2001 「長長月夜を一人かもねむ(ゼミ旅行)」
十五日(土)
「ちょっと高い飲み屋行ったと思えば、旅行の方がいいな」――T居さん
前夜の夜行で出ました今回の旅行。ムーンライト越後に乗ってまずは新潟方面へ出る。
行きは、いいかげん夜行で出発する旅行には慣れてきたので、「寝るのが一番」とわりきってぐーすか寝る。
新潟から北陸本線で、二月のゼミ旅行とは逆方向、西へと北陸本線。
糸魚川を過ぎるあたりで「ああ、見慣れた場所へ来た」とホッとしたり。ホッとしたら寝たり。寝たせいで富山で降りるとき慌てたり。
富山まで来れば、いつもの旅程の帰りを逆に行くだけなので気楽。というか糸魚川からそうか。今回は金沢工業大集合なので金沢駅からバスに乗る。
他のメンバーはリッチ&社会人ということで今朝飛行機で東京を出ているはず。昼頃の集合時間には悠々間に合うだろうが、俺は貧乏旅行&夜行で一足お先に到着ー。
といっても他に寄るほどの時間は作れなかったので、現地へ行って準備だけしておくこととする。
で、金沢工業大学。広い。
ちょっと駅から遠い、のだろうか。金沢駅から来てしまったのでよくわからないのだが、最寄りは野々市だろうか。大分西側ということになる。
まー、金がかかってそうな設備と土地。不躾ながら質問したところ、ほぼ授業料だけで賄っているというから驚き。やはり土地が安いのだろうか。授業料も東京の大学に比べたら決して高額とは言えない額だったし。
飛行機組が着いたので簡単な学校沿革説明のあと見学して回る。教室の広さ、図書館の広さ、蔵書量、データベース化、情報端末の量、OA図書。レコードのコレクションは一財産。偉い高そうな3DCG作製機器等。
設備は本当にすごい。卒業生の論文を所収しているコーナーも気軽に覗けるし、こういった先進的な設備と逆ベクトルの、中世等の貴重な古書も展示している。グーテンベルクの時代の印刷本とかあったし。
他に実技コーナーも贅沢三昧。機材と設備。箱は完璧。
やっぱ金が気になるって。下世話な話だが。
ちょっと雨に降られてしまったが、こうして構内の見学を終了。俺は都下の工学系の大学を良く知らないのでなんとも言えないのだが、素晴らしい環境だということは間違いないと感じた。金沢工業大か。
今晩は工業大の保養施設に泊めてもらえるということで、能登半島のゼミハウスへ向かう。バスを出してもらって。
学バスいいなあ。能登半島にゼミハウスがあって学生が利用できるってのもいいなあ。
途中、車で砂浜を走れる日本で唯一とかいう場所を通ってくれたのでその件でも感激。なんてサービスがいいんだろう。やはり石川県には足を向けて眠れません。今までにもまして。
で、結構時間かかって七時過ぎ頃能登のゼミハウスに到着。七尾湾の北側らしい。島を挟んで対岸くらいか。もっと東の方か。
今回のゼミ旅行は社会人クラスが主体だったのでかーなり皆様疲労のご様子。しかし能登牛と地元の海から採れた海の幸からなる料理があまりに旨くて急に復活。プラス酒も飲みすぎ。
俺は飲まされすぎ。序盤でもう頭がクーラクラになったので中盤以降ずーとバーベキュー焼く係をしていた。雨がちょっと降ってたので火を守りつつ、肉を焼きつつ、魚を焼きつつ、サザエを焼きつつ、エビを焼きつつ……。
たぶん二時間くらい飲み食いして、皆大満足で解散。のはずが。
入浴後、どういう流れかロビーに酒を持って集まる人々。社会人スゲエ。社会人たまの休み勿体ないと思う執着心スゲエ。
そんなわけで社会人午前三時まで飲み。ゴメンウソ。俺が三時でダメになっただけで、もっと遅くまで残ってた人いた気がする。
話題は色々。やっぱ教育系の人達の集まりだけあって、天下国家と仕事と食ってくことと。そのへんのギャップと摺り合わせとか。学生にはキビシー。
早く社会に出て、こういう時なんか言えるようになろうと決意。
なに言ってもペラいんだよね。GDPに一円も貢献していない人間の言うことは。
十六日(日) ゼミ旅行終了自分旅行開始 七尾市ほっとらんどNANAO泊
「あれが「加賀屋」だよ」――船頭さん
朝起きた。凄い。なんで朝起きられるんだこの人達は。
しかも朝七時からラジオ体操。体育館で。凄い。なんでこんな元気なんだこの人達は。
朝食後はなんと、クルーザーを出して貰って七尾湾をクルージングです。豪華!
