなっているのか。

 女の生き方だけではない。男の「仕事」という概念もまた粗雑きわまる。「仕事の本能」とはどういうことなのか。女は「本能」として子ども産み、男は「本能」として仕事をする。いずれも、「本能を満足させる」ことが、「人間の生活」だということなのか。


 例えば永生という考でも、子供の頃はこの身の永生でなければ感情的に満足出来なかった。しかし今は、──今でも死は恐ろしい。しかし永生は、個人個人のそれはどうでも差支えなくなった。同時にその信仰も持てなくなった。ただ自分は自分たちの仕事を積み上げて行く、人類の永生、これだけはどうしてもあってくれなければ困るという感情になっている。やがてはこの感情からも解脱するかも知れない。解脱した思想がある。
 しかし今の人類一般の何でも彼でも、発達しようと焦りぬいている仕事に対する男の本能、或る場合、それは盲目的で病的になる事すらある。本来の目的を見失ってかえって人類を不幸にするような発達へ入り込む場合もあるが、それにしろそういう本能的な慾望の奥にはやはり人類の永生を願う、即ち与えられた運命に反抗し、それから逃れ出ようとする、共通な大きい意志を見ないではいられない。


 「人類の永生」──この思想もどこから来たのかよく分からないが、やはりどうも「借り物」っぽい。武者小路実篤あたりの言いそうなことだが、確証はない。武者小路なら、どんなに観念的な思考であろうと、どこか彼自身が考え抜いているようなところがあったような気がするが、その武者小路にしても、ぼくは最近まったく読んでいないので、これ以上はなにもいえない。

 「永生」──つまりは、永遠の命──という考えについては「子供の頃はこの身の永生でなければ感情的に満足出来なかった」という。それはそうだろう。子どもは誰だって、「感情的」にしか「死」について思考できない。では大人になったらどうなのか。「永生は、個人個人のそれはどうでも差支えなくなった。同時にその信仰も持てなくなった。」という。死は子どもの時のように恐ろしいが、「どうでもよくなった」。なぜか。説明はない。急にそうなったらしい。「同時にその信仰も持てなくなった」という。順序が逆じゃないのか。

 志賀はキリスト教に大きな影響を受けたわけだが、その「永生」を信じるキリスト教の信仰も持てなくなったから、「個人個人の永生」は「どうでも差支えなくなった」のではなかったか。しかし、志賀はあくまでその順番を否定する。「同時」というのだから、後も先もないのかもしれないが、少なくとも、キリスト教の信仰が、志賀の「永生」に関する思考を支えていたのではないことは確かなようだ。

 個人の死なんて、まだ怖いけど、どうでもいいやって感じになっちゃった。キリスト教も、もういいや。でも、「人類の永生」は「どうしてもあってくれなければ困るという感情になっている」、つまりは「感情」だ。「やがてはこの感情からも解脱するかも知れない。解脱した思想がある。」というが、「解脱した思想」って何だ? これについても説明はなく放り出されているだけだ。

 「感情」と「本能」。これが志賀直哉のすべてなのか。この疑問を中心に据えて、これからの読書を続けていきたい。


 

志賀直哉『暗夜行路』 35 「放蕩まで」 「前篇第一  十」   2020.3.22

 

 

 日記を書き終わった謙作は、妹の咲子に恋文を送ってよこした男に会おうとして氷川神社に出かけたのだが、それらしい男は現れなかった。そこにいたのは妙にみすぼらしい若い男である。ひょっとしてコイツかと思って声をかけると、謙作を掲示と間違えてひどくおびえた。


 とうとう謙作は前へ行って、
 「誰か待ってるのか?」と訊いてみた。
 若者は直ぐ返事が出来ないほどの恐怖を現わした。
 その急にキョトキョトし出した様子で、謙作はやはりこの男だな、という気になった。
 「何故、此処にいるんだ」
 「まま待って……」と息を切らしながら、頭を振る事で後をおぎないながら、「いるんじゃない」と漸く続けた。自然に身体が震えている。眼がおびえ切っていた。二寸位に延びた薄い髪の毛は栄養不良から、まるで光沢がなく、手や足の皮膚はカサカサになって、白い粉を吹いていた。
 「家はあるんです。箪笥町十九番地です」若者は謙作の怒ったような顔を凝っと見上げながら、あえぎあえぎいった。そしてほとんど無意識に親指の《ささくれ》をむしり出した。《ささくれ》からは血がにじみ出て来た。それでも痛さを感じないようになお無闇とむしった。若者は浮浪罪に問われる事から、すっかりおびえてしまったのだ。謙作を刑事と思ったのだ。


