愛の再誕

Likely

〈prologue〉

[砂漠]
全てを呑み込む砂漠
キュアン様、エスリン様の命
名も無き無数の騎士たち
シグルド軍の運命を呑み込んだ砂漠

そこへ―私は行く。

[石化]
天の声を聞いた。
―私は存在してはいけない―
―来たるべき新たな聖戦に生身の体で加わるべき人間ではない―
でも、私は見守り続けたい。
子供達を。
あのひとを―
このささやかな願いを、お許し下さい―神様。

〈many years later ― side Fin〉

あのひとが目の前にいる。
このひとを現実の世界に戻すのは容易い。
しかし。
この現実にあのひとは耐えられるのだろうか。
いや、私自身が耐えられるのだろうか。
あのひとの示すであろう反応に。
あのひとは今の私を受け入れてはくれないだろう。
たとえ一瞬でも、嫌悪に満ちた顔で私を拒絶する表情を示すだろう。
それが、私には耐えられるだろうか。
あのひとの笑顔だけを夢見てきた私に…

いや、甘んじて受けよう。
すべては私の罪なのだから。

〈main〉

[石化解除]
気が付いたとき、私は何かに支えられていた。
焦点が定まらない。輪郭がぼけている…青…蒼空の色…空…私が見上げたのは、大きな空…?
「おかえり ラケシス」
聞き覚えのある声。懐かしい声。私、この声が聞きたかったんだわ。冥くなる意識の底で。
急激に意識が上っていく。五感が戻っていく。焦点が定まる。
壮年の蒼い騎士が私を見下ろしていた。その唇が動いた。
「…私を、お忘れですか」
「………」
涙が一筋、頬を伝った。
もう、何も考えられない。…私、…私…
彼が私を抱きしめる。
その体中から彼の苦難や、想いが伝わってくるようで…
ごめんね。
こんなに心配させて。
貴方にばかり苦労を背負い込ませて。
泣くより他はなく。
ただただ、彼の胸を涙で濡らすだけ。
童心に戻って、泣きに泣いた。
彼のしっかり支えてくれる腕を背中に感じながら。

「私、結局何の役にも立てなかったわね」
「今はただ、貴女の無事を感謝するだけです。貴女の無事の帰還を待っている者がたくさんいるのですよ」
「たくさん?」
彼は笑った。
「そうです。…貴女の胸にかかっていたことは夜明け前の靄のようにすべて晴れるでしょう。今の私のように」
私を抱き上げ、空に掲げる。
そのままクルクルと回る。
視界が流れる。でも、彼の顔は正面で動かずに私を見つめて屈託なく笑っている。
こんな顔を以前見たのは、いつのことだったかしら。…すべてが遠い昔、この現実も夢のようで。…でも、しっかり私を掴まえてくれる、貴方がいる。
グルグル廻されている私は笑いながら抗議した。
「あはは、やめて、目が回っちゃう」
と、ようやく私を降ろした。
「私のやってきたことは無駄ではなかった」
彼は穏やかに彼方を見つめる。
「シグルド様、キュアン様、エルトシャン様…あの方々の思いは正しく実を結んだのです」
そういえば、もうあれから、どれくらい時が経っているのだろう。
ナンナは、デルムッドは、リーフ王子は…あの子達は…
そこでようやく、フィンの容貌の変化の意味に気が付いた。
「…あれから…」
「あれから、15年以上経ちます」
15年以上の空白!
私は雷に打たれる思いだった。
そんなにも長い間、私は…
埋められるだろうか。
そんなに長い時間の空白を。
人生の半分近くを私は冷たい石像として過ごしてきたのだ。
彼にすべての責任を押しつけて。
私はこの世に生存する資格はないのではないのかしら。
「フィン。私、貴方にどうしてもお詫びしたいの」
「何です。急に改まって」
彼の腕から逃れる。
「貴方を苦しめたこと…私がもっとしっかりしていればこんなことには…」
静かに瞑目する、彼。
「…それを言うなら、私もです。すまなかった。貴女をこんな目に遭わせて…しかも、長い間、放置していた…わかっていたのに、救いに行かなかった」
「いいえ、違うわ。これは当然の報いだった。私が貴方のことを考えなかったから…自分のことしか頭になかったから…申し訳ありません」
「私の方こそ、お詫びのしようもありません。あの時勢とはいえ、貴女のいうことにもう少し耳を傾けていれば」
「そんなことないわ!私がすべて悪いのよ!!貴方をこんなに苦しめて…私、貴方を苦しめるだけの存在なのかも知れない」
口に出して言うのは辛すぎる言葉。
でも、事実だもの。…死んでいた方が、どんなにこの人にとって…
急に腕を掴まれた。深い碧の視線が私を射る。
「馬鹿なことを言ってはいけない。私は貴女に何度となく救われた。貴女は私に生きる勇気をくれた。そう、私がここまで生きてこれたのは貴女のおかげなのです」
「…嘘」
「貴女は私に喜びをくれた。私に愛し愛される喜びを与えてくれた。貴女は私に息子と娘を与えてくれた。家族のいる喜びを教えてくれた。…貴女がいなかったら、私は心が荒廃し、崩壊するところだった。そしてどこかで貴女は必ず生きている。それが私の何よりの支えだった」
「この時だけを夢見て、私は生きてきたのです」
私はかすかに首を振った。
そんなこと言わないで。お願い…
「世界には光が満ち溢れています。若々しい、生気溢れる光が。もう、暗黒の時代は終わった。もう、悪夢を見なくてもすむのです。私の役目はほぼ終わった。あとは…貴女が」
かすれた、声。私がずっと待ち望んでいた言葉。
「貴女さえ、傍にいてくれれば…もう、何も言うことはありません」
再び、私は彼の腕の中にあった。
幸せ。でも本当に幸福なの?
私で、本当に貴方は幸せになれるの?
それは、大きな錯覚ではないの?
その思いも、彼の感情の波にさらわれてしまう。
「大丈夫。恐れないで。貴女には幸せになる義務があります」
「フィン、でも」
「私をこれ以上、苛めるつもりなのですか。何と言おうと、もう離しませんよ」
「貴女の無事が、私への何よりの褒美です。神々が私を哀れんで、貴女をお遣わしになった。貴女を私の許に戻して下さった。そう信じます」
もう、言葉はいらなかった。

