家族の食卓

 セリス軍に合流してしばらくたったある日のこと。フィンは必死になってリーフを説得していた。
「リーフ様、偵察なら私が出かけます」
城に隣接する森の向こう側で不穏な動きがあるとの報告を受け、偵察することになったのだが、適任者であるフィーは父親であるレヴィンと冷戦中でストライキに入っていた。それで、何故か偵察に行きたがるアレスと、アレスを唯一制御できる叔父のフィンが行くことになった。
 それなのに、出発する段になってリーフがフィンの代わりに行くと言い出したのだ。
「たまにはいいじゃないか。それにアレスはいいのに僕にはだめだっていうのか?」
剣呑な目でフィンを睨むリーフ。フィンは返す言葉に詰まってしまった。
「そ…そういうわけでは…」
「だったら決まり!」
 そこへ、何故か機嫌のいいアレスがフィンを誘いにやって来た。
「叔父上、行きましょうか」
「アレス、今日は僕が偵察に行くことになったから」
「何!?どういうことだ?」
「セリスにはちゃんとOKもらってるから…行こ♪」
 リーフはナンナにウインクをするとフィンに口を挟む隙を与えず、アレスを強引に引っ張って行った。ナンナはにこやかに手を振りながら、フィンは一抹の不安を抱えながら彼等を見送った。
「お父様。リーフ様も今ではマスターナイト。解放軍でも最強となられました。心配要りませんわ」
「だが…」
「…それともお父様は私達よりアレスと一緒の方がよいとおっしゃるのですか?」
ナンナの目にも不穏な光が宿り始めた。フィンは危険を感じ、慌てて言い繕う。
「そ…そんなことはない」
「ああ、よかった♪そうそう、蕎麦の実が手に入りましたの。お兄様は一度も蕎麦を食べたことがないんですって。ね、作ってあげましょうよ…」
 ナンナは瞳を輝かせて上目遣いにフィンを見つめた。フィンはナンナのその目に弱い。それに、レンスター名物の蕎麦はフィンだけでなく、リーフやナンナも好物だった。そして息子のデルムッドとあまり会話がないのも気にはなっていた。
「そうだな…。では久しぶりに蕎麦を打とうか。リーフ様も喜ばれるだろう」
「ええ!もう準備はばっちり整っています。行きましょう♪」
今度はフィンがナンナに引っ張られて厨房へ連行された。

「お兄様♪」
 自室にいたデルムッドの許へナンナがやって来た。父との再会はあまりにも呆気なく、その後の関係も同じ軍の一員でしかなかったため、デルムッドは落ち込んでいた。だが、親と一緒にいられることの方が解放軍の中では珍しいため、表向きは平然としていた。それでも自室に閉じ籠りがちになったデルムッドにとって、妹の来訪が何よりも嬉しいことだった。さらに今日は満面の笑顔…もう言うことはない。デルムッドも笑顔で妹を迎えた。
「やあ、ナンナ」
「お兄様、蕎麦が食べたいとおっしゃってたでしょう?お父様がお兄様のために打って下さるって」
「えっ…父上が?でも父上はアレス様と偵察に出かけたんじゃ…」
 心の動揺を抑えながらデルムッドは疑問を口にした。ナンナはにっこり微笑んで、
「リーフ様が代わって下さいました。…本当にリーフ様はお優しいでしょ♪それにね…」
とのろけつつデルムッドの腕を取った。
「さあ、行きましょう」

 厨房に入って来たナンナとデルムッドを見てフィンは驚いた。デルムッドが心なしかやつれているのだ。
「デルムッド、どうした?」
デルムッドはよろけながら引きつった笑顔を見せた。まさかナンナののろけ話を来る途中延々聞かされてうんざりしたとは言えない。それに独り身のひがみだと思われたくもない。
「な…何でもありませんよ。父上」
「疲れているようだが?」
「大丈夫ですわ。ずっとリーフ様のお話していましたの。リーフ様には感謝してもしたりないって」
口を挟んできたナンナの話を聞いてフィンはデルムッドの疲労の原因を理解した。
(やはり…疲れるものらしいな)
 ラケシスののろけ話の被害者から散々報復を受けてきたフィンは、その威力とDNAの神秘を改めて実感した。
(さすがにリーフ様に当たるわけにもいかないか)
フィンは苦笑を浮かべてデルムッドを招き入れた。
「デルムッドもやってみないか?蕎麦打ちは意外と楽しいぞ」
父から言葉をかけられた喜びで先程の疲れが一度に吹き飛んだデルムッドは笑顔で応えた。
「はい!」

