邂逅

自分という存在は父と母の深い結びつきがもたらしたものだという。
俺がこの世に生を受けたのは、父と母の並々ならぬ愛情を証するため。
自分の誕生によって、失意の母は勇気づけられ、父は大いに天に感謝したと。
本当だろうか。
母はなぜ自分を残してレンスターに向かい、父は自分を迎えに来なかったのか。
自分は、必要のない人間なのではないのか。
無論、これは贅沢すぎる悩みだ。
俺の周囲にはセリス様をはじめ、両親を亡くしているものが大半を占める。
自分の存在理由はおろか、両親のことだって記憶にない者がほとんどだ。
しかし、羨ましい、と言われれば、胸の内に蟠るものがある。
俺は両親のことが全くわからないのだから。
父は大陸屈指の槍騎士で、レンスター前王太子の側近であり、単独で王位継承者リーフ王子を守り続けてきたという。故国に対する忠誠心篤く、騎士の中の騎士である、と。
母はアグストリアの名門、ノディオン王国の出身で、王国の姫君だったと。
父と母は戦乱の中で出会って恋に落ち、愛を育んだと。
身分違いの恋は、2人を引き裂いた。
愛し合っていても、別れざるを得なかったのだ、と。
本当だろうか。
そんな三文ロマンスみたいな話が現実に転がっていたりするものだろうか。

「ああ、当然だ。そんな話が現実にあるわけはない。お話はお話だ」
レヴィン様はこともなげにおっしゃった。
「え、じゃあ…」
「英雄シグルドの悲劇の一挿話として俺が作ったサガの1つだ」
目を白黒させた俺を悪童のような表情をして見物した後、おもむろに
「事実は物語よりも奇なり、ってな。本人に聞いてみるのが一番だ」
と、言われた。
俺はそのお言葉に従うより他にない。

メルゲン城の攻略もほぼ片付いた頃、セリス様が俺を呼んで言われた。
「トラキア半島上陸もすぐに行えるだろう。現時点ではレンスター救出が私たちの最大の課題だが、全兵力を傾けるには時間がかかる。一刻も早くリーフ王子の援護が必要なんだ」
「デルムッド、これは君に任せる。私はアルスターを直接突いて根本から敵の補給路を潰すことにする」
俺は目をしばたいた。このような大役を自分に仰せつけられるとは。
俺を見やって、セリス様はその顔をほころばせた。
「レンスターには君の妹姫とお父上がおられるのだろう。一番君がレンスターの状況を気にかけているだろうから」
「その様な…私は」
言い淀んだ自分にセリス様はたゆたった微笑を浮かべた。
「…いいな、君には肉親がいて。僕にも兄弟がいたらどんなにか……馬鹿なことを言った。忘れてくれるとありがたいな」
セリス様はご両親を失われ、天涯孤独の身だ。
祖父君も叔母君も、バルドの血を引く者は先の戦争ですべて根絶やしにされた。
わずかにオイフェ様がセリス様を匿って、存命している程度だ。
ティルナノグに逃れた子供たちのうち、セリス様と俺は兄弟を持たなかった。
しかし、俺には妹がいた。
父も生きていた。
そして、父と妹はリーフ様を奉じている。
リーフ様はセリス様にとっても大事な方だ。
お互いにその力を必要とされている。
聖戦士バルドの生き残りはもはやあの方々を残すだけだ。
自分はセリス様とリーフ様を繋ぐ架け橋とならねばならない。
この使命を果たせるのは自分しかいない。
俺は勇躍してこの大命をお受けした。

激闘の最中だった。
遠目に一騎、こちらを目指して駆けてくるのが見える。
敵の援軍ならば、単独行動はしない。
どうみても敵軍ではなかった。
私は訝しんだ。
訝りながらも、槍を揮う手を休めることは出来ない。
この城を落とされるわけにはいかない。
もう二度と。
敵も追撃の手を緩めようとはしない。
敵将までもが突撃を敢行してくる。
その背後から、かの騎士が単騎で敵軍に突っ込んできた。
無謀な。
しかし、敵軍はなりふり構わぬ突撃で足並みが乱れている。
易々とかの騎士は並み居る重騎士を見事な剣技で捌き、敵軍を突破する。
…あれは…
かの騎士の剣技を見た私の心にさざ波が立った。
あの構えは…
まぎれもなくノディオン流儀のもの。
独特の技の切れはまさにヘズルの末裔に相応しい。
あれほどの才能豊かな剣技を見せられる者を私は一人しか知らない。
私の心は容赦なく掻き乱される。
まさか…まさか…!!
よもや、貴女が…!?
沸き上がる想いを整理する余裕もなく、私は愛用の槍を揮い続けなければならない。

