渉猟

「あなたがナンナ様のお兄様?」
無遠慮に尋ねてきたその容貌は幼なじみの女剣士を思い出させた。
覚えがある。レンスター防城戦で果敢な剣捌きを見せていた剣士だ。
あの想像を絶する敏捷性は間違いなくイザークの流れを汲む剣技…。
「そうだが…君は?イザークの出身なのか」
「私はフィアナのエーヴェルの娘、マリータです」
「フィアナ…」
呆然と呟いた俺にその女剣士は好奇の視線を向けた。
「…おじさまに似ている」
「え」
「フィン様に、あなたのお父上にそっくり」
俺は絶句した。
そんなこと、考えたこともなかった。
「大陸一の槍騎士」と称される父と、この非才な俺が、似ている!?
俺は剣術しか取り柄がない。
槍術も一通りかじってはみたが、ついにものにはならなかった。
馬上であの長物の重量のバランスを取りつつ、長い間合いをもって緩急自在に相手を受け流すことは、俺には困難な作業だった。
それでもあのフィンの息子か、と訝しがられたものだ。
かろうじて、ヘズルの血が剣術に秀でることを俺に許したため、自由騎士の道を進むことになった。
それだけのことだ。
その俺が…父に似ている?
「ええ、その表情、その口調、どれをとっても、おじさまと瓜二つ」
急に彼女が自分を覗き込んだ。
心臓が勢いよく跳ね上がる。
「目の辺りも…よく似てる。おじさまと同じ澄んだ湖の色。ナンナ様もそうだった」
「私、フィアナで三年間、リーフ様やナンナ様と一緒に成長しました。おじさまは私たちにも分け隔てなく接してくれた。おじさまは大きくて、優しくて…私のお父様もこんな人だったらいいな、といつも思っていました」
その顔からも我が父フィンへの揺るがない信頼が見て取れた。
俺はその素直な憧憬が正直言って羨ましい。
素直に父に甘えられたら、母のことを語ってもらえたら。
どんなに素晴らしいことだろうか。

「デルムッドだね」
こちらを振り向かずにセティ様は呟いた。
「お邪魔でしたか」
「いや、また囁きかけてくることもあるだろう」
…風と戯れておられたのか。
やはり、この方は風神セティの生まれ変わりなのだ。
「今更ながら、君とフィン卿はよく似ているな」
「そう…でしょうか」
「そう、そういうところだ」
セティ様は微笑した。緩やかに風が舞う。
「君もフィン卿の様に重責を担える人間だ。おそらく、冷静な判断に基づくバランス感覚が優れているのだろう。そんな人材はこちらから頭を下げてでも得たいものだ」
「槍さえ扱えない私は父にとって不肖の息子ですよ」
「親から受け継ぐものは単純な武芸だけではないだろう。私は現に父から肝心なものは何も受け継げなかった。私に本当に必要だったのはフォルセティを扱える能力ではなかったのに」
「私が言うのも憚られますがレヴィン様にはレヴィン様のお考えがありましょう。あの方あっての現在の解放軍です」
セティ様は透き通った微笑をひらめかせた。
「フィン卿も一字一句同じ事を私に言われた」
笑みを収めると、言われた。
「そうだな。誰でも人のことはよく判るものだ。私も分かっていない訳じゃない。父上にも父上の事情があるだろう」
微風が止まった。
「…でも、母上もフィーも不憫でならない」
俺にはセティ様の気持ちがよくわかる。
ささやかな家庭の幸せを破壊してまでも成さねばならないこととは…
ただの感傷かも知れない。
しかし、走り続ける父に疑問を投げかけたい衝動を抑えることは出来ない。
貴方にとって、家族とは不必要なものなのですか。
母上を愛しておられたのでしょう。
我が子を愛しい、とはお思いになりませんか。
父上…

燃えるような赤毛の司祭から不意に声を掛けられた。
「貴男が解放軍きっての御家族思いの勇将デルムッド殿ですね」
困った僧侶だ。
「私はそのような…司祭」
苦りきった俺を愉しそうに眺めて司祭は名乗った。
「申し遅れました。私はサイアスと申します」
一瞬、絶句した。
「サイアス…あの天才軍師殿ではありませんか!」
天才軍師サイアス。その名は「軍神」の二つ名で語り尽くされる。
戦場にかの軍師の姿がある限り、敗北の二文字だけは帝国に訪れることは絶対にあり得ない、とまで謳われた炎の司祭。
現在、リーフ様の解放軍に助力しているとは…

