西国33ヵ所霊場巡り
  13番~24番
〔番外含む〕

お遍路に魅せられ、心のよりどころ探しで、人気の西国
巡礼を始めた。四国八十八ヶ所巡りのご縁も大切にして
いるが、新しい出会いも出来そうで楽しみである。
昭和63年10月13日、28番札所『成相寺』にお参りして
から26年目の再開である。舞鶴に単身赴任していた時に
参拝してガイド本を購入したがじっくり読み直して
これから、一年かけてお参りしたいと思う。

 第十三番 石光山
  石山
 第十四番 長等山
 園城寺
第十五番 新那智山
 今熊野観音寺
 第十六番 音羽山
 清水寺
 第十七番 補陀洛山
  六波羅蜜寺
  第十八番 紫雲山
 六角堂頂法寺
 第十九番 霊鹿山
  革堂行願寺
 第二十番 西山
 善峯寺
第二十一番 善堤山
 穴太寺
第二十二番 補陀洛山
 総持寺
 第二十三番 応頂山
  勝尾寺
  第二十四番 紫雲山
  中山寺

第十三番札所:石光山 石山寺 
滋賀県大津市石山寺1-1-1
TEL.077-537-0013
ご詠歌:のちのよを ねがうこころは かろくとも ほとけのちかい おもきいしやま
    後の世を 願う心は かろくとも 仏の誓い 重き石山

表:東大門(重文) 裏:石畳の参道

本堂(国宝:懸け造り=かけつくり)

表:紫式部の人形 裏:紫式部供養塔(左)と芭蕉句碑(右)

表:蓮如堂 裏:子育観音

表:多宝塔(国宝)
  檜皮葺(ひわだぶ)
  建立は鎌倉時代 1194年
裏:鐘楼(重文)

表:経堂(重文)裏:くぐり岩

補陀落山観音霊場

訪問記お知 

2012年10月10日
娘が山科に住んでおり先達なしで孫を連れてお参りした。紫式部ゆかりの寺で本堂内『源氏の間』に人形が置かれ源氏物語執筆状況をロボットが説明してくれた。安産祈願のお寺で経堂の下に安産の腰掛石があった。また、石灰石が熱で変性した天然記念物の『珪灰石』で出来た『くぐり岩』をくぐった。そして、3人の孫がスクスクと育つように子育観音様にお参りする。補陀落山観音霊場33ヵ所もお参りして一枚づつ写真を撮った。

第十四番札所:長等山 園城寺(三井寺)宗派:天台寺門宗総本山 本尊:如意輪観世音菩薩  
滋賀県大津市園城寺町246 
TEL.077-524-2416
ご詠歌:いでいるや なみまのつきを みいでらの かねのひびきに あくるみずうみ
    いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
   

表:仁王門=重文(金剛力士像は運慶作) 裏:観音堂

金堂(本堂は国宝=秘仏が沢山あり自由に参拝できる)

表:園城寺別所 微妙寺 裏:村雲橋 

表:霊鐘堂 裏:弁慶の引摺り鐘

表:三重搭
  (重要文化財)
裏:天狗杉
  (天然記念物=大津市指定)

表:潅頂堂 裏:一切経堂

表:閼伽井屋 裏:三井の霊泉

表:百体観音堂 裏:第48番 薬師如来(水観寺) 

表:龍=左甚五郎作 裏:四脚門
 
 三井の晩鐘(重要文化財)
参拝記
2013年2月5日 
金堂の裏にある重要文化財の閼伽井屋(あかいや)の中に、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉がある。園城寺は御井(みい)の寺と言われていたので俗称、三井寺と言われる。また、『音の三井寺』『形の平等院』『銘の神護寺』と日本三銘鐘と言われている。平成八年に環境庁より「残したい日本の音風百景」として選ばれたそうです。「弁慶の引き摺り鐘」は初代で霊鐘堂に飾られているが三井の晩鐘は奈良時代の梵鐘であるが300円╱回で撞くことが出来るので心を込めて撞かせて頂いた。観音堂の横に百体観音堂(西国33ヵ所、坂東33ヵ所、秩父34カ所)があったのでお参りをした。境内には薬師如来(西国薬師四十九霊場の二十八番水観寺)も祀られていたのでお参りをした。
第十五番札所:新那智山 観音寺(今熊野観音)宗派:真言宗涌寺派 本尊:十一面観世音菩薩 