 「浮浪罪」って初めて聞いたが、本当にあったのだ。昭和23年に廃止されたらしいけど、「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者は、30日未満の拘留に処せられる」という規定で、かなり悪用・濫用されたらしい。こわいことだ。

 結局男は現れず、迎えにきたお栄と一緒に家に帰った。家で待っていた宮本としばらく将棋をさす。


 また霧のような雨が降り出した。二人は将棋をさした。そして五、六度さして、もう疲れ、盤の上も薄暗く、少し不愉快になった時に電気が来た。暫く考えて、いい考も出ずにいた謙作は「よそうか」といった。

 

 「電気が来た」というのが面白い。この当時は、電気は時間制だったようだ。

 「趣味家」(趣味人)の宮本と一緒に、「溜池から電車に乗って、新橋から銀座へ出た」。宮本は「袋物」に興味を持って、ウインドショッピングをする。この「袋物」って何のことだろう。紙入れとか、タバコ入れとかそういったものだろうか。そういうものに趣味がある男っていうのも、最近ではほとんどいないだろう。

 途中にあった「台湾喫茶店」に、謙作は緒方がいそうな気がしたが、ほんとうにいたので、彼をひっぱりだして、三人で京橋の方へ歩いていった。まったく呑気な連中である。

 謙作は、さっき氷川神社で見たみすぼらしい男がいったいどんな悲惨な生活を余儀なくされているかを想像すらできないのだ。

 結局三人は他に行くところがなくて、またぞろ「清賓亭」へ行くことにした。

 お加代は、仲間の女たちと、運送屋の「いい男」がどうのこうのと、「品のない」話をしている。


 「Oさん、この間ね」といってお加代は笑い出した。「お清さんが露月町の方にそれはそれはいい男の散髪屋さんがいるっていうのよ。それをまた、よくきかずにこの人と出かけちゃったものよ。ところがどうしても家が知れなくて、一軒一軒散髪屋を覗いて歩いちゃった……」女二人は横眼を見合せ、顔を真赤にして笑った。その時のお加代の顔には、変に下等な感じが出ていた。謙作は或る不安から宮本の方を見た。宮本も謙作の方を見ていた。その顔には意地悪いような同情するような笑いを浮べていた。
 お加代とお牧は図に乗って界隈の「いい男」の噂を始めた。運送屋の番頭もその一人だった。八百屋の息子というのもあった。自動車の運転手というのもあった。それを聴きながら宮本は露骨ににがにがしい顔を女たちに見せていた。


 謙作の抱いた「或る不安」というのは、自分が「下等な女」と付き合っていると宮本に軽蔑されるんじゃないだろうかという不安だろう。

 「西緑」や「清賓亭」にいる女たちは、そもそも「上等」な女ではないだろう。それでも、謙作は、そういう女たちにどこか「上等」さを求めていた、あるいは「上等な付き合い方」を求めていたのだといえるだろう。だからこそ、簡単には女たちと深い関係に入れなかったのだ。しかし、そんな謙作の拘りは、客観的にみれば馬鹿らしい拘りでしかなく、人間の欲望の前では、「上等」も「下等」もないのだが、謙作は、ギリギリそこに拘ることで、自分の矜持を保とうとしているかのようだ。


 お加代は毎日昼前十時頃銭湯に行くと丁度空いている時で、誰もいないと両方に留桶を抱えてよく泳ぐというような話をした。
 「この人はそりゃあ上手なんですよ」と傍からお牧がいった。
 肉づきのいいこの大きな女が留桶を抱えて風呂の中で泳ぐ様子が謙作にはかなり不恰好な形で想像された。そしてその不恰好さがいやに肉感的に感じられた。お加代は瓦斯会社の工夫が大きな脚立を流しへ持ち込んで、損じた瓦斯燈が直ってからも何時までもぐずぐずしているので湯槽を出られなかったというような話を自身でも興味を持って話していた。
 謙作は最初からお加代を品のいい女とは考えなかった。ただ投げやりな生々した所や、変にコケティッシュな所などに惹きつけられていた が、今日の余りに安価な感じから、すっかり気持を冷やされた。近よれば近よるほどこの感じは強くなりそうに思われた。
 この点では初めて会った時が一番よかった。