最大速で行軍したため、自分に従う者はいまだ後方にある。
しかし、兵力の充実を待ってはいられなかった。
レンスター城はまさに風前の灯火であったからだ。
北トラキアの光を消すわけにはいかない。
我々にはどうしても貴方がたの力が必要なのだ。
俺は剣を振るいつつ、声を限りに叫んだ。
「我はセリス軍が将、デルムッドなり。レンスター、アルスター全域は我らセリス軍の制圧下にある。命が惜しい者はすぐに投降せよ。寛大な処遇を約束しよう」

…デルムッド!?
私は自分の耳を疑った。
彼の声を聞いて、陥落寸前の城から敵が波のように退いていく。
それを追撃するのは愚かなだけではなく、不可能な状態でもあった。
我々はまさに間一髪のところをデルムッドに、セリス様に救われたのだ。

「貴殿がセリス軍の御使者」
ブラギ僧の問いに俺は素直に応じる。
「はい、デルムッドと申します」
「…デルムッド殿…もしや貴殿は」
「ノディオン王女ラケシスの息子です」
僧侶に俺は尋ねた。
「妹のナンナは……父は、無事でしょうか」

使命を果たし、リーフ様に参戦を約した後。
「お兄様」
初めて会ったばかりの妹が涙に濡れた顔で、俺に告げた。
「お父様にはお会いになったの」
「…いや、まだだ」
俺はここに来るべきではなかったのかも知れない。
妹にむごい事実を突き付けてしまった。
妹のわずかな希望を打ち砕いてしまった。
俺は…不必要な人間ではないのか。
胸にわだかまっていた疑念が再びよみがえる。
父は俺との対面を喜ばないのではないか。
俺の暗い思索をよそに、ナンナは俺の腕を引いた。
「行きましょう。お父様のところへ」
その顔にはまだ涙の跡が残っていた。

破壊の跡が生々しい個室で、父はグレイド卿と軍議を重ねていた。
先ほど、リーフ様との会見の時にちらりと見えた父の姿。
目を奪ったのはその蒼さ。
「蒼の槍騎士」と云われる所以だ。
しかし、その人目を引く容姿とは対照的に、その挙措は落ち着いていた。
「お父様」
ナンナの呼びかけに父がこちらに顔を向けた。

思っていたよりも若々しい顔立ちのなかに際だっている、思慮深そうな深碧の双眸が俺を捉える。

父は表情を崩さない。

父上。
貴方も俺と同じように、苦しい想いを自分の胸に抱えてのたうち回ったことがあるのだろうか。…父上…

デルムッド。まぎれもない、我が息子。
十数年前の私がそこにいる。

一度もまみえたことのない我が子。
その身を案じ続けたたった一人の、私たちの息子。

ラケシス―貴女は約束を違えることなく果たされたのだ。
初めてお逢いしたときから貴女はそういう人だった。

ラケシスはナンナにも、この息子の中にも息づいている。
今まさに、ラケシスは還ってきた。
私の裡にこみ上げてくるものがある。

「お初にお目にかかります。私の名はデルムッド。以後お見知り置き願います」
息子の口上で我に返る。
「こちらこそ宜しくお引き回しの程を、デルムッド様。私はレンスターの騎士グレイド。こちらは…申すまでもございますまい。御家族水入らずでお話ししたいこともありましょう。私はこれにて」
部屋を出ていく友。
その場には親子三人が取り残された。
生まれてから手許で育ててきた娘と、初対面の息子と、二人の遺伝上の父である私と。

「父上、お会いしとうございました」
始めに沈黙を破ったのは、やはりデルムッドだった。
「うむ」
「父上にお会いしてどうしてもお聞きしたいことがありました」
決然と、デルムッドは私の顔を正視した。そこにはなまなかな返事など許容しないという強固な意志が読み取れる。
「ナンナ、お前はリーフ様のご様子を見てきなさい。ここしばらくの激戦で疲れていらっしゃるだろう」
「はい」
しばしの間、心配そうな顔を残して、ナンナは去っていった。