京都市東山区泉涌寺山内町32 
TEL.075-561-5511
ご詠歌:むかしよりたつともしらぬ いまくまの ほとけのちかい あらたなりけり
    昔より立つともしらぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり
   


表:参道入口 裏:鳥居橋 

表:杉並木 裏:鐘楼

表:医聖堂
  〔多宝塔形式、高さ16m〕
裏:菩提樹

表:子護大師(左上が本堂) 裏:本堂 

表:医聖堂入口 裏:石地蔵

表:大師堂 裏:ボケ封じ観音

表:三重石搭 裏:ボケ封じ観音

表:枕宝布 裏:熊野権現
参拝記
2013年2月5日
後白川法皇の持病の頭痛を治したことにより知恵を授けたりボケ封じの効験がある観音様として信仰があると聞き私も枕宝布(枕カバー)を二つ購入(800円╱1枚)した。ボケ封じ近畿十樂の一番霊場である。鳥居橋を渡り、杉並木道を奥に進むと子護大師が迎えてくれた。四国33ヵ所霊場の砂が埋められているのか「南無大師遍照金剛」と唱えて大師像の周りを廻るように立札がある。


番外札所:華頂山  元慶寺 宗派:天台宗 本尊:薬師如来 
京都府京都市山科区北花山河原町13
TEL.075-581-0183
ご詠歌:まてといわば いともかしこし はなやまに しばしとなかん とりのねもがな
    待てといわば いとも畏し 花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな

表:山門入口 裏:山門裏側

表:帝釈天立像写真
裏:梵天立像写真

表:素性法師の歌碑

表:本堂 裏:遍昭の歌碑

訪問記お知 

2012年9月13日
竜宮造りの山門には、昔は平安前期の一本造りの等身大の帝釈天立像、梵天立像が安置されていたが今は京都国立博物館に保管されているそうです。開山の遍昭僧正が読んだ百人一首の『天津風 雲のかよい路 ふきとじよ 乙女の姿 しばしとどめん』が有名であり歌碑があった。遍昭の子、素性法師の歌碑も境内にあった。『今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな』=あの人がすぐ来ようと言ったばかりに、私はこの9月の長夜を待ち続け、とうとう有明の月に出会ってしまったことだ…。
第十六番札所音羽山 清水寺 宗派:北法相宗 本尊:十一面先手千眼観世音菩薩   

京都府京都市東山区清水1-294 
TEL.075-551-1234 →世界文化遺産
ご詠歌:まつかぜや おとわのたき きよみずを むすぶこころは すずしかるらん
    松風や 音羽の 滝の清水を 結ぶ心は 涼しかるらん


表:仁王門(左)と三重塔(右) 裏:開山堂(田村堂)

表:釈迦堂 裏:音羽の滝

表:本堂 裏:出世大黒天

表:三重塔と西門 裏:随求堂

表:入口のお店の看板 裏:常夜燈

表:元祖八ッ橋 裏:京都名産(七味唐辛子)

表:奥ノ院から本堂を望 裏:清水の舞台から本堂望

訪問記お知 

2012年9月13日
清水の舞台から飛び降りる…で有名な清水寺。懸造りの舞台は釘を使わずに78本の欅の柱と貫によって作られているそうです。過去、何度も参拝しているが西国札所として気持ちを新たにしてお参りした。残念ながら阿弥陀堂と奥ノ院は修理中で見れなかった。八ッ橋と七味唐辛子を買った。世界文化遺産に登録されており外国人の参拝者を多く訪れていた。
第十七番札所補陀落山 六波羅蜜寺 宗派:真言宗智山派 本尊:十一面観世音菩薩 
京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町 
TEL.075-561-6980
ご詠歌:おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらどうへ まいるみになれば
    重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
   