「時間が解決してくれます。ゆっくり時間をかけましょう」
寝物語に彼が言う。
彼の感触は、何も変わらないけれど。
私が子供になってしまったようで。
私はすっかり、彼に甘えきっていた。
…以前もこうだったかしら。
「少し休ませて。疲れ切って動けないわ」
笑って答える彼。
「許しません。私がどれだけ悲嘆にくれたか、どれだけ身を焦がしたか、貴女はよくおわかりになっていないようだから」
「ひどいわ」
「ひどいのは貴女です。いつもいつも私は貴女に振り回されてばかりだった」
反論できない。
「だから今度は私が…」
たまらず、私は高い悲鳴とも嬌声ともつかぬ声を上げた。
「こうして長年の思いの丈を貴女にぶつけているのですよ」
反応する私が彼には殊の外嬉しいらしかった。
「…もう少し…やり方というものがあると思うけど?」
「こうでもしないと、貴女にはわかってもらえません」
思い詰めた風に彼は言った。
「私の想いの深さをあらためて知って貰いたい。もっと貴女の存在を確かめたい…貴女は戻ってきたのだと。もう逃げたりしないのだと…!」
彼の意志の奔流に呑まれ、私は失神しかけた。
「ラケシス、目を開けて。目を閉じてはいけない。二度とその目は開かなくなってしまう」
真剣な彼の声が私を揺さぶる。
「私を見て。私だけを見つめていて欲しい…そして声を聞かせておくれ。私をその腕で抱きしめておくれ…貴女がまた固い石に戻らないように、柔らかい身体のままでいるように」
彼の激しさは懼れの裏返しだった。
「大丈夫よ。私はここにいる。決して貴方の傍から離れたりしない」
彼を両手でかき抱いた。
「だから、ゆっくり休みましょう。疲れたでしょう、貴方も。私をこうして元に戻すには一方ならない困難があったでしょう?大丈夫。ずっと貴方の傍にいるから。貴方が目覚めてもいなくなったりしないから」
彼は初めて安らかな眠りについた。
それを見届けて私も睡魔に身を委ねたのだった。

