「ただのホームシックさ」
 エルトシャンを遮ったキュアンの声はやはり軽かったが、いつになく硬質だった。
「キュアン……」
「わかっていてこっちに来たんだ……。学ぶべきものがあると思ってここに来たんだ……」
 キュアンは立ち上がると、エルトシャンに背を向けた。握った拳が震えているのを見て、エルトシャンは口を挟むのを止めた。
「俺は行儀見習いに来た訳でも社交界にデビューした訳でもない。儀式化した戦法に馴れ合いのちゃんばらごっこ……士官学校じゃなくて儀仗兵養成所じゃないか。本当にぬるくてぬるくて……どうにかなってしまいそうだ。俺がここでぬくぬくと暮らしてる間にも……」
 血の気を失ったキュアンの拳にエルトシャンは彼の真摯な思いを知った。自分も士官学校に入ってから物足りなさを感じることが多々あった。それでもエルトシャンには国を離れた解放感と友を得た喜びの方が大きく、充実していると思い込もうとしていたことに気付く。
 大陸最強国として成熟しているといえば聞こえはいいが、百年の平和を満喫しているうちに熟しきった果実が落ちるかのように退廃の様相を呈しつつあった。それが最も顕著に現れているのが王都バーハラである。対抗心を燃やしながらもグランベルを範とするアグストリア諸公連合出身のエルトシャンも眉をひそめることが横行していた。神器を七種類も保持している故の余裕か、軍幹部を養成するはずの士官学校が貴族の子弟に箔をつけるための機関と成り果てていた。
「…………」
「なんてな」
 エルトシャンが考え込んでいると、キュアンは笑みを浮かべて振り返った。何事もなかったかのような明るい表情である。
「全部言い訳だよ。何も得ることができないとわかっても国に帰らないのを師の遺言のせいにしてるしな」
「師……?」
 再び瞳を翳らせたが、エルトシャンの問いに我に返ったのかキュアンは書きかけの書類を揃えて片付け始めた。
「……変なことを話したな。忘れてくれ。そろそろ戻らないと日が暮れるぞ。シグルドには明日戻ると伝えておいてくれ」
「…………。わかった」

* * * * *

 その後もキュアンの士官学校での行状はあまり変わらなかった。しかし、欠課中に何をしているのかを知ったエルトシャンは、キュアンの行動が問題化しそうになる度にそれとなく口を出すようになった。他人には無関心だったエルトシャンの変貌に、キュアンだけでなく彼と第三者の間に立つことが多かったシグルドは驚きを隠せなかった。
 そしてさらに驚いたことに、週末になるとキュアンだけでなくエルトシャンまで寄宿舎から姿を消すようになった。そのことに気付いたのは妹のバーハラ滞在が終わってからである。
 久しぶりに空いた休日を友人とチェスでもしようと部屋を訪ねて空振りすること数回、行く先を何度聞いてもあいまいに誤魔化すエルトシャンに業を煮やしたシグルドは、とうとう後をついていくことにした。
 市街を南下し、建物がまばらになって尾行も難しくなってきた頃にはシグルドも目的地を察することができた。
「……ここからじゃ、あそこしかないよなあ」
 シグルドは尾行に気付かれるよりはと馬の首を返し、迂回路をとった。そして、とある邸宅の門前に馬を着け、取り次ぎを請おうと口を開く前に、
「お待ちしておりました、シグルド様。ただいまご案内いたしますので……」
と出迎えられた。
「え……? どういうことだ」
「シグルド様がお越しになるとエルトシャン様からお伺いしておりましたが」
 館の者の説明で戸惑っていたシグルドはようやく尾行がばれていたことに気が付いた。
「そんなことなら遠回りなんかするんじゃなかったよ。最初から連れてきてくれればいいのに……」
とぶつぶつ呟きながら門の中に入ったシグルドが案内されたのは、本館ではなく別棟になっていた小さな建物だった。

 甲高い金属音がひっきりなしに聞こえてくる。何事かと館の者が開けた扉から中を覗くと、真剣な表情で打ち合っているキュアンとエルトシャンの姿があった。手にしているのは練習用の刃のない槍と剣だったが、それでもその場の張り詰めた空気にシグルドの表情も引き締まる。
 聖戦士の末裔と呼ばれる二人が殺傷能力の低い武器ではあるが真剣勝負をしている。それはシグルドにとっては新鮮であった。そして、自分もまた末裔の一人……。胸に込み上がってくる高揚感をシグルドは抑えることはできなかった。
「俺も入れてくれ!」
 思わず叫ぶとキュアンとエルトシャンはその手を止めた。
「よお、シグルド」
「遅かったな」
「二人とも水臭いぞ。黙ってるなんて」
 シグルドが二人に詰め寄るとエルトシャンが手にしていた剣を差し出した。
「そんなことよりお前の本気を見せてみろ」
「バルドの剣か……楽しみだな」
とキュアンも楽しそうに槍を構える。エルトシャンが後ろに下がると、それを合図にシグルドは剣を軽く振ってキュアンに打ち込んだ。
「行くぞ! キュアン!!」

* * * * *

 以降、キュアンとエルトシャンとシグルドはより一層友好を深めていくことになる。キュアンの姿勢に感化されたエルトシャンとシグルドは士官学校の主席を争うほどの成績を修めたが、キュアン自身は及第点すれすれで卒業した。本人は全く気にしていないのがエルトシャンには気に食わなかったが、そういう面も含めて羨ましかったのだと後に気付く。嫌悪するほど大きな羨望はその後もずっと抱き続けることとなった。

Fin

後書き
予想していた以上に長くなってしまったので、削ったシーン多数です。エルトの「はじめての蕎麦」も書いてみたかったんですが、これ以上冗長にする訳にもいかず……。フィンが出てくるとたくさん語らせたくなるし、エルトさん放置だし……で、いろいろと暴走しかけた痕跡を含め楽しんでいただけたらと思います(おい)。

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