 「いい男」の話題で同僚と盛り上がったり、銭湯で泳いだりするというだけで、「下品」だとか「安価」だとか感じる謙作の感受性は、どうもよく分からないところだが、近寄れば近寄るほど相手のアラが見えてくるのは当然なことで、「初めて会った時が一番よかった。」なんて感想は、あまりに幼稚で笑えるほどだ。

 そしてこの「十」は唐突に終わり、「十一」に入る。その冒頭は、「謙作が自分から放蕩を始めたのはそれから間もなくであった。」という一文である。

 つまり、ここまでの謙作は「放蕩」をしてなかったのだ。つまり女と一度も「寝てない」のだ。(という解釈でいいのかしら。ちょっと不安だ。)「放蕩」の一歩手前で踏みとどまり、そこで「上等」だの「下等」だのと拘っていたにすぎないのだ。

 ぼくがあまりにゆっくりと読んできたせいもあるだろうが、それにしても、長い長い「放蕩まで」である。岩野泡鳴なら一行でおわりだ。

 


志賀直哉『暗夜行路』 36 「決行」の日 「前篇第一  十一」その1   2020.4.18

 


 謙作が自分から放蕩を始めたのはそれから間もなくであった。或る曇った薄ら寒い日の午前の事だ。彼は現在に少しもそういう衝動なしに、むしろ決めた事を決行するような心持で、深川のそういう場所に一人で出かけて行った。

 いよいよ謙作は遊郭へひとりで出かける。「西緑」や「清賓亭」でさんざん遊んだようにみえて、まだ「女郎買い」とは異質な遊びだったのだ。そこでは、いくら相手が遊女まがいの女でも、そこに人間的なつながりを切なく求めていたわけで、そのいわば「不自然」が謙作を悩ませていたといえるだろう。

 けれども、ここからは、純然たる「女郎買い」である。しかし、「彼は現在に少しもそういう衝動なしに、むしろ決めた事を決行するような心持」というのがよく分からない。性的な衝動があって遊郭に一人向かったのではなくて、「決めたことを決行するような気持ち」がいったいどこから湧いてきたのかがよく分からない。

 登喜子やお加代に心を寄せてきたにもかかわらず、結局、謙作が思い描くような関係にはなれなかった。お加代は、付き合っていくうちに段々下品な本性が見えてきてしまった。そんな下品なお加代なら、いっそそういう女と割り切って肉体関係で決着つければいいじゃないかという気もするのだが、謙作にはそれはできない。そこが謙作の倫理的な姿勢をみることができるともいえる。

 

 その二年ほど前に木場からその辺、それから砂村を通って中川べりに出た事がある。それ故、道は大概分っていた。彼は永代橋を少し行った所で電車を降りると、沈んだ不愉快な顔をしながら八幡前の道を歩いて行った。どれほど陰鬱な、そしてどれほど醜い顔つきであるか、自身でも感じられた。道行く人々が皆、彼の目的を知っているように彼には思えた。彼はそれらの人々に淡い一種の敵意をさえ感じた。そして急いだ。時々空つばを呑み呑み彼は急ぎ足で歩いて行った。
 いくつ目かの小さい橋を渡って右へ折れると直ぐ、泥堀をへだててそういう家々が見えた。彼は今更にとうとう来たと思った。登喜子のいる場所へ行く時とは目的が異うだけに彼の気持はぎごちなかった。むしろ非常に不愉快だった。それでいながら、中止しようという気にはならなかった。


 大変な緊張感である。どうしても自分は遊郭へ行く。そして遊女を買う。そう決めた。だが、そういう自分が醜くみえてしかたがない。非常に不愉快だが、行くと決めたのだ、行くしかない。そう謙作は思う。道行く人々は謙作など目にもとめないのに、みんなが謙作の「目的」を知っているような気がする。自意識過剰の典型的な事例であろう。そして、こうした心情は、謙作ならずとも、また遊郭通いならずとも、誰もがどこかで経験したところのものだろう。

 ぼくなんかの時代は、すでにこうした「悪所」はなかったわけだから、こういう経験はしたくてもできなかったわけだが、それでも、その類いの悪所はそれなりにあったわけだから、その気になればそんな経験のひとつやふたつ、できそうなものだけど、それもなくて、古稀を迎えてしまったことが、果たしてよかったのか、よくなかったのか、とんと見当がつかない。

