よいこのさばいばる

 リーフは肩をすくめて隣で馬を並べている青年の顔を見た。表情は不機嫌そのものだ。
「アレス、いつまで怒ってるの?」
「別に怒ってない」
返ってきた声も不機嫌そのもの。リーフは苦笑した。
「じゃあさ、ちょっとは喋ろうって気にならない?こんな鬱陶しい森で黙ってられてちゃあ、こっちまで暗くなるよ」
「…お前のお守をしてる訳じゃない。偵察だってわかってるのか?」
「もう終わっただろ。それに敵はいなかったし♪」
「それに夜逃げじゃないんだぞ。そんな大荷物どうするつもりだ」
アレスの視線はリーフの馬につけられた荷物へと移った。
「夜逃げにしては少ないと思うけど。まあ…何とかなるかな。一応おやつとか持って来たんだ」
 暢気に答えるリーフをアレスは剣呑な目で睨んだ。しばしの無言の後、聞こえよがしに呟いた。
「…何でお前が来たんだよ」
「たまにはいいじゃない」
リーフは無邪気な表情を一瞬意地の悪いものに替えた。
「いつもそうやってフィンを独り占めしてるくせに」
「………」
図星を指されてアレスは言葉を失った。以前偵察に出た時、フィンが心配してついてきたのに味を占め、率先して偵察に志願するようになっていたのだ。
(ちっ…気付いてたのか)
 リーフはアレスの様子を面白そうに眺めていた。
「別にアレスがフィンと仲良くするのは構わないんだけど、デルムッドとうまくいってないの知ってるだろ?」
「素直に甘えれば済む話だ」
一言で親子関係を断ずるアレスにリーフは、
(…ということはアレスはフィンに素直に甘えてるってこと?)
と思ったが、これ以上怒らせるのは得策ではないと口にはしなかった。
「まあ、そうなんだろうけど…。たまにはフィンをデルムッドやナンナに返してやろうと思ったんだ」
「お前が叔父上に世話をかけねばいいだろうが」
「…ははは…」
(そこまで言うか、普通…。気持ちはわからないことないけど)
「ふん。まあ、もういい」
「ところで…ここ、どこ?」
「え…?」
 森を抜けた二人の目の前には陣を置く城がそびえているはずが、見知らぬ光景が広がっていた。城は全然見えない。どうやら全く別方向に出てしまったらしい。

 ますます不機嫌になったアレスを刺激しないようにリーフは休めそうな場所を見つけ、馬から下りた。アレスもそれに従い、倒木に腰を下ろした。
「何で俺がこんな目に…。今頃は城で酒でも飲んでるはずなのに。お前が下らんこと言ってくるからだぞ」
自分の不注意を棚に上げてぶつぶつ文句を呟くが、その相手から何の反応もないことに気付き、顔を上げた。
「何とか言えよ。…おい!リーフ!」
 その場にはアレスと馬二頭しかいなかった。周囲を見回すが、リーフの姿はない。少し声を大きくしてリーフを呼んでみるが、やはり返答はない。急に心細くなったアレスは、
「リーフ!!」
悲愴な叫びが森に響く。
「何か呼んだ?」
のんびりした声に、アレスは心からほっとしながらも、それを隠すように機嫌の悪い表情と声で、
「お前、どこ行ってたんだ!」
リーフはさらに癇に障るようなしれっとした様子で答えた。
「どこって、周りの様子見に行ってたんだよ。野宿できる場所見つけたから移動するよ」
「野宿って…」
「もうすぐ日が暮れるだろ。この広い森をこんな時間に動き回る方が危険だって。ここがどこかもわからないのに」
「………」
アレスはリーフに正論で言い負かされたのがよほど悔しかったのか、無言のまま馬の側へ歩いた。
「…で、どこへ行くって?」
アレスの不機嫌な声にも臆することなく、リーフは自分の馬の手綱を引きながら案内した。
「こっちだよ」

