打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

 少年「ノリミチ」と少女「ナズナ」が大人になる夏の一日を、岩井俊二監督は細かな仕掛けをそこここに凝らして描いた。もともとこの映画はドラマ「IF」の中の一本として製作されたもので、「IF」は物語の中に「分岐点」を設け、何らかの選択をした場合その後の結果がどう変わってくるかを対照的に見せるという趣向のドラマシリーズだった。この映画はその対照を生かして、大人になるというテーマを鮮やかに浮き彫りにしてみせた。
 この映画の「分岐点」となるのはプールだ。ナズナが花火大会に誘う相手がノリミチかその悪友かで、物語は大きく変わってくる。プールはこの時だけではなく、ラストシーン近くに再び登場した時も一種の「分岐点」の働きをしていおり、その時は物語ではなくノリミチとナズナが別の世界に分離されることになる。
 ナズナは同級生の男子に比べれば、やや大人っぽく、魅力的な少女だ。彼女は家庭の事情で2学期から転校しなくてはいけないが、彼女自身はそれを望んでいない。母親にもあまり好感を持っていないようだ。彼女は自分がもう子どもはないことを知っている。だが同時に、自分が大人になるということがうまく把握できずに、自分で自分を持て余している。こんな彼女が自分を変えたくて「クロールの競争で勝った方」を、花火に誘おうとしたのは当然の流れだろう。「分岐点」のプールで彼女はまず、悪友の方に声をかけることになる。
 悪友に声を掛けたことで始まる前半部の物語は、簡単にまとめるとナズナが大人になることに失敗する物語だ。ナズナは花火を口実に家出を企て、不釣り合いなスーツケースを手にしている。このアンバランスさは、そのままナズナの現在の心象を象徴している。結局、スーツケース(=大人になりたいという気持ち)は突然現れた母親が取り戻し、彼女は大人になることを禁じられたままノリミチたちの目の前から去ることになる。これは、ナズナを好きだと言っていた悪友が、ナズナを避けるような行動をとったことも一因だが、悪友はまだナズナほど大人ではなかったのだ。
 後半では、こうして語られた前半を踏まえ、ナズナとノリミチが大人になる過程が描かれる。ノリミチは家出を決意したナズナに引っ張られるまま、駆け落ちをすることになり、バスでローカル駅に到着する。ナズナはここで、例のスーツケースから大人っぽい服を取り出して着替える。「これで16歳って名乗れば都会で働けるかしら」などと言ってノリミチを当惑させたりもする。そして、最後は列車が来るのを待つこともなくあっさりと「帰りましょう」と言って、再びバスに乗り込んでしまう。
 何故ナズナは駅から旅立つことをしなかったのか。それは、自分の中でこれまで持て余していた物が何かを彼女がはっきりと悟り、そのことではっきりと子ども時代と決別できたからなのだ。持て余していた物=スーツケースの中から出てきた大人の洋服を着ることで、まず彼女は大人になるということを把握する。そして、彼方に続く線路をみつめる。ナズナはその伸びゆくレールの向こうに、自分の将来の可能性を見たに違いない。そしてそこで自分の今後の可能性を信じることができたからこそ、現在の時点でのノリミチとの「駆け落ち」は中止されることになったのだ。旅立てる可能性が自分にあることを知れば、今旅立つ必要ははない。こうしてナズナは大人への関門をくぐったのだ。
 では、ノリミチはどうか。急激に大人になったナズナに対し、ここまでではノリミチは全く成長しておらず、子どもの側に留まっている。そのため、岩井監督はここで再び分岐点である「プール」のシーンを用意する。
 学校に戻った2人は、服を着たままプールに入る。再度登場した夜のプールは、残酷にも大人の仲間入りをしたナズナと子どものままのノリミチの人生を分ける分岐点として機能する。ナズナはノリミチより早くプールから上がり、そのまま物語から姿を消す。それは、彼女がノリミチより一足早く大人になってしまったからだ。このプールのシーンに岩井監督が子どもであるナズナの死と大人としての再生の意味を重ねているだろうことは想像に難くない。そして、皮肉なことにノリミチはそうしてナズナを失ったことで初めて大人になったのだ。
 大人となったノリミチにとって世界は姿を変えて見えてくる。担任の先生とその恋人に出会ってその素顔に触れるのもその一例だ。そして、子どもなら本来なら入れないはずの打ち上げ場所に入って、真下からの花火を見ることが許される。
 この映画は、花火は横から見ると平たく見えるかどうかという、子どもの議論から始まる。そしてノリミチの悪友たちは花火を横から見ることができる灯台へと向かっている。しかし、通過儀礼をまだ経ていない彼らが見た花火は残念ながらいつも彼らが見ている花火と違わない姿だったはずだ。そして、大人になったノリミチは見たこともない角度から花火を眺めることになる。初めての失恋を噛み締めながら。(97/1/18)  19日に改訂


映画印象派 RN/HP