招待状

「ラケシス様はすっかり乗馬がお上手になられましたね。…それもレンスター式で」
「ああ…俺にしたらあっちの方が難しいんだがな。まあ、慣れたら馬は扱いやすいと聞くし、無理に変えることもないさ」
 ノディオン城から少し離れた海の見える丘まで遠乗りに来たエルトシャンは紅茶を飲みながら乗馬に興じる妹を眺めていた。
「そろそろお呼びしましょうか?」
「そうだな、折角の紅茶が冷める。…いい、俺が行こう」
エルトシャンはラケシスを呼びに行こうとしたイーヴを制すると、ラケシスの許に向かった。
「少し寂しそうに見えるのは気のせいかなあ、兄さん」
「でも、ラケシス様と遠乗りするのをずっと楽しみにしておられたじゃないか」
「それをいうなら乗馬をお教えすることも楽しみにしておられたぞ」
 紅茶やお菓子の用意をしながら主君エルトシャンのことで喧々囂々の三つ子達。もう誰が誰やらわからない。しかし、エルトシャンがラケシスの馬を引いて帰ってくるのを見るや途端にすまし顔になる。
「ラケシス様、冷めないうちにどうぞ」
「ありがとう。すっかりお腹空いてしまったわ」
 馬から飛び下りるなりそう言ってクッキーに手を伸ばすラケシスに兄と三つ子達は苦笑を漏らす。
「ラケシスはもうすっかり乗りこなすようになったな」
「本当ですか?兄様にそう言っていただけると自信が持てますわ」
兄の言葉に微笑みで返す妹。それだけで兄はすっかりご機嫌である。
「また来よう」
「ええ♪こんなに広々としたところで走れると白雪も喜びます」
「………」

 日も暮れかかる頃エルトシャンとラケシスはノディオン城に戻ってきた。エルトシャンは迎えに出た馬丁に愛馬の手綱を渡したが、ラケシスは、
「白雪は私が連れていきます」
と愛馬を引いてすたすたと歩いていってしまった。仕事を奪われたもう一人の馬丁はおろおろするばかりである。
「ははは…ラケシスはあの馬が余程気に入ったらしい。大目に見てやってくれ」
「お気遣いいただきありがとうございます。では失礼いたします」
 エルトシャンの愛馬の手綱を受け取った馬丁は深々と頭を下げると、もう一人を促して下がっていった。
「最近ではほとんど馬丁にも触らせないそうですよ」
アルヴァがエルトシャンに耳打ちする。イーヴがそれを受けて、
「ですが、世話は完璧になさっていると聞いております」
とフォローする。エルトシャンはただ苦笑するしかなかった。
 ラケシスは気に入ったものにはとことん熱中する。エルトシャンがバーハラの士官学校にいた頃、一度パズルを贈ったことがあったが、寝食を忘れるほど熱中し、周囲を心配させるほどだった。完成したことで納得したらしく、パズルについては熱は冷めたようだが、他にも枚挙に暇がない。夢中になっては飽きる…の繰り返しだった。他の者はラケシスの馬への執着も今までと同じようにそのうち冷めると踏んでいたが、エルトシャンだけは違っていた。
(本当に夢中になれるものを見つけたようだな…。まあ、周りはいい顔をしないだろうがな)
「エルトシャン様。陛下がお呼びでございます」
「父上が?」
 背後から侍従長に声をかけられてエルトシャンは振り向いた。侍従長は深々と頭を下げて続けた。
「はい。先程レンスターから書状が届きましたので、その件かと」
「レンスターから?ああ…あのことか。わかった、すぐに行く」
手にしていた鞭と手袋をイーヴに渡し、エルトシャンは玉座の間に向かった。