でもクルーザーって本気で走ると凄いスピードが出るのね。風スゲエ。直で受けると目が開けてられないのであんまり観光ムードでもない感じだったが、酔いは吹っ飛んだ。
とかいいつつクーラーボックスにビールを詰めて積んであったのでThe・みんなここで酔っぱらい直し。
Tア先生筆頭に皆、大はしゃぎ。そんな中でしかし、実は静かに俺が一番興奮中!
何故ならば、翼よあれが加賀屋の灯だ!
そう。ゼミ旅行の話はもうここまでというかええとアレですが。『痕』の鶴来屋のモデルとなった日本一(冗談でなく)の誉れ高い、和倉の地に七尾湾に面して立つ「加賀屋」を、なんと海側から見るという稀有な機会に恵まれていたのです。
たまたま『痕』を遊んでいて、たまたま七尾湾でクルージングした人間がどれほどいるだろうか。そういうことを考えて一人だけ興奮。今回の旅行では直接見にも行く予定だったのだけれど、感慨は深い。
さて、クルージング後はバスに乗って奥能登を後にする。さらば、さらばゼミハウス。ご飯美味しゅう御座いました。
金沢へ戻って、石川県立歴史博物館及び旧制四高(石川近代文学館)を見学。
どうでもいいが旧制高校を見学に行くとどうにもノスタルジックで泣けていけない。
歴史博物館では「加賀囃子」という金沢に路面電車が走っていた時代のものらしい流行曲が耳に残って仕方なかった。CD出てないだろうなあ。
なお、ここでは有史以来の石川県の歴史を見ることが出来たので、当然次郎右衛門がいたころのこととかメモってきました。結構開けてなかったのだなあ。やはり。
その後、市内の戦前からだかもっと前だかから続いているという、歴史ある料理屋さん(たぶんここ)で昼食。なんか相当酒が入ってきたけれど、昼間っから良かったのだろうか……。
で、ここで飛行機に乗って帰る皆さんと別れる。飛行機は高いので電車で帰りますと偽っての、いやさ偽ってはいないが。俺の旅行はこれからなのでした。
さて、昼食をとった場所がどうも兼六園の近くだったらしく、地図を確認すると本日第一の目的地であるなんとか会館(名前忘れ)なんかすぐ歩いて行けそうな距離ですよ!(※旅行者がよく陥るミス)
そんなわけでテラテラと歩いてゴーします。金沢暑い! なんか一時間くらい歩いてるし! つーか昼から酒(しかも日本酒)入ってる日に歩いちゃダメだ!
