Someday

「どうしても…行ってしまわれるのですか?」
 微かに震えるその声は自分の心を押し殺し、私を…そして彼を心配してくれていた。
 それなのに…。
 無言で頷く私に、
「本当によろしいのですか?だったら私、フィ…フィン様を取ってしまいますわ!それでもいいんですか!?」
そう叫んだセルフィナの甲高い声はわずかに上ずっていた。

「ご自由に」
 自分でもぞっとするほどの冷たい声。
 たちまちセルフィナの顔は紅潮する。開きかけた唇を噛むと、きっと私を睨みつけ走り去ってしまった。
 彼女の背中を見送っていると眠っていた良心が起き出し、私を責める。
 でも、本当にそうとしか言えないのだ。
 周囲の人間は色々勘繰っているが、私と彼は良く言えばただの戦友で、本当は彼が寄る辺のない私の面倒を見ているだけなのだ。
 だから私には彼が誰を愛そうが何も言う資格は…ない。
 それでも、彼に誰かが寄り添うなんて考えたくもない。
 だから…敢えて彼女を挑発したのだ。
 自分の狡さに怒りを覚えると同時に、彼女の想いが叶わぬことを確信し安堵する私もいる。

 こんな私を彼が愛する訳がない。

 彼への想いに気付いた時、彼の想い人に思い当たり愕然とした。
 私は彼にとって許すことのできない存在で、決して振り向いては貰えないのだ。
 私は彼の愛する人をずっと憎んでいたのだから。

* * * * *

「ラケシス様」
 決して聞き間違えることなどない声。今の顔を見られずにすんだことにほっとしつつ、瞬時にこのおぞましい表情の上に笑顔の仮面を乗せて振り返る。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「準備はもう済みました。いつでも出発できるわ。ありがとう…フィン」
 傍目には仲睦ましげに見えるだろう。半ば意地でそう振る舞う自分が惨めに思う反面、形だけでも幸せを感じてしまう。
「そうですか。ではこれをお持ち下さい」
 差し出された物を何気なく受け取る。
「これは…。受け取れないわ」
ずっしりと重いそれは一年以上生活できるほどの金貨だった。今の状態で入手するのはどれだけ大変なことか…。
「お気になさらずに。ラケシス様には色々ご苦労をおかけしてしまいましたので、せめて道中は…」
 慌てて返そうとするが、逆にしっかりと握らされてしまった。手を握られたことが嬉しくて抵抗できない。
「…ありがとう。じゃあ遠慮なくいただきます」
「早くアレス様…と合流されることをお祈りしています」
「ねえ、フィン…私、本当にアレスに会う資格ができたと思う?」
 彼の反応が少し怖くて私はくるりと背を向け、彼の瞳と同じ色の空を見つめた。

 脳裏に半狂乱になった私とそれを押さえるフィンの姿が浮かぶ。あの女性(ひと)に甥であるアレスとの面会を拒絶された上に、必死の思いで運んだミストルティンからも引き離され、それまでの悲劇的な出来事とも相まって私は自暴自棄になっていた。
 運命を呪い、あの女性(ひと)をひたすら憎み続けた日々。唯一の知り合いということで甘えていたのだろう。あの時…兄を失った時…と同様彼に八つ当たりすることで辛うじて私は人前では平静を保っていられた。しかし、あの時とは違って私は彼の居候のようなものなのに、あの時と同じように彼は誠実に対応してくれた。あの時はそれが当たり前だと思っていたけれど、それがとんでもない驕りだったと今ならわかる…。

「資格など…。ただ、グラーニェ様は…」
 私のことを気遣って言葉を選んでくれているのに、たまらなく辛い。その名が彼の口から出る時、ほんの一瞬彼の瞳は遠くを見つめる。彼の意識をこちらに取り戻したくて、私は彼をじっと見つめ、言葉を遮った。
「わかっているわ。ううん…やっとわかったと言うべきね。私はアレスを兄様の代わりにしたかっただけ。ノディオンの王としての兄様ではなく私の…」
 今では決して彼には聞かせたくないことまで口走ろうとしているのに気付き、話題の方向を修正する。
「目を覚ましてくれたのはリーフ様やフィン…あなたのおかげよ。リーフ様を見ていて本当に自分が恥ずかしくなったわ。まだ幼いのに王子としての務めを必死に果たそうとなさっているのに、私はノディオン王女として何をしてきたのかって。そしてあなたからは私は何をするべきなのかを教わった…」
「私は別に…」
 彼は穏やかに微笑を浮かべ首を振った。
「いいえ!私がこうやっていられるのもみんなあなたのおかげだわ。あなたが私を見捨てずにいてくれたから…。あなただって大切な人達を失ったのに、為すべきことを果たそうとしているわ。そして膝を抱えて動こうとしない私に手を差し伸べてくれた…」
「同じですよ」
「え…?」
 穏やかな声なのは変わらなかったが、いつしか彼から微笑は消えていた。
「私も何故自分が生きているのかわからない時がありました。リーフ様がいらっしゃらねばとうの昔にこの命を捨てていたでしょう。リーフ様の存在は…最初は生き長らえていることへの口実でした。リーフ様をお守りすることで私は生きていられたのです。ですが、やがて…。リーフ様は私に未来を与えて下さいました」
 いつになく饒舌な彼とその内容に驚いた。当然なのだが彼も苦悩していたのだ。数々の苦境の中、全く取り乱すことがなかったのでその使命感に呆れると同時に感動していたほどだった。その言葉で彼を身近に感じるとともに、心の内を私に話してくれたことがたまらなく嬉しかった。
「フィン…」
「…変なことを申してしまいましたね」
 再び微笑を浮かべる彼。私も微笑で返す。
「いいえ…ありがとう…」
 一呼吸置いて、私は後ろ髪引かれる思いを断ち切った。
「そろそろ行くわ…。リーフ様や皆によろしくね」
「はい。ラケシス様の道中のご安全をお祈りいたします」
「私もレンスターの再興を願っています。そして、私はアグストリアの再興に全力を尽くします。少しでもアレスやお義姉様のお役に立てるように…」
「ラケシス様…」
 彼はやはりあの言葉に反応する。心がちくりと痛んだが、不思議と妬む気持ちは薄れていた。今は到底敵わないのだから…。
「フィン…いつか…」
「はい?」
「ううん。何でもないわ。今まで本当にありがとうございました。そして、フィン…あなたのご武運を心からお祈りしています…」
 私は深々と頭を下げると傍らの馬に跨がった。そして、もう一度だけ彼を見つめると目が合った。ずっとその瞳の中にいたい…。
「ラケシス様、お気を付けて」
 口を開くと決意が揺らぎそうなので私は無言で頷くと、馬の腹を軽く蹴った。

『いつか…』
 他愛のない約束でも彼の意識のどこかに私を残しておきたかった。
 でも、彼の未来に私を潜り込ませることなどやはりできなかった…。

 それでも、彼は私のことを忘れない。
 憎まれていることが唯一のつながり。
 初めて嬉しいと感じた。そして深い絶望と…。
 
『でも、いつか…』

Fin

後書き
やっぱりフィンは謎の人…(^^;)
女の闘いを書く予定だったのが、最初だけになってしまいました。セルフィナには別の機会に頑張ってもらうということで(おい)。もう一人は…。

別荘入口  ラケシスの間  連絡先