インデペンデンス・デイ 
SFというジャンルはアメリカが産んだ神話だという。ヨーロッパで各地方に伝えられる騎士の冒険や聖者の奇跡がアメリカに渡り、魔法のかわりにテクノロジーという「合理性」を与えられ、SFとして産まれ変わったというわけだ。こうして産まれたSFはジャンルが深化していく過程で、その出自とはあまり血の濃くないように見える作品も多数生み出した。しかし、「神話としてのSF」という遺伝子は現在に至るまで健在で、しっかりとさまざまな作品に受け継がれているように見える。 
そしてアメリカはもう一つ神話を持っている。それが「ハリウッド=映画」だ。こちらも、ヨーロッパにその端緒を持ちながら、アメリカに渡って産業化され現在の姿になるなど、SFとの共通点は多い。そしてより多くの視聴者が同一の体験をするという、神話を語るには最適なメディアの特性を生かしながら、観客の望むさまざまな夢の物語を紡ぎ出してきた。 
 こうしてその背景を見てみると、ハリウッド製のSF映画というのはやはり現代の神話の一つであっても全く不思議ではないことがよくわかる。2001年宇宙の旅、スターウオーズ、E.Tと、いくつかの傑作を見てみただけでも、SFと映画の相性の良さが伝わってくる。そして特撮技術の飛躍的進歩によりその親和性は近年、より増しているようだ。 
インディペンデンス・デイは、こうしたハリウッド製SF映画の直系の子孫ともいうべき要素がちりばめられている。異星人との遭遇、強大な敵に勝つための英知・勇気などがSF的神話の要素で、それらを描くためのSFXが映画の神話的要素と言えるだろう。映画の神話的要素のもうひとつはスターの存在だが、この映画ではそれはない。
 しかし、その替わりにというべきか、この映画にはもう一つの神話が存在している。それはアメリカの神話そのものだ。 映画が月面に置かれたアポロ11号のレリーフから始まる点をとっても、これがアメリカの神話が軸に据えられていることは明らかだ。そして、歴史の原点である独立記念日(インディペンデンス・デイ)。タイトルになっただけでなく、主人公の一人である大統領の演説でもこの言葉は飛び出す駄目押しぶりだ。さらには、現代の神話とも言えるニューメキシコ州のUFO墜落伝説までストーリーに取り込んでいる。
 また、この映画ではあらゆる米国のあらゆる階層が上手に配置され、お互いに協力しあう姿が描写される。ベトナム帰還兵でアル中のネイティブアメリカン(?)と、湾岸戦争の英雄だった大統領がともにUFO撃墜のために戦い、MIT出身のユダヤ系のインテリとアフロアメリカンのパイロットが起死回生のチャンスを作るための作戦を遂行する。そして彼らは一様に家族を大切にする。まさに、あらまほしきアメリカの姿=アメリカ神話のオンパレードといったところだ。
 つまり、ドイツ人であるローランド・エメリッヒ監督がどこまで意識したかはともかく、インディペンデンス・デイは「アメリカ神話」を映画とSFという2つの神話でさらに補強している仕組みになっている。そして、この無邪気な「神話」はあくまで「神話」でしかないということを我々は良く知っているのが、この映画を語る時に欠かせない視点だ。米国でのヒットも、観客が現実と映画との乖離を実感しているからこそ、という皮肉な見方もできるだろう。 
  映画は7月2日に始まり4日に終わる。わずか3日間の出来事だ。巨大UFOに主要都市は破壊されたものの、異星人は占領に降下したわけではない。そこからの反撃をあえて「世界の独立記念日」と言わざるをえないある種の屈辱感の強さこそ、己の文化つまり神話で世界を染め上げようとしている米国のプライドと無神経の現れであり、アメリカが現在悩んでいる病の原因の一つであるように思う。(97/1/3) 


映画印象派 RN/HP