とヘロヘロになりつつ現地到着。今日はここで同人イベントが開かれており、Hookyが店を開いているのです。たまたま日にちがあって会えるというのは神のタイミングなので遊びに来ましたヨー。
で、本人とも無事会えたし、本も買えたし、ってだから旅行中に本買っちゃダメジャーン。荷物ガサ増えるって。しかも同人誌カヨオイ。その上月姫本買っても意味わかんないんだって。ダメ尽くし。
忙しいHookyに応対をさせて貴重な時間を削り取り満足。ゴメン。終了まで会場で粘った後、Hookyを見送って解散。
さて。
俺が石川県に来る理由というのは、結局の所「『痕』探訪」だけなのですね。言い切ってしまった。
で、今までは県南の鶴来町が舞台ではないかとあたりをつけて、何度か訪ねていたわけだけれど、今回事前にインターネットで調査(「Yu.N(Yurii Nocolaevich)'s web page」さん及び「ふみゅライク」さん。多謝)したところ、どうも県北、さっき話に出た七尾市ではないかというのが濃厚。つーか先に調査しろよな。俺。
故に今回は初めて、七尾市に行ってみようということになった。一応鶴来の白山青年自然の家に電話して部屋が空いてないことを確認し、じゃあ今回の旅行は鶴来を捨てて全部七尾に使うこと決定。
バスに乗って金沢駅へ。そして七尾線で七尾へ。
因みに高山=七尾説をネット検索の結果教えて貰ったのは「ふみゅライク」さんの「隆山温泉旅行日記」のおかげなのだが、行きの電車の車中でこちらの日記の印刷してきたヤツをもう一度読んで、地図ともつき合わせて行くべき場所にあたりをつけておいた。なんせ時間がもう夕方、五時も近いので公共施設系は閉まっていると考えた方が妥当だろう。
考えた末、今日は駅周辺をちょっと流すくらいにして泊まる場所へ向かい、本格的に調べるのは明日に回すことにする。そして電車は七尾駅に到着。
観光地として有名なのはむしろこの先の和倉温泉のようで、七尾駅で降りるいかにも観光客風の人は少ない。時間も丁度夕方で、一緒の電車に乗っていた帰りの学生達なんかと混ざって改札を出た。
駅を出てすぐ、「隆山温泉旅行日記」にあったパトリアを発見。ここが夜九時まで開いているというので、トイレや電話や食べ物心配をしないで済む。とても有り難い。
『痕』というゲームに俺が感じていた、郷愁というか懐旧というか。
そういうイメージとはかなりかけ離れてあるのがこのパトリアだ。上に駐車場がついた偉く広い五階建てだかのデパートで、一階の食料品から二階の衣料品、三階には大きな書店。そして四階には市民会館が入っていたり、その他テナントも入っている。マックもあったけかな。
しかし密かに一階に「荷物置き場」とかあるし。学生がここに鞄とか置いて中を見て回るのに利用するらしい。こんな所荷物置いといて万引きされないの? とは思ったけれど、あまりにも鞄が重かったので一瞬で疑問など捨てた。楽チン。
荷物を置いて館内を見て回る。広いし明るいし、『痕』っぽくないなあ、などと嫌な不満を持ちながら三階の書店へ。
とにかく地図を買わないことには始まらないので、近辺のなるたけ正確な地図を探す。国土地理院のでかいヤツは置いてないということだったが、本店へ行ってくれといわれたのでそっちへ向かうことにする。
が。閉まっていた。
そりゃそうか。もう夕方つーか夜だものな。
本店というのはパトリアからちょっと町を奥に入った方にあるのだけれど、そこまで行って帰るまでの間に町並みを見た感じでは、商店街はあるけれどもうほとんど閉まっている感じ。地図が買えなかったから今日の宿の正確な場所もわからないし、町が閉まる前に食事だけどっかでしておくかと。
そんなことを考えながらパトリアに戻る。最悪、ここの食料品売り場で弁当でも買えばいいのだけれど、それも寂しいのでなんか探そう。
その前に宿の場所だけ、ということでさっき四階で見つけておいたネット端末のところへ向かう。なんと七尾市は誰でも利用できる場所にPCが置いてあって無料でネット利用が出来るのです。旅行者にはとても嬉しいこのサービス。
ところがここでアクシデント!
ネットゲーで戦争が始まってやがりました。よりによってこのタイミングで! しかも俺まだしばらく帰らないっつーの。戦争中に国王(なんです一応)が旅行ですって!
凄い勢いで各所に連絡を取りつつ、しょーがないので某Lさんにお願いして不在の間の指揮をお願いする。無責任極まりないとは思うが、自宅を遠く離れて石川県七尾市です。もー他に出来ることなし!