表:入口 裏:本堂〔左横に宝物館入口がある〕

表:平清盛石搭(左)阿古屋塚(右)裏:六波羅弁天

表:なで牛 裏:空也上人像(6体の阿弥陀)

縁結び観音像

平 清盛座像

訪問記お知 

2012年9月13日
補陀洛山は観音様が住んでいる聖地だそうです。宝物館には十一面観世音菩薩像、薬師如来座像、空也上人立像、他12の鎌倉時代の重要文化財が保管されていて辰年で開帳されている。残念ながら見ていない。六波羅蜜とは〔布施〕施しであるが施したことを心に留めず物だけでなく心も言葉も代償を求めないこと。〔持戒〕自らを戒めること。〔忍辱〕耐え忍ぶこと。仏の心を理解して生かされる喜びと力を感じる。〔精進〕常に誠心誠意、精一杯尽くすこと。〔禅定〕静かな心で自分を客観的に見つめること。〔智慧〕五つの徳目、助け合い、ルールを守る、耐え忍び、励み、自己を見つめ、そして、苦楽を乗り越えて実践する。ことだそうです。
第十八番札所:紫雲山 六角堂頂法寺 宗派:天台宗 本尊:如意輪観音菩薩 
京都府京都市中京区六角通洞院西入ル堂之前町248 
TEL.075-221-2686
ご詠歌:わがおもう こころのうちは むつのかど ただまろかれと いのるなりけり
    わが思う こころのうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり
   

表:六角堂山門 裏:本堂正面

表:六角堂の屋根(池坊会館6階より)裏:納経場所(へそ石餅)

表:16羅漢と御幸桜 裏:不動明王(境内)

本堂

表:親鸞堂(夢想之像と草鞋御姿像安置) 裏:地蔵

へそ石

鐘楼堂(境外)

訪問記お知 

2012年9月13日
聖徳太子創建のお寺、いけばな発祥の地、京都の中心地(へそ石)…と話題豊富なお寺である。親鸞上人29歳の時、毎夜、比叡山から下り、この六角堂で百日参籠され95日目に夢で『法然の許へ行け』と言われ通ったそうです。それから、2年後また夢で如意輪観音の声を聴き
   「行者宿報設女犯・我成玉女身被犯・一生之間能荘厳・臨終引導生極楽」
このお告げにより日本に新しい救いの教え『浄土真宗』を生みだしたそうです。境内には『16羅漢像』や早咲きの『御幸桜』があります。御幸桜は最初は白い花を咲かせ次第にピンクに色付き散り際が美しい枝垂桜だそうです。
第十九番札所:霊ゆう山 革堂行願寺 宗派:天台宗 本尊:先手観世音菩薩 
京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 
TEL.075-221-2770
ご詠歌:はなをみて いまはのぞみも こうどうの にはのちぐさも さかりなるらん
    花を見て 今は望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
   

表:山門 裏:本堂

表:大提灯の本堂 裏:本堂上部

表:側面から見た本堂 裏:延命地蔵菩薩と天道大日如来

表:賀茂大明神 裏:七福神

訪問記お知 

2012年9月13日
革聖と呼ばれていた行円上人が名付けた行願寺。名前の由来は、いっさいの人々の成仏を『ねがい、行(ぎょう)じる』という思いからだそうです。西国札所、唯一の尼寺だそうです。本堂内の地蔵菩薩像は、お釈迦様が入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの間、六道を輪廻する衆生を救うとされる菩薩で、白い頭巾をかぶっておられました。
第二十番札所:西山 善峯寺 宗派:天台宗単立 本尊:十一面千手観世音菩薩 
京都市西京区大原野小塩町1372
TEL.075-331-0020
ご詠歌:のをすぎ やまじにむかう あめのそら よしみねよりも はるるゆうだち
    野をすぎ 山路にむかう 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立
   

表:一の橋(登り口) 裏:東門

表:山門 裏:護摩堂

表:観音堂(本堂) 裏:境内(左手前はお香水)