 実地の経験がとぼしい分、かろうじて吉行淳之介の小説なんかを愛読して、そういうもんかなどと分かったつもりになってきたけど、やっぱり、謙作のような緊迫した心情を生で味わってみたかったという気がしないでもない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。ここに見られる謙作の、マジメすぎる緊張感と罪悪感は、やはり志賀直哉という人について考えるときの重要なポイントなのだろう。


 彼方(むこう)から前どよなしに母衣(ほろ)だけをかけた俥が来た。その上の人が黒眼鏡をかけていた。それがかえって彼の注意を惹いた。田島という彼よりも三つ上の級にいた男で、こういう場所で会うにしてはその職業からも誠に思いがけない人だった。謙作はちょっと迷った。二、三間歩く間彼はその男の顔から眼が放せなかった。彼方でも見ているらしかったが、眼鏡の中でよくわからなかった。間もなく彼は眼を反らした。その道は先の養魚場でなければ、曲輪からの一筋道だった。無論曲輪から出て来たのだと彼は思った。普段使わない黒眼鏡でなおそう思われた。
 
これはお互にいやな所を見たものだと思った。彼は苦々しい、腹立たしい気持になった。しかし自分はまだ中へ入っているのではないと思った。このまま養魚場を抜けて砂村の方へ出てしまえば、それとも西緑のような家へ行ってそのまま帰ってしまえば、というような考もちょっと浮んだ。しかしそれは田島が曲輪を出て来たのでない場合はいいとしても、それを知りつつそういう事をするのは何かしら卑劣な気がした。そして、どうせ今日入らないにしろ、きっと自分はまた来るに違いないと彼は思った。


 こういう経験を志賀は実際にしたのだろうか。「思いがけない人」と「思いがけない場所」で出会うということはよくあることで、その場所が場所だけに、このバツの悪い感じはよく分かる。

 しかしこの期に及んで、謙作は、「自分はまだ中へ入っているのではない」と思う。「まだ間に合う」というわけだ。けれども、「田島が曲輪を出て来たのでない場合はいいとしても、それを知りつつそういう事をするのは何かしら卑劣な気がした。」という。ここが実に面白い。田島が遊郭から出てこようが別のところから出てこようが、謙作にとってはどうでもいいことなのに、田島の行動を二つに分けて、こっちならいいが、こっちならダメ、というように自分の行動を規制している。

 何よりも「卑怯」というところに志賀らしさが出ているのではなかろうか。

 まあ、それにしても、早いところ、行くべき所に行ってしまえ、といいたくなる場面ではある。中学高校時代には、ドイツ人神父から「やるべきことをやるべきときにしっかりやれ」と叩き込まれたが、そんなセリフがこんなときに浮かんでくるというのも、皮肉な話である。


 

志賀直哉『暗夜行路』 37 放蕩のゆくえ 「前篇第一  十一」その2   2020.4.26

 

 

 遊郭の入口でしばし逡巡した謙作だったが、とうとう意を決して入っていく。しかし「中でのこと」はまったく書かれずに、次の行は、いきなりこんなふうに書かれる。

 

二時間ほどして彼は往きとは全く異った気持で曲輪を出て来た。自身でも不思議なほど気安い気持だった。悔ゆるというような気持は全くなかった。


 ここまでの道のりの描写の長さからすると、実にあっけないことだが、案外こんな感じがリアルというものかもしれない。

 そして、その後に、「中でのこと」が振り返ってこんなふうに描かれる。


 女は醜い女だった。青白くて、平ったい顔の、丁度裏店(うらだな)のかみさんのような女だった。実に鈍く善良な女だった。彼はもう二度とその女を見たいとは思わなかったが、何かで、これからも好意を示したい気が切(しき)りにした。為替で寄附金をしてもいいと考えた。女は一人の客ごとに雇主から五銭ずつを受取るのだという事を彼は聞いた。


 実にザラザラした印象を残す文章である。いきなり「醜い女だった」と書いてしまうそのなんともいえない残忍さ。そう、どうしても「残忍さ」を感じてしまうのだ。相手をした遊女を、ひとりに人間としてきちんと認識していない。どんな容貌であろうと、そこに生身の人間を感じとる感性が作家ならあってしかるべきと思うのは、ないものねだりなのだろうか。

