評決の時

 黒人の幼い娘が白人に 暴行を受け、その白人を射殺した父親が裁判にかけられる。この映画を理解しようとするのなら、米国の深南部へ住まなければならないだろうというのが率直な感想だ。映画の中で描かれた黒人と白人の確執が、どれほど現実と照応しているのか、それが皮膚でわかっていなければ、本質的な批評など無理だろう。
 この映画は、人の親の気持ちに人種の差はないという主張に支えられてラストを迎える。この映画の歯切れの悪さはそうした大切な結論が、現実の中で鍛えられた真実として提出されるたように見えす、情状面を訴えるという法廷戦術にしか見えないからだ。(主人公がこの理念を信じているのはまた別問題)。法律的に見れば「それならば復讐もありか」といううがった見方さえできてしまう。また、陪審員が最終弁論まで、「自分の子供が暴行されたら」というのを全く考えていなかったというのも少し苦しい展開だ。もし、考えていたとしたら、なぜ一旦「有罪」で全員一致したのだという疑問も出てくる。
 だからこそ、現在の南部の情勢を体感しなければ語れないという気がする。現実の中で理想を模索しているのであれば、やはり人々の心も揺れ動いており、ああいう逆転裁判もあるかもしれないと納得できるかもしれない。
 ジョルジュ・シュマッカーの演出は手堅いが室内シーンは似たようなサイズの画面が続きやや単調。その分、屋外シーンは空撮を交えるなどダイナミックに処理していた。主演のマシュー・マコノヒーは好演した。今後に期待。(97/1/3)


映画印象派 RN/HP