2001 「卯月ってこんなに短かったっけ?(後編)」
十六日(月)
「思い出すにもほどがある」
実を言うとこの日記はずっと後になって七月半ばに書いているのでもはや記憶がウロです。
ただ、この週はPCが新しくなったのでやたら騒いでいたのは覚えている。
今日はその金策に使ったんじゃなかったかな。
十七日(火) VAIO参上VAIO解決
「うわ! ブラウザを5つ開いても落ちない!」
本日磯野の職場へ出向きVAIOのPCV-J15という型番のヤツを買ってきた。
その時にスパロボアルファ外伝の話をちょろっとして、やっぱ欲しいなあ、と思ったりしたのを覚えている。
とりあえずこの日は設置して、いや設置するための部屋整理をして、それで力つきた。
十八日(水)
「うわ! 音楽鳴らしてもスクリーンセーバーが動く!」
昨日の続き。
とにかく組んで、BREZZAから使えるパーツを移そうと試みる。
が、基本的に全滅。プリンタすらもうカラーインクは印字してくれないので色々と諦める。
当座父上が会社で使っていたPCについていたPM-700を繋いでみたらちゃんと動いたし、必要充分の性能と認めたのでプリンタはこれで行くことにする。
画面17インチはかなり快適。偽春菜さんもそんなに邪魔でなく動いてくれる。
しかし本日はこれまで。
十九日(木)
「うわ!WINMeってすぐ止まる!」
VAIOからネットに繋いでみる。これは成功。
というわけで今度は必要なソフトをダウンロードしたりして環境整備。
しかしここで問題点。寝助ゴールド。これがもうダウンロードサービスが終了してしまっています。
熟考の末、BREZZA君のHDDを取り外して、その中見ごと移植することに決定。
どうせBREZZA君の中のデータ等は移さなければならないので、まあいっしょにやりましょうか。
二十日(金)
「一人SEロード」
BREZZA君には2つHDDが入っております。元からあったヤツとヤスがくれたヤツ。
で、ヤスがくれたヤツの方が取り外しやすそうなのでこっちにデータを寄せる作業を開始。
いらないデータを処分して減らして必要なデータをもってきて……。
これで一日使ってしまった。
しかし、思ったより色々なものが入っていたなあ。いかに有効活用していないかを目の当たりにしてしまった。
二十一日(土)
「一人だと外した部品を戻せるか不安なSEロード」
そんなのSEじゃねえよなあ。
BREZZA君から外したHDDをVAIOに差してデータ移転移転。
VAIOの蓋開けるのには手こづったなぁー。さすがメーカー品? いやもーわからんのよ。そもそも俺タワーていじるのはじめてだしなー。
ファイルコピーにも偉い時間がかかった。ともあれ作業終了ー。
そしたら寝助ゴールドが何故か日本語モードでなく英語モードになっていて凹む。
二十二日(日)
「学校行きながらなのでちんたら作業なのです」
もっぺん昨日と同じ作業。どうしても日本語版寝助ゴールドを取り戻したい。
しかしダメでしたぁー。なにが悪いのかもわからない。だってデータそのものをHDDごと移してるのよ?
不思議だ。しかしまあ、英語がわかりゃいいんだろ? ということでもうこれで行くことに決定。
BREZZA君の方はフォーマットして別作業用機械になって貰うことにする。
しかし再起動ディスクが壊れている。どうしようかと悩んだ末にサポートにメール。今日はここまで。
二十三日(月)
「憲兵さん暮らし」
やるじゃん東芝サポート。起動ディスク送ってくれるて。ナイス。
さて、BREZZA君のころは重くて重くてとても出来なかった遊び方、音楽鑑賞ですが。
VAIOさんはどんどん入りますね。MP3症候群。好きな曲を好きなように並べて好きなように聞ける魔法のジュークボックスでありCD製造器でありランダマイズも出来る素敵機械小箱です。こんなに楽しかったとは……。
とりあえず自宅にあCDをどんどん放り込む。ビバ大容量時代。
二十四日(火)
「hitomiツアーズ」
確かこのへんで。
とにかくVAIOはメモリが足らないから足せ、という脅迫に近い勢いの誘いを受けて、256一枚足したのだったと思う。
これをやったらそれまでに比べて格段にWINMeの落ちる回数が減ったのだった。やるなあ。hitomi。
二十五日(水)
「あとはLANケーブルか……」
早くも東芝からリカバリCDの起動ディスクが届いた。確かめてから再インストール開始。
フォーマットかけたら買い換えの直接の原因であった、なんだかわかんないけど日本語が書いてる途中でどんどん変になり最終的にはなにもできなくなる、という不具合は消滅!
ビバ再インストール! 今後とも宜しく、BREZZA君よ。
二十六日(木)
「ガンパレはどうした俺」
確かこのへんだったかな。
新学期にもなったので一度劉秋華の所へ遊びに寄せて貰った。というか押し掛けた。
マリ姉のパンを盗み食いしたりしながらダラダラと茶を飲んではしゃべり、なにをしに来たのか単にダベりに来たのか俺、というあたりで帰ったのだった。良い暮らしだった。
しかもお土産にスパロボα外伝を借りた。しばらくはスパロボ暮らしだったように記憶。
二十七日(金)
「思い出さなきゃ良かったよ」
うわ懐かしいなあ。
スパロボやりながら急に奮起して、よしサイト更新かけるぞー、とか言い出したんだよなあ。
当時の俺の頭の中では、誕生日記念にリクエスト系をがーっとこなして箔をつけよう! みたいなドリーム計画が立ち上がっていたのだっけ。
今思うと阿呆みたい。
二十八日(土)
「計画豚座中」
だって明日だものねえ。
しかもこの日は確か途中で遊びに行っちゃったしね。そう。hitomiツアーズin鎌倉ーっ。
しかも途中で日付変わっちゃったし。
二十九日(日) みどりの日 俺誕生日
「誕生日は和食さとで」
そうそう。鎌倉帰りにね。
みんながここで「料金プラスで茶碗蒸しがジャンボ茶碗蒸しに!」ってサービスを頼んで、あまりの大味さと量の多さに次々にげんなりしていく、という素敵な光景を見たものだった。
俺は誕生日ということでおごってもらったのだった。いい一日の幕開けだった。
しかし帰って寝て起きたら午後だったのはブルーだったよなあ……。誕生日なのに。
夜は家族で回転寿司かなにかを食いに行きました。確か、河邑が昔誉めていた「すし丸」を見に行ったんじゃなかったかなあ。けっこう旨かったように覚えている。
三十日(月) 振り替え休日
「ながいやすみだった」
休みでダラダラしてましたね。
四月は前半はとにかく旅行!
中盤は学校開始の準備!
後半はVAIO導入!
と出来事の多い月だった。
そのせいか怒濤のうちに終わってしまった感が強く、とても短く感じたものだったなあ。
で、この流れがこの次の黄金週間でちょっと一段落ついて。
五月からはもう日記も書きだしたとおりでした。