で、このネトゲ対応をやってたらもう九時ですよ。パトリア閉店。どうしよっか……。
とりあえず商店街の方へ行って開いてる店を探すが、もうほとんど飲み屋しか。しかも一軒とりあえず入って天ぷら盛り合わせで生ビール飲んでたら、もう看板なんですがとすまなそうに言われて席を立ったり。
嗚呼。今日はもうこれでいっかー。蛸の天ぷら旨かったしー。などと思っていたら、鰻屋がポツンと一軒開いていた。
じゃあ、ここに、しよっかー。まだ開いてるかなと思いながら入る。ここが大当たり。
ご飯の上に蒲焼きが乗ってるタイプじゃなくて、ちょっとひつまぶし風の混ぜ込んだタイプだったのだけれど、旨い。メッチャ旨い。肝吸いも旨い。つーか旨い。
鰻大好きな俺が思わず唸るほど旨いでやんの。ビックリ嬉しい大誤算。
終い際だったからか、店主夫妻から話しかけてきてくれたのでこれ幸いと色々話を聞いておく。どうもやはり、ここが『痕』の舞台となった町と考えて間違いなさそうだ。いや、もちろんそんな直な聞き方はしてませんが。こういうとき「大学院生」って肩書きは便利! なんか調査に来たっぽい感じする? 大学院とか言うと。
満腹して、なんか十一時頃だし、そろそろ宿へ出ることにする。今日泊まる場所はネット(「畝源三郎のホームページ」さん多謝)で事前に調べてあった「気持ちつるつる天然温泉ほっとらんど NANAO」というところにするつもりだったのだが。
その話をするとなんか店主夫妻がわりと真顔で「あそこは、遠いよ」と一言。話を聞いてみると、歩いていけないことはないけどちょっとかかるらしい。
とはいえ歩きには慣れているので、多少遠いくらいならどうということもない。そう言うと道順を教えてくれたが、「でも、遠いよ」と重ねて言われた。うーん。
気にはなったが、タクシーは阿呆らしいし(てゆーかどこから出てるかわかんない)。やはり歩いていくこととする。
踏切を渡って市街地を抜けていくまでの間に、公園や「俺の中ではここが柏木家」と勝手に決めた家、警察署(柳川が残業してる。きっと)等々の横を抜け、なんかいっぺん道に迷って大きく戻ったり。
しながら市街地の外れまで来てしまった。すでにここに来るまでに農道とか用水路とかの横を歩いていたので覚悟はしていたのだけれど。ヤバイです。本格的に真っ暗です。本当に真っ暗です。てゆーか日本の夜ナメンナ。そんなキャプションがつきそうなくらい暗い。
どうも、この町果つる場所よりさらに山一つ越えねばならんようなのだが、ホントに真っ暗の、山越えの道で、歩道があるかどうかわかんなくて。そのくせ側溝があるので道の端を歩いていると落ちそうで危ない。でも車がたまに通るとすっごいスピード出してる。超恐い。
市街地の外れへ出るまでは、長月の夜の静けさの中、月下に照らし出された風情のある町並みを歩きながら、嗚呼ここが痕の舞台かと。耕一も田舎に帰ったらこんな静かなところに美人四姉妹がお迎えかぁ。
なんか腹立つなぁ。
などと面白がっていたけれど、今や全然面白くありません。
まず荷物が重い。ゼミ旅行の資料とか全部入ってる鞄二つというのが重すぎ。そしてとにかく歩きすぎ。距離が遠い。しかも真っ暗。そして斜面。というか山。さらに言うならさっきも言ったけど側溝が。道路の端によると溝に落ちる不安。その溝すら良く見えないし。
そんな状況で、道路標識一つない、何処迄歩けば着くのか、どころか道が合ってるのかすらわからない所を延々歩き続けるのは、これはかなり消耗する。
途中で大きな交差点の様なところへ差し掛かって、横断歩道が書いてあることにホッとするような道のりですよ。しかもその交差点でちょっと休もうと思ったら「静かな山の中に当然現れた交差点。外灯に照らされてるけれど不自然な感じがして仕方がない。しかも世界に俺一人」というシチュエーションが恐くなって逃げるように進む。
頭の中では「旅行中大変な目に遭った話」をした時にヤスあたりが「多津丘、スゲエなあ」と律儀に感心してくれるのを再現して頑張ったりしていたが。
ゴメンヤス。やっぱダメ。こういう旅行。
かつてアイルランドで夜寝る前にギネスが一杯飲みたかったばかりに「近くの(地図上では)」PUBへ繰り出して死ぬような目に遭ったことをぼんやりと思い出す。あの時に比べたら、道が舗装してある分今回の方が勝ちだ。つーか日本だし! でも日本の山のせいで怖さはこっちの方が上かぁ。じゃあ勝負なし!
などと向こうの世界へ逃げかけたところで、ようやく、なんとか。
ラブホテルかなんかの看板を発見。とりあえず異世界にはのまれてない。オッケ行ける!
