天、蒼くして――

Qou 

   壱 蒼天の下、白日の身となりき

 全てが夢の中の出来事にしか思えなかった。
 初めて会った兄の口から流れ落ちた真実は、私の心の深遠に深く深く堕ちていって。
 小石が水面に波紋を作るかの如く、静かに、ゆっくりと、しかし確かに私の心の琴線を揺らした。
 お父様と私を取り囲んでいた垣根は今壊され、そして真実は私のものになってしまったのだ。
 
 深く首をうな垂れて、何も言わなくなった妹を、デルムッドは泣いているのだと思った。
「あの…ナンナ?」
 彼はまるで恋人に触れるかのように妹の肩に手を置く。しかし金の巻毛の壁に遮断されて、彼からは妹の顔が見えない。しかし、頬を伝う涙が彼女の想いをそのまま伝えてくれる。
「なぁ…ナンナ。お前とあの人が血が繋がってなくたってそんなものどうだっていいじゃないか。だって今までずっとあの人はお前のこと娘として育ててくれたんだろう?十数年間もずっと…。俺もオイフェ様やシャナン様に育てられてたけど、血が繋がってなくても俺はあの人たちのことを家族だと思ってるよ。兄や父のように感じてる。お前だってそうなんだろう?」
 デルムッドはうな垂れたまま顔を挙げようとしない妹に優しく語り掛ける。
 彼は妹に辛いことをしてしまったと悔やむと同時に少しばかり嬉しさがある自分を認めざるを得なかった。何故なら、彼は「妹」という人種に対して嫌なイメージしかない。
 彼はイザークで育ったが、一緒に育った者の中には兄妹が二組いる。そして、解放軍として戦い始めてから出来た仲間の中にも兄妹は多い。
 そして、その全ての兄妹において、例外なく、妹はすさまじかった。
 兄であろうと敵であるならば容赦なく金を盗んだ盗賊娘P、一見大人しそうに見えて怒らせると誰よりも恐怖を感じさせられる魔道少女T、身分は王女でありながら国を飛び出し父と兄に並々ならぬ思い(怒り?)を燃やすペガサスナイトのF、まだマシだと思われる者でさえ、「あと一回でレベルアップするの♪」と言いながら、負けてきたばっかりの闘技場に再戦に行かせるようなシスターだ。そして極めつけ。その身を緑色に又は青色に輝かせて放つはイザーク王家奥義流星剣に月光剣。セリス軍最恐最悪最終兵器、キリングマシーン、彼女の後ろに屍の道有り。その名はソードマスターR!!
 一時は女性不審にもなりかけた。しかし、目の前でさめざめと泣いている妹を見ていると、――母上と妹だけは!――そう強く信じて此処までやってきた甲斐があったというものだ。
 デルムッドが感動に打ち震えていると、ナンナが涙の下から弱々しく兄に呼びかけてきた。
「お兄様…」
「うん?どうしたんだい、ナンナ?」
 それに答えるデルムッドの声も感動のあまりか、今までのどんな彼の声よりも優しい。しかし、彼の妹への希望は、次の瞬間、ナンナ自身によって打ち砕かれてしまうこととなった。
「どうしてもっと早く教えてくださらなかったのですか!?」
「…え?」
 彼は突然声を荒げた妹の真意を掴み損ねた。しかし、すぐある考えに至って彼も檄を飛ばす。
「どういうことだ?まさかあの人と血が繋がってなくて良かったとか言い出すんじゃないだろうな?」
「ええ。そのとおりですわ」
「なっ!?今まで育ててきてくれた人に向かってそれはないだろう!」
「何をおっしゃるのです!そのことについては感謝してもし足りないといつも思っていますわ!そうではなくて、この恋が禁忌のものでないという喜びです!」
「…………は?」
 ナンナは今なんと言ったのだろうか?禁忌?何が?禁忌の――恋!?
「――ってお前まさか…!?」
 デルムッドがようやくそこまで考えが至った時にはもうナンナの姿は遥か彼方にあった。
「ちょっ…待ちなさい、ナンナ!」
 デルムッドは慌てて追いかけながら友人たちの言葉が頭を回り始めた。
――期待してると後で痛い目見るぞ…
 そう呟いた刹那、彼らは妹らの手によってボロ雑巾へと姿を変えてしまっていたが。

