歌男(業田良家、集英社 600円)

 歌男「仙道春樹」は孤独な男だ。彼は歌を詠むことだけしかできない「無能の人」で、歌を詠むためには、とことんわがままになる一面を持っている。何故彼がわがままかといえば、自分が周囲から必要とされていない(愛されていない)ことを知っているからだ。だから、彼の短歌の多くはつまり「Do you love me」と、周囲に問う(あるいは確認する)ことで生まれている。そして、多くの場合その問いは報われない。
 そんな彼が変わるのは、病弱な女性「久美子」との出会ってからだ。彼女はその病弱故に隔離されて育ち、恋をしたことがない。だから、彼女自身も「Do you love me」の問いを心のなかに持っている。「健康だから嫌いにならないで」「こんな私嫌いだよね」というのは、その問いの裏返しのセリフだ。歌男はこんな久美子に「何かができるからっておまえを好きになったんじゃない」と、答える。作中ではややパロディ的な感じで登場するこのセリフだが、それはそのまま「短歌しか詠めない(しかも時々スランプに陥る)」無能の人である自分に向けた言葉なのだろう。マンガは中盤過ぎから、ある社会学者のいう「現実にうまく着地できない者どうしのコミュニティーがお互いを救う」というケースをなぞるような展開を見せる。
 だが、久美子は海水浴に行った夜、まるで眠るように死ぬ。仙道は久美子の父に罵倒され、死を決意する。滝から身を投げた仙道は、しかし死ねず海まで川を流されていく。だが、彼は確実に一度死んだ。それは、世界から愛されること(それはつまり、周囲から自分の存在を決めてもらうことだ)ばかりを望んでいた古い自分の「死(DEATH)」だ。そして、「世界はただあるだけ」という自分の中の真理に至った仙道は、久美子を愛した経験をバネに、世界から愛されるのではなく、世界に意味を与える(世界を愛する)側に回ることを決意した。それはつまり「再生(REBIRTH)」なのだ。
 愛する←→愛されるという行為を、自分のあり方(いかに愛されるかという改善を前提に自己開発する思考方法)からではなく、対象と自分の関係性において捉えることを久美子との経験から学んだからこそ、歌男「仙道」は現実に着地できたのではないだろうか。当初はパロディ的な要素の強かった「何かができるからってお前を好きになったんじゃない」というセリフがここへきて、ちゃんと世界を肯定する意味を持つようになる。 
 ラストで久美子の墓を訪ねた仙道は、「歌えないものはない」とその前で語る。それは、彼自身は変わらないのだが、彼の視点が変わったからなのだ。自分を自分で愛するのでなく、無意味に見える世界を愛する(肯定する)存在として生きること。「Do you love me」と歌っていた男は、世界中のあらゆるものについて「Take care of yourself(ご自愛ください)」と歌う(未亡人を慰める?ために歌うのは象徴的でもある)男に生まれ変わったのだ。(97/04/09)


漫画荒野 RN/HP