ふと、この司祭に訊きたくなった。
「司祭、男女の愛というものは永遠のものなのでしょうか。それともいずれは原形を留めず肉体のように朽ちてしまうものなのでしょうか」
「私には男女の機微というものはよくわかりません。…ただ」
「ただ?」
司祭には俺の真に問いたいことが判っているようだった。
「父と母がつかの間でも心を通わせたことは事実です。それは何人も否定できない」
「男女の間に正邪の区別はありません。ただ向かい合っているときだけが2人の真実なのではありますまいか」
赤毛の司祭は揺らめくように微笑した。

俺は誰彼となく父のことを訊いてしまう。
リーフ様の軍師殿にも。
「デルムッド殿、でしたな」
リーフ軍に加勢して一番最初に会った禿頭のブラギ僧が目を細めた。
「私はリーフ様の理想を、フィン殿の生き方を否定しているわけではない。リーフ王子がここまでになられたのはまぎれもなく貴公のお父上のお力に他ならない。その結果、かの卿は大事なものを失った代償として、未だ心を癒えることのない苦しみでさいなんでいる」
「その心の苦痛を癒すことができるのは…」
完全に癒すことが出来る者は…
「貴公の御母堂は大したお方だ。運命の女神とはよく云ったもの。かの卿は未だに運命に縛られていると見ゆる。それとも自ら進んで縛られておられるのか」
俺は軍師殿の顔を見た。しかし、答えはそこにもない。
「お父上のお気持ちを僅かなりともご理解なされよ…デルムッド殿。貴公が憎くてあのような態度をとっているのではないのです。…辛いのでしょうな…」
「辛い?」
「自責、悔恨、信頼、懐古…いろいろな感情が内混ざっている。御子息をみるフィン卿の目には」
軍師殿は俺をじっと見つめる。
そうなのか。
そうなのだろうか。
俺にはよくわからなかった。