そう騙してもう三十分ほど歩くと。ついに着きましたよ「気持ちつるつる天然温泉ほっとらんど NANAO」!
ここはいわゆるスーパー銭湯で、仮眠室で泊まるのでしたね。ゴメンあんまり疲れてたので良く覚えてない。とにかく風呂に入って、なんか数種類のイベント風呂を無視して速攻二階の仮眠室へ。
結局寝たのは二時頃だった。昨日の今頃は七尾湾の対岸で飲み飲み飲み飲みしていたことを考えると……。
長い24時間だったなぁ……!
十七日(月) 和倉温泉国民宿舎万葉荘泊 刃牙
「無事だったか」――公楽店主
仮眠室というのはなんか偉く深く腰掛けるタイプの椅子がたくさんと、端の方に堅い畳敷きの座敷があってテレビなどが置いてあるわりと広い部屋で、夜は電気も消えて真っ暗になっている。
そこの畳の所へ行って、布団はないけど毛布を出してきて寝る。九月の石川県てのは寒いんじゃないかと不安だったが、これで問題なく快適に過ごせた。
で、朝。
八時頃起きて、せっかくだから一っぷろ浴びて、その後荷造りをして出発。朝食をとろうかと思ったが少しでも早く町に出ておこうと思ったのでここはやめておく。
外へ出ると見事な晴天。つーかこんないい天気の日に歩くのはゴメンだ! そんな秋晴れ。
昨日の夜あれだけ俺を恐れさせた真っ暗だった山も、日の光の下で見てみれば素晴らしく景色の良いハイキングコースのようなものだった。なんか真っ暗な世界に吸い込まれるように感じていたのが阿呆らしくなる。
しかしここでアクシデント。
ほっとらんどを出てすぐのところで草むしりをしていたおばさんに町への戻り方を聞くと、バスは八時頃出てしまって、昼までこないという。すいません地方舐めてました。
まあ。いいや。道もわかってるし! ということで昨日のルートを逆戻り。日も出ていたし迷うこともなく歩いて、一時間半ほどで町はずれまで戻ることが出来た。
わりとショックだったのが、昨晩異世界のような雰囲気で俺を怖がらせた無人外灯交差点が、昼に通りかかってみたら小粋なビニルハウスの建ち並ぶフラワーパークの入り口だったこと。夜は外灯の他何も見えなかったのだけれど、こんな場所で怖がってたのか俺は。
さて。駅方面へ戻る途中、警察署のある通りの並びにスーパーを発見。書店なども併設してある車社会の郊外スーパーという感じで、開店ちょっと前だがもうレジは動いている様子。
丁度良いのでここでパンや牛乳を買って朝食。ついでに本屋でジャンプ等を立ち読み。ここまで来てそれカヨって言うな。
食後、地図を出して今日の行動予定を立てる。昨晩はあまりに暗かったので断念したが、町はずれでは「寺」及び「水門」という二つのポイントを探さなければならない。痕の舞台になった場所ならどこかにあるのではないかと思う。
まずは地図にあったので近くの寺へ。というか実はこの寺は昨晩道に迷ったときに来るだけは来ていたのだが、真っ暗で何もわからなかったのだった。
もう、荷物が重くて嫌になったのでスーパーの近くの小川の河原に隠しておく。盗ってく人もいないだろ。もう。
で、お寺。雰囲気や規模は作中の物に近いと言えば近いのだが、作中の寺が平安時代からあった古刹だったのに比べ、こちらは二時大戦後の建立だった。といっても近くに他に山を背負ったような寺はないし……。
まあ、話の都合で実際には存在しないものを出すことは良くあると思うのでどうでも良い。さー水門いこ水門。
ところがこれも見あたらない。位置的には町へ流れ込む川の上流というとこっち側しかないと思うのだが……。
一応、なんか、さっき荷物を置かせて貰った川の途中に、ゴム製の堤防になる装置があって、必要があるとそのゴムがびょーんと上がってきて臨時の水門になるというハイテク機構は発見した。が。
絶対違うよ。痕の水門は違うというか。柳川がゴムんとこにみょーんと引っかかってるのはなんか違う。