 出来上がった蕎麦を茹でてつゆを作ったのはナンナである。
「お兄様のはすぐにわかりますわねえ」
「初めてなんだからしょうがないだろ!」
出来をけなされたデルムッドは今まで妹に使ったことのない言葉を発した。ナンナは嬉しそうに笑った。
「あら…初めてにしては上出来だと言いたかったのに。お父様は蕎麦打ちの名人だから仕方ないですわ。それに、私とリーフ様には一度も打たせてくれないんだから…お父様は」
ナンナは恨めし気な視線をフィンに送った。フィンは咳払いをして弁解した。
「それはだ…あの頃は蕎麦の実は貴重品だったから…」
「いいのですよ…。私とリーフ様はつゆにこだわっていますもの。これだけはお父様にも張り合える自信がありますわ。二人でいろいろなだしを試したりして…」
 またもやのろけ話に脱線しそうなナンナをフィンは現実に引き戻した。
「伸びないうちに食べよう。デルムッド、箸を使ったことあるか?」
手渡された箸にデルムッドは途方にくれた。その様子を見たフィンとナンナは顔を見合わせて微笑む。
「とりあえず持ち方は気にせず食べなさい。ナンナ、フォークをデルムッドに」
「はい。取ってきます」
「いただきます」
ぎこちない手つきで箸を操るデルムッド。恐る恐る麺を口に運ぶ。
「美味しい…」
デルムッドは蕎麦を一気にかき込んだ。
「ふう〜」
全部食べ終え、一息つくデルムッドにナンナは、
「お代わりは?まだたくさんありますわよ」
と声をかけた。デルムッドは笑顔で器をナンナに渡した。
「うん。お願い」
器に蕎麦を盛りながらナンナはフィンに話しかけた。
「皆さんに振る舞えるかしら?」
「それくらいは十分あるだろう。リーフ様とアレス様の分は取っておいてくれ」
「もちろんですわ。私準備して参りますわね。皆さんに声をかけないと。お父様は茹でておいて下さいね」
「ああ」
「父上、お手伝いしてもよろしいでしょうか?」
「それじゃあ頼もうか」
二人の会話を聞きながら、ナンナは嬉しそうに厨房を後にした。

 解放軍は一時の平和を蕎麦パーティーで楽しんだ。箸に悪戦苦闘しながら皆童心に帰って蕎麦を味わった。ストライキ中のフィーも機嫌を直した。やがて日が暮れかかった頃、デルムッドはリーフとアレスがまだ帰ってこないのに気付いた。
「ナンナ、リーフ様達はまだ帰っておられないようだけど」
「そうですわねえ…。何かあったのかしら?お父様、どうしましょうか」
 ナンナは心配そうに食堂に戻ってきたフィンに問いかけた。フィンは城の守備についている者に蕎麦を振る舞って回っていたのだ。
「物見の者は森の向こうに動きは見られないと言っていたが…。探しに出た方がいいだろう」
「道に迷ったのかもしれませんね…。今晩この森を捜索するのは危険です。夜が明けてからの方がいいのでは?リーフ様なら心配無用です」
 デルムッドは意外だった。ナンナは取り乱すものだと思っていたからだ。そして父フィンも落ち着いているのに驚いた。
「リーフ様は大丈夫だと思うが…。アレス様が…」
「リーフ様の言う通りにしていれば問題ありませんでしょ」
「…アレス様もああ見えてしっかり状況を掴めるお方だ。お二人を信用するしかないな。セリス様には私から報告しておく」
 セリスの許に向かうフィンの背を見ながら、デルムッドはナンナに話しかけた。
「父上もそうだけど、もっと心配すると思ってたよ」
「あら、リーフ様ならどんな状況にも対処なさいますもの。アレスさえ足を引っ張らなければ大丈夫。それに万が一何かあれば私にはわかります。…どんなに遠く離れていても」
自信たっぷりなナンナの物言いに面喰らったデルムッドは、その後ののろけ攻撃を躱すことができず、撃沈した。