父上…
貴方は…
次の言葉が出てこない。
この瞬間を待ち望んでいたはずなのに。
何故。
父のあの目を見ると、問いさえも忘れてしまう。
俺は負けじと力を込めて睨み返す。
しかし、それは無駄な努力だった。
威圧感、というものではなかった。
それであれば、自分の能力で笑殺する自信はあった。
父から感じるものはそれらを透徹した何かだった。
俺にはそれは何か、理解できない。
父の持ち続ける感情が解らない。

『もう失いたくない』
あのひとの声が遥か彼方から聞こえる。
『もう失いたくないの。大事なものを』
『私は戦う。きっと守り通してみせる』
私は白昼夢を全力で振り払った。
「デルムッドよ…お前の問いたいことはわかっている」
部屋の空気までもが張りつめたように感じる。
私は抑制した口調で言葉を紡ぎだした。
「あの方と私とは儚い夢を一時共に見たに過ぎない」
「あの時期の私たちは恋という名の熱病に冒されていた。誰も彼もが。そうすることによって苛酷に過ぎた現実から目を背けていたのだ」
息子は思いのほか冷静だった。
「貴方は嘘を言っている」
「嘘ではない」
「ナンナにそのことを仰有ったのですか」
「あの娘にもいつかはわかるときがくる」
「父上…」
「私を父と呼ぶな。お前に父は存在しない。お前の前にいるのは、妻子を何のためらいもなく見捨てた騎士の風上にも置けぬ冷酷な男だけだ」
張りつめた空気が急激に冷める。
「お前に私が言えるのはこれだけだ…聞きたいことを聞いたのなら戻るがいい」
デルムッドは明らかに私を気遣い、一礼して部屋を去った。
足音が遠ざかり、私は誰に向かってか、吐息した。

セリス軍との合流は成った。
レヴィン様の計画は正確に実現されていた。
今やトラキア半島での帝国軍は大半の領土を失いコノートに小さく逼塞している。
北トラキア解放は目前となった。
祝勝気分の一歩手前の活気に満ちた明るい雰囲気がそこかしこに見られる。
その雰囲気の中でセリス様との謁見は行われた。
「よく来て下さった」
セリス様は気さくに我々の苦労を労って下さった。
そしてリーフ様との友情を篤く誓われたのである。
私は胸にこみ上げてくるものを感じた。
往年のことを思い出さずにはいられない。
かつて、キュアン様はシグルド様の危機に際し、自らを顧みることなく進んで救援の手を差し伸べに向かわれた。
そして今度はシグルド様の御子息が広大なイード砂漠を乗り越えてはるばるこの北トラキアまでキュアン様の御子息を救いに来て下さったのだ。
なんという宿縁か。天命というものだろうか。
我らに厳しすぎた運命はこの時代になって私たちに満面の頬笑みを投げかけるのか。
であれば、あの頃の私たちにも、もう少し穏やかな顔を向けてくれればよかったものを…
詮無い思いに囚われた私の頭を横切ったものがある。

ふと閃いたものがあった。
息子はセリス皇子の傍らにひっそりとたたずむ巫女姫に目を注いでいる。

十数年前の私と同じ表情をして。

我が息子よ。
お前も私と同じ轍を踏もうというのか。
夜空に白く輝く月を掴もうと必死に手を伸ばすのか。
決して掴めようはずもないことを知りながら…

「姫様ッ!どちらへ行かれるのです!?」
「知れたこと!私もエルト兄様を助けに行きます!!」
あのひとは聖騎士たちや私の制止を聞かずに飛び出そうとする。
その真摯な表情の美しさ。
私は両の手を広げてあのひとの正面に立ち塞がった。
その後の厳しい反応を覚悟の上で。
「馬鹿なことをおっしゃるものではありません。貴女の力で何ができるというのですか」
瞬間、平手打ちが私の左頬に飛んだ。高い音が響く。
私を打った手を握りしめて、あのひとは呟いた。
「…それでも、それでも大事な人の役に立ちたい…貴方なら、今の立場の貴方ならわかってくれると思ったのに」
そうだ。私とて誉れ高きランスリッターの端くれ、レンスター騎士団の一員だ。少しでもキュアン様のお力になりたい。後方での守備より、前線で先鋒の栄を担って、実力を思う存分披見したい。…だが。
「今の私たちの実力では足手まといになるだけです。貴女は負傷者の治療に専念すべきでしょう」
「で貴方は私のお守りってわけ」
「…ラケシス様」
私は渋い顔で言い淀むしかなかった。