しかし寺も水門も、作中で耕一達がちょっと行ける距離にあるのは間違いない。ここからもっと、数キロ歩く気でいれば山側には有名な寺が十数カ所もあったりするが、夜中に初音ちゃんと花火持って一キロは歩かないと思うんだよなあ。
夜真っ暗で恐いし。このへん(軟弱な都会人を露呈)。
よって仮説としては、隆山ってのはこの、七尾市と鶴来町から必要な要素をチョイスして作ってあるのではないか。根拠になるかわからないが、鶴来の方では寺はともかく水門に関しては作中の物に近い形の物を確認してある。
「加賀屋」が作中で「鶴来屋」になっていることから考えて、作り手の側が鶴来町に関する知識があって、それを利用したかもしれないというのはそう、強引な推察ではないだろう。
寺はいいや。もう。作中設定と深く関わる平安時代に鬼を封印した寺なんてそのまんまあるわけないからな。よく考えたら。よく考えなくてもだけど。まあそれはいい。脊髄反射旅行。
一つ納得したところで、警察署側を少し大回りして駅方面へ戻る。警察署の前で張ってれば柳川に会えるかとも思ったが、(※会えません)捕まって殺されるとイヤなので通り過ぎる。途中地図によると武道館があるところの近くまで入ったのだが、凄く見たかったのだが。時間の関係で断念。
そして昨日は暗かったのでパスした駅近くの小丸山公園へ。
ここはまず間違いなく、作中で猟奇殺人事件が起きたりしてるゲンの悪いあの公園のモデルになったと思われた。
公園といっても小さな丘一つ分くらいの広さはあるし、高低差もあるし土俵(何故?)もあるし噴水もあるし東屋もあるし見晴台もあるし……。ちょっとしたイベントの2つや3つは起きて当たり前という感じだ。こりゃ柳川も来るわ! 狩りに!
その後、この公園を抜けて向こう側にある図書館へ。
地域資料と地図、民話や伝承のコーナーでめぼしい物をざっと見てみたが、鬼の伝説のようなものはちょっと見あたらなかった。時間がほとんどなかったので大きな事は言えないが、では鬼の伝説というのは創作かそれに近い物であったと考えて良さそうだ。
当たり前だが本を借りていくことは出来ないので、図書館で販売していた昔話の本を何冊か買って帰ることにする。また荷物が増えてる。本が……。
で、そろそろ昼時で腹が減ってきたので繁華街の方へ出て、また昨日の鰻屋さん(「公楽」という名前だった)へ。
無事に辿り着けたことを報告し、あといくつか、市場へ行くにはどれくらいかかるかとか市史編纂室とかはありますかねとか、そういう質問をさせてもらった。丁度昼時が終わったところだったのか、忙しさの谷間だったようで、また色々教えて貰って助かった。
さて、昨日閉まっていた書店で国土地理院の地図を買い、もう一度ガイドブック系の地図には載っていなかった寺や水門(水門は載ってないだろうけど)があるかどうかチェック。どうも、やはりないらしい。
今晩の宿は和倉温泉にとってあるので、夕方には一駅とはいえ移動してあちらに行かなければならない。限られた時間を有効に使うにはどうしようか。
などと思いながらパトリアで有り難くネット接続。ええ。ネットゲームですよ。貴重な旅行中の取材の時間もなげうちますよ。王様ですから! 死んでしまえ!
素敵な戦争対応をしていたら二時間も食われました。もうダメだ。今日はここまで。あとは駅近くをブラブラして時間を潰します。「俺の中で柏木家と決めた家」と「俺の中で楓ちゃんが通っていると決めた高校」を確認し、実際に歩いてみて通学時間の検証などを行うというどーでもよいことに時間を浪費し、電車の時刻に駅へ。
そして七尾で大勢降りてくる学生や勤め人と入れ替わりに電車へ乗り込み、隣の和倉温泉駅へ向かったのだった。
和倉温泉駅では、やはり観光客が大勢降りた。駅前はそれほど賑わっていないというか、温泉街は地図で見ても結構遠くにあり、バスやタクシーに乗り込む人が多い。
俺? 当然歩きですよ。夕陽さす北陸の地をてくてく歩いてゆくなんてなかなか出来ませんから。昨日? あれは夜! 感じたのは風情というか命の危険!