*リーフとアレスの珍道中は姉妹編『よいこのさばいばる』へ*

 早朝出発したフィンが、リーフとアレスの二人を連れて城に戻ったのは昼もかなり過ぎた頃だった。二人ともあまりくたびれていないのにデルムッドは驚いた。
「アレス様、ご無事で…」
アレスは不機嫌な顔をしていたが、目だけは楽しそうだった。
「ああ。リーフののろけ話以外は快適だった」
「…それでよく平気でいられますね」
「免疫…なんだろうな」
そう言ってアレスはフィンに目配せした。フィンはただただ苦笑している。
「?」
 訳がわからず不思議そうな表情を浮かべるデルムッド。そこへナンナが姿を見せた。リーフは光速の早さで駆け寄り抱き締めた。
「リーフ様!お帰りなさいませ。蕎麦ができてますわ。アレスもどうぞ」
「ナンナ!会いたかったよ…。寂しくなかった?」
「もちろん寂しいに決まってますわ。でもリーフ様は久しぶりのキャンプを楽しんでらっしゃるって思ってましたから」
「やっぱりナンナは何でもわかっているね。平和になったら、一緒にキャンプしよう!」
「ええ!リーフ様…。もっとこうしていたいけど、蕎麦が伸びてしまいます」
「そうだね。フィンから聞いてずっと楽しみにしてたんだ。行こう、アレス、フィン」
 呆気に取られて見ていたアレスは再びリーフとナンナに連行された。苦笑しながら見送るフィンとデルムッド。
「さて…と、デルムッドもお茶くらいなら付き合えるだろう。少し脱線があるかもしれないが、夕べの話を聞きに行かないか?」
「少し…だったらいいんですけどね…。でも今後のためにも慣れておかないと」
「ははは…行こう」
 初めて声を出して笑う父を見たデルムッドはしばらく呆然としていたが、すぐに笑顔で父の後を追った。

 食堂に移動したリーフ、フィン、アレスの前にナンナが蕎麦の入った器を置いた。
「はい、リーフ様、ねぎをたっぷり入れておきましたわ。お父様は一味をどうぞ。…そうそう、アレス、素直な甘え方っていうのをぜひ教えていただきたいものですわ。…ねえ、お兄様」
と最後だけ、どんと乱暴に置く。デルムッドは訳がわからず、狼狽しているアレスを見た。
「何のことですか?」
「…何でもない。気にするな」
とむっとした顔でリーフを睨み付けた。リーフはナンナと顔を見合わせ、肩をすくめた。
「ああ、怖い怖い。さあっ、蕎麦でも食べよっと」
箸を巧みに使って蕎麦を食べる。アレスは二本の棒を前に途方にくれた。
「どうやって食べろっていうんだ」
「ナンナ…。フォークを」
フィンの咎めるような視線にナンナも肩をすくめ、隠していたフォークを渡した。
「そうね。アレスって不器用そうだもの」
 アレスはまんまと挑発に乗った。
「くそ…。リーフができるんだ。俺だって」
隣のフィンを見ながら不器用な手つきで箸を持つ。あの時もそうだった。味もよく似ている。懐かしいという感情に戸惑ったアレスは照れ隠しに呟く。
「太いのやら短いのが混じってて食べにくいぞ」
「…それは悪かったですね」
と不機嫌そうな声。デルムッドである。ナンナが芝居気たっぷりにアレスを責める。
「お兄様は初めてでここまでできたのに…。ひどいわ」
アレスは慌てて言い繕った。
「いや…その…まあ…なんだ。不格好だが旨いことには変わりない」
「本当ですか!」
デルムッドはたちまち機嫌を直した。
「アグストリアへ戻ったらまた作って差し上げます」
(その前にもうちょっと修行しといてくれ…)
 それは決して口に出してはならないことだとアレスは学習していた。この三人を敵にしてはならない。これからの叔父との付き合いを守るためには。

 子供達が打ち解け合いつつあることにフィンは喜びを感じていた。本来なら生まれた時からずっと近しい存在となるべき子供達である。
(自然に仲良くなるものなんだな…気負っても仕方なかった。かえって辛い思いをさせてしまった…)
自分がその状況に一番戸惑っていたことを思い知らされた。そして、それを気付かせてくれた子供達に感謝した。

Fin


後書き
5555のカウンターリクエストの作品です。Naz様からのお題は「フィンの料理教室」でした。頭を悩ませた結果、Naz様からお知恵を借りまして蕎麦を登場させることに(単に本人が食べたかったという話も…)。どういう食生活をしてるかとかは気にしないでやってください。…あと、設定の甘さも(^^;)それにしても○カップル…(自己規制)。リーフとナンナは突き抜けたのかもしれない(何を?)。

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