どのくらい時間が経ったのか。
頭に触れられている感触を感じてふと目を開けると、彼の顔が間近にあった。
数瞬、戸惑う。
「もう、眼が開かないのかと思った」
声を聞いて安心する。
やはり、彼だ。フィンなのだわ。
「…そんなわけないって言ったでしょう」
瞼に口づけられる。
「信じられない。本当に貴女なのですね。ここにいるのは本当に貴女なのですね」
「フィン…」
ごめんなさい。今までどんなに彼ひとりに辛い思いをさせてきたことだろう。
「貴女はいつも掴もうとするとたちまち掻き消えてしまう」
「ごめんなさい…でももうそんなことはしないわ。約束します」
「そんなことを言って、貴女はすぐに消えてしまうんだ…いつものように」
つれない言葉。拗ねているのではなくて、事実なだけに痛かった。
彼の言葉に私は胸の痛みを覚えた。
「そんなことない。もう貴方だけに辛い思いはさせません。これから今までの分まで幸せになって欲しいの…今度は私が貴方を支えたい。貴方の力になりたい」
息を吐いて、彼は笑った。
「今までも貴女は十分過ぎるほど私を支えてくれましたよ」
え。
彼の手が私の髪を梳く。
懐かしい感触。こうしてもらったのは、いつのことだったかしら。
「…貴女がいつも私を護っていた」
「え」
「私には解っていたんです。貴女が私たちを見守っていたことは」
私の髪を撫でていた彼の手の動きが止まる。
「だから何も気に病むことはないのです。貴女は私と常に共にいた。一緒に聖戦を戦ってくれた」
開こうとした唇を彼のそれで封じられた。
しばらく、心が夢幻を漂って。
やっぱり、夢ではないかしら。
これは私の夢想で。
彼はここにいなくて。
私は生気のかけらもない只の石の固まりで、もの言うことも叶わず、暗黒神の神殿にひっそりと置かれているだけ。
運命に逆らおうとした罰。
苦しんでいる彼を、支えようともせず、自分勝手なことばかりしていたから。
彼の惜しみない愛情に後脚で砂をかけるような真似ばかりしていたから。
いま、謝ってもどうしようもないけれど。
過去の過ちが消えるわけではないけれど。
ごめんなさい あなた。
ごめんなさい。

「…何を泣くのですか」
彼の声で、我に返る。
…夢ではないのね。
貴方の感触も、この熱い涙も…
「お願いがあるの。この上貴方に、この期に及んでどうしようもないけれど」
「貴女の望まれることなら」
その目は真剣な光に満たされる。
「…でも、私から解放されたいというのは聞き入れられませんよ」
「こんな姿になっても、貴女を想う心には何ら変わるところはありません…神に誓って、また我が名誉に誓って」
素晴らしく高潔な人。私には過ぎた人。いままで、何と彼をぞんざいに扱ってきたことだろう。私は彼の価値を本当に知ろうとはしなかったのだわ。
なんて愚かな私。
彼から注がれる愛情を当たり前のように思っていた。
それに何の顧慮もしなかった、愚かな私。
私の双の手は自然に彼の手を取った。
「もう、貴方を心配させたりしません。私も神の御名とその末裔たる名誉に誓います」
「約束ですよ」
彼が笑った。

正直、私には、まだ時間の感覚が掴めない。
石化した者の運命も聞いたことがない。
もしかしたら、私はかりそめの命を与えられているだけで、その存在はすぐに風化してなくなってしまうのかも知れない。
本来、『ありえないもの』なのだから。
この私の身体も『ありえないもの』だ。
石化された状態のまま。
この身体と同じくこのこころも…。
「いや、そんなことはありません」
彼は笑って否定するが、私はもどかしくてたまらない。
「私は貴方と共に年輪を重ねていくはずだったの。貴方をたすけて子供達の成長を見守り…」
「確かに貴女は子供達とそう外見は変わらないが」
「こんなこと、あっていいはずがないわ。きっとなにか反動が起こる…」
「大丈夫ですよ。ラケシス。確かに貴女にとっては、急に私が老けて現れたものだから、面食らうのも無理はないが…」
「そういうことをいっているのではないわ!私はたとえ貴方がしわしわのお爺さんであろうと、魔法でカエルに変えられようと、貴方である以上、誠意を持って愛します」
「なかなかな言い様ですね…でも、私はそこまで」
「そうではないの。そうではないのよ…」
募る不安はどうしようもない。
それをフィンはわかってくれていて。
そして私の不安を和らげようと大きな愛で包み込んでくれる。
その大きな手を伸ばして、私の手を取って。
ふと、私は言い忘れた言葉を思い出した。
「フィン、今の貴方は頼もしくて素敵だわ」
手の甲に彼の唇が押しあてられた。