表:遊龍の松 裏:桂昌院しだれ桜

表:多宝塔 裏:桂昌院歌碑

表:厄除け鐘鐘 裏:桂昌院廟入口

表:幸福地蔵 裏:座禅石

表:絵馬堂 裏:十三仏堂

表:遊龍の松 裏:長岡京市街
参拝記
2012年12月5日
猪の大群が一夜にして岩場を平地として源算上人が平安時代の中頃、寺を建立したとか…。一の橋の登り途中に座禅石がある。東門を入り桂昌院が再建された山門(仁王門)で入山料を払う。両脇の金剛力士像は運慶作だそうです。本堂内でお勤めを終えて境内を散策。多宝塔(重文)幸福地蔵、十三仏堂や徳川五代将軍綱吉公の厄除けに寄進した『厄除けの鐘』等桂昌院が寄進したものが多く残っている。天然記念物の『遊龍の松』は樹齢600年の日本一の五葉松。桂昌院お手植えの『しだれ桜』は樹齢300年だそうです。幸せを招くお地蔵さんには自分以外の幸せを願いましょう…と書いてあったのでとっさに経済が好転して日本人全員が幸せになるように祈りました。
第二十一番札所:菩提山 穴太寺 宗派:天台宗 本尊:聖観世音菩薩 
京都府亀岡市曽我部穴太東辻46
TEL.0771-22-0605
ご詠歌:かかるよに うまれあうみの あなうやと おもわでたのめ とこえひとこえ
    かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声
   

山門表と裏

表:鐘楼 裏:宇治宮成墓

表:多宝塔
裏:銀杏木

表:本堂 裏:本堂正面

表:正面 裏:びんずる尊者
参拝記
2012年12月5日
本尊は薬師如来から聖観世音菩薩(昭和43年に盗難)に変わったそうです。当地郡司の宇治宮成が京都より仏師感世に聖観音(身代り観音)を彫ってもらう。お礼に妻が白馬を差し出すが宮成は惜しくなり矢を放し奪い返し家に戻ると観音の胸に矢が刺さっていた…とのこと。
仏師も無事で観音様が身代りになって心を入れ替えた…。札所毎に色々な言い伝えがあり面白い。
   この寺には16歳の安寿姫が弟厨子王丸に渡した小さな『肌守り観音像』も保管されているとか…。
この寺で頂いた『慈悲の道』に伝道大師最澄が説いた『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』が記載されていた。西国巡礼の道は、観音様と共に歩む菩薩の道。もう懲りたとならず、忘己利他(もうこりた)の心境に近づくように…と住職が書かれていた。   
第二十二番札所:補陀落山 総持寺 宗派:高野山真言宗 本尊:千手千眼観世音菩薩 
大阪府茨城市総持寺1-6-1
TEL.072-622-3209
ご詠歌:おしなべて おいもわかきも そうじじの ほとけのちかい たのまぬはなし
    おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし
    

表:山門 裏:本堂

表:亀の石碑 裏:境内の様子

表:鐘楼 裏:びんずる尊者

表:包丁塚 裏:十三仏塚

表:大師堂 裏:金堂

表:地蔵尊 裏:稲荷大明神
参拝記
2012年12月5日
総持寺の開基は山蔭中納言政朝だそうです。父高房が大宰府に着任する折、漁師につかまり殺されかけている亀を助けた縁で義母が若君を亡き者にするため水中に落としたが大亀の背に乗って若君が生還した…とのこと。香木の話も今昔物語に載っているとか…。尚、政朝卿は料理の名手で包丁の元祖と言われ包丁塚が祀ってあった。仕事〔明治屋食品…〕の関係で阪急総持寺駅にも通った。西国札所寺とは知らず仕事帰りに参拝したことがあり、ご縁があったと思い懐かしく想い出す。
第二十三番札所:応頂山 勝尾寺 宗派:真言宗 本尊:十一面千手観世音菩薩 
大阪府箕面市勝尾寺
TEL.072-721-7010
ご詠歌:おもくとも つみにはのりの かつおでら ほとけをたのむ みこそやすけれ
    重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ
   