 「醜い女」で「裏店のかみさんのような女」で、「二度と見たいとは思わなかった」けれど、でも、その女の境遇に同情して「寄附してもいい」と考える謙作。それはこんな女でも、自分は同じ人間としての同情心は持っているのだといわんばかりで、どうにもこうにも、始末におえない傲慢さである。

 「放蕩」を始めたころの若い謙作の精神がこうした未成熟さをさらけ出しているのは、むしろ仕方のないことで、こうした人間観が、この後、小説全篇を通じてどう変わっていくのか、あるいは変わっていかないのかが、この小説の読み所だろう。

 ところで、この「放蕩」は、意外な方向へ謙作を導いていく。それは今まで同居してきたお栄との関係である。お栄は、謙作の祖父の妾だった女で、謙作よりも20歳ほど年上のいわば母代わりのような女だったから、身の回りの世話をしてもらいながら同居してきても、それ以上の関係に移行する気遣いはなかったはずなのだ。それなのに、謙作の中に湧き上がり猛威を振るい始めた性欲は、その矛先をお栄に向けるという仕儀になってしまうのだ。


 彼は放蕩を始めてから変にお栄を意識しだした。これは前からもない事ではなかったが、彼の時々した妙な想像は道徳堅固にしている彼に対し、お栄の方から誘惑して来る場合の想像であった。その想像では常に彼はお栄に説教する自分だった。そういう事が如何に恐ろしい罪であるか、そのために如何に二人の運命が狂い出すか、そんな事を諄々と説き聴かす真面目臭い青年になっていた。しかも、そういう想像をさす素振りがお栄の方にあったわけではなかったが、彼は時々そんな風な想像をした。
 それがこの頃になって変って来た。夜中悪い精神の跳梁から寝つけなくなると、本を読んでも読んでいる字の意味を頭がまるで受つけなくなる。ただ淫蕩な悪い精神が内で傍若無人に働き、追い退けても追い退けても階下に寝ているお栄の姿が意識へ割り込んで来る。そういう時彼はいても起ってもいられない気持で、万一の空想に胸を轟かせながら、階下へ下りて行く。お栄の寝ている部屋の前を通って便所へ行く。彼の空想では前を通る時に不意に襖が開く。黙って彼はその暗い部屋に連れ込まれる。──が、実際は何事も起らない。彼は腹立たしいような落ちつかない気持になって二階へ還って来る。しかし、段々の途中まで来てまた立止る。降りて行こうとする気持、還ろうとするが彼の心で撃ち合う。彼は暗い中段に腰を下ろして、自分で自分をどうする事も出来なくなる。


 その辺の謙作の葛藤はこのように詳細に描かれている。そのうえ、謙作がある夜に見た夢が、また異様な迫力をもって描かれ、凄みがある。

 謙作が寝ているところへ宮本がやってきて、阪口が旅先で死んだという。なんでも、放蕩のすえに刺激を求めてとうとう「播磨」をやり(この「播磨」がどうすることを指すのかは、書かれていない。とにかく危険なのだそうだ。)その挙げ句死んだというのだ。謙作は便所に立つがそれも夢だった。(夢から覚めたと思ったら、まだ夢だっというのはぼくもよく見る夢だ。)その後の描写がなかなか凄い。


彼は便所へ立って行った。(それがまた夢だったのである)便所の窓が開いていて、戸外は静かな月夜だ。木の葉一つ動かない、しんとした夜景色で、広い庭には(彼の家の庭より、それはよほど広い庭だった)屋根の影が山形に<っきりと映っている。彼はふとその地面で何か動いたように思った。映った屋根の棟でそれが動いていた。彼は先刻、どーんという鈍い響で何かが自分の寝ている屋根の上へ飛び下りたような気がした事を憶い出した。
 それは七、八歳の子供位の大きさで、頭だけが大きく、胴から下がつぼんだように小さくなった、恐しいよりはむしろ滑稽な感じのする魔物だった。それが全く声もなし、音もなしに、一人安っぼ<跳(おど)っている。彼から影を見られている事も知らずに、上を見、下を見、手を挙げ、足を挙げ、一人ではしゃいでいるが、動<ものはその影だけで夜は前にも書いたようにしっとりと月光の中に静まり返っていた。彼はこれが跳っている間、その棟の下にいる者は悪い淫蕩な精神に苦しめられるのだと思った。淫蕩な精神の本体がこんなにも安っぽいものだと思う事はかえって何となく彼を清々(すがすが)しい気持にした。そして今度は本統に眼を覚ました。