   弐 想いはそして関越ゑて
 
「お父様!」
 ナンナはようやく求める姿を見つけ、走り寄る。
 フィンはゆっくりと振りかえり、憂いに満ちた蒼い瞳にナンナを捕らえる。
「…デルムッドから聞いたのだな…?」
 フィンはナンナのもとに跪く。
「…しかたのなかったこととはいえ、今までの数々のご無礼お許しください……ナンナ…様」
 彼は言い難そうに、けれどもはっきりと娘のことを「ナンナ様」と呼んだ。
「お父様、頭を上げてください。無礼などと、そんな…」
 フィンは顔を伏せたまま微動だにしない。
「お父様。ナンナは貴方が父であって良かったと思います。けれど今、血のつながりがなくて良かったとも思っていることもまた、事実なのです。貴方にはそれが何故だかわかりますか?」
 ナンナの予想通りフィンは顔を挙げる。困惑しているようだ。
「どういうことです…?」
「お父さ…いえ、もう父と呼ぶわけにはいきませんね。…ねぇ、フィン様?」
 ナンナの新しい呼び方に驚くフィン。ナンナは言葉を続ける。
「フィン様…誰よりもお慕いしております…」
 ナンナはそっとフィンの胸にもたれ掛かる。けれどフィンはナンナの腕を掴んでナンナを強引に引き離して、強い口調で言った。
「なっ…!?それは…ナンナ、どういうことだ!?」
 フィンは驚きのあまりか彼女をナンナと呼んだ。
――けれど私にはこの方がいい。「ナンナ様」なんてこの人に呼ばれると他人行儀な気がして寂しくて耐えられない。きっと壊れてしまう。
 ナンナが呼び捨てにされたことについ「ふふ」と笑ってしまうと、フィンは一瞬あっけに取られたようだったが、すぐに正気に戻って再びナンナを追求する。
「…それは…その、つまり、あれか?私のことが…」
「ええ。そうです。誰よりも愛しく思っております」
 ナンナはフィンがとても言えそうになかったフィンの言葉の続きを代わりに自分から口にした。フィンは深くうなだれる。ナンナは心なしか掴まれたままの腕が緩くなったような気がした。
「お前が好きなのはリーフ様じゃなかったのか!?」
「いえ。リーフ様は家族です。大事な人であることは間違いありませんがそれ以上の感情は一切ありません。私がそのような気持ちを持っているのはフィン様、貴方だけです…」
 フィンは大きく目を見開いてナンナを見る。その隙に、ナンナはフィンの首に腕を回し、その唇に自分のを近づけていく。
 しかし、後わずかで触れたという時になって、ナンナは自分を呼ぶ大きな声とともにフィンから引き離された。
「ちょっと待ったーっ!ナンナ、お前何を考えている!?どうしてよりにもよって父上なんだ!?」
 フィンはナンナの力が抜けた隙を見逃さず、素早くその場を離れた。
「ああっ!フィン様、どちらへ行かれるのです!?ナンナも連れていってください!」
 ナンナの叫びもむなしく、フィンの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「ああ、もう、お兄様のせいで!!それにお兄様はそうおっしゃいますけど、本当の父ではない、そう教えてくださったのはお兄様、貴方自身ではありませんか!」
 デルムッドは痛い所を突かれたのか、ぐっと押し黙ってしまう。
「私だって悩んで悩んで眠れぬ夜をいくつも重ねましたわ!けれどなんと自分に言い聞かせてもやっぱり私はお父様、いえ、フィン様のことしか愛することが出来ないと気付いたの!そこに舞い込んで来たこの朗報!!私はこれでやっと誰にはばかることなくフィン様を愛することが出来るのです!」
「しかし…リーフ様、何か言ってやってください!」
「ええ〜、僕フィンと親子になれないんならナンナと結婚する気なんてないや」
「私もリーフ様と結婚すればフィン様の隣でずっといられると思ってましたけど、そんな他力本願なやり方に頼る必要もなくなりましたし。やっぱり愛は自分の力で掴まないと」
「そうそう、そうだよね。という訳で僕は解放軍の方で誰か口説いてくるね♪未来のレンスター王妃ぐらいは自分で探したいし」
 リーフはそう言い残して颯爽と踵を返す。
「あああ、ナンナ、お前達は恋人同志じゃなかったのか!?」
「いえ、恋人というより運命共存体です」
「あああ〜、嘘だ、嘘だと誰か言ってくれ〜…。ナンナ、せめて最後ぐらいリーフ様に対してなんか、こう…あるだろ?そんなこと言ってもやっぱりお前はリーフ様のことが…」
 デルムッドに言われてナンナは小さくなっていくリーフの背に大声で叫ぶ。
「リーフ様〜!ティニーとくっつくと最終章で会話イベントありますよ〜!」
 リーフは肩越しにナンナに手を振る。
「良かった、聞こえたみたいね♪」
「良かった、聞こえたみたいね♪――じゃないだろう〜〜〜〜〜〜!!」
 デルムッドはナンナの言葉をマネしてから泣き始める。いったい何が気に入らないというのか分からない、といった感じにナンナは首をかしげる。
「さっきから騒がしいぞ、デルムッド。妹との対面はそんなにお涙頂戴ものだったのか?」
 言いながら現れたのは、黒い甲冑がよく似合う、長身で金髪の青年だった。
――あら?この方は誰かしら?何か懐かしいような気が…血が疼くとでも言うのかしら?
「アレス様!助けてください〜」
 デルムッドは青年に泣きつく。
「これがその妹なんですが…」
 デルムッドはナンナのことを青年に紹介する。
「ほう、美しいな。俺の名はアレスだ。エルトシャンの息子と言えば分かりやすいか?」
――ああ、なるほど。血も疼くはずだわ――と、ナンナは一人で納得して懐から一通の手紙を取り出し、それをアレスの胸に押しつけるようにして渡す。
「はじめまして、アレス様。これは私が母ラケシスから預かった、貴方の父エルトシャン様が貴方宛に書いた手紙です。これに在りし日のシグルド様とエルトシャン様の全ての真実が書かれてあるそうなのでぜひとも御覧になってくださいね。それでは」
 ナンナはそれだけを一息で言うと、フィンを探しに行こうとしたが、あんのじょうデルムッドに止められてしまった。
「待て!この後アレス様が改心してお前に剣舞を見せてお前とラブラブ♪になるはずだろう!?それをそんなふうにあっさりと飛ばすなーっ!」
「いや、俺はレイリアがいたらそれで別に…」
「私だってフィン様以外の男性などどうでもいいです」
「あああーーっ!!もう嫌だーーっ!こんな親族ーーっ!」
 しばらく辺りはデルムッドの絶叫だけが響いていた。アレスがミストルティンで殴ってデルムッドの意識をなくすまでは。