表:入口(花の茶屋)裏:山門

表:池 裏:池(弁財天)

表:本堂 裏:ご結縁紐

表:池~本堂へ 裏:多宝塔

勝ちダルマ奉納棚

表:鎮守堂 裏:水掛け観音堂

表:厄払い荒神様 裏:大師堂

表:厄除の鐘 裏:お迎地蔵 

表:山門裏(勝王寺)裏:弁財天

表:開山堂 裏:知恵の環
参拝記
2012年12月5日
奈良時代藤原兄弟〔善仲、善算上人〕がこの地に庵を立て仏弟子の光仁天皇の皇子開成が大般若経600巻を書き写し十一面観音を、お祀りして弥勒寺を開設したとのこと。清和天皇が病気になられた時、この寺で天皇の病気平癒を祈願して効験があったことで勝王寺(山門裏の額参照)と命名され、後年勝尾寺となったとか…。法然上人が晩年に4年間過ごしたそうです。源頼朝や熊谷直実らが信仰して勝運祈願(勝ちだるまの寺)をしたことより現在もだるまを奉納する人が多い。又、ここの荒神様は厄払い荒神と言われ日本三荒神(高野山立理荒神、宝塚清荒神)の一つである。西国霊場は自然と対峙する場だそうですがここは都心にも近く(千里中央から阪急バスが出ている)お勧め霊気スポットです。
第二十四番札所:紫雲山 中山寺 宗派:真言宗中山派(大本山) 本尊:十一面観世音菩薩 
兵庫県宝塚市中山寺2-11-1 
TEL.0797-87-0024
ご詠歌:のをもすぎ さとおもゆきて なかやまの てらへまいるは のちのよのため
    野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため
   

表:仁王門(正面) 裏:仁王門(裏面)

表:本堂(右側より) 裏:本堂(左側より)

表:大師堂(中央はお砂歩入口) 裏:本堂(大師堂より望)

表:大師堂(正面)裏:石の唐櫃

表:多宝塔(大願搭)
裏:鐘楼
表:閻魔堂 裏:五百羅漢堂  表:大黒堂 裏:寿老人
参拝記
2013年1月16日
安産祈願のお寺として娘達とお参りしたことがあるが札所としてお参りして本堂に納経する。大師堂は本堂右側より一段上にある。大師堂内に入り西国33ヵ所霊場の『お砂踏み』をした。多宝塔は平成19年5月に落成して参拝記念の写真スポットになっている。

番外:東光山 花山院菩提寺  

兵庫県三田市尼寺352
TEL.079-566-0125
ご詠歌:ありまふじ ふもとの きりはうみににて なみかときけば おののまつかぜ
    有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風


表:山門 裏:花山法皇殿

表:石塚(頂上まで八丁) 裏:琴弾坂(中腹の4丁目にある)

表:幸福の七地蔵尊 裏:説明文

表:鐘楼 裏:三宝大荒神

表:手洗い場 裏:尼寺の碑

表:花山法皇御廟所 裏:境内

表:有馬富士 裏:薬師堂(西国薬師21番霊場)

訪問記お知 

2013年1月16日
花山法皇の菩提寺、平安時代(984年)17歳で第65代花山天皇となったが僅か1年10ヵ月で藤原兼家より出家させられ、その後、風流者として芸術的資質を発揮した。圓教寺、延暦寺、熊野三山などで修業し仏道に打ち込み、西国33ヵ所巡礼の中興者となる。退官時、女官達も付いて来たが東光山は女人禁制の山であり、麓の尼寺(にんじ)に住んで琴弾坂(4丁)迄、出向き琴を弾き法皇を慰めたとのこと。納経所に写経を奉納した折、名前と目的(家内安全)を聞かれ翌朝読み上げて戴けると聞き、つたない写経だが納経して良かったと感動する。納経帳は納経した証明の為に印を頂くものだと説明を受け納得する。本寺は『西国薬師49霊場』の21番札所にも、なっている。有馬富士の向こうには六甲山系が見え景色の良い場所にある。