「白雪、今日は本当に楽しかったわね」
 ラケシスは機嫌よく馬房で愛馬にブラシをかけている。
「こんなに乗れるようになったの見たらびっくりするかしら?」
乗馬の手解きをしてくれた少年のことを思い出し、手が止まる。
「いつ会えるかもわからないのに…」
沈んでしまったラケシスを慰めるように馬が顔を寄せてくる。
「白雪…大丈夫よ。あなたがいるもの」
気を取り直してブラッシングを再開する。寂しさを紛らわせるように、忘れないように丁寧に…。
「本当に仲がいいな」
「あら…お兄様。どうなさったの?」
 振り返ると兄が面白そうにラケシスを見ていた。
「最近ラケシスが厩に入り浸りだって聞いてな。やきもち焼きに来たんだ」
「まあ、お兄様ったら。でも、今日は本当に楽しかったですわ。お兄様と一緒にゆっくりできたのも久しぶりだったし」
「…の割にはあんまり構ってもらえなかったような気もするが…まあいい。ラケシス、一緒にレンスターへ行くか?」
「え…レンスターに!?」
 飛びつかんばかりの勢いのラケシスをなだめつつ、エルトシャンは説明した。
「…キュアンの結婚式の招待状が来たんだが、お前もどうかと誘ってくれたんだ。父上はラケシスが行きたければ構わないとおっしゃっていたが…どうする?」
「行きます!もちろん行くに決まっていますわ」
即決するラケシス。エルトシャンは苦笑しながら手にしていた封筒を妹に差し出した。
(せっかくいい気分なのに兄様ったらどうして手紙なんか持ってくるの?)
 自分宛に来る手紙といえば隣国ハイラインのエリオットの手紙を筆頭にろくなものがない。最近は受け取ることすら拒否している。それは兄もよく知っているはずなのに…。でも、今は機嫌もいいし、兄を困らせることはないとラケシスは手紙に目をやった。
『ラケシス王女様―』
 趣味のいい封筒に、品のいい字で書かれた自分の名前…。しばらく呆然としていたが、ラケシスはひったくるように手紙を手にした。そしてすぐさま裏を見る。
(やっぱり…)
思わずぎゅっと抱き締めたが、エルトシャンの咳払いで我に返った。
「これは門前払いじゃないんだな」
からかうような兄の視線にラケシスは真っ赤になる。
「だ…だって…あんな変な手紙でないことだけは確かですもの。へ…部屋で読んできますわね」
と逃げるように厩を飛び出した。
「おい、ラケシス…」
 一人取り残されたエルトシャンはそれは大きな溜め息を吐いた。

 三日後―
 エルトシャンは公務の合間に妹の部屋を訪れた。
「ラケシス、入るぞ。…ラケシス?」
ずっと機嫌がよかった妹がすっかり沈みこんでいる。エルトシャンは慌てて妹の許に駆け寄った。
「具合でも悪いのか?」
「…いいえ。元気です…」
「じゃあ嫌なことでもあったのか?」
「…そんなことないです…」
 何を聞いても溜め息混じりの要領を得ない返事しか返ってこない。とりあえず話題を変えてみることにした。
「ああ、そうだ。手紙の返事は書かなくていいのか?」
「………」
ますます落ち込むラケシス。エルトシャンは狼狽して墓穴を掘り続ける。
「まあ、嫌なら書くこともないさ。エリオットみたいにいつまでたっても気付かないやつもいるしな」
「エリオットと一緒にしないで下さい!!」
 これまでが嘘のようなラケシスの剣幕に怯えるエルトシャン。何とかなだめようと声をかけようとした時、再びラケシスは深く沈み始めた。
「…お兄様…」
「ど…どうした?」
「お返事書きたいの…でも…」
「だったら書いてやればいいじゃないか。喜ぶぞ」
「でも…だって…」
 相手が最愛の妹でなければキレてしまっていただろうが、エルトシャンは常人とは思えぬ忍耐強さで妹の言葉を待った。
「…字がね…すごく上手いのよ…。それにちゃんとグラン語で書いてあるし…」
(はぁ…?)
口に出そうになるのを押さえて、まじまじとラケシスと見つめた。真っ赤になって俯いている妹の可憐さに馬鹿馬鹿しさも吹き飛ぶ。
「…綴り方サボってたツケだな。まあ…丁寧に書けば大丈夫だろう」
「でも…」
「それとも字が下手だって笑うような奴に手紙を書くのか?」
「そ、そんな人じゃありません!」
「じゃあ、頑張って書くな?」
「…ええ。お兄様ありがとう♪」
「見ててやろうか?」
「いいえ、自分で書きますから」
 満面の笑顔に送り出されて妹の部屋から出るエルトシャン。何か引っかかるものを感じながらも妹の笑顔を見た方が大事らしい。軽やかなステップで自分の部屋へと戻って行った。