かたくなな姫君に私は心底困り果てていた。
当時の私に、ラケシス王女の守護をお命じになったキュアン様やシグルド様のお考えを拝察することなど不可能な話だった。
今思えば、兄王の身を気遣って気を張りつめているばかりの王女に、同年代の少年を傍近くに置いて、心情の変化を期待していたのかも知れない。

そして、私自身の心情の変化も。

前線をすり抜けて、敵軍がノディオンに向かってきた。
あの程度の数なら、私一人でも十分に相手が出来る。
しばらく武勲を立てる機会がなかったことも大きかった。
私は若年者独特の逸り立つ心のままに敵軍に向かって突撃を試みようとした。
その時、凛とした声が飛んだ。
「アグストリア軍の力を甘く見てはいけない」
私は振り返って、やってくるあのひとを見た。
「貴女こそ私の実力を甘く見ていらっしゃる。あの程度」
「相手は正規軍です。キュアン様からも重々ご忠告は受けられたのでしょう。勝つことよりも負けないことに重点を置くべきです。敵を引きつけて徐々に力を削げばいい」
私は不満だった。
温室育ちの姫君に戦いの何がわかる。
城の中で美しく着飾っていればいい。
戦場に華奢な身を晒していれば、しばらくしないうちにその美しい顔が傷つけられて兄王を嘆かせるだけだ。
私はあのひとの制止を振り切って、突撃を敢行した。
あのひとを見返してやりたかった。
ひょっとしたら、あのひとは私の見方を変えるかも知れない。
私はただの小姓ではない。
歴とした戦士なのだ。
あのひとは私に守護されている、ということを忘れているのではないか。
いまこそ私の実力を御覧になるがいい。
そして、慢心の赴くままに猪突猛進の挙げ句、深手を負って帰城した。
そんな私を馬鹿にするわけでもなく、黙々とあのひとは私を癒す。
妙な気分だった。
エスリン様の癒し、エーディン様の癒し、それぞれが異なる。
エスリン様の癒しは喜びを分かちあう感覚、エーディン様のそれは大いなるものへの感謝。
あのひとの癒しは…

あのひとの幻影が夜毎脳裏に浮かぶようになったのは、いつの頃からだったのだろう。
一晩中あのひとの面影が頭から離れず、どうにも眠れぬ夜があった。
あのひとの幻は、私に慕わしく微笑みかけるのだ。
私はあのひとのそんな顔を現実に見たことがなかったにもかかわらず。

私を癒すあのひとの顔―
一心不乱のあの顔―

ああ。やっと理解った。
あのひとは私の心の神殿に住まう女性、そのものだったのだ。
あのひとの力になりたい。
あのひとにはいつも眦をつり上げていてさえ不思議な吸引力があった。
抗しがたい魅力があった。魔力、といってしまってもいい。
こんなひとを私は今まで見たことがなかった。
あのひとの、ちからに、なろう。

心に堅く秘めていた想いは、実は見る者が見ればしっかり表に出ていたらしい。
とある自由騎士が私に一言、言葉を投げた。
「報われない恋だぞ」
…承知している。
兄王が鍾愛してやまない一国の宝だ。
あの方のためなら、国一つを傾けても構わないと思わない者はいないだろう。
あの方も兄王を敬慕すること甚だしく、エルトシャン様並の御仁でなければ、と山積の結婚申し込みを片端から拒絶なさっておられるのはあまりにも有名である。
数ならぬ身の私がどうしてそんなことを考えられようか。
ただ、あのひとの力になれるだけで良いのだ。
あのひとの笑顔が見ることが出来れば、私にとってそれ以上の喜びはない。
私に向けられたものでなくても構わない。
そんな大それた事を私は望まない。