   参 茨の道とて辞するに足らず

 ――そして時は流れ、リーフ達はマンスターを解放することに成功し、セリス軍と合流、そしてトラキア領に進軍する。

「トラバント!主君の敵、今此処でうたせてもらう!」
「フッ!フィンか!まだ生きていたとはな。しかし聖戦士の血を持たぬお前がグングニルを持ってないとはいえ、このわしに勝てると思っているのか!」
 トラバントの空からの急襲にフィンは避けるのがせいいっぱいかに見えたが、勇者の槍はトラバントの右腕を浅く薙いでいた。
 今度はフィンがトラバントに攻撃を仕掛ける。
 が、トラバントは薄く笑い、「フッ、なかなかやるな!しかしお前の動きはキュアンそっくりで…」
 勇者の槍が迫ってくる。
「読みやすい!」
 トラバントの槍はフィンの左胸を狙っていたが、フィンはかろうじてそれを避ける。
 しかし、その際、バランスを崩し、落馬しかけてしまう。その隙を見逃すようなトラバントではなかった。
「これで終りだ!」
――申し訳ありません、リーフ様…!
 フィンは堅く目を閉じたが、いつまで経っても、終わりは来なかった。フィンはいぶかしんで、その両目を開けて、言葉を失う。
「ナン…ナ様?」
 それだけしか言えなかった。いや、それだけで十分だった。
「フィン様に手出しをする輩はこの私が許しません!」
 ナンナは大地の剣を持ってトラバントとフィンの間に立ちふさがっていた。トラバントは既にその一撃を食らってしまったのか、やや上空で体制を立て直している。
「おのれ、小娘が…!勝負の邪魔をしおって…」
「甘い!甘いですわ!私のフィン様に対する想いは岩をも貫くのです!まして天槍グングニルを持ってない貴方などどうして恐れましょうか!」
「ナンナ様、危険だからお下がりください!それにこれは私とトラバントとの戦いです!」
「まぁ、私のことを心配してくださるのね。御自分は傷付いていらっしゃると言うのになんてお優しい方…」
 ナンナはフィンの青い視線にぶつかって、思わず頬を赤らめ、うつむいてしまう。
「違いますっ!だからこれは私とトラバントの問題であって…ぐっ!?」
「さぁ、かかってきなさい、トラバント!恋する乙女の力、貴方にとくと見せてやりましょう!」
 更に抗議するフィンに当身を食らわせて黙らせ、トラバントに向かって剣をかざす。
「ならば望み通り殺してくれるわっ!」
 一度空高く舞い上がるトラバント。そして急降下。その下にあるのは――ナンナ。
 だが、それよりも早く、大地の剣が光を放つ。
「貴様程度の魔力でこのわしを落とせるとでも…」
 しかし、彼の予想に反して、大地の剣が放つリザイアの光は彼の生命力全てを奪い取ってしまった。
「何故…?」 
 トラバントはその身を大地に投げ出されてから、一言そう呟いた。
「くすっ…。ラケシス母様のおかげで☆100よ…。そして愛する人がすぐ隣にいる…これ以上説明は要らないわね?」
「見事だ…。フィン、貴様もたいした奴を伴侶に選んだな…わしの…完敗だ」
「あら。嬉しいことをおっしゃってくださるのね」
 フィンは今だ身動きが取れぬ身体から、違う、と言葉を搾り出したかったが出来なかった。
「トラキアよ…我が愛しい大地よ…」
 その言葉を最後にトラバントは帰らぬ人となった。
――勝手な誤解を残したまま先に逝かないでくれ…
 それがフィンの正直な気持ちだった。誰よりも何よりも憎んだはずである男の死に対して。
 なんだかフィンは泣きたくなった。
「さて。これで二人っきりですわね、フィン様♪」
 ナンナが嬉しそうに走り寄ってくる。そしてフィンの傍に膝をつく。
「あら、まだ動けないんですか?」
 ナンナは心配そうにこちらを覗き込んで来る。その様子は昔のままだ。まだ娘として接していた時の…。フィンは誰が彼をこんな風にしたのかも忘れて、そう感じた。
「あ…二人っきりだしフィン様は動けないし皆はハンニバル将軍の方行ってるし、これでなんでもし放題……。フィン様いいことしましょう♪」
 フィンはその一言で感傷を取り払わざるを得なかった。
 ナンナはフィンを仰向けにしてその上に乗りかかる。フィンの顔の両側に手をついて、そっと自分の唇をフィンのそれへと近づける。フィンは抗いたかったが、体に力が入らない。
「ナンナーーっ!待てーーっ!」
 デルムッドは全速力で駆けつけ、ナンナの身体をフィンから引き離す。
「お前は何をしている!?」
「フィン様と愛を育もうと…」
「待ていっ!まったく…勝手に軍を離れたから嫌な予感はしてたんだ…」
「お兄様、人の恋路を邪魔するといつか馬に蹴られて死んでしまいますわよ!いえ、いっそ今ここで引導を渡して差し上げますわ!覚悟、お兄様!」
 ナンナはトラバントを手にかけた大地の剣を兄に対して掲げる。大地の剣は持ち主の意図を理解してその刀身を淡く光らせる。
「ま、待て、ナンナ!俺達はせっかく会えたのに…」
「問答無用!私の恋路を邪魔するものはたとえロプトウスでも容赦しません!」
「うああああああ――――っ!」
 そして大地の剣は盟約のもと、光魔法リザイアを発動する。その眩い光の後に残ったのは、その昔デルムッドと呼ばれた青年の二度と動かぬ身体だけだった。一言注釈を加えるならば今回の旅路には某踊り子の子供はいない。某神父様の子供もいない。という訳で彼は永遠にトラキアの地で眠りつづける。合掌。