* * * * *

 数日後、レンスター。
 しばらく姿が見えない従者を探して城のあちこちを歩き回っていたキュアンは、庭の端の方を見てにやりと笑みを浮かべた。
「フィン!」
そう呼びかけられた少年は弾かれたように立ち上がると、主の視線を感じ、持っていた物を慌てて後ろに隠す。
「何見てるんだ?」
 意地悪くキュアンはフィンの後ろに回ろうとする。フィンは後ろを取られないように必死である。
「べ…別に何でもありませんっ」
「何でもないなら見せてくれてもいいだろう?あのお転婆姫から手紙貰えるなんてそうそうないことだぞ。何て書いてあるんだ?」
「そ…そんなご報告するようなことは…」
「だったらいいじゃないか」
「キュ…キュアン様…」
 何度目かの攻防の末、追い詰められたフィン。キュアンは勝利を確信し、手を伸ばそうとした。
「殿下!」
背後からの鋭い声にキュアンは固まり、その隙にフィンはキュアンから離れた。そして、声の主に頭を下げた。
「お戯れが過ぎます!」
「ははは…冗談だって」
 ばつが悪そうに振り返ったキュアンはそのまま引きずられて行った。
「こんなことではお妃をお迎えすることなどできません…情けない」
「そこまで言わなくったっていいだろ〜」
「とにかく浮かれ過ぎです!」
「フィン…助けてくれ〜!」
悲鳴を残し、退場するキュアン。フィンは二人に向かって深々と頭を下げて見送った。

「ここなら誰にも見つからないな」
 懲りたフィンは裏庭の木にスルスルと登り人心地ついた。そして懐からそっと手紙を取り出す。注意深く封を開けるとほのかに薔薇の香りがした。

『親愛なるフィン様

  お会いできる日を楽しみにしています。

             ラケシスより』

「追伸、白雪も元気です―か…」
フィンは大事に懐にしまいこむと枝の上に立ってノディオンの方を見つめた。

 お会いできる日を楽しみに…。

fin

後書き
フィンからの手紙の内容に触れてない〜(^^;)一応考えてはいたんだけど、出す展開にならなかった(笑)
一応大陸の公用語はグラン語で、貴族階級なら読み書きできて当たり前という設定です。まあ各国の言葉自体そんなに系統が離れていないので(方言程度とはいえ、全然通じない場合もありますが)、会話にはそれほど苦労はしません。でも、単語とか似ているだけスペルを間違ったりするので普段サボってる(笑)ラケシスには難問だったということで…。
本当はエルトシャンとラケシスの仲のいいところを書くつもりだったのに、どこで間違ったのか(汗)。結構ないがしろにされてます、エルト兄様(^^;)やっぱり出会った後じゃフィンの方が大事になるわな(うんうん…おい)。
ところで、この話は「笑顔のちから」の続きですので興味をもたれた方は是非(さりげなく宣伝…でも赤面もの)。
謎のおまけが下の方にありますが、本当に意味がないです(だったら載せるなって)。

本箱へ 

<おまけ>本当に意味なくてごめんなさい。フィンが語学堪能だってことが言いたかっただけなんです(^^;)それにしてもキュアンって…(笑)
 数週間前…
「フィン様、アグストリア語で書かれたんじゃなかったんですか?」
「ええ。ラケシス様は気を遣われる方ですから…。レンスター語で書こうとなさるんじゃないかと」
「まあ…ラケシス様ってフィン様とよく似ておいでなんですね」
「え?」
「何でもありませんわ…ふふふ」
「そんなことおっしゃらずに教えて下さい」
「ふふふ…とにかく、結婚式が無事に迎えられることをお祈りしますわ。この前も悪戯なさっていたし、いつ陛下がお怒りになられてもおかしくないですもの」
「…しっかり目を光らせておきます」
「そうなさいませ」