 

 

日本志賀直哉『暗夜行路』 38 放蕩のすえに 「前篇第一  十二」   2020.5.3

 


 次第に激しくなっていく放蕩の中で、不安にかられる謙作を描いたあと、「第一・12」に入ると、様相は一変する。ごく短い「第一・12」は、こんなふうに始まる。


 仔山羊(こやぎ)だと思っているうちに僅か二、三ヶ月の間に何時か角も三寸ほどになり、頤(あご)の下からは先の尖った仔細らしい髯が生えていた。
 「この頃山羊が変に臭いの。洗ってやったら、どうでしょう」と茶の間で一緒に食事をしている時にお栄は顔をしかめながらいった。
 「洗っても駄目でしょう」
 「そうかしら、それに段々気が荒くなって、由(よし)なんかこわがって中へ入れないのよ。突っかかるものがないと、餌(え)さ函をひっくりかえしたり、棒杭と押しっこしたり、一人で怒っているの」
 「何処(どこ)かへやりましょうか」
 「鳥清? 鳥清ならいくらかで引き取ってくれるかも知れないのね」
 「鳥清でもいいが、あすこへやればきっと伝染病研究所へ売るから、殺しにやるようなものですね」
 「それもいやあね。──おかみさんを持たしてやればいいのかしら」
 「しかし何処かへやった方がいいでしょう。何故ならもしかしたら僕は暫く旅行しようかと思ってる」
 「何処へ?」お栄はちょっと意外な顔をした。
 「はっきり場所をきめてないんですが、半年か一年、何処か地方へ行って住まおうかと思うんです」
 「また、どうして不意にそんな事を考え出したの?」
 「そうだな、そうはっきりした理由もないが、とにかく僕はもう少し生活をどうかしなければ駄目なんです」


 放蕩生活に区切りをつけて、謙作はどこか地方へ行って、長い小説を書こうと思ったのだ。

 それにしても、いきなり山羊の話から始まるこの章は、今までが遊郭で煮詰まった場面の連続だったので妙に爽やかな気分に包まれている。お栄との会話も、親密なうちにも、お栄の謙作に対する愛情、それも家族というのではない愛情が滲みでていて、なるほど、こういう二人なのかと思わせる。

 このころ、家で山羊を飼うということは結構あったようで、たぶん乳をとるためだろう。家内が幼いころを過ごした高知の家でも山羊を飼っていたと聞いたことがある。横浜の下町のぼくの家では考えられないことだ。

 山羊を「鳥清」に売る際に、「おかみさんを持たしてやればいいのかしら」というのもなんとも面白い。そうすれば、子供を産むだろうから、それをあてに「鳥清」は、伝染病研究所に売ろうなんて思わないだろうというのである。どうでもいいところかもしれないが、面白い。

 どこへ行くかを兄の信行に相談すると、尾道がいいと勧められる。汽車が嫌いな謙作に、横浜から船でいくといいと信行は言う。そういう時代もあったんだなあと感慨深い。尾道に行くのに、横浜から船! 不便なようだが、また優雅でもある。

 

 その晩彼は電話で信行の在宅を確めてから本郷の家へ行った。
 「ちょっと羨しいな」信行は直ぐこんなに答えた。「尾の道へ行くといい。尾の道はいい処だよ」
 「そうかね。何処でもいい処ならいいが、船のつく処だね」
 「そうだ。お前は汽車が嫌いだから、それもいいかも知れない。一(い)っそ、横浜から船で行くといい」
 謙作はそれも面白いと思った。そして最近に出る船を調べてもらって、切符を買う事を信行に頼んで、そして翌日また会う約束をして別れて来た。
 翌日(あくるひ)午後四時少し前、彼は三越の角で、近くの火災保険会社から出て来るはずの信行を待っていた。年の暮れ近い夕方の忙しい室町通りで、電車は北からも南からも絶えず来てはその前で留まり、車掌が同じ事をいって、また動いて行った。俥(くるま)、自動車、荷馬車、自転車、それからその間々(あいだあいだ)を縫って人間が四方へ勝手な速さで歩いていた。犬も通った。彼は鼻先をかすめて通る男の肩の風を顔に受けながら、もう直(じ)き自分は前に海を見晴らす遠い静かな処へ行くのだと思った。楽みでもありちょっと淋しい気持もした。


