Lukewarm

 気に食わないやつだと思っていた……。

 授業はろくに聞かない、武芸の訓練には来ない。週末になると寄宿舎を抜け出し、女と遊んでいると聞く。ただ、友人となったシアルフィ公子シグルドとは仲が良く、結果的に自分も一緒に行動することが多くなり……仲間扱いされることに潔癖なエルトシャンは嫌悪感を抱いていた。それでもシグルドへの遠慮からか露骨に表すことはなかった。
 それなのに彼――レンスター王子キュアン――は知ってか知らずか、何かとエルトシャンの視界に入ってきては、エルトシャンを逆なでするような言動を繰り返す。エルトシャンはそれを苦々しく眺めていたが、一方で別の感情が湧き上がっていることに気付いていた。それがなおさら腹立たしくて一方的に距離を取っていた。

* * * * *

 士官学校に入って初めての試験が終わり、試験休みも残りわずかとなったある日、エルトシャンは寄宿舎の自室で読書をしていた。他の生徒達は実家に帰ったり、小旅行に出たりしていて寄宿舎に残っている者はほとんどいない。故郷が遠いため帰省できなかったエルトシャンは妹に会えないことに寂しさを覚えつつ、それでも久しぶりのゆったりした時間を満喫していた。
 こんこん……。
 ノックの音と同時に扉が開く。
「エルト……」
「シグルドか……どうした?」
 部屋を訪ねてきた親友の深刻な顔に、エルトシャンは読みかけの本を置いて彼を迎え入れた。
「ちょっと……困ったことがあってな」
「俺で良ければ……力になるが」
 数少ない友人の窮状ともなれば放っておく訳にはいかない。心の中で気負いつつ、エルトシャンは自分の座っている椅子をシグルドに勧めると、自分はベッドに腰かけた。
「そう言ってくれると助かるよ」
 シグルドはほっとした表情を浮かべると椅子に座った。そして手にしていた分厚い本を膝に乗せた。
「もう終わったんじゃなかったか?」
 エルトシャンは顎で見覚えのあるその本を指し示すと、シグルドは苦笑を浮かべる。
「ああ。俺はもう提出したんだが……キュアンが……」
「あいつか……自業自得だろう」
 その名が出た瞬間、顔をしかめたのは気分が萎えたせいか、それともそんな自分にか……。エルトシャンはとにかく斬って捨てようとした。
「それはそうなんだが……教官に頼まれてしまってな。提出していないのはキュアンだけらしいんだ」
 歴史の試験代わりに課せられたレポートの提出期限は休暇前でとうの昔に過ぎている。シグルドの手にあるレポートの題材の本はグラン王国建国から共和制への移行、そして滅亡までの約500年間の史実及び各地に伝わる様々な伝承が集められており、『グラン』という国の歴史書の集大成と言ってもいい。ただ読むだけでも相当の時間を要するのに、テーマが「グラン語の形成における領土拡大の影響」という分野を跨いだ代物である。試験の方がはるかにましだと生徒達は頭を抱え、試験勉強も相まって一ヶ月間苦しんでいた。……たった一人を除いて。
「課題を出された時キュアンに教えるのを忘れてたんだよ」
「サボっていたあいつが悪い。それにその後、皆で課題に取りかかっていたのは見ていたはずだ。気付かない方がおかしい。……あれだけ授業をサボっていれば仕方ないだろうがな」
 半分出席すればいい方で、出席してもほとんど居眠りをしているキュアンの授業態度を思い出したのか、エルトシャンは憤懣やる方ない表情を浮かべた。
「でも……他は全員出してるのに担任のクラスで一人だけ出してないのもなあ……。教官も困ってたし……このままだと落第だって……」
 人望かそれとも人の良さに付け込まれてか、いつの間にかクラスのまとめ役となっていたシグルドの困り果てた表情に、エルトシャンは深い溜め息を吐きつつ、
「それで……俺にどうしろと?」
と話の続きを促した。
「あ……ああ。休み明けまで提出を待ってもらえることになったんだ。それでキュアンのところに行こうと思ったんだが……」
「休み明けって明後日じゃないか。無理だ」
 きっぱり言い切るエルトシャンにシグルドは苦笑を浮かべた。
「……そうかもしれないが、出さないよりはましじゃないかと……」
「お前も教官も甘過ぎる。まあいい……で?」
 なかなか用件を切り出さないシグルドにも苛立ち始めたのか、エルトシャンはあからさまに不機嫌な視線を向ける。
「うん……で、今から行くつもりだったんだけど……」
「……だけど?」
 言い難そうなシグルドをエルトシャンは追い立てる。
「さっき妹がバーハラに来てるって使いが来て……」
「妹?」
 そのキーワードにエルトシャンは即座に反応した。
「ああ……。エスリンっていうんだけど、バーハラを案内しろって言ってるらしい」
「……要するに友より妹を取ると」
「そっ……そういうわけじゃなくって……」
「当然のことだ。妹が来ているのに他人のことに構っている場合じゃないだろう」
「へ?」
 エルトシャンの言葉に最初は戸惑っていたシグルドだったが、彼が自分同様『妹』に弱いことを思い出し、路線を変更することにした。
「可愛い『妹』がせっかく来てくれたのだから会わずにはいられないだろう?」
「それはそうだ」
 『妹』を強調するとエルトシャンは深く頷いた。シグルドは好機と見て一気に攻勢に転ずる。
「それで、君に頼みなんだが、代わりにキュアンにレポートのことを話して、それからある程度まででいいから見てやってほしいんだ」
「わかった」
「ありがとう! 教官も君のレポートの出来は誉めてたからね。君にしか頼めなくって……」
 反射的に答えてしまったがもう後の祭りである。シグルドはにこにこと感謝の言葉を並べ立て、エルトシャンは口を挟むことができなかった。
「本当に助かったよ。君のおかげで『妹』にも会えるし、キュアンは落第の危機を脱するし。……あ、キュアンはレンスターの大使公邸にいるそうだ。じゃあ、よろしく頼むよ」
 うなだれるエルトシャンを残し、来た時とは打って代わりスキップでもしそうな軽い足取りでシグルドは部屋を後にした。
「…………」

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