 リーフに連れられたのは少し開けた場所で、近くには泉があった。リーフはアレスに自分の馬の手綱も渡し、
「ちょっと水飲ませに連れてってやってよ」
「…わかった」
思わず素直に答えてしまい、苦い表情を浮かべながら、アレスは二頭の馬を引いて泉に向かった。それを見送りながら、リーフは軽く肩をすくめた。
 アレスは馬に水を飲ませている間、これからのことを思い深く溜め息を吐いた。
「叔父上…」
本当ならフィンと一緒で快適この上ない一時を過ごせるはずだったのに、頼りなさそうなリーフと二人きりで野宿だとは想像するだけで寒気がする。
「…まあ、頼りないやつだが、リーフでよかったかも…いや!リーフだからこそ道に迷ったりしたんだ」
 独り言を呟きながらリーフが待っている場所に戻ったアレスは呆気に取られた。
「これは…」
 すでに火は熾され、小振りの鍋がかかっている。少し離れたところでリーフが何やら作業している。アレスの存在に気付いたリーフがにこやかに声をかける。
「あ、お帰り。アレス。お茶でも飲む」
呆然としているアレスの目の前で、リーフは鍋から器用に湯をカップに注ぎ入れた。
「ほら、冷めないうちに早く飲みなよ」
「あ…ああ」
訳がわからないままにカップを受け取り、口に含む。
「うまい…」
傭兵時代一度だけ飲んだレンスター茶。その時飲んだのは最高級品だったのに、今飲むお茶の方が美味である。アレスの反応にリーフは満足そうに頷いた。
「僕よりナンナの方が美味しいお茶を淹れるよ。一番上手なのはフィンだけど」
(叔父上が仕込んだのか…)
 そうだとわかると納得できた。リーフ達の逃亡生活は長かったと聞く。王子というと何もできないというイメージがあるが(自分のことは棚に上げて)、それでは生きて行けないことは容易に想像がつく。そしてきちんと教えられ、身につけられたことがアレスは羨ましく思った。我が身を振り返るとどうだろうか。
(そういえば…)
ふと昔のことが頭を過り、微笑が浮かぶ。思い出したくもないことばかりだと思っていたが、その中にも珠玉のような思い出があることにアレスは気付き始めていた。
 アレスは感傷に浸りかけたが、リーフが再び作業に戻ったことで我に返った。
「リーフ、何してるんだ?」
「キノコ取ってきたんだけど、薄暗かったからちょっと自信ないんだよね」
リーフは篭一杯のキノコを選別していた。アレスは足下にもキノコが生えてるのに気付き、リーフに見せた。
「ここにも生えてるぞ」
それを見たリーフがにやりと笑った。
「アレス、食べてみる?二、三本なら死なないから」
「げっ…」
アレスはその場を飛び退いた。リーフは爆笑している。
「触るくらいなら問題ないよ。…むしろアレスには丁度いいんじゃない」
「どういうことだ?」
「いっぱい笑えるから」
そう答えて再び腹を抱えて笑う。アレスはむっとした表情を浮かべる。
「お前には不要だな」
「そうだよ。本当はナンナと一緒だったらもっと楽しいのに」
 精一杯の嫌味をラブラブトークで返され、アレスはさらに憮然とした。そんなアレスを後目にリーフはキノコを野草と共に鍋に入れた。そして、アレスに二本の串を渡した。
「はい、これ焼いといて」
差し出された串には川魚が刺さっていた。アレスはおぼつかない手つきで串を火の側に挿した。
「キノコ採ってる時に見えたから、槍で突いたんだ。結構上手くいったから驚いたよ。…釣りはナンナが得意なんだ。毛針とか作ってさ…職人並みの腕だよ」
ひたすらナンナの話が続く。アレスはこめかみを押さえながら、大人しく聞いていた。
「まあ…ナンナよりはましだな」

 ほどなく、魚が焼け、キノコ入り野草スープも完成した。恐る恐るアレスは口をつける。野草のほろ苦い風味が五臓六腑に染み渡る。アレスは大きく息を吐いた。
「口に合ったみたいだね。よかった。魚も美味しいよ」
とリーフは串を手渡した。アレスはすかさずかぶりつく。これも丁度いい塩加減である。
「やっぱり持ってきてよかっただろ?」
リーフは自分の荷物から様々な食材を取り出した。パンに干し肉、ビスケット…etc。アレスは呆然と眺めていた。呆れてはいるが、心強いことこの上ない。
「…それから一番のお楽しみ…」
琥珀色の小瓶をアレスに放り投げた。アレスは慌てて受け取った。
「酒じゃないか…」
「あんまり飲ませるなってナンナが言うからこれだけだよ」
 余りの用意周到さにアレスはリーフとナンナにはめられたんじゃないかと訝った。それを察したリーフは、
「別に誤解しててもいいけど、常に身軽に移動できるように教えてくれたのはフィンだからね」
「………」
 確かに身一つで戦場に立つ自分に対し、リーフもナンナもフィンも他の人間に比べれば大きな荷物を下げていた。邪魔だろうと思っていたが、ちゃんと理由があったのだ。戦闘が長引く時もあれば、本拠地を追われることもある。そういうことを想定して身の回りの物一式を常に持ち歩いているのだ。それを思えば、非常にコンパクトにまとめられているのに驚いた。
(ナンナは女なのに…)
 彼等が生きてきた状況がおぼろげながら見えてきて、アレスはリーフとナンナの明るさが強い心の現れだと悟った。
(ちょっと軽すぎる気もしないではないが…叔父上とバランスが取れてるな。…もう少し付き合ってやってもいいか)
アレスは瓶の蓋を開け、半分ほど空けるとリーフに渡した。リーフは嬉しそうに受け取った。
「フィンはあんまり飲ませてくれないんだよね」