私はただの幻影かも知れない。
貴方の中の、幻…ありえないもの…存在しないもの。
私の中の、残留思念。残された、思い。
「…白い」
「ん」
「白すぎると思わない。私の肌。本当に血が通っているのかしら」
「貴女はもともと透き通るような肌を持っていたでしょう。戦場でも焼けないのが不思議な…ラケシス!」
剣に伸ばした手を叩かれた。
「何のつもりですか…貴女は!」
「何でもないわ。ただ、ほんとに血が出るかしら、と思って」
「馬鹿なことを…当たり前でしょう。せっかく無傷で戻ってきたというのに…自分を痛めつけることはやめなさい」
「そんな大げさな…ちょっと切ってみるだけよ。痛みを感じるかどうか」
「ラケシス」
一つ息を吐き、向き直って彼は私の両肩を掴んだ。
「私を見ろ」
食い込むような瞳。
「私はここにいる。決して貴女から離れたりしない。心も身体も、貴女の傍から片時も離れない。もう、何も恐れなくていいんだ。もう何も私たちを隔てるものはない。何であれ、私たちを引き離すことは出来ない。もう、出来ないんだ」
涙腺がおかしくなる。…駄目。
俯いた私を、抱き留めて彼は囁いた。
「これからはひっそりと、静かに暮らそう…貴女と二人、落ち着いた暮らしがしたかったんだ…もう、私は表舞台に出る必要はないし、こうして貴女も戻ってきてくれた…だから」
どうして私は、こう…
「…ごめんなさい」
感情の抑制できない声で私はわなないた。
涙が止まらない。
「貴女らしくないな。ずっと、泣いて謝ってばかり。貴女はちょっとやそっとでは泣くことも謝ることもなさらなかったと思っていたのに」
「だって、だって…」
「貴女が御自分を責めることは何もありません。すべては運命だったのだから。…また、笑って欲しい」
驚いて、私は顔を上げた。
「…知っていたの」
「貴女ほどの人が、子供達の無謀な決起を黙ってみているわけがない。何かが動いていたことは確かです」
「だから、御自分を責めるには及びません。私もだいぶ苦しんだ。すまなかった…貴女にいつも辛い思いばかりさせて…許して欲しい。今までの私の仕打ちを…そして、できれば、また笑って欲しい。私のために」
「…ううん、今は笑えない。今すぐには。でも、もうしばらくしたら」
「もうしばらく、貴方といたら笑える、と思うの。素直に自分の立場を感謝できると思うの…」
「いつまでも待ちます。貴女が心から笑ってくれる日まで」
ありがとう。私は貴方のような人と巡り会えて、本当に幸せだった。
これからも、こんな幸せが続いていいのかしら。
こんなに幸福だと、反動で不幸があとから倍加してやってくるのではないかしら。
私は慌てて首を振った。
ううん、そんなことさせない。
彼と私の幸福をもう失わせたりしない。
私の幸せは彼の幸福。
そう信じても良いのよね。

〈epilogue〉

「そう言えば、貴女のお願い、まだ聞いていなかったな」
「…皆のところへ行きたいの。シグルド様と共に戦った、皆のところへ」
「ラケシス…!」
「違う。そう言う意味ではないわ。貴方と一緒に、昔の戦場を巡りたいの」
「もう一度、胸に刻み込んでおきたいの。今までの人生をゆっくり振り返りたい。心の整理をつけるのには一番いい方法だと思う」
「きっと驚きますよ。今は信じられないほど平和だから…あの時代がまるで嘘のように」
「嘘じゃないわ。私たちが出会ったのはあの戦乱の時代だったし、結ばれたのもあの戦争の最中。私の最後の記憶だって帝国の暗黒時代…」
意識がはじけそうになる。
すんでのところで、彼にまた抱きかかえられる。
「すまない。嫌なことを思い出させてしまって」
目眩がした。
私はあの頃にまだ囚われたままなのだ。
私はまだ現実を見る勇気がない。
今のフィンを受け止める勇気も本当はないのかも知れない。
なし崩しに彼にもたれかかって甘えていてはいけない。
でも、甘えていたい。
相反する二つの気持ちが私の中で交錯する。
…もう、どうすればいいのか、わからない。
彼が心配そうに顔をすり寄せる。
…彼を困らせないって決めたのに…
無理に笑おうとして、止めた。
もう、欺きたくなかった。
いつか、本当に笑えるときがくる。
貴方の傍にいれば。

「…皆も」
「そう、皆さんも手を貸してくれた。かつてのシグルド様の下で共に戦った方々が」
「行きましょう」
「ええ」
彼は頷いて、私の髪を撫で、額に口づけた。

…fin.

管理人より
Likely様から50000Hitのお祝いにいただきました。ご本人は未完成とおっしゃっていますが、とてもそうとは思えません。15年の時を経て舞い戻ったラケシスの不安と恐怖、それを包み込むフィンの愛…。本当に素敵です♪こんな辺境の地に置くのはもったいないのですが…。本当にありがとうございましたm(_ _)m

別荘入口  ラケシスの間