 この室町界隈の雑踏の描写は生き生きとしていて、まるで映画を見ているようだ。

「彼は鼻先をかすめて通る男の肩の風を顔に受けながら、もう直(じ)き自分は前に海を見晴らす遠い静かな処へ行くのだと思った。」という表現の素晴らしさ! 都会の風は、「男の肩の風」だ。それに対して謙作を待っているのは、「前に海を見晴らす遠い静かな処」の爽やかな風だ。都会での「人事」に疲弊した謙作の心が見事に描かれている。しかも、「楽みでもありちょっと淋しい気持もした。」とある。疲弊しながらも、放蕩に日々に心が残るのだ。

 会社から出てきた信行と鳥屋に行くことにして、日本橋の「仮橋」へ来た。日本橋は、明治44(1944)に現在の石造りの橋が架けられたということなので、そのための工事だろう。この工事現場の様子が詳しく描かれている。


 日本橋の仮橋へ来た。土台を築くために囲(かこい)をした、その中へ浸み込む水を石油エンジンで絶えず汲み出している。亜鉛板(トタンいた)の変に反りかえった屋根から、細いのと太いのと二本の煙突が出ていて、細い方はスポッスポッと勢いよく蒸気を吐くたび震えていた。そして太い方は赤さびて、その頭から元気のない姻を僅かにたてている。
 セメントに小砂利を混ぜたのを畚簣(もっこ)で陸から運ぶ者がある。頬髯のいかめしい土方がそれをシャベルでならしている。一方ではその上へ蓆(むしろ)を敷いて、向い合った二人が、堂突きで、よいさよいさと突いていた。
 背広に日本脚絆をはいた男が測量をしている。その彼方で、丸太を二本立て、それヘ貫き板をX 字なりに打ちつけている者がいる。そして、その下の油のギラギラ浮いた水溜で顔を洗っている女労働者があった。
 二人はちょっと立止って欄干へ椅り、それらを眺めた。そしてまたそれを離れて歩き出した。
 「働く事がその日その日の食う手段になっている奴はまだいいがね。俺のしている事なんかそれだけの必然さもないからね」突然信行はこんな事をいい出した。「時々変な不安な気持になって仕方がない」
 謙作はちょっと不思議な気がした。信行にもそういう事があるというのが思いがけない気がした。


 裕福な階級の信行は、日本橋の工事に従事する労働者を眺めながら、自分の仕事への不安を口にする。

 その後、二人は鳥屋に入る。

 一時間ほどして二人は其処を出た。銀座まで歩いて、其処で信行は駱駝の襟巻を買って、謙作への餞別とした。

 この一文で、「暗夜行路 第一」は終了する。岩波文庫で150ページ。小説全体のおよそ四分の一ほどだ。

 きわめてゆっくりとしたペースで読んできたのだが、あらためてこの小説の魅力を感じている。内容はなんていうこともない。ストーリーもほとんど展開しない。深い思想が語られているわけでもないし、謙作が特別に魅力的な人物であるわけでもない。むしろイライラさせられることばかりだ。

 今同時進行で読んでいるプルーストの「失われた時を求めて」に比べると、その内容の深み、物語の広がりなど、どこをとっても「暗夜行路」は遙かに及ばないといっていいだろう。けれども、「読む」ということにおいては、「暗夜行路」にも大きな利点がある。利点というのも変だが、それは、なんといっても「暗夜行路」は原語(日本語)だということだ。

 翻訳は、その点でどうしても不満が残る。ああ、原語ならどんなに素敵だろうという嘆きから離れることはできない。それはそれでもうどうしようもないことだから、今更原語を学ぼうなどとは思わないが、やはり、「読む」のは「言葉」だから、その「言葉」が「作者の言葉そのもの」であることはなんといっても大きな利点だ。

 「暗夜行路」のすべてが素晴らしいということではなく、うんざりする箇所だってある。けれども、そういう箇所でさえ、志賀直哉の息づかいが直に聞こえる、というのはありがたいことなのだ。

 さて、暗いトンネルのような「第一」だったが、この後「第二」に入ると、海の上だ。楽しみである。

 

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