 翌朝、アレスが起きるとすでに朝食の準備ができていた。上げ膳据え膳の状況に少し気まずさを覚える。しかし、何を言われるかわかったものではないので、黙ってパンを頬張る。それでも寝ていたところは自分で片づけた。
(いつか叔父上にちゃんと教えてもらおう)
そうアレスは決心した。リーフはその場をアレスに任せ、餌をやるために馬を連れ出していた。
 がさっ。
 茂みをかき分ける音が予想外の方向から聞こえてきてアレスは身構えた。がすぐに破顔する。
「叔父上…」
「おはようございます。アレス様。ご無事で何よりです」
その物言いにアレスは叔父がさほど心配していなかったことに気付いた。その時リーフが馬を連れて戻ってきた。
「そろそろ来る頃だと思ってたよ。フィン」
「それにしてもとんでもない方向に出られましたね」
 リーフは苦笑してフィンに弁解した。
「よく似た別れ道がたくさんあったから間違えたんだ。アレスと話し込んじゃって…。距離的には昨日のうちに帰れないことはないだろうとは思ってたけど、新月だし、無理するのはやめておいた」
「ご賢明な判断です。夕べは霧も濃かったですから」
リーフが意外に考えていたことにアレスは驚いた。
「…ナンナ、心配してた?」
 この時ばかりは少し真面目な表情になる。
「こういう時の対処には慣れておられるからと心配を顔には出していませんでしたが…事故でないように祈ってはいたようです。それにデルムッドが相手をしてくれたので気も紛れたようで」
「そう…デルムッドには感謝しなきゃね。僕もアレスが話し相手になってくれたから寂しさは半減したし」
(…デルムッド…同情するぞ…)
ナンナの相手になるということがどういうことなのか察したアレスは、従弟に心から同情した。リーフよりナンナの方が遥かによく喋るからだ。それも内容に問題がある。

「リーフ様、そろそろ戻りましょうか。昨日蕎麦が手に入ったんですよ」
 リーフとフィンは話しながらテキパキと片付けていたのですでに出発の準備が整っている。好物の名にリーフは瞳を輝かせた。
「え!蕎麦!食べるの本当に久しぶりだよ」
「ソバ?」
「知らないの?本当に美味しいんだから」
「そういえば…」
 レンスターに蕎麦なる食べ物があることは知識として知っていたが、食べたことはなかったはず…。アレスは記憶を辿った。ぼんやりと脳裏に浮かぶ光景は叔父と…母。棒を使って食べていたが、自分は使えず癇癪を起こしていた。…ような気がする。叔父を見ると穏やかな笑みを浮かべている。
「さあっ!早く帰ろう。ナンナに会いたいし、蕎麦も待ってるし」
 アレスのことなどお構いなしにリーフは馬に跨がり、出発した。
「おいっ!リーフ待てよ!…叔父上急ぎましょう。また迷われたらかなわない」
アレスは慌ててそれを追った。フィンは二人の様子を楽し気に見つめていた。

Fin

何故いきなり蕎麦なのか気になる方は姉妹編『家族の食卓』をどうぞ。
あまり解決にはならないと思いますが(^^;)

後書き
5555のカウンターリクエスト『家族の食卓』の姉妹編です。フィンとアレスが仲良し(おいおい)ってのがベースになってます。次のターゲットはセリス(?)っていうか、うちのフィンはモテモテ(おい)なので。リーフ(やナンナ)が異常にたくましいです。次はナンナの「釣りバカ日記」?やめろって…。まず思い付いたのはこちらの話。フィンもあんまり出てこないし、お題からも少々離れてしまったので、『家族の食卓』を書いたのですが、こっちももったいない(嘘)からついでにUPすることにしました。…オチがないのとタイトルがいまいちなのは毎度のことですね(涙)。

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