この人なら、父をよく知っているだろう。
そして母のことも。
「デルムッド様。ようこそおいで下さいました」
レンスター随一の騎士は押し掛けた俺を慇懃に迎えた。
それに対して俺は行儀がいいとは言いかねた。
「グレイド卿…教えて下さい。父は…騎士フィンは本当に母を」
切羽詰まった様子で、俺が開口一番切り出した言葉をグレイド卿は熟考しているようだった。
やがて居ずまいを正した。
「…その答えは当人しか解りませんが、どうしてもとおっしゃるなら」
「ここからはノディオン王家の御連枝としてではなく、親友の息子として貴方にお話しします」
頷いた俺に、淡々と過去を遡るように父の朋友は語り始めた。
「俺と君の父上とは共にキュアン様から教えを受け、レンスター王家に命を捧げることを無言の内に誓いあっていた。共に泣き、笑い、本気になって喧嘩もした。…しかし、あの時」
「キュアン様はフィンだけを供奉させてシアルフィの救援に向かわれた。俺は正直、目の前が真っ暗になった。最後の最後で越えられない壁があるのだと」
「フィンはレンスター有数の公爵家の出だ。王家とも血の繋がりがある。…それに対して俺は、王国騎士の称号を持つだけのしがない一介の貧乏騎士の息子に過ぎなかった」
「俺はキュアン様に食ってかかった。何故俺ではなくてフィンなのかと、王子も所詮個人の資質よりも身分を基準に人間を判断するお方なのかと。…キュアン様は言われた。フィンには我々にはない何かがある、その何かが今度の戦いには必要なのだ、と。当時の俺には解らなかった『何か』が今になると腑に落ちてくる」
グレイド卿は静かに微笑した。
「傷心の姫君を慰めているうちに、なんてあいつらしいと思った。しかし、事実はそんな単純なものではなかったらしい」
「この剣を俺にくれた人もそう言ってました」
「その剣は…?」
「俺に稽古を付けてくれた旅の人が譲ってくれたのです。この剣が今必要としているのはお前だ、って…変な言い方だって尋ね返したら現時点でその剣を扱えるのはお前だけだって」
「…それは」
佩いていた剣を抜刀してみせた。
くせのある剣で、使用者を限定する。
使いこなすにはある程度の技量が要る。
そういう剣だ。
「でも今はあの人の言ったことが何となく分かってきました。この剣はあの自由騎士に『返そう』と思います。」
俺は剣に頷くと鞘に収めた。
聞き慣れた金属音を立てて剣は鞘に戻った。
「お話の続きをお願いします」
俺の懇願に、再び、グレイド卿は遠い目をした。
「帰国したフィンは、一回りも二回りも大きくなっていた。まさにこの国を背負うに相応しい。道程の艱難辛苦は並大抵のものではなかったことを俺たちは否応なく想像させられた」
「正式の騎士叙勲が済むとすぐに、出兵の話が出た。王太子妃の御実家の存亡の危機に対し、我々レンスターも大兵力を割いて助勢すべし、と。」
「慎重論も無いではなかった。しかし、キュアン様の危惧はそれ以上に深刻なものだった。御親友の安否もさることながら、我が国の将来はこのまま座視すればグランベルに蹂躙された他国と同じ末路を辿ると確信されていた。レンスターを守る手段はただ一つ、シグルド様を復権させ、あの方の御力によって、グランベルの政道を正すこと。それだけだった」
「父は、何故キュアン様のお供をしなかったのですか」
「そうだな…シグルド様のお側には君もラケシス様も居たのに。…フィンは、シグルド様を信頼していたのだろう、と俺は思う。」
「シグルド様を?」
「そうだ。あの方なら、自分の家族を安心して託せる、と思ったのだろう。エスリン様の同行の誘いにもあいつは笑って応じなかった。あいつは動揺することなく、城の留守を預かっていた。…トラキア軍北上の報が入るまでは」
「…」
「城内は凶報が飛び交い、混迷の嵐だった。皆、何を信じてよいのか判らなくなった。キュアン様、エスリン様はもとより、地槍の継承資格を有しておられたアルテナ様も行方不明。結局、あの遠行から戻ってきた者は一人としていなかった。」
彼方を見ていたグレイド卿は俺と視線を合わせた。
「…その難局を救ったのが、他ならぬ君の母上なのだよ」
「ラケシス様はこの上もなく残酷な知らせを我々に告げるという、過酷な役割を逃げもせず果たされた。決して私情に流されることなく、王女としての品位を保っておられた。人の上に立つ者としての責任を回避されることは決してしないお方だった」
「あの方を見るにつけ、フィンという男の大きさがあらためて身にしみた。あの方に認められること、あの方の心を憩わせることはどんなに至難なことであろうか、と皆は感じ入った」
「君のことだって、ラケシス様は片時も忘れたことなど無いはずだ。君をイザークに行かせたのは君の安全を願ってのことなのだ。レンスターは完全な混乱状態に陥っていた。ラケシス様は自分の出来ることを最大限にやり通すことを決意しておられたのだ」
「あの方からは『生き抜く』という信念がにじみ出ていた。あの信念が俺たちを支え、あいつを支え、あの方自身をも支えていた」
グレイド卿の目が急に俺を見据えた。
「君にも、ラケシス様と同質のものを感じるな。君の傍にいると生きる勇気が沸き起こってくるようだ」
心底、困惑した。
「俺は、そんな」
「いや、血筋というものは争えぬ。ナンナ様を見ても、そう思う」
諭すようにおっしゃった。
「人にはそれぞれ持って生まれた使命がある。それぞれが各自の役割を果たさなければならない。この世には必要のない命などない。君のその能力も、誰かが必要としているはずだ。自分に何をしてくれたか、ではなく、自分は何を出来るか、そのことだけを考えろ。そうすれば、きっと見えてくるはずだ。君の父上と母上が何を思っていたのか」

マンスターを解放した今、トラキアは目の前だ。
トラキア。あの竜騎士の群。因縁の…
また、白昼夢が私を襲う。
『憎しみだけを糧にリーフ様をお育てするつもりなの』
『トラバントを討った後、心が空っぽになってしまう』

「憎しみからは何も生まれないわ」
私にあのひとは切々と訴えかける。
「愚劣なシャガール王を憎んでも、兄上も平和なアグストリアも戻っては来なかった」
「だからといってあの男を赦すのか…あのハイエナどもを」
「もっと大事なことを教えて差し上げるべきよ。リーフ様には復讐よりも、余人を持っては代え難い大きな役割があるわ」
レンスターの復興のみならず大トラキアの統一。
北と南の大いなる悲願。
それはどちらの力を持ってなされるのか。
私の心中には揺るがざる確信がある。
「憎しみからは何も生まれない。リーフ王子にトラキア王国を憎ませてはならない。憎むべきは心であって人ではない」
分かっている。
あの男とて只の姦雄ではない。
あの男も背負っているものがある。
しかし、だからといってあの男のしたことは許されることではない。
私は許してはいけない。
これは私個人の問題である。
キュアン様と共有した時間や空気や理念…それ以上のもの。
多くのもののために、私は生きている。
果たさねばならない。
主君の無念を晴らし、キュアン様の意志を次の世代に正しく繋がなければならない。
私は死ねない。
その日が来るまでは。
胸中に固く決意した私の横顔をあのひとはしばらく無言で見つめていた。