で、宿について荷物を置いたらいきなり。なんかドッと疲れが出て立ち上がれなくなりそうになるし。そりゃそうか。昨日今日の、というかこの旅行イベント多すぎ。
しかしここまで来て温泉に入らないわけにはいかないので、浴衣を貸して貰うとてくてくと共同温泉へ。もう真っ暗だったが、どこぞとは違って外灯があるので恐くありません。
最も、外灯がなくても大丈夫だったかもしれない。と思うほどこの和倉温泉には店や建物、宿が多い。
そしてそれらの建物が建つ温泉街の外れ、一番海側。
夜を圧して立つシルエットは、それこそ一キロ向こうからも確認できただろう。
「加賀屋」。昨日(昨日だよアレ)海側から見た、鶴来屋のモデルになった旅館。日本一という称号が冗談でないかもしれないところだ。
とにかくデカい。夜なのに煌々とあたりを照らしているし、その存在感に圧倒される。
なんかオーラがあるというか、泊まり客じゃないと遠慮してしまって近寄れない感じ。入り口の周りが結構広く開けているのだが、一番外側は自社バスの群れで固めてあって、門の近くには大勢の仲居さんがお客さんを迎えに並んでいる。
どうもその、バスと仲居さん達の間のゾーンに入っていく勇気が出ない。ので遠くから見てました。だって話しかけられたりしたら困るし。
とりあえず間近に本物を見て満足したので、共同浴場へ。かなり熱いお湯でふーふー言いつつ、長湯はしないで去り、ビールを買って飲みながら波止場をブラブラ。
近くの旅館のお客さん達も浴衣姿で繰り出していて、ベンチには結構人影がある。外灯の明かりだけを頼りに紐で蛸を釣るおじさん達が、観光客にその蛸を自慢している。
海側から見上げる加賀屋の威容。なんかエレベーターシャフトが透明で、中にお客さんを乗せて上下しているのが遠くからも良く見える。ずいぶんでかいエレベータだな……。
目を転ずれば北は海。昨日の俺の乗った船は何処だろう。
東には遠く、海を越えて行く橋が北方へ延びている。行き来する車のヘッドライトが流れる。
昨晩も思ったが、寒くない。今日だって浴衣一枚なのだが、丁度いいくらいの陽気だ。
七尾の九月は、湿気もないし極楽だわいなあ。そんなことを考えながら宿へ戻った。
同じ夜歩きでも昨晩とはずいぶん心持ちが違う。ほとんど正反対の気分で歩くのを、頭上の月だけが昨晩と変わらず見下ろしていた。
同じく彼の月の照らす下に、あの隆山の町も在るのだろう。丁度大学の始まる前の時期でもあるし、今日あたりはあの五人も、月を見上げて夕涼みなどしていたのかもしれない。
その空気を、気配といっても良いほどのとても近くに感じた時、あれほど強かった郷愁と懐旧がいつの間にか影を潜め、隆山が自分にとってなんてことはない、親近感の湧く土地となっていることに気付いた。
世界の運行からすればどうでも良いようなことだが、俺にとっては大きなその変化を、月は黙って見ていた。
十八日(火) 富山 叔父宅泊
「ま。一回目に耐えたんだからたいしたもんなんだ」――叔父
起床。朝食。出立。
もの凄く気分良く目覚めた。昨晩夢の中で色々あったような気もしたがまったく覚えていない。とにかく絶好調。
もちろん早速電車を乗り逃がしたりはしたが、バスがあったので問題なし。今度は西から国道を通って七尾入り。
さて、十時頃七尾着。昨日までのようにガツガツした痕探訪への思いはなんか薄れているのだが、とりあえず市史編纂室は覗いてみることにする。
市役所は駅からちょっと歩いたところにあって、繁華街からも離れているので今日はもう町のことはいいや、ということにする。その前に昨日みつけておいた自動販売機でミルクセーキを買って飲んだ。自販機のミルクセーキ大好き。思わずもう一本。
残念ながら市史編纂室は担当の方がいないとかで開いていなかった。ここにも無料ネット端末があったのでとりあえずネットゲーネットゲー。なんか死にたくなるけど、王様ですし! でも一時間で切り上げ。スゲエ貴重な一時間なんだからこれ以上使えないっつーの。
さて昼。どうするか。ちょっと奥に歩くと文教施設があって、そのもっと奥には梓の通っていたと思われる高校がある。町へ戻るよりは、ここまで来たし、行ってみるか。
最終日だし強行軍オッケーということで昼食抜きで出発。荷物? 市役所に置いたよ! 盗られやしないって!