あのひとの、ちからに、なろう。

少年の日の私は、純度の極めて高い騎士愛に身を焦がしていた。

「お兄様、ここにいらしたのですね」
ナンナが城の屋上に出ている自分に呼びかけた。
走って隣に来る。
可愛らしい。妹とはこういう存在なのか。
「何か用かい」
妹は言い淀んだ。
「…あの…お父様とのお話は…」
「…ああ、忌憚なく話し合って下さったよ」
「…誤魔化さないでください」
「ナンナ」
「私にはわかります。デルムッド兄様、おっしゃって」
ナンナは俺の目を正視した。
「はっきりおっしゃって」
妹には要らざる心配を掛けたくないのだが…
「…私にはわからないんだ。父上と母上のことが…」
ナンナは目をしばたいた。そしてさも当たり前のように事実を言った。
「現実に父上は母上と結婚して私たちが生まれている」
俺は首を振った。やはり言うべきではなかった。
「事実としてはそうだ。しかし、真実は…父母の心の裡は…」
「お兄様…?」
「…母上は…本当に…」
こんな事を言っても、ナンナを不安にさせるだけだ…
「兄様…」
母は本当に自分を迎えに行くために父の許を去ったのだろうか。まだ幼かった妹を置いてまで。
全てを投げ出したかっただけなのではないのか。
答えは自分の手許には無かった。
母は、消えたままだ。

リーフ様とナンナの姿は見ているだけで実に微笑ましい。
レンスターの王太子夫妻も仲睦まじかったことで有名で、レンスターの人々はお二人を彷彿とさせると口々に言った。
でも、ナンナにはエスリン様のような最期だけは遂げて欲しくはない。
父と母のようになっても欲しくない。
俺たちは父母の業を深く背負っているのだ。
そこから逃れたい、逃げ出したいと必死に足掻き続ける俺は…一体…

「私も君たちの話に加わる資格がある」
不意にリーフ様がやってきた。
ナンナのいる場所はこの方にはすぐわかってしまう。
「リーフ様…」
「ナンナ、ここからは君の兄上と二人で話がしたいんだ。すまないが席を外してくれないか」
「はい」
ナンナはおとなしく頷いて屋内へ入っていった。

リーフ様はいつになく真剣なお顔をされていた。
そしてご自分で言葉をかみしめるように語られる。
「デルムッド、私は君にどう詫びても詫びきれないことをしてしまった」
「私は君から父上や…母上さえも奪った」
「本来なら、私の代わりに君がフィンやラケシスの愛をナンナと共に受けるはずだったのだ…私さえ、存在しなければ」
「リーフ様!」
自分が強くたしなめると、自嘲の笑みをリーフ様は浮かべた。
「いや、ナンナからも両親を奪ったな、私は。私のせいで、ナンナは父親を独占することができなかったのだから」
この方のナンナに対する感情は…
「いいえ、違います」
自分の否定にリーフ様は眉の角度をはね上げた。
「何故そんなことが言える?」
周囲の者が一見してわかることが、本人は意外に気づかないこともあるのか。
「ナンナを見れば一目でわかります。妹は決して不幸な生い立ちではなかった…リーフ様と共に生きることがあの娘にとってどんなに心の支えとなっているか」
「本当にそう思うのか」
俺は確たる言葉を出した。
「そう思います。リーフ様」

「ナンナをこれからもどうかよろしくお願いいたします…」
それは自分の心からの願いだった。
「それは兄君からお許しいただけたと思って良いのだろうか」
茶化したようにリーフ様はおっしゃる。
「御心のままに…父は何と」
困ったようにリーフ様は苦笑した。
「この件に関しては旗色を鮮明にしないんだ」
自分も可笑しくなった。
「閨閥を良しとしないのでしょう。父上らしい」
自分の言葉に、リーフ様は顎をつまんで考え込まれた。
「私は別にそんなつもりはないんだけど」
「周囲からそう受け取られるのを厭うているのです…廉直な人間ですから」
「フィンのそういうところはわかるんだね」
リーフ様の何気ない指摘が俺の心に波紋を作った。
「そういえば…そうですね」
自分でも不思議だった。
俺はいまだに父との距離に戸惑っている。
それはおそろしく遠いようで、また思いがけなく近いようでもあった。
父は自分を冷たく突き放しているつもりのようだが、その父から奇妙な違和感を感じるのもまた事実なのだ。
父の気持ちが理屈ではないところでわかるような気もするし、感性をもってしてもわからないようなところもある。
人間はそれ自体が矛盾の固まりだ、というが…
それでも、父のことをもっと知りたい。
知りたいのだ。

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