遠くで言い争う声が聞こえる。顔を確認するまでもない。
「お前、自惚れてないか?ナンナがどう思っているか知っているのか」
「そんなの、訊くまでもないよ!ナンナだって…」
「さあ、どうだかな。女心は」
「ナンナは違う!!」
俺は苦笑した。
はて、自分が仲裁に入っていいものかどうか。
争っている片方も明らかに笑いをこらえている。
この人には不思議な魅力がある。
かつての獅子王もこのような方だったのだろうか。
セリス様にはオイフェ様が、リーフ様には父がついているのだから、この人には及ばずながら自分がついていこうか、と思う。
「すまんすまん。あいつを見るとついからかいたくなってしまう。ナンナのことだとムキになってくるからな」
それとなく諫めると、あの人は楽しそうに豪奢な金髪を揺らした。
「それよりお前、自分の親父のことを聞いて回っているんだろう」
自分もからかわれている。顔が熱くなった。
「俺には訊かないのか」
この人には勝てない。
「…お聞かせ願えますか」
アレス王子は真面目な顔になった。
記憶の回廊を点検しつつ、言葉を紡ぐ。
「アルスターで偶然顔を会わせるなり、急に騎士フィンは俺の前に跪いた。
『今の今まで貴方をお救いできなかったこと、どうお詫びの仕様もございません。本来なら一死をもって償うべきところ、亡き主の遺命を果たすため、おめおめと生き延びて参りました。しかし、もうそれも今日この日を迎えましたからには何の心残りもございません。どうぞ、そのミストルティンで、私の命をお召し下さい。』
俺は何故かと尋ねた。
『貴方はセリス様をお父上の敵と考えておいでですが、それはお心得違いでございます。お父上エルトシャン様の死をお止めできなかったのは私の力が足りなかった故。お母上グラーニェ様をむざむざ亡くしたのも私の力が足りなかった故。そして叔母上ラケシス様を失ったのもすべて私の不甲斐なさ故なのです。私の一命だけでは償い切れませぬがどうか、私の一死をもってご寛恕を』
人の血を常に欲するはずのミストルティンは何故かその騎士の血を欲しがらなかった」
「俺は不思議だった。淡々と語るその蒼い騎士は実は内面に感情の嵐を抱えている。それが何故俺にわかるのか。何故ミストルティンが血を吸う気になれないのか」
アレス王子の帯びているその剣が漆黒の光を鈍く放った…様な気がした。
「それは魔剣が…亡き父の魂が、この騎士を認めているからではないのか」
髪を容赦なくなぶっていた風が急に凪いだ。
「俺は思い当たった。騎士フィンとは、叔母の最愛の男性だった」
「吟遊詩人の唄うサガの一節に『孤城の王女 蒼き騎士に天空の炎を見ゆ』というのがあったな」
「…まさにそれだ。あながちサガも嘘八百というわけではないようだ」
再び風が吹き始めた。
「俺は騎士にありのままの言葉を投げた。
『卿は嘘を言っている』
『死を受け入れる者はそんな顔はしないものだ』
騎士がとある表情を浮かべた。
騎士は俺を通して何か別のものを見ているようだった。
俺は内からこみ上げる慣れない感情に何となく戸惑い、そんな自分に苛立った。
そこに横からリーフの声が飛んだ。
『そうだ。騎士フィンにはまだやってもらわなければならないことがある。生きて果たさねばならないことがある。それは君にとっても、私にとってもかけがえのないものだ。この騎士は私たちには必要な人間だ。それは君にもすぐにわかるだろう。そんな些細なことでこの男の命を奪わないで欲しい』
俺はさらに苛立った。セリスの腰巾着。こいつがいなければ何もできないくせに…俺に説教とは片腹痛い。
『些細なこと?』
鋭い眼光で俺はあいつを睨め付けた。
殺気寸前の気配にも怯まず、リーフは続けた。
『そうだ…。君は父上の死の責任を誰かに求めているようだが、それは大きな誤りだ。エルトシャン王は自分の信義に殉じたのだ。君に未来を託して…私の父と同様に』
『お前に何がわかる』
荒々しい口吻とは対照的に俺の言葉は激した感情に震えていた。
悔しかった。年長の俺が神器すら扱えぬこんな小僧に諭されるとは。
『私の両親と姉はトラキアにこの上なく非道な方法で虐殺された。しかし、トラキアという国を私は憎まない。父が私に望んだことは敵討ちではない。トラキア半島全体を戦乱に怯えることのない、全ての者が安心して暮らせる平和で豊かな統一国家を創ることだ』
あいつの言葉には上に立つ者の気概があった。
『セリス皇子も自らに課せられた使命を果たそうとなさっている。あの方の責任は私以上に重い。大陸全ての人の願いをその一身に背負われている。その重責でともすれば身体全体が沈み込んでしまう様な錯覚に襲われることがあるよ。…でも、セリス皇子も私も逃げない。…君はどうする。現実から目を背け続けるのか』
こいつは俺よりも遙かに上を見つめている。
『君にしか出来ないことがある。それが君の父上の遺志に他ならないと思う。君もこの世界に光をもたらさなくてはならない。君の持つ神器もそう言っているはずだ』
この小僧、リーフには大軍を導く将器がある。
俺には傭兵として磨き上げたこの剣の腕しかない。
果たして、俺には…
『…わかった。その命、すべてが終わるまでは預けておく。その後のことは終わってから考えることにしよう』
その舌の根も乾かぬうちに俺はいつしか、かの騎士を『叔父上』と呼んでいた」
魔剣の柄を軽く叩きながら、アレス王子は黄金色の髪を風になびかせた。
「叔父上にはいろんな事を教えていただいた。…俺が如何に小さい人間だったかを思い知らされた。リーフの大器も叔父上の教育があったからこそだな。叔母上が頼りになさったのも分かる気がする。お前の父上は得がたい人物だよ」
こちらを見てにっこりと笑った。邪気のない笑い方だった。