(※この表現たくさん使ってますが、河原やそこらに荷物を投げ置いて行動すること、皆さんにはまったくお勧めしません。悪いこと言わないからコインロッカー使おう。……俺? ロッカーに入りきんないの! 本が多すぎて! だからゼミ旅行の帰りだっつーのー! 頭オカシイ!)
ところで当然距離を見誤っていたというか、遠い。あと途中から店とかがなにもなくなりました。まさに山の中に学校があります。近くにコンビニとか見あたらず。なんか自販機が一個だけあったけれど。
これ、中に購買とか学食とかあるよなあ。なかったら食糧問題で暴動が起きるだろう。
周囲も一回り歩いて満足したので、お腹が空いて動けなくなる前に市役所へ戻る。
今晩はいつもの如く富山の叔父さんの所に寄せて貰って帰るので、六時に富山に着くには五時には金沢を出なくちゃなので……。と考えていると七尾には三時頃までしかいられないらしい。町に戻って遅い昼食とったらもう出発だ。
他に行くところはないか。もう大丈夫なのか。なかなか来られる所じゃないし、と思ってもこういうとき、焦ってるとどうせ思いつきゃしません。とりあえず荷物を回収し、「公楽」が休日で凹み。ミルクセーキを二本飲んだらパトリアへ戻って荷物を降ろし、土産物とか見ながら時間調整。
そして電車の時刻になりました。さらば七尾。また会う日まで。
帰りの七尾線で偶然、「俺の中で楓ちゃんが通ってると決めた」高校の生徒さんと席を同じくしたので、思い切って色々聞いてみた。
特に疑問だった同じ敷地内に地図上で見ると二つの高校が同在している点について、片方は夜学という答えを得ることが出来た。なんて初歩を見落としていたんだ、俺……。
さて、その後はいつも通り富山へ。
駅まで迎えに来てくれた叔父さんの同僚の方の車が、カーナビどころかテレビを積んでいて素でビックリ。だってテレビですよ? 運転しながら見ちゃったら事故るんじゃないのか。いいのか、テレビは。さすが車社会……。
叔父さんは建築系の会社でダムとか作っているので、今回のテロ事件でビルがブッ壊れたことについて、建築学的見地からの説を色々と披露してもらった。というか俺が質問しすぎ。
飲んで食べて話して飲んで食べて話して。夜まで二人でなんか話していた。
十九日(水) 帰宅
「そして私は、坂のたぶん七分目あたりで、大きくため息を吐いた」――関口巽
このルートで帰るのももう何回目かなので、二人ともペースは慣れたもの。
朝食とって準備して駅へ。「では」で別れて車中の人へ。
富山駅から北陸本線で糸魚川へ。糸魚川から大糸線で南小谷。松本。松本から中央本線で八王子……と。
今回の旅行の初日に載ってきたルートを逆に辿る。アレがまだたったの四日前とは。
いつもの通り乗り替え時間がほとんどなくて食事に苦労したり、座りすぎで腰が痛くなったり、中央本線ではさすがに疲れて寝てたり。
もう慣れた段取りで普通に帰宅。日常復帰はとっくに終わっていたらしい。
自分に大きな影響を与えた作品のルーツを探る。
それは大好きな物語の舞台を見に行くという、非日常への遊離である。
しかしその、一種の憧れの地であった「隆山」に関して、和倉温泉の夜の道で、月を見上げながら、今回一つのケリをつけることが出来た。
どこにもない町は、裏を返せば鏡に映った、どこにでもある普段の世界。その空気の一端に触れたと思ったとき、「理想の異世界隆山」を探す作業には、もはやそれほど大きな意味はなくなっていた。
たぶんなくした物もあるのだろうが、一つ縛られていたものを解いたことは大きいと感じる。
物語は経験の中に。故に、隆山はここに在る。
理論ではなく心情でわかったことが収穫であった。
ハッキリ言って。
こういう旅は間違っている。
だからやめられない。
(最後になりますが、今回の旅行の端緒を作ってくれたゼミ仲間やネット上に情報を提示してくださっていた皆さん。
改めて、ありがとうございました)