   四 想い溢れて、涙川

 そしてセリス達解放軍は進軍を続け、残すはトラキア城だけとなった。
 一晩休息を取ることにして、セリス軍は夜営をしていた。
――あら?フィン様がいらっしゃらない…
 ナンナはフィンの姿を求めて兵舎を出た。しばらく歩いていると、右手の奥の方から話し声が聞こえてきた。
――あ!フィン様の声だわ!けど誰か他の人の…女の方の声もする…
 ナンナは声のする方にそっと向かっていく。
「アルテナ様、申し訳ありません…」
「泣いているのですか、フィン…?」
――アルテナ様がどうしてフィン様と一緒にこんなところに!?
 ナンナは思わず聞き耳を立てる。
「フィン…覚えていますか?私はいつもあなたに甘えてばかりいた…」
――そ、それぐらい私だって…
 ナンナは妙な対抗心を燃やしながら、出て行きそうになる自分を必死に押し殺そうと…
「フィン…私はあなたが大好きでした」
「ちょっと待ってくださいっ!フィン様を慕う気持ちでなら誰にも負けませんわ!」
 出来なかった。
 フィンとアルテナの二人の驚愕の色の瞳にとらえられ、ナンナは自分が何をしたのか悟った。
「あ…」
 辺りにしばし静寂が流れる。
 ナンナは決まりが悪かったが、意を決してアルテナに指をむける。
「フィン様を泣かせた挙句にフィン様の事が好きなどと…私に対する挑戦と受け取ります!」
「ナンナ様!?」
 フィンは驚いて、アルテナとナンナを交互に見やる。
 それとは対照的に冷静にアルテナは答える。
「あなたはフィンのことが好きなのね?けれどあなたとフィンは親子として育ったと聞いたわ。あなたは父を愛するというの?」
「親子といっても血の繋がりはありません」
 きっぱりと言うナンナにアルテナは無表情で問う。
「血の繋がりがなければ家族ではないと?」
「いえ、そうではありません。確かにフィン様は私の父でした。優しくて穏やかで、けれど力強くて…とても頼りになる父でした。この方のすべてが大好きでした。けれど私はいつしかこの方を思う気持ちが父としてのものではなく、一人の男性へと向けられるべきものである事に気付きました。私だって思い悩みました。眠れない夜だって幾夜も過ごしました。けれどそんな私に今は亡き兄が真実を告げてくれたのです。私とフィン様の間に血の繋がりはないと。…アルテナ様にこの気持ちがわかっていただけるでしょうか?想いに行き着く先があるという嬉しさが…」
 ナンナはひたとアルテナを見据える。
「その気持ち…良く分かります」
 ナンナは逸らされることなく自分に注がれてきたアルテナの黒い視線に戸惑いを覚えた。
――私と同じ目だ…
 ナンナはそう感じた。果ての見えない想いに流されそうになって、立つことが出来ないならせめて流されないようにと縮こまって、いつも呼吸困難でもがいていた昔の自分…
「アリオーン王子…私の兄です。いえ、兄と思って過ごしてきました。この胸の中に眠る想いを隠したまま…妹としてでしか私は兄上のそばにいられないと分かってたから」
 アルテナの顔に浮かんだ笑みは辛い恋をしてる者独特の笑みだ。哀しいほどに優しく微笑む…
「けれど…たとえ血の繋がりがなかったとしても家族として育ってきた者にそのような想いを寄せられるなど、誰がそんな事を望みましょうか…?」
 アルテナは自嘲気味な笑みを浮かべる。
 ナンナはその言葉に言葉を詰まらせずにはいられなかった。
 アルテナの言葉が頭の中で何度も反芻される。