「レヴィン様」
居られる所を訪ねれば、オイフェ様も同席されていた。
「とうとう俺の所へ来たか」
見透かしたようにレヴィン様はおっしゃった。
言われるままに俺は椅子に腰掛け、拝聴の準備を整えた。
結局、全てを知っておられるのはこの方だけなのだ。
緊張の気配を隠せない俺を見やって、レヴィン様は語り始めた。
「あいつを初めて見たとき、なんて面白みのない真面目腐った奴だ、と表面だけ見て思ったさ。主君に忠勤を励むだけならどんな能なしでもできる、つまらん男だ、と。そのつまらん男がプライドが高いだけの我儘姫の後を情けなさそうに付いて回る。見たくもねえ。…だが、不思議なことにその我儘姫、あいつの前では怒鳴り散らしているくせに、あいつがいなくなると途端に寂しそうな顔をするんだよな。皆、感づいていたよ」
「祖国の崩壊でラケシスは亡国の王女になった。プライドの拠り所だった王国も兄王も全てを失ってしまった姫さんを支えたのは言うまでもなくあいつだった。馬鹿な男だ。亡国の王女に尽くしたって、城一つも貰えるはずもないのに…もっとも、何の見返りも求めなくても、あの姫さんは十分魅力的だったがね。あの気位の高ささえなければ」
「あいつの献身のせいでラケシスは強くなった。精神的にも、肉体的にも。周囲を圧倒し始めたのはその頃かな。彼女がいるだけで、皆の士気が上がるんだ。彼女も進んで前線に赴いて自ら剣を振るって戦った。剣が使えなくなれば槍を揮い、槍が使えなくなれば斧をも振りかざした。今思えば、彼女は“生き抜く”ことに執着したんだろうな」
「やはり、兄の死があったからかも知れない。しかし、あいつがレンスターに帰国するときに彼女は付いていかなかった。レンスターはノディオンにとっても深い繋がりがあったというのに」
夕日が翳る。もう日没の時間なのだ。
「彼女はフィンと再会することを自分に課したのだろうな。そのために『全てを捨ててレンスターでの幸せな生活』という逃げを選ばなかった。堂々とフィンの前に現れるために。彼女は真に誇り高い人物となった」
オイフェ様が後を続けた。
「妊娠していることに気づかれたのは、フィン殿と別れてからだ。フュリー殿におっしゃったそうだ。『私と彼とは分かちがたい絆で堅く結ばれている。堂々とこの子を父親と対面させるために私は何があっても生き残ってみせる』。母は強しとは云うが」
「いや実際ラケシスは強かったさ。あの頃の軍の女性たちは皆それぞれの強さがあった」
レヴィン様の述懐にオイフェ様も大いに頷かれた。

…父は母を愛していた。
母も父を愛していた。
それが動かせない事実なのは分かる。
二人が自分自身の意志で別れを選んだことも。

ならば、何故父は自分を責め続けるのか。
父は課せられた責任と良心の呵責の間で危うい精神の均衡を保っている。
何故、そこまでして…

俺は父に再び問い直す必要を感じた。

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