――ならばフィンもそのような事望んでいないのではないか?――そう思考が行きつくと、目の前が真っ暗になった。しかし、意を決して恐る恐るフィンに視線を向けてみる。フィンの顔からは表情が消えていた。
 ナンナはその様子に、やはり、と感じてしまう。それ以上彼を見ることに堪えられなくなり、目を背けようとした、その瞬間。視界の中から消えようとしていたフィンが口を開いた。
「……どうして、ですか?あなたは兄弟だからと言って、そうやって、御自分のお気持ちに嘘をつかれるおつもりですか?――アリオーン王子なくしては生きていけないと嘆く心に――」
 フィンの声は静かだったが、その声は、ともすれば噴出しそうになる激情を抑えている声である事は明白だった。
「だけど…!」
 アルテナは必死の抵抗を試みるが、フィンはアルテナが何かを言う前に再び言葉を紡ぎ出す。
「誰かが誰かを想う気持ちは尊いものです。――たとえそれが禁忌と言われるものであろうとも。…ですからどうか御自分の気持ちから逃げないで、向かい合ってください」
 アルテナはうつむき、唇を噛む。しかし、その唇はすぐに言葉を紡ぎ出す。
「…フィン、わかりました。兄を…いえ、アリオーン王子を止めます。私自身の手で。…これ以上愛する人を失いたくありませんから」
 アルテナの立ち姿は、ゲイボルグを持っていないというのに、ノヴァの聖光に包まれているようで、トラキアの地でも凛々しく咲き乱れる、強き花々のようだった。
 フィンはそんなアルテナに笑顔を贈った。彼特有の、何処までも広がってすべてを包んでくれる蒼空のような――
「フィン、ありがとうございます。…そういえば、昔父様も母様もいなくて泣いていた時にも、私をその笑顔でやさしくあやしてくれていましたね」
「いえ、出過ぎた事を申してすいませんでした」
 アルテナは笑顔で首を横に振る。
「…私はもう行きますね。セリス様に伝えておかなければいけませんし」
 ナンナとフィンはアルテナを見送ったあと、互いにしばらく無言だった。
 先に口を開いたのはナンナの方だった。
「フィン様…さっきおっしゃっていた禁忌ってお母様の事、ですか?…ああ、けど私もそうですよね」
 フィンは静かに振り向く。その青い瞳に月明かりを灯しながら、ゆっくりと口を開く。
「ナンナ…」
「ナンナ…と呼んでくださいましたね。…それは私のことを娘だと見ているからですか?」
「そういう気持ちも確かにある。しかし…私がお前の気持ちに応えられないのはそれが理由と言うよりは…」
「ラケシス母様のことが…」
「…さあな。正直、良く分からない」
「フィン様こそ御自分の気持ちから逃げていらっしゃるのではないのですか?」
「――。そう、かもしれないな…」
 フィンは地面に視線を落とすがその瞳は地面など映してはいない。
 ナンナは驚いた。こんな彼は見た事がない。自分の知っている彼はいつも強くて前だけを向いていて、リーフや自分には決して弱さを見せなかったのだ。
 ナンナは、「戻りましょう」と、フィンの腕を取って歩き出した。
 本当は辛くてしかたがなかった。自分はまた母の影に負けている、と。しかし、その一方で、先ほどフィンが自分の前で弱さを見せてくれて嬉しくなったのも、また、事実である。
 ナンナと再び呼ばれた事も、自分の気持ちを拒絶するのではなく、きちんと考えた上で、その答えを出してくれた事も。恋人ではなくても、彼にとって自分が大切な存在である事がわかったから。
 ナンナは不思議と軽い気分で兵舎へと戻っていった。

   伍 空を青み、想いは尽きぬ

 月日は流れ、セリスとユリアの手によってロプトウスは倒され、世界に光が戻った。
 そして、世界があるべき姿に落ち着こうとしている時、ナンナの姿はアグストリアの地にあった。
 故郷のトラキアの地を捨てて此処にいることは、すべて自分で決めた事だ。何の後悔もない。
 先日届いたリーフからの手紙で、フィンが今トラキアの地にいない事も知っている。
 ナンナは自分が変わったことに気付いていた。
――こんなにも穏やかになるなんて…
 今のナンナは誰の目から見ても優しい。その大地色した瞳が。ナンナがいるだけでその場が柔らかくなる事が。そんなところまでは本人に自覚があるはずもないが、確かに、今の彼女は、春の木漏れ日、そんな言葉が一番似合う。
 窓から吹き込んできた風に、机の上に置いてあったリーフの手紙が宙に舞ってしまった。慌てて取って書き物の机の引き出しに入れようとして戸を開け、そこに大切にしまってある一通の手紙に視線を落とす。それは、聖戦が終わり、バーハラで別れる直前にフィンから渡されたものだ。自分が変わったとしたら、それはあのトラキアでの夜の彼が初めて見せた弱さとこの手紙のお蔭だろう。
 「このように手紙などで気持ちを伝えることを私を許してほしい」と始まる手紙は、律儀な彼の性格をよく表している。達筆とは言えないが、丁寧で読みやすい字も彼ならではといった感じだ。何度も読み返した手紙にまた目を通す。
 ナンナはそれを手に、テラスに出ると、何処までも広がる蒼い空に迎えられた。
 その蒼い空を見ていると、トラキアで見ていた空と何も変わらない事に気が付いた。その瞬間、涙が込み上げてきた。辛いわけでもなかったが、それを抑えようともせずに、ただ流れるままにした。涙で視界が滲んでも、それでもやはり空は蒼かった。
 きっとイードの空も蒼いのだろう。自分はずっとこの蒼い空に抱かれてきた。いつかこの空を抱き返す事を夢見ながら。
 ナンナは、その代わり、と言ってはなんだが、手紙を抱きしめた。
 想いは未だ果ててはいない。しかし、今は時を待つのみ。
 いつかきっと空を抱く。

Special Thanks!! Qou様♪

ナンナ×フィンのお話を頂きました♪う〜ん。ナンナが凶悪で可愛いです。前半の力強さと(おいおい)それでいて一途で切ない想いが素敵。最後の言葉が非常に印象的です。フィンの運命や如何に(^^;)それにしても恐るべき妹軍団。ある意味リーフも一味か(笑)。
本当に素敵な作品ありがとうございました